インポテンツ提督がヤンデレ鎮守府を切り抜けるようです   作:赤目のカワズ

11 / 19
第11話

朝潮との事の次第を話した途端、彼女は単刀直入に言い放った。

 

「自業自得よ、この馬鹿」

 

「うぐっ……」

 

 秘書艦の言葉が胸を突く。

 彼女との付き合いはそれこそ鎮守府当初から始まったものであるが、鋭く尖った棘のような物言いは、毎度の如く俺の心をざわつかせた。

 蛇に睨まれた蛙とて、ここまで一方的にはしてやられないだろう。臓物が浮かび上がるような居心地の悪さに苛まれ、脳裏を朝方の出来事が過ぎる。

 事件はそれこそ鶏鳴も騒ぎ立たぬ朝っぱらに起こった。耐えがたい羞恥と、忍びがたい衝撃から一夜が明け、朝潮の追及から辛くも逃げおおせた俺を夜明けの光が包み込む。温かみに溢れた窓越しの日差しは、目を覚ましたばかりの俺を称えるかのように光り輝いていた。上官としての矜持や、それに連なる諸々の感情を損なわずに勝利を収めた俺にとって、その眼差しは決して安くない報酬と言える。

 しかし、ぼやけた視界を擦るようにして覚醒させた俺は、未だ己が曙光の差しこまない奈落の淵にいるのだという事を再確認する事となった。

 朝潮が、いる。

 

「あさ、あさしっ」

 

「おはようございます、司令官!」

 

 吃りをもって情動を発露させるに至る俺を、朝潮は極めて冷静な風を装って出迎えた。カーペットに正座する彼女はいやに小動物めいて、まるで最初からそこに居たかのように風景と同化している。彼女の理路整然とした態度とは裏腹に、明け方の俺の頭は、目の前の出来事を処理し切れず機能不全を起こしていた。

 口の中に浮かび上がっては消えていく言の葉のせいで、俺自身と現実世界との距離は一層引き離されていく。吃りでうねった水泡が海面で弾け飛び、身体が水中深く沈みこんでは一向に浮上しない。

 活路を見いだせないのを良い事に、勝手気ままに世界が回りだしたのはその時だ。

 

「お召し物は、あちらに用意してます!」

 

「お、おお、あ、ありがとう……? いやいや、違う違う! 何故お前がここにいるんだ朝潮!? ここは俺の私室だぞ!」

 

「扉が、開いていたんです。自室に鍵をかけ忘れるほどにお疲れの御様子である事は容易に想像出来たので、勝手ながら、身の周りの整理をさせて頂きました!」

 

「……誰のお陰で疲れたと思って……ああ、もういい! 何か色々と疲れた! 世話をかけたな!」

 

「いえ! 当然の事をしたまでです!」

 

 舵取りの誤りが、千鳥足な轍を残す。今回の事でそれを酷く痛感した俺は、朝潮と話し合いの場を設けるべく決意を新たにした。とはいえ、その機会は今ではない。今はもう、本当に疲れた。

 俺の内情を反映するかの如く、ベッドのシーツがぐしゃぐしゃに歪んでいる。寝ぞうの悪さは折り紙付きであったものの、今度のそれは殊更酷いものだ。

 ベッドから抜け出した俺は、朝潮が用意したのであろう着替えに手を伸ばしかけ、そこで動きを止める事になる。

 

「……朝潮? 何時までもこっちに視線を向けられていると、その、何だ。着替え辛いんだが」

 

「いえ! 緊急事態に備え、ここで待機しています!」

 

「顔真赤にして言う台詞じゃないだろうが! そもそも緊急事態って何だ!?」

 

 朝潮を追い出した所で、俺の心が休まる時はない。

 一通りの身支度を済ませた後、静寂に慣れつつあった空気は再び流出した。扉の隙間から、朝潮がひょっこりと顔を覗かせる。

 

「司令官! 今日の朝食は和一色です!」

 

「だー! 分かった分かった! 腹が減ってるんだろう!? 俺もそうだからさっさと行こう!」

 

「僭越ながら、お供させて頂きます!」

 

「そう畏まらんで宜しい! たかだか一緒に飯食うだけだぞ!」

 

 朝食後、当直の遠征の任に就いた朝潮と別れた俺は、溜息をつくのもそこそこに、急ぎ足で執務室に向かう事になる。知らず気が塞いでいるのは、朝っぱらから朝潮に絡まれたからだけではない。

 当初の予定通り、俺を待ちうけていたのは罵声の一言であった。ここで話は冒頭に戻る事となる。

 腹蔵を感じさせない物言いは時として親近感を抱かせるものの、行き過ぎれば耳に痛いものばかりだ。

 

「あんたね……駆逐艦連中にはそれこそ純粋な娘が多いんだから、真に受けちゃうでしょ? 言葉を選びなさいよ、全く」

 

「しかしだな! 朝潮の方にだって非があるだろう!? 俺もガキじゃないんだ、一から十までやってもらう必要はない! それこそ、背中を流す必要なんてどこにあったんだ!?」

 

「否定から入る男は嫌われるわよ」

 

「む……」

 

「言葉に詰まった途端黙りこむ癖も、直した方が良いわね」

 

「む、む、む……!」

 

 続々と殺到する毒舌に、待ったをかける暇もなく言い負けてしまう。

 燦々と光り輝く日光を十全に取り込んだ筈の執務室も、冷え込みつつある秘書艦との関係を受けてか見かけ倒しの温かさしか生み出さず、暖気に歯を震わすといった錯覚さえも生みだす結果に至る。

 一方的な舌戦にしてやられた俺はせめてもの抵抗とばかりに唇を尖らせるも、綽綽とした余裕を見せつける秘書艦の前には無力に等しく、彼女はそれを一笑の元に嘲笑った。

 吹雪型五番艦、叢雲と称される少女との出会いは、当鎮守府に初めて足を踏み入れた時にまで遡る。特徴的な色合いのロングヘアは人の目を引きつけるが、彼女を一層際立たせたのはその角立った物言いだった。

 曙や霞といった面々ほどではないにしろ、上官に対する態度とはとてもじゃないが言い難い。

 

「む、む、む、じゃないわよ! 今から昨日の報告を行うから、心して聞く事! ったく、顔くらい出すと思ってたからずっと待ってたのに、そのまま寝ちゃうなんて信じらんないわね!」

 

「そ、そうだったのか? いや、そのだな、もう夜も遅かったし、てっきり寝てしまっているものだとばかり……」

 

 そこでようやく、言い訳まがいの気遣いは要らぬお世話であったと気付かされる事になる。

 叢雲はしばらく目を瞬かせていたが、やがて怫然とした湧きたつ怒りに駆られると、

 

「あのねぇ……もし私がミスをしていたら、それはそっくりそのままあんたの責任になるのよ!? 何か不手際が無かったか早く確認してもらわなくちゃ、こっちは気が気がじゃないわよ!」

 

 彼女の告白に忸怩たる思いを募らせた俺は、頭を深く下げた正式な謝罪を試みた。

 深海棲艦との戦いはそれこそ先の見えないもので、情勢の不確かさが彼女に強いた負担は、相当の物であったに違いない。遠征や出撃こそ中止させていたものの、彼女の心労を取り除くにあたっては微々たるものに過ぎなかったのであろう。

 明日は淵瀬とも言う。何時揺り動くかも知れない現状をいっぺんに取り仕切る事になったのだ、彼女が怫怫と感情を露わにするのも当然の成り行きであった。

 上官のあられもない姿に叢雲は当惑の表情を際立たせたようで、歯切れの悪さが目立つようになった事を皮きりに、険のある言葉が尻すぼみになっていく。

 

「ちょ、仮にも提督が、そう易々と頭を下げるもんじゃ……」

 

「すまん。叢雲になら任せられると思っての事だったんだが……大分、苦労をさせてしまったみたいだな」

 

「っ、ええそうよ、大変だったんだから! とりあえず、今後今回みたいな形で鎮守府を離れる時があった際、代理は私に一任する事! 私でもてんてこまいだったんだから、他の娘がやったらまず間違いなく鎮守府の運営に支障をきたすわ」

 

 その言葉に思わず顔を見上げるも、途端に叢雲はそっぽを向いてしまった。

 彼女はそれこそ居心地悪そうに視線を彷徨わせていたが、やがて顔を強張らせながらこちらに向き直る。今度はこちらが動揺を露わにする番だ。

 

「何よ。おかしい事でも?」

 

「い、いや。お前がそう言うのであれば是非とも任せたいと思ってはいる。しかし……大丈夫なのか?」

 

「……ねえ、どうして私を代理に選んだんだっけ?」

 

「それは、お前が経験のある初期艦だったからだが……」

 

「でしょ? 今度は、しっかり勤めあげてみせるわ」

 

 その言葉に並々ならぬ決意を感じ取った俺は、それ以上の追及を打ち切った。

 彼女がここまで言うのだ。元より何かしでかすなどとは露にも思っていないのだから、こちらとしても安心して任せる事が出来る。

 実際、彼女から受けた報告は非の打ちどころのないものであった。関係機関との七面倒臭い折衝たるや、目に見張るものがある。

 疾しい自尊心との鬩ぎ合いに競り勝った俺は、諸々の書類を読み終えると、彼女に労いの言葉をかけた。

 

「流石だな」

 

「そう言ってもらえると肩の荷が下りるわ。さあ、今日も仕事よ仕事。さっさと取りかかりましょう?」

 

「待て待て待て。お前には頑張ってもらったばかりだし、今日は代休に当てるつもりだったんだ。それに、当直の秘書艦は赤城……そういえば、朝からあいつの姿が見当たらんな」

 

 はたと思いついた俺は首を傾げる。

 平時であれば延々と居座る勢いで朝食を貪り食っているというのに、食堂に彼女の姿はなかった。

 テーブル一杯に広がった食事を平らげてから一日の業務に手をつける事を考えれば、あの時間帯に彼女の姿を見かけないというのもそれはそれでおかしい。

 ふって湧いた疑問を氷解させたのは叢雲であった。彼女はこちらに連絡が回っていない事に大層驚いたようで、

 

「あら、聞いてないの? 彼女、今日は具合が悪いから休むそうだわ。人伝手になっちゃったけど、私が代理業務を報告する手筈なのは分かっていただろうから、たぶんその関係で回ってきたのね。他の娘達の都合を考えれば、私がもう一度秘書艦を務めるのが適任でしょう?」

 

「お前の負担の事を考えると、諸手をあげて賛同は出来んが、今日は出払ってる奴も多いからな。まあ、仕方あるまい。それにしても、直接言いに来ないぐらいだから、赤城の体調も相当酷いんだろう。明日は槍が降るかもしれんな」

 

「あんたって奴はホント口が減らないわね……その一言多いのも改めた方がいいんじゃない?」

 

 再三に渡るこちらを嗜めるような態度に、堪忍袋の緒が臨界点を迎えるのも無理は無かった。自然と声色が過激な色合いを見せる。

 

「っ、ええい! 前々から言っておきたかったんだが、お前は俺の母親か!」

 

「一体どれだけの付き合いと思ってるの? 大体、何度言われても直そうとしないあんたが悪いんでしょ!」

 

「ほほー、何時言ったって!? 何年何月何日何曜日何時何分地球が何回回った日!?」

 

「うわ、このクソガキ! そもそも、アンタはズボラ過ぎなのよ! 壊れかけの奴なんて何時まで使ってる気!? 金をかけるべき所にはしっかり金をかける! みずぼらしいったらないわ!」

 

「ネチネチネチネチ! それじゃあ明石に頼み込んだ意味がないだろ! 壊れたっていうならまた直してもらうさ! そもそも、誰がクソガキだ! 自分の貧相なボディを鏡で見てから出直してこい! このペチャパイ女!」

 

「あ! 言ったわね! 今、言ってはならない言を口にしたわね!」

 

「自覚があるだけ大したもんだ! 見直したぞ!」

 

「このすっとこどっこい! もう許さないんだから!」

 

「いひゃいいひゃい! くひを引っ張るな! 暴力反対!」

 

「自業自得よ、この馬鹿!」

 

 こうして稀に見る形でその火ぶたを切った激戦は、両者共に譲らぬ消耗戦にまで縺れ込んだ。

 やいのやいのといった言いあいから始まり、遂に叢雲は実力行使という名の暴挙に打って出る。紅潮した彼女の頬が、その高ぶった感情の度合いを如実に表していた。

 これは不味い。やがて、このままでは不利益を被るだけであるという事実に行き着いた俺は、停戦交渉の席に着かざるを得なくなる。

 

「ここ、ここ、ここらで一度、休戦だ!」

 

「はぁ? 別に疲れてなんかないわ。良い機会だし、あんたとはとことんやってやるんだから!」

 

「ぐっ……いやいや! やるべき仕事も溜まってる! お前がわざわざ秘書艦の任に就いてくれるというのなら、これほどありがたい事もない! 何と言ったって初期艦だからな! 俺も信頼して仕事を任せる事が出来る!  ああ、ほんと、初期艦様様だ!」

 

「ふぅん? 成程、そういう魂胆? 逃げるのね!」

 

「か、艦娘に取っ組み合いで勝てる筈ないだろ! 」

 

 捻りだした逃げの一手を、叢雲は勝ち誇った笑みをもって迎えた。

 歯がゆい話だが、いくら手加減されているとはいえ、さしもの俺であっても艦娘の一気呵成には防戦する事で手一杯だ。

 手心を加えられているというだけでも矮小な自尊心を擽られるというのに、持久戦に持ち込まれたともなればこちらの手傷は増えるばかりで、ひとえに百害あって一利なしという奴である。

 彼女はと言えば、相も変わらず綽然とした態度をもってこちらを見つめていた。事ここに至っては、主導権は彼女に掌握されたと言って等しい。

 悔し紛れの言い訳さえも許す事無く、とうとう彼女は勝利を手にする事となる。

 

「……ま、さっきの言葉に免じて、今回ばかりは見逃してあげるわ。あんたが私の身体をどう見ていたのかについては後々話し合うとして、ね」

 

「見逃すとかいって、その実水に流そうとかは更々考えてないんだな……。む、叢雲は欲しいものとかないのか?」

 

「ふん、あんたが用意出来る程度のものだったなら、疾うの昔に手に入れてるわよ」

 

 その言葉によって絶望の淵に立たされた俺は、脱力しきった肢体を無理矢理執務机に座らせた。

 一片たりとも活力の見出せないままに書類に目を通していると、傍らに侍る初期艦の一睨みが身を硬直させる。

 間髪いれず、鉄骨を縫いつけられたかのような真面目さを俺の背中が装い始めたのが幸いしたのか、叢雲はそれ以上の追及に手をつけるような事はなかった。

 冷たい視線には何とも形容し難いものがあり、一時であれその場を凌ぐ事に成功した俺は深い安堵の溜息をつく。しかして、その安寧も長くは続かなかった。

 あれほど舌戦を繰り広げた後なのだ、再び言の葉に口をつけた叢雲に、思わず身構えてしまう。

 

「……い、一応言っておくけど!」

 

「お、おう。ど、どうかしたか?」

 

「手を出してしまって事自体は、悪かったと思ってるのよ。ちょっと、興奮し過ぎたわ」

 

 珍しくも飛び出た彼女の素直な謝罪に、当初俺は驚きを禁じ得ないでいた。

 その為か、一歩遅れる様にして相槌を打つ。

 

「あ、ああ。まあ、俺も、言い過ぎた部分があった。すまなかったな」

 

「……あんたには、その、朝潮の件にしろ、私にしろ、自分の言い分を通したいなら都合の良い道具が揃っているってのに、なかなかどうして、私も甘えてしまってるわね」

 

 申し訳なさげに本音を露わにした彼女は、すぐさま罰の悪そうな渋面を浮かべる事となった。

 失態を演じたのは彼女ばかりでない。それまでとは趣の異なる動揺に我を忘れ、聞き逃しておけばよかった話題をわざわざ舌の上に乗せる。

 気付けば俺は咎めるような視線を帯びて眉を顰めていた。叢雲がそのような立場に立たされる理由は何一つないにも関わらずだ。

 

「叢雲、それは」

 

「ふ、ふん! 言っとくけど、今でもこの件に関して大淀は納得してないわよ。ま、当然だけどね」

 

 彼女の性格を鑑みればここで意地になってしまうのも当然の成り行きで、胸一杯に広がる罪悪感は俺を盛大に苦しめた。

 かつて、俺が提督になる前の話だ。俺の権限で取得出来る情報によれば、艦娘と呼ばれる新兵器が世に現れ始め、当時劣勢に立たされつつあった日本国が徐々に反撃の糸口を模索しはじめた頃、彼女達は丁重に扱われ、それこそ軍部との関係も良好であった。

 だが、量産化の目途が立ち、彼女達がはいて捨てる程の個体数を誇るようになってからというものの、徐々にその間にはズレが生じていったという。

 勝つために、人類を守るために、自分の家族を守るために。聞こえの良い言葉を盾前に、比較的建造コストの低い艦の切り捨てや大破状態での進撃も辞さないといった扱いが行われるようになり、言葉持つ兵器は声を上げることもなく海の藻屑へと消えていった。当時は艦娘の人権も軽視されており、今のような抗議団体も存在しなかった。

 このような扱いが増えた大きな要因として、当時の艦娘の基本設計にアイザック・アシモフのロボット三原則が組み込まれていた事が上げられる。

 提督の地位にある人間の言葉であれば、彼女達はどのような命令も聞いたし、どのような些細な事にさえ逆らえなかった。それこそ、反吐が出るような行為まで行われていたという報告もある。

 当初こそ人の形をした彼女達を沈める事に罪悪感を覚えていた者たちも、上層部からの指導を受ける内に、次第に神経が麻痺していったという。これはミルグラムの実験やアウシュビッツの例から見ても分かる通りだ。

 事態が急変したのは、艦娘を一個の生命体として捉えるか否かといった議論が起こった事と、それと相反するように、彼女達が自身を故障と定義し、三原則から逸脱した行為を取るようになった事だ。

 事態を重く見た上層部は彼女達の基本設計を一新し、ロボット三原則はある程度緩和された。又、妖精というある種の独立機関が建造に関する諸々を一手に司るようになったのも、この頃からの事であると聞く。

 これらの決定により艦娘を紛争地域に投入するなどといった新たな論争が巻き起こってはいるが、一軍人たる俺がどうこう言える問題ではない。

 俺に出来る事は、一人の人間として、彼女らと信頼関係を作っていく事にある。ある程度の自由を保障されている今の彼女達は、過去のしがらみから現代の提督に付き従っているに過ぎないのだ。

 だが、このような経緯をもってしても、艦娘を自分達の都合良く運用しようといった考えが無くなる事はなかった。

 洗脳装置である。

 

「大なり小なり周囲と齟齬が生まれるから記憶の改竄はリスクが高いし、例えば深層意識への刷り込みなんてのは再び故障を起こす事への危険性からそこまで強いものは設定できないようになっているけど、些細な口答え程度であれば無くせるだろうし、戦場においても、勝利を目前にした者には確実に作用するでしょうね、それこそ自身の損傷を顧みる事もなく。全く、とんだSFね」

 

 ただ事実を事実として述べるに止めた叢雲から、感情の機微を窺い知る事は出来なかった。

 この事実を一介の艦娘が知る事は無い。情報取得者がメンテナンス担当の明石、大淀、初期艦といった面々に限られているのは、機密が漏れる事によっていらぬ詮索が起こるのを防ぐためである。

 洗脳と一言で言っても、それは何も頭蓋をかち割って脳味噌に直接電極を刺すようなものではなく、或いは催眠と言ってしまっても差し支えのない代物である。

 映像と音声、並びに薬品を併用する事となる妖精謹製のそれは詳細こそブラックボックスと化しているものの、使用の有無が発覚しない事を命題としている関係上、必要以上艦娘の脳味噌をいじくる事をよしとしなかった。装置の開発が始まった頃にもなると、艦娘の建造に上層部の意向があまり及ばなくなっていたのも大きな要因として上げられる。

 本来装置の使用は積極的に推奨されているもので、運用を踏みとどまった今になっても、その選択に対する全員の賛同を得られたとは言い難く、実際この件に関しては叢雲も含む所があるようだった。

 

「……お偉方が突然やってきて、メンテ不十分で使えませんでは元も子もないからな。メンテナンス費自体は計上しているが、本音を言うのであれば、資金をプールして設備投資や資材購入に回したいぐらいだ」

 

「そこまでにしときなさい。ふん、あんたのダブスタもここまでくれば一級品ね。いい加減イライラしてくるわ。あんたは結局、私達の事を一個の兵器として見ているの? それとも一つの生命として捉えてるの? 非道になりきれないなら、さっさと提督なんて辞めてしまえばいいのよ」

 

「甘い事は重々承知済みだ。だが、俺には俺の流儀がある」

 

「ハッ、笑えるわね。世の中勝ってナンボよ。汚い事をしようが、何を言われようが、最後に立っている者こそが勝者だわ」

 

「それではかつての軍のやり方を認める事になる。兵器には兵器なりの生き方があるし、俺がここの指揮を預かっている間は誰にも文句を言わせはしないさ。勿論、お前にもな」

 

「…………付き合ってられないわね」

 

 叢雲の厳しい追及に、俺は断固として首を縦には振らなかった。

 もはや論争は後戻りの出来なくなるほどまでに煮詰まっており、この件に関し叢雲は頑なにその立場を崩そうとしない。

 こうなる事は両者共に織り込み済みであったが故、一度話題に上がってしまったが最後、拳の下ろし所は知らず知らず行方不明となる。

 彼女は苛立っているようだった。唐突に席を立った叢雲は、高ぶった精神を諌めようとしてか、備え付けの電気ポッドへ足を運ぶ。

 設置の都合上、彼女は後ろ姿ばかりを映すようにして佇んでいた。その何処となく哀愁を帯びた背中に、俺は何も言いだせなくなってしまう。

 暫くして、金剛お墨付きのティーカップと共に叢雲が席に戻る。湯気立つ片割れを差しだしてから、彼女はこちらに遠慮する事無く口をつけた。芳しい香りで鼻腔を擽るそれは、朱色を伴って佇んでいる。

 

「飲まないの?」

 

「あ、ああ。まだ、熱そうだからな……」

 

「あ、そう」

 

 叢雲の言葉を、俺はやんわりと退けた。それを飲み干せば最後、彼女の見せた優しさに絆されて言うべき言葉の数々を全て嚥下してしまいそうだったからだ。

 しかし、飲もうが飲むまいが事態が進展する事のないのは明らかであったし、事実、俺はどのような言葉をかけるべきか見当もつかなかった。

 結局の所、叢雲は俺の方針に疑問を呈しているのであろう。戦績こそ問題はないものの、何時までもボロを出さずにいられる訳でもない。

 西村艦隊の件にしてみても、問題が発覚した初期段階において装置の使用に踏み切っていたならば、武蔵と扶桑の関係が悪化するような事もなかった筈だ。後手に回り続ければ、その行く末には破滅が待ち構えているのは目に見えている。

 確かに、提督になるまでの道のりにおいて、兵器を正しく運用するための心得はさんざっぱら学んだ。曰く、アレは、女ではない。ただの鉄の塊であり、人の皮をかぶった兵器に過ぎない。

 下世話な話、俺の息子が何時まで経ってもそれらしい反応を見せないのは、どこか心の中で、彼女達を人として見る事が出来ないでいるからというのもあるだろう。

 しかし、そればかりが真実ではないと俺が捉えているのも事実である。曰く、彼女達は、人である。彼女たちは文字通り生きているのであって、稼動している訳ではない。その生まれは兵器であったとしても、彼女達を人として捉える必要がある。

 まあ、下世話な話、彼女達をあまりに神聖視するあまり、絶対に手を出してはならぬといった強迫観念にも似た何かが、自ずと男としての機能を停止させている可能性もなきにしもあらずだが。

 兎にも角にも、後者の捉え方を大きく採用している俺にしてみれば、洗脳装置などといういかがわしい存在を許す筈がなかったのだ。この点においては、元よりあちら側の立場である大淀や、あまり賛成的でない叢雲にも譲るつもりはない。

 そうして確固たる思いを新たにした俺であったが、唐突に叢雲の言い放った言葉の前には流石に動揺せざるをえなくなる。叢雲は暫し躊躇いを帯びた口調を続けたが、やがて、

 

「…………ねえ、その、あんたは、わわ、私の事、どう思ってるの?」

 

「ば、ばばば、馬鹿! いきなり、何を言いだすんだ!」

 

「べ、別にそういう意味じゃなくて! さっきも似たような事を言ったけど、そういった道具もあるんだし、私が気に喰わないなら、使ってしまえばいいのよ。きっとその方が、鎮守府を運営するにあたって効率的だわ。私は、その、自分の思った事はすぐに口に出ちゃうし、あんたも、部下にそういう扱いを受けるのは気持ちいいもんじゃないでしょ?」

 

「ちょ、ちょっと待て。まさか、お前がこれまで装置の使用を勧めて来たのは……」

 

 あんまりにも頓珍漢な物言いに、俺はすっかり肩の力が抜けてしまった。深い溜息が吐きだされる内に、叢雲をここから叩きだしたくなるような思いに駆られる。

 紅茶に口をつけたのは、そういった衝動的な思いに蓋をするためだった。途端に真面目な思考は放棄されてしまったようで、口を開く事にさえ煩わしさが伴う。

 

「あのなぁ……どこをどう間違えたら、自分を洗脳しろだなんて考えが出てくるんだ?」

 

 まさかと思うが、彼女は自分の性格に負い目を感じて、それでこれまでそういった手段に出る事を提案し続けてきたのだろうか。

 それは、あまりにも馬鹿らしいし、あまりにも愚かな考えでしかない。しかし、叢雲にしてみれば、事はそれなりに深刻であったようだった。

 

「だ、だってそうでしょう!? 間違ってるなら、修正しなくちゃいけないわ! ゆっくり、じっくり、それも誰にも分からない形でそれが出来るなら、尚更よ!」

 

「俺はお前の性格を好ましいものと思ってるし、間違ってるとも思わん。そりゃ、反抗的な態度が鼻につく事もあるが、それが一切取り払われた叢雲なんざ、考えただけでぞっとしないな。全く、そんな訳の分からん事でこれまで反対してきたのか? 馬鹿らしくて怒る気にもならん」

 

「ちょ、頭抑えつけないでよ! 髪型が崩れるじゃない!」

 

「ええい、黙らんか! 訳の分からん理由で何時までもぐずぐず悩んでいたとはお前らしくもない! そもそもだ! 俺の性格を考えれば、そんな馬鹿な話採用する筈もないだろう! 全く…………俺は、素のお前たちが好きなん、だ!」

 

「私だって馬鹿な話とは思ってるわよ! でも、でも!」

 

 もはや、言葉をもって、語り合う事さえも、馬鹿らしくなった俺は、彼女を無視するようにして、更に、紅茶を、あおった。阿呆、過ぎる。馬鹿としか、言いようがない。

 

 もはや、釈明の余地さえ、与える、つもりはなかったものの、彼女の必死な形相を、見るにつれて、同情の念、が募ったのも事実で、俺は、あえ、て彼女の言葉を待った。

 

「――――だって、こんな馬鹿な話でもしないと、それ、飲んでくれないでしょ?」

 

「…………?」

 

 しこうが、ゆれる。

 とにかく、ねむい。

 

「大丈夫。心配は無用よ。元々人間用じゃないからか、そこまで効果はないの。それに、私もね、同意見なの。素のあんたが好き。大好き。本当よ? だから、誰を嫌いになれとか、誰を愛せだとか、そんな事を埋め込むつもりはない。思考を修正するつもりもない。だって、ありのままのあんたが好きなんだもの。ただ、ちょっとだけズルをするだけ。初期艦の役得だもの。利用しない手はないわ」

 

「……、…………、…………」

 

「誰にも文句を言わせはしない。あんたと同じよ。たとえやり方が間違っているのだとしてもね」

 

 しかいが、

 

「ちょっと!」

 

「――――――――?」

 

 叢雲の声が、意識を浮上させる。どうやら、いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。

 外は、すっかり、帳が落ちていた。どうやら、叢雲と一緒に遠征班の報告を受けた後、襲ってきた眠気に、屈してしまったらしい。

 

「…………俺は」

 

「いくら眠気が襲ってきたからって仕事を放棄して眠り出すなんて、いい身分よね!」

 

「…………ああ、そうか。そう、だったな。すまなかった。起こしてくれても、良かったんだぞ」

 

「あ、あんまり気持ちよさそうに眠ってたから、起こし辛かったのよ!」

 

「はは、叢雲は優しいな」

 

「な、何よ! いきなり変な事言いだして!」

 

 頭が少しぼんやりとしている。

 目の前に放置されたままの紅茶に手を伸ばした俺は、へばりつくような喉の渇きを潤した。

 喉元を通った液体は、めっきり冷めてしまっていて不味い。

 暫しその味に舌鼓を打っていると、叢雲がとんでもない事を言いだし始めた。

 

「…………ねえ、その、あんたは、わわ、私の事、どう思ってるの?」

 

「ば、ばばば、馬鹿! いきなり、何を言いだすんだ!」

 

「べ、別にそういう意味じゃなくて! その、どうして私を、提督業務の代理として選んだのかって……。私は、その、自分の思った事はすぐに口に出ちゃうし、あんたも、そういう部下をもってあまりいい気分じゃないと思ってたから」

 

 そう言ってそっぽを向いてしまう叢雲をいじらしく感じた俺は、彼女の頭に手を伸ばした。

 

「ちょ、頭抑えつけないでよ! 髪型が崩れるじゃない!」

 

「何を心配してるのか知らんが、お前は俺の大事な初期艦だ。信頼するのは当たり前だろ? 忘れたのか? いつもの自信満々なお前はどこにいってしまったんだ、全く」

 

「……ふん! 別に不安になってないわよ! 勘違いしないでよね!」

 

 ふと外を見やれば、月に、叢雲が翳っている。

 まだら模様のそれは、やがてその全てを覆い尽くされてしまった。
















攻殻機動隊を読んだの一つ。朝潮は強欲可愛い。
ツンデレとヤンデレのハイブリッドとは、たまげたなぁ。

何で駆逐艦が主役の時は文字数が多いんですかね……? あっ……(察し
すいません許して下さい!何でもしますから!



忙しくて涙出ますよ……。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。