エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~ 作:Edward
《ヴァイスソード》を腰に差し、こっこは軍馬の背へと跨がった。
本来、《騎乗》はそう簡単に扱えるスキルではない。
馬は単なる乗り物ではなく、一体のNPCとして独自に動く。
速度を上げれば姿勢を崩し、急旋回すれば振り落とされる。
戦闘中ともなれば、自分の操作だけでなく馬の挙動まで把握しなければならない。
しかも、馬上では地面に立っているときとは視界も重心も異なる。
わずかな手綱さばきの遅れが、進路の乱れや落馬に直結する。
熟練した騎手でなければ、走らせるだけでも一苦労なのだ。
馬の背は、思っている以上に高い。
地面に立っていたときには見えなかった街道の先まで見渡せる一方で、足元の感覚はひどく曖昧になる。
自分の足で踏ん張れないという事実が、想像以上の不安定さを生み出していた。
手綱を強く握りすぎれば馬の動きを阻害し、逆に緩めすぎれば意思が伝わらない。
身体を前へ倒す角度、腰を浮かせるタイミング、鐙へかける力。
そのすべてを同時に意識しなければ、馬の動きに身体が置いていかれる。
ところが――。
「おおっ! 乗れる乗れる!」
こっこは、まるで最初から乗馬を知っていたかのように声を上げた。
手綱を軽く引く。
それだけで軍馬が滑らかに方向を変えた。
「はいよー!」
軽く腹を蹴れば加速。
軍馬は一瞬だけ首を上げ、次の瞬間には力強く地面を蹴った。
蹄が石畳を叩き、乾いた音が街道へ連続して響き渡る。
その一打ごとに身体が上下へ揺さぶられるはずなのに、こっこの腰は不思議なほど安定していた。
風が頬を撫で、視界の端で建物や街路樹が次々と後方へ流れていった。
通り過ぎる露店の看板が一瞬だけ視界に入り、次の瞬間には遠ざかっていく。
馬の体温と筋肉の動きが、鞍を通して直接伝わってきた。
「おおおおっ!」
こっこは思わず両腕を広げかけ、慌てて手綱を握り直した。
軍馬がわずかに首を振る。
まるで「落ち着け」と言っているようにも見えた。
「危ねえぞ、こっこ! 落ちたら笑うからな!」
横からサタンの大声が飛んでくる。
「落ちるわけないだろ! 僕は今、完全に馬と一体化している!」
「その台詞を言う奴は大体落ちるんだよ!」
「失礼な!」
言い返しながらも、こっこは軍馬の動きから意識を逸らさなかった。
速度が上がるほど、周囲の景色は目まぐるしく変化する。
街道の中央に転がる小石、道端に置かれた木箱、前方を横切ろうとするNPC。
それらを見つけるたび、こっこは手綱をわずかに動かした。
街道を駆け抜け、障害物の手前で手綱を引けば、軍馬はこっこの意図を先読みしたかのように速度を落とす。
急停止ではない。
前脚を突っ張ることもなく、後ろ脚で地面を削ることもない。
まるで最初からそこへ到達する速度を計算していたかのように、滑らかに減速していく。
さらに、こっこが身体を傾ければ、軍馬も自然に重心を移した。
左へ曲がるときには左脚へ力をかけ、右へ旋回するときには右肩をわずかに引く。
その小さな動きだけで、軍馬はこっこの望む方向へ迷いなく進んだ。
まるで長年連れ添った相棒が、言葉にする前からこちらの考えを理解しているかのようだった。
こっこは試しに、手綱をほとんど動かさず身体だけを傾けてみた。
軍馬はそれにも反応した。
次に、視線だけを進行方向へ向ける。
すると、軍馬はその視線の先へ向かおうとするように、ほんのわずかに首を動かした。
「すごいな……」
思わず、こっこの口から感嘆が漏れる。
これは単に操作が簡単になっているだけではない。
馬と騎乗者の間に存在する、わずかな意思疎通そのものが補正されている。
騎乗者と軍馬。
双方のステータスが《ヴァイスソード》によって最適化されている。
こっこの反応速度が上がり、軍馬の判断力と運動性能も引き上げられている。
さらに、互いの動作に生じる僅かな遅延まで補正されているのだろう。
騎乗スキルを持っていないはずなのに、まるで何年も乗り慣れた愛馬のように操ることができた。
「これはいい! ちょっとした暴れん坊○軍だよ!」
「おいおい! 俺にも代われよ!」
横を走るサタンが目を輝かせる。
巨体を揺らしながら並走するその姿は、軍馬に乗っているこっこ以上に周囲の視線を集めていた。
どう見ても、騎馬戦に参加する兵士というより、今にも馬ごと担ぎ上げそうな怪物である。
しかも、サタンは走りながら何度も軍馬へ視線を向けていた。
その目には、戦場で強敵を見つけたときと同じ種類の熱が宿っている。
「黒○号よ! はいよー! したいぜ!」
「それ、作品が違うから!」
「細けえことはいいんだよ!」
「よくないよ!」
サタンが手を伸ばして軍馬のたてがみに触れようとする。
走行中の馬へ不用意に手を伸ばすなど、普通なら危険極まりない行為だった。
軍馬は嫌そうに耳を伏せ、わずかに進路を外した。
「ほら、馬にも嫌がられてるじゃないか!」
「違う! 照れてんだよ!」
「どこがだよ!」
「俺のような偉大な戦士に触れられて、緊張してんだ!」
「それは嫌がってるって言うんだよ!」
サタンがさらに距離を詰めようとすると、軍馬は今度こそ明確に速度を上げた。
こっこの意思とは関係なく、サタンから逃げるように前へ出る。
「おい、こっこ! 止めろ!」
「僕に言うな! 君が嫌われてるだけだろ!」
「嫌われてねえ! 恥ずかしがってるだけだ!」
「馬の感情を勝手に決めつけるな!」
軍馬の上ではしゃぐ中年と、その馬を羨ましそうに追いかけるゴリマッチョ。
――絵面は、ひどく悪かった。
通りを歩いていたNPCたちは道の端へ避け、露店の店主たちは商品を抱えて店の奥へ逃げ込んでいる。
中には二人を見て、何かのイベントが始まったと勘違いし、遠巻きに歓声を上げる者までいた。
「頑張れー! 騎馬隊ー!」
「そっちの大男、走るだけかよ!」
「馬に乗ってる人、落ちるなよー!」
誰かが投げた声援に、こっこは片手を上げて応えた。
その瞬間、軍馬が小さく跳ねる。
「うわっ!」
「だから調子に乗るなって言っただろ!」
「今のは馬が喜んだんだよ!」
「絶対違う!」
街道の先では、何人かのNPCが足を止めてこちらを見ていた。
子どもたちは目を輝かせ、大人たちは困惑した表情を浮かべている。
一方、軍馬はそんな周囲の騒ぎなど気にする様子もなく、一定の速度で走り続けていた。
もしリズとシリカが残っていたなら、間違いなく止められていただろう。
リズなら眉間を押さえながら説教を始め、まずサタンの無謀な行動を叱り、その後でこっこの悪ノリを追及したに違いない。
シリカなら慌てて周囲へ謝って回り、NPCたちへ頭を下げながら、二人を安全な場所へ連れ戻そうとしただろう。
しかし今、二人はいない。
つまり。
止める者もいなかった。
誰も止めない。
誰も叱らない。
そして、こっこもサタンも、自分たちから止まる理由を見つけられなかった。
その結果、二人は街道を何度も往復し、軍馬の速度を試し、急旋回を試し、障害物を避ける練習まで始めた。
途中からは、どちらがより派手に軍馬を操れるかという、意味のない勝負にまで発展していた。
もちろん、サタンは馬に乗っていない。
それでも本人は、並走しながら大きく跳び、石垣を乗り越え、街路樹の根元を回り込むことで対抗していた。
「どうだ! 俺のほうが速いだろ!」
「それは馬と競争してるだけだよ!」
「なら、俺にも馬を貸せ!」
「さっき嫌われてただろ!」
「まだ一回しか触ってねえ!」
「一回で十分だったんだよ!」
しばらく軍馬を乗り回して満足したこっこは、サタンと共に《テーム》へ戻った。
戻ってきた頃には、こっこの髪は風で乱れ、サタンは無駄に全力疾走したせいで肩を上下させていた。
軍馬だけが、最初から最後までほとんど疲れた様子を見せていない。
軍馬は厩へ預けられたが、こっこは最後まで名残惜しそうにその背を撫でていた。
軍馬は最初こそ警戒するように耳を動かしたものの、やがて大人しくなり、こっこの手を拒まなかった。
「また乗せてくれよ」
サタンに至っては、別れ際に何度も念を押している。
「次は俺が乗る番だからな!」
「馬が許してくれたらね」
「絶対に許す! 俺たちはもう友達だ!」
軍馬はサタンの声を聞いた途端、わずかに顔を背けた。
「ほら、照れてる!」
「だから違うって!」
厩番のNPCが、二人のやり取りを見ながら苦笑していた。
どうやらこの街では、軍馬よりも二人のほうがよほど騒がしい存在として認識されたらしい。
「しかし……」
馬から降りながら、こっこは《ヴァイスソード》へ視線を落とす。
鞘に収まった白銀の剣は、先ほどまでの疾走などなかったかのように静かだった。
刀身が振動することも、光を放つこともない。
だが、その内部には確かに、騎乗者と軍馬の能力を引き上げる異質な力が宿っている。
剣を手にしているだけで、戦闘能力だけではなく、周囲の環境や仲間の性能にまで影響を及ぼす。
それは通常の武器とは、あまりにも性質が違っていた。
「残る二点の宝具は、どこなんだろうね?」
「情報すらなかったなあ」
サタンも腕を組んだ。
現在、所在が判明している宝具は《ヴァイスソード》のみ。
残る二つ――。
軽装鎧《ゼクティブス》。
そして暗殺短刀《アクエスト》。
どちらも、その所在すら掴めていない。
《ヴァイスソード》を手に入れたことで、こっこたちは一歩先へ進んだ。
しかし、宝具が三つ存在する以上、これで終わりではない。
むしろ、ここからが本番だった。
一つ目を見つけたことで、宝具が実在することは証明された。
ならば、残る二つもどこかに存在している。
問題は、それがどこにあり、誰の手に渡るのかということだ。
「まあ、酒場に行けば何か情報が増えてるかもしれない」
「だな」
二人はいつもの酒場へ向かった。
道中、こっこは何度も情報板のある方向を振り返った。
《ヴァイスソード》を手に入れたという情報が、すでにどこまで広がっているのか。
そして、他のプレイヤーたちがどのような反応を示しているのか。
その答えを知るには、酒場が一番早い。
扉を開ける。
昼間から傭兵たちで賑わう店内。
酒の匂いと焼いた肉の香り、そして戦場から戻った者たちの荒々しい話し声が混ざり合っている。
いつもなら、扉が開いた瞬間に何人かが振り返る程度だった。
しかし今日は違った。
こっこたちが入ってきた瞬間、店内の会話が一拍だけ途切れた。
その後、ひそひそとした声があちこちから上がる。
「来たぞ」
「あれがヴァイスソードの所有者か?」
「本当に手に入れたらしいな」
《ヴァイスソード》を手に入れたという噂は、すでに店内へ広がっているらしい。
こっこたちが入ってきた瞬間、何人かの傭兵がちらりと視線を向けた。
だが、こっこはそれらを気に留めなかった。
今は噂話よりも、情報板のほうが重要だった。
誰が何を言っているかではなく、世界全体へ公開された情報に変化があるかどうか。
それを確認しなければならない。
その奥――壁一面に設置された情報板へ、こっこは何気なく視線を向けた。
そして。
「…………ん?」
足が止まった。
情報板の前には、すでに何人ものプレイヤーが集まっていた。
誰もが同じ場所を見つめ、驚きや警戒の入り混じった表情を浮かべている。
ランキングが更新されている。
討伐数。
捕虜獲得数。
戦功。
これまでにも存在していた項目が、いくつも並んでいる。
しかし、その中に新しく追加された項目があった。
――《魔法宝具・所有者情報》。
「……おい、サタン」
「あん?」
「増えてる」
「何が?」
こっこが無言で指差す。
サタンも情報板を見る。
そこには――。
《騎士剣 ヴァイスソード》
所有勢力――ヴェストリア王国。
所有者――コッコ。
つい先ほどまで空欄だった項目が、堂々と埋められている。
その表示は、単なる記録ではない。
この世界にいる全プレイヤーへ向けた、宣戦布告にも等しかった。
所有者の名前だけではない。
所属する勢力まで明確に表示されている。
つまり、こっこがどの陣営に属し、どの宝具を手に入れたのかが、敵味方を問わず全員に知られてしまったということだ。
そして、その下。
《軽装鎧 ゼクティブス》
所有勢力――オリエンタ帝国。
所有者――キリト。
「…………」
「…………」
二人とも黙った。
周囲の喧騒が、急に遠のいたように感じられた。
こっこは情報板から目を離さず、サタンもまた、表示された名前を何度も確認している。
見間違いではない。
そこには確かに、キリトの名前が表示されていた。
数秒後。
こっこの口角が、ゆっくりと上がった。
「キリトくぅぅぅん……」
「悪い顔してるぞ」
「やってくれたじゃないか……!」
さっきまで時代劇ごっこをしていた男の顔から、完全に笑いが消えていた。
いや。
正確には――笑っている。
笑っているのだが、目が笑っていない。
その表情を見たサタンは、思わず半歩だけ後ずさった。
こっこがこういう顔をするときは、ろくなことが起きない。
これまでの経験が、そう告げている。
「なるほどね……。僕たちが《ヴァイスソード》を取っている間に、向こうも動いてたわけだ」
「追いつかれたな」
「追いつかれたねえ……」
こっこの中で、何かに火がついた。
最初は単純な好奇心だった。
戦争イベントとは何なのか。
魔法宝具とは何なのか。
城塞都市には何があるのか。
面白そうだから参加した。
ただ、それだけだった。
だが。
――キリトが一つ取った。
話は変わる。
自分たちが先に《ヴァイスソード》を手に入れたことで、どこか余裕が生まれていた。
残る宝具も、いずれ探し出せばいい。
そんな気持ちが、ほんの少しだけあったのだ。
しかし、キリトはすでに動いていた。
しかも、こちらと同じように宝具を一つ手に入れている。
ならば、もうこれは単なる探索ではない。
どちらが先に、最後の一つへ辿り着くか。
その競争だった。
いや、競争という言葉だけでは足りない。
互いの陣営の威信を背負い、戦争イベントの流れを左右する争い。
そして何より、こっこ自身の負けず嫌いを刺激する、極めて個人的な勝負だった。
「サタン」
「なんだ?」
「最後の一個――」
こっこは情報板を見る。
まだ所有者の表示されていない、最後の宝具。
《暗殺短刀 アクエスト》
所有勢力――不明。
所有者――不明。
ソードスキルを使用しても、発光エフェクトが発生しない。
暗殺に特化した、危険極まりない魔法宝具。
それがまだ、どこかに眠っている。
情報板に表示された説明文は、他の宝具よりも短かった。
だが、その短さがかえって不気味だった。
発光エフェクトが発生しない。
攻撃の予兆が見えない。
存在そのものが、闇に紛れるために設計されている。
正面からの戦闘ではなく、気づかれないまま相手の命を奪うための武器。
そんなものを、誰かがすでに手にしている可能性もある。
あるいは、まだ誰にも発見されていないだけで、どこかの街の片隅にひっそりと眠っているのかもしれない。
所有者が不明ということは、単に未発見という意味ではない。
すでに誰かが手に入れているにもかかわらず、情報を隠している可能性もある。
その場合、アクエストの所有者は、今この瞬間にも誰かの背後へ忍び寄っているかもしれない。
「――僕らが取るよ」
「おっ!」
サタンもニヤリと笑った。
「キリトには渡さねえって?」
「違う違う」
こっこは人差し指を振る。
「こういうのはね、先に見つけた人のものなの」
「同じじゃねえか」
「全然違いますー」
完全に大人げがなかった。
しかし、こっこの目にはすでに遊び半分の色はなかった。
《ヴァイスソード》を手に入れたときとは違う。
今度は、明確な目的がある。
先に見つける。
先に手に入れる。
そして、キリトに見せつける。
それだけのために、こっこは動き出そうとしていた。
サタンもまた、こっこの隣で拳を握りしめた。
彼にとっては、キリトへの対抗心だけではない。
最後の宝具がどのような力を持つのか、それを確かめたいという戦士としての欲求もあった。
二人の目的は、微妙に違っている。
だが、向かう先だけは同じだった。
そして、この瞬間。
ヴェストリア王国とオリエンタ帝国。
二つの陣営による戦争イベントの裏側で――。
攻略組のオッサンと黒の剣士による、極めて個人的な宝探し競争が始まった。
残る魔法宝具は、あと一つ。
《暗殺短刀アクエスト》。
だが――。
こっこも。
サタンも。
キリトも。
ギズメルも。
まだ知らない。
その短刀が眠っている場所には――。
宝具そのものよりも遥かに厄介な、
《悪意》が、先に辿り着こうとしていた。