インポテンツ提督がヤンデレ鎮守府を切り抜けるようです   作:赤目のカワズ

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第5話

 

 

 

 

 

 

 

膠着状態から先に抜け出したのは、長門だった。彼女は何を言うでもなく、扉の隙間から掻き消える。

 

「姉さん! 待って! 姉さんってば!」

 

次いで、服の乱れを直した陸奥が、未だ身動きの取れぬ俺を尻目に、その後を追うようにして駆け出す。その目は既に長門の事しか捉えていなかった。

長門が俺の所に顔を出さなくなったのは、その日が契機として上げられる。

 

「…………」

 

あの出来事から早や数日が経過しようとしていた。長門とは、もう随分と顔を見合わせいない。

彼女は何かと都合を申しづけて、俺との接触を回避していた。散策中は勿論、食堂でさえすれ違わない。

事情は既に承知済みなのであろう、周囲の視線は鋭い針となって俺を苛め抜く。

極め付けは先日、秘書艦の任務を放棄し代わりに陸奥を出向させた時で、俺は思わず滂沱の涙を零しそうになった。

それを何とか耐えてみせた心の拠り所、即ち威厳ある上司たれという信念も、今や砂上の楼閣の如く、消えかかっている。もはや俺の心は限界だった。

 

「提督、その……」

 

陸奥のか細い声が、遠慮がちな形で耳元に届く。俺は彼女に、胡乱な視線を向けた。

彼女自身にその気がないのは明白だ。しかし、そのためらいがちな表情が、声色が、あらゆる全てが俺の罪悪感を逆撫でする。

しかし、激昂に身を任せる事すら、俺には許されていなかった。

 

「そんな顔をするな、陸奥。お前の冗談を軽く流せば、それでよかった。或いは、厳しく律すれば、それでもよかった。――――確かに、お前のそれは軽はずみな行為だった。しかし元を辿れば、俺が上司としてあるべき態度をとれなかった事に問題がある」

 

今となっては、陸奥がからかいを元にあのような行為に及んだのか、あるいは何がしかの好意をもってあのような行動を取ったのかどうかは、些細な問題になりつつあった。

無論、後者であったならば、喜ばない男はいない。

しかし、大勢の女性の中にたった一人だけ男が紛れ込んでいるという特異な状況に、陸奥が気の迷いに駆られたという可能性も否めなかった。

 

「信頼する上司と、実の姉妹が淫行に及ぼうとしている光景を目の当たりにしたんだ。気が動転して、その場を遮二無二逃げ出しても、何もおかしくはない」

 

「そんな、そんなつもりじゃなかったの……」

 

「分かっている。後はこちらで何とかするさ」

 

「提督、少しだけ、姉さんに時間をちょうだい、お願いだから……」

 

陸奥の懺悔を聞きながら俺は、生誕から今日に至るまで童貞である事を心から後悔した。

何故俺はあの時、童貞然とした態度を取る事しか出来なかったのか。悔やまれるのはその点だ。俺があの時冷静な判断を持ち、場をとりなす事が出来ていたならば、このような事は起きなかったかもしれない――――そう考えると、俺がインポテンツになったのは当然の帰結であると言えた。

俺が童貞であるのは人間性に問題があるからで、未熟であり続ける以上、勃起する事すら、許されないのだろう。

陸奥にはそう言ったものの、俺の精神状況は刻一刻と悪化の一途を辿った。

期限が迫りつつある報告書に、身が入らない。見かねた大淀に発破をかけられるも、食指が動く気配は一向になかった。

とうとう堪忍袋の緒の切れた彼女に執務室を追い出され、船着き場に流れ着いた俺は、一人地べたに座りこむと、ただただ海を見やった。

 

「長門……」

 

知らず内に、心の声が漏れる。

四六時中考えているのは、彼女の事だ。他の事なんて一切頭に入らなかった。

あの時、あの瞬間、彼女が俺に向けていた視線が記憶にこびり付いて俺を苛む。胸を焦がらせる忸怩たる思いに、俺は何も手がつかなくなってしまった。

しかし、人間というのはやっかいな奴で、彼女に対して罪悪感でいっぱいの心に、悪魔が忍び寄る。何故、あのタイミングで、彼女が。何故、陸奥は、あのような行動を?

悪意に侵され始めた頭を掻き毟っていると、不意に人の気配を感じ取れた。

 

「提督殿」

 

「……あきつ丸か。一体、何の用だ」

 

振り返る事無く、自然とぶっきらぼうな口調となった事をそのまま良しとする。自分の後ろに、にやけた笑みを象る少女の姿が容易に想像出来た。

黒を基調とした彼女の服装は、一昔前の男子学生を思わせるものだ。今時そんなものを着ているとは、時代錯誤も甚だしい。

あきつ丸と呼ばれる彼女は鎮守府内においても非常に珍しい存在で、所謂陸娘という奴である。

出向という形をとって鎮守府にいるものの、彼女が陸軍所属であった事に変わりはなく、俺は彼女とどことなく距離をとっている自分を感じていた。

恐らくは、彼女の言葉の節々に、海の人間を馬鹿にする態度が透けて見えるのも、大きく割合を占めているに違いない。

 

「長門殿と、上手く言っていないようでありますな」

 

「……ははは、お前にも伝わっているのか。陸軍出身との事で不安だったが、ちゃんと周りとは上手くやっているようだな。……安心したぞ」

 

「それは勿論。提督殿と違って、職場間でのコミュニケーションには十分気を配っておりますから」

 

「……そうだな、その通りだ。不甲斐ない話だが、打開策が全く浮かんでこない。ずっと、ずっと長門にどう言えばいいかだけを、考えている。長門の事だけを、考えている」

 

「ほう、そうでありますか」

 

隣にあきつ丸が座る。

普段の俺であれば一種の警戒心を持ったであろうが、今の俺にはそんな気力すら残されていなかった。光のこもっていない視線で、あきつ丸へと視線を向ける。そして、後悔の念を抱く。

彼女は、底なし沼でもがく俺を嘲笑うかのように、破顔していた。俺の不甲斐ない姿を見るにあたって、よくよく彼女が話題に挙げる将校殿と比較でもしているのかもしれない。

目を背ける。顔も見たこともない男の事が、酷く憎たらしく思えた。

 

「いい方法を、お教えするのであります」

 

その時の俺は、よもやあきつ丸から蜘蛛の糸を垂らされる事になるとは思ってもみなかった訳だから、当然目を瞬いた。

思わず彼女の方へと向き直った俺に気を良くしたのか、あきつ丸が更に笑みを深くする。

しかし彼女が告げた打開案は、俺を更なる奈落へとひきずり落とす酷い代物であった。

 

「逃げれば、いいのでありますよ」

 

「……何だと?」

 

笑みを浮かべながら、あきつ丸が続ける。

 

「全てを捨てて、逃げればいいのであります。私見ではありますが、艦娘との間に軋轢が生じ、未だに提督殿がそれを解消出来ていない事を考えるに、提督殿には鎮守府総指揮の能力が不足していると思われるのであります。尻尾振って、大人しく陸に逃げ帰るのが賢明でありますよ」

 

次の瞬間、俺は彼女の胸倉を掴みあげていた。空いたもう一方の、握りしめられた拳が寸での所で思い留まっていたのは、打って変わって真剣な表情をあきつ丸が見せたからだ。

彼女は、今か今かと振り下ろされる機会を窺っている右拳を一瞥する事もなく、

 

「自分は本気でありますが、何か?」

 

その言葉に、俺の心はとうとう折れてしまった。肩の力が勝手に抜け落ち、下半身がぶれる。もはや、立つ事さえもままならない。

あきつ丸は意気消沈する俺に対し、我関せずと言った態度でしわくちゃに歪められた胸元を正すと、やがて懐から一枚の封筒を取り出した。

ぺらぺらと視界を泳ぐそれに意識を掻き乱された俺は、あきつ丸への質問を余儀なくされる。

 

「…………これは?」

 

「陸の訓練場への推薦状であります。自分がしたためておきました。無論、提督殿は海軍に在籍しておりますので、照会の際には自分が身元や理由を証明する必要性が生じますが……ここであれば、提督殿の腐った精神も立ち直らせる事が出来ると愚考する次第であります」

 

「…………意味が、分からん」

 

思考を放棄する俺を前に、あきつ丸は咀嚼できるよう、ゆっくりと説明し始めた。

無論、俺はその一切を聞き流す。今更あきつ丸の言葉に耳を貸す筋合いはどこにもない。所詮、こいつは陸の人間でしかないのだ。

しかし俺の事情など、あきつ丸にとってしてみれば塵芥とさして変わらんらしい。

俺の都合になんぞ一切関知せず、己の言い分を吐き散らす。

 

「逃げ出すともなれば、提督殿は敵前逃亡で処刑……とまでは今のご時世いかないと思われますが、軍法会議で処され、暫くの間謹慎は免れぬでしょう。そしてその後、二度と海軍の門はくぐれない。……しかし、半人前であるとはいえ、提督殿の能力をそのまま腐らせてしまうのも忍びない。又、海で駄目であったから、陸でも使えないと決まった訳ではない、のであります。陸と海は仲が悪いでありますからなぁ、暫くは冷や飯が続くと思われますが、すぐに慣れるでありますよ」

 

「…………」

 

「自分も所詮は、出向の身。いずれは陸に戻る事になるのであります。そうなった場合、提督殿としても、旧知の人間が来てくれると分かっていれば、心強いのでは?」

 

そこで演説は終わった。満足そうに笑みを浮かべるあきつ丸は、脱力しきった俺の手をとると、無理やりそこに推薦状を握らせる。

まるでそれは、拳銃自殺を促すマフィアを思わせ、拷問し尽くされた俺に、抗う術は残っていなかった。

 

「色よい返事を、期待しているのであります」

 

まだ早い。

こいつの体はまだ、衰弱しきっていない。

彼女は言外にそう言い残し、その場を後にした。毒牙を内に潜ませる少女は、舌なめずりをしながらその瞬間を待っているようだった。

実際、俺が精神を崩壊させ、全てを投げ出して懇願めいた喚き声を発して屈服するその瞬間は、あきつ丸が想像する通り、そう遠い未来ではないように思える。

このままでは。

 

「…………戻ろう」

 

幽鬼の呟き声に自然と似たそれは、俺の心情を如実に表していた。ふらふらと、思うように足運びがいかない。

しかし、このまま何もしないでいるのは、限りなく暗い未来を想像させるばかりであった。

不意に、推薦状が握りしめられたままである事に気づく。

眼前には視界一杯の海が広がっていた。生活用水から土砂に至るまで、海は人類のごみ箱と化している。海を守るものとして、ここに無用な不法投棄を自ら行う事はあってはならない。

俺はそれを言い訳にして、まんまと内ポケットに推薦状を忍び込ませたのである。

すれ違う度に突き刺さる視線に、針のむしろのような気分を味わいながら執務室に戻ると、大淀の姿はどこにもなく、代わりに一人の少女が俺の椅子を占拠していた。

あでやかな緑髪で、ぱっちりとした瞳には、ダマ一つないマスカラが花を添えている。鈴谷と呼ばれる少女はこちらに気付くと、軍人らしからぬ態度と笑みを送りつけてきた。

 

「お、提督じゃん。チーッス」

 

「大淀はどうした?」

 

「提督が機能不全起こしてるから、今日の業務、ぜーんぶ一人で執成してる感じ? あちこち走り回ってるみたいだしー」

 

「そうか……それは、その、すまなかったな」

 

「いや、鈴谷に言われても困るんだけど? 後で大淀に直接言ってあげれば?」

 

「それも、そうだな」

 

どことなく間延びした口調で話しかけてくる鈴谷の言葉には、上司への敬意はまるで存在しない。しかし、今となってはそれが心地よかった。

提督という名は、重荷であり、殻だ。その偉大過ぎる殻に守り続けられた結果、中身は酷く萎縮してしまっている。

だからこそ、提督というフィルターを通さない会話は沈みっぱなしだった俺の意識を大分気楽な方向へと導いてくれるものだと言える――――最も、先ほどその殻を捨てろと言われたばかりだったから、俺はどことなく鈴谷との会話にさえ緊張感を持ち込んでいた。

彼女もまた、俺の気苦労なんぞには興味がないようで、思い出したかのように眉間に皺を寄せると、

 

「てかさー、ここ、コンセント差す所少なすぎなんだけど! どこも埋まってて、スマホの充電が出来ないじゃん! コンセントタップ持ってきておいたから今度から何時でも執務室で充電出来るけどさぁー、何これ、設計ミス? 」

 

「……そんな事はどうでもいい。今日、お前は非番だろ? 用もないのに来るんじゃない」

 

「おおぅ、辛辣……取りあえず、座れば?」

 

明け渡された椅子に体を投げ出すと、どこまでも沈み込んでいくような錯覚に陥った。深い溜息が意図せずうちに漏れ出、感覚が遠のいていく。

そんな俺の事を鈴谷は神妙な面持ちで見つめていたが、興味を失ったのか、机に投げっぱなしになっていたスマホを手に取ると、自ら先んじて沈黙の意思を表明してみせた。

流暢にフリック入力してみせる彼女は、その風貌も相まってか、そこらの女子高生に交じっても見分けがつかない。

 

「……鈴谷、さっきも言ったが、特に何も用事がないようなら、出て行ってくれないか?」

 

「はいはーい、今出ていくからちょっと待っててー」

 

こちらを気にも留めないその態度に、苛立ちが募る。その双眸はスマホの画面に向かうばかりで、一切こちらを見ようとはしなかった。

意固地になった俺は、そのように足蹴にされておきながらなお、再度彼女に退去勧告を行う。この時の俺は、たとえ一方通行の間柄でも構わないからと誰かとの会話を求めてはいたがそれと同時に、誰とも喋らない静寂を追い求めるという自己矛盾に陥っていたと思われる。

鈴谷の対応は、あくまでつれない。

 

「は? ……きっも」

 

凍えるような瞳だった。そこには、普段の彼女の溌剌とした姿は、見る影もない。

萎縮し、途端に掠れを覚え始めた口の根を無理やり震えたたせるも、彼女の弁舌にはまるで歯が立たない。

当然の結果だった。俺の体は、俺の態度は、俺の精神は、当初から敗色に塗れている。

 

「っ、お前なぁ」

 

「あのさぁ、いつまでもうじうじ下を向かれてたら、こっちが迷惑なんだけど? 今深海棲艦が攻め込んで来たら、きっと皆殺しにされるよね? トップがこの有様じゃん、きっと、皆、皆死んじゃうよ。その次は本土ね」

 

「それは……」

 

「鈴谷も含めて、私らが信頼してるのはさぁ、何時もの、馬鹿ばっかりやってるけど必至さだけは伝わってくる、そんな提督なんだよ。今の提督にゃ正直、魅力は全く感じらんないねー」

 

「…………」

 

「長門の事考えるのも別にいんだけど、いい加減そろそろ、鎮守府全体の事を考えてってば」

 

普段の陽気な鈴谷とは大部剥離したその様子に、よもや鈴谷に諭される事になろうとは思っても見なかった俺は、茫然と呆ける己を律することが出来なかった。

戦場に出る事もあり、艦娘の中には鼻っ柱の強い面々が数多くいるが、彼女もまたこういう一面を秘めていたとは夢に思わず、驚きを禁じ得ない。

彼女は、あきつ丸と一緒だった。あきつ丸は、俺に逃げ道を提示し、鈴谷は俺に叱咤激励を送りつけてきた。一見まったく異なるように見えて両者に共通するのは、二人とも今の俺に対し、失望に近い感情を抱いているという事である。

それは上司として、三行半を告げられてもおかしくないほどの惨状であった。今であれば、あきつ丸があれほど冷酷に接してきた理由も理解出来る。もしかしたら、周囲より感じとれた視線も、提督としての役割を果たせぬ事を問題視したものだったのかもしれない。

決着をつけなければ。ここで立ち上がらなければ、二度と挽回の機会は訪れない。

一人そう決心していると、言う事を言ったら満足したらしい鈴谷が執務室から出ていこうとしていた。

その後ろ姿に、慌てて声をかける。

 

「……あ、おい! このコンセントタップ! 執務室に私物を置いていくな!」

 

「あ、それ今度来たときのためにそこらへんに差しっぱにしておいてよ。そんじゃねー」

 

「待て、鈴谷!」

 

廊下の方へと消えかかっていた鈴谷が、もう一度姿を現す。

俺の並々ならぬ気配を感じ取ったのであろう、踵を返した彼女は、それでも先ほどと同じような態度を崩さなかった。

 

「何よー、提督。鈴谷、これでも忙しいんだけれど?」

 

「今の今までスマホ弄っていた奴がよくもまぁ……まあいい。鈴谷…………明日からはまた、よろしく頼む」

 

「おおぅ?」

 

「その……夢から醒めた、気持ちだ。……感謝する」

 

面と向かって言うには、あまりにも羞恥心に塗れた言葉だ。しかし、その時ばかりは俺も、軍帽の手を借りることはなかった。まっすぐに鈴谷を捉える。

一世一代の決心に対し、鈴谷はようやく普段通りの笑みを見せてくれるようになると、

 

「ま、それなりに頑張ってねぃ」

 

難詰され続けた今日が終わろうとしている。

鈴谷と別れた後、帰ってきた大淀にこってり絞られた俺は、痺れる足を伴って何とか就寝の途についた。

翌日、まだ鎮守府が活動を始めてもいない時刻に起床した俺は、身支度もそこそこに、長門がいるであろう彼女の私室を訪れる。

まだ寝間着のままの恰好で俺を向かい入れた長門は、突然の来客に整った眉目を困惑に歪ませていた。

早まったかと、一瞬不安を覚える。よくよく考えれば寝起きの女性の部屋を訪れるのは相当失礼にあたるであろうし、弥漫する女の子のいい香りに、頭がくらくらしてくる。

しかし、後悔が堰を割って到来し、もはや辛抱出来る域を疾うの昔に過ぎ去っていた俺は、彼女の部屋に入るやいなや土下座を試みた。

 

「すまなかった!」

 

「提督……?」

 

「初めに、陸奥に悪い所はなく、全ては俺の責任である事を申し上げておく! 俺は上司として失格で、お前の信頼を失ったのかもしれない! だが、まだ俺を信じる気持ちが残っているのだとしたら、もう一度、俺と一緒にっ」

 

「提督……そんなに畏まって、どうしたんだ。あの時の事なら、もう気にしていないぞ」

 

「はえ? いや、は、何だって?」

 

肩すかしをくらった恰好になった俺は、上半身を上げて、彼女を見やった。

長門は珍客をどう扱ったものかと、思慮を重ねている。

 

「陸奥に話を聞いて、あれが冗談の延長線上にある事はとっくの昔に理解していたさ。ただ、その、ここ数日提督と顔を合わせられなかったのは、提督の顔を見たら、恥ずかしくて何も言えなくなってしまいそうだったからだ。その、びっくりして、あの場から立ち去ってしまった経緯も含めてな」

 

「そう、なの、か……?」

 

「ああ。所が、提督が思った以上に深刻に考えているという事を小耳に挟んでな。あきつ丸とも随分派手にやり合ったそうじゃないか。そこで、今日私の方から出向こうと思っていたんだが……」

 

「俺の方が、先に来てしまった、と」

 

「まぁ、そうなるな……」

 

「じゃ、じゃじゃじゃじゃあ、話はこれで終わり、終わりだ! 俺はここで、かかか、帰らせてもらう!」

 

穴があったら入りたいとはこの事だ。

全部俺の勘違いだった。いや、陸奥に長門のその後の経過を詳しく聞かなかった事も問題であったのかもしれない。思い起こせば、彼女の言葉は長門の状況を正確に言い表していたとも言える。

羞恥心に打ちのめされた俺は立ち上がると、早速踵を返そうとした。それを寸での所で止めたのが長門である。

 

「待ってくれ提督」

 

「な、何だ長門! これ以上俺に辱めを受けさせるな!」

 

熟れた林檎のように真っ赤に染まった頬を軍帽で必死に隠しつつ振り向くと、長門が真剣味を帯びた視線で、こちらを真っ直ぐと見つめていた。

 

「一言だけ言わせてほしい。この長門は、何があっても提督の事は信頼し続ける。何があっても、だ」

 

「長門……」

 

熊さんパジャマじゃなければ、もう少し恰好もついて、俺の感動も三倍増しだったんだろうけどなぁ。

舐めまわすような俺の視線に込められた真意に、ようやく察し始めた長門が慌てふためく。

 

「……あっ! しかし、これは提督がこんな朝に来るのが……!」

 

「そうだ! 今回の一件は端から端までまるっと俺が悪い! 皆まで言うな! 分かっているから! ……しかし、長門の私室、意外とファンシーなんだな」

 

「!」

 

「す、すまん! 悪かったからクッションで叩くな! 結構痛いぞ! 長門は力も強いんだし!」

 

「む!」

 

「痛い痛い! 何故威力が増すんだ!」

 

そう言いながらも、久方ぶりの長門との交流を機会を得られたのだ、穏やかな気持ちでない訳がない。

自然と零れる笑みを長門は勘ぐったが、それは余計な詮索である。俺はただ、長門と会話出来る事がうれしいのだ。

 

「よし、少し早いが食堂に飯でも食べに行こう。長門、出られるか?」

 

「て、提督……。少しは私の事を考えてほしいんだが」

 

「あ……す、すまん」

 

鼻白む長門。高さを誇る彼女の鼻梁が僅かに上ずったのを見て、俺はようやく自分の失態を悟った。

女性に寝間着で往来を出歩けと言えるほど、俺は豪気を持ち合わせてはいない。

部屋の外で長門の支度を待っていると、隣室の扉が僅かに開いた。

陸奥の私室だ。

 

「どう、だった?」

 

「俺が赤っ恥をかいた。詳しくは長門から聞いてくれ。所で、お前も、一緒に食堂へ行かないか? ……どうした、何かあったのか? 何故顔も出さない」

 

「え、私? 私はその、まだいいわ。それにしても……」

 

「どうした」

 

「私から言った事だけど、艦娘寮に提督が来るのはやっぱり、異物感が……」

 

「お前という奴は……まぁいい。さっさとお前も着替えろ」

 

「ちょ、ちょっと提督、もしかしてそれ、姉さんにもそう言ったの!?」

 

突如声色を豹変させる陸奥に、思わず後ずさりしてしまう。

なんだなんだ、また俺は何かしでかしたのか!?

 

「女の子は出かける前に、色々とする事があるの! 提督に言われたら、姉さん服着替えるだけで出てきちゃうわよ! 男と同じ視点で考えないでよね、これだから童提督は!」

 

「あ! また言ったな! また童提督って言ったな! あーあー! 朝の余韻が最悪だ! そうだ陸奥! お前の顔を見てやる! まだノーメイクって奴なんだろう!?」

 

「きゃー! 最低最低最低!」

 

「見・せ・ろ! 大丈夫、長門のやつは化粧なんざしなくても普通に綺麗だったしな! お前も大して変わらん!」

 

「絶対に見せないわよ!」

 

暫く続いた扉越しの激闘を制したのは陸奥だった。

勢いよく扉が閉められ、あわや俺は指を挟みこみそうになる。

忌々しげに陸奥の私室へと通ずる扉をねめつけていると、騒ぎを聞きつけたのであろう、それこそ朝の準備に一時間以上かけていそうな鈴谷がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

勿論、まだ寝間着姿だ。

 

「んあ? 何かと思ったら提督じゃん。ここに居るってー事は、つまり、そういう事ぉ?」

 

「鈴谷か。まぁ、色々とあったが、これからは再び、提督としてしっかり働きたいと思っている」

 

俺の言葉に、鈴谷は笑みを返した。どうやら、汚名は返上出来たらしい。

後はあきつ丸に、胸元に仕舞い込んだアレを返せば、それで終わりだ。

気になって様子を見に来た程度の事だったらしく、鈴谷はさっさと自室へと足を向ける。

所が、不意にその足並みを停止させると、振り向きざまに俺に向かって、

 

「あ、そうそう、後で陸奥に言っといてくれる?」

 

「何をだ」

 

「計画失敗、ご愁傷様、ってね」

 

「…………?」

 

「そんじゃねー」

 

「おい、鈴谷! ……まるで意味が分からんぞ」

 

賭け事でもしていたのだろうか? その疑問は、長門が部屋から出てきたのを機に頭の片隅へと追いやられた。

長門を伴って食堂に赴くと、まだ早い事もあり食堂はまばらで、自由に座る事が出来た。窓から入り込んだ光が、閑散とした食堂を照らし出す。

間宮から朝食を受け取った俺は、お目当ての人物を見かけた事もあり、わざわざそちらの方へと足を運んだ。あきつ丸だ。

近づくと、彼女は食事の手を止め、俺の方に視線をやり、次いで後方に控える長門へと視線を移した。

 

「これはこれは提督殿、それに、長門殿。ほう、その様子では無事に関係は修復されたご様子。重畳でありますなぁ! 正に、計画失敗、ご愁傷様、であります!」

 

「それ、鈴谷にも言われたな。どういう意味なんだ? 何か賭け事でもしていたのか? いちいち目くじらを立てるつもりはないが、そうおおぴっらにしてもらっても困るぞ」

 

「似たようなものでありますよ。ねぇ、長門殿」

 

「さて、どうだったかな」

 

長門型とあきつ丸及び鈴谷の間にどのような関係があるのかは定かでなかったが、さして問題があるようには思えなかった。戦場で支障を起こしたという報告も、聞いたがことがない。

それに、今俺がやるべき事は、彼女から手渡された物を返上することにある。俺は早々に疑問を放棄した。懐から、推薦状を取り出す。

 

「あきつ丸。悪いが、これは返しておく」

 

「そうでありますか。では、また要り様になった時にお声をかけて頂ければ」

 

「いや、もう必要ないさ、そんなもの。それと、あれだけ壮語してくれたんだ。お前には出向期間を長期化させてもらうぞ。海の男を舐めた事、死ぬほど後悔させてやる。今後もビシバシ行くからな」

 

復讐の意味を込めた言葉に、あきつ丸は目を丸くした。

その表情に、俺は優越感を得る。こういう顔が見たかったんだ。しばらくの間は上官命令で死ぬほどコキ使ってやる。

俺の意図を察したのであろう、あきつ丸は身を乗り出して、

 

「ははは、望むところでありますな」

 

「ははは、その言葉を待っていた」

 

お互い笑いあう。

表面上にしか過ぎないそれを建前として、俺たちの間では早くも火花が散っていた。

 

「ああ、そういえば、提督殿のお耳に入れておきたい事が」

 

「陸からの情報か、聞かせろ」

 

「実は…………」

 

彼女からもたらされたのは衝撃の事実であった。

回収した筈の戦闘機が、再び深海棲艦の手に落ちたらしい。

 








提督と艦娘間のトラブルに乗じ、海の艦娘どもから提督を引き離すべく隔離政策を推進。
ホームグラウンドである陸でイチャイチャしようとするあきつ丸は、ずる賢かわいいってはっきり分かんだね。ご指摘がありましたので、ちょっとヤンデレ成分アップでありますよ。
長門&陸奥。鈴谷あたりも分かりづらい、かな? あ、大淀全然喋ってねえや。

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