「なぁ陽ってば」
「……」
「陽」
「……なに」
「あたしが悪かった。教えて」
手を合わせて、頭を下げて。誠心誠意というほどではなさそうだけれど、それでも誠意自体は感じるその姿に、わたしはわざとらしく深いため息を吐いた。
N.I.Aも佳境を迎えた。現在のランキングだが、トップを走る白草月花に、わたしが並び掛けたところだ。つまり、Finalに出場するアイドルが決定したことを意味する。
数日前、わざわざ宣戦布告をしに来た白草さんは、わたしを見て笑っていた。星南が途中で棄権したこと、それから、わたしの短期間での成長。それらに言いたいことだけを言って去っていた彼女は、それでもわたしと競い合うことを楽しみにしてくれているようだった。
オーディションは1週間後。本来なら、わたしはレッスン室に入り浸っていた方がいいのだろうけれど。
「レッスン出来ないのはマジで困るから!助けて!」
「……赤点取る前に言ってよ」
「行けると思ったんだよ!」
「わけないでしょ。君、わたしがあれだけ言ったのに、バイト減らしてないし。成長スピードはわたしと同じポテンシャルのくせに、活かし方が下手過ぎる」
「それほどでも〜?」
「調子に乗らないで」
小テストが赤点だったから勉強を教えてくれ。そう頭を下げているのは、わたしにとってある意味では1番の強敵足り得る藤田ことねだった。
わたしが何度忠告をしても、懲りずにテスト前までシフトを入れる人の何を手伝ってやればいいのか。分からない。そもそも、赤点を取ったらレッスンの時間を補習に差し替えるというのは、事前に告知されていたはずだ。どうしてその段階で対策しなかったのか。
「次。赤点取ったり、選抜試験に落ちたりしたら、わたしは君のバイト先に連絡を入れて回る」
「なんでだよ!!」
「言わなきゃ分かんない?」
顔を青くしてわたしの後ろを付いてくる彼女。振り返れば、いつになく覇気のない表情で立っている。
「憧れたアイドルを超える。君とわたし、その意思も相手も同じなんだよ」
「……」
「どちらかが星南を超えた時点で、最高のアイドルである十王星南は死ぬ。その後は、憧れたわたし達の夢じゃなくなるんだよ」
「……」
「わたしと同じ夢を見ているのなら本気で来なよ。そうじゃなきゃ、わたしだって手を抜くよ?」
「……手を抜いたつもりなんかないっての。知ってるだろ、あたしは陽に並ぶようなアイドルじゃねーの」
「逃げるんだ、そうやって。見上げているだけで満足?だったら、わたしは君を買い被っていたみたいだね」
ここまで言ってようやく、藤田さんがわたしを睨みつけた。アイドルらしからぬ瞬間ではあるのだろうけれど、わたしはライバルの闘気を感じるのは嫌いじゃない。
「……ホント、良い性格してるよナー」
「ありがとう。知ってるよ、生憎ね」
本当に、どうしてくれようか。
「わたしからお姉ちゃんの視線を奪おうとするだけで狂いそうなのに、君が勝手にそのレーンから外れそうになるのもまた許せない。理不尽かもしれないけれど、わたしは藤田ことねを真正面から叩きのめしたい」
「……今のあたしに、そこまでの実力がなくても?」
「なくても。わたしにとって、お姉ちゃんがたったの1度でも関心を示したアイドルなら、その時点で敵だから」
「……あー、もう!分かったよ、分かってるんだよ。あたしはそんな自信ないけど、星南先輩や陽にそう言わせる才能がある、カワイさがある!」
「……いいね」
「だったら、あたしが陽ごと先輩を超えてやる!それで文句ないだろ」
自信も、根拠も何もないけれど。それでも今まで同級生として高め合ってきた事実だけが、今の彼女の背中を押す。もしのんちゃんと出会わなければ、藤田さんの方が先を進んで行ったかもしれない。
「というか。どうしてそんなに才能があるのに、わたしが評価するのに、まだ自信ないの?」
「……はあ?」
「可愛いんだから、そのまま走ればいいのに」
「……陽はさ。変わったよな」
「そうだね」
「だからってストレートに褒めてくんなよな!!耐えられないんだわ!!」
机に突っ伏した藤田さん。提出するプリント、くしゃくしゃになるよ。
「可愛いものを可愛いと言うのは正しいことなのに、どうしてわたしが言うと駄目なの」
「陽が普段はそういうの言わないからだろぉ……」
顔を上げた彼女の頬は赤く染まっていて、どうやらよほどわたしの発言が効いているらしい。面白いな、わたしの言葉1つで誰かの表情がコロコロ変わるだなんて。美鈴以外にもいたのか。
「藤田さん、動かないで」
「ん〜?」
「……はい。髪、崩れてたよ」
「ありがと」
未だ赤い顔のまま、藤田さんはわたしを見つめている。上目遣いがこうもハマる人、いたんだ。その耳元へ手を伸ばして髪を整えてやれば、すっかりいつもの調子を取り戻したらしい。
その時。教室の扉が勢いよく開かれる。肩を跳ねさせた藤田さんと共にそちらを見れば、目が笑っていない美鈴が立っていた。
「陽ちゃん……」
「……あ」
「あ、じゃねーよ。なんてことに巻き込んでくれてんだアホ」
「今、藤田さんと、何をしていたんですか?」
拝啓、高等部に進学したばかりのわたしへ。
今のわたしは、皆に丸くなったと言わせるくらい親しみやすいらしい。それこそ、恋人に浮気を疑われるくらいには。
「別に、髪を整えていただけだよ。わたしの言葉に一喜一憂するものだから、情緒がね」
「へえ……藤田さんを乱すようなセリフを吐いたと?」
「疑ってるの?嫌だな、君だって分かるでしょ。わたしが、藤田さんに抱く感情なんて、1つしかないんだから」
「なんでお前は火に油を注ぐようなことしか言わないんだ」
「陽ちゃんが、藤田さんに抱くもの……」
美鈴の足音がカウントダウンのように響く。肩をすくめる藤田さん、平静のわたし。
「……あぁ、なるほど。それで、わたしの王様は、わたし以外のアイドルに、どうして発破をかけるのでしょう」
「発破も何も。わたしはわたしが真っ向から叩き潰したい相手が赤点で出られませんとか、そんなお笑い要らないだけなんだけど」
「ねえコレあたし邪魔だよね!?出た方がいい!?」
「君は早くプリント埋めなよ」
「はい……つーか、誰のせいでこうなってると思ってるんだよ」
「わたしかもしれないけど、そもそも藤田さんが赤点を取らなきゃ良かったと思うんだけど?」
「はい……」
全く。そもそも、藤田さんだってやれば出来る天才タイプなんだから、たまにはやる気を出せば良いのに。なんて、わたしや美鈴に言われたくないだろうけれど。
「それより美鈴、何か用だった?」
「はい。会長とプロデューサーが次のお仕事についてお話したいことがあるそうで。今からいいですか?」
「うん、行こう」
「陽」
「なに?」
「ありがと。今度お返しするわ」
「百点でお願い」
「高っ」
「出来ないの?」
「やります、頑張ります」
「うん、精々頑張って」
「……っし」
わたしは多分、人に物を教えることは向いていないのだけれど。それでも、わたしのような人間が評価した内容を、疑わないでいてくれる人もいる。だからわたしも、素直なまま意地を張らないで伝えればいいだけ。
「……分かってはいるけれど、苦労するよね」
「なんのお話ですか?」
「何でも。美鈴こそ、良くないよ。気にしてもないくせに、藤田さんのことを困らせて」
「まぁ……藤田さんなら、陽ちゃんの興味の範囲内だと思ったからこそ、ですよ」
「心外過ぎる」
「でも事実でしょう?」
ある意味信頼がないことは伝わった。わたしが悪かったからその目をやめてほしい。
「ところで……わざわざ2人が呼び出すの、珍しいね。そんなに大事な仕事?」
「わたしも詳しく聞いていないのですが……どうやら、他事務所からのオファーだそうですよ?」
「……は?」
「陽ちゃん相手に、直接です。その内容はどうぞ、プロデューサーにお聞きください」
のんちゃんの待つ部屋に向かえば、やたらと仰々しく手を組んで待つ2人がいた。ゲンドウか。
「陽ちゃん、お待ちしておりました」
「……別にいいけど、なに、そのポーズ」
「これは雰囲気です。どうぞ、お掛けください」
世界を守るために戦えと、そう言われそうな空気ではないことがせめてもの救いか。変なところでノリが良い2人を組ませるのはこういう事故を起こすんだな。
「陽ちゃんにお仕事です。283プロダクションのアイドルはご存知ですか?」
「え……うん、まぁ。新進気鋭のアイドル事務所だよね。それが?」
「そちらに所属するアイドルユニットから、コラボライブイベントのお誘いが来ています」
N.I.Aの決勝を控えているというのに、そんな大きなイベントに誘われているだって?
「N.I.Aは……」
「あぁ、もちろん決勝を待っての内容ですよ。陽ちゃんは夏季H.I.Fをスキップするでしょう、その時期です」
「……いいの?わたしが、星南の3連覇をただ眺めていても」
「ええ。だって、その方が燃えるでしょう」
何もかもお見通しってわけだ。うちのプロデューサーは、相変わらず容赦がない。
「ところで、わたしが断るとは思っていなかった口ぶりだけど」
「だって、陽ちゃんが好きそうなユニットですよ」
のんちゃんの口から放たれたユニット名は、確かにバラエティーやライブの映像を観た時に惹かれたユニットだった。もしかしてわたし、のんちゃんにはもう何も隠せないのでは。怖いよ、この人。
「ところで陽ちゃん」
「うん」
「今日はレッスンの予定ですが、どうしてまだ向かっていないんですか」
「……」
「目を逸らさない」
分かってるよ、十分ね。
でも残念、わたしにN.I.Aへの熱意はもう期待しない方がいい。
白草月花に勝つ。N.I.Aで優勝する。これは、今のわたしの通過点であり、決定事項だから。
「……たまには3人でレッスンでも行く?」
「いいわね、美鈴は?」
「嫌です」
「だって、お姉ちゃん」
「待ってくださいやっぱり行きます」
「行くんじゃん」
「……揃ってレッスンだと、もしかして私それ見てないと駄目です?」
「そうかも。ほら、行くよ」
白草さんにも、美鈴にも、燕にも、藤田さんにも。誰にも負けてなんかいられない。
だってわたしは、お姉ちゃんの1番好きなアイドルで居たいから。その視線の先に居たいから。まだ何も始まっていないのだ。