エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~ 作:Edward
《はじまりの街》の大きな門を抜ける。
視界が一気に開けた。
こっこ「……おおー」
思わず声が漏れた。
街の外には、広大な草原が広がっていた。
遠くには森が見え、そのさらに向こうには、岩山らしきものまで見える。
頭上を見上げると、そこには空――ではなく、遥か上空に次の階層を支える巨大な底面がある。
分かっていた。
ゲームの設定としては知っていた。
それでも、実際に自分の目で見ると、印象はまるで違う。
こっこ「これ全部、歩いて行けるのか……。すごいな、アーガス」
少し離れた場所では、すでに何人ものプレイヤーが戦っている。
一人が剣を構える。
武器が光る。
直後、身体が弾かれるように前へ飛び、草原にいたイノシシのようなモンスターへ剣が叩き込まれた。
こっこ「あれが実戦でのソードスキルか」
公園で何度も確認した動きと同じだった。
だが、相手は動いている。
当然のことだが、練習とはまったく違う。
こっこ「さて……」
近くを歩いている一匹のモンスターに視線を向ける。
カーソルと名前が表示された。
《Frenzy Boar》。
こっこ「これが一番弱い敵かな?」
剣を抜く。
だが、すぐには近づかなかった。
まず周囲を確認する。
ほかのモンスターとの距離。
街の門までの距離。
戦っているプレイヤーの位置。
自分のHP。
さらにメニューを開き、所持している回復アイテムまで確認する。
こっこ「……よし。一匹だけなら大丈夫そう」
近くにいたプレイヤーが、そんな私をちらりと見る。
「なんだ、あのおっさん。ボア一匹にどれだけ慎重なんだよ」
別のプレイヤーが笑った。
「初めてなんだろ。放っておけって」
こっこ「ははは……」
聞こえているんだけどなあ。
まあいい。
私はもう一度、ボアを見る。
こっこ(攻撃を受けたら、まず距離を取る。HPが半分になったら、無理せず街へ戻る。回復薬もある。……うん)
ようやく剣を構えた。
こっこ「じゃあ……やってみようか」
こちらに気づいたボアが顔を上げる。
「ブモォッ!」
こっこ「おっ」
思ったより速い。
一直線に突っ込んできた。
こっこ「うわっ!」
慌てて横へ身体をずらす。
ボアがすぐ横を駆け抜ける。
こっこ「なるほど! こういう感じか!」
少し楽しくなってきた。
剣を構える。
公園で何度も確認した姿勢。
システムがモーションを認識する。
刀身が淡く光った。
こっこ「ふんっ!」
――シュバッ!
身体が一気に加速した。
剣がボアの胴体を斬り抜ける。
「ブギィッ!」
HPバーが大きく減った。
こっこ「おおっ!」
自分で繰り出した攻撃なのに、自分の動きではないような不思議な感覚だった。
現実なら絶対に不可能な速度で身体が動いた。
こっこ「すごいな、これ! ちゃんと最初の動作さえ入れれば、あとはシステムが――」
振り返ったボアが突進してきた。
こっこ「うわっ、まだ生きてる!」
ドンッ!
まともに腹へ攻撃を受けた。
こっこ「いったぁ!」
身体が転がる。
もちろん、本当の痛みではない。
だが、HPバーは減少していた。
こっこ「……あ」
起き上がりながら、自分のHPを確認する。
そして、ボアを見る。
こっこ「そりゃそうだよな。こっちが攻撃したら、向こうも攻撃してくるよな 」
さっき笑っていたプレイヤーたちから、再び笑い声が聞こえた。
恥ずかしい。
でも――。
こっこ「なるほどね」
私はもう一度、剣を構えた。
今度は先ほどより少しだけ慎重に、ボアの動きを観察する。
ゲームだから、失敗してもやり直せる。
なら、今のうちに失敗しておこう。
このときの私は、まだ知らなかった。
あと数時間もしないうちに――
この世界から、「失敗してもやり直せる」という前提そのものが消えてしまうことを。
ボアの突進を避けようとして、私は無様に地面へ転がった。
「いてて……」
もっとも、痛みそのものは現実ほどではない。
それでも目の前には、鼻息を荒くしてこちらを睨むボアがいる。
「ギュルルル……!」
「ちょ、ちょっと待って。まだ操作に慣れていないんだから 」
もちろん、待ってくれるはずもない。
私は慌てて立ち上がろうとして――右手に何か硬い感触があることに気づいた。
「……ん?」
何気なく握っていた右手を開く。
そこには、どこにでもありそうな小さな石があった。
「石?」
拾った覚えはない。
倒れた拍子に、地面へついた右手で掴んでしまったらしい。
試しに石を握り直してみる。
きちんと手の中に収まる。
「へえ……こういうものも拾えるんだ。」
私は少し感心した。
背景の一部だと思っていた小石まで、オブジェクトとして干渉できる。
本当に細部まで作り込まれているゲームだ。
そして私は左手を見る。
そこには片手剣。
右手には石。
私はもともと左利きだった。
ただ、日常生活では右手を使うよう求められる場面も多かったため、いつの間にか右手でも大抵のことができるようになっていた。
箸などは左。
字を書くときは右。
物によって左右を使い分ける。
今では、自分でもどちらが利き手なのか分からなくなるほどだった。
そして今は――左手に剣を持っている。
だから、右手が空いていた。
「…………」
私は右手の石を見る。
そしてボアを見る。
「これ……投げられるかな?」
軽く腕を振ってみる。
現実世界でボールを投げるように、右肩を引く。
どうやら特別な操作は必要ないらしい。
ナーブギアが身体の動きをそのまま読み取ってくれる。
「だったら――」
私は石を握ったまま、ボアを見据えた。
「ギュルルッ!」
ボアが地面を蹴った。
一直線にこちらへ向かってくる。
「今!」
右腕を振り抜く。
ヒュッ――!
放たれた石が飛ぶ。
狙ったのは頭。
小さな石は偶然にも――
ゴッ!
ボアの眉間へ命中した。
「ギュッ!?」
突進していたボアの頭が跳ね上がる。
わずかではあるが、突進が止まった。
「おっ!?」
ダメージそのものは大したことがない。
HPバーも、ほとんど減っていない。
けれど――。
止まった。
それだけで十分だった。
しかも、石を投げ切った私の身体は、右肩が前へ出ていた。
右半身が前。
左半身が後ろ。
左手に持った剣は、自然と身体の後方へ引かれている。
「……あれ?」
この姿勢。
さっき練習したばかりのソードスキルの初動に近い。
考えるより先に身体が動いた。
左手の剣を構える。
――カッ!
剣身に光が宿った。
《スラッシュ》。
「ふんっ!」
システムアシストが発動する。
身体が一気に加速した。
シュバッ!!
「ギュギュッ!!」
すれ違いざま、左手の剣がボアの身体を斬り抜く。
私は数歩走ってから足を止めた。
背後でボアが硬直する。
そして――。
パァン!
無数の青いポリゴン片となって、その身体が砕け散った。
「…………」
静かになった草原で、私は剣を持ったまま振り返る。
目の前に経験値とドロップアイテムの表示が浮かんでいた。
初めて自分の手で倒した。
「……おお。」
思わず笑みがこぼれる。
「倒せた。」
だが、喜びよりも先に気になったことがあった。
私は右手を見る。
さっきまで石を握っていた手だ。
もう一度、投石の動きをゆっくり再現する。
右腕を引く。
投げる。
右肩が前へ出る。
すると左肩が後ろへ引かれ――左手の剣が自然と次の攻撃に適した位置へ移動する。
「なるほど……」
偶然だった。
ただ石を拾ったから、投げてみただけ。
けれど。
「右で投げた後、そのまま左の剣につなげられるのか。」
石で倒す必要はない。
そもそも、あの程度の石ではまともなダメージなど期待できないだろう。
でも――敵の動きを一瞬止めることはできた。
突進のタイミングをずらせた。
そして、その一瞬が剣を振る時間になる。
私はもう一度、右手を握った。
「これは、僕にとって有効かもしれない!」
左手には剣。
空いた右手で何か小細工をする。
そして最後は剣で倒す。
そんな戦い方が頭に浮かんだ。
もちろん、今の一回だけでは判断できない。
たまたま眉間に当たっただけかもしれない。
敵によっては石など無視して突っ込んでくる可能性もある。
「もう何回か試さないとな。」
成功したからといって、すぐに実戦で使える技だと決めつける気にはならなかった。
同じ条件で、同じような結果が出るのか。
そこを確認したい。
仕事柄なのか、昔からの性格なのか。
一度うまくいった程度では、どうにも安心できない。
「……まあ、それは次のボアでいいか。」
私は剣を下ろして、ドロップアイテムへ目を向けた。
少量のコル。
そして――。
《Boar Meat》
「…………肉?」
アイテム欄に表示された名前を二度見する。
「肉だ。」
ボアを倒したのだから、肉が出てもおかしくはない。
おかしくはないのだが。
「これは……売るのか?」
首を傾げる。
「それとも……食べるのか?」
《Boar Meat》を実体化させてみる。
手の上に現れたのは、赤い生肉だった。
「…………」
私は肉を見る。
「生だな。」
当然である。
「これ、そのまま食べられる……わけないよな?」
ゲームだから腹を壊すことはないのかもしれない。
しかし、だからといって生肉へかぶりつく勇気はない。
そもそも料理システムがどうなっているのかも知らない。
焼けばいいのか。
料理スキルが必要なのか。
NPCへ売却するためだけの素材なのか。
「うーん……。」
肉を片手に本気で悩む。
数秒前までモンスターと剣を交えていた男が、今度は肉一枚を前に立ち尽くしていた。
「……分からないものを、いきなり食べるのはやめよう。」
私は《Boar Meat》をストレージへ戻した。
街へ帰ったら確認すればいい。
NPCの店で売値を確認する。
食材なら調理方法を調べる。
もし料理できるなら、食べてみてもいい。
そして、もう一つ。
私は手に入ったコルの額を見る。
「…………これだけ?」
思ったより少ない。
私は自分の剣へ目を落とした。
武器には耐久値がある。
戦えば消耗する。
回復アイテムも無料ではないだろう。
防具だって必要になる。
「敵を倒した分が、そのまま利益になるわけじゃないよな。」
剣の修理費。
回復アイテム。
装備更新。
もし宿屋が必要なら、その費用もかかる。
「こういうことも確認しておいたほうがいいな……。」
私はメニューを開き、現在の所持金とアイテムを確認する。
ゲームを始めたばかりだ。
まだ何も分からない。
だからこそ、一つずつ確認していけばいい。
私はメニューを閉じた。
左手には剣。
右手は空いている。
ふと足元を見ると、また小さな石が落ちていた。
私はしゃがみ込み、それを右手で拾った。
「……これ、何個か持っておこう。」
何気なく拾った、ただの石。
このときの私には知る由もなかった。
敵を倒すための武器だけを見るのではなく。
空いている手で相手の動きを崩し、隙を作り、最後は本命の一撃へつなげる。
そんな私独自の戦い方が――。
この小さな石ころ一つから始まったことを.