エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~ 作:Edward
123 殺人ギルドにご注意を
第十一層、ヴェストリア王国。
主城塞都市《テーム》の酒場は、今日も多くの傭兵たちで賑わっていた。
しかし、その賑わいは以前とは明らかに異なっている。
宝具の発見に沸き立つ歓声。
ランキングの更新に一喜一憂する声。
そして――。
誰が殺された。
どこで襲撃された。
誰が宝具を持っている。
そんな物騒な情報が、酒場のあちらこちらで飛び交っていた。
「……また増えた」
俺は酒場の掲示板を見つめながら呟いた。
そこには、戦争イベント開始以降の死亡者数が表示されている。
《死亡者数:31名》
「昨日から、また増えてるじゃないか……」
隣に立つサタンも、珍しく口を閉ざしていた。
彼は普段なら冗談の一つも飛ばす男だ。
しかし、今は違う。
「コッコ。これは、どう考えてもおかしいぜ」
「ああ……」
このイベントには、敵国の傭兵を合法的に攻撃できるという特殊なルールが存在する。
だが、それは必ずしも殺害を意味しない。
敵のHPをレッドゾーンまで追い込み、降伏させればいい。
装備や所持品を奪うこともできる。
捕縛すれば報酬まで得られる。
つまり、殺さなくても十分に利益を得られる仕組みなのだ。
それなのに、死亡者が増え続けている。
「……殺すこと自体が目的になっている連中がいる」
俺の言葉に、サタンは黙って頷いた。
そして、酒場の扉が開く。
「こっこ!」
振り向くと、そこには黒衣の剣士が立っていた。
「キリト君!」
その隣には、ダークエルフの騎士ギズメルの姿もある。
敵対する陣営の傭兵同士だ。
本来なら、こんな場所で気軽に顔を合わせることすら難しい。
だからこそ、俺たちは事前に決めていた中立区域で情報を交換していた。
互いの陣営に属さない場所。
そこでは戦争イベントによる敵対判定が適用されない。
もっとも、ここまで来るだけでも一苦労だった。
「そっちはどうだった?」
俺が尋ねると、キリト君は険しい表情を浮かべた。
「駄目だ。オリエンタ帝国側でも、同じような噂が流れている」
「宝具の話か?」
「ああ。暗殺短刀《アクエスト》を持っている奴がいるって話だ」
俺は思わず身を乗り出した。
「見つかったのか!?」
「いや、まだ確証はない。持ち主の名前が三人も出ているんだ」
「三人?」
「しかも、目撃された場所も全部違う」
……なるほど。
俺は腕を組んだ。
「情報を意図的にばらまいている可能性があるな」
「俺もそう思う」
ギズメルが口を開いた。
「妙なのは、噂の出所が分からぬことだ。誰もが誰かから聞いたと言うばかりで、実際にその短刀を見た者がいない」
「情報の交錯……いや、攪乱か」
俺は小さく息を吐いた。
《アクエスト》。
ソードスキルを発動しても、通常なら必ず発生する発光エフェクトが現れない。
暗殺者にとって、これほど都合のいい武器はない。
ましてや、この戦争イベントでは敵国の傭兵を殺害しても犯罪者カーソルにならない。
そんな武器が、もし殺人を楽しむ連中の手に渡ったら……。
「キリト君」
「なんだ?」
「嫌な予感がする」
「……奇遇だな。俺もだ」
その時だった。
酒場の掲示板が突然、金色に輝いた。
周囲の傭兵たちが一斉に振り向く。
『おい! ランキングが更新されたぞ!』
『宝具だ!』
『最後の宝具が見つかった!!』
俺たちは同時に掲示板を見上げた。
そこに表示されたのは――。
《第十一層・宝具争奪戦》
第三宝具《アクエスト》発見
第十一層の宝具、全三点の発見を確認。
第十二層の宝具争奪戦が解放されました。
酒場が歓声に包まれた。
「うおおお! 次は十二層だ!」
「新しい宝具が出るぞ!」
「今度こそ俺たちが手に入れる!」
しかし。
俺とキリト君だけは、笑えなかった。
「……誰が手に入れた?」
「名前が出ていない……」
そう。
掲示板には宝具の発見だけが表示されていた。
肝心の所有者が分からない。
少なくとも、俺たちが確認できる情報には載っていなかった。
「まずいな……」
キリト君が呟く。
「ああ」
俺は拳を握った。
これで第十二層にも戦争イベントが拡大する。
宝具を求めるプレイヤーたちは、次々と上層へ向かうだろう。
そして、そこには新たな獲物を待ち構える連中がいるかもしれない。
俺たちの不安など知る由もなく、酒場では次の戦いに向けた祝杯が上がっていた。
まるで、三十一人もの犠牲者など存在しなかったかのように。
◇ ◇ ◇
その頃。
第十一層の迷宮区では、攻略組が最後の戦いを終えていた。
巨大なボスモンスターが咆哮を上げる。
残りHPはわずか。
しかし、最後の抵抗とばかりに放たれた攻撃が、前衛の盾役を弾き飛ばした。
「くっ!」
ディアベルが体勢を崩す。
「ディアベルさん!」
アスナが駆け出した。
ボスの追撃が迫る。
その瞬間、彼女の細剣が鮮やかな光を放った。
高速の連続突き。
流れるような足運び。
そして、最後の一撃がボスの急所を貫いた。
――パリィィィン!!
巨大なモンスターが無数のポリゴンとなって砕け散る。
攻略成功。
その場にいた全員の視界に、勝利を告げるシステムメッセージが表示された。
そして。
《LAST ATTACK BONUS》
Asuna
「……え?」
アスナは目を丸くした。
初めてのラストアタックボーナス。
自分が最後の一撃を決めたことに、しばらく気づかなかったのだ。
「やったじゃないか、アスナ!」
ディアベルが笑顔で駆け寄る。
「おめでとう!」
「すごいな、副団長候補!」
攻略組から歓声が上がった。
「ありがとうございます!」
アスナは嬉しそうに微笑んだ。
しかし、その笑顔は長く続かなかった。
視界の端に表示された、戦争イベントの通知。
そこには、第十二層へのイベント拡大が告げられていた。
「……また、始まるのね」
彼女は小さく呟いた。
ボスを倒した喜び。
新しい階層へ進める希望。
その一方で、プレイヤー同士が命を奪い合っている。
アスナは細剣を鞘に収めると、静かに目を閉じた。
――私たちは、みんなを現実世界に帰すために戦っている。
それなのに。
どうして、同じ目的を持つはずの人たちが殺し合わなければならないのだろう。
◇ ◇ ◇
翌日。
アインクラッド各層の酒場に、見慣れた放送が流れ始めた。
《紅玉宮からこんにちは♥》
いつもなら、陽気な音楽とともに登場する謎の実況者。
しかし、今回は違っていた。
『皆さん、こんにちは』
画面に映った女性は、落ち着いた声で挨拶した。
神代凛子。
もちろん、プレイヤーたちは彼女の正体を知らない。
声も容姿も変えられており、単なるイベント実況者として認識されている。
『本日は、第十一層のボス攻略結果をお伝えします』
画面が切り替わる。
攻略組の激闘。
ディアベルの指揮。
ヒースクリフの安定した防御。
そして、アスナの鮮やかな連続攻撃。
『第十一層ボス攻略成功! そして、今回のラストアタックボーナスは――』
画面いっぱいに、アスナの名前が表示された。
『《血盟騎士団》のアスナ選手です! 初のラストアタック、おめでとうございます!』
酒場から拍手が上がった。
「おお、アスナさんか!」
「すげえな!」
「攻略組も頑張ってるじゃないか!」
俺も思わず笑みを浮かべた。
「やるじゃないか、アスナさん!」
サタンも大きく頷いた。
「こりゃ、次に会ったら祝ってやらないとな!」
だが、放送はそこで終わらなかった。
画面が暗転する。
いつもの華やかな演出が消えた。
『……さて』
凛子さんの声が、低くなった。
『ここからは、皆さんに大切なお知らせがあります』
酒場が静まり返る。
『現在、第十一層から第十四層にかけて開催されている《NPC戦争イベント》についてです』
画面には、二つの国家の紋章が表示された。
ヴェストリア王国。
オリエンタ帝国。
『このイベントでは、敵対国家に所属する傭兵プレイヤー同士の戦闘が認められています』
続いて、戦闘システムの説明が表示される。
『敵国の傭兵を攻撃しても、通常の犯罪者判定は適用されません。さらに、戦闘によって装備や所持品を奪取できる場合があります』
ここまでは、俺たちも知っている内容だった。
しかし。
『皆さんに、もう一度考えていただきたいことがあります』
凛子さんは、一度言葉を切った。
『この世界では、HPがゼロになれば、現実世界でも命を失います』
酒場が静まり返った。
『戦争イベントという名称であっても、これは単なる対戦ゲームではありません』
画面には、現在の死亡者数が表示された。
《31名》
『すでに、三十一名のプレイヤーが命を落としています』
誰も声を出さなかった。
『宝具を手に入れることも、ランキングの上位を目指すことも、皆さんの自由です』
『しかし、そのために命を失ってしまっては、何の意味もありません』
俺は黙って画面を見つめていた。
『そして、すでに傭兵登録を済ませた皆さんにも、お伝えしたいことがあります』
画面が切り替わった。
《傭兵契約の解除について》
『傭兵登録後であっても、戦争イベントから途中辞退することは可能です』
酒場がざわついた。
『登録国家の城塞都市にある担当窓口で、契約解除を申請してください。ただし、所有するイベント宝具は契約解除に伴って失われます』
『また、イベント対象階層である第十一層から第十四層を離れ、一週間以上帰還しなかった場合も、傭兵登録は抹消されます』
『なお、一度登録した国家から敵対国家へ所属を変更することはできません』
さらに、注意事項が表示された。
『契約解除の手続きが完了するまでは、敵国傭兵から攻撃される危険があります。安全な場所で手続きを行ってください』
俺は思わず身を乗り出した。
「……そうか!」
これなら。
戦争イベントに参加したものの、危険を感じているプレイヤーたちに逃げ道を示せる。
何より、途中でやめることは恥ではないと伝えられる。
『最後に』
凛子さんは、画面越しに語りかけた。
『皆さんが、この世界で生き延びること。それが何よりも大切です』
『勝利よりも、宝具よりも、ランキングよりも』
『どうか、ご自身の命を大切にしてください』
そして、静かに頭を下げた。
『以上、紅玉宮からのお知らせでした』
放送が終了する。
しばらくの沈黙。
やがて、酒場の一角から声が上がった。
「……俺、やめようかな」
「俺もだ。宝具なんか手に入らなくてもいい」
「そもそも、こんな危険なイベントだって知らなかったしな……」
俺は椅子の背もたれに身体を預けた。
「……助かった」
サタンがこちらを見る。
「どうした?」
「いや、正直に言うとね」
俺は苦笑した。
「今回ばかりは、あの実況者に感謝だよ」
サタンも頷いた。
「ああ。今回はいい仕事をしたな」
いつもなら、攻略組を茶化してばかりいる謎の実況者。
しかし、今回は違った。
プレイヤーの命を守るために、必要な情報を届けてくれた。
「ありがとう、凛子さん……」
もちろん、俺は彼女の正体など知らない。
ただ、画面の向こうにいる誰かに、心から感謝していた。
◇ ◇ ◇
紅玉宮。
放送を終えた神代凛子は、深く息を吐いた。
「……三十一人」
目の前には、カーディナルが表示する膨大な情報が並んでいる。
戦争イベントの進行状況。
各国家の傭兵登録数。
宝具の移動履歴。
そして、プレイヤーの死亡記録。
「これ以上、増やしたくないわね……」
凛子は静かに呟いた。
隣では、カーディナルが淡々と処理を続けている。
『本イベントは、設定された規則に従って正常に進行しています』
「そうね。システムとしては正常なのでしょう」
凛子は画面を見つめた。
「でも、正常に動いていることと、正しい結果になることは別よ」
カーディナルは返答しなかった。
「茅場君……」
凛子は小さく呟いた。
「あなたは、この世界で人間がどこまで残酷になれるかまで、試したかったの?」
答える者はいない。
彼女は再び管理画面へ視線を戻した。
宝具の所有者。
所属国家。
移動履歴。
その情報は、管理者である彼女には確認できる。
しかし、すべてを公開してしまえば、今度は特定のプレイヤーに襲撃が集中する危険がある。
何より、管理者が特定のプレイヤーに有利な情報を与えることにもなる。
「……難しいわね」
凛子は額に手を当てた。
「私ができることは、せめて皆が判断するための情報を伝えること」
その言葉に、カーディナルが反応した。
『プレイヤーの生存率向上を目的とする情報提供は、イベント運営の範囲内で実行可能です』
「そう。それなら、これからもお願いね」
凛子は微笑んだ。
しかし、その表情には疲労が滲んでいた。
◇ ◇ ◇
第十二層。
新たに解放された主街区には、続々とプレイヤーが集まり始めていた。
攻略組だけではない。
宝具を求める中層プレイヤー。
新しい武器や防具を仕入れようとする商人。
戦争イベントのランキングに名を刻もうとする傭兵たち。
彼らは期待と不安を胸に、新しい階層へ足を踏み入れていく。
俺たちも、その流れに加わっていた。
「さて、第十二層か」
俺は転移門を見上げた。
隣にはサタン。
少し離れたところには、キリト君とギズメルの姿がある。
互いに別々の国家に所属している以上、行動を共にすることはできない。
しかし、目的は同じだった。
これ以上、犠牲者を増やさないこと。
そして。
《アクエスト》を手に入れた人物の正体を突き止めること。
「キリト君!」
俺が呼びかける。
「なんだ?」
「次は、あんまり無茶するなよ!」
キリト君は呆れたように笑った。
「それはこっちの台詞だ!」
「ははは! 違いない!」
俺は笑って手を振った。
だが。
その笑顔の裏には、拭いきれない不安があった。
十一層で三十一名。
十二層では、何人になるのだろう。
いや。
そんな数字を数えたくはなかった。
俺は静かに拳を握る。
「……これ以上は、好きにさせないぞ」
転移門が輝いた。
そして、俺たちは新たな戦場へと足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
同時刻。
アインクラッドの、とある階層。
人目につかないダンジョンの奥深くに、複数のプレイヤーが集まっていた。
薄暗い部屋。
壁際に置かれた宝箱。
床に無造作に積み上げられた武器や防具。
そして、テーブルの上には大量のコル袋が並んでいた。
「……ずいぶん集まったな」
低い声が響いた。
フードを被った男。
《ラフィン・コフィン》の首領、POHだった。
その前には、モルテ、ジョー、ザザらが集まっている。
「中層の連中が、面白いように釣れたぜ」
モルテが笑う。
「宝具が手に入るって噂を流しただけで、あいつら勝手に戦争に参加しやがる」
「しかも、俺たちが直接手を下さなくても、敵国の傭兵同士で潰し合ってくれる」
ジョーが肩をすくめた。
「最高じゃねえか」
POHは静かに笑った。
「……まだまだだ」
彼はテーブルの上に置かれたコル袋を一つ持ち上げた。
「金だけじゃねえ。装備も、経験値も、全部こっちに集めろ」
部屋の奥では、ラフィン・コフィンのメンバーたちが奪った装備を仕分けしていた。
高性能な武器は戦闘員へ。
防具はレベルの低いメンバーへ。
不要な装備は売却してコルへ換える。
そのコルで回復結晶や強化素材を購入する。
そして、次の襲撃に備える。
まるで一つの組織が、効率的な経営を行っているかのようだった。
ただし。
その利益は、他人の命を犠牲にして得たものだった。
「ボス。例の短刀はどうする?」
ザザが尋ねた。
POHは口元を歪めた。
「《アクエスト》か」
その名前が出た瞬間、周囲の空気が変わった。
「……あれは使える」
POHは静かに続けた。
「ソードスキルの発光がない。つまり、相手に攻撃の予兆を悟られにくい」
「奇襲には最高だな」
「ああ。だが、もっと面白い使い方がある」
POHはテーブルに指を置いた。
「誰が持っているか、分からなくすればいい」
モルテが笑った。
「だから、持ち主の噂をばらまいたのか」
「そういうことだ」
POHは頷いた。
「本物の情報に、嘘を混ぜる。嘘の情報に、本物を混ぜる」
「そうすりゃ、誰も何を信じればいいか分からなくなる」
ジョーが感心したように口笛を吹いた。
「しかも、敵国の傭兵に渡すこともできるんだろ?」
「ああ」
POHは笑みを深めた。
「戦争イベントのルールには、敵国へ宝具を渡してはいけないなんて書いてねえ」
例えば、戦闘でわざと降伏する。
装備を奪われる。
その中に《アクエスト》を混ぜておけば、システム上は正当な戦利品の移動になる。
敵国へ渡った宝具を、別の協力者が奪い返す。
そして、再び別の人物へ。
そうやって持ち主を入れ替え続ければ、追跡は困難になる。
「……こっこもキリトも、今頃必死に探してるだろうな」
モルテが笑った。
「探させておけ」
POHは椅子に深く腰掛けた。
「あいつらは頭が回る。だからこそ、疑い始めたら止まらねえ」
「本物を見つけても、偽物だと思うかもしれない」
「偽物を追っている間に、本物が別の場所で仕事をする」
POHは静かに笑った。
「……情報ってのは、正しいことだけが武器じゃねえんだよ」
ザザが短く頷いた。
「なるほどな」
「それに、もう一つ」
POHは立ち上がった。
「今回の戦争イベントは、俺たちにとって最高の訓練場だ」
彼は壁際に並ぶメンバーたちを見渡した。
「敵国の傭兵を倒しても、犯罪者にならねえ。奪った装備はそのまま使える。経験値も稼げる」
「しかも、相手は宝具目当てで勝手に集まってくる」
ジョーが笑う。
「向こうから獲物が来るってわけか」
「そうだ」
POHは頷いた。
「俺たちは、無理に攻略組と戦う必要なんかねえ」
「まずは中層の連中から奪う。装備を整える。レベルを上げる」
「戦える奴を増やして、組織全体の底上げをする」
部屋の奥から声が上がった。
「ボス! 新しく入った連中の装備強化が終わったぜ!」
「こっちも回復結晶を追加で仕入れた!」
POHは満足そうに頷いた。
彼らは確実に強くなっていた。
一人ひとりの能力は、まだ攻略組には及ばない。
しかし、装備の質は向上している。
戦闘経験も積み重なっている。
そして何より。
人を殺すことへの抵抗が、少しずつ失われていた。
「……いい感じじゃねえか」
POHは低く笑った。
「そういやボス、さっきの放送は見たか?」
モルテが尋ねた。
「ああ。紅玉宮の女だろ?」
「途中辞退の方法まで教えやがった。あれじゃ、獲物が減っちまうぜ」
POHは肩をすくめた。
「構わねえよ」
「え?」
「怖がって逃げる奴は、どうせ大した獲物にならねえ」
彼は薄く笑った。
「残る奴は、宝具に目が眩んだ奴か、自分の腕に自信がある奴だ」
「つまり?」
「……もっといい獲物が残るってことさ」
モルテは一瞬黙り込んだ。
そして、声を上げて笑った。
「ハハハハ! なるほどな!」
POHはテーブルに広げられた地図へ視線を落とした。
第十一層。
第十二層。
第十三層。
第十四層。
四つの階層にまたがる、巨大な戦争イベント。
その地図には、すでに複数の印が書き込まれていた。
プレイヤーの移動経路。
中立区域。
迷宮区への入口。
そして、襲撃に適した場所。
「……さて」
POHはゆっくりと立ち上がった。
「次の舞台は十二層だ」
ザザが短刀を取り出す。
ジョーが武器を肩に担ぐ。
モルテは楽しそうに笑った。
そして、POHが告げる。
「宝具を探してる連中には、夢を見せてやれ」
「手に入るかもしれねえって希望をな」
彼は口元を歪めた。
「……その希望が、一番いい餌になる」
薄暗いダンジョンに、下卑た笑い声が響き渡った。
◇ ◇ ◇
第十二層。
新たな街へ到着した俺は、周囲を見渡していた。
行き交うプレイヤーたち。
新しい装備を身につけた傭兵。
宝具の噂を楽しそうに話す若者たち。
誰もが、新しい冒険に期待していた。
しかし。
その中に、悪意を持った人間が紛れ込んでいることを、俺たちはまだ知らない。
いや。
存在することは分かっていた。
だが、誰なのかが分からない。
どこにいるのかも分からない。
そして、何を企んでいるのかも。
「……嫌な感じだな」
俺が呟くと、サタンが振り向いた。
「どうした、コッコ?」
「いや……」
俺は空を見上げた。
アインクラッドの上層を支える、巨大な天蓋。
その向こうには、まだ見ぬ階層が続いている。
「このイベント、宝具を集めるだけじゃ終わらない気がする」
サタンは腕を組んだ。
「……俺もそう思う」
しばらくの沈黙。
やがて、俺は苦笑した。
「まったく……せっかくの新しい階層なのに、楽しむ余裕もないじゃないか」
「珍しいな。お前がそんなことを言うなんて」
「俺だって、たまには真面目になるさ」
「たまには、な」
「そこは否定しろよ!」
サタンが笑った。
俺もつられて笑う。
しかし。
その笑い声は、どこか乾いていた。
戦争イベントは、まだ始まったばかりだった。
そして、俺たちは知らなかった。
この戦争が、単なる宝具争奪戦ではなく――。
《ラフィン・コフィン》という殺人集団を、急速に成長させる温床となっていることを。
アインクラッドの影で、悪意が膨れ上がっていく。
その脅威が表舞台に姿を現す日は、確実に近づいていた。