エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~ 作:Edward
焼き上がったボアの肉をかじりながら、私は公園のベンチで再びチュートリアルを開いていた。
「もぐもぐ……。さて、と」
目の前に浮かぶ半透明のウインドウを指で操作していく。
戦闘については、まだ分からないことが多い。
だからこそ、街へ戻ってきた今のうちに確認しておきたかった。
ページを進めると、《スキル》についての説明が表示された。
「へえ……」
思わず手が止まる。
片手剣、細剣、両手剣、槍、斧。
そうした分かりやすい戦闘系のスキルだけではない。
《索敵》《ハイディング》《軽業》。
さらには《鍛冶》《裁縫》《料理》といった、直接モンスターの討伐に結びつかなさそうなスキルまで存在している。
「すごいな……。攻略以外に活用できるスキルも、こんなにあるんだ」
単純に敵を倒してレベルを上げるだけのゲームではないらしい。
武器を作る者。
服を作る者。
料理を作る者。
それぞれが異なる技能を伸ばしながら、この世界で生活できるように設計されている。
ニュースで騒がれていた理由が、少しずつ分かってきた気がした。
「こういうのも、面白いなあ」
焼いた肉をもう一口かじりながら説明を読み進める。
そこで、ある項目に目が留まった。
「……スキル登録?」
現在登録できるスキルスロットは二つ。
すでに一つには《片手剣スキル》が入っている。
つまり――。
「あと一つ、選べるのか」
一覧を眺める。
《索敵》。
《ハイディング》。
《軽業》。
戦闘を有利にするなら、このあたりが無難なのだろう。
だが――私の目は別の項目で止まった。
《料理》。
「…………」
手に持っている焼いたボア肉を見る。
先ほどの戦闘で減ったHPは、街に戻ってから少しずつ回復している。
ポーションを使えば、もっと早く回復できるのだろう。
しかし――。
もったいない。
消耗品は、使えばなくなる。
それなら、できるだけ使わずに済む方法を探したい。
そして今、自分の手元にはモンスターから手に入れた食材がある。
「料理……」
私は腕を組んだ。
そして数秒、考え込む。
「これ、料理スキルを上げれば……体力の回復に役立つんじゃない?」
そう考えると、途端に魅力的なスキルに見えてきた。
フィールドで手に入れた食材を料理する。
それを食べてHPが回復するなら、ポーションの消費を抑えられるかもしれない。
何より――。
「ゲームなんだから、こういうことも試してみたいよね」
決めた。
「よし。《料理スキル》、登録!」
指先で決定ボタンを押す。
軽い電子音が鳴り、二つ目のスキルスロットに《料理》の文字が収まった。
「よしよし✨」
なんだか新しい工具を手に入れたときのような嬉しさがある。
ところが――。
背後から声が聞こえた。
「おいおい……」
「?」
振り返る。
先ほどから私が肉を焼いている様子を見ていた、二人組のプレイヤーだった。
片方が呆れたような顔をしている。
「序盤で《料理スキル》を取るのか、普通?」
「…………」
もう一人も笑う。
「俺は、《ハイディング》を取るのが攻略の近道だって聞いたけどな。序盤のスキル枠って貴重なんだろ?」
「ぷっ!」
二人が顔を見合わせて笑った。
私の眉がぴくっと動く。
肉を焼いていたときから、ずっとそうだった。
焼けば笑われ。
食べれば笑われ。
今度はスキルを選んだだけで笑われた。
「…………ぷるぷる」
拳が震える。
とうとう我慢できなくなった。
私は勢いよく立ち上がった。
「君たち!」
「お?」
「さっきから野次を飛ばすのはいいけどね!」
びしっと、二人を指差す。
「ゲームは楽しむものだよ! 」
公園に声が響いた。
周囲にいた何人かのプレイヤーまで、こちらを振り向く。
しかし、もう止まらない。
「効率がいいとか、攻略が早いとか、それも楽しみ方の一つだと思う! でも、せっかくこんなにいろいろできるゲームなんだから、何でも試してみればいいじゃないか!」
「お、おう」
「料理だって面白そうだし! モンスターの肉だって食べられたし! もしかしたら回復に使えるかもしれないし!」
そして私は、最後に言い放った。
「自分が面白そうだと思ったことをやればいいんだよ! 」
「…………」
二人が黙った。
勝った。
言ってやった。
これぞ年長者の貫禄というものだ。
……と思ったのだが。
プレイヤーの一人が、私の顔をじっと見つめる。
「でも、あんた」
「な、なんだよ」
「涙目になってるぜ」
「…………」
もう一人が吹き出した。
「ぷっ!」
「なっ……!」
慌てて目元を拭う。
確かに、少し涙が浮かんでいた。
「これは違う! 煙! さっき肉を焼いたときの煙が目に入っただけだから!」
「もう火、消えてるけど」
「…………」
二人が再び笑った。
「くっ……! 」
私は逃げるようにベンチへ座ると、残っていた肉に思い切りかじりついた。
「もぐもぐもぐ……!」
悔しい。
非常に悔しい。
だが、《料理スキル》を外すつもりはなかった。
だって、面白そうなのだから。
ゲームくらい、自分の好きなことをやればいい。
このときの私は、ただそれだけの理由で《料理》を選んだ。
攻略上の最適解でもなければ。
誰かに勧められたわけでもない。
ましてや――。
これからこの世界で、《料理》という生活スキルがどのような意味を持つことになるのか。
そんなことなど、知るはずもなかった。
この日の私はまだ――
《ソードアート・オンライン》を、純粋にゲームとして楽しんでいたのだから.
二枚目の《焼いたボアの肉》を手に、こっこは《はじまりの街》の公園のベンチで上機嫌になっていた。
「うん、やっぱり焼いた方がいいな♪」
ガブリ。
豪快に肉へかじりつく。
先ほど取得したばかりの《料理スキル》も、少しずつではあるが熟練度が上昇している。
さらに――。
♪
軽快な効果音とともに、視界の隅にメッセージが表示された。
《経験値を獲得しました》
「おおっ✨️」
こっこの目が輝く。
「料理でも経験値が入るんだ! これはいいな!」
先ほどまで周囲のプレイヤーから、
『序盤で料理スキルを取るなんて、普通はしないだろ』
などと笑われていたことなど、もうどうでもよかった。
「ふふん♪ やっぱり、何でも試してみるものだな。これなら戦闘だけじゃなく、料理をしながらでも――」
ガブッ。
二口目。
「んぐんぐ……」
その時だった。
――ゴーン。
「ん?」
遠くから、鐘の音が聞こえた。
――ゴーン。
――ゴーン。
こっこは肉をくわえたまま顔を上げる。
「……鐘?」
最初は、時刻を知らせるゲーム内演出だと思った。
だが――。
――ゴーン!
――ゴーン!!
――ゴーン!!!
「ふぐっ! なんだ!?」
あまりにも頻繁だった。
一度や二度ではない。
街全体を揺さぶるような鐘の音が、狂ったように鳴り響き始めた。
公園にいた他のプレイヤーたちも立ち上がる。
「なんだ?」
「イベントか?」
「こんなの、チュートリアルに書いてあったか?」
こっこも慌てて口の中の肉を飲み込んだ。
「いや……こんなイベント、書いてなかったぞ?」
その瞬間。
こっこの足元に青白い光が走った。
「え?」
見覚えのあるエフェクト。
転移だ。
だが――。
「ちょっと待て。僕は何も操作していないぞ!?」
メニューも開いていない。
転移アイテムも使用していない。
にもかかわらず、光は足元から一気にこっこの全身を包み込んだ。
「なっ――!」
視界が青白く染まる。
そして――。
強制転移。
◇
「うわっ!」
光が消えた瞬間、こっこは思わず身構えた。
しかし、モンスターの姿はない。
そこは見覚えのある場所だった。
《はじまりの街》。
その中心にある巨大な広場。
「ここは……中央広場?」
だが、先ほどまでとは光景がまるで違っていた。
人。
人。
人。
どこを見ても、プレイヤーで埋め尽くされている。
数百どころではない。
街やフィールド、店、宿屋――。
この世界のあちこちに散らばっていたプレイヤーたちが、まるで一ヶ所へ集められたかのように広場を埋め尽くしている。
「なんだよ、これ!?」
「勝手に飛ばされたぞ!」
「俺、狩りをしていたんだけど!」
「GMイベントか?」
「運営は何を考えているんだよ!」
怒号と困惑。
そして、少しずつ広がっていく不安。
こっこは周囲を見渡しながら眉をひそめた。
「……全員か?」
右手を振ってメニューウインドウを開く。
「強制転移なら……運営から何か通知が――」
そこで。
指が止まった。
「…………あれ?」
メニューを確認する。
もう一度、上から順番に確認する。
アイテム。
装備。
スキル。
設定。
そして――。
「……ない。」
こっこの顔から、笑みが消えた。
「ログアウトが……ない。」
先ほどまで確かに存在していたはずの項目。
《LOG OUT》。
それだけが消えている。
「バグ……?」
一瞬、そう考える。
だが、すぐに首を振った。
「いや。」
こっこの中で、ゲームを楽しんでいたプレイヤーとしての思考とは別のものが動き始める。
長年、機械を相手にしてきたエンジニアとしての思考だった。
「全プレイヤーを同時に強制転移させて……特定の機能だけを消している。」
偶然の通信障害なら、もっと不規則な症状になるはずだ。
全員に。
同時に。
同じ現象。
「これ……意図的にやっているのか?」
背筋に冷たいものが走った。
その時。
「うわっ!?」
誰かが空を指差した。
こっこも見上げる。
空が――赤い。
いや。
空そのものが赤く染まったわけではない。
巨大な文字が、空一面を覆っている。
《WARNING》
《SYSTEM ANNOUNCEMENT》
「……システムアナウンス?」
赤い液体のようなものが空から滲み出す。
それらは集まり、膨れ上がり――やがて巨大な人の姿を形成していった。
顔は見えない。
深いフード。
血のように赤いローブ。
広場を埋め尽くすプレイヤーたちが、次第に静かになっていく。
やがて。
その存在が告げた。
ここが、もはや普通のゲームではないことを。
ログアウトはできない。
外部からナーヴギアを外すことも許されない。
それを試みれば、プレイヤーの生命そのものが失われる。
そして――。
この世界でHPがゼロになった時。
現実世界の肉体も死ぬ。
「…………」
こっこは、何も言えなかった。
周囲では悲鳴が上がっていた。
「嘘だろ!?」
「ふざけんな!!」
「ここから出せよ!」
「誰か助けて!!」
泣き崩れる者。
怒鳴る者。
必死にログアウトボタンを探す者。
現実の家族の名前を叫ぶ者。
そんな中。
こっこは立ち尽くしていた。
そして――。
最初に浮かんだのは、自分の命ではなかった。
「……息子。」
今日。
なぜ自分がこのゲームにログインしたのか。
息子にねだられて手に入れた《ナーヴギア》と《ソードアート・オンライン》。
本来なら、息子が遊びたがっていたゲームだった。
だが、対象年齢は十三歳以上。
息子はまだ十二歳だった。
だから父親である自分が先に入った。
半年待たせるべきか。
それとも、自分が安全性を確認した上で遊ばせるか。
そんな――。
本当に、それだけの理由だった。
「…………」
こっこの手が震える。
もし。
もし自分が、
『まあ、ゲームくらいいいか』
そう考えていたら。
ここに立っていたのは――。
「……あいつだったかもしれない。」
ぞっとした。
背筋が凍る。
だが同時に。
ほんの少しだけ。
本当にほんの少しだけ、安堵した。
「……僕が先に入って、よかった。」
その声は震えていた。
だが――。
すぐに別の現実が胸を締め付ける。
妻がいる。
息子がいる。
娘がいる。
家族が待っている。
帰らなければならない。
絶対に。
「…………死ねない。」
こっこは、自分のアイテムストレージを開いた。
そこには――。
先ほど使うことを惜しんだ《回復ポーション》が残っていた。
ボアとの戦闘でHPを減らした時。
『もったいない』
そう言って使わなかった。
街に戻れば自然回復できる。
だから、消耗品を使う必要はない。
ゲームなのだから、それでいいと思っていた。
こっこはポーションを見つめる。
「……違うな。」
これからは意味が違う。
使わずに死ねば――。
終わる。
セーブデータからやり直すことなどできない。
「もったいないから、使わないんじゃない。」
必要な時には使う。
生き残るために使う。
ただし――。
安全な時には浪費しない。
食事で回復できるなら食事を使う。
自然回復できる場所なら時間を使う。
貴重な消耗品は、本当に命が危険な時のために残す。
さっきまで笑われていた《料理スキル》も。
フィールドで拾った石も。
焼いたボアの肉も。
これからはすべて――。
生きるための手段になる。
こっこは静かにポーションのウインドウを閉じた。
そして、小さく呟いた。
「死ぬ方が……もったいない。」
空ではまだ、赤いローブの巨人がこの世界のルールを告げ続けている。
ほんの少し前まで。
肉を焼いて。
料理スキルの経験値が上がったと喜んで。
他のプレイヤーに笑われて涙目になっていた。
ただのゲームだった。
だが――。
2022年11月6日。
この瞬間を境に。
《ソードアート・オンライン》はゲームではなくなった。
そして。
家族のもとへ帰るための――。
こっこの長い戦いが始まった.