舞台に立てない元子役が、生徒会長選挙のすべてを裏から設計する   作:ドコサヘキサエンさん

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12_湊 演技をしない人

 人を読むとき、僕がまず見るのは「演技の量」だ。

 

 誰でも多少はやっている。教室用の顔、部活用の顔、親の前の顔。その切り替えの継ぎ目に、その人の事情が挟まっている。継ぎ目を見れば、事情がわかる。

 

 周防有希は、演技の量が多い。多いから、僕には読める。作りが上等な分、素が出た瞬間の落差が大きい。落差は情報だ。

 

 谷山沙也加は、逆だった。

 

 転入から三日、僕はできる範囲で彼女を見ていた。

 

 結論を先に言うと、あの人は演技をしていない。

 

 朝、席に着く前に窓を開ける。教室が暑いからだ。それだけの理由で、毎朝やっている。誰も見ていなくてもやっている。

 

 話しかけられれば丁寧に答える。答え終わると会話を切る。切り方が一定で、相手によって変えない。人気者にも、地味なやつにも、同じ長さで応対する。

 

 昼は弁当を自分で作ってきている。中身は地味だ。社長令嬢だという噂とは合わない。

 

 二日目に一度だけ、僕は仕掛けてみた。

 

 廊下で数学のプリントを落として、拾うのを一拍遅らせた。人は、こういうとき反応で本性が出る。手を出すか、目だけ動かすか、見なかったことにするか。三つのどれを選ぶかで、その人の親切の仕組みがわかる。

 

 沙也加は、無言でしゃがんで、二枚拾って、僕に渡した。

 

 礼を言う前に、もう歩き出していた。

 

 親切をした自覚すらない速さだった。

 

 三日見て、継ぎ目が一つも見つからなかった。これは、僕にとって厄介な種類の人間だ。

 

 演技をする人は、崩せる。どこを押せば継ぎ目が開くかがわかるからだ。演技をしない人は、押しても開かない。開く場所がない。全部が地続きだからだ。

 

 しかも、あの人は自分が正しいと思っている。

 

 正しさは、そう簡単に折れない。折るには、こちらがもっと正しくならないといけない。

 

 僕は、そういう戦い方をしたことがない。

 

 僕がやってきたのは、正しさではなく、伝わり方の調整だ。同じ内容でも、光の当て方で受け取られ方は変わる。それを商売にしてきた。

 

 商売の相手が「光の当て方そのもの」を疑う人だった場合、僕はどうすればいいのか。

 

 三日目の放課後に、答えが出ないまま、掲示が出た。

 

 公開討論会の要項だった。

 

 僕は掲示板の前で、それを二回読んだ。二回目はメモを取りながら読んだ。

 

 ――日程、十月二十四日。六限を潰して、全校生徒が体育館に集合する。

 ――形式、両候補が壇上。中央に司会。冒頭に各候補の主張が五分ずつ。

 ――その後、相互質疑が二十分。

 ――さらに、フロアからの質問が十五分。

 ――質問者は事前登録制。当日の飛び入りは受け付けない。

 

 ここまでは、想定の範囲だった。

 

 問題は、その下の四行だった。

 

 ――答弁は、会長候補本人のみが行う。

 ――副会長候補は、会長候補から指名された場合に限り、補足を行うことができる。

 ――候補者および副会長候補以外の第三者は、壇上・フロアを問わず、発言できない。

 ――違反した場合、当該陣営に対して減点措置をとることがある。

 

 僕はメモ帳を閉じた。

 

 閉じてから、もう一度開いて、四行目に線を引いた。

 

 この要項を書いた人間は、去年までのどこかで、外部の人間が口を出す事故を経験している。だから四行目がある。四行目は、事故の記録だ。

 

 そして今年、その四行目に該当する人間は、この学校に一人しかいない。

 

 僕だ。

 

 掲示板の前に、九条アリサが来た。

 

 僕の隣に並んで、同じ紙を読んだ。読む速度が速い。目の動きでわかる。

 

「五分の主張と、二十分の相互質疑」

 

「うん」

 

「二十分は、長いわね」

 

「長い。しかも相手が周防さんだ」

 

 彼女は答えなかった。答えないということは、同じことを考えているということだ。

 

「宗像くん」

 

「はい」

 

「わたし、あなたに聞きたいことがあるの」

 

 僕は掲示板から目を離した。

 

 彼女は紙を見たままだった。横顔だけがこちらに向いている。

 

「前の放送の原稿。一枚目を捨てなさいって、あなたが言ったでしょう」

 

「言った」

 

「あれ、正しかったと思う?」

 

「思う」

 

「即答ね」

 

「即答できる程度には、考えたからだ」

 

 少し黙って、それから小さく息を吐いた。

 

「……そう」

 

 それきり、口を開かなかった。言わなかったことのほうが、内容が多かった。

 

 僕は追わなかった。追うと、あの人は速く歩き出す。

 

 翌日から、僕は体育館に通った。

 

 ただし、秋嶺祭の二日間は入れない。祭りが体育館を使うからだ。その二日を挟んで、僕は前と後ろに分けて通うことになった。

 

 平面図は前から描いていた。あとは実測だ。

 

 ステージの高さ、九十センチ。客席側の床から見上げる角度が、思っていたより急だった。前列に座る生徒からは、壇上の人間の顎から下が見えない。

 

 照明は、天井のバトンに固定のものが六台。角度は変えられない。壇上の中央だけが明るくて、両端が落ちる。つまり、司会がいちばん明るくて、候補者が暗い。

 

 音響は、有線マイクが三本。スタンドは高さ調整可。返しのスピーカーが壇上にないので、喋っている本人には自分の声が聞こえない。

 

 これがいちばん厄介だ。

 

 自分の声が聞こえない場所で喋ると、人は必ず声を張る。張ると、上ずる。上ずると、余裕がなく聞こえる。

 

 周防有希は、この体育館で何度も喋っている。だから、張らずに済む距離を体で知っている。

 

 九条アリサは、知らない。

 

「宗像くん、なにやってるの」

 

 振り返ると、日野が立っていた。掃除用具入れの鍵を持っている。日直らしい。

 

「実測」

 

「じっそく」

 

「寸法を測ってる。討論会で使うから」

 

「へえ」日野はステージを見上げた。「あ、そういえば出るんだっけ、九条さん」

 

「出る」

 

「じゃあ、あたしも手伝おうか?」

 

 僕は少し驚いた。

 

「なんで」

 

「なんでって」日野は口を尖らせた。「あんた、いつもうちのクラスの掲示物、直してくれてるじゃん。あれ、けっこう助かってるんだけど」

 

「あれは僕が勝手にやってる」

 

「勝手にやってるのを、あたしは助かってるの」

 

 なるほど、と思った。

 

 助けというのは、渡した側と受け取った側で、勘定が合わないものらしい。

 

「じゃあ、メジャーの端、持ってて」

 

「はいはい」

 

 日野は体育館の端まで歩いていって、メジャーの先を床に押さえた。

 

 二人でやると、実測は倍の速さで終わった。

 

 当たり前のことだが、そのことに少し驚いている自分がいた。

 

 僕はこの三年、たいていの現場を一人でやってきた。一人でやるのは効率が悪いが、失敗したときに誰も巻き込まないので、気が楽だった。

 

 巻き込まない、というのは、優しさではない。

 

 誰にも借りを作らないという、それだけの話だ。

 

「宗像くん、これ何に使うの、この数字」

 

「席の配置を決める」

 

「席?」

 

「体育館の後ろ三分の一は、たぶん誰も聞いてない。スマホ見てるか寝てる」

 

「あー、わかる」

 

「だから、そこを最初から捨てる」

 

「捨てちゃっていいの?」

 

「よくない。でも、全員に届かせようとすると、誰にも届かない」

 

 日野は「ふうん」と言って、それからメジャーを巻き取った。

 

「なんかさ。宗像くんって、時々すごい冷たいこと言うよね」

 

 僕は手を止めた。

 

「そうかな」

 

「うん。でも、言い方が冷たいだけで、やってることは冷たくないから、まあいいかって思う」

 

 日野は用具入れの鍵を回して、行ってしまった。

 

 僕はしばらく、メジャーを持ったまま突っ立っていた。

 

 この人は、時々、こちらが避けていたところを正面から言う。その帰り、昇降口で君嶋綾乃と会った。

 

 クリップボードを持っている。生徒会の掲示物の点検らしい。相変わらず表情がない。

 

「宗像さま」

 

「こんばんは」

 

「体育館にいらしたと伺いました」

 

「情報が早いね」

 

「職務ですので」

 

 僕は靴を履き替えながら、少し考えた。

 

「君嶋さん」

 

「はい」

 

「僕が体育館で何をしていたか、周防さんに報告する?」

 

「いたしません」

 

 即答だった。

 

「なぜ」

 

「有希様は、そういう報告をお喜びになりません」綾乃は言った。「勝ち方を選ばれる方ですので」

 

 勝ち方を選ぶ。その言い方が、少し引っかかった。

 

 勝ち方を選べる人は、たいてい、選べなかった時期を持っている。

 

「君嶋さん。前に僕のことを、危険だと言ったよね」

 

「申しました」

 

「いまも?」

 

 綾乃は、初めて少しだけ間を置いた。

 

「分類を変更しております」

 

「どこに」

 

「申し上げられません」

 

 彼女は一礼して、行ってしまった。

 

 変更先を教えないというのは、教えると困る場所に移したということだ。

 

 次の日、僕がまた体育館にいると、うしろで声がした。

 

「宗像湊くん」

 

 谷山沙也加が、入口のところに立っていた。

 

 制服のまま、鞄を持っている。帰るところだったのが、寄り道をしたという格好だった。

 

「谷山さん」

 

「選挙管理委員会の補助員になりました。今日から」

 

「おめでとう、でいいのかな」

 

「結構です」

 

 彼女は体育館の中を見渡した。僕の広げた平面図に、視線が止まった。

 

「それは、何ですか」

 

「体育館の図面」

 

「なぜ、あなたが持っているんですか」

 

 まっすぐな質問だった。含みがない。含みがないぶん、逃げ場もない。

 

「討論会の会場設計をしてる」

 

「会場設営は、選挙管理委員会の仕事です」

 

「知ってる。だから、設営はしない。提案するだけだ」

 

「提案」

 

「照明が中央にしか当たっていない。候補者が二人とも暗い。バトンの角度は変えられないから、可搬のスタンドを両袖に一本ずつ足せば直る」

 

 僕は図面の該当箇所を指した。

 

「これは、どちらの陣営にも同じだけ有利になる。だから、委員会に出す」

 

 沙也加は、その一点をしばらく見ていた。

 

「……なるほど」

 

「文句があるなら聞くよ」

 

「文句はありません」彼女は顔を上げた。「ただ、確認したいことがあります」

 

「どうぞ」

 

「宗像くんは、どちらの陣営の人間ですか」

 

 僕は、答える前に一拍置いた。

 

 置いてしまった時点で、この人には伝わっただろうと思う。

 

「推薦人だ。九条アリサの」

 

「役割は」

 

「特にない」

 

「特にない人が、体育館の照明の角度を測りますか」

 

 沙也加の声は、責める調子ではなかった。

 

 本当に、確認していた。事実を並べて、辻褄が合うかどうかを見ていた。それが、いちばん怖い聞き方だ。

 

「谷山さん」

 

「はい」

 

「僕のことが気になる理由を、聞いてもいい?」

 

 沙也加は、少しだけ考えた。

 

「候補者紹介の放送です」

 

「うん」

 

「あの三分は、よくできていました」

 

「ありがとう」

 

「褒めていません」

 

 わかっている。

 

「わたしは、二年前に周防有希さんに負けました」沙也加は言った。「あの人は、自分の言葉で喋ります。だから負けたことに納得しています」

 

「うん」

 

「今回の対抗馬が、自分の言葉で喋る人なら、それでいいんです。わたしは黙って見ています」

 

 彼女は、僕の図面をもう一度見た。

 

「そうでないなら、選挙の意味がありません」

 

 言い終えて、沙也加は一礼した。角度がきれいだった。

 

「失礼します。実測の邪魔をしました」

 

 彼女は帰っていった。

 

 体育館に、僕ひとりが残された。

 

 バスケットゴールの向こうで、換気扇が回っている音がしていた。

 

 僕は、自分の図面を見下ろした。

 

 照明の配置。音の返り。視線の高さ。ステージまでの導線。前列三列の視野角。

 

 全部、正しい。全部、あの人の質問に対しては、無力だ。

 

 僕がやっていることは、九条アリサの言葉を、いちばん届く形で置くことだ。

 

 言葉そのものは、僕が作っていない。ただ、それを説明するためには、あの三分の準備の中身を、一つずつ開いて見せることになる。

 

 スタンドを八センチ上げたこと。原稿台を撤去したこと。一枚目を全部捨てさせたこと。

 

 順番に並べたら、どう聞こえるだろう。

 

 僕は、その並びを頭の中で三回、再生した。

 

 三回とも、同じ結論に着いた。

 

 ――操っている、と聞こえる。

 

 図面を丸めて、鞄に入れた。

 

 体育館の照明を落とすと、非常口の緑だけが残った。

 

 あの緑は、どこの現場でも同じ色をしている。人がいなくなっても消えない明かりだ。

 

 僕は、その下でしばらく突っ立っていた。

 

 久しぶりに、心臓の音がうるさかった。

 

 子役をやっていたころ、本番前によくこうなった。あのころは、自分が失敗するのが怖かった。

 

 いまは、種類が違う。

 

 僕が手を入れたせいで、九条アリサが「自分の言葉を持っていない人」に見えるかもしれない。それは、あの人がいちばん言われたくないことだ。

 

 全校放送で、自分から言ってしまった弱点でもある。

 

 僕は非常口の緑を見上げた。

 

 照明の仕事で難しいのは、明るくすることではないと知る。

 

 当てた光が、その人の影をどこに落とすか。それを先に考えられなかったやつは、たいてい、誰かを傷つける。

 

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