インポテンツ提督がヤンデレ鎮守府を切り抜けるようです   作:赤目のカワズ

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第17話 隼鷹という女

 金剛の機嫌が良い。

 普段の七割増しの陽気さは鎮守府の賑やかさに華を添えていたし、何より増して彼女の笑顔は、晴天の続く大らかな天候によく映えた。原初女性は太陽であったとはよく言ったもので、日がな一日眺めていたって飽きはしないだろう。

 

「ふっふふーん。ふっふふーん」

 

 えらくご機嫌な鼻歌だ。場所と時、事と次第によっては慎んでしかるべきものであるとはいえ、今回ばかりは小言を言うつもりにはなれなかった。金剛と称される少女の悲願は、今ここに日の目を見る形になったと言える。思わず執務の手を止めて彼女に向き直ったのも、その喜びを共有したかったからに他ならない。

 

「それにしても、本当にようやくだな。この調子でまだ見ぬ比叡、霧島の両名とも合間見えたいものだが」

 

「そうデスネー。ふふ、やっぱり、信じる者は救われマース」

 

 彼女の笑顔には一切の曇りがない。それもその筈、待ち望んだ姉妹艦がようやく着任したのだ、俺なんぞでは推し量れぬ思いが心の内を駆け巡っているであろう事は、想像に難くない。

 先日の事である。金剛型三番艦榛名が着任したのを皮きりとする歓迎会は、興奮冷めやらぬ内に幕を下ろした。喜びに浸った金剛の浮かれ様はそれはもう凄まじいもので、酒保から提供されたワインを片っ端から空にしてみせた酒豪ぶりは、並み居る飲兵衛を唖然とさせるには十分過ぎるものであった。

 とはいえ、羽目を外しに外して見せた彼女も一応の節度は持っていたらしく、翌日の仕事ぶりに何ら支障はない。それどころか、かえってその所作に益々磨きがかかったと言っても過言ではなく、姉妹艦の着任がある種のカンフル剤となったのか、一皮も二皮も向けた印象を覚える彼女には舌を巻くばかりだ。

 

「しかし、同型艦の着任がここまで遅れるとは思っても見なかった。お前にも、随分寂しい思いをさせてしまったな」

 

 かつて胸中を席巻し、今もなお燻り続ける焦燥感に思いを馳せる。戦艦榛名との邂逅がここまで間延びしたのには訳があった。

 これまで彼女を建造で引き当てたのも一度や二度でなかったが、その度に海外からの要請から、新造艦を手放す必要に迫られたのである。これは、昨今世界的規模で艦娘の需要が急騰している事に関係する。

 鉄は早いうちから打て、という訳でもないだろうが、慣れない異国の地に早くから順応出来るよう、即戦力足り得る戦艦級の一部は建造直後からの海外派遣が決まっていた。

 無論、こうした政治的経済的要因の絡みは現場の金剛には全く関係ないし、理解の範疇を飛び越えた話だ。それ故、海外派遣が打ち止めとなった今をもってなお、妹達との絆を引き裂いてきた己の悪漢ぶりに罪の意識を感じてきた訳だが、彼女はそれを笑みをもって一蹴する。

 

「ふふ、そこまで私の事を考えてくれてたなんて、艦娘冥利に尽きますネ。正に感無量という奴デース」

 

「い、何時にも増してオーバーだな。お、俺はただ、同型艦が存在しない事による疎外感が、艦娘に与える悪影響を危惧していただけであって……」

 

「AHA。そういう事にしておきマース」

 

「お、お前な…………いや、まあ、いいか。うむ」

 

 こちらの真意を見透かした上での発言に唇を尖らせるも、彼女が浮かべる微笑みを前にして何も言えなくなってしまう。

 気恥ずかしさを伴い始めた顔の赤らみに更なる追い討ちをかけたのが、歌うようにして語られた金剛の胸の内である。彼女は感慨深げに何度も頷いてみせてから、

 

「ふふふふ。テートク。私、今とっても幸せデース。ここまで、本当に長かったネ。ええ、本当に長かった。ふふふ、欲しいモノは往々にして手に入らないと言いますカラ、その点私は運が良い方デース。AHAHAHA!」

 

「う、うむ。嬉しそうで何よりだ。今日は執務の都合上あまり構ってやれないが、俺も積極的に榛名とのコミュニケーションを図りたいと思っている。なるたけ早く、この鎮守府に馴染んでもらわなければな。処女航海というには役者不足かもしれんが、明日には鎮守府近海の警備にも回ってもらおう」

 

「榛名ならきっとダイジョーブネー! あの娘は、とっても良い娘だから……それに、私も出来る限りの範囲で尽力しマース!」

 

「ははは。出来る部下を持てて俺は幸せ者だよ。ああ、それと、榛名が来て嬉しいのも分かるが、あまり贔屓し過ぎるなよ。浦風達が寂しがる」

 

「HAHAHA。言われるまでもないデース」

 

 古株の金剛を慕う者は多いが、駆逐艦浦風のそれは特に顕著だ。WWⅡからの縁はそう簡単に切れるものでないという事だろう、二人の和気藹々とした間柄は鎮守府における周知の事実となっている。

 つい最近もその仲の良さを周囲に見せ付けたばかりで、それは浦風が紅茶を嗜むようになった積み重ねの一つと言えた。

 

「確か、何日前だったか。二人でお茶会を開いてたな」

 

「イエス。とっても楽しかったデース」

 

「四日前だったか? いや、それとも三日前だったか?」

 

「イエス。その頃だったと思いマース」

 

「いやいやいや、思い出した。五日前だ。あの時俺はお前達がお茶会を続ける傍ら、磯風謹製の奇天烈手料理を食わされていたんだ。ああ、全く持って独創性溢れる、うむ、個性的な味つけだった。思わず記憶を封じ込めたくなるくらいにはな」

 

「ah…………それにしても、その、何というか、災難、でしたネ。そんなに、美味しくなかったんデスカ?」

 

「ああ、この世のものとは思えない類のそれであった……かの魯山人だって裸足で逃げ出すだろうさ」

 

「ハハハ……それじゃあ、口直し、という訳じゃありませんケド、そろそろ昼食の時間デース。提督、今日はどちらで食べますカ?」

 

 促されるようにして時計に目を移せば、既に時計は昼時を指している。

 彼女の言葉に触発されてか、それまで沈黙を保っていた胃袋が唐突に喚き声を上げ始めたのがその時だ。それは産声にも似た感情の発露であったが、意地汚さという点において他の追随を許さない。認識するや否や猛烈に訴えを起こし始めた空腹感を慰めるのは、何にも勝る急務と言えた。

 何より、口の中を蹂躙し始めた感覚が苦々しい過去を克明に浮かび上がらせる。舌にこびりついた残滓は、まるで貴金属を腐食させるかのようにして俺の味覚を蝕みつつあった。

 

「ぐっ、思い出しただけで……これは確かに口直しが必要かもしれん。確か、今日の昼食は……」

 

「ヘイ、テートク、忘れたんですカ? 今日の昼食は――――カレーネ」

 

「ああ、そういえば、そうだったか」

 

「私の手作りじゃないのが残念ですケド、ちゃんと食べてくださいネ? 健康は、日々の過ごし方の賜物ですカラ」

 

「うむ、正にその通りだ。さて、それじゃあ今日は食堂でゆっくり食べる事にするか。特段急を要する仕事がある訳でもないしな。領海巡回、並びに貨物船の護衛部隊が帰ってくるまでには食事を済ませる事にしよう」

 

「テートク、だからと言って早食いはトゥーバッドですからネ?」

 

「こ、子供でもなしに、そんな事は言われんでも分かっとるわ!」

 

 険のある言い方になったのは不可抗力だった。こちらの身を案じての発言である事は重々承知していたものの、頭ごなしの物言いが癪に障ったのも事実だ。

 しかし、矮小な自尊心をひけらかした代償はあまりにも大きい。金剛は肩身狭そうに顔を曇らせると、申し訳なさげに頭を垂れる。その仕草は、俺の罪悪感を盛大に煽り立てた。

 

「……怒りましたカ?」

 

「うっ……いや、別に怒ってはいない」

 

「そ、それなら良かったデース!」

 

 笑顔を貼り付ける金剛。影の差した微笑みは、一転して彼我の溝を大きく広げる事となる。

 金剛の気遣いを無碍も無く切り捨てたのは、無条件の信頼に対する一種の裏切りであると言えた。彼女の慕情に託けた報復行為は、こちらの言い分に強く言い返してこないだろうという前提の上で行われている。

 これが叢雲や陸奥、あきつ丸といった面々であったならばまた勝手も違ったであろう。上官への口答えという点に関して言えば、彼女らのそれは一級品だ。

 だが、金剛は違う。彼女は何時も――そう、どんな時も俺を立ててくれた。インポテンツを遠因とする艦娘への嫌悪感が早期に払拭されたのも、彼女の存在が大きい。

 それに比べて、俺はどうだ? 上官と部下という名の上下関係を後ろ盾に彼女との関係を有耶無耶にし、あまつさえ彼女の健気さに鞭を打ってみせるとは、日本男児にあるまじき恥ずべき行為である。

 遅まきながら罪悪感と己への嫌悪感に打ちのめされた俺は、謝罪の言葉を口にしたまでは良かったものの、それ以上の打開策を見出せなかった。並び立って歩く二人の間には、沈黙の冬が訪れる。己の過失は豪雪を思わせる形で俺の体に覆い被さっては止もうとしない――――これこそが、自堕落な自棄酒を深刻なものへと変貌させた真相である。

 夜。帳の落ちきった鎮守府の一角。部屋を満たす煌々とした明かりが、自身の存在を暗闇に曝け出す。それは暗がりの中にあって一層光り輝いたが、同時に夜の濃淡を際立たせるものでもあった。

 

「…………」

 

 常日頃の整然とした景色は見る影も無い。私室には酒瓶が散乱し、我先にとアルコールを欲する様は、篝火に群がる蛾のようでもあった。胡坐をかいて床に居座る俺の頬も、今となっては林檎のように火照って久しい。

 コップに並々と注がれた日本酒を胡乱な眼差しで見つめていた俺は、沸々と沸きあがってきた屈託した思いを誤魔化すべく、一思いにそれをあおった。

 

「おっ、良い飲みっぷりだねぇ提督! さーさーもう一杯! 嫌な事があった日にゃ、酒を飲むに限るってな! あ、勿論酒を飲むのに理由なんざ一々いらないんだけどねぇ! んく、んく! ぷはぁ!」

 

 これに気を良くしたのが今宵の晩酌付添い人の片割れたる、軽空母隼鷹である。こちらに釣られてか、つまみを口に含んだ彼女は次いで缶ビールに口をつけると、おとがいを引き上げて一気にそれを流し込んだ。

 彼女のあっけらかんとした性格は建造当初からのもので、それは誰とも隔てなく接する様子からも窺い知る事が出来る。酒の嗜み方を覚えたのも、隼鷹からの影響が大きい。

 彼女は常日ごろから酔態を晒すほどの飲んだくれであったが、今宵の泥酔ぶりはそれはもう凄まじいものであった。顔は真っ赤に染まりきり、腰あたりまで伸びたパープルカラーの長髪は悲惨なまでに型崩れしているものだから、打ち上げられた魚の死骸のような有様だ。ぺたりと額にはりついた前髪が余計にそれを連想させる。

 それと、胸胸。はだけてるって。直さなくていいけど。

 

「あー、ほんと良い気持ちだよぉ。やっぱ酒は良いねぇ。何つったって、禁酒令出されてた時は手ぇ震えてたし」

 

「おいおいおいおいィ? 大丈夫なのかそれ? 典型的なアル中の症状だぞ?」

 

「あははぁ、冗談だってばぁ。艦娘がそんな柔な体してるわけないじゃん! かー! それにしても、旨いねぇ、ほんと!」

 

「うむ、そうだな! ほら、お前ももっと飲め! 上官の酒が飲めんとは言わせんぞ!」

 

「おおっとぉ、こりゃどうも! あはは、こいつはまた旨そうだねぇ!」

 

 対面の女に酒を注ぐ。よっぽど餓えていたのだろう、注がれるや否や彼女はそれを一気に飲み干し、次の一杯を催促してみせた。

 酒。酒。酒。酒に貴賎はない。日本酒だろうが缶ビールだろうがワインだろうが、飲めれば何でも良いのだ。飲んでいる間は嫌な事は全て忘れられる。ここに広がる景色だけが現実に移り変わる。そうだ! これこそが唯一無二かつ絶対無敵のパライソなのだ! 

 瞬く間に酒気とアルコールと脳内エンドルフィンによって精神を汚染された俺は、上下左右の境を無くし、逃げるようにして酒を飲み続けた。朦朧とした視界の中、声高な脈動がひっきりなしに警鐘を鳴らし続ける。オーバーワークにその身を窶す肝臓は、刻一刻とその寿命を減らしつつあった。

 さりとて酒宴はまだまだ始まったばかり。オイルサーディンに箸を伸ばした俺はいい塩梅にほぐれた身を一摘みすると、勢い新たに口元へと放り込んだ。舌の上で転がすや否や広まった優しげな味わいに充足感を得た俺は、次いで口元へとコップを運ぶ。

 

「なんだ、空じゃないか!」

 

「おーおー、大丈夫かい? 提督はあたしらと違うんだからさぁ。あんまり、無理するもんじゃないぞぉ?」

 

「ううむ、分かってる、分かってるさ、そんな事。ああ、本当だ。うん」

 

 予想以上に酒の回りが早いらしい。

 呂律こそ確かであったものの、ぼんやりとした視界からは根こそぎ意識が刈り取られ、もはや自分が何を言っているのかも定かでない有様である。

 これで緊急事態の一つでも起こった日にゃ目もあてられない惨状となるのは想像に難くなく、千鳥足の酩酊状態が如何に鎮守府を危険な立場に晒しつつあるのか、嫌でも頭に叩き込まれた事だろう。

 しかし、そうした現実的思考が脳裏を掠めたにも関わらず、下卑た欲求はまるで収まる所を知らなかった。親しみを伴う、それでいて真に迫った隼鷹の諫言が耳に痛い。彼女は時折こうして、平時のおちゃらけた姿勢を取っ払った物言いをする事があった。

 だが、今回ばかりはその言葉に従う訳にはいかない。人間には、酔わずにはやっていられない夜もある。

 隼鷹に癇癪を起こしつつあった俺を寸での所で踏み止まらせたのが、もう一人の晩酌付き添い人たる軽空母千歳である。傾けられた酒瓶が、その半透明な臓物をコップの中へと流し込む。コップの中で轟く波濤は、これ以上の飲酒を暗に拒絶しているようにも思えた。

 

「うふふ、はい提督。おかわりはまだまだありますからね?」

 

「おーおー、すまんな千歳。お前もちゃんと飲んでるかー?」

 

「ええ、勿論! あっ、これとっても美味しいのよ! ほら、提督も食べてみて!」

 

 酒気を伴わない微笑みに、清楚とした立ち振る舞い。

 酒には滅法弱い方というのがお決まりの弁であったが、彼女が酔い潰れて醜態を晒した事は一度とてなかった。

 単に謙遜しての事か、はたまた自身のウワバミっぷりを自覚していない天然さんなだけなのかは定かでなかったが、個人的には後者の意味合いが強いと思われる。つまみを頬張り、口元にあどけない笑みを広げる千歳。どこか抜けている印象が拭えない所も、彼女の美点の一つであると言えた。

 最も、それこそが千代田を悩ませる頭痛の種だという事は想像に難くない。そうでもなきゃ、さっきからたわわに実った胸部装甲をガン見しっぱなしの俺に対して、何かしらのアクションを起こしていてもいい筈だ。いや、ほんと眼福だよね。おっぱい最高だわ。

 

「でも、隼鷹も言ってたように、提督もほどほどにしてくださいね? 明日に響くといけないから」

 

「う、うむ。分かってる。分かってるさ! ほんとだぞ!?」

 

「もう……本当に分かってるのかしら?」

 

 どうやら千歳の御気に召す発言とはかけ離れていたらしい。前のめりになってこちらに迫るおっぱいに動揺を覚えつつ、誤魔化しに終始する。

 本音を言えば、分かってなどいない。分かっていたら、酒なんぞに手をだしてはいない。

 こちらの言葉がその場凌ぎの急拵えである事を早々に見抜いた隼鷹は、呆れた様子で視線を向けてくる。

 

「しっかし、分かんないねー。話を聞く限りじゃさあ? 金剛も金剛じゃん? 提督がいちいち反論しなきゃ気がすまないタチなのは何時もの事だし、そんな真に受ける必要なかったと思うんだけどねぇ」

 

「む……いや、金剛は、悪くない。あれは俺の対応が不味かっただけだ。俺は、その……金剛と、どう接すればいいのか、うむ。よく分からんのだ。いっその事、陸奥のような減らず口を叩いてくれる方が、俺としてはよっぽど扱いやすかった。その、良い意味で何も言い返してこないものだから、俺という奴もついつい……」

 

「もうさぁ、付き合っちゃえば?」

 

「いやいやいやいやいや! それは許されん! 誉れ高き日本海軍の男として、部下に手を出すなぞ以ての外! そもそも、だ! 俺が目指すのは戦争の終結であり、深海棲艦の絶滅である! 恋愛なんぞは最も唾棄すべきものであってだな……」

 

「ふーん?」

 

 ちらりと、胸元に手をやる隼鷹を俺は見逃さなかった。挑発するように肌蹴たそこは、彼女の手管を受けてヒートアップする。御簾越しの双丘の頂に、俺はえもいわれぬ興奮と動揺を覚えた。あ、バレてたのね。

 そこから巻き起こった隼鷹の行動は機を見逃さず敏としたものである。立ち上がった彼女は徐に千歳の背後に忍び寄ると、その類まれなる乳房に十指を伸ばし、盛大に揉みしだいてみせた。羨まけしからん。

 

「きゃっ、ちょっ、ちょっと隼鷹ってば」

 

「あんまり物欲しげな視線で提督が見てるもんだからさぁ」

 

「ん、ふぁ、やだ、そうだったんですか提督? それなら、んっ……私に直接言ってくれれば……」

 

 荒々しい手つきに、千歳は浅い呼吸を繰り返すのが精一杯だった。下手人に差し向けられたその腕も、俺の名前を出された途端弱弱しく矛先を失う。隼鷹を律する立場にあったにも関わらず、まんまと図星を突かれたものだから咄嗟に口を開く事も出来ない。

 いの一番に否定の言葉を口にするべきだった俺は、目の前で繰り広げられる余興に目が離せなくなってしまっていた。潤んだ瞳と羞恥に染まった千歳の表情は、情欲という名の炎を一層煽り立てる。

 寸での所で軍人としての矜持を取り戻した俺は、怒りを撒き散らしては誤魔化しに走った。エロは確かに大好物だ。しかしそれを公言する立場にある訳ではない。いや、一度や二度あけっぴろげにした覚えはそりゃあるけどね!

 

「ば、馬鹿を申すな! そんなふしだらな行為を俺が考えていただと! 心外な! 隼鷹! いくら酔いが回っているとはいえ、言って良い事と悪い事がある! ああ心外だ! 全く!」

 

「んー? 何処に行こうってんだい?」

 

「トイレだ、トイレ! 勝手に乳繰り合ってろ!」

 

「そんじゃまリクエストにお答えして……なあ千歳? 夜は長いし、とりあえず前哨戦とでも洒落込もうよぅ!」

 

「あっ、ちょっと隼鷹、ほんと、それ以上はもうっ」

 

 千歳の涙声に後ろ髪を引かれながらも私室を後にした俺は、トイレを目指そうとするとも早々に壁と激突してしまう。相当酔いが回っているらしい。

 トイレに備え付けの鏡に視線を送ると、酔いに見合った赤ら顔と視線が絡み合う。酷い面構えだ。

 小便をして幾分か落ち着きを取り戻した俺は、責めるようにして己を罵った。何時もこうだ、何故俺という奴は酒に溺れてしまうのか。私室に帰ろうとするも、己の情けなさからか二の足を踏んでしまう。

 踏ん切りのつかない俺がようやく決心したのはそれから暫く経っての事だ。己の奮い立たせるかのように、ドシンドシンと大きな足音を立てながら廊下を歩く。

 今こそ、上官としての威厳を取り戻す時である。そう気を引き締めて私室に舞い戻った俺を待ち受けていたのは、阿鼻叫喚の地獄絵図であった。

 調度品は散乱し、カーペットは荒れ野原。引き出しは押し入り強盗の手にでも遭ったかのように揉みくちゃにされており、先にも増して酷い有様だ。

 

「……なんだこれは」

 

 俺の視線はベッドで絡み合う二人に向けられていた。一人用の手狭なそれは、馴染みの無い乱暴な手つきに酷く動揺を覚えているようにも見える。シーツは乱れ、誰のものとも知れない汗が染みを広げたその様は、情事の最中であるかのような錯覚を起こさせるものだ。

 正に蜘蛛に絡め取られたとしか言いようがない。私室の惨状は抵抗の表れであったが、蝶は成す術も無く手折られる運命にあるらしかった。ベッドの上で千歳に馬乗りになっていた隼鷹は、こちらに気付いたかと思うと満面の笑みを浮かべ、

 

「あ、提督も混ざる?」

 

「ま、混ざっ!?」

 

「良いではないかっ良いではないかっ」

 

 千歳が一瞬の隙を見計らい、最後の力を振り絞ったのがその時だ。彼女は荒々しい呼吸と共に立ち上がると、

 

「もう! 酔い醒まし作ってくるから、提督ちょっとお願いします!」

 

「ぐおおおお!? ここで俺に渡すか!?」

 

「……さっき、私見捨てられたばかりなんですけど?」

 

「むぐっ……それを言われると、だな」

 

 こちらの返答を待たずして千歳が部屋を出て行けば、俺と隼鷹だけが場に残される事となる。

 現場の荒れ具合に言葉さえ出なくなった俺は、ゆっくりとその場に腰を下ろした。アルコールを排出した事もあってか、先ほどよりも思考がクリアとなっている。

 

「……あー、隼鷹。その、だ。俺は何も否定せんが、そういう行為は双方の同意の上にだな」

 

「ちょっとしたジョーダンだってばぁ。いや、マジでマジで」

 

「…………」

 

 とてもそうには思えない。場の惨状は千歳が必死に抗った故のものだろう。

 あの温和な千歳がここまでの事をしでかしてくれたのだ、隼鷹の迫り方が並大抵のものでなかった事は想像に難くない。人のことを言えた義理でないが、本格的にその酒癖を矯正する時期に来ているのかもしれなかった。

 俺が決意を新たにしていると、ベッドに肢体を横たえていた隼鷹が不意にかま首をもたげる。またぞろ突拍子のない物言いを繰り返すものだと思っていた俺は、半ば諦観を覚えながらも彼女の言葉に聞き入った。

 

「でさ、さっきの続きだけど」

 

「……何だ? 千歳との関係修復なら手を貸すぞ。勿論、最後はおまえ達自身が決める事になるんだろうが、何、心配はいらない。千歳は良い奴だし、お前さえちゃんと気持ちを伝えれば、あいつも応えてくれる筈だ」

 

「そっちじゃなくてさ。……あたしは、応援してるよ、金剛の事。だって、一途じゃん。提督も、ちゃんと答え出さないと駄目だよー、ほんとさ」

 

 突然の隼鷹の助言に、俺は我を忘れてしまった。真摯な光を携える彼女の瞳に、思わず息を呑む。

 

「別に提督が誰を好きになろうと知ったこっちゃないけどさぁ? 色恋沙汰にはちゃんと結末を用意しないと、ねぇ。金剛も、悲しむんじゃね? アタシみたいになられても困るし」

 

「…………隼鷹、お前、ほんとは酔ってないのか?」

 

「んー、どっちだと思う? ひひひっ」

 

 煙に巻くようにして笑い声をあげた隼鷹に、俺はそれ以上の言葉を見つける事が出来ない。

 やがて酔い醒ましを作ってきたらしい千歳が部屋に帰ってくると、そこで宴会は取りやめになる事となった。だが、如何せんまだ飲み足りない。いや、俺は単に、隼鷹の言葉から逃げたかったのだ。

 そういった胸の内を伏せて千歳につまみを催促すると、彼女は快く承諾してくれた。いい女である。

 一方、隼鷹はといえば、宴会がこれで終わりと知るや否や、俺のベッドに寝入ってしまった。我が物顔で惰眠を貪るその姿は、先の真面目ぶった表情と百八十度異なるものである。

 それから暫く経ったであろうか。お盆一杯の手料理を伴って再び千歳が姿を現す。手塩にかけた自信作なのだろう、彼女のにこやかな笑みが印象的だ。

 

「牡蠣酢です」

 

「おお、すまんな千歳」

 

 一品目はそれこそ手間のかかってそうな代物である。牡蠣そのものの触感もさる事ながら、ポン酢の風味豊かな味わいが口一杯に広がる。気取った所のない優しげな味付けだ。

 

「イワシの甘露煮です」

 

「ああ、旨いよなこれ」

 

 箸で簡単に千切れるほど煮込まれたそれを頬張る。解された魚の身は、噛まれる事もなく早々に胃へと押し込まれた。うむ、酒が欲しい。

 言葉にするまでもなく顔に出ていたという事であろう、予め用意していたものを千歳が差し出してくる。料理の待ち時間にしこたま酒を飲み干していた俺は、酩酊した思考を囃し立てるべくそれを一気に口に含んだ。ブラッディマリーか何かだろうか? 赤い液体が舌に触れ、そこでようやく俺は勘違いを知る事になる。

 

「ぶへぇ! な、なんじゃこりゃ!?」

 

「何って、スッポンの生き血ですよ。はい、お次はイモリの黒焼きです」

 

「苦っ! 不味!」

 

 そこから始まった連鎖的反応は、俺の想像を超えるものであった。動揺する俺を尻目に、千歳が強引に黒ずんだ何かを口に押し付けてくる。不味い。死ぬほど不味い。つい先ほどまで千歳の手料理に舌鼓を打っていた俺は、予想外の展開に成す術も無く追いやられた。

 

「ち、千歳? こ、これは、何なんだ? いや、うむ、初めて堪能する味であったから、未知の経験を与えてくれた事には感謝する。しかし、だな、うむ」

 

「ああ、御免なさい提督。それじゃあ、はい、これ――――『口直し』に、どうぞ」

 

「……!?」

 

 差し出されたそれに、俺は強烈な違和感を覚えた。

 中身は、ただの水のようにも思える。だが、それを一度口に含めば、何かが壊れてしまうような、そんな不確かな恐怖を覚える。

 いや、違う。違うのだ。駄目だ、俺はこれを飲んではいけない。

 

 そうだ。俺は、これを、知っている。何処か、何時かも定かでないが、俺はこれを飲んだ事がある。そして――漠然とした忌避感にその場を後ずさりし始めた俺を、千歳が逃すはずもない。

 彼女はコップ一杯の液体を口に含んだかと思うと、流れるような動作で俺の唇を奪った。舌で関門を抉じ開け、強引にそれを流し込む。そこから起きた反応は劇的なものだ。体が、熱い。燃えるような熱さが身を包んでいる。体中の汗腺が活発化を果たし、痺れが四肢を拘束する。眩暈と頭痛に思考を支配された俺は、そのまま千歳に向かって倒れこんだ。

 柔らかな感触が、俺を支える。しかし、今となってはそれも恐怖を煽り立てるだけだ。

 

「ごふっ、なん、だ、これは……ぢど、ぜっ」

 

「盗聴器とか、もうどこにもないのかしら?」

 

「うん、あらかた取り除いたと思うよぅ」

 

「お前ら、何、を……!?」

 

 狸寝入りをしていたらしい隼鷹が、千歳と何事かを話している。

 かいなに抱かれる俺を、彼女は母親のような慈悲深い視線で見つめてきた。

 

「ひひ、大丈夫だよー提督。特に後遺症とか残らないらしいし、朝には記憶もぶっ飛んでるからさぁ。なんだっけ? 高速修復剤を人間用に改良した試作品? ま、どーでもいいよねぇそんなの。ひひひひ。大丈夫、大丈夫。何時もそんな感じだし」

 

 彼女は、俺を抱きかかえると、ベッドに、下ろした。

 

「アタシもさ、欲しいんだよねー、提督が。けどさ、色々と問題あるじゃん? 戦争、立場、他の艦娘、思い出、記憶、矜持、提督自身の気持ち――――色々とね」 

 

 隼鷹が馬乗りになって覆いかぶさってくる。熱い。重い。

 彼女はいつの間にか服を脱いでいた。乳房が、ブラジャー一枚で支えられているのが見える。

 

「だからさ、もう、提督個人は見ない事にしたんだー。提督は、何も応えなくていい。ただ、アタシが求めるだけ。提督は、何も覚えてなくていい。ただ、アタシが勝手に貪るだけだから。それに、提督が誰を好きになろうとアタシは一向に構わないしぃ? だって、アタシも勝手にやらせてもらうだけなんだからねぇ! ひひ、ひひひ――――提督の気持ちなんて、提督の答えなんて、いらないんだよっと」

 

「あ、私は別にそういうのはどうでもいいの! けど、ふふふ、楽しいじゃない? みーんなが提督の事を好きなのに、今この時だけは、私たちだけのモノ! ふふふ、ちょっと子供みたいかしら? ふふ、ふふふ!」

 

 隼鷹の悲鳴にも似た何かが聞こえる。千歳の、どこか壊れたような喜び様が目に映る。

 俺は朦朧とする意識の中で、下半身の熱さを感じていた。何かが飛び出てしまいそうな熱がそこにはある。熱い。馬鹿みたいな熱さだ。

 熱に浮かされた思考が、隼鷹の裸身を捉えた。

 

「何もかもを忘れられる、素敵な夜にしようぜ、提督」

 

 

 

 


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