エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~ 作:Edward
第2層のフィールド。
風が吹き抜ける草原の一角で、二人のプレイヤーが競うように剣を振るっていた。
相手は《Windwasp――風蜂》。
人の頭ほどもある巨大な蜂型モンスターである。
目的は、単なるレベル上げではない。
アスナが愛用するメイン武器――《ウインドフリーレ》。
その強化に必要な素材、《ウインドワスプの針》を集めるためだった。
「次!」
アスナが地面を蹴る。
風蜂が突進してくるよりも速く間合いに入り、細剣を突き出した。
閃光。
一撃。
風蜂がポリゴン片となって爆散する。
その横では、キリトも別の一匹を相手にしていた。
こちらはアスナとは対照的だった。
必要最小限の回避。
必要最小限の踏み込み。
相手の攻撃を見切り、最短距離から剣を叩き込む。
そして――。
五匹目。
最後の風蜂が砕け散った。
「はあ、はあ……負けた」
キリトが剣を下ろす。
「やったあ!」
アスナが嬉しそうに拳を握った。
少し離れた場所から、その戦いを見ていた三人がいた。
「やってる、やってる!」
こっこである。
その両隣には、リズベットとシリカがいた。
二人とも、攻略組トップクラスの戦闘を初めて間近で見るかのように、食い入るように観察していた。
「あの二人が攻略組のトップレベル?」
リズが目を丸くする。
「すごい……あの女の人、攻撃が速い!」
シリカもキリトの動きを追いながら感心していた。
「あの男の人は無駄がありません。ほとんど余計な動きをしていません」
「よく見ておくんだよ。参考程度にね」
「参考程度?」
「うん」
こっこは大真面目に頷いた。
「あれは真似できないけど 」
「できないんかい!」
「いやいや、考え方とか、敵との距離とか! そういうところを参考にするんだよ!」
それなら――。
自分たちも実際にやってみよう。
「それに、素材収集なんでしょ?」
リズの目が輝く。
鍛冶職人にとって、武器強化素材という言葉には抗いがたい魅力がある。
「武器の強化なら、私がやってあげよう⚒️」
「いいねえ。僕たちもやってみようよ。レベルアップも兼ねて✨️」
「そうね!」
「はい!」
――そして。
数分後。
「……やっと一匹」
リズが肩で息をしていた。
シリカも疲れ切った様子で短剣を下ろす。
「リズさん……頑張りましょう」
「シリカ……」
「はい」
「さっきの二人、私たちが一匹倒す間に何匹倒した?」
「……五匹です」
「 」
現実は厳しかった。
同じプレイヤーとは思えない。
すると、戦闘を終えたアスナが、三人――いや、いつの間にか二人になっていた彼女たちに気づいた。
「あら? あなたたちは?」
「あっ、ごめんなさい。邪魔をしてしまって」
リズは慌てて頭を下げる。
「私はリズベット。こっこの組織《エンジニア》で鍛冶屋をしているの。よろしくね」
「シリカです。私も同じで、裁縫をしています」
「こっこの組織?」
キリトが反応した。
「それって……」
「知ってるの?」
リズが尋ねると、キリトとアスナは顔を見合わせる。
知らないはずがない。
第一層ボス攻略戦。
同じG班で散々振り回された男なのだから。
「まあ……知ってる」
キリトが微妙な表情を浮かべる。
「すごくよく知ってる……」
アスナも苦笑した。
「じゃあ、話が早いわね!」
リズは笑った。
そして、自分たちがなぜ《エンジニア》という組織にいるのか。
その始まりを語った。
SAOがデスゲームへと変貌した、あの日。
恐怖と絶望に包まれた《はじまりの街》。
泣く者。
怒鳴る者。
現実を受け入れられず、呆然とする者。
そんな中――。
一人の男が。
突然。
広場で火を熾した。
『みんなー! ボアの肉ある!?』
そして、肉を焼き始めた。
『調理してあげるから、落ち着いて肉を食べよう!!』
「ぶっ!」
キリトが吹き出した。
「ちょっと待って!」
アスナも笑いを堪えられない。
「あの広場でそんなことをしたの!? こっこさん!」
「そうなのよ!」
リズも笑う。
「最初はみんな怒ってたわよ! こんな時に何をやっているんだって!」
「そりゃそうだろ!」
キリトは腹を抱えた。
「俺には絶対できない!」
「でしょ?」
だが――。
リズの表情が少しだけ柔らかくなった。
「でもね」
残った者たちがいた。
戦うことが怖い者。
ゲームが得意ではない者。
それでも、この世界で何かできることがあるのではないか。
料理。
鍛冶。
裁縫。
クラフト。
直接剣を振るわなくても、攻略する者たちを支えることはできる。
それぞれができることを探そう。
みんなで生き残ろう。
焼いた肉を囲みながら交わした約束。
「だから私たち、勝手に呼んでるの」
リズが笑った。
「《焼肉の誓い》って」
「焼肉の誓い……」
アスナが耐えきれず笑い出す。
「あはははは!」
「ネーミングまで酷い!」
キリトも爆笑している。
「でも、私……あの時、つい声をかけちゃったのよね」
リズは少し照れ臭そうに笑った。
あの馬鹿げた行動がなければ。
自分は今、鍛冶師としてここにはいなかったかもしれない。
「……って」
リズが辺りを見回した。
「そのこっこは?」
「え?」
シリカも振り返る。
さっきまでいたはずなのだ。
「こっこさん?」
いない。
「どこへ行ったんだ?」
キリトも周囲を見回す。
その時だった。
遠くから――。
何かが聞こえた。
「――けてー……」
「?」
アスナが振り返る。
「今、何か聞こえなかった?」
「――すけてー……」
だんだん近づいてくる。
「まさか……」
キリトの顔が引きつった。
そして。
森の奥から――。
「たーすーけーてー 」
こっこが飛び出してきた。
全力疾走である。
「こっこさん!?」
だが、問題はその後ろだった。
ブブブブブブブブブブブブブブブ――!!
空が黒い。
否。
違う。
すべて――蜂だ。
大量の《Windwasp》。
十匹どころではない。
数えることすら馬鹿馬鹿しくなるほどの風蜂が、黒い雲のようになってこっこを追いかけていた。
「なにあれ!?」
リズが絶叫する。
シリカの顔から血の気が引いた。
「蜂! 蜂! 蜂がいっぱいいます!!」
アスナも呆然としている。
「ちょっと待って……どうしてあんな数がいるのよ?」
だが、キリトだけは違った。
その知識に覚えがあった。
「まさか……」
「なに?」
「すごく低確率なんだけど、このエリアには《風蜂の巣》が生成されることがあるんだ」
「巣?」
「普通に狩っているだけなら問題ない。でも……」
キリトは嫌な予感を滲ませた表情で続けた。
「巣にちょっかいを出すと、恐ろしい数のWindwaspが一気にポップする」
「……」
「しかも」
キリトは逃げてくるこっこを指差した。
「巣を刺激したプレイヤーにヘイトが集中する」
四人が一斉にこっこを見る。
こっこは泣きながら走っている。
「たーすーけーてー 」
リズの顔が引きつった。
「……まさか 」
シリカが叫ぶ。
「こっこさん! こちらに来ないでください!! 」
その声を。
こっこの耳が。
しっかり捉えた。
「シリカー!!」
くるっ!!
こっこ、転回。
進路変更。
一直線にこちらへ向かってくる。
シリカ「 」
リズ「 」
キリト「 」
アスナ「!?」
「たーすーけーてー!! 」
「やめろおおおおお!! 」
キリトの絶叫が草原に響き渡った。
ブブブブブブブブブブブブブ――!!
Windwaspの大群。
一匹。
二匹。
五匹。
十匹。
まだいる。
大量の風蜂を引き連れたこっこが、四人のど真ん中へ突入した。
そして。
ポォン――。
五人の視界に、同時にシステムウインドウが開いた。
《FIELD EVENT》
――《Rage of the Windwasp》
《風蜂の群れが興奮状態に入りました》
「イベントになった!?」
キリトが叫ぶ。
アスナが剣を抜く。
リズも槌を構えた。
シリカは涙目で短剣を構える。
「こっこさん!!」
「ごめーん!! 」
「何をしたのよ!!」
「なんか珍しい蜂の巣があったから!」
「それで!?」
「素材になるかなって!」
「それで!?」
「叩いてみた✨️」
「どうして叩くのよ!!」
「だって、調べてみないと分からないじゃん!! 」
「普通は叩く前に調べるんだよ!!」
キリトの悲痛な叫び。
その直後――。
Windwaspの大群が五人へ殺到した。
素材収集。
レベル上げ。
そして攻略組との交流。
ほんの少し前まで、それだけの平和な狩りだったはずなのに。
こうして。
キリト、アスナ、リズベット、シリカ、そしてこっこの五人は――。
誰一人として望んでいない《強制イベント》へ突入することになった。
「はあ……はあ……はあ……」
荒い呼吸が、静けさを取り戻した草原に重なっていた。
つい先ほどまで耳を埋め尽くしていた、あの不快な羽音は、もう聞こえない。
最後の《Windwasp》が青白いポリゴン片となって砕け散り、ようやく――本当にようやく、戦闘が終わったのだ。
「お、終わった……」
こっこはその場にへたり込みそうになりながら、肩で息をしていた。
キリトも剣を下ろし、周囲を警戒しながら大きく息を吐く。
アスナも細剣を収めた。その顔には疲労が浮かんでいたものの、さすがというべきか、立ち姿だけは崩していない。
問題は――。
「こっこ……」
低い声がした。
「はい」
振り返る。
リズが笑っていた。
とてもいい笑顔だった。
ただし、額には青筋が浮かんでいる。
「こっこ あんたいつも、どうしてこうなのよ!」
「ひぃっ!」
さらに反対側からも声が飛んできた。
「そうですよ!」
シリカだった。
こちらも珍しく怒っている。
「エンジニアなのに、どうしてトラブルを発生させるんですか 」
「面目ありません……」
こっこはしゅんと肩を落とした。
機械のトラブルなら、原因を切り分け、対策を講じ、再発防止まで検討するのがエンジニアである。
だというのに、ここアインクラッドでは――。
どういうわけか、自分自身がトラブルの発生源になることが多い。
「今度から気をつけます……」
「その台詞、何回目?」
「うっ」
リズの追撃が刺さる。
シリカも腰に手を当てた。
「本当に反省してくださいね!」
「はい……」
完全に小さくなったこっこだったが――。
その視界の端に、システムメッセージが浮かんだ。
《EVENT COMPLETE》
「……あっ!」
突然、顔を上げる。
キリトがびくっとした。
「どうした!?」
さっきまでの反省顔はどこへやら。
こっこは、目の前に表示されたウインドーへ食いついていた。
「イベント完了……。アイテムがドロップした」
「アイテム?」
アスナも興味深そうに覗き込む。
そこに表示されていた名前は――。
《Golden Honey》
黄金色に輝く、小さな蜂蜜瓶。
まるで陽光そのものを閉じ込めたような、美しい色をしていた。
その瞬間。
「にゃはははは♪」
聞き覚えのある笑い声がした。
「それは、どんなイベントだったカナ?」
「うわっ!?」
キリトが振り向く。
いつの間にか、少し離れた岩の陰に、小柄なフード姿が立っていた。
「アルゴ!?」
情報屋《鼠のアルゴ》。
何食わぬ顔で姿を現した彼女に、キリトの頬が引きつる。
「いつの間に……」
そこでキリトは気づいた。
「……ああっ! ハイディングで隠れていたな 」
「にゃはは♪」
アルゴは悪びれもしない。
「あんな数の風蜂、まともに対処なんてできねーヨ。情報屋には情報屋の戦い方ってモンがあるんダ」
「俺たちが必死で戦っている間、ずっと隠れていたのか!?」
「生き残るための立派な技術ダヨ」
「ぐっ……」
正論らしい。
少なくともSAOでは、《生き残る》ことに関して反論しづらい。
そんな二人のやり取りなど耳に入らない様子で、こっこは《Golden Honey》の詳細情報を開いていた。
そして――。
目を見開いた。
「これ……!」
全員が振り向く。
こっこは震える指でアイテムウインドーを指した。
「この蜂蜜、A級食材だよ!」
「A級!?」
真っ先に反応したのはアスナだった。
「まだB級でも珍しいのに?」
「うん。間違いない」
こっこの《料理》スキルが、表示された食材情報を読み取っている。
《Golden Honey》。
特定条件を満たした《Windwasp》関連イベントでのみ入手可能な、希少な食材。
こっこの疲労が――消えた。
いや。
もちろん、ステータス上の疲労が消えたわけではない。
だが、本人のテンションだけは完全に回復していた。
「さっそく研究だ!」
「復活した!?」
シリカが思わず叫ぶ。
こっこは黄金色の蜂蜜瓶を大事そうにストレージへ収納すると、勢いよく立ち上がった。
「加熱した場合の品質変化も調べたいし、そのまま料理に使った場合の補正も確認したい。パンに合わせるか、クリームと合わせるか……保存食への加工も試してみたいな。料理スキルでどこまで――」
「はいはい」
リズがこっこの背中を押す。
「続きは店でやりなさい」
「リズさん、シリカさん、帰るよ!」
「は、はい!」
シリカは慌てて後を追う。
その途中で、リズは思い出したように振り返った。
「そうだ、アスナさん」
「ん?」
リズは先ほどまでの怒り顔から一転、職人らしい笑顔を見せた。
「武器を強化するなら、私のところに来てね♪」
アスナは自分の愛剣へ目を落とす。
今回の戦闘でも、その細剣は彼女の意思に応えるように、数多くの風蜂を貫いた。
「はーい。お願いするね」
「任せて♪」
リズは満足そうに手を振り、こっこたちの後を追っていった。
「研究だー!」
「こっこ! 走るな! また何か起こすだろ!」
「待ってくださいよぉ!」
三人の声が遠ざかっていく。
アルゴはその背中を眺めながら、口元をにやりと上げた。
「A級食材ネェ……」
情報屋の目が光る。
「こいつは、また面白いネタになりそうダナ♪」
そして。
草原に残ったキリトとアスナ。
アスナはくるりとキリトへ向き直った。
「さて」
「……さて?」
嫌な予感がして、キリトの頬が引きつる。
アスナは腰に手を当て、にっこり笑った。
「キリト君」
「はい」
「勝ったご褒美に、私に何かおごるのよ✨️」
「ええっ!?」
「だって、あれだけ大変だったんだから、当然でしょ?」
「いや、まあ……それはそうだけど」
キリトは困ったように頭を掻いた。
しかし、ふと何かを思い出す。
「……そうだな」
「?」
キリトの表情が変わった。
少しだけ得意げな笑みを浮かべる。
「よし。じゃあ、とっておきの場所に行こうか」
「とっておき?」
アスナが首を傾げる。
「何それ?」
「行けば分かる」
「ふーん……」
アスナはじっとキリトを見る。
「変なものだったら許さないからね?」
「大丈夫だって」
「さっき蜂の大群に追い回された人の“大丈夫”って、あんまり信用できないんだけど」
「だから、あれは俺のせいじゃ――!」
遠くから声が飛んできた。
「ごめんなさーい!!」
「聞こえてたのかよ!!」
キリトの叫びが草原に響く。
アスナは堪えきれず、くすっと笑った。
そして二人は歩き出す。
こっこたちとは別の方向へ。
一方――。
「A級蜂蜜……」
帰り道を歩きながら、こっこはすでに別の世界へ旅立っていた。
「クリームと合わせて……パンもいい。でも、せっかく甘味が手に入ったんだから……」
その足が止まる。
「ケーキ……」
ぽつり。
こっこの目が輝いた。
「ケーキに使ったら絶対美味しいぞ✨️」
「だから、まず店に帰ってから考えなさい!」
「はーい!」
――その頃。
別の道を歩くキリトとアスナもまた、とある場所を目指していた。
目的は――甘いもの。
黄金の蜂蜜を手に入れた料理人と。
少女へのご褒美を探す黒の剣士。
彼らはまだ知らない。
同じ第2層で。
まったく別々の場所から――。
奇しくも同じ《甘味》へ向かっていることを。