舞台に立てない元子役が、生徒会長選挙のすべてを裏から設計する   作:ドコサヘキサエンさん

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15_湊 二日目

 二日目の朝、僕は八時前に学校に着いた。

 

 早く来た理由は、特にない。前の日に体育館の床に座り込んで図面を眺めていた人間が、その翌朝ゆっくり寝ていられるわけがない、というだけだ。

 

 頼まれ方には、二種類ある。「助けてくれ」と言われる場合と、「どうすればいい」と言われる場合だ。

 

 前者は、相手がもう諦めている。後者は、まだやる気がある。

 

 丸山毅は、後者だった。

 

 二日目の朝、八時二十分。僕が体育館の入口で図面を広げていると、うしろから足音が来た。走ってきたらしく、息が上がっていた。

 

「宗像!」

 

「近い」

 

「あの、さ」毅は膝に手をついた。「昨日の、どうすればよかった?」

 

 僕は図面から顔を上げた。

 

 この男は、昨日のあいだに一度も僕に聞かなかった。終演直後も、片づけのあいだも、帰り道も。一晩置いてから聞きに来た。

 

 一晩置ける人間は、伸びる。

 

「聞きたいか」

 

「聞きたい」

 

「きついこと言うぞ」

 

「言われたほうが、まだましだって昨日言った」

 

 覚えていた。

 

 僕は図面を床に置いて、その横にしゃがんだ。毅も同じようにしゃがんだ。

 

「昨日の二十分で、まずかったのは三つだ」

 

「三つもあんの」

 

「三つで済んだ、と考えたほうがいい」

 

 僕は指を折った。

 

「一つ。低いところが空いてた。ベースがいないんだから当然だ。だけど、聞いてる側は『ベースがいない』とは思わない。『なんか落ち着かない』と思う」

 

「……そう聞こえてた?」

 

「聞こえてた。二つ目。屋外だから、音が残らない。壁がないと、出た端から消える。だから薄く聞こえる」

 

「それ、どうしようもなくない?」

 

「今日は体育館だ。壁がある」

 

 毅の顔が、少しだけ動いた。

 

「三つ目。スピーカーの角度が悪くて、前三列にしか届いてなかった。四列目から後ろは、生の音だけ聞いてた」

 

「生の音って」

 

「アンプから直接出てる音だ。歌は届いてない」

 

 毅は、しばらく黙っていた。それから、小さい声で言った。

 

「……じゃあ、後ろの人は、俺の歌ぜんぜん聞こえてなかったってこと?」

 

「そうだ」

 

「うわ」

 

 毅は両手で顔をこすった。

 

 こういうとき、僕は慰めない。慰めると、事実の輪郭がぼやける。ぼやけた事実は、次に使えない。

 

「で」毅は顔を上げた。「今日は?」

 

「今日は、直せる」

 

「どうやって。人は増えないぞ」

 

「増やさない」

 

 僕は図面をめくった。

 

 体育館の平面だ。討論会の下見のときに描いたやつを、そのまま使った。

 

「二人でやれる形に、全部変える」

 

 やることは、四つあった。

 

 一つ。曲を減らす。

 

「四曲やる予定だっただろ。二曲にしろ」

 

「三十分あるんだぞ」

 

「三十分で四曲やると、一曲あたりが薄くなる。二曲にして、あいだに喋れ」

 

「喋る?」

 

「喋る。曲の説明でも、昨日の失敗の話でもいい。喋っているあいだ、客はこちらを見る。音がなくても、見ているなら、それは持っている時間だ」

 

 毅は「喋るのは得意」と言った。知っている。

 

 二つ。客席を前に詰める。

 

「椅子を並べるな。床に座らせろ」

 

「体育館、椅子出す予定だけど」

 

「実行委員に言って、前の十列ぶんだけ椅子をどけてもらえ。そこに座布団を置く。人は、座れる場所があるほうに集まる」

 

「なんで前に詰めるんだ」

 

「二十六メートルあるからだ。後ろまで届かせようとすると、無理をする。届く範囲を先に決めて、そこを埋めるほうが早い」

 

 三つ。照明を落とす。

 

「全体を暗くする。ステージだけに当てる」

 

「暗いと、盛り上がんなくない?」

 

「逆だ」と僕は言った。「明るいと、人は周りを見る。暗いと、明るいところしか見えない。見るものが一つしかない部屋では、人は音を聞く」

 

 四つ。低音を作る。

 

「ベースはいない。だから、卓で作る」

 

「作れるの?」

 

「全部は無理だ。ドラムのキックの下と、ギターの低いところを持ち上げる。それで、穴の半分は埋まる」

 

「半分か」

 

「半分だ」僕は言った。「残りの半分は、埋めない」

 

「なんで」

 

「埋まってないほうが、二人でやってることが伝わるからだ」

 

 毅は、そこで少し黙った。

 

 それから「わかった」と言って、立ち上がった。

 

「一個聞いていい?」

 

「どうぞ」

 

「なんで昨日、やってくれなかったんだ」

 

 僕は、図面を丸めた。

 

 丸めながら、正直に言った。

 

「頼まれてなかった」

 

「それだけ?」

 

「それだけだ」

 

 嘘だった。

 

 半分は嘘だ。昨日入れば、この男は今朝走ってこなかった。走ってこない人間に渡した仕込みは、次の現場で必ず崩れる。

 

 それは言わなかった。言うと、恩着せになる。

 

 午前中は、設営に使った。

 

 実行委員は「前十列の椅子を外す」を、意外なほどあっさり通してくれた。理由を聞いたら、椅子を出す作業のほうが面倒だからだそうだ。

 

 現場では、こちらの都合と相手の面倒が一致したときに、話がいちばん速く進む。

 

 照明は、天井のバトンに固定の六台。角度は変えられない。だから、点ける数を減らした。六台のうち、二台だけ。あとは落とす。

 

 窓には暗幕が張れる。実行委員が持っていた。去年の演劇部が使ったやつらしい。

 

 卓は、六チャンネルのミキサーを中庭から運んだ。体育館の常設は十二チャンネルあったが、そちらは司会用に押さえられている。

 

 六チャンネルで足りる。ギター、ドラムのキック、スネア、オーバーヘッド、ボーカル。五本だ。

 

 一本、余った。

 

 余った一本は、そのままにしておいた。現場では、余りは必ず使う日が来る。

 

 昼を食べる時間がなかったので、購買のパンを立ったまま食べた。

 

 食べながら、自分がやっていることを整理した。整理する癖は、たぶん一生抜けない。

 

 今日やった四つは、どれも演奏を良くしていない。曲を減らしても、照明を落としても、客席を詰めても、あの二人の腕は昨日と同じままだ。

 

 変えたのは、聞こえ方だけだ。

 

 演出は、中身を変えずに、伝わり方だけを変える仕事だ。だから、本質的にずるい。うまくいったときほど、演者本人の手柄になる。

 

 それでいい、と僕は思っている。

 

 思っているが、その「それでいい」を何度も自分に言い聞かせている時点で、たぶん、完全にはそう思っていない。

 

 十三時四十分、僕は卓の前に座った。

 

 客席は、思ったより埋まっていた。床に座っている人が、四十人くらい。うしろに立ち見が二十人。昨日より多い。

 

 理由はわかっている。二日目の午後は、みんな見るものがなくなる。

 

 毅と光瑠が出てきた。

 

 二人だった。

 

 昨日と同じ、二人だ。

 

 毅がマイクの前に立った。僕は卓のフェーダーを、〇から少しずつ上げた。

 

「一年の軽音です」

 

 声が、体育館の後ろまで届いた。

 

 毅の目が、一瞬だけこちらを向いた。

 

 僕は、何もしなかった。うなずきもしなかった。うなずくと、それが合図になる。合図をもらった演者は、次からこちらを見る。

 

 そのとき、袖から人が出てきた。

 

 髪の明るい女子だった。昨日、中庭の縁石に座っていた人だ。

 

 キーボードを、ケースから出して持っていた。

 

 彼女はステージの端まで歩いて、床に置いてあったスタンドに、それを載せた。載せてから、毅のほうを見た。

 

 毅が「え」と言った。マイクに乗った。客席が笑った。

 

 女子は何も言わずに、椅子に座った。

 

 僕は、卓の余っていた一本を、キーボードに回した。

 

 三十秒で結線した。手が勝手に動いた。

 

 こういうときのために、余りは取ってある。

 

 二曲やった。

 

 一曲目の途中で、低いところが埋まった。僕が作った半分と、彼女が弾いた半分で、ちょうどよかった。

 

 客席の後ろに、銀色が見えた。

 

 九条アリサだった。立ち見の列の、いちばん端。腕を組んで、まっすぐステージを見ていた。

 

 この人は祭りに参加していない。昨日も見ていない。今日、なぜここにいるのかは知らない。

 

 知らないが、たぶん、久世政近がここにいるからだ。

 

 僕はそれ以上考えないことにして、卓に戻った。

 

 彼女は、目立つ弾き方をしなかった。

 

 和音を、長く伸ばして置いているだけだった。ギターとドラムの隙間に、板を渡すみたいな弾き方だ。

 

 うまい、と思った。

 

 うまいというより、聞いている。人の音を聞いてから出す人は、練習量では説明がつかない。

 

 曲間で、毅が喋った。

 

 昨日の中庭で三曲目に人が抜けた話をした。「後ろまで声が届いてなかったらしいです」と言って、笑いを取った。

 

 客席が、少し温かくなった。

 

 自分の失敗を先に置ける人間は、強い。

 

 二曲目が終わった。

 

 拍手があった。昨日の二十人より、はっきり多かった。

 

 僕はフェーダーを下げた。上げれば大きく、下げれば小さく。単純な機械だ。単純だから、正直でもある。

 

 照明が戻って、体育館が明るくなった。

 

 明るくなった瞬間に、僕は上手の袖を見た。

 

 久世政近が、そこにいた。

 

 いつからいたのかは、知らない。あいつはピアノの横に立っていた。埃よけの布が、昨日より大きくずれていた。鍵盤が、半分見えていた。

 

 あいつの右手が、少しだけ上がった。

 

 上がって、途中で止まった。

 

 止まって、下りた。

 

 それだけだった。

 

 僕は、それを見ていた。見ていたことは、言わないことにした。

 

 照明が戻ったあと、実行委員の三年が寄ってきた。

 

「さっきの、音よかったね。誰がやったの」

 

「一年の軽音です」

 

「いや、卓」

 

「……そこは、聞かないほうがいいです」

 

 三年は「なにそれ」と笑って、行ってしまった。

 

 僕は実行委員でも軽音部でもない。名簿のどこにも名前がない。名前がない人間が卓に座っていたことを、あとから掘られると面倒になる。

 

 面倒になるのは僕ではなく、通してくれた実行委員のほうだ。

 

 だから言わなかった。

 

 撤収は、二十分で終わった。

 

 毅がケーブルを丸めようとしたので、巻き方を教えた。八の字にして結束する。丸く巻くと癖がついて、次に使うときに真っ直ぐ伸びない。

 

「なんでそんなん知ってんの」

 

「十歳のとき、三回巻き直させられた」

 

「怖」

 

 女子は、キーボードをケースにしまっていた。

 

 僕は、その横に立った。

 

「ありがとう」

 

「別に」

 

「助かった」

 

「あたし、勝手に出ただけだし」

 

「勝手に出た人が、いちばん助かる」

 

 彼女は、少しだけこちらを見た。

 

「変な人だね」

 

「よく言われる」

 

「誰に」

 

「全員に」

 

 彼女は「ふうん」と言って、ケースを閉じた。

 

 閉じてから、思い出したように言った。

 

「あの音、あんたが作ったやつ?」

 

「どの音」

 

「低いとこ。昨日なかったやつ」

 

「作った」

 

「へえ」

 

 それだけだった。

 

 それだけだったが、彼女はケースを持ち上げるとき、昨日より少し高い位置で持っていた。

 

 毅が戻ってきた。

 

 汗をかいていて、まだ息が上がっていた。

 

「宗像。あのさ」

 

「うん」

 

「続けよう、これ」

 

「これ、って」

 

「バンド。三人でも二人でも。とりあえず、続ける」

 

 僕は「そうか」と言った。

 

 それ以上は、続けなかった。

 

 言うと、僕がやったことになる。

 

 やったのは、この男が一晩置いて走ってきたところからだ。

 

 体育館を出ると、外が赤かった。

 

 二日間が終わって、校内から人が減っていく。片づけの音が、あちこちで鳴っている。

 

 僕は昇降口で足を止めた。

 

 非常灯の緑が、今日も同じ色で点いていた。

 

 僕は、鞄の中のメモ帳を思い出した。

 

 昨日、床に座って書いた二行がある。一行目は「二人でやれる形に、全部組み替える」。二行目は「頼まれたら」で、丸で囲ってある。

 

 今日、二行目は守られた。

 

 守られたのに、僕は昨日のうちに図面をもらいに行っている。

 

 順番が逆だ。

 

 逆だったことは、たぶん、誰にも言わない。

 

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