舞台に立てない元子役が、生徒会長選挙のすべてを裏から設計する   作:ドコサヘキサエンさん

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23_政近 二年前の紙

 討論会の翌日、宗像湊は有名人になっていた。

 

「なあ久世、宗像って結局なんなの?」

 

「知らん」

 

「同じクラスだろ」

 

「同じクラスだからって知ってるとは限らんだろ」

 

 丸山毅は納得していない顔をした。納得していないまま、次の話題に移った。こいつのそういうところは長所だと思う。

 

 実際、廊下で三回、湊が呼び止められているのを見た。

 

 当人は、いつもの顔をしていた。困ってはいたが、逃げてはいなかった。

 

 三年前のこいつなら逃げていた。三年前を知らないやつには、その差はわからない。

 

 朝の生徒会室では、統也先輩が上機嫌だった。

 

「昨日のあれは、よかったな」

 

「どっちがですか」

 

「両方だ」

 

 沙也加は、そういう答え方をする。

 

「久世。お前、壇の上で一回立ちかけただろ」

 

「……見てましたか」

 

「見てた。座ったのも見てた」

 

 統也先輩は、湯呑みを置いた。

 

「あそこで座れるやつは、そう多くない」

 

「褒めてます?」

 

「褒めてる」

 

 茅咲先輩が横から口を出した。

 

「あたしは立っちゃうけどね」

 

「更科が立つと物理的に何か壊れるから黙ってろ」

 

「ひどい!」

 

 マリヤ先輩が、いつものようにお茶を配りながら言った。

 

「アーリャ、昨日、すごかったわね」

 

「……ええ、まあ」

 

「まさちかくんも、えらかったわよ」

 

「俺は何もしてません」

 

「何もしないのは、けっこう難しいのよ」

 

 この人は、時々こういうことを言う。

 

 いい加減な顔で、まっすぐな球を投げてくる。

 

 昼休み、湊が俺の机の前に立った。

 

「政近」

 

「あ?」

 

「二年前の話、いつ言うんだ」

 

 俺は、パンを口に運ぶ手を止めた。

 

「……なんの話だ」

 

「谷山さんに、だよ」

 

 こいつは、こういうときだけ容赦がない。

 

「お前が有希の側で何をしたか、あの人は知らない」

 

 俺は、パンを置いた。

 

「……お前、なんで知ってる」

 

 誰にも言っていない。有希と綾乃と、俺だけのはずだった。

 

「言われてない」湊はあっさり言った。「二年前の演説、途中で作りが変わった。三回目からだ」

 

「……見てたのか」

 

「中等部の選挙なんて、普通は見ない。でも、あのころ僕はお前の家のことを知ってた」

 

 こいつは、俺の机の横の椅子を引いて、逆向きに座った。

 

「具体的な話が減って、大きな話が増えた。数字がひとつになった。あれは書き手が変わった動き方だ」

 

「……」

 

「で、その週にお前は三日連続で寝不足だった」

 

 俺は天井を見た。教室の天井には、雨漏りの染みしかなかった。

 

「気持ち悪いな、お前」

 

「職業病だ」

 

「その職業病、いつか本当に刺されるぞ」

 

「二回目だぞ、それ」

 

「知らなくていいだろ」

 

「知らなくていいなら、なんでお前、あの人の顔をまともに見てないんだ」

 

 パンを置いた。

 

 食欲が消えた。

 

 ――いや、こいつはいつもこうだ、中学のときもそうだった、俺が担任に呼び出された理由を隠していたときも、こいつは理由を聞かないかわりに「その顔で三日過ごすつもりか」とだけ言ってきて、結局俺はその晩に全部喋る羽目になったわけで、つまりこの男は人の秘密を暴かない代わりに、秘密を持ったままの姿勢の悪さだけを正確に指摘してくる、いちばんたちの悪いタイプだ。

 

「湊」

 

「うん」

 

「お前、いつか刺されるぞ」

 

「気をつける」

 

 放課後、俺は谷山沙也加を呼び止めた。

 

 昇降口だった。彼女は選挙管理委員会の書類を抱えていた。

 

「久世くん。何か」

 

「話がある」

 

「はい」

 

 沙也加は、その場で立ち止まった。歩きながら聞く、ということをしない人だった。

 

 場所を移そうかと思ったが、やめた。移動する時間があると、俺はたぶん逃げる。

 

「二年前の中等部の選挙の話だ」

 

 沙也加の目が、わずかに動いた。

 

「あんた、途中で有希の演説の方向が変わったと思わなかったか」

 

 書類を抱えた腕が、止まった。

 

「……なぜ、それを」

 

「変えたのは、俺だ」

 

 昇降口を、下校する生徒が通り過ぎていった。

 

 誰も俺たちを見ていなかった。世界というのは、たいてい、こういうときに無関心だ。

 

「三回目の演説から、中身を減らして、大きさを増やした。数字を一つに絞った。『わたしたち』を増やした」

 

「……」

 

「全部、俺が書いた」

 

 沙也加は、しばらく黙っていた。それから、聞いた。

 

「なぜですか」

 

「あんたに勝てなかったからだ」

 

 自分の声が、思ったより平坦なのに驚いた。

 

「あのままやり合ったら、有希でも危なかった。あんたは調べてくる。調べたことしか言わない。中身で殴り合ったら、勝率は五割を切る」

 

「……」

 

「だから、殴り合わないことにした。中身の勝負を降りた」

 

 言いながら、二年前の自分を思い出していた。あのころの俺は、これを仕事だと思ってたんだ。

 

 俺は、あれを仕事だと思っていた。誰かを勝たせるという作業は、あの家でやらされていたことと地続きだった。うまくやれた自分に、少しだけ満足していた。

 

 いま説明すると、こんなに気分が悪い。

 

「あんたは、負けた理由がわからなかったはずだ」

 

「わかりませんでした」

 

「わからないように作った」

 

 沙也加は、書類を抱え直した。

 

「……ひとつ、確認させてください」

 

「なんだ」

 

「周防さんは、それをご存じでしたか」

 

「知ってた」

 

「納得して?」

 

「嫌そうな顔をしてた」俺は言った。「嫌そうな顔をして、やった」

 

 そこで初めて、視線が落ちた。

 

「なぜ、いま話すんですか」

 

 俺は、答えを用意していなかった。用意していなかったので、出てきたものをそのまま言った。

 

「昨日、あんたは俺たちに、いちばん痛いところを聞いた」

 

「はい」

 

「聞く前に、俺に予告に来ればよかったのに、来なかった」

 

「久世くんは、質問の相手ではありませんでしたので」

 

「そうだな。だから、こっちから来た」

 

 言ってから、理屈になっていないことに気づいた。

 

 なっていないが、伝わったらしい。

 

 沙也加は、しばらく何も言わなかった。

 

 顔を上げたとき、目が赤かった。

 

 泣いてはいなかった。泣く手前で止めるのが上手い人だった。

 

「久世くん」

 

「なんだ」

 

「わたしは、二年間、自分の伝え方が下手だから負けたのだと思っていました」

 

 俺は、何も言えなかった。

 

「それは、半分は本当でした。でも、半分は、そうではなかった」

 

「……悪かった」

 

「謝らないでください」

 

 彼女は、きっぱりと言った。

 

「謝られると、こちらが、あなたを許すかどうかを決めなければならなくなります」

 

「……決めなくていいのか」

 

「いまは、決めたくありません」

 

 正直な人だった。どこまでも正直な人だった。

 

 沙也加は一礼して、歩き出した。

 

 三歩めで、止まった。

 

「久世くん」

 

「ああ」

 

「昨日の九条さんの答えは、あなたが書いたものではありませんね」

 

「書いてない」

 

「そうだと思いました」

 

 彼女は前を向いた。

 

「あれは、下手でした。十九秒も黙って、名前を全部出して。……上手い人は、あんなやり方をしません」

 

 それが、この人にとっての最大級の褒め言葉だと気づくのに、俺は三秒かかった。その前に、旧校舎に寄った。

 

 三階の、使われていない教室だ。西日で部屋ごと橙色に沈む、あの部屋。

 

 メッセージは送っていない。それでも、いるだろうと思った。

 

 いた。

 

 窓枠に腰かけて、文庫本を読んでいた。表紙にカバーがかかっている。中身は聞かないことにしている。

 

「あら、お兄ちゃん」

 

「用がある」

 

「わたしはない」

 

「聞け」

 

 有希は本を閉じて、膝の上に置いた。

 

「昨日の相互質疑」

 

「うん」

 

「二十分、一度も踏まなかったな」

 

 あいつの足が、止まった。

 

 窓枠でぶらぶらさせていたやつが、ぴたりと止まる。昔からわかりやすい。

 

「……なんの話?」

 

「語尾が延びてた。三回」

 

「げ」

 

「げ、じゃない」

 

 有希は口を尖らせた。それから、あきらめたように息を吐いた。

 

「バレるんだよなあ、お兄ちゃんには」

 

「八年一緒にいたからな」

 

「それ、ずるいと思う」

 

「お互いさまだ」

 

 あいつは窓の外を見た。グラウンドで、陸上部が走っていた。

 

「なんで使わなかった」

 

「使いたくなかったから」

 

「理由になってない」

 

「なってなくていいの」

 

 こいつは、こういうときだけ絶対に説明しない。

 

 説明しないのは、説明すると自分の弱いところが見えるからだ。俺と同じ理屈だ。同じ家で育つと、逃げ方まで似る。

 

 だから俺は、それ以上聞かなかった。

 

 かわりに、ひとつだけ言った。

 

「有希」

 

「なに」

 

「勝ちたいなら、使え」

 

 あいつが、こっちを見た。

 

「次は、使っていい。俺は文句を言わない」

 

「……お兄ちゃん」

 

「そのかわり、こっちも本気で潰す」

 

 有希は、しばらく俺を見ていた。

 

 それから、笑った。学校用でも、家用でもない、途中みたいな笑い方だった。

 

「ほんと、勝手なことばっかり言うよね」

 

「知ってる」

 

「知ってるなら直して」

 

「無理だ」

 

 あいつは窓枠から下りて、俺の横をすり抜けた。

 

 ドアの手前で、一度だけ足を止めた。

 

「お兄ちゃん」

 

「なんだ」

 

「わたし、いま、けっこう楽しいよ」

 

 声が、わりと本気だった。

 

「そうか」

 

「うん。……でも、たぶん、来週から楽しくなくなる」

 

 俺が理由を聞く前に、あいつは廊下に出ていた。

 

 板が鳴って、階段の下で消えた。その日の夕方、俺はアリサと二人で下校した。

 

 並木の葉が、少し色を変えはじめていた。

 

「谷山さんと話したんですって?」

 

「早いな」

 

「宗像くんが言ってたわ」

 

 あいつ、ぜんぶ喋りやがって。

 

「二年前のこと、話したの?」

 

「話した」

 

「……そう」

 

 アリサは、そこで引いた。

 

 この女は、踏み込んでいい線がわかる。だから俺は、自分から言うことにした。

 

 言わなければ、一生言わない。

 

「九条」

 

「なに」

 

「この前の、戻ってもいいっていう話だが」

 

 足音が止まった。

 

「返事はもうしたわ。搬入口で聞いた」

 

「あれは半分だ」

 

「半分?」

 

「戻らない、とは言った。なぜ戻らないかは言ってない」

 

 アリサは、こちらを見た。夕方の光が、銀色の髪の輪郭を赤くしていた。

 

「お前は、俺が有希と組めば無敵だったのに、それを捨てたと思ってるだろ」

 

「……思ってるわ」

 

「半分は合ってる」

 

「半分は」

 

「無敵だったのは、事実だ」

 

 俺は言った。

 

「ただ、それは俺が有希を勝たせる機械をやったときの話だ」

 

 風が、落ち葉を転がしていった。

 

「二年前、俺は有希を勝たせた。勝ったあと、あいつは嬉しそうにしてなかった」

 

「……」

 

「俺も嬉しくなかった。当たり前だ。俺がやったのは、有希の言葉を減らす作業だからな」

 

 アリサは、黙って聞いていた。

 

「俺は、そういう組み方しか知らなかった。だから、あれを『無敵』って呼ぶのは、たぶん間違ってる」

 

「じゃあ、なんて呼ぶの」

 

「よくできた機械」

 

 自分で言って、その通りだと思った。

 

 俺は、あの家で機械の作り方を教わった。人を機能で数えて、いちばん効率のいい配置に置く。俺はそれが得意だった。得意なことを八年間、封印していた。

 

「お前と組んでからは、うまくいってない」

 

「ひどい言い方ね」

 

「ひどいが、事実だ。お前は指示どおりに動かない。頼めば断る。助けると怒る」

 

「……」

 

「昨日だって、俺は壇の上で何もできなかった。指名されるのを待つだけだった」

 

 そこで、足を止めた。

 

「でも、俺はいまのほうがいい」

 

 アリサが、こちらを見ていた。

 

「捨てたんじゃない。乗り換えたんだ。こっちのほうが、面白いからだ」

 

 自分の耳が熱くなっているのがわかった。

 

 こんなことを口に出す日が来るとは思っていなかった。

 

 アリサは、そこで長く止まった。それから、前を向いて、歩き出した。

 

 歩きながら、小さく言った。

 

「……そういうことは」

 

「あ?」

 

「そういうことは、もっと早く言いなさいよ」

 

 声が、湿っていた。

 

 俺は、追いかけなかった。

 

 三歩の距離を保ったまま、うしろを歩いた。

 

 しばらくして、聞こえた。

 

 ――『……もう、逃がさないから』

 

 ロシア語だった。

 

 俺は、空を見上げた。

 

 十月の空には、木目も黒板も関係代名詞もなかった。逃げ場が一個もなかった。

 

 最悪だ、と思った。

 

 最悪なのに、口の端が勝手に上がっていた。その夜、統也先輩から連絡が来た。

 

 投票日が確定した、という業務連絡だった。十一月の第二週。三週間を切っている。

 

 文面の最後に、一行だけ、こう付いていた。

 

 ――今年は来光会のOBが何人か見に来るらしい。気をつけろ。

 

 来光会。

 

 この学園のOBが作っている会だ。生徒会長を務めた人間と縁ができる、あの会。

 

 大人の熱が、そろそろ降りてくるということだ。

 

 俺は、スマホを机に置いた。

 

 もう一件、通知が来ていた。

 

 有希からだった。

 

 あいつのメッセージは、いつも短い。長い文を送ると感情が乗るからだ。

 

 今日のは、二文字だった。

 

 ――「ごめん」

 

 なんの謝罪なのか、書いていなかった。

 

 俺は、返信を打ちかけて、消した。打ちかけて、消した。

 

 三回目でやめて、天井を見た。

 

 自分の部屋の天井には、木目がある。

 

 木目は、何も言わなかった。

 

 えらい。

 

 えらいが、今夜も、あまり役に立たなかった。

 

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