エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~ 作:Edward
107 人を煽ってはいけません
魔法が生んだ新たな命綱
ヒースクリフと初めて顔を合わせた、その翌日。
第十層へ戻る前に、こっこは森エルフの長老を訪ねることにした。
魔法復活の騒動が一段落したとはいえ、長老には秘鍵の儀式だけでなく、キリトとディアベルの《眷属化》を解くためにも力を借りている。
改めて礼を伝えるため、こっこは《こっこ亭》で作った料理と、樽に詰めた酒を馬車へ積み込んだ。
「世話になった人のところへ行くのに、手ぶらじゃ格好がつかないからね」
「その量を手土産とは言わないと思うけど……」
荷台いっぱいの料理を見ながら、リズが呆れた声を漏らした。
森エルフの王都へ到着すると、長老だけでなく、多くのエルフたちがこっこを迎えた。
こっこがアインクラッドへ来てから研究してきた料理の数々が、広場へ次々と並べられていく。
焼きたてのパン。
香草を使った肉料理。
野菜を煮込んだスープ。
そして、こっこ亭でも特に評価の高かった豚骨ラーメン。
白く濁った濃厚なスープの香りが広場に漂い始めると、遠巻きに眺めていたエルフたちまで興味を示し、次々と集まってきた。
「この白いスープは、本当に骨から作ったのですか?」
「そう。豚の骨を長時間煮込んで、うま味を全部引き出すんだ」
最初こそ恐る恐る口をつけていたエルフたちだったが、一口すすった途端、その表情が変わった。
「これは……濃厚なのに、香草ともよく合う」
「この細長いものにも、スープがよく絡んでいる!」
「替え玉もあるよ!」
意味も分からないまま差し出された二杯目を、エルフたちは喜んで受け取った。
やがて広場は、人間の町の祭りにも負けないほどの賑わいに包まれていた。
その光景を眺めながら、長老は静かに目を細めた。
「これまで我らは、人との関わりを避けすぎておったのかもしれぬ」
長老はすでに王族へ、人間との交流を積極的に進めるよう提言していた。
世界樹からマナが戻り、森エルフと闇エルフ、そしてドワーフの間にも、新たな関係が芽生えようとしている。
だからこそ、これからは人間との行き来も大切にすべきだというのだ。
「私も賛成です」
隣に立つランスロットが、力強く頷いた。
「人と交わることで失うものもあるでしょう。しかし、それ以上に得られるものがある。それを、我々はこっこ殿たちから学びました」
「料理からでも、交流は始められるからね」
こっこが笑うと、長老も穏やかに頷いた。
宴が落ち着いた頃、長老はこっこを奥の一室へと招いた。
室内の卓上には、淡い光を放つ六種類の結晶が並べられていた。
赤。
緑。
青。
紫。
白。
そして、内部に小さな景色が浮かんでいるかのような、透明な結晶。
「世界樹との接続が戻ったことで、我らは再びこれらを作れるようになった」
長老が最初に赤い結晶を持ち上げる。
「これは《回復結晶》。使用者の生命力を瞬時に満たすものじゃ」
次に示したのは、澄んだ緑色の結晶だった。
「《治癒結晶》。毒や麻痺をはじめ、多くの悪しき状態を取り除く」
さらに長老は、淡い紫色の光を帯びた結晶へ手を伸ばした。
「そして、これは《レストレーション・クリスタル》=《復元結晶》。通常の治癒では届かぬ、呪いや眷属化のような、存在そのものへ食い込んだ異常を修復する」
キリトとディアベルが受けた《眷属化》。
あれを解除するため、長老が一時間をかけて大掛かりな魔法陣を描き、祝福の粉まで使用したことを、こっこは思い出した。
その術式を、ひとつの結晶へ封じ込めたものなのだ。
「これがあれば、同じような目に遭った人をすぐに助けられる……」
「されど、これを作れる者は今のところ、儂しかおらぬ。必要とする魔力も素材も、他の結晶とは比べものにならん」
続いて長老は、青い結晶を手に取った。
「《転移結晶》。使用すれば、危険な場所から指定した安全圏へ脱出できる」
そして、白く輝くひと回り大きな結晶を示す。
「こちらは《回廊結晶》。あらかじめ定めた場所へ通じる道を開き、大勢の者を一度に移動させることができる」
最後の八面体の結晶は《記録結晶》だった。
こっこがスタキオンの呪いイベントで一度手にしたアイテム、これも今後は誰もが使えるようになるということだった。
ボタン操作で目にした光景や音声を保存し、後から再生できる。情報の共有や、出来事の証明にも利用できる品である。
「魔法を学ぶ者が増え、結晶を作れる術者が育てば、いずれ安定して供給することもできよう」
長老は用意していた箱を、こっこの前へ差し出した。
中には、
《回復結晶》が五個。
《治癒結晶》が四個。
《レストレーション・クリスタル》が一個。
《転移結晶》が四個。
《回廊結晶》が一個。
《記録結晶》が五個。
整然と収められていた。
「魔法を取り戻してくれた礼じゃ。受け取ってほしい」
「こんなに……いいの?」
「うむ。ただし、《回廊結晶》だけは別格じゃ。今の我らでも、そう幾つも作れるものではない。使いどころを誤るでないぞ」
長老の厳しい目に、こっこは真剣な表情で頷いた。
「分かりました。本当に必要な時まで使いません」
箱を受け取りながら、こっこの視線は結晶へ釘づけになっていた。
しかし、希少な宝を手に入れた喜びとは少し違っていた。
こっこの頭に浮かんでいたのは、最前線の攻略組ではない。
中層に留まり、日々の狩りや採取で暮らしている、多くのプレイヤーたちだった。
彼らの装備や所持金は、攻略組ほど充実していない。
ほんの一度の麻痺。
ほんの一度の毒。
転移アイテムが買えなかった、ただそれだけの理由で命を落とす者もいる。
――これは、金儲けの道具にしてはいけない。
こっこは、そう感じていた。
「長老。この結晶を作れる人が増えたら、僕たちにも取り扱わせてもらえませんか?」
「商いをするつもりか?」
「はい。でも、利益を出すのはエルフ側です」
長老が片方の眉を上げる。
「エルフの皆さんには、技術と労働に見合うだけのコルをきちんと支払います。作れば作るほど、この町が豊かになるようにしたい」
「では、人には高く売るのか?」
「いいえ。中層では、できる限り安く配ります」
こっこの答えに、長老とランスロットは顔を見合わせた。
「場合によっては、赤字でもいい。回復結晶や治癒結晶、それに転移結晶を持っていれば助かる命がある。お金がないから買えない、という人を減らしたいんです」
最前線を押し上げるだけが、アインクラッド攻略ではない。
中層で暮らす者たちが安全に狩りへ出て、無事に町へ帰れる環境を作る。
それもまた、この世界で生きる人々を支えるために必要な投資だった。
長老は長い髭を撫で、静かに笑った。
「我らへは十分な対価を払い、人には安く渡すか。おぬしには、コルを貯める気があるのか分からんな」
「一応、あるんだけどね……」
「その割には、使い道がおかしいのです」
ランスロットが真顔で付け加えた。
「ひどいなあ。かなり真面目な話をしていたのに……」
「それは失礼した。しかし、こっこ殿が語る“投資”は、たいてい我々の想像を超える規模になりますので」
六億コルを投じた《ほっこり休憩村》を思い出し、こっこは何も言い返せなくなった。
長老の笑い声が、部屋の中に響く。
こうして、世界樹から戻った魔法は、ただ戦いの力としてだけではなく、人々の命を守る新たな技術として歩み始めた。
森エルフには、魔法結晶を生産する新しい仕事を。
中層のプレイヤーには、危機から生還するための命綱を。
魔法の復活によって生まれた最初の産業は、種族を越えて人々を結ぶものになろうとしていた。
こっこに贈られた十六個の結晶。
それは単なる謝礼ではない。
後に中層ゾーンで数多くの命を救うことになる、救命網の原点だった。
第十層
転移門を抜けた瞬間、三人の視界いっぱいに、これまでの階層とはまるで異なる町並みが広がった。
石畳の両脇に軒を連ねるのは、刀剣や包丁、農具などを扱う金物屋。そして、色鮮やかな反物や陶器、香辛料を積み上げた商店の数々。
威勢のいい呼び込みの声が、町のあちらこちらから飛び交っている。
アインクラッド第十層、主街区――《オーサカ》。
記念すべき二桁階層へ、こっこ、リズベット、シリカの三人は降り立った。
こっこは腰に手を当て、堂々と町を見渡した。
「ここが、キバオウさんの町か!」
「違うでしょうが!」
到着早々、リズの鋭いツッコミが響き渡る。近くの露店の呼び込みまで一瞬だけ黙り、何事かと三人を振り返った。
「いや、だって《オーサカ》だよ? 絶対、キバオウさんの故郷か領地か何かでしょ」
「本人が大阪出身かどうかも知らないくせに、勝手に領地を与えるんじゃないわよ!」
「キバオウ様の領地……?」
通りすがりのNPCが、なぜか真剣な顔で呟いた。
「違うからね!?」
リズの二度目のツッコミが、今度は町の一角にまで響き渡った。
そんな二人のやり取りをよそに、シリカは物珍しそうに町を見回していた。
武器を扱う店は多い。しかし、冒険者向けの剣や槍ばかりではない。料理道具、木工道具、金具、装飾品――生活に根づいた金属製品を扱う店が、驚くほど充実している。
さらに奥の通りには、大小さまざまな商店や露店がひしめき合っていた。
金物の町にして、商人の町。
その光景を眺めながら、リズが首を傾げる。
「大阪っていうより……堺ね、ここ」
「わお! 見て、リズ! 和包丁が売ってる!」
リズの言葉を聞いていたのかいなかったのか、こっこの目は店先に並べられた包丁へ釘づけになっていた。
鋭く研ぎ上げられた柳刃包丁、ずっしりと重そうな出刃包丁、繊細な刃紋が浮かぶ薄刃包丁。
料理人として、見過ごせるはずがない。
「ちょっと見てくる!」
「あっ、待ちなさい――わあっ! あっち、鍛冶屋の工房を見学できるの!? 私も見てくる!」
こっこは包丁屋へ。
リズは鍛冶屋へ。
二人はほとんど同時に、別々の方向へ駆けていった。
あとには、シリカとピナだけが取り残される。
「…………」
肩の上のピナが、呆れたように「きゅう」と鳴いた。
シリカは二人の背中を交互に見送り、小さく笑った。
「あの二人……結構、似てるのかも」
待っていても、すぐには帰ってこないだろう。
そう判断したシリカは、ピナを連れて近くの酒場へ入った。
店内は第十層へ到達したプレイヤーたちで賑わっていた。
攻略成功を祝って杯を掲げる者。
次の迷宮区について情報交換する者。
売れ筋になりそうな品を予想する商人たち。
だが、奇妙なことに、多くの客が酒場の一角へ顔を向けていた。
そこには一体のNPCが立ち、《記録結晶》を操作している。しかも、そのNPCは映像に合わせて首を振り、時折拍手までしていた。誰に頼まれたわけでもないのに、妙に熱心な観客である。
結晶から投影された大きな映像には、見覚えのない女性の姿が映し出されていた。
黒髪を揺らし、上品な笑顔を浮かべたその女性は、こちらへ向かって軽く手を振っている。
その笑顔はあまりにも完璧で、酒場の何人かは「感じのいい人だな」と思いかけた直後、なぜか背筋に冷たいものを感じた。
画面の右上には、妙に可愛らしい字体で番組名が表示されていた。
《紅玉宮からこんにちは♥》
シリカは目をぱちぱちと瞬かせた。
「……紅玉宮?」
その直後、映像の女性が満面の笑みで口を開いた。
『第十層攻略、お疲れさまです♥ パーソナリティの凛子です』
「ええええーっ!? なにこれ!!」
シリカの悲鳴が酒場中に響いた。
ピナも驚き、翼をばたつかせながらシリカの頭上へ逃げる。
その拍子に、近くのプレイヤーが持っていたジョッキが跳ね、隣の男の鼻先へ見事に着地した。
「熱っ! いや酒だこれ!」
「そこじゃないだろ! 今の女は誰だ!?」
酒場が一瞬にして騒然となる。
だが、映像の中の凛子はまったく動じない。むしろ、酒場の混乱まで予定通りと言わんばかりに、笑顔を一段深くした。
『皆さん、本日も命懸けの攻略、本当にお疲れさまでした。今後、攻略に役立つ情報や各層の注目情報は、こちら――《紅玉宮からこんにちは♥》でお送りいたします』
画面の下には、ご丁寧にも色鮮やかな花の装飾まで舞っている。
花びらが舞うたび、酒場の空気だけが少しずつ冷えていく。祝福の演出のはずなのに、なぜか処刑前の舞台装置に見えた。
『迷宮区の注意点から、便利なアイテム、ちょっと気になる攻略組の噂まで! 明るく、楽しく、時には厳しくお伝えしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします♥』
最後の「厳しく」という一言だけ、妙に低く響いた気がした。
酒場のプレイヤーたちは、突然始まった謎の番組を呆然と眺めていた。
「誰だ、あの人?」
「NPCじゃないのか?」
「いや、自分でパーソナリティって言ってるぞ……」
「そもそも紅玉宮ってどこだよ?」
「あと、なんで俺たちの酒場で勝手に始まってるんだ?」
もっともな疑問が、次々と飛び交う。
その一方で、酒場の隅にいた一人のプレイヤーは、凛子の笑顔を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……あの人、笑ってるのに目が笑ってないぞ」
「やめろ。そういうこと言うな」
もちろん、誰一人として知るはずがない。
紅玉宮とは何なのか。
なぜ、そこから番組を放送しているのか。
そして、満面の笑みで手を振るこの女性が、何者なのか。
ただ一つ確かなのは、彼女が自分たちの知らない場所から、こちらを見ているらしいということだった。
その頃。
オーサカの酒場で流れる番組を、遠く離れた場所から確認していたヒースクリフは、無言でこめかみを押さえていた。
――凛子……何をやっている!!
心の中では、怒声が轟いていた。
――パーソナリティが後々のボスになる展開とは、いったい何なんだ! それに《紅玉宮》などと言っても、プレイヤーは誰も知らないだろうが! なぜタイトルにした! なぜハートを付けた!!
画面の中では、凛子がにこやかに番組を進行している。
『それでは最初のお便りです。ペンネーム、“最強ギルドを作りたい聖騎士”さんから――』
「ぶっ!」
ヒースクリフは盛大に噴き出した。
――それは私が送ったものではない!!
だが、番組を止めるためのGM権限は、もはや彼の手元にはなかった。
しかも画面の端では、凛子が一瞬だけこちらを見たように見えた。
ヒースクリフは、ゆっくりと椅子の背へ身を預けた。
――……まさか、聞こえているのか?
凛子は何事もなかったかのように、さらに笑顔を深めた。
こうして第十層攻略と同時に、アインクラッド初の定期情報番組――《紅玉宮からこんにちは♥》は、華々しく放送を開始した。
酒場には拍手と困惑と、誰も説明できない不安が同時に広がった。
そしてこれが、のちにエギルから《煽り姉ちゃん》と呼ばれることになる女性の、プレイヤーたちへの初披露であった。