舞台に立てない元子役が、生徒会長選挙のすべてを裏から設計する   作:ドコサヘキサエンさん

27 / 27
幕間_沙也加 正しさの出どころ

 谷山沙也加の父は、勝ち方について、一度だけ娘に説明したことがある。

 

 沙也加が九歳のときだ。

 

 その日、父の会社は競合との入札に勝った。夕食の席で、父は上機嫌だった。母がワインを注いで、乾杯をした。

 

「沙也加。今日、父さんの会社が仕事を取ったよ」

 

「おめでとうございます」

 

「なぜ取れたと思う?」

 

 沙也加は、そのころから真面目な子どもだった。だから、真面目に考えて答えた。

 

「うちの製品が、いちばん良かったからですか」

 

 父は笑った。

 

 褒めるときの笑い方ではなかった。かわいいものを見たときの笑い方だった。

 

「二番目だ」

 

「え」

 

「性能は二番目だった。値段は三番目だ」

 

「じゃあ、なぜ」

 

「話し方だよ」

 

 父はグラスを置いた。

 

「先方の担当者が何を心配しているかを、こっちが先に言った。それだけだ。いちばん性能のいい会社は、性能の話しかしなかった」

 

 父は満足そうだった。

 

 自分の勝ち方に、一点の曇りもない顔だった。

 

 沙也加は、その夜、眠れなかった。

 

 九歳の頭で考えたことを、いまも覚えている。

 

 ――じゃあ、いちばんいいものを作った人は、どうなったんだろう。

 

 その人は自分の会社に戻って、負けた理由がわからないまま、また作り続けたのだと思う。

 

 性能で負けたなら、次は性能を上げればいい。値段で負けたなら、下げればいい。でも、話し方で負けた人は、何を直せばいいのかがわからない。

 

 沙也加が父を嫌いになったわけではない。

 

 父は誠実な人だ。約束を守るし、社員を大事にする。娘の話も最後まで聞く。

 

 ただ、あの日から、沙也加は自分の家のやり方を、自分では使わないと決めた。決めた理由を、うまく言葉にできたのは、ずっとあとになってからだ。

 

 ――見せ方で勝つのは、負けた側から、次に何をすればいいのかを奪う。

 

 中等部二年の秋の生徒会長選挙で、沙也加は周防有希に負けた。

 

 得票率は三割だった。

 

 あれは、納得のいく敗北だった。少なくとも、当日はそう思った。

 

 周防有希という人は、壇上に立っているだけで空気が変わる。声がよく通る。間の置き方が上手い。そして何より、あの人は自分の言葉で喋る。

 

 沙也加は、演説原稿を四十七回書き直した。中等部の予算規模、部費の配分、備品の更新周期。全部調べた。調べたことしか言わなかった。

 

 周防有希は、それより少ないことを、それよりずっと大きく言った。

 

 負けた。

 

 悔しかったが、恨みはなかった。

 

 あの人が三年かけて積んだ人望に、自分の四十七回は届かなかった。それだけの話だ。ただ、ひとつだけ、いまも喉に刺さっているものがある。

 

 選挙の中盤で、周防有希の演説の方向が変わったことだ。

 

 最初の二回、あの人は具体的な話をしていた。図書室の開室時間の話。部室棟の掃除当番の話。地に足がついていた。

 

 三回目から、変わった。

 

 中身が減って、大きさが増えた。「わたしたち」という言葉が増えた。数字が一つだけになった。

 

 上手くなった、というのとは違う。

 

 方針が変わった、という変わり方だった。

 

 沙也加は、そのとき初めて、自分の背筋が冷たくなるのを感じた。あれは、誰かが設計を書き直した動き方だ。

 

 証拠はない。

 

 周防有希本人が、自分で気づいて直したのかもしれない。優秀な人だから、それは十分ありうる。だから沙也加は、二年間、誰にもこの話をしていない。

 

 証拠のないことを口にするのは、父のやり方に近づくことだからだ。

 

 高校を一年で移ったのは、家の都合が半分だった。

 

 残りの半分は、自分でもよくわかっていない。

 

 一年半ぶりに征嶺の門をくぐったとき、沙也加は自分がまだ何も終えていないことを認めた。

 

 周防有希と、もう一度やりたい。

 

 今度は、勝ち負けではなく、確かめたい。あの人の言葉が、あの人のものかどうかを。

 

 転入して三日目に、候補者紹介の放送を聴いた。

 

 放送そのものは、転入より前だった。校内放送は保存されていない。それでも、音は残っていた。

 

 クラスの誰かが、スマホで録っていたものが回っていた。雑音だらけの、机の上に置いたままの音だった。

 

 九条アリサ。名前は知らなかった。

 

 三分間、沙也加はメモを取らずに聴いた。雑音の向こうの声だけを追った。

 

 冒頭の三十秒で、二回噛んだ。

 

 その二回で、教室の空気が変わった。誰かが顔を上げた。廊下を歩いていた生徒が足を止めた。

 

 ――誰にも必要とされていない気がしていた。だから、いちばん必要とされる場所に立ちたい。

 

 言い終えたあと、その人は少しだけ間を置いた。

 

 沙也加は、その間の長さを、正確に覚えている。

 

 二秒だった。

 

 二秒は、原稿には書けない。書いても、書いたとおりには置けない。あれは、その場で置かれたものだ。

 

 だから沙也加は、最初、感心した。感心したまま、その日の放課後に体育館へ行って、そこで平面図を広げている男子生徒を見た。

 

 照明の角度を測っていた。音の返りを気にしていた。前列三列の視野角を計算していた。

 

 宗像湊。九条アリサの推薦人。役割は「特にない」。

 

 沙也加は、その夜、自分の部屋で、放送の音源を頭の中でもう一度再生した。

 

 マイクの高さ。声の落ち方。噛んだ二回。二秒の間。

 

 全部が、設計できる要素だった。

 

 二秒の間も、設計できる。

 

 演出のできる人間なら、「ここで一拍置け」と言える。言われたとおりに置いた間と、自分で置いた間は、音では区別がつかない。

 

 沙也加は、そこで手が止まった。

 

 ――区別がつかないなら、疑うべきではない。

 

 それが、自分に課したルールのはずだった。でも、疑ってしまった。

 

 疑ったまま黙っているのは、いちばん卑怯だと思った。だから、確認しに行った。

 

 昼休みの一年A組で、腕章を机に置いたのは、そのためだ。

 

 立場のある人間が立場を使って詰めるのは、父のやり方だ。だから外した。

 

 外して、聞いた。

 

 九条アリサは、答えられなかった。

 

 久世政近は、庇い方を間違えた。そして九条アリサは、椅子を鳴らして立ち上がって、「関係ないわけ、ないでしょう」と言った。あの一言だけは、設計されていなかった。

 

 沙也加は、それを聞いた瞬間に、自分が少しだけ嬉しかったことに気づいて、そんな自分に驚いた。

 

 教室を出て、廊下を歩きながら、胸が悪かった。

 

 正しいことをしたはずだった。

 

 正しいことをして、こんなに気分が悪くなるのは初めてだった。

 

 ――わたしは、あの人たちが嫌いなわけではない。

 

 それは、教室で言った。言ったのに、伝わった気がしなかった。

 

 伝え方が下手だからだ。

 

 沙也加は、そのことをよく知っている。中等部の四十七回で、いやというほど知った。

 

 伝え方が下手な人間が、伝え方の上手い人間に「上手すぎる」と文句をつけている。それは、単なる僻みと、どう違うのだろう。その夜、父が珍しく早く帰ってきた。

 

 夕食の席で、父は転入のことを聞いた。学校はどうか。友達はできたか。困っていることはないか。

 

 沙也加は、順番に答えた。悪くない。まだ。ない。

 

「選挙があるんだったな」

 

「はい。生徒会長選です」

 

「出るのか」

 

「出ません。管理する側にいます」

 

 父は「そうか」と言って、味噌汁に口をつけた。それから、何気ない調子で言った。

 

「沙也加。出ればよかったんじゃないか」

 

「……なぜですか」

 

「二年前、悔しかっただろう」

 

 沙也加は箸を止めた。

 

 父は、こういうところがある。娘の話を最後まで聞くくせに、いちばん触られたくない場所を、遠慮なく正面から指す。

 

「悔しかったです」

 

「じゃあ、なぜ出ない」

 

「わたしが出ると、また同じことになるからです」

 

「同じこと、とは」

 

「わたしは、伝えるのが下手です」

 

 言ってしまってから、少し後悔した。

 

 父は箸を置いた。

 

「沙也加。伝えるのが下手なのは、欠点じゃない」

 

「……はい」

 

「ただ、直せる欠点を直さないのは、意地だ」

 

 沙也加は、返事をしなかった。

 

 父はそれ以上言わなかった。この人はいつも、一撃だけ入れて引く。引き際が上手い。

 

 上手いから、こっちは何日も考えることになる。

 

 自室に戻って、机の前に座った。

 

 ――直せる欠点を直さないのは、意地だ。

 

 そのとおりだ、と思う。でも、直したその先にあるのは、父の勝ち方だ。

 

 九歳のあの夜から、沙也加はずっとその分かれ道の前に立っている。二年前も立っていた。いまも立っている。

 

 沙也加は、討論会の要項を読み返した。

 

 答弁は会長候補本人のみ。第三者は発言できない。この四行があるかぎり、壇上に立つのは本人だけだ。

 

 本人の言葉かどうかは、本人に聞くしかない。

 

 聞けば、わかる。

 

 言葉を借りている人間は、二十分ももたない。

 

 スマホが鳴った。宮前乃々亜からだった。

 

 ――なんか食べた?

 

 沙也加は「食べました」と返した。嘘だった。

 

 二分して、また来た。

 

 ――嘘っしょ

 

 どうしてわかるのか、沙也加にはわからない。乃々亜は何も調べない。調べないのに、こういうところだけ外さない。

 

 沙也加は返事をしなかった。返事をしないと、乃々亜は追ってこない。追ってこないまま、明日また同じことを聞いてくる。

 

 二年、それでやってきた。

 

 あの子は、秋嶺祭のステージに勝手に出たらしい。あとで人から聞いた。本人は何も言わなかった。

 

 沙也加は、そのことを少しだけ考えた。

 

 二年間、乃々亜は何もしなかった。何もしないのは、たぶん、沙也加が何もさせなかったからだ。

 

 ――と、そこまで考えて、やめた。

 

 いまは、その順番を並べる時間ではない。

 

 沙也加はペンを置いて、机の引き出しを少しだけ開けた。

 

 中には、この二年で買った単行本が、背表紙を伏せて並んでいる。誰にも見せたことがない。

 

 一冊だけ手に取って、開かずに、また戻した。

 

 いまは読む時間ではない。

 

 引き出しを閉めて、要項に戻った。

 

 窓の外で、十月の風が鳴っていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

距離を置きたいだけなんだけど(作者:ろしでれ)(原作:時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん)

▼転生した先は、異世界ではなかった。▼慣れ親しんだ現代日本――そして、中学三年の春に思い出した。▼ここは、前世で読んだ事のある『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』の世界だと。▼ハーレム系な主人公が苦手な僕、真田伊織は、原作主人公・久世政近と少しずつ距離を置くことを決意するはず、だったんだけど………


総合評価:3844/評価:7.9/連載:23話/更新日時:2026年09月20日(日) 16:04 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>