エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~ 作:Edward
第四層――《ブラインドタッチ》
ロービアの街から少し離れた、水路沿いのフィールド。
久しぶりに、こっこは一人で行動していた。
リズとシリカは攻略組に合流している。
エンジニアたちは船の整備と物流を担当している。
シンカーは情報の整理に追われている。
ユリエールは――予算表と格闘していた。
「……たまには、きちんとレベル上げもしないとね」
こっこは腰から片手剣を抜いた。
これまで、こっこは左手で剣を扱うことが多かった。
投石や工具を使う時だけ、右手へ持ち替える。
しかし最近、その持ち替えに小さな違和感を覚えていた。
戦闘中に工具を取り出す。
煙玉を出す。
ワイヤーを出す。
回復アイテムを使う。
そのたびに、システムウインドーを操作する必要がある。
「……剣を持っている手でウインドーを操作するのは、やはり不便だな」
こっこは剣を見つめた。
そして――右手へ持ち替える。
左手を空ける。
「こちらだ」
右手に片手剣。
左手は完全に自由だ。
近くを歩いていた水棲型モンスター――《マーシュ・リザード》が、こっこを発見した。
「ギャアアッ!」
「来たか」
右手の剣を構える。
リザードが突進してくる。
一撃。
こっこは右腕だけで《スラント》を発動した。
斜めの斬撃が、リザードの肩口を削る。
「右手でも問題ない」
むしろ――左手が自由になった。
こっこは敵から目を離さないまま、左手を横へ払った。
システムウインドーが開く。
視線は敵に向けたまま、左手だけを動かす。
アイテム。
工具。
――レンチ。
指先が迷いなく目的の位置を叩いた。
ぽんっ。
左手に小型レンチが実体化する。
「……できた」
リザードが再び跳びかかる。
こっこは剣で受け流しながら、一歩だけ後退した。
レンチを戻す。
次。
ウインドー。
アイテム。
道具。
煙玉。
ぽんっ。
「できる」
今度はワイヤー。
「これも」
回復ポーション。
「これも」
投石用の石。
「……これも!」
こっこの口角が上がった。
一度距離を取り、リザードと向かい合う。
「そういうことか」
これまで気づいていなかった。
こっこのストレージは、異常なほど整理されている。
工具は工具。
消耗品は消耗品。
素材は素材。
さらに、使用頻度順に並べられている。
レンチはここ。
ハンマーはここ。
ワイヤーはここ。
煙玉はここ。
回復薬はここ。
毎日。
何百回、何千回と、同じ場所から取り出してきた。
だから――。
「見なくても分かる」
左手の指が動く。
システムウインドー。
一段。
二段。
三段。
タップ。
ぽんっ。
工具が現れる。
「パソコンのキーボードと同じだ」
キーを一つひとつ見ながら打つ必要はない。
位置を身体が覚えればいい。
戦闘中でも。
敵を見ながらでも。
「《ブラインドタッチ》……」
もちろん、そんな名前のソードスキルは存在しない。
SAOのシステムに登録された技能でもない。
ただのプレイヤースキルだ。
しかし――こっこにとっては、それで十分だった。
リザードが牙を剥く。
「ギャアアッ!」
「よし」
右手。
片手剣。
左手。
システム操作。
リザードが突進する。
こっこは横へ身をかわした。
剣で一撃。
同時に左手を動かす。
ウインドー。
工具。
鋼線ワイヤー。
実体化。
「ほいっ!」
足元へ投げる。
ワイヤーがリザードの脚に絡みつく。
転倒。
「今だ!」
右手の剣が光る。
《ホリゾンタル》。
一閃。
リザードのHPが削り取られ、ポリゴン片となって消えた。
こっこは剣を肩に乗せた。
「…………」
そして左手を見る。
「これだ」
これまで、工具を戦闘中に素早く使うにはどうすればよいか、考え続けていた。
腰に吊るすか。
腕に仕込むか。
装備として固定するか。
専用ホルダーを作るか。
しかし――必要なかった。
SAOにはストレージがある。
そして、ストレージから取り出す動作を高速化できるなら。
「身体に仕込む必要はない」
腰に大量の道具をぶら下げる必要もない。
重量も増えない。
外見からは分からない。
何より――相手に、次に何を出すのか悟られない。
剣しか持っていないように見える。
しかし左手が一度動けば。
ハンマー。
レンチ。
ワイヤー。
投石。
煙玉。
ポーション。
食料。
素材。
必要なら――鍋さえ取り出せる。
「……鍋は必要ないか」
少し考える。
「いや、必要だな」
そこだけは譲らなかった。
こっこは再び剣を構えた。
今度は二匹。
《マーシュ・リザード》が左右から迫ってくる。
「ちょうどいい」
右手の剣。
左手のウインドー。
「練習しよう」
一匹目。
突進。
剣で弾く。
左手。
ウインドー。
ワイヤー。
二匹目。
側面から噛みついてくる。
回避。
左手。
ウインドー。
投石。
石を握った瞬間、そのまま至近距離から投げる。
「そりゃ!」
リザードの頭部に命中した。
怯む。
右手。
《スラント》。
一匹撃破。
残る一匹。
左手。
ウインドー。
煙玉――。
「……いや」
途中で止める。
「今は必要ない」
ウインドーを閉じる。
必要な道具を取り出すだけではない。
必要ないと判断したら、取り出さない。
戦闘しながら選択する。
剣。
敵。
地形。
HP。
距離。
そして道具。
こっこの頭の中で、それらが一つの流れとしてつながり始めていた。
最後のリザードを斬り倒す。
静寂。
経験値獲得の表示。
こっこは片手剣を鞘へ戻した。
左手でシステムウインドーを開く。
アイテム欄を確認する。
少しだけ並び順を変更した。
ワイヤーを一つ上へ。
煙玉を右側へ。
回復薬を左下へ。
投石用の石を中央へ。
工具類はその下へ。
「……よし」
再び閉じる。
目を閉じる。
左手を動かす。
開く。
二回。
右。
下。
タップ。
ぽんっ。
手の中にレンチが現れる。
「違う」
戻す。
もう一度。
開く。
下。
右。
タップ。
ぽんっ。
今度はワイヤーだ。
「これだ」
もう一度。
煙玉。
もう一度。
ポーション。
もう一度。
ハンマー。
何度も。
何度も。
目を開けない。
指先の感覚だけで操作する。
やがて――。
ぽんっ。
左手に、狙った工具が現れた。
こっこは目を開ける。
「……できた」
顔に、いつもの危険な笑みが浮かんだ。
剣士なら。
剣を見る。
盗賊なら。
手元を見る。
しかし、この戦い方なら――。
「僕の左手を見ても、何が出てくるか分からない」
何も持っていない。
だからこそ、そこから何でも取り出せる。
右手には剣。
左手には――ストレージそのもの。
こっこは静かに片手剣を抜いた。
「よし」
次の獲物を探して歩き出す。
「右手は戦闘」
左手を軽く動かす。
目の前に一瞬だけシステムウインドーが現れ、すぐに消える。
「左手は操作」
そして笑った。
「ようやく、両手をきちんと使える」
この日。
誰にも知られないまま。
こっこの戦闘スタイルは、大きく変化した。
剣術でもない。
体術でもない。
盗賊術だけでもない。
ましてや、正式なスキルでもない。
ただ、整理されたストレージ。
身体に染み込ませた操作。
両手を別々の目的に使う感覚。
職人として積み上げてきた習慣を、そのまま戦闘へ持ち込んだだけだ。
しかし後に。
キリトがこの戦い方を初めて目にした時――。
彼は本気で顔をしかめることになる。
「…………それ、反則じゃないか?」
そしてこっこは、きっと笑う。
「システムの範囲内です♥」
第四層――水没迷宮と携帯式浮き袋
第四層《ロービア》の迷宮区は、これまでの迷宮区とは明らかに様相が異なっていた。
石造りの回廊、沈んだ階段、半ば水没した広間。壁の隙間や天井から絶えず水が流れ込み、場所によっては腰どころか胸の高さまで水が溜まっている。
そして、さらに厄介なのが――。
「来るぞ!」
キリトの声が響いた。
水面が、ぼこりと盛り上がる。
次の瞬間、巨大な魚型モンスターが水中から飛び出した。
《Aqua Fang》。
鋭い牙を持つ水棲モンスターだ。
「また!? さっき倒したばかりなのに!」
アスナが細剣を構える。
エギルが斧を振り下ろし、魚を床へ叩き落とした。
「水に入った瞬間、こいつらの索敵範囲に引っかかるみたいだな!」
「そのようだね。」
こっこは水面をじっと見つめていた。
「こっこ、何をしているの?」
リズが後ろから覗き込む。
「観察。」
「嫌な予感しかしないんだけど。」
シリカが苦笑した。
「リズさん、最近こっこさんへの信頼の方向性がおかしくなっていませんか?」
「正常よ。」
「即答!?」
こっこはしゃがみ込み、水中へ工具を差し入れた。
水深、水流、壁までの距離。さらに、水中を泳ぐモンスターの動きも観察する。
しばらくして、こっこは顔を上げた。
「わかった。」
キリトが嫌そうな顔をする。
「何が?」
「水に入らなければいい。」
「…………。」
全員が沈黙した。
アスナが眉を寄せる。
「だから、その方法を考えているのでしょう?」
「うん。」
こっこはストレージを開いた。
革、丈夫な布、細いロープ、木材、留め具。そして裁縫道具。
シリカが目を輝かせる。
「あっ!」
リズも気付いた。
「もしかして……。」
こっこは布を縫い合わせ始めた。内側に空気を閉じ込められる構造を作り、端に簡単な栓を取り付ける。
シリカもすぐに作業へ加わった。
「縫い目は私が担当します!」
「お願い。」
キリトが首を傾げる。
「何を作っているんだ?」
こっこは完成した布袋へ息を吹き込んだ。
ぷくぅ――。
見る見るうちに膨らんでいく。
そして、水面へ浮かべる。
ぽちゃん。
それは見事に水面へ浮かんだ。
「携帯式浮き袋。」
「浮き袋?」
アスナが触れてみる。
「……軽い。」
こっこは栓を抜いた。
ぷしゅううう。
空気が抜け、ただの薄い布になる。それをくるくると丸め、腰へ取り付けた。
「使わない時は畳める。」
エギルが感心する。
「なるほどな。ボートを持ち歩くより、はるかに軽い。」
「人数分作れば、水に体を入れずに移動できる。」
キリトは水中のモンスターを見た。
「水中判定にならなければ、敵対反応を避けられる可能性があるのか。」
「そういうこと。」
リズが腕を組む。
「……でも。」
「?」
「それ、どうやって進むの?」
沈黙。
こっこはエギルを見る。
エギルもこっこを見る。
「…………。」
こっこは木材を取り出した。
「櫂。」
リズが頭を抱えた。
「結局、船じゃない!」
「携帯式だから違う。」
「同じよ!」
こうして、攻略組史上初の謎の《浮き袋部隊》が誕生した。
◇ ◇ ◇
しばらく後。
水没した迷宮区を、六人が浮き袋に腹ばいになって進んでいた。
ぱしゃ。
ぱしゃ。
ぱしゃ。
エギルだけ、浮き袋がひときわ巨大だった。
キリトが横を見る。
「……何だ、これ。」
アスナも真顔だった。
「攻略組の姿には見えないわね。」
リズが櫂を動かしながら言う。
「言わないで。考えたら負けだから。」
シリカだけは楽しそうだ。
「ピナ、楽しいですね!」
「きゅるる♪」
ピナはシリカの浮き袋の上に乗っていた。
そして水中。
《Aqua Fang》たちは、六人の真下を泳いでいる。
しかし、襲ってこない。
キリトの目が細くなる。
「本当に反応しない。」
アスナも驚いていた。
「水中侵入判定が出ていないんだ……。」
こっこは満足そうに頷く。
「仕様の隙間。」
キリトが即座に言った。
「お前、その言葉が好きだな。」
「エンジニアだからね。」
「関係あるのか?」
「ある。」
エギルが笑う。
「まあ、安全なら何でもいいさ。」
水没区画を越えるたびに浮き袋を畳み、陸上区画を攻略する。再び水路が現れれば、また膨らませる。
その繰り返しだった。
携帯できるという利点は、想像以上に大きかった。
◇ ◇ ◇
数時間後。
こっこが突然、足を止めた。
「待って。」
全員が動きを止める。
「どうした?」
こっこは壁を見ていた。
そこには大量の水が流れ落ちている。
一見、ただの滝だ。
しかし――。
「水の流れがおかしい。」
アスナも目を凝らす。
「どこが?」
「ここ。」
こっこが指差した。
大量の水が流れ落ちているにもかかわらず、その奥から微かに空気が漏れている。
シリカが気付いた。
「あ……水が跳ね返っています。」
キリトの表情が変わる。
「壁じゃない?」
こっこは近づき、手を伸ばした。
――すっ。
手が水幕の向こうへ消えた。
「通路。」
全員の表情が変わった。
滝を潜る。
その先には、巨大な石造りの回廊が続いていた。
そして正面。
二枚の巨大な扉。
誰が見ても分かる。
迷宮区最深部。
《ボス部屋》。
エギルが斧を肩に担ぐ。
「ようやく見つけたか。」
アスナが息を吐いた。
「今回は、本当に見つけにくかった……。」
キリトは扉を見る。
そして隣を見る。
そこではこっこが、浮き袋の水を絞っていた。
「…………。」
「なあ、こっこ。」
「なに?」
「お前、迷宮攻略より浮き袋を作っている時の方が楽しそうだっただろ。」
こっこは即答した。
「うん。」
「否定しろよ!」
リズが怒鳴る。
「しかもこの人、絶対これを売るつもりよ!」
シリカが「あっ」と声を上げた。
こっこは静かにストレージを開く。
そこには――。
試作品とは思えないほど大量の携帯式浮き袋が収められていた。
エギルが吹き出した。
「もう量産しているじゃねえか!」
こっこはボス部屋の扉を見上げる。
そして爽やかに言った。
「では、攻略会議の前に店を出そうか。」
「出すな!!」
リズとキリトとアスナの声が、迷宮区に響き渡った.