連帯責任特別試験   作:EXTERMINATION

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第1話 連帯責任

高度育成高等学校において、特別試験という言葉は、 

もはや生徒たちにとって単なる学力試験や、

運動能力を競う行事を意味するものではなくなっていた。

 

無人島での生活を強いられ、船上で互いの正体を探り、

クラスメイトの価値を数字へ置き換え、

時には誰か一人の退学を巡って集団全体が、

疑心暗鬼に陥る経験を重ねてきた二年生たちは、

校内端末へ「特別試験実施」の通知が届いた程度では、

以前のように大騒ぎすることもなくなっていた。

 

しかし、その日の朝に届いた通知には、普段とは明らかに異なる点があった。

 

試験内容についての事前説明が一切なく、必要な持ち物も指定されておらず、

集合場所として記されていたのは二年生全員を収容できる第一体育館であり、

さらに通知の最後には、「欠席および遅刻は理由を問わず認めない」という、

強い文言まで添えられていたからだった。

 

午前八時四十分、堀北鈴音は教室へ入ってきた生徒たちを見渡しながら、

自分の端末に表示された通知を何度目か分からないほど読み返していたが、

文章そのものは極端なまでに簡潔であり、

そこから試験の性質を予測する材料はほとんど得られなかった。

 

「随分と情報を絞ってきたわね。

少なくとも、事前準備をさせる気がないことだけは分かるけれど、

わざわざ四クラス全員を同じ体育館へ集める以上、

クラス単独で完結する試験ではなさそうね」

 

堀北がそう口にすると、

少し離れた席で端末を眺めていた平田洋介も静かに頷き、

通知の内容から考えればクラス対抗か、

あるいは四クラス合同で何らかの選択を迫られる可能性が高いと答えた。

 

普段であれば、試験開始前から必要以上に悲観することを嫌う生徒も多かったが、

今回は教室全体に妙な落ち着かなさが漂っていた。

 

池寛治は須藤健と小声で「また無人島とかじゃないよな」と話し、

篠原さつきは通知の文面が嫌な感じだと顔をしかめ、

佐藤麻耶や軽井沢恵もいつもより声量を落としながら、

他クラスにも同じ通知が届いているらしいという話をしていた。

 

オレは自分の席からその様子を眺めながら、

学校側が情報を伏せている理由について考えていた。

 

特別試験では、試験開始前の準備そのものが競争の一部になることも珍しくない。

それにもかかわらず今回は準備期間が存在せず、

二年生全員を一か所へ集め、さらに欠席まで認めないという条件を付けている以上、

生徒が試験前に取る行動ではなく、その場で下す判断こそが評価対象になる可能性が高かった。

 

そして、もう一つ気になる点があった。

 

通知には、「特別試験開始時刻は午前九時」と書かれているにもかかわらず、

終了予定時刻が記載されていなかった。

 

午前八時五十五分になると、

二年生の四クラスはそれぞれの担任に引率されながら第一体育館へ移動し始めた。

 

体育館の入口には普段使用されている得点板とは別に巨大な液晶モニターが四台設置され、

その正面には横長の大型スクリーンまで用意されていたため、

生徒たちの間には入場した瞬間からざわめきが広がっていった。

 

四台のモニターには、それぞれクラス名だけが表示されていた。

 

堀北クラス。

 

龍園クラス。

 

坂柳クラス。

 

一之瀬クラス。

 

その下には各クラス全員分と思われる空欄が並んでいたものの、

まだ名前や数字は表示されておらず、

何のために用意されたものなのかを判断することはできなかった。

 

体育館へ入ってきた龍園翔は、

正面のモニターを一瞥すると口元をわずかに歪め、

その隣を歩いていた石崎大地へ何かを言いながら、

自分たちに割り当てられた場所へ向かった。

 

伊吹澪はいつものように不機嫌そうな表情で後ろを歩き、

椎名ひよりは周囲の生徒たちの様子を慎重に観察しながら、

龍園たちから少し離れた位置へ腰を下ろした。

 

坂柳有栖は杖をつきながらゆっくりと入場すると、

大型スクリーンと四台のモニターを順番に眺め、

その後ろでは橋本正義が露骨に嫌そうな顔をしながら周囲を見渡していた。

 

森下藍は緊張しているのか、

それとも普段と変わらないだけなのか判別しづらい無表情を保ちながら、

表示されているクラス名をじっと見上げていた。

 

一之瀬帆波のクラスでは、神崎隆二が周囲を警戒するように腕を組み、

網倉麻子と白波千尋が小声で何かを話していた。

 

一之瀬自身はいつも通り柔らかな表情を見せていたものの、

体育館に設置された設備を確認するたびに、

その笑顔が少しずつ薄くなっていることは容易に分かった。

 

九時ちょうどになると体育館のすべての扉が閉じられ、

壇上には茶柱佐枝、坂上数馬、真嶋智也、星之宮知恵の四人が並んだ。

 

普段なら星之宮が場の空気を和らげるような一言を挟みそうな場面だったが、

今回は彼女まで黙っていた。

 

その事実だけで、生徒たちのざわめきは自然に弱まっていった。

 

真嶋が一歩前へ出ると、手にしていた端末を操作し、

背後の大型スクリーンへ白い文字を表示させた。

 

そこに映し出された試験名を見た瞬間、体育館内の空気がわずかに変わった。

 

『連帯責任特別試験』

 

名前だけを見れば、それほど異常なものには思えなかった。

 

これまでにもクラス全員の成績が連動する試験や、

一部の生徒の失敗が全体へ影響する試験は存在しているため、

「連帯責任」という言葉そのものに驚く理由はない。

 

しかし真嶋は、生徒たちが静かになったことを確認してから、重い声で説明を始めた。

 

「今回の特別試験は、二年生四クラスのみを対象として実施する。

試験開始から終了まで、原則として四クラスは同一の試験規則の下で行動することになるが、

クラス順位を直接競う形式ではないことを最初に伝えておく」

 

クラス順位を競わないという説明を受け、何人かの生徒が顔を見合わせた。

 

龍園は椅子へ深く腰を下ろしたまま、壇上へ向けて不敵な笑みを浮かべた。

 

「だったら何を競わせるつもりだ。

わざわざ俺らを全員集めたんだ、仲良しこよしでもやらせる気じゃねえんだろ?」

 

龍園の挑発的な問いに対し、真嶋は特に反応を示さなかった。

 

「その説明を行う前に、本試験における最も重要な前提を伝える。

今回の試験では、開始時点で各クラスから一名ずつ、合計四名の生徒を学校側が選出する」

 

大型スクリーンに新しい文字が表示された。

 

『初期指定生徒――四名』

 

体育館に小さなざわめきが起こる。

 

須藤が眉をひそめながら堀北へ顔を向け、軽井沢も隣の佐藤との会話を止めた。

 

真嶋はそのまま続けた。

 

「選出基準は学力、身体能力、これまでの特別試験への貢献度、生活態度、

校内評価、その他学校側が保有する複数の情報を総合したものであり、

生徒側が指定対象者を変更することはできない」

 

ここまで聞いた段階で、堀北が小さく息を吐いた。

 

「随分と曖昧な選出基準ね。学校側の裁量が大きすぎるわ」

 

坂柳も同じことを考えていたらしく、微笑を浮かべながら壇上を見つめた。

 

「重要なのは選出基準ではないのでしょうね。

問題は、その四名に何をさせるのかという点です」

 

真嶋は坂柳の言葉を否定せず、端末を操作した。

 

四台のモニターが同時に切り替わった。

 

それまで空欄だった一覧の最上部に、一人ずつ名前が表示される。

 

堀北クラス。

 

『池寛治』

 

龍園クラス。

 

『伊吹澪』

 

坂柳クラス。

 

『橋本正義』

 

一之瀬クラス。

 

『白波千尋』

 

体育館が一気に騒がしくなった。

 

池は数秒間、自分の名前が表示されていることを理解できなかったように画面を見上げていたが、

やがて周囲の視線が自分へ集まっていることに気づき、勢いよく立ち上がった。

 

「ちょっと待ってくれよ、何だよこれ。何で俺なんだよ!」

 

篠原が池の腕を掴んで座らせようとする一方、

須藤は壇上へ向かって「選ばれたらどうなるんだ」と強い声を飛ばした。

 

龍園クラスでは伊吹が露骨に舌打ちし、腕を組んだまま龍園を睨みつけた。

 

「何よ、これ」

 

「俺に聞くな。学校が勝手に決めたことだ」

 

「面白がってる場合じゃないでしょ!」

 

「まだ何も始まってねえのに騒ぐな。何をさせられるか聞いてからでも遅くねえ」

 

龍園はそう答えていたが、先ほどまで浮かべていた笑みは僅かに薄くなっていた。

 

坂柳クラスでは橋本が自分の名前を見て表情を固めていた。

 

「……マジかよ」

 

橋本は何度かスクリーンと坂柳を交互に見た後、

冗談めかした口調を作ろうとしたものの、その声には明らかな緊張が混ざっていた。

 

「姫、これって何かの選抜だよな。まさか俺だけ損する試験じゃないよな?」

 

「まだ判断するには早いですよ、橋本くん。

ただし、あなたが選ばれたこと自体には何らかの意味があるのでしょう」

 

坂柳は冷静に答えたが、視線は大型スクリーンから一度も離れていなかった。

 

一之瀬クラスでは、白波が青ざめた顔で一之瀬を見ていた。

 

「帆波ちゃん……」

 

「大丈夫だから。まだ何も決まったわけじゃないよ」

 

一之瀬はすぐに白波の手を握ったが、

自分自身も何が起きるのか分かっているわけではないため、その言葉に確かな根拠はなかった。

 

真嶋は体育館が落ち着くまで待つことなく、次の説明へ進んだ。

 

「現在表示されている四名を、本試験では『責任対象者』と呼称する。

そして本試験終了時点で責任対象者として登録されている生徒は、本校を退学する」

 

言葉の意味が体育館全体へ浸透するまで、奇妙な間があった。

 

誰かが聞き間違えたのではないかと疑ったのかもしれない。

 

しかし大型スクリーンには、真嶋の説明を裏付けるように新しい文章が表示されていた。

 

『試験終了時点における責任対象者――退学』

 

そこまで明確に示されてしまえば、理解を拒むこともできなかった。

 

池の顔から血の気が引いた。

 

伊吹の目付きが鋭くなった。

 

橋本は完全に笑みを失った。

 

白波は一之瀬の手を強く握り返した。

 

「ふざけんなよ!」

 

最初に怒鳴ったのは池だった。

 

「俺たち何もしてねえだろ!何で試験が始まった瞬間から退学なんだよ!」

 

池の叫びをきっかけに、体育館の各所から抗議の声が上がった。

 

篠原は納得できないと声を震わせ、

石崎は伊吹を指しながら学校側の勝手な選出に怒り、

坂柳クラスでも複数の生徒が説明を求め、

一之瀬クラスでは白波を守るように多くの生徒が立ち上がった。

 

その騒ぎを静かに眺めていたオレは、

壇上の教師たちが一切動揺していないことを確認していた。

 

学校側は当然、この反応を予想している。

 

そして、もし本当に四人を一方的に退学させるだけなら、

特別試験という形式を取る必要がない。

 

つまり、この後に何らかの救済規則が存在する。

 

おそらく堀北も同じ結論に達したらしく、

立ち上がろうとした須藤を制すると、壇上へ向かって声を上げた。

 

「まだ説明は終わっていないのでしょう。

責任対象者を変更、もしくは解除する方法があるはずよ」

 

真嶋は短く頷いた。

 

「その通りだ。責任対象者となった生徒には救済手段が用意されている」

 

体育館の空気が僅かに緩んだ。

 

池は露骨に安堵し、白波も一之瀬を見ながら小さく息を吐いた。

 

しかし坂柳は笑わなかった。

 

むしろ救済という言葉が出た瞬間、それまで以上に鋭くスクリーンを見つめていた。

 

オレも同じだった。

 

学校側が無条件で救済手段を用意するはずがない。

 

問題は、その代償だった。

 

真嶋が端末を操作すると、大型スクリーンへ新たな規則が表示された。

 

『救済権』

 

『各クラスは、自クラスまたは他クラスに所属する責任対象者一名について、

救済権を行使することができる』

 

『救済権が行使された責任対象者は、即座に責任対象者から解除される』

 

説明だけを読めば、単純だった。

 

池を助けることもできる。

 

伊吹を助けることもできる。

 

橋本も白波も同じだ。

 

しかし、次の一文が表示された瞬間、体育館に再び不穏な静けさが広がった。

 

『ただし、一名を救済した場合、四クラスを対象として、新たに責任対象者が選出される』

 

堀北の目が細くなった。

 

一之瀬も表情を曇らせた。

 

橋本はモニターの文章を読みながら、明らかに嫌な予感を覚えたようだった。

 

龍園だけはしばらく黙っていたが、やがて低い笑い声を漏らした。

 

「なるほどな。そういうことか」

 

伊吹が睨む。

 

「何が分かったのよ」

 

「一人を助ければ、代わりに別の誰かが危険になるって話だ。ただし、まだ条件が見えきってねえ」

 

龍園の言う通りだった。

 

文章だけでは、新たな責任対象者が何名発生するのか、

どのクラスから選ばれるのか、選出方法が完全な無作為なのかすら分からない。

 

堀北がすぐに質問する。

 

「『四クラスを対象として、新たに責任対象者が選出される』という表現では人数が不明確よ。

救済一回につき、新しい責任対象者は何人追加されるの?」

 

真嶋は淡々と答えた。

 

「二名だ」

 

今度こそ、体育館全体が静まり返った。

 

一名を救う。

 

二名が新たに選ばれる。

 

単純な算数だった。

 

責任対象者は減らない。

 

一人減り、二人増えるため、総数は一人ずつ増加する。

 

最初は四人。

 

一人救えば五人。

 

さらに救えば六人。

 

救済を続ける限り、責任対象者は増え続ける。

 

その構造を理解した生徒から順番に、表情が変わっていった。

 

「ちょっと待ってよ……」

 

佐藤が小さく呟いた。

 

「それじゃ、誰かを助けるたびに、退学するかもしれない人が増えるってこと……?」

 

軽井沢は答えられなかった。

 

平田もすぐには言葉を出さず、視線を落としていた。

 

一之瀬は白波の手を握ったまま、明らかに動揺していた。

 

「じゃあ、千尋ちゃんを助けたら……また誰か別の二人が……」

 

神崎が厳しい表情でスクリーンを見つめる。

 

「そういうことになる」

 

「でも、そんなの……」

 

一之瀬はそこで言葉を止めた。

 

救わなければ白波が退学する。

 

救えば、白波の代わりに二人が危険になる。

 

その二人も助ければ、さらに四人ではなく、

救済一回につき二人ずつ新たな候補が生まれるため、全体の人数は着実に増えていく。

 

学校側は、生徒に退学者を選ばせようとしているのではない。

 

誰を救うのか。

 

そして、その救済によって生まれた新たな犠牲を、どこで見捨てるのか。

 

その判断を四クラスへ押し付けようとしていた。

 

坂柳が初めて口を開いた。

 

「確認させてください。新たな責任対象者として抽選された生徒も、

同じ救済権によって解除することが可能なのですね?」

 

「可能だ」

 

「一度救済された生徒が、再び抽選対象になる可能性はありますか?」

 

「ある」

 

坂柳の微笑が僅かに消えた。

 

「つまり、救済されたという事実は、その生徒の安全を保証しないということですね」

 

「その認識で正しい」

 

体育館の空気がさらに重くなった。

 

一度助けても終わりではない。

 

運が悪ければ再び候補になる。

 

そして再び助ければ、また誰かが増える。

 

龍園が椅子から立ち上がった。

 

「抽選ってのは完全なランダムか?」

 

「詳細な選出方式は非公開とする」

 

「だったら学校側が好き勝手に選べるってことじゃねえか」

 

「規則上、選出方式の開示義務はない」

 

龍園の目付きが鋭くなった。

 

「随分と都合のいい試験だな」

 

まだ怒鳴ってはいない。

 

しかし、先ほどまでの余裕ある態度とは明らかに違っていた。

 

真嶋はさらに説明を続けた。

 

救済権の行使にはクラス内過半数の同意が必要であり、

救済対象者が他クラスの生徒であっても構わないこと、

救済権そのものに回数制限は存在しないこと、

試験終了条件は学校側から別途通知されること、

特別ポイントによる責任対象者の解除は認められないこと、

そして試験中に退学候補となった生徒が自主退学を申し出ても、

試験終了までは処理されないことが告げられた。

 

真嶋の説明が途切れたところで、今度は茶柱が一歩前へ出た。

 

先ほどまで規則を読み上げていた真嶋とは違い、茶柱はすぐには口を開かなかった。

 

体育館に集められた生徒たちを、端から端までゆっくりと見渡していく。

 

やがて、その視線が止まった。

 

「もう一つ、この試験が実施される理由について説明しておく」

 

生徒たちの視線が茶柱へ集まった。

 

「お前たちは、近年稀に見るほど退学者の少ない学年だ」

 

その言葉に、小さなどよめきが起こる。

 

退学者が少ない。

 

本来なら、それは誇るべきことのはずだった。

 

「これは、お前たちがこれまで数々の特別試験を乗り越え、

退学という結果を可能な限り回避してきたことの証明でもある。

個人として見れば、それだけ優秀な生徒が揃っていたとも評価できるだろう」

 

茶柱はそこで一度言葉を切った。

 

「だが同時に、学校側は別の評価も下している」

 

堀北が僅かに眉を寄せる。

 

龍園も黙って茶柱を見る。

 

坂柳の微笑みが薄れ、一之瀬も嫌な予感を覚えたように表情を強張らせた。

 

「退学者を出さないことだけを最優先し、あらゆる犠牲を回避し続ける姿勢は、

この学校が採用している競争システム、ひいては社会に存在する責任という、

概念の本質を否定する結果にも繋がり得る、と」

 

「何だよ、それ……」

 

誰かが呟いた。

 

茶柱は続ける。

 

「現実の社会には、個人の意思や善悪だけでは処理できない責任が存在する。

組織、取引、契約、管理、監督、被害者保護。ある者の行為によって生じた結果について、

別の者や組織が一定の責任を負う場面もある」

 

体育館が静かになっていく。

 

「無論、連帯責任という考え方が、あらゆる場面で無条件に正当化されるわけではない」

 

茶柱の声が低くなる。

 

「法律的にも、社会的にも、その必要性は一律ではない。

必要か否かで言えば、一定の場面では必要となる一方、

すべてのケースへ適用すべきものではない。

責任の範囲、当事者間の関係、被害者保護、

取引や契約の安全性などによって、その意味は変わる」

 

そこで茶柱は生徒たちを見渡した。

 

「つまり、曖昧だ。救済できない状況でも同じことが言えるのか。

組織の責任とはどこまでなのか。これは教育理念と問題意識から設計された試験だ」

 

誰も口を挟まない。

 

「だからこそ今回、お前たち自身にその境界を決めてもらう」

 

堀北の表情が変わった。

 

「……どういう意味ですか」

 

茶柱は堀北を見る。

 

「今回の試験では、連帯責任を単なる理念として議論させるつもりはない。

誰に責任を負わせるべきなのか。どこまで他者を救済するのか。

そして一人を救うために、別の誰かへ責任が移ることを許容できるのか。

それらを、お前たち自身の選択によって明文化させる」

 

一之瀬が息を呑んだ。

 

龍園からも笑みが消えた。

 

坂柳は何も言わなかったが、杖を握る指に僅かに力が入っていた。

 

「以上が、この試験を実施する理由だ。お前たちがこの理念に納得する必要はない。

試験に参加する以上、求められるのは理解と選択だけだ」

 

茶柱の最後の説明が終わると、体育館の正面にある大型スクリーンへ残り時間が表示された。

 

『第一選択時間――60分』

 

四クラスには、最初の一時間で救済権を行使するか否かを決定するよう命じられた。

 

つまり何もしなければ、池、伊吹、橋本、白波の四人は責任対象者のまま残る。

 

現時点で試験が終了すれば、四人は退学する。

 

しかし一人でも助ければ、別の二人が新たに責任対象者となる。

 

教師たちは説明を終えると壇上から離れ、

それぞれ体育館の四隅に用意された監督席へ移動した。

 

そして大型スクリーンの数字が減り始めた。

 

五十九分五十九秒。

 

五十九分五十八秒。

 

四クラスの誰も、最初の数秒は動かなかった。

 

最初に沈黙を破ったのは池だった。

 

「なあ、待ってくれよ」

 

声が震えていた。

 

普段なら空気を読まずに騒ぐことも多い池が、

今は誰の顔を見ればいいのか分からないように視線を彷徨わせていた。

 

「俺、退学なんかしたくねえよ。まだ二年だぞ。何でこんなんで終わんなきゃいけねえんだよ」

 

篠原が唇を噛む。

 

「助けるに決まってるでしょ」

 

堀北がすぐに反応した。

 

「待ちなさい、篠原さん」

 

「何でよ!」

 

「助けないと言っているわけではないわ。

ただし、感情だけで最初の一回を決めるべきではない。

池くんを救済すれば、他クラスから二人が新たに選ばれる。

その二人が誰なのか分からない以上、四クラスで情報を共有してから動く必要がある」

 

「でも時間は一時間しかないのよ!」

 

「だからこそ焦ってはいけないの」

 

堀北の理屈は正しい。

 

しかし篠原にとって、目の前にいる池は単なる数字ではなかった。

 

龍園クラスでも同様だった。

 

「龍園、どうすんのよ」

 

伊吹が問いかける。

 

「どうするも何も、まず他の連中の出方を見る」

 

「私を切るってこと?」

 

「勝手に話を飛ばすな」

 

「でも助けたら二人増えるのよ。

だったら最初の四人をそのまま切れば、被害は四人で済むじゃない」

 

伊吹自身がそう言ったことで、周囲の生徒たちが息を呑んだ。

 

石崎が慌てて首を振る。

 

「いやいや、何言ってんだよ伊吹。そんな簡単に決められるわけねえだろ」

 

「でも事実でしょ」

 

「だからって、お前が退学でいいわけねえだろ」

 

伊吹は言い返そうとしたが、言葉が出なかった。

 

その少し後ろで、ひよりは俯きながら考え込んでいた。

 

彼女も分かっている。

 

伊吹一人を救うために、誰か二人が危険になる。

 

しかし、だからといって伊吹を見捨てることが正しいのかと問われれば、

答えなど簡単には出せなかった。

 

坂柳クラスでは橋本が早くも焦り始めていた。

 

「姫、俺はちゃんとクラスに貢献してきただろ。

無人島でも船でも、今まで何もしてこなかったわけじゃない。ここで俺を切るのは違うよな?」

 

「あなたが貢献してきたことと、この試験の構造は別問題です」

 

「いや、それは分かってるけどさ」

 

「橋本くん」

 

坂柳は静かな声で遮った。

 

「あなたを救済すれば、二人が新たに責任対象者となります。

その二人が私たちのよく知らない生徒であったとしても、命題そのものは変わりません。

あなた一人の残留と、二人の新たな退学危機を交換することになります」

 

橋本の顔が強張った。

 

「……じゃあ俺を切るのか?」

 

坂柳は答えなかった。

 

そして、その沈黙こそが橋本には最も恐ろしかった。

 

一之瀬クラスでは、状況はさらに苦しかった。

 

「帆波ちゃん、私のことはいいよ」

 

白波がそう言った瞬間、一之瀬は強く首を振った。

 

「よくないよ」

 

「でも私を助けたら、誰か二人が……」

 

「だからって千尋ちゃんが退学していい理由にはならないよ」

 

「でも、もし新しく選ばれたのが麻子ちゃんだったら?神崎くんだったら?

他のクラスの人でも同じだよ。私一人のために二人が危なくなるんだよ」

 

一之瀬は答えられなかった。

 

網倉も目を伏せ、神崎は腕を組んだまま黙っていた。

 

この試験は、一之瀬の思想と最も相性が悪い。

 

誰も見捨てないという選択を取れば取るほど、責任対象者の総数が増えるからだ。

 

助けることが善意ではなく、新たな犠牲を生み出す行為として計算される。

 

オレは四クラスの議論を聞きながら、規則の中にある違和感を整理していた。

 

学校側は救済回数を制限していない。

 

責任対象者の総数が増加することも承知している。

 

それでも試験終了条件を開示していない。

 

つまり、この試験の本質は、単純に一定人数を退学させることではない可能性が高い。

 

どの段階で救済を止めるのか。

 

誰を切り、誰を残すのか。

 

その過程でクラス間にどのような対立が生まれるのか。

 

おそらく学校側は、そこまで含めて見ている。

 

残り時間が三十分を切った頃、四クラスの代表者が体育館中央へ集まった。

 

堀北、龍園、坂柳、一之瀬。

 

そしてオレも堀北から呼ばれ、少し離れた位置で話を聞くことになった。

 

「最初の四人を全員そのまま残せば、現状では退学候補は四人だけよ」

 

堀北がそう切り出す。

 

一之瀬は苦しそうに首を振った。

 

「でも、それって池くんと伊吹さんと橋本くんと千尋ちゃんを見捨てるってことだよ」

 

「分かっているわ」

 

「だったら」

 

「だからこそ、別の方法を探しているのよ」

 

龍園が鼻で笑った。

 

「別の方法なんざ今のところねえだろ。

助ければ増える。助けなきゃ四人で終わる。小学生でも分かる」

 

「試験終了条件が伏せられている以上、四人で終わる保証もないわ」

 

「だから面白えんだろ」

 

龍園はそう言ったものの、以前のように心から楽しんでいるわけではなかった。

 

坂柳は四人の会話をしばらく聞いた後、杖の先を床へ軽く当てた。

 

「私は一度、救済権を使用してみる価値があると考えます」

 

堀北が眉を寄せる。

 

「理由を聞いても?」

 

「現在の情報だけでは、新しい責任対象者がどのような基準で選ばれるのか判断できません。

完全な無作為なのか、救済したクラスを除外するのか、特定の能力値を参照するのか、

それを確認するためには実際の結果を見る必要があります」

 

「実験のために二人を危険へ巻き込むということ?」

 

一之瀬の声に僅かな非難が混ざった。

 

坂柳は一之瀬を見る。

 

「何もしなければ、既に四人が危険なのですよ。一之瀬さん。

私たちは、この時点で誰も傷つけずに済む場所には立っていません」

 

一之瀬は唇を噛んだ。

 

坂柳の言葉は冷たく聞こえる。

 

しかし間違ってはいない。

 

堀北も反論できなかった。

 

残り十五分。

 

各クラスで再び話し合いが始まった。

 

そして最初に動いたのは、意外にも龍園クラスだった。

 

石崎を中心に伊吹救済を求める声が過半数を超えた。

 

伊吹本人は最後まで反対していた。

 

「やめなさいよ。私一人で済むなら、それでいいでしょ」

 

「うるせえ」

 

龍園が低い声で言った。

 

伊吹が振り返る。

 

「何よ」

 

「お前が決めることじゃねえ」

 

「私の退学でしょ!」

 

「クラスの問題だ」

 

「助けたら二人増えるのよ!」

 

「知ってる」

 

龍園は伊吹から視線を外し、正面のモニターを見上げた。

 

「だから増えた二人を見てから考える」

 

「そんな無責任な……」

 

「最初から責任なんざ全員に押し付けられてんだよ。この試験の名前を忘れたか?」

 

伊吹は何も言えなくなった。

 

救済投票が開始された。

 

龍園クラスの端末へ、一斉に確認画面が表示される。

 

『責任対象者・伊吹澪を救済しますか?』

 

賛成。

 

反対。

 

一票ずつ数字が増えていく。

 

伊吹は立ったままモニターを睨んでいた。

 

石崎は迷わず賛成。

 

アルベルトも賛成。

 

ひよりはしばらく端末を見つめた後、ゆっくりと賛成を選んだ。

 

過半数を超えた。

 

その瞬間、体育館中央の大型スクリーンが赤く点滅した。

 

『救済成立』

 

『伊吹澪――責任対象解除』

 

伊吹の名前から赤い枠が消えた。

 

石崎たちの間から小さな安堵の声が漏れた。

 

しかし、その安堵は数秒しか続かなかった。

 

大型スクリーンに新しい表示が現れる。

 

『新規責任対象者を選出します』

 

体育館全体が静まり返る。

 

誰も動かない。

 

誰も喋らない。

 

ただ、画面上で四クラスの名前が高速で切り替わっていく。

 

堀北クラス。

 

坂柳クラス。

 

一之瀬クラス。

 

龍園クラス。

 

そして再び堀北クラスへ戻り、次の瞬間には別のクラスへ移る。

 

完全な演出なのか、本当に抽選処理を行っているのかは分からない。

 

数秒後、一つ目の名前が止まった。

 

『堀北クラス』

 

佐藤麻耶。

 

「……え?」

 

軽井沢の隣で、佐藤が小さな声を漏らした。

 

体育館の視線が一斉に彼女へ向く。

 

軽井沢は端末を握ったまま固まり、堀北も表情を険しくした。

 

しかし画面には、まだ二人目が残っていた。

 

再びクラス名が切り替わる。

 

坂柳クラス。

 

一之瀬クラス。

 

堀北クラス。

 

そして最後に表示が止まった。

 

『龍園クラス』

 

椎名ひより。

 

その瞬間、龍園の表情から完全に笑みが消えた。

 

伊吹は自分の名前が消えたモニターと、

代わりに赤く表示されたひよりの名前を何度も見比べた。

 

ひより自身は驚いたように目を見開いていたが、声を上げることはなかった。

 

石崎の顔が引きつる。

 

「……嘘だろ」

 

誰も答えない。

 

伊吹はゆっくりと龍園へ顔を向けた。

 

その目には怒りより先に、理解したくない現実を理解してしまった人間の色が浮かんでいた。

 

「龍園……」

 

龍園はモニターから視線を外さなかった。

 

伊吹が救われた。

 

その結果として、佐藤麻耶と椎名ひよりが責任対象者になった。

 

救済は成功した。

 

規則上は間違いなく成功だった。

 

しかし、体育館にいる誰一人として、それを成功だと思ってはいなかった。

 

大型スクリーンの責任対象者数が更新される。

 

四名だった数字が、一つ増えた。

 

『現在の責任対象者――5名』

 

池寛治。

 

橋本正義。

 

白波千尋。

 

佐藤麻耶。

 

椎名ひより。

 

その一覧を見上げながら、堀北は初めて、

この試験の名称に込められた意味を本当の意味で理解し始めていた。

 

一人の選択が一人だけで完結しない。

 

一つのクラスの善意が他クラスへ責任を押し付け、

その責任を解消しようとすれば、さらに別の人間へ負担が移っていく。

 

誰かを救うことと、誰かを危険へ送ることが、完全に同じ行為として成立する。

 

そして、その連鎖を止める方法は、今のところ一つしか見えていない。

 

どこかで誰かを見捨てることだった。

 

残り時間を示す数字が静かに減り続ける体育館の中で、

四クラスの誰もが、その答えだけは口に出せずにいた。

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