控え室に戻ったわたしを出迎えたのは、過保護で美人で仕事の出来るプロデューサーと、そして穏やかな笑みを称えた同期、デュオユニットの相方だった。
ここに来るまでにすれ違った白草さんが、何かを言いたそうにしていたのは覚えている。でも、ステージの熱狂も、そこから見えていた景色も、一瞬の熱だけが残って、記憶は薄ぼんやりとしていた。なんだろうね、燃え尽きた、みたいな。
力が抜けて膝をつきそうになったわたしを、秦谷さんは躊躇いもなく抱き留めた。
「お疲れ様です、陽ちゃん。今日も世界で1番、可愛くて綺麗で、かっこよかったですよ」
耳元で囁かれる熱を帯びた声。ただでさえライブ後で上がっている体温が、秦谷さんと溶け合うようにさらに上がっていく。やばい、これ結構恥ずかしい。そういえばこの人、わたしのことが好きなんだ。
この状況を理解した途端、とても離れたくなって。でも、力も入らなければ、離れたくないとも思うわたしもいて。不思議だ。
「陽ちゃん、おかえりなさい。素晴らしいステージでした」
「……ん」
「落ち着いたら先に学園に戻ってください。私は打ち合わせが終わり次第合流します、いつもの部屋で休んでいてくださいね」
「のんちゃん」
「はい?」
「……わたしは、」
わたしは、学園を代表するアイドルでいて良いのだろうか。喉まで出かかった言葉は、後頭部に触れる秦谷さんの撫でる手が止めてくれた。お姉ちゃんの誇れるアイドルになりたい。星南が羨むアイドルになりたい。でも、それらが叶ったその後は?
わたしには何が残るのだろう。
「陽ちゃん、今はまだ、何も考えなくていいんです」
秦谷さんの手が、暖かい。
「学園の代表だとか、そんなもの、今考えたって仕方ありません。何故ならあなたは、わたしの王様、わたしの陽ちゃんですから」
君のものになったつもりはないけれど。壊れ物に触れるかのような手つきが髪を揺らす度、わたしの喉を緩やかに絞める。真綿のような優しさ。
「十王陽さん、何度でも言いますね。私はあなただからプロデュースしたいと思ったんです。そこに、初星学園や十王星南さんは、少なくとも私の中にはありませんよ」
「……のんちゃん」
「では、私は打ち合わせに行ってきます。秦谷さん、陽ちゃんをお願いしますね」
「ええ、お任せください」
パタン。扉が閉じる音。のんちゃんが部屋を出た音だろう。そして、わたしはまだ秦谷さんの腕の中。
「……ありがとう。君がいなければ、倒れてたと思う」
「このくらいお安い御用です。疲れが出たのでしょうか」
「なんというか……えっと、整理つかないから、文脈が酷いことになると思うんだけど」
「珍しいですね。どうぞ?」
ライブ中のことは覚えていない。けれど、確かな手応えというか、失敗したような感覚はなかった。力が抜けてしまったのはきっと、在るべき場所から離れたから。君の手が暖かいから。
わたしはそれらを、途切れ途切れに伝えた。伝わっているかどうかは定かではないけれど、それでも、まだ秦谷さんの手はわたしに触れている。
「……独りだったんだって、気づいた。今までのわたしは誰とも居ない。お姉ちゃんとも、星南とも……わたしはきっと、孤独なアイドルだったんだなって」
それは、まるで子供のような告白だった。
十王陽というアイドルは、姉である星南の影を求められてきた。それがわたしに無いと知られれば、今度はわたしというアイドルを真っ向から否定される。星南にはなれない、星南ではない。彼女のようなカリスマを持たないわたしは、暴君と。
「……でも今はもう、違うよね」
「え……」
「N.I.Aが終わったら……ううん、N.I.Aの最中でも。わたしが次にステージに立つ時、隣に君が居たらいいな」
「陽ちゃん……」
「暴君だろうがなんだろうが、わたしは一番星になる。その隣には秦谷さんが居てくれたら、そう思うよ」
あぁ、これ、ある種の告白かも。どこか冷静な頭はそう言ったけれど、止まれなくて。
とっくに。わたしの中で、お姉ちゃんと同じくらい秦谷さんの存在は大きくなっていたことを、思い知らされる。
「……」
「何か言ってよ」
「すみません。少し、わたしは陽ちゃんを見くびっていたのかもしれません」
「はあ?」
「陽ちゃん、わたしの気持ち、気づいていたんですね」
「……あぁ、そういう」
秦谷さんはわたしから離れていく。惜しいな。そう思ったのもつかの間、彼女の手がわたしの頬に触れた。
「好きです、陽ちゃん」
「……うん」
「あなたがわたしのことをどう思っているか、今はどうでもいいんです。ただ、どんな形であっても、陽ちゃんの隣に居られればそれで」
「……」
見返りのない愛?あるのか、そんなもの。
お姉ちゃんはだって、わたしという妹に、妹であることを求めている。そうすれば、無条件でお姉ちゃんのわたしでいられるから。
でも、彼女は。秦谷さんは。
「……ほんとうに、」
「はい」
「本当に、傍に居てくれるの」
「あなたが嫌でなければ」
「……君、月村さんが好きなんだと思ってた」
「では聞きますが。あなたの中でお姉さんが、それ以上になることはありますか?」
「……」
「ふふ。それが答えですよ」
分からない。けど、このままではいけない。貰ったものが多過ぎる、何かわたしでも返せることはないだろうか。
「……でも、答えられない代わりは何かしたいな。それでいいと、秦谷さんが言ってくれるのならだけれど」
「あら……何を言うか分かりませんよ?」
「頼むから、わたし1人で可決出来るものにしてね」
「では。わたしのことも、名前で呼んでください」
てっきり、例えば営業を減らしたいとか、そういうことだと思ったのに。
そうか。言われてみれば。燕を抜いて学園内で1番親しい人の名前すら、わたしは呼んで来なかったのか。
「……美鈴」
「ふふ。はい」
「美鈴、ありがとう」
やばい、頭に熱が集まってくる。顔を逸らしたわたしの視線を追いかけることはなく、美鈴は気の抜けた笑い声を零す。
「お顔、真っ赤ですね」
「うるさいな。らしくないことは自覚してる」
「可愛いですよ?」
「……戻ろ。もうここ、用事ないし」
逃げるようにわたしは更衣室のカーテンを閉めた。薄い布を1枚挟んだ向こう側で楽しそうに笑う声。何が面白いんだ、こっちは熱くて仕方がないのに。
美鈴に触れられたところが、まだ熱を持っていた。