ニエはおやつにはいりますか? 〜美味しく食べてもらうために造られた少女、なぜか鬼の家族になりました〜 作:ladybug
ことりことりと、食卓に器が並べられる。
木製の器に庭で採れた野菜のサラダ、野菜くずと肉の切れ端を煮たスープ。小皿に乗せられたハムとチーズの傍らにはパン籠が置かれていた。
硝子のコップの中では炭酸の泡が弾け、軽やかな調べを奏でている。
他方、カミラとベント用の食事は煮ても焼いても肉一色。香草やスパイス程度ならば多少使われているが彩りには程遠い。その分、目を楽しませる流麗な装飾の陶器が使用されていた。
陶磁器のカップに注がれた赤、その芳香が鬼達の鼻腔をくすぐる。
人と鬼は各々の席につき、これまた各々の食前の儀式に集中する。
神に祈る者、生活の心得を胸中で唱える者、静かに手指を拭う者。それぞれの生き様と歴史が滲む作法だ。
ただ一人、ハニだけがそわそわと視線を揺らしていた。
「さて、グラスは持った? 月並みだけど言わせてもらうわ」
カミラは食卓に声を投げかける。
「──ハニとの出会いに乾杯!」
グラスの触れる音がした。
出会いも何も、カップの中身からしてハニの一部である。
皆が喉を潤し一息ついたところで、レインが隣を気にし始める。
「あー、お嬢ちゃん?」
かけられた声に、ハニは文字通り飛び上がった。椅子から腰を浮かせた彼女は辺りを見回し、小さく縮こまって座り直す。
「ナンデモナイデス」
「いや片言」
レインの容赦ないツッコミが入った。老女はハニの背を叩き、パン籠を渡す。
「大丈夫だって言ってるだろ? ほら、あんたも食べな。育ち盛りなんだ。遠慮するんじゃないよ」
「はい……」
素直に従うハニだが、パンを千切って見つめたところで手が止まった。
肌の色のおかげで分かりづらいが、よくよく観察してみれば、その頬にはうっすらと朱が滲んでいる。
パンを持つ指もまた、小刻みに震えていた。
「オイシイデスネ」
やっと一口を飲み込んだハニが呟く。実際は食事どころか水もろくに喉を通らないようだ。
先程までと様子が違いすぎる。
カミラとベントは顔を見合わせた。
「ねえ、レイン。厨房で何があったの?」
「さてね。順調に料理をして、こっちの食事を一緒に味見して、まあ楽しい時間だったよ」
「成程。いつから様子が変わったんだ?」
「盛り付けのあたりからかね。急に大人しくなって、食卓についたらもうこの状態さね。何が何やらだよ」
肩を竦めたレインの横で、ハニがさらに縮こまる。もうはっきりと赤い頬の彼女は、皆の視線から逃れるように俯いてしまった。
「ハニったらどうしてしまったの?」
「いえ、その……本当に何でもないんです。すみません」
料理の出来栄えに満足がいかなかったのかと思い、カミラは改めて食卓を眺める。
血の滴るオーブン焼きに血入りスープの煮込み。ぷるりと弾力のある塊は血を蒸して固めたものだろう。食感や味の変化にもこだわりを感じる名品揃いだ。
何より生き血の爽やかさが実に素晴らしい。こっくりとしているがしつこさがなく、芳醇な香りの向こうにわずかな甘みを感じた。
「どれも美味しいわよ。ねえ、ベント?」
「ああ、普段は適当に採血器で血を交換し合っていたからな。久方ぶりのまともな食事で、正直感動している」
朴念仁のベントにしてはまだ気の利いたコメントだ。おべっかを言っている様子もないため、本心からの言葉と思われる。
しかし、褒められたはずのハニとはいえば、さらに小さくなり、ついには両手で顔を覆ってしまった。
そして、蚊の鳴くような声で呟く。
「はずかしい……」
これには他の三人も首を傾げるしかない。
あれほど自信満々に自身の性能を語っていたというのに、ここにきて羞恥を露わにするとはいかに。
カミラは席を立ち、丸まってしまったハニの背を撫でる。
「お前はしっかり美味しくて料理の腕も確かよ」
「…………」
「ほら、顔を上げなさい。恥じることなど何もないのだから」
「むりです。だって、自分が食べられるところをこの目で見るのは、何か……何かこう……!」
ハニは呻き、椅子の上で膝を抱えて三角座りになってしまった。
ニエの恥じらいポイントが分からず困惑しきりの仲間達である。
「ほら、あれじゃないかい。クチではいくらでも語れるけど、『私が作りました』みたいな顔付きの宣伝に羞恥をおぼえるタチとか」
「能力の影響ではないか? ニエとして自身が咀嚼嚥下されることに満足を感じる一方で、『良識』がそれを非道徳的と判断してしまうとか」
「単純に食べられる自分を見るのが初めてだからでしょう。まあ少し倒錯的かもしれないわ」
俯き露出したハニのうなじを見下ろし、カミラは一人頷いた。
「それはそうと、もう少し喉を潤したいの。というわけで、お代わりを所望するわ。あーん」
「いっ!? カミラ様、そんな急に」
噛みつかれ、ハニが小さな悲鳴をあげる。しかし、抵抗はない。恥ずかしいだけで食べられたくないと思っているわけではないようだ。
ハニの首筋から唇を離し、カミラは笑みを浮かべる。溢れた血の一雫まで舐め取れば、身も心もすっかり満たされた。
「最中に名前を呼ばれると何だか興奮するわね」
「食事の話なんだよな?」
胡乱気な目をしたベントが呟く。
心なしか軽蔑の混じった眼差しだった。
────数分後のこと。
落ち着いて気を取り戻したハニが項垂れる。
「大変失礼しました」
「いいのよ。はい、あーん」
カミラは満面の笑みでフォークを振るい、小さなトマトを差し出す。ちゃっかりハニの膝の上に座っての給餌だ。
カミラが落ちないように抱きかかえ、ハニがトマトを食む。
「とても美味しいです。張りのある歯応えに溢れる甘み、食感も味も参考になります」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、トマトが食べにくくなるからやめとくれ」
レインの控えめな主張にベントが気の毒そうな視線を送っていた。
ハニ以外は既に食事を終え、お茶で一服中だ。懸命にハム入りパンを齧るハニを眺め、レインが呟く。
「今まで何人もニエを見てきたけど、こりゃまた変わった子が来たね」
「やっぱり? ハニったら少し特別な子よね」
カミラが机に乗り出して言えば、ベントが眉間に皺を寄せた。
「そもそもおれ達は、ニエの何たるかすらよく知らん」
悪食カミラに偏食のベント。鬼の血肉を糧とする二人にとって、人を模したニエは無用の長物でしかない。
知己が自身のニエを見せてくれたこともあったが、他所の食糧庫を覗いたところで腹が膨れるわけでもなく、特段感想は抱かなかった。
しかし、ハニは今や血族の子。
大切な仲間であり、食糧である。
炭酸水に目を白黒させているハニを見上げ、カミラは囁く。
「ねえ、私のハニ。私達、もっとお互いを知るべきではないかしら?」
「はい? ええ、もちろん。好みなど伝えていただければ、誠心誠意対応いたします」
「それは嬉しいのだけど、私達、ハニができることをよく知らないのよ。少し教えてほしいわ」
カミラは甘えるようにハニにもたれて身体を預けた。琥珀色の目が瞬き、カミラを見る。
「それがカミラ様の望みであれば、はい」
「ありがとう。その代わりに私は、鬼や血族のことを教えてあげる」
「あたしも入れとくれよ。と言っても、あたしが教えられるのはここらの村のことと、庭仕事や料理くらいかね」
「嬉しいです。色々教えてください」
女性陣が微笑み合う中、デフォルトが仏頂面のベントだけが出遅れていた。
他の三人から期待した目を向けられ、彼は苦虫を噛み潰したような顔で唸る。
「では、おれは協会について教えよう。人と鬼が共に暮らすのだ。基礎知識はあった方がいい」
「決まりね。これから毎日数時間はお勉強に当てるわよ」
特に反論も上がらず、カミラは手を叩いて場をまとめた。
「さっそく今から始めましょう。私とベントは勉強会の準備をするから、レインとハニは食器を片付けてちょうだいな」
皆が頷き、それぞれの配置についた。
かくして、鬼と人とニエの異文化交流会が開催される運びとなったのである。
◇
歴史を紐解くまでもなく、鬼と人の関係は長く続いてきた。
数が少ないながら個が強大な力を持つ鬼。
一人一人は脆弱なれど数と技術で勝る人。
捕食者と被捕食者。有史以前より互いの存在を認知していた両者だが、意外なことに争いの歴史自体はごく短かったりする。
「鬼と人は元々同じ生き物だったそうよ。人同士で争い殺し合う内に、我々鬼という変異種が生まれた……というのが現在の定説ね」
黒板の前で白墨を握るカミラは銀縁の眼鏡をくいっと上げてみせた。形から入るタイプの教師である。
「人と鬼の違いは色々あるけれど、寿命なんかはその最たるものだわ。私は大体八百年くらい生きていて、これは鬼の中でも特別長生きな部類ね」
「おれは人間として四十年程生きた後、約百年前に転化した。鬼となってからは病気知らずだ。種としての頑健さが違うな」
ベントがうんざりしたような顔で肩を竦めた。
その横腹を小突き、レインが笑う。
「羨ましいかぎりだよ。六十を越えてからというもの、どうにも足腰の具合が悪くてねえ」
老女は腰を摩り嘆いてみせた。
真に受けたハニがその腰を撫でる。
黒板一式を倉庫で発掘し、担ぎ上げて居間へ運びこんだのが他でもないレインだということを忘れたのだろうか。
勘違いでなければ、どうにもハニがレインに特別懐いている気がする。料理やら片付けやらで作業を同じくしたからかもしれない。
カミラはハニの注意を引こうと躍起になった。
「確かに鬼は頑健よ。だけど、私やベントの場合はさらに特別な理由があるの」
「浄化の血族の特性だな」
ベントに話を持っていかれ、カミラは口を尖らせる。
「私が教師役なのだから、小童は黙ってなさいよ」
「邪魔をしたつもりはない。気にせず続けろ」
真顔で宣うベントに苛立ちながらもカミラは続けた。
「ハニ、血族というものについては知っている?」
「はい、ニエの訓練施設で習いました。同じ血を起源とする鬼を纏めてそう呼び、その血に宿る力により血族名が定められています」
背筋を伸ばしたハニがはきはきと答える。
自信に満ち溢れた回答だが、彼女は目を伏せて呟いた。
「浄化の血族については初めて耳にします」
「気に病むことはないよ。お嬢ちゃんを入れてもやっとこ三人の弱小派閥なんだ。知らなくて当然さ」
「ちょっとレイン、弱小とは何よ。無闇に数を増やす卑賤の輩と私では格が違うだけだわ。私は慎重派なの」
「ついうっかりの転化を二回やらかして慎重派を名乗るのは無理がないか」
ベントのツッコミは野暮だが真実である。分が悪くなったカミラは咳払いをして話を変えた。
「ハニの言う通り、血族には特有の力があるわ。浄化の血族の我々は……ベント、説明なさい」
「何故おれが──浄化の性質は単純だ。我々は『害があるものを排除する』力を持つ。力は自身の身の内であれば自動的に作用する」
「排除、ですか?」
首を傾げたハニに首肯し、ベントが続ける。
「そうだ。病原体や毒は即座に感知し排出か抹消、変異も同様だな」
「つまり、大雑把に言うと病気にもならないし毒も効かないということね」
先輩血族の二人の言をメモに書き込み、ハニが挙手した。
「自動的にと仰いましたが、何をもって害と判断しているかが気になります」
「それがよく分からないのよね。今の状態を『正常』として、変化を引き起こすものを『害』と判断しているのかも」
「一応髭も伸びるし代謝自体は起きている。変化そのものを『害』と認識しているわけではないらしい」
人間にも同様の機能があり、その強化版みたいなもの、とはドクトルの言である。
顎髭を撫で摩り、ベントがさらに補足した。
「他者にもこの力を使うことは可能だ。ただし、『何が害となっているか』を正確に把握する必要がある」
「例えばレインの腰痛を治そうと思ったら、一度はお医者様のお話をきいてみなければ分からないということでしょうか」
「そういうことだ。しかし、病や怪我そのものを治す力ではなく、あくまで原因を排除する力だからな。加齢自体を害とみなせるかは疑問だ」
なかなか勝手の掴めない能力なのである。カミラとベントの表情は渋いものとなっていた。
しかし、先輩鬼達とは違い、ハニはにっこりと笑う。
「大丈夫です。レインの腰痛改善には、私がお役に立てると思います」
「気にかけてもらって悪いねえ。お嬢ちゃんが婆の腰を揉んでくれるのかい」
「マッサージも得意ですよ。でも、レインに私の契約管理者になってもらえば一発解決です!」
朗らかに告げるハニを見つめ、鬼二名は首を捻った。
「……契約管理者?」
長く生きる鬼二人も、ニエに関してはずぶの素人である。
席を立ったハニが黒板の傍らに移動し、姿勢を正した。
やけに凛々しい顔付きで彼女は一礼する。
「ではでは、僭越ながら私がニエについてお話しさせていただきますね」
勉強会、第二ラウンドのお知らせであった。