インポテンツ提督がヤンデレ鎮守府を切り抜けるようです   作:赤目のカワズ

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第15話

「夜はいいよね~、夜はさ」

 

 静寂を物ともしない、溌剌とした声。些か興奮の色さえ帯びたそれは、声の主の浮かべる笑みと相まってか、獰猛な獣を予感させた。

 夜。消灯時間を過ぎた鎮守府を、月の優しげな光が包み込む。文明の利器が徒党を組み、眩い光源が氾濫する大都会ではまずお目にかかれない光景である。

 常であれば活気に満ちた鎮守府も、疾うの昔に帳の落ち込んだ時間帯という事もあって、静けさの中にその身を投じている。羽虫の羽撃きが耳元を掠める度、かえってその事が印象づけられた。

 時刻は既に消灯を迎えているのだ、自前の眠気が勢いを増した事もあり、しんとした空気は畳み掛けるようにして瞼に襲いかかってくる。

 

「提督、眠そうだね。せっかくの夜だってのに」

 

「む……そんな事はないぞ。ああ、心配はいらない」

 

 事の発端は、とある警備巡回中の出来事だ。不寝番の報告によれば、深夜鎮守府を動き回る人の気配がある。総員起こしを早朝に控えている以上、艦娘が徘徊しているとは考えづらい。

 無論、考えられる可能性として真っ先に上げられたのが、諜報員や工作員の存在である。日本国の技術をあまねく集めたこの地を狙う者は、限りなく多い。

 こうした輩が鎮守府に忍び込んだ際、鎮守府の致命的な脆弱性はいとも容易く露見する。鎮守府はあくまで対深海棲艦の橋頭堡であり、そうならざるをえない。原因として、艦娘の特性が上げられる。

 艦娘はあくまで対深海棲艦用の兵器である。戦場であれば軽々と鉄塊を担ぎ上げる人外の力も、陸にまで持ち出す事は叶わない。彼女らは人間を害するようには出来ていないのだ。

 勿論、彼女らとて自己防衛本能は備わっている訳だから、緊急の際はその限りでない。しかし、故障した艦娘が辿る末路はあまりにも惨たらしく、残酷だ。

 こうした危険性を鑑み、鎮守府の周囲には幾重もの警戒網が敷かれている訳だが、今回まんまと忍び込んでみせた曲者は余程たちが悪いらしい。

 影も踏ませぬ暗夜行を前に、防犯カメラはあまりにも役立たずだ。怪しい人物は全く映っておらず、真相はまるで判然としない。端から誤認でしかなかったのではないかと疑念を抱かせるには、十分過ぎる結果である。

 しかし、そうした方向性を思考に芽生えさせるのを俺は嫌った。全幅の信頼を寄せる彼女達からもたらされた報告なのである、一顧だにせず切り捨てる事など、出来る筈もなかったのだ。

 

「こういう考えは甘い……のかもしれないがな」

 

「何が? ……もしかして、いや、もしかしなくても、夜戦が!?」

 

「いやいやいや、どこをどう解釈すればそうなる。いい加減なんでもかんでも夜戦に結びつけようとするのはだな……」

 

「夜戦って恋の味だよねー。蕩けるぐらい甘くて、舌ですぐ溶けて……まるでアイスだ!」

 

「お、おう……」

 

 好きが嵩じて何とやらという奴か。肥大しきった夜戦愛好家ぶりは、その表現技巧にまで食指を伸ばしつつあった。正直言って何を言っているのかさっぱりだ。

 俺の心配を余所に、川内型ネームシップ川内、人をして夜戦馬鹿と称される少女は何時にも増してご機嫌の様子で、風を帯びて肩口でしなるツーサイドアップがそれを如実に表している。

 その楽天ぶりたるやこちらが面食らってしまうほどで、先の報告を上げたのと同一人物とはとてもじゃないが思えない。

 語弊を顧みずに言うなら、今回の一件は彼女に起因しているとも取れるのだ。報告時の剣呑な雰囲気は何処へやら、辟易してくる程の通常運転っぷりに、思わず溜息がこぼれる。

 明石を主導として盗聴器や爆弾等の有無を調査中である事からも分かる通り、未だ鎮守府の警戒態勢は引き上げられたままだ。相手の出方が分からず、必然的に後手後手に回っている以上、逼迫した事態にある事に依然変わりはない。いくら人外の力を誇っているとはいえ、もう少しばかり緊張感を持ってほしいというのが実情であった。

 

「ふっふふーん。月光や。ああ月光や。月光や」

 

 とはいえ、ある面においてはそれも仕方のない事なのかもしれなかった。とっくの昔に脱出劇に決め込んでいるであろう侵入者に、強化された周辺の警戒網。連日連夜に渡る警戒態勢は、逆に緊張の糸を損ないつつあった。今回のこれも、軍の規定に沿っての行動に過ぎないという一面がある。

 その鼻歌からも分かる通り彼女も現金なもので、楕円形に広がった光の輪は左右に揺れ、アスファルトの夜道を写し出す。一端の風流人めいた言葉も、彼女の前とあっては形無しだ。

 事実、ライトを弄ぶ川内は欲しかった玩具をようやく手に入れた子供のようでもある。本来であれば窘めるべき所ではあったものの、その無邪気な表情に思わず顔が緩んだ。

 不意に、川内と視線が合う。

 

「んー? どうかした? こっち見たりして。危なっかしいなぁ。夜戦はしっかり前を見てからでないと始まらないよ?」

 

「う、うむ。すまない、そうだったな。俺とした事が……」

 

 思わぬ形で向けられる事となった訝しげな視線を受けて、咄嗟に深く軍帽を被り直す。

 まさか見惚れてたなどと言える筈もない。正しく汗顔の至りという奴で、結果として沈黙が波となって押し寄せる。

 こうして蔓延し始めた閉塞感を払拭しようとしてか、さも妙案を引き当てたとでも言わんばかりに深い笑みを浮かべたのが川内である。彼女はそれこそヘウレーカの大合唱をする勢いで目を輝かせると、

 

「そうだ! それじゃあ私が先行するからついてきて! 遅れないでよ!」 

 

「せ、川内っ、お前一体何を……あっ、こら待てっ!」

 

「よーしっ! 夜戦! 夜戦だ! 5500t級の誇り、見せてあげる!」

 

 唐突に始まった追跡劇に、俺は動揺を覚えながらも足を踏み込む。

 そもそも、本来であれば司令官たる者が艦娘と共に巡回警備に当たるなどという機会は、そうあるものでない。事実上明日の業務を放棄、大淀に肩代わりしてもらう事を考えれば、今宵の巡回警備は酷くリスクを抱えているようにも思える。しかし、そうまでしてでも巡回警備に身を費やさざるをえない事情が存在した。

 鎮守府の統括者には、一時的に艦娘に課せられた制限を解除する権限が与えられている。勿論、行使する際には事前の申請や心理カウンセリングの受診が迫られたが、これらは当然の義務と言えるだろう。

 場合によっては、艦娘の力を私利私欲の為に使う事も出来るのだ。実際、その手の事例が無かったわけでもない。報告を行った不寝番の片割れ――初風を今宵の警備に伴っていないのも、二人分の申請が通らなかったからによる。

 また、実際の権限行使にも七面倒臭い手順があり、提督自身が艦娘と同行した上での直接指示が必要とされた。

 これらタイムロスは緊急時において致命的なものになり得たが、艦娘という非現実的対人戦力がそうしたデメリットを相殺していた。人の扱えうる武器の全てを持ってしても、彼女達を殺し尽くす事は叶わない。護衛を複数人伴う必要性がないのも、川内一人で全て事足りるからであった。まっこと、彼女達は所詮人のガワを被った兵器に過ぎない事を実感させられる。

 だが、彼女らに振り回される現実を考えると、また異なった印象を覚えるのも事実であった。

 

「はっ、はっ、せ、川内! 待て! 待てと言っているだろうが! 聞こえないのか!」

 

 闇夜に汗を振り撒きながら、当てもなく彷徨う。

 焦燥を煽るようにして活性化した汗腺は、くぐもった笑い声をあげて軍服の内側を蹂躙した。篭った熱が、更に動揺を広げる。

 よりにもよって川内はライトを消してまでこの逃避行に臨んでいた。夜目の効かない分、頼りは自前の灯りのみ。完全なる闇が広がっている訳ではないといえ、必死に追い縋らなければ直ぐにでもその後姿は見えなくなってしまう。

 果たして彼女が立ち止まったのはそれから十分ほど後の事だ。心根疲れ果てた俺を見るに当たって、川内が言い放ったのはあまりにもこの場にそぐわない発言である。

 

「はっ、はっ、はぁ」

 

「ほらっ、前、向けたよね? それに、ちゃんと追ってきてくれた」

 

「いや、前、というよりお前の事しか頭に、だな」

 

 肩で息を切らす。それなりに自信を兼ね備えた心肺機能と健脚も、今回ばかりはてんで役に立たなかった。

 不思議な事に、この時心の内を席巻したのは怒りよりも安堵である。軍人としての責務も上司としての義務もかなぐり捨てて抱きつきたくなる程、川内との再会には心が和らんだ。

 先ほどまであった恐怖も、今となっては霧散して輪郭すらない。手のかかる妹分が闇夜に消えていってしまうかのような焦りが、俺の体を突き動かしたのである。ただの兵器が相手であったなら、艦娘が肉の詰まった人形に過ぎなかったならば、こうはならない筈だ。

 しかし、そうした温かい思いに恵まれたのも最初だけ。沸々とようやくこみ上げてきた怒りを抑えつける気には到底なれず、艦爆よろしく拳骨が振り下ろされる事になるのは当然の帰結であった。

 

「い、いたたたた……」

 

「……勝手な行動を取るなんてどういうつもりだ? いくら夜戦好きって言ってもな、限度ってものがあるだろう」

 

 辛うじて自制は働いたものの、その声は驚くほどの怒気を宿していた。息を潜めた間者に自ら居場所を知らせるような行動に、我ながら頭が痛くなってくる。

 しかして、そうした俺の心理を知ってか知らずか、怒気を孕んだ謹言も彼女の前とあっては馬に念仏。軽々柳に風と受け流した川内は、痛みを滲ませつつも口元を歪めると、

 

「もう、そんな怒んないでってば。もし敵さんが近くにいたら、今ので全部ご破算だよ?」

 

「へ、減らず口を……そもそも、だ。お前、本当に侵入者を捕まえる気があるのか? 全く任務に身が入ってないように見えるが」

 

「え? やだなぁ、勿論あるよ。当然でしょ?」

 

「だと良いが……それと、さっきみたいな突然の単独行動も慎んでくれ。心配するだろうが」

 

「あはは。でもさ、提督がいるから私も突撃出来るのよ。ま、この熱く滾る夜戦魂を抑え付けたいんなら、いっその事首輪でもつけてみないとね」

 

 木っ恥ずかしい台詞を言いはなっただけならまだしも、依然として反省の弁の見受けられない彼女に業を煮やした俺は、一切合財の羞恥を飲み込んで川内の手首を力強く掴み取る。

思わぬ展開に声を上げた彼女を尻目に早口で口上を捲くし立てたのは、顔に差した赤色を必死に誤魔化そうとしての事だった。この場が暗がりに包まれている事を感謝せねばなるまい。

 

「ちょっ、提督?」

 

「……お前という奴は手綱を握っとらんと何をしでかすか分かったもんじゃない。いいか、今日はもう絶対に目を離さんし、勿論勝手な行動も許さん。お前は、俺の命令に従っていればいいんだ。分かったか?」

 

 しかしこの程度で矯正出来ていたならば、彼女も栄えある夜戦バカの称号を受け取ってはいない。

 混乱の波が引いて暫くのち、気を取り直した彼女は、

 

「ふっふーん。甘いなぁ。さっきも言ったけど、首根っこ掴んでみるぐらいの事してくれなきゃ、私の事は止められないよ?」

 

「借りてきた猫でもあるまいし……」

 

「ま、そうでもなきゃもっと強く強く掴んでおく事だね。それこそ、痕がつくぐらい。そうしないと、またさっきみたいにどっか行っちゃうかもね」

 

「うぐっ……何故ここまで余裕でいられるんだ……間違っているのは川内の方である筈なのに……」

 

 どこか言い包められているような錯覚に陥るのは、別に気のせいという訳でもないだろう。

 意気消沈する俺に対し、彼女が空いた方の手を差し伸べてきたのはその時で、浮かべたにやけ面はいっそ清清しい。

 

「それじゃあ、とりあえず手でも握る? あ、別にこっちの手首は掴んだままでもいーよ! 結構、間抜けに映るけどね」

 

「い、いや、さっきのは比喩表現であってだな? 俺の傍さえ離れなければ別に……ああ、それと、つい強めに掴んでしまったが、痛くはなかったか?」

 

 ようやく彼女の手首を離す。

 余程力が篭っていたのだろうか、夜戦続きの生活であっても美しさを損なう事のなかった彼女の細腕には、うっすらとした痕がついていた。川内が否定の言葉を口にしてくれなければ、俺は何時までも罪悪感に囚われていただろう。

 だが、跳ね上がった川内への好感触も、長くは続かなかった。

 

「それで、手、握るの? 握らないの? 私の事、離さないんじゃなかったの? 残念、せっかく提督の命令を聞こうかなーって思った所だったのに」

 

「う、うむ……」

 

「あ、でもやっぱり駄目か。だって、私らの上司は泣く子も黙る童提督だしね!」

 

 とうとう発せられた禁句中の禁句に、頭の中で何かがぶち切れる。腹の底から絞り上げたような唸り声は、正しく怒りの結露だ。

 安い挑発を大枚はたいて買い上げる事に決心した俺は、米神をひくつかせながら川内を抱きしめる。

 

「わっ、何何、どうしたの?」

 

「……いいか、川内。俺の事を女の手も握れないほど奥手な奴だと思ってるようだが……それは間違いだ。分かるな?」

 

 珍しくも面食らった様子の川内を尻目に、俺の心は冷え切っていた。

 何かがおかしいと思っていたのだ、今日の川内のテンションは。夜である事を勘定に入れても、彼女の態度にはあまりにも目に余る所がある。

 考えるに、これら蛮行はある種の復讐から来るものだ。原因を追い求めれば、以前発行した夜戦参加券の存在にまで遡る事になる。

 無論、名ばかりの紙屑が公的能力を有する筈もない訳だが、川内にしてみれば死活問題であったに違いあるまい。確かに俺が悪かった面も否めないが、それはそれ、これはこれ。

 己のアイディンティティを容赦なくへし折った彼女に対し、慈悲はない。決断を迫られた俺は、任務等の何から何までを全て放棄し、個人的な我執をもって直接行動に打って出る。

 そうした俺の態度とは裏腹に川内は酷くご機嫌であったが、果たしてその余裕が何時まで続くか見物である。彼女はしたり顔で頷き返してみせると、

 

「うんうん、提督も一応日本男児なんだね……ってか、首の後ろに腕なんて回しちゃったのはどういう意味? ちょっと、いや、かなりエッチだよね。もしかして……夜戦、夜戦がしたいの!?」

 

「ははは、そりゃ見当違いもいい所だ。俺にそういう魂胆は一切ない。ただ、今からコブラツイストをかけて川内の事を思いっきり泣かせるつもりなだけだしな」

 

「へ?」

 

「そーら、シャイシャイシャイシャイシャイ!」

 

 直後、声にならない悲鳴が川内の喉を駆け上がった。背中、脇腹、腰、肩、首筋を一遍に極める必殺の絞め技は、往年の名プロレスラーが最も得意としたサブミッションの一つである。見る見る内に苦痛に歪む川内の顔つきが、その威力の証左と言えた。

 双眸に涙を浮かべた彼女は、堪らず手のひらを俺に打ちつけ始める。

 

「あ、がっ……、て、提督、ギブギブ……」

 

「よし、それじゃあちゃんと宣誓する事が出来たら許してやろう。出撃編成に勝手に自分の名前をつけ加えない。疲れが残ってる時はちゃんと寝る、勝手な行動はしない、夜中に大声を出して他の奴らに迷惑をかけない、俺の命令はちゃんと聞く。どうだ? 承服しかねるか?」

 

「うぅぅ、それはぁ」

 

「…………」

 

「あたた! 分かった、誓う、誓うからぁ。これからは、全部、全部提督に従うし、勝手な事もしないって。ほんと、やれって言われればなんでもやるし、するなって言うなら絶対しないよ。忠犬川内にこうご期待、まあ任せてみてよ!」

 

「俺に従うか?」

 

「いたた! うん! うん! 従う! 絶対に従う! 提督が私の事を見てる間は、絶対に従う!」

 

「俺が見てる時だけなのか?」

 

「違う違う! 何時も! 何時も提督に従う! そう! 犬! 犬になるから! 従順な犬に!」

 

「よくぞ言ったこの悪ガキめ」

 

 言質をとった俺が腕を緩めると、川内は荒い息を吐きながらぺたりと地面に倒れこんだ。

 前髪がだらりと垂れ下がり、その表情はいまいち掴み取れない。しかし、あれほど騒いだ後であった訳だから、苦痛を伴った皺が未だに顔面に取り残されているのは誰の目にも明らかであった。

 そうなってくると、途端に沸いてくるのが罪悪感である。またしても、またしても武力行使に動いてしまった。熱の引いた頭に、途端に重圧が圧し掛かってくる。

 

「はぁっ、はぁっ」

 

「あー…………その、だ。川内、大丈夫か? いや、コブラツイストなんざ学生時代以来だから技の掛け方なんざとんと覚えちゃいなかったんだが……まさかあそこまで痛がるなんて思いもしなかった。今更だが、その、何だ。俺も少しやり過ぎた。立てるか?」

 

 若葉にしろ川内にしろ言葉で諭す事が最も道理であると分かってはいるのだが、頭に血が上ってしまうとどうにも前後不覚になりやすい。それは、上司たるものとして致命的に成り得る欠点であった。何といっても今回は任務中の出来事である。これでは川内の事をとやかく言えはしまい。

 だが、次の瞬間俺の苦悩はものの見事に裏切られる事ととなった。なんて事はない。俺という奴は、まだまだ川内の事を十分に理解しきれていなかったのである。曰く、川内は所詮川内であると。

 彼女はそれまでの苦痛を感じさせない勢いで立ち上がって見せると、やにわにこう言ってのけてみせた。

 

「熱いね」

 

「は?」

 

「今気づいたんだけどさ。提督、凄い汗だね。あれだけ走ったんだから当然か。手、ベタベタ、それに体も火照ってるし……ははぁん、それだけ私と夜戦したいんだな? しょうがないにゃあ……いいよ! 私と夜戦しよ!」

 

「せ、ん、だ、い……これ以上何か言うと、首輪どころか猿轡もつけて口きけなくしてやるからな……」

 

 先ほどまでの苦痛に満ちた表情も何処へやら。ころっと笑顔を浮かべてみせる川内に、罪悪感も瞬く間に霧散する。結局、川内は川内でしかないのだ。そう簡単に変わるものではない。

 とはいえ、その表情からは全くもって窺い知れなかったが、ほんの少しは反省する気になったようで、

 

「あはは! 嘘だよ、う、そ。もうしないから心配しないで。だって、川内は犬なんだから。飼い主には良い顔しなきゃね」

 

「またそれか。どうせ飼うならもっと愛嬌のある小型犬がいい。それに、じゃじゃ馬はこりごりだ」

 

「つれないなぁ。今なら何だって聞いてあげるのに。勿論、夜戦と引き換えにね?」

 

 言葉でこそ従順を示したものの、それ以後も川内は普段通りの印象を振り撒いた。もはや破綻したと言わざるを得ない巡回警備の再開後も、彼女の夜戦癖はまるで直らない。

 不知火直伝の絞め技が日の目を浴びる事になるのも、そう遠い光景ではないのかもしれなかった。

 

「全く……さっきの事も含め、こんな夜更けに元気なのはきっとお前ぐらいだろうよ」

 

「えー? だって、夜だよ夜! 提督は楽しくないの? つっまんないなぁ」

 

「馬鹿言え。もはや意味を成しちゃいないが、こいつも大切な任務の一つだったんだ。楽しいどうこうの問題ではない」

 

「はっは~ん、もしかして提督、怖いんだ?」

 

 挑発的な視線だ。小憎たらしい笑みが輪にかけてそれを印象付ける。どうやら、まだ懲りないらしい。

 

「……それこそあり得ん話だな。俺にはお前がついているんだ。どんな事があろうと、どんな輩が潜んでいようと関係ない。そうだろう? これでもな、俺は信頼しているんだ、お前の事を」

 

 情けない、他力本願等といった悪罵の限りを送られようと、純然たる事実を否定する気にはなれなかった。無論、川内に対する信頼も本心である。

 不思議だったのが、それまでの喧しさと相反するようにして川内が沈黙に徹した事である。彼女の事だ、当然とばかりに鼻高々と胸を張ると思っていた俺は、ふと横に目を移す。

 

「せ、川内?」

 

 彼女は、足を止めていた。それまでの楽天ぶりは綺麗に吹き飛び、もはや別人の域に達している。その醸し出す雰囲気は、それまで場を形成していたのとは百八十度異なるものだ。

 その異様さに呑まれた俺は、彼女がこちらを何度も呼びつけている事に暫くの間気付けない。

 

「提督」

 

「な、何だ?」

 

「夜戦ってのはさ……誰にも邪魔されず、何と言うか、思い通りにならなきゃダメなんだよね」

 

「? つまり、どういう事だ」

 

「いるよ。侵入者」

 

 初め、俺は彼女の言葉を上手く咀嚼することが出来なかった。

 辺り一体は皆一様に暗闇に包まれ、どこに何があるのかが辛うじて分かる程度だ。申請が通らなかった事から川内もその手の装備は手にしておらず、目視という点においては俺と大して変わらない。

 しかし、川内の口調にはどこか確信めいたものが秘められていた。第六感か、はたまた文字通りの意味での嗅覚か。出来る限り部下の意見を汲み取る事を方針としている俺とて、思わず聞き返さずにはいられない。

 

「川内、一体どこにいるというんだ? 鉢合うような配置にはなっていないが、海側を監視している他の誰かなんじゃないか?」

 

「違う」

 

 その言葉を最後に、あらぬ方向へと川内は全力疾走を開始する。その速さは先の比ではなく他の川内型よりも抜きん出た速度を叩き出せるという話があながち嘘でもない事を実感させられる。

 ともかく、置いてけぼりにされた俺が遅れて追走を開始した所で、本気をだした艦娘に追いつける筈もない。前方で煌くライトの光だけが、第六感に支配された彼女の動きを知る唯一の手がかりだ。

 果たして息を荒く吐き出しつつ川内に追いついた俺が目にしたのは、侵入者でこそなかったものの、思いもよらない人物であった。

 

「……扶桑?」

 

 そこには扶桑型戦艦一番艦の女の姿があった。何故、彼女がここに。その思いは川内にも共通されるものであったようで、瞳には動揺が広がっている。

 

「……あら、提督も。どうして、そちらに?」

 

 不思議そうに頬に左手をあてて首を傾げる扶桑。だが、問いただしたいのはむしろこちらの方だ。出撃を間近に控える彼女は、今宵の警備枠に含まれていない。

 

「それはこちらの台詞だ、こんな夜更けに、一体どうしたっていうんだ?」

 

「ふふふ……月が綺麗なものでしたから、つい、外を出歩いてしまいました」

 

「なっ……」

 

 ロマンチックな物言いに、つい言葉を失う。

 思わず同意しかけたのは、彼女の退廃的な美しさが、朧げな月の明かりとものの見事に調和していたからである。

 

「そ、そうだったのか……いやいや、駄目だ駄目だ。既に消灯を迎えているし、夜の点呼後に抜け出してきたのか?」

 

「申し訳ありません。こんなに鎮守府が慌しい時に、勝手な行動を取ってしまって……」

 

「う、うむ。誰かを贔屓するようでは皆に示しもつかん。今後はその、控えるようにしてくれ」

 

「えー、なんか私の時と対応違うよね?」

 

「う、うるさい」

 

 頭を下げる扶桑に、何とか上官面を取り繕う。川内の不満を都合よく聞き取れなかった事にしたのは、扶桑との間に気恥ずかしさを持ち込んでしまったからだった。先の一件以降、どうにも彼女の前ではそうした感情を表沙汰にしてしまう傾向にある。

 紋切り型の説教を続ける最中、扶桑は申し訳なさげに顔を伏せていた。こちらの思いを知ってか知らずか、どうにもやり辛い。口酸っぱく言って聞かせるにはあまりにも準備不足であり、知らず知らずの内に彼女の胸元を注視してしまう。着物には似つかわしくない銀のネックレスは、声高に自身の存在を主張していた。

 やがて覚束ない段取りと共に説教が終わり、寮の方に向かって扶桑は踵を返す。

 そこに待ったをかけたのは、胸の内に秘めていたある事柄について話す必要性に駆られたからだ。このような機会でもなければ、俺という奴は永遠に切り出せずにいたと思う。

 

「ちょ、ちょっとまってくれ」

 

「……何でしょうか?」

 

「その、武蔵の事なんだが……」

 

「ああ、あの人……」

 

 悩ましげに左手の人差し指を唇にあてる扶桑は、どこか蠱惑的だ。

 件の女、武蔵は疾うの昔に営倉入りを終えていたが、それ以来ぎこちない関係性が続いていると言って良い。

 確かに、出撃や遠征において支障はないように思われる。武蔵は普段通りの戦果を見せ付けたし、戦力の中核を担う事に変わりはない。表面上だけを覗き込めば、彼女との会話もかつての彩りを取り戻したかのようにさえ映る。

 だが、きっと何かが違うのだ。そして、それが先の扶桑との問題に端を発しているのは明白で、艦隊運営を図る上でその解決は至上の急務とされた。最も、未だ具体性を伴った解決策は一つとて実行に移されていないのだが。

 

「その、武蔵も反省していると思う。機会を作るから、今度話し合いの一つでも、してやってくれないか。お前たちの仲が悪いままでは、今後の編成面においても差し障りが出る。勿論、俺も同席するつもりだが」

 

「あら、それでは今後の展開によっては、当鎮守府においても最強の一角にあるあの人と私が、肩を並べて戦線に出る可能性があると? 提督は、そうおっしゃりたいのですね?」

 

「ああ、勿論だ。お前の練度は日を重ねるごとに上がってきている。見違えるくらいにな。すぐにでも――その、何だ。あー、指輪の方が効果を発揮する事になると思われる」

 

 指輪。その言葉に、思わず赤面せざるをえない。

 彼女は指輪にチェーンを通し、ネックレスとしてそれを取り扱っていた。出撃等を除いて日常的に身につけているものだから、こちらとしては気が気でない。元はといえば信頼の証として渡した筈であったが、どうも必要以上に意識してしまう。

 視線を逸らしつつの提案に何ら効果は見込めないと分かっていながら、扶桑の事を直視出来ないのもその一端と言えた。

 

「あー、それで、だな。少し話がずれるが、その、指輪の事なんだが……べ、別にいつも身につけておく必要はないんじゃないか? ほら、その、あれだ。着物にネックレスって、何だかちぐはぐな感じもするしな」

 

「でも……普段からこれを身に着けていると、私、感じるの。提督の信頼を、提督の思いやりを。提督が常にお傍にいてくれているような気がして……いけない、のでしょうか? それに、肌身離さず持っていれば万が一紛失してしまうような事も、ないでしょうし」

 

 扶桑の言葉は抉るようにして俺自身の羞恥を誘った。こうも慕われては、言い返す事など出来やしない。いや、反駁めいた言葉を用いようとする事さえ、罪に思えてくる。

 なし崩し的な黙認を後押ししたのが、扶桑の浮かべる微笑みである。吹けば飛ばされてしまいそうなくらい弱々しいそれを進んで壊す気には到底なれなかった。

 

「う、うむ。俺が少しでも役立てるというのなら、これほど喜ばしい事もない。それに、紛失されてしまっては新装備に関する報告書にも不備が生まれてしまう。け、賢明な判断だな」

 

「ありがとうございます、提督。それとぉ……ええ、提督がおっしゃるのなら……あの人とも折を見て、はい」

 

「そ、そうだな、そちらの方も宜しく頼む。今後とも、より一層の活躍を期待させてもらおう」

 

「お任せください。それに私……提督のために働けるなら、たとえ死ぬ事になったとしても、後悔なんてしないわ」

 

「え、縁起の悪い事をぬかすな。冗談でもやめてくれ。戦なんてものはだな、戦場から帰ってくる事が出来てはじめて成功って言えるんだ。名誉の戦死なんぞに拘らんでくれ」

 

 どうにも話が間延びしてしまっている事を感じつつ、扶桑と話が続く。

 意外な事だったのが、川内がさして会話に割り込んでこなかった事だろう。あれだけの馬鹿騒ぎを演じて見せた片割れが、嘘のようにしんとしているのは驚きに値すると言っていい。何だ何だ、扶桑と俺の違いは一体どこにあるというんだ?

 懊悩たる物思いに沈んでいると、扶桑が川内に目を向ける。彼女は相も変わらずにこやかな笑みを浮かべていたが、その言葉は多少の棘を伴っていた。

 

「ああ、そういえば」

 

「ん? 私になんか用?」

 

「私が言える事ではないのかもしれないけど……提督に迷惑をかけないようにね。あんまりお痛が過ぎると……提督もお疲れのご様子ですし」

 

「ふーん。忠告ありがとね」

 

「こら、川内、そんな言い方は……」

 

 ぶっきら棒な態度を見せ付ける川内。豹変した顔つきに躊躇を覚えつつも、彼女の言葉遣いに釘を差す。いくら侵入者との夜戦が不発に終わったとはいえ、扶桑に八つ当たりするのはお門違いだ。

 しかし、扶桑はさして気にするでもなかった。彼女は左手を差し伸ばすと、赤子をあやすようにして川内の頭を撫でる。腰を屈めてのその仕草は、悪ガキを優しげに包み込む母性そのものでもあった。

 

「ふふふ……それでは私は失礼させて頂きます。お手数おかけして申し訳ありませんでした」

 

「あ、ああ……」

 

 一頻り川内の面倒を見た後、彼女は一礼と共に寮へと去っていく。

 扶桑が居なくなったとなれば、場に残されるのは俺と、ぶっきらぼうな態度を見せ続ける川内だけである。

 逐一前髪を弄くるようになった彼女に訝しげな視線を向けながら、

 

「……川内? さっきからどうしたんだ? そんなに夜戦出来なかった事が残念だったのか? だがな、あんだけ大騒ぎしたんだ。そうそう不審な輩に会える筈もない。まあ、扶桑ともあろう者が夜中に出歩いていたのは多少びっくりしたが」

 

「んー、そうですねー」

 

 どこをどう見ても異常を来たしているとしか思えない川内に、疑惑の念が強くなる。

 その証拠に、先まで見せていた彼女の元気も薄れ、活発さは見る影もない。一体どうしたというのだ。

 

「あ、でもさっきの提督の言葉は心に響いたよ! 戦は生きて帰ってこれて初めて勝利! ほんと、正しくその通りだね!」

 

「おいおい、俺は当然の事を言ったまでだぞ。そこまで大それた話ではない筈なんだが」

 

「うんうん。それでさ、提督もさっき言った事、忘れないでよ? 私は夜戦になるととどうにも止まらなくなっちゃうから……ちゃんと此処に帰ってこれるように、日ごろから手綱を握っておいてよね。ずっとずっと、約束よ?」

 

「う、うむ。勿論そのつもりだ。というか、一応自覚あったんだな……」

 

何時になく塩らしい彼女の姿に、違和感はとうとう最後まで拭えなかった。


























グラップラー刃牙を読んだので一つ。
正妻アピールいいゾ~これ(左手という記載を見つつ)。盗難対策をしっかり考えてる扶桑は頭脳冴えわたる大和撫子や!
てか、侵入者がいようがいまいが盗聴器は山ほど見つかりそうなんだよなぁ。





とまあ今回がどんなオチであったかというと、
好きな人には拘束するより拘束されたい構ってちゃん拗らせ系女子川内が初風と共謀して偽の報告を提出。存在すらしない侵入者を探すという名目でふたりっきりの夜を楽しみつつ所有物宣言をぶちまけていた所、乙女の勘かどうかはともかく、セイサイカッコカリが釘を刺しにきた感じ。川内「いるよ。(提督との夜を邪魔する)侵入者が」
川内が終始陽気だったのも、提督を独り占め出来てるから。ほんとに侵入者がいるなら提督に危険が及ばないように、本気でぶちのめしに言ってるだろうし。

ちなみに、提督のコブラツイストは全く極めてないので効果なし。
だから犬宣言も、痛みに堪えつつ提督の許しを請うためのものでなく、歓喜に打ち震えながらの絶叫に近い。挑発しまくってたのはアレだ。犬って基本従順に見えて散歩の時間になると途端に主人の気を引こうとするやん? あれと同じ。

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