「1、2、3、4」
「ちょっ、ちょっと待って……!」
「……ごめん。自分たち基準だった」
「マジで体力お化け……!!」
倒れ込むように床に手をついて、肩で息をする2人。荒れた呼気を整えながら彼女たちに水を渡せば、待ちわびたようにそれを流し込んでいく。そうか、良く考えたら、わたしと美鈴を基準にしてはいけない。
「……でも、上手だね。さすが紫雲さん、ダンスなら燕にも匹敵する」
「どーも……お世辞なんか言わないって分かってるけど、なーんか素直に受け取れないんだよね〜……」
「葛城さんの方も、体の使い方がまだ慣れてないだけかな。センスは良い、何よりステージに立てば化けるそのアイドル性。羨ましいね」
偶然にも、葛城さんと紫雲さんとレッスンをすることになったわたし。練習を見て欲しいと言われたわけではないけれど、同じ部屋で始めたら自然と気になるもので。
まぁ。ちょっと。ミラーに写るわたし達の状況は、まるでわたしがいじめているみたいにも見えるけれど。
「……陽ちゃんは、やっぱりすごいね。私、全然着いて行けなくて……」
呼吸がまだ荒いままではあるが、紫雲さんより先に復帰したのは葛城さん。現時点で基礎体力が紫雲さんよりもあるのだろう。しかし紫雲さんの方には、体を動かす抜群のセンスと、何より身長がある。これは、発破の掛け方を間違えてはいけないな。
「そうでもないよ、わたしはアイドルとして生きている時間が長いだけ。もちろん、そこに才能ってやつが絡まってないとは言えないけどね」
「だとしてもだよ。入学の頃はあんなに尖ってたのに、短期間で丸くなりすぎ」
「黒歴史みたいに言わないでくれる?」
「やっぱ、恋する乙女は強いってことだよね〜」
「黒歴史みたいにしないでくれる?」
痛いところをつかれた。確かにわたしも、あんなに独りで頑張っているつもりだったわたしのことを、今ではもう信じられなくなってはいるけれど。だったとしても、今まで全てがわたしの糧になっている。思い出なんかじゃなく、今のわたしと共にある。
「……そもそも、2人はN.I.Aでそんなに張り切る必要あるの?」
「ないけどね、優勝はしたいじゃん」
「頑張ることに理由はあるけど……頑張らない理由はないと思うから」
「まぁ……うん、分かるよ。わたしも、特別な理由なんてないけど、優勝しなくちゃいけない。お姉ちゃんが負けるアイドルは、そんなアイドルがいい」
のんちゃんが言っていた。わたしがN.I.Aでより良い結果を残すことで、星南を破った時にその強さが際立つ。大方、星南の方もわたしを迎え撃つ準備をしていることだろう。彼女はN.I.Aの前線から引いた。というより、これ以上ファンを増やすつもりがないように思える。わたしのために。
「会長、すごい人だけど。勝てるの?」
「勝つよ。アイドルである点ではわたしより優れている星南だけど、ただの才能なら、わたしの方が持ってる」
「……簡単じゃ、ないよね」
「うん、当然。"一番星"を決めるシステムを思えば、わたしが圧倒的不利なことに変わりはないし」
H.I.Fのルール上、星南に挑む側はそもそも不利を強いられる。一番星の輝きを持つ彼女を下せるのは、同じ光度を放つアイドルであること、応援したいと思わせるアイドルであることが絶対条件。
そして、そのどれもがわたしには無いものだ。
「正直な話、H.I.Fという大会の使用上、わたしには何のアドバンテージも無いんだよね。それこそ、君たちに負けてしまう可能性があるくらいには」
「そんなわけ……あ」
「思い当たるでしょう。わたしは"十王星南の妹"、"一番星の妹"、そして……"暴君"。順当な評価と同じかそれ以上、わたしに関するマイナスイメージは学園内でも浸透したままだと思う。今年は特に、お姉ちゃんのせいで生徒会の副会長なんてやってるから尚更ね」
わたしは、トップ層にいるアイドルにも関わらず、その評判は悪い。自覚をしている。というか、せざるを得なかった。だけど、それがどうした。
「先行しているイメージは、拭う以外に選択肢はない。"一番星"が通過点であるわたしは、チャレンジャーであって、星南にとっての最難関」
「……ほんと、変わったよね、陽っちは」
「そうかな」
「春はこんなに自己評価高くなかったよ。良いプロデューサーさんに会えたんだね」
「……うん。あの子、すごいよ」
「おお……」
「だから、H.I.Fは絶対に獲る。わたしの夢を叶えて、お姉ちゃんの夢を叶えて、それを以て彼女を、100プロのプロデューサーに昇華する」
これは最早、野望や野心とも呼べるものかもしれないけれど。
卒業まで残り2年半。その間、わたしのプロデューサーとして契約を続ける可能性は高いけれど、彼女がプロデューサー科を修了した後の進路に、わたしはいない。
わたしは100プロの所属になるのが決まっている。では、如月望は。わたしに着いてくるとはまだ決まっていない。
「そんな人が陽っちに着いて行かないわけないと思うけどなぁ」
「それはわたしもそう思う」
その時、レッスン室の扉が開く。そこにいたのは美鈴だった。
「……まぁ」
「お疲れ、美鈴。どうかした?」
「陽ちゃんがレッスン中と聞いたので。紫雲さんと葛城さんがいるとは、思いませんでしたが」
彼女の視線が向いているのはわたしだけ。怒ってはいなさそう。さて、どうしたものか。少し考えただけなのに、美鈴は不満そうにわたしの元へ向かってくる。真っ直ぐ、迷うこともなく。
「今日はずいぶん調子がいいみたいですね。わたしのことを、意識から逸らすだなんて」
「君への伝え方を迷っただけでそれ?良くないよ、まるでわたしが浮気者みたいに聞こえる」
「陽ちゃんの浮気者」
「言えばいいってものでもないよ」
全くもって失礼である。
「それで、急ぎだった?」
「いえ別に。ここなら雨夜先輩から逃げられると思ったので」
「……副会長から逃げてることを、副会長に言うんだ」
「お仕事なら今日でなくてもいいでしょう?」
「そもそも急ぎならわたしはここにいない、君がいつも燕から逃げ回るからだよ」
「わたしが悪いと?」
「そう言ってる。いいよ、ここに居て」
嫌だから逃げているわけじゃなくて、急いでやる必要がないだけ。それが分かっているから、わたしは彼女にタオルを投げた。ここに居てもいい権利。
「……ということで、お邪魔しますね」
「うん、どーぞ」
「よし……陽ちゃん、もう1回、お願いします!」
「分かった。紫雲さん、サボり方を知っているのなら、もう少し肩の力を抜いてみて。そうすれば体力にも余裕が出てくると思うから」
「おっけー、やってみる」
「葛城さんも。特に、葛城さんの持ち曲は、力強いパフォーマンスをするものじゃない。指先まで意識して、でも程よく力を抜いて。イメージはバレエとか、そっちかな」
「バレエ……清夏ちゃんみたいに?」
「うん。柔らかさ、と言えばいいのかな。ただの脱力じゃなくて……揺れるように」
「……うん。考えてみるよ」
葛城さんの瞳はすごく澄んでいて、その闘志が伝わってくるようだった。すごいな、向けられる側を焦らせるほどの熱意だなんて。誰もが持っているものではない。
少しだけ体を伸ばした。無理をすると2人を置いて行くし、何よりこの後に支障が出る。のんちゃんが見ていない時に無茶はしてはいけない、そういう約束だ。元より、わたしは必死にレッスンをするタイプではないけれど。
「陽ちゃん」
「ん」
「気が変わりました。帰りましょう」
「……は?」
「今日は1段と集中が深いと感じましたが……逆ですね。周りが目に入っていない、もしかしてお熱があるのでは」
「マジ?」
美鈴の言葉を受けた紫雲さんが、躊躇わずわたしに手を伸ばした。払い除ける前に彼女の手が額に触れる。ほんのり冷たくて、何も出来なくなる。
「……あー。体動かした後って言ったらそれまでかもしんないけど、熱いね。陽っち、体調は?」
「体調も何も……わたし、普段通りの感覚なんだけど。見て分かるもの?」
確かに、運動量があるわけでもないのに暑いなとは思ったけれど。夏だしそんなものだと思っていた。体調管理は普段から出来ているはずだ、一体どこでそれが狂った。
もしかして。
「……陽ちゃん、最初から?」
「……」
「私と清夏ちゃんが同じレッスン室を使うことを許可してくれた時から……ううん、朝から。今日、授業中に違うこと考えていたでしょう?」
「……良く見てるね、君。ライバルの観察はお得意ってところ?」
「ううん、陽ちゃんだから」
あ。美鈴がムッとしたのが分かる。多方、葛城さんがわたしと同じ教室に通っていることへの嫉妬だろう。素行不良で2組に編成された人がとやかく言える立場にないことは忘れないで欲しい。
「美鈴。今日、何かあったっけ」
「いいえ。如月さんは打ち合わせで外出中ですし、会長も生徒会の公務中です。わたし達はオフのはずなんですが」
「……そう、だった?」
「やっぱり……予定を忘れていたのでしょう?オフの日にはプロデューサーのお部屋にいるはずなのに、いつまでも来ないから探しに来て正解です」
美鈴がわたしの手を取った。強制的に上がらせるつもりだ。冷たい。
あぁ。夢中と無茶の区別さえ付かないくらい、今のわたしは頭が働いていないらしい。
「……美鈴」
「はい」
「今日、家に誰もいなくて」
「……はい?」
「送ってくれると嬉しいんだけど……」
「陽ちゃん」
「うん」
「ご自分が何を言っているのか、分かっているんですよね?」
「逆に聞くけど、わたしに生活力があると思う?」
「いいえ」
「言わせないでくれるかな」
勉強やアイドルとしての活動出来ても、日常生活には大半が活用出来ない。料理はレシピがあれば出来るけれど、体調の悪い時にわざわざやりたいことではない。というか、体調が悪い時に慣れない作業はしちゃいけないと思う。
「お姉ちゃんが帰ってくるまでで良いから。お願い」
我ながら、なんて情けない願い事だろうか。でも仕方がない、わたしが風邪を引いている時、家にはいつも誰かがいた。両親やおじい様でなくても、お手伝いさんの誰かとか。
独りには、慣れていない。
「……」
「……あのさ、陽っち。自分で撒いた種なんだから、自分で責任取りなね?」
「何の話?」
「美鈴ちゃん、ショートしてるじゃん」
「……?」
普段から寝ている姿を無防備に恋人へ晒しているような君が、どうしてわたしの寝込みを襲うかもしれないと杞憂をするのか。わたしのセリフだろう。
「陽ちゃん、全部声に出てるよ」
「……で?何か言い分があるなら聞くよ。言っとくけど、一度も許容したことないからね」
葛城さんに指摘されたので、そのまま追求に移行する。風邪を引いて恋人に甘えたわたしに対して、「あなたを襲ってしまうかもしれませんよ」と頭を抱えるのはまだいい。問題は、自分はそうではないと思っているところにある。美鈴は膝から崩れ落ちたままだ。
「紫雲さん、葛城さん。今日はありがとう、良い刺激になったよ」
「いや〜……色んな意味で、それはこっちのセリフかも」
「陽ちゃん、大丈夫?送っていく?」
「ううん、それはこのポンコツに頼むから。しっかり治して、また一緒にレッスンさせて」
「うんっ、こちらこそ。お大事にね」
「お大事に。ゆっくり休んでね」
半ば追い出すように、2人をレッスン室から見送った。そもそも今のわたしは風邪を引いていて、何かしらを保菌していてもおかしくない。だから間違ってはいない。
さてと。
「それとも、君はわたしを警戒していなかった?」
「……それは」
「何もしないだろう、何も出来ないだろう。そう思っているか、あるいは純粋な安心からわたしの隣で眠る。学園内だしね、油断の比率の方が多いだろうけれど」
茶室や生徒会室、プロデューサーの部屋。至る所で眠り、そしてわたしの迎えを待つ彼女。そのどれもが、一応人気のない場所ではあって。
「どっちにしろ、君は恋人の目の前で警戒を怠った。わたしの理性を無意識に信用して。何をされても、嫌ではないから。……違う?」
「いえ……」
「うん、違わないよね。ほら立って、どうせ美鈴には何も出来ないんだから」
というか、風邪引きに手を出したら普通に信用を失くす。分かっているから、少なくとも今日の美鈴は何も出来ない。そもそも、美鈴に攻める方は向いていないしね。
「……陽ちゃん、熱い」
「熱出てるらしいから」
「体調が優れない時の方が、ストレートなんですか」
「いつもがそうじゃないとでも言いたいの?」
「はい」
「……まぁ、そうかもね」
ニコニコと、やけに上機嫌な美鈴を連れて学園を出る。まだ真っ直ぐに歩けているうちに気がついてもらえて良かった。
調子を戻したら、絶対に分からせる。
わたしの前で無防備に愛を囁き続ける彼女がどれだけずるいか。それを理解させないといけない。
ほんのり冷たい彼女の手が心地良かった。