舞台に立てない元子役が、生徒会長選挙のすべてを裏から設計する   作:ドコサヘキサエンさん

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18_政近 盤上の話

 剣崎統也という人は、生徒会長というより保健の先生に向いている。

 

「今週の金曜、生徒会室でボードゲーム大会をやる。全員参加だ」

 

 月曜の放課後、書類を届けに行った俺に、この人はそう言った。

 

「……なんですか、それ」

 

「恒例行事だ」

 

「聞いたことないですが」

 

「今年から恒例だ」

 

 堂々としていた。堂々としていれば通ると思っている顔だった。実際、この人が言うとだいたい通る。

 

「久世。お前ら一年、最近ぎすぎすしてるだろ」

 

 俺は返事をしなかった。

 

「討論会まであと十日だ。十日ずっと張ってると、当日に切れるぞ」

 

 統也先輩は、そういうところを見ている。

 

 背が高くて声が低くて顔が整っているので誤解されがちだが、剣崎統也の本質はそこじゃない。この人は、人の消耗を数えてるんだよ。

 

「両陣営とも呼ぶ。周防と君嶋も来る」

 

「……」

 

「谷山も呼んだ」

 

「谷山を?」

 

「選挙管理委員会の補助員だ。中立の立場で見に来てもらう」

 

「あの人、来ますかね」

 

「来るさ」統也先輩は書類を揃えた。「断るのは失礼だと思うタイプだ」

 

 的確すぎて、何も言えなかった。

 

 金曜の放課後、生徒会室のテーブルには、箱が七つ積んであった。

 

 更科茅咲先輩の私物らしい。

 

「あたし、これけっこう好きなんだよね」

 

「更科。全部やると三時間かかるぞ」

 

「三時間やろうよ」

 

「やらん」

 

 結局、三つに絞られた。

 

 参加者は八人。統也先輩、茅咲先輩、マリヤ先輩。俺とアリサ。有希と綾乃。そして谷山沙也加。

 

 八人だ。

 

 九人になるはずだった。

 

「宗像は?」と統也先輩が聞いた。

 

「来ないそうです」と俺は答えた。

 

「珍しいな。あいつ、こういうの好きそうだが」

 

「好きですよ」

 

 実際、好きなはずだった。

 

 こいつはゲームの箱を見ると、まず裏の対象年齢とプレイ時間を確認する。そのうえで「これは三人が最適」とか言い出す。そういう男だ。

 

 昼に誘ったら、こう言われた。

 

「今日は遠慮しとく」

 

「なんで」

 

「僕がいると、九条さんが気を使う」

 

 それだけ言って、こいつは図面の筒を抱えて帰った。

 

 筒の中身は、もう委員会に提出したはずだった。提出したのに、まだ持ち歩いている。

 

 沙也加は、本当に来た。

 

 制服のまま、端の椅子に座って、背筋を伸ばしていた。

 

「谷山さん、ジュース飲む?」

 

「いただきます。ありがとうございます」

 

「かたい!」茅咲先輩が笑った。「今日は仕事じゃないから」

 

「はい」

 

 言いながら、姿勢は一ミリも崩れていなかった。

 

 俺とアリサは、テーブルの反対側だった。

 

 あの通路の一件から、ちょうど一週間だ。まともに口をきいていない。

 

 挨拶はする。連絡事項は伝える。それ以外がない。

 

 ――こういう状態を、世間ではなんと呼ぶんだろうな、喧嘩と呼ぶには一度も声を荒らげていないし、絶交と呼ぶには毎日隣に座っているし、冷戦と呼ぶにはこっちに戦う意思がまるでなくて、要するに俺が一方的に返事を持っていないだけで、持っていないものを差し出せるわけがないという理屈で一週間逃げ続けているだけなんだが、それを人はたぶん、卑怯と呼ぶ。

 

「じゃあ、一つ目いくよー」

 

 茅咲先輩が箱を開けた。

 

 一つ目は、ダイスを振って自分のコマを進める、限りなく運だけのゲームだった。

 

 結果は、開始八分で決した。

 

 九条マリヤ先輩が、六を五回連続で出した。

 

「あら、また六」

 

「先輩、それイカサマですよね」

 

「振ってるだけよ?」

 

「振ってるだけでそうはならないんですよ」

 

「まさちかくん、疑い深いのねえ」

 

 この人の運は本当におかしい。去年の学園祭の抽選会でも、一等を引いたと聞いた。

 

 二回戦は、交渉ゲームだった。

 

 手札のカードを交換して、自分の目的を達成する。相手に何を渡して、何を隠すかが勝負になる。ここで、周防有希が本気を出した。

 

「統也先輩、それ持ってますよね」

 

「……なぜわかる」

 

「顔です」

 

「顔は動かしてない」

 

「動かしてないところが動いてます」

 

 三十分後、有希の前にはカードが山になっていた。

 

 俺は途中で降りた。降りたというか、こいつと交渉すると疲れる。

 

 感心したのは、有希の勝ち方だ。

 

 あいつは、誰からも一方的に奪わない。全員に少しずつ得をさせて、そのうえで自分がいちばん得をする。

 

 だから、取られた側が怒らない。むしろ「有希さんに協力した」という気分になって終わる。

 

 ――これが、周防有希だ。

 

 この学園で、あいつが強い理由は、演説が上手いからじゃない。

 

 人が「自分は仲間に入れてもらった」と感じる仕組みを、あいつは体で知っている。

 

 二年前、俺が数字を並べる必要があったのは、それを制度に翻訳するためだった。翻訳する前から、材料はあいつが持っていた。

 

 テーブルの向かい側で、アリサが交渉に失敗していた。

 

「このカードと、そちらのカードを交換しませんか。等価です」

 

「等価かどうかは、こっちが決めるんだけど」

 

「……計算しました。等価です」

 

「や、そうじゃなくてさあ」

 

 茅咲先輩が困っていた。

 

 アリサは、正確な提案しかできない。

 

 正確な提案には、相手の気分が入っていない。だから通らない。

 

 見ていて、少し胸が痛くなった。同時に、頭のどこかが冷たく動いた。

 

 ――ああ。だから、そこは捨てるんだ。

 

 交渉ゲームの終盤、有希が俺のところに来た。

 

「久世くん。そのカード、いりませんよね」

 

「いる」

 

「うそ。さっきから一回も使ってない」

 

「温存してる」

 

「温存してる人は、そんなに指で挟み直しません」

 

 こいつは、こういうときだけ本気で観察してくる。

 

 俺は諦めてカードを渡した。

 

 受け取るとき、有希は小声で言った。

 

「お兄ちゃん、顔色わるい」

 

 名字で呼ばれるべき場所で、こいつは一瞬だけ切り替えた。

 

 誰にも聞こえない音量だった。

 

「寝てない」

 

「ちゃんと食べてる?」

 

「食ってる」

 

「うそつき」

 

 有希は自分の席に戻って、また完璧な笑顔でカードを配りはじめた。

 

 切り替えの速度が、年々上がっている。それが心配な理由を、俺は一つしか思いつかない。

 

 速く切り替えられるようになるのは、切り替える回数が増えたからだ。

 

 三回戦は、協力ゲームだった。

 

 全員でひとつの目的に向かう。誰か一人でも失敗すると、全員負ける。ここで、谷山沙也加が変わった。

 

「――待ってください。いまの手番、順序が違います」

 

「え、そう?」

 

「三番目に動くべきです。二番目に動くと、次の人の選択肢が二つ潰れます」

 

 沙也加は、身を乗り出していた。

 

 さっきまでの背筋一直線が、崩れていた。

 

「谷山さん、詳しいね」

 

「いえ。……計算しただけです」

 

「めっちゃ早口だったけど」

 

「……」

 

 沙也加が固まった。

 

 耳が赤くなっていた。

 

 俺は見なかったことにした。有希が見なかったことにしていないのが、視界の端でわかった。あいつは口の端が上がっていた。悪い顔だ。

 

 結果、俺たちは全員で負けた。

 

 最後の一手で、統也先輩が判断を誤った。

 

「すまん」

 

「先輩、いま『たぶん大丈夫』って言いましたよね」

 

「言った」

 

「たぶんで動かないでください」

 

「更科がうるさかったんだ」

 

「あたしのせいにするな!」

 

 なんだかんだで、部屋の空気は緩んでいた。

 

 統也先輩の目的は、達成されていた。

 

 罰ゲームの話が出たのは、その流れだった。

 

「勝者はマーシャさんだね。運ゲーの人」

 

「わたし?」

 

「二勝してるからね」

 

「じゃあ、罰ゲーム決めていい?」

 

 マリヤ先輩が、にこにこしながら言った。

 

 嫌な予感がした。

 

「今日の残りの時間だけ、みんな下の名前で呼ぶこと」

 

 部屋が静まり返った。

 

「……は?」

 

「今日だけよ。門を出たら終わり」

 

「先輩、それ、罰ゲームじゃなくて事故です」

 

「あら、どうして?」

 

 どうしても何もない。この部屋には、名字で呼び合うことで成立している関係が、少なくとも三組ある。

 

「じゃあ、練習ね。せーの」

 

 地獄が始まった。

 

 統也先輩は「茅咲」と言って、茅咲先輩に殴られた。呼ばせておいて殴るのは理不尽だと思う。

 

 綾乃は「有希様」から「有希さま」に変えただけで乗り切ろうとして、マリヤ先輩に却下された。

 

「綾乃ちゃん。様は禁止」

 

「……有希、さん」

 

「綾乃!?」

 

 有希が本気で動揺していた。珍しいものを見た。

 

 沙也加は「更科先輩」を「茅咲先輩」に変えるところで三回言い直した。そして、俺の番が来た。

 

 テーブルの向かいに、九条アリサがいた。

 

 一週間ぶりに、まともに目が合った。

 

 彼女も、逃げなかった。

 

「……」

 

「……」

 

「あら、二人とも固まっちゃって」

 

 マリヤ先輩が楽しそうだった。この人は絶対にわかっててやっている。

 

 俺は、覚悟を決めた。

 

「……アリサ」

 

 言った瞬間、自分の顔が熱くなるのがわかった。

 

 なんでだ。名前を呼んだだけだろ。

 

 九条アリサは、下を向いていた。それから、聞き取れるか聞き取れないかの声で言った。

 

「……政近くん」

 

 誰かが「おお」と言った。茅咲先輩の声だった。

 

 俺は天井を見た。生徒会室の天井は、板張りじゃなくて白いパネルだった。木目がなかった。

 

 役に立たない天井だった。

 

 罰ゲームの被害がもっとも大きかったのは、綾乃だった。この人は、有希を「有希さん」と呼ぶたびに、〇・五秒固まる。

 

「有希、さん」

 

「なに、綾乃」

 

「……いえ」

 

「言いかけたでしょ」

 

「言葉が、出てまいりません」

 

「壊れないでよ!?」

 

 茅咲先輩が腹を抱えて笑っていた。

 

 問題は、その次だった。

 

「じゃあ次。周防さんと久世くん」

 

 マリヤ先輩が、にこにこしながら振ってきた。

 

 俺は、一瞬で全身が冷えた。

 

 この部屋には、俺とあいつが兄妹だと知っている人間が二人しかいない。綾乃と、俺だ。

 

 有希が下の名前で俺を呼ぶ。それ自体は問題ない。罰ゲームだからだ。

 

 問題は、呼び慣れているのがばれることだ。

 

 初めて呼ぶ名前と、八年呼んでいた名前は、音の置き方が違う。

 

 俺は、こいつの喉が動くのを見ていた。

 

 ――やめろ、噛め。噛んだほうが安全だ。

 

「まさ……」

 

 止まった。

 

 止めたのがわかった。わざと止めた。

 

 有希は、そこから作り直した。

 

「……政近、くん」

 

 ぎこちなかった。ぎこちなさが、完璧だった。

 

 初めて他人を下の名前で呼ぶ女子高生の、正しいぎこちなさだった。

 

 誰かが「おー」と言った。日野がいたら悲鳴を上げていたと思う。

 

 俺は「おう」とだけ返した。返すので精一杯だった。

 

 有希は、真っ赤な顔で下を向いていた。

 

 真っ赤なのも、作りだ。こいつは顔を赤くできる。八歳のころからできる。

 

 テーブルの向かい側で、九条アリサが俺を見ていた。

 

 目が、はっきり据わっていた。

 

 俺は木目を探した。生徒会室の机には、樹脂のシートが貼ってあった。この部屋には、逃げ場がひとつもない。

 

 綾乃だけが、いつもの無表情で湯呑みを並べていた。この人が動じないのは、いちばん最初から全部知っているからだ。

 

 沙也加が、それを見て、少しだけ笑っていた。この人が笑うのを見たのは、初めてだった。

 

 笑ってから、慌てて表情を戻していた。戻すのが下手だった。

 

 ――こいつ、たぶん、そんなに強い人間じゃないな。

 

 そう思ってしまってから、俺は少し困った。

 

 こっちを潰しに来ている相手を、こういう目で見るのはよくない。

 

 解散したのは七時前だった。

 

 門を出たところで、罰ゲームは終わった。終わったはずだった。

 

「久世くん」

 

「……ああ」

 

「終わったわね」

 

「終わったな」

 

 二人とも、名字に戻っていた。戻っているのに、なぜか、さっきより距離が近い気がした。

 

 アリサは、鞄の紐を持ち直した。

 

「わたし、さっきの交渉ゲーム、一枚も交換できなかったわ」

 

「見てた」

 

「見てたなら助けなさいよ」

 

「助けたら、また同じことになる」

 

 彼女は少し黙って、それから、「……そうね」と言った。

 

 俺は、歩きながら話した。

 

 ゲームの話に見せかけて、選挙の話をした。そういうやり方でしか、いまはまだ話せなかった。

 

「有希のやり方は、全員に少しずつ得をさせるやり方だ」

 

「ええ」

 

「あれは真似できない。三年かけて作った回路だからな」

 

「……知ってるわ」

 

「だから、真似しない」

 

 俺は言った。

 

「お前は、仲間に入れてもらうんじゃなくて、引き受ける側に立て」

 

 彼女が足を止めた。

 

「引き受ける?」

 

「『一緒にやりましょう』じゃなくて『それはわたしがやります』だ」

 

「……それ、ただの雑用係じゃないの」

 

「違う」

 

 俺は振り返った。

 

「お前が全校放送で言ったのは、頼まれたいってことだろ」

 

 街灯の下で、銀色が揺れた。

 

「頼まれる人間になりたいなら、先に引き受けろ。人望はあとからついてくる。順番が逆なだけだ」

 

 アリサは、しばらく何も言わなかった。それから、小さく息を吐いた。

 

「……先に言いなさいよ、そういうことは」

 

「いま言った」

 

「一週間も黙ってたくせに」

 

 痛いところを突かれた。突かれて、少しほっとした。

 

 この女が嫌味を言えるようになった。少しは戻ったらしい。

 

「久世くん」

 

「なんだ」

 

「討論会、宗像くんには何もさせないから」

 

「聞いた」

 

「怒ってる?」

 

「怒ってない」

 

 嘘だった。

 

 正確には、怒っているのは湊の扱いに対してじゃない。俺自身が、この一週間なにもできなかったことに対してだ。でも、それは言わなかった。

 

 言わないことを選んだのは、今日が初めてだった。この一週間は、選ばずに黙っていただけだったからだ。その差は、俺にしかわからない。

 

 それでいいと思った。

 

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