舞台に立てない元子役が、生徒会長選挙のすべてを裏から設計する 作:ドコサヘキサエンさん
人を読むとき、僕がまず見るのは「演技の量」だ。
誰でも多少はやっている。教室用の顔、部活用の顔、親の前の顔。その切り替えの継ぎ目に、その人の事情が挟まっている。継ぎ目を見れば、事情がわかる。
周防有希は、演技の量が多い。多いから、僕には読める。作りが上等な分、素が出た瞬間の落差が大きい。落差は情報だ。
谷山沙也加は、逆だった。
転入から三日、僕はできる範囲で彼女を見ていた。
結論を先に言うと、あの人は演技をしていない。
朝、席に着く前に窓を開ける。教室が暑いからだ。それだけの理由で、毎朝やっている。誰も見ていなくてもやっている。
話しかけられれば丁寧に答える。答え終わると会話を切る。切り方が一定で、相手によって変えない。人気者にも、地味なやつにも、同じ長さで応対する。
昼は弁当を自分で作ってきている。中身は地味だ。社長令嬢だという噂とは合わない。
二日目に一度だけ、僕は仕掛けてみた。
廊下で数学のプリントを落として、拾うのを一拍遅らせた。人は、こういうとき反応で本性が出る。手を出すか、目だけ動かすか、見なかったことにするか。三つのどれを選ぶかで、その人の親切の仕組みがわかる。
沙也加は、無言でしゃがんで、二枚拾って、僕に渡した。
礼を言う前に、もう歩き出していた。
親切をした自覚すらない速さだった。
三日見て、継ぎ目が一つも見つからなかった。これは、僕にとって厄介な種類の人間だ。
演技をする人は、崩せる。どこを押せば継ぎ目が開くかがわかるからだ。演技をしない人は、押しても開かない。開く場所がない。全部が地続きだからだ。
しかも、あの人は自分が正しいと思っている。
正しさは、そう簡単に折れない。折るには、こちらがもっと正しくならないといけない。
僕は、そういう戦い方をしたことがない。
僕がやってきたのは、正しさではなく、伝わり方の調整だ。同じ内容でも、光の当て方で受け取られ方は変わる。それを商売にしてきた。
商売の相手が「光の当て方そのもの」を疑う人だった場合、僕はどうすればいいのか。
三日目の放課後に、答えが出ないまま、掲示が出た。
公開討論会の要項だった。
僕は掲示板の前で、それを二回読んだ。二回目はメモを取りながら読んだ。
――日程、十月二十四日。六限を潰して、全校生徒が体育館に集合する。
――形式、両候補が壇上。中央に司会。冒頭に各候補の主張が五分ずつ。
――その後、相互質疑が二十分。
――さらに、フロアからの質問が十五分。
――質問者は事前登録制。当日の飛び入りは受け付けない。
ここまでは、想定の範囲だった。
問題は、その下の四行だった。
――答弁は、会長候補本人のみが行う。
――副会長候補は、会長候補から指名された場合に限り、補足を行うことができる。
――候補者および副会長候補以外の第三者は、壇上・フロアを問わず、発言できない。
――違反した場合、当該陣営に対して減点措置をとることがある。
僕はメモ帳を閉じた。
閉じてから、もう一度開いて、四行目に線を引いた。
この要項を書いた人間は、去年までのどこかで、外部の人間が口を出す事故を経験している。だから四行目がある。四行目は、事故の記録だ。
そして今年、その四行目に該当する人間は、この学校に一人しかいない。
僕だ。
掲示板の前に、九条アリサが来た。
僕の隣に並んで、同じ紙を読んだ。読む速度が速い。目の動きでわかる。
「五分の主張と、二十分の相互質疑」
「うん」
「二十分は、長いわね」
「長い。しかも相手が周防さんだ」
彼女は答えなかった。答えないということは、同じことを考えているということだ。
「宗像くん」
「はい」
「わたし、あなたに聞きたいことがあるの」
僕は掲示板から目を離した。
彼女は紙を見たままだった。横顔だけがこちらに向いている。
「前の放送の原稿。一枚目を捨てなさいって、あなたが言ったでしょう」
「言った」
「あれ、正しかったと思う?」
「思う」
「即答ね」
「即答できる程度には、考えたからだ」
少し黙って、それから小さく息を吐いた。
「……そう」
それきり、口を開かなかった。言わなかったことのほうが、内容が多かった。
僕は追わなかった。追うと、あの人は速く歩き出す。
翌日から、僕は体育館に通った。
ただし、秋嶺祭の二日間は入れない。祭りが体育館を使うからだ。その二日を挟んで、僕は前と後ろに分けて通うことになった。
平面図は前から描いていた。あとは実測だ。
ステージの高さ、九十センチ。客席側の床から見上げる角度が、思っていたより急だった。前列に座る生徒からは、壇上の人間の顎から下が見えない。
照明は、天井のバトンに固定のものが六台。角度は変えられない。壇上の中央だけが明るくて、両端が落ちる。つまり、司会がいちばん明るくて、候補者が暗い。
音響は、有線マイクが三本。スタンドは高さ調整可。返しのスピーカーが壇上にないので、喋っている本人には自分の声が聞こえない。
これがいちばん厄介だ。
自分の声が聞こえない場所で喋ると、人は必ず声を張る。張ると、上ずる。上ずると、余裕がなく聞こえる。
周防有希は、この体育館で何度も喋っている。だから、張らずに済む距離を体で知っている。
九条アリサは、知らない。
「宗像くん、なにやってるの」
振り返ると、日野が立っていた。掃除用具入れの鍵を持っている。日直らしい。
「実測」
「じっそく」
「寸法を測ってる。討論会で使うから」
「へえ」日野はステージを見上げた。「あ、そういえば出るんだっけ、九条さん」
「出る」
「じゃあ、あたしも手伝おうか?」
僕は少し驚いた。
「なんで」
「なんでって」日野は口を尖らせた。「あんた、いつもうちのクラスの掲示物、直してくれてるじゃん。あれ、けっこう助かってるんだけど」
「あれは僕が勝手にやってる」
「勝手にやってるのを、あたしは助かってるの」
なるほど、と思った。
助けというのは、渡した側と受け取った側で、勘定が合わないものらしい。
「じゃあ、メジャーの端、持ってて」
「はいはい」
日野は体育館の端まで歩いていって、メジャーの先を床に押さえた。
二人でやると、実測は倍の速さで終わった。
当たり前のことだが、そのことに少し驚いている自分がいた。
僕はこの三年、たいていの現場を一人でやってきた。一人でやるのは効率が悪いが、失敗したときに誰も巻き込まないので、気が楽だった。
巻き込まない、というのは、優しさではない。
誰にも借りを作らないという、それだけの話だ。
「宗像くん、これ何に使うの、この数字」
「席の配置を決める」
「席?」
「体育館の後ろ三分の一は、たぶん誰も聞いてない。スマホ見てるか寝てる」
「あー、わかる」
「だから、そこを最初から捨てる」
「捨てちゃっていいの?」
「よくない。でも、全員に届かせようとすると、誰にも届かない」
日野は「ふうん」と言って、それからメジャーを巻き取った。
「なんかさ。宗像くんって、時々すごい冷たいこと言うよね」
僕は手を止めた。
「そうかな」
「うん。でも、言い方が冷たいだけで、やってることは冷たくないから、まあいいかって思う」
日野は用具入れの鍵を回して、行ってしまった。
僕はしばらく、メジャーを持ったまま突っ立っていた。
この人は、時々、こちらが避けていたところを正面から言う。その帰り、昇降口で君嶋綾乃と会った。
クリップボードを持っている。生徒会の掲示物の点検らしい。相変わらず表情がない。
「宗像さま」
「こんばんは」
「体育館にいらしたと伺いました」
「情報が早いね」
「職務ですので」
僕は靴を履き替えながら、少し考えた。
「君嶋さん」
「はい」
「僕が体育館で何をしていたか、周防さんに報告する?」
「いたしません」
即答だった。
「なぜ」
「有希様は、そういう報告をお喜びになりません」綾乃は言った。「勝ち方を選ばれる方ですので」
勝ち方を選ぶ。その言い方が、少し引っかかった。
勝ち方を選べる人は、たいてい、選べなかった時期を持っている。
「君嶋さん。前に僕のことを、危険だと言ったよね」
「申しました」
「いまも?」
綾乃は、初めて少しだけ間を置いた。
「分類を変更しております」
「どこに」
「申し上げられません」
彼女は一礼して、行ってしまった。
変更先を教えないというのは、教えると困る場所に移したということだ。
次の日、僕がまた体育館にいると、うしろで声がした。
「宗像湊くん」
谷山沙也加が、入口のところに立っていた。
制服のまま、鞄を持っている。帰るところだったのが、寄り道をしたという格好だった。
「谷山さん」
「選挙管理委員会の補助員になりました。今日から」
「おめでとう、でいいのかな」
「結構です」
彼女は体育館の中を見渡した。僕の広げた平面図に、視線が止まった。
「それは、何ですか」
「体育館の図面」
「なぜ、あなたが持っているんですか」
まっすぐな質問だった。含みがない。含みがないぶん、逃げ場もない。
「討論会の会場設計をしてる」
「会場設営は、選挙管理委員会の仕事です」
「知ってる。だから、設営はしない。提案するだけだ」
「提案」
「照明が中央にしか当たっていない。候補者が二人とも暗い。バトンの角度は変えられないから、可搬のスタンドを両袖に一本ずつ足せば直る」
僕は図面の該当箇所を指した。
「これは、どちらの陣営にも同じだけ有利になる。だから、委員会に出す」
沙也加は、その一点をしばらく見ていた。
「……なるほど」
「文句があるなら聞くよ」
「文句はありません」彼女は顔を上げた。「ただ、確認したいことがあります」
「どうぞ」
「宗像くんは、どちらの陣営の人間ですか」
僕は、答える前に一拍置いた。
置いてしまった時点で、この人には伝わっただろうと思う。
「推薦人だ。九条アリサの」
「役割は」
「特にない」
「特にない人が、体育館の照明の角度を測りますか」
沙也加の声は、責める調子ではなかった。
本当に、確認していた。事実を並べて、辻褄が合うかどうかを見ていた。それが、いちばん怖い聞き方だ。
「谷山さん」
「はい」
「僕のことが気になる理由を、聞いてもいい?」
沙也加は、少しだけ考えた。
「候補者紹介の放送です」
「うん」
「あの三分は、よくできていました」
「ありがとう」
「褒めていません」
わかっている。
「わたしは、二年前に周防有希さんに負けました」沙也加は言った。「あの人は、自分の言葉で喋ります。だから負けたことに納得しています」
「うん」
「今回の対抗馬が、自分の言葉で喋る人なら、それでいいんです。わたしは黙って見ています」
彼女は、僕の図面をもう一度見た。
「そうでないなら、選挙の意味がありません」
言い終えて、沙也加は一礼した。角度がきれいだった。
「失礼します。実測の邪魔をしました」
彼女は帰っていった。
体育館に、僕ひとりが残された。
バスケットゴールの向こうで、換気扇が回っている音がしていた。
僕は、自分の図面を見下ろした。
照明の配置。音の返り。視線の高さ。ステージまでの導線。前列三列の視野角。
全部、正しい。全部、あの人の質問に対しては、無力だ。
僕がやっていることは、九条アリサの言葉を、いちばん届く形で置くことだ。
言葉そのものは、僕が作っていない。ただ、それを説明するためには、あの三分の準備の中身を、一つずつ開いて見せることになる。
スタンドを八センチ上げたこと。原稿台を撤去したこと。一枚目を全部捨てさせたこと。
順番に並べたら、どう聞こえるだろう。
僕は、その並びを頭の中で三回、再生した。
三回とも、同じ結論に着いた。
――操っている、と聞こえる。
図面を丸めて、鞄に入れた。
体育館の照明を落とすと、非常口の緑だけが残った。
あの緑は、どこの現場でも同じ色をしている。人がいなくなっても消えない明かりだ。
僕は、その下でしばらく突っ立っていた。
久しぶりに、心臓の音がうるさかった。
子役をやっていたころ、本番前によくこうなった。あのころは、自分が失敗するのが怖かった。
いまは、種類が違う。
僕が手を入れたせいで、九条アリサが「自分の言葉を持っていない人」に見えるかもしれない。それは、あの人がいちばん言われたくないことだ。
全校放送で、自分から言ってしまった弱点でもある。
僕は非常口の緑を見上げた。
照明の仕事で難しいのは、明るくすることではないと知る。
当てた光が、その人の影をどこに落とすか。それを先に考えられなかったやつは、たいてい、誰かを傷つける。