エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~ 作:Edward
――アニールブレード
教会の修復が、ようやく半分ほどまで進んだ頃だった。
屋根はまだ完全には塞がっていない。
ベッドも不足している。
食料の備蓄も心許ない。
そして何より――。
「……足りないな」
ディアベルは所持金の表示を見つめた。
必要な建材。
子供たちの毛布。
冬に備えた衣服。
食料。
すべてを揃えるには、どう計算してもコルが足りなかった。
素材を売る。
再び狩りに出る。
それでも追いつかない。
ディアベルはアイテムストレージを開いた。
売却できるものを、ひとつずつ確認していく。
素材。
ポーション。
予備の装備。
そして――。
指が止まった。
《アニールブレード》
「…………」
ディアベルは、その名前をしばらく見つめた。
第一層。
ホルンカの村。
あの頃はまだ、本気で信じていた。
自分が攻略組の中心に立つのだと。
攻略会議を開き。
皆をまとめ。
ボスへ挑み。
次の層へ進む。
この剣を腰に下げているだけで、自分が《攻略組》の一員なのだと思えた。
何度も強化した。
手入れも欠かさなかった。
金がなくても、この剣だけは売らなかった。
ディアベルはウインドウを閉じた。
「……これは売れない」
その日の狩りに出た。
翌日も出た。
さらに翌日も。
けれど。
帰ってくるたびに。
「おかえり、ディアベル兄ちゃん!」
子供たちが迎えてくれる。
ある夜。
雨が降った。
補修の終わっていない屋根から、ぽたり、ぽたりと水が落ちてくる。
子供の一人が毛布にくるまりながら、小さくくしゃみをした。
「寒い?」
サーシャが尋ねる。
「……ちょっとだけ」
「こっちにおいで」
サーシャは自分の毛布を広げた。
その光景を。
ディアベルは黙って見ていた。
そして。
もう一度ストレージを開く。
《アニールブレード》
売却予想価格が表示される。
これだけあれば。
屋根を修理できる。
毛布も増やせる。
数日分の食料も買える。
それでも指が動かなかった。
「……はは」
乾いた笑いが漏れた。
「何をやってるんだ、俺は」
分かっている。
剣と子供たち。
比べるまでもない。
そんなことは分かっている。
なのに。
売却ボタンを押せない。
この剣を手放してしまったら。
本当に終わってしまう気がした。
攻略会議を開いていた自分。
皆の先頭に立っていた自分。
《青い騎士》と呼ばれていた自分。
最前線へ戻るための最後の糸。
それを自分自身で断ち切るような気がした。
ディアベルは剣を実体化させた。
鞘から抜く。
青白い刃が、教会の薄暗い室内で光った。
何度見ても、いい剣だった。
「……俺さ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「本当は、まだ戻りたいのかな」
攻略組へ。
最前線へ。
あの場所へ。
死にかけたくせに。
怖かったくせに。
それでも。
悔しかった。
自分だけが第一層に残っている間にも。
キリトたちは先へ進んでいる。
アスナも。
エギルも。
キバオウも。
そして、こっこたちも。
自分が立つはずだった場所から。
皆がどんどん遠ざかっていく。
「……悔しいよな」
ディアベルは認めた。
悔しかった。
羨ましかった。
自分だって。
まだ戦える。
そう思いたかった。
だから。
この剣だけは手放したくなかった。
その時。
「ディアベル兄ちゃん?」
振り返る。
眠そうな顔をした子供が立っていた。
「どうした?」
「お水……」
「ああ、待ってろ」
ディアベルはアニールブレードを慌てて鞘へ戻した。
水を渡す。
子供は両手でカップを持ち、ごくごくと飲んだ。
「ありがとう」
そして。
ディアベルの腰の剣を見る。
「その剣、かっこいいね」
「……だろ?」
思わず笑った。
「俺の大切な剣なんだ」
「強い?」
「ああ」
「じゃあ――」
子供は笑った。
「ディアベル兄ちゃんが持ってたら安心だね」
「…………」
何気ない一言だった。
子供はそれだけ言って、サーシャのところへ戻っていった。
ディアベルは。
しばらく動かなかった。
やがて。
自分の剣を見る。
「安心、か……」
強い剣を持っていることが。
守ることなのか。
違う。
今、この子たちに必要なのは。
攻略組の剣ではない。
雨の入らない屋根だ。
暖かい毛布だ。
明日のパンだ。
ディアベルは剣を握った。
最後に一度だけ。
《アニールブレード》を構える。
かつてボスへ向けた構え。
攻略会議の夜。
第一層迷宮区。
あの時の自分が、ほんの一瞬だけ蘇る。
「……世話になったな」
剣を下ろした。
翌朝。
ディアベルは武器屋へ向かった。
「これを売りたい」
NPC店主の前に《アニールブレード》を置く。
査定額が表示された。
十分だった。
屋根を修理できる。
毛布も買える。
食料も買える。
それでも。
《SELL》
そのボタンの上で。
指が止まった。
十秒。
二十秒。
ディアベルは歯を食いしばる。
「……っ」
押せない。
思わず苦笑してしまう。
ボス戦では命を懸けられた男が。
たったひとつのボタンを押せない。
「未練がましいな……俺は」
目を閉じた。
教会を思い浮かべる。
雨漏り。
薄い毛布。
子供たち。
サーシャ。
そして――。
「ディアベル兄ちゃんが持ってたら安心だね」
目を開いた。
「違うよ」
小さく呟く。
「剣があるから安心なんじゃない」
指を動かす。
《SELL》
決定音。
アニールブレードが光の粒となり。
消えた。
「…………」
腰が。
ひどく軽く感じた。
空になった鞘だけが残っている。
ディアベルは、しばらくそこに手を置いていた。
寂しかった。
悔しかった。
少しだけ。
泣きそうだった。
でも。
その日の夕方。
教会へ大量の資材が運び込まれた。
屋根材。
木材。
毛布。
食料。
「うわあああ!」
子供たちが歓声を上げる。
「毛布だ!」
「パンもある!」
「お肉!」
サーシャが驚いてディアベルを見る。
そして。
彼の腰にある空の鞘を見た。
「……ディアベル」
彼女には、すぐに分かった。
「売ったの?」
「うん」
「……大切にしていたでしょう」
ディアベルは少しだけ黙った。
そして笑った。
「大切だったよ」
否定しなかった。
「あれを持っているとさ。まだ俺は攻略組なんだって思えた」
サーシャは何も言わない。
「だから、手放すのが怖かった」
ディアベルは教会を見る。
新しい屋根材を抱えて走る子供たち。
毛布に飛び込んで笑う子供。
食料を整理している子供。
「でも――」
ディアベルは空になった鞘を外した。
「剣一本が、屋根と毛布と飯になった」
そして。
少し照れ臭そうに笑う。
「悪くない交換だったと思う」
サーシャは目を伏せた。
「……馬鹿」
「え?」
「馬鹿よ」
彼女は笑っていた。
でも。
目には涙が浮かんでいた。
ディアベルはこの時。
一度、攻略組であることを手放した。
青い騎士の象徴だった剣を売り。
英雄だった自分に区切りをつけた。
だからこそ――。
後に再び剣を取り。
第二層、第三層、その先へと歩き始める時。
それはもう。
失った地位を取り戻すための旅ではなかった。
彼が再び剣を握る理由は。
教会で待つ家族のため。
子供たちに。
「生きて帰る」と約束するため。
そして何より――。
今度こそ。
自分自身が、生きるためだった。