エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~ 作:Edward
広場に残ってくれた、三十人ほどのプレイヤーたち。
少しずつ会話が生まれ、互いに名前を尋ねたり、自分が取得したスキルについて話したりする余裕も、徐々に戻りつつあった。
こっこは、その様子を見守りながら、一つのお願いを口にした。
「みんな、もし街の中で途方に暮れている人を見かけたら、できるだけ声をかけてあげてほしい」
一人のプレイヤーが顔を上げる。
「声を?」
「うん。無理に戦えと言う必要はない。さっき話したように、このゲームには戦闘以外のスキルもたくさんある。料理でも、鍛冶でも、裁縫でもいい。自分にも何かできることがあるかもしれないと、伝えてあげてほしい」
こっこは、いまだ混乱の残る《はじまりの街》を見渡した。
茅場晶彦の宣告から、それほど時間は経っていない。
泣いている者。
呆然と座り込んでいる者。
何度もログアウトボタンを探している者。
現実に残してきた家族や友人の名前を呼んでいる者もいる。
その全員を、自分一人で助けることなどできない。
それなら――。
一人が一人に声をかければいい。
その一人が、また別の一人に声をかければいい。
「できれば、一人にしないであげてほしい」
こっこがそう言うと、残ったプレイヤーたちは不安そうな表情を浮かべながらも、一人、また一人と頷いてくれた。
「……分かった。俺は東側を見てくる」
「では、私は広場の周辺を」
「料理スキルについて聞きたい人がいたら、ここに連れてくればいい?」
「うん。お願い」
小さな役割が生まれていく。
それだけでも、人々の顔から、わずかに恐怖が薄れていくように見えた。
こっこはそれを見届けると、腰の片手剣を確認した。
そして――街の出口へ向かって歩き出した。
「こっこさん?」
後ろから声をかけられる。
「どこへ行くの?」
「……少し前線の様子を見てくる」
「前線?」
こっこは振り返り、少し困ったように笑った。
「職人を作るだけでは不十分なんだ」
「?」
「料理をする人がいても、その料理を誰も買ってくれなければ続けられない。鍛冶ができる人がいても、武器を修理してほしい人が来なければ意味がないだろう?」
戦えない人たちに役割を作る。
それは大切なことだ。
だが、それだけでは一方通行になってしまう。
作る人がいるなら、使う人が必要だ。
素材を集める人がいて、それを加工する人がいる。
加工された武器や道具を手に、さらに先へ進む人がいる。
そして、また新たな素材や情報が街へ戻ってくる。
その循環がなければ、生産職だけを整えても、いずれ立ち行かなくなる。
「前に出て戦う人たちが何を必要としているのか、それを聞いてくるよ」
こっこは街の外へ目を向けた。
「僕が、その橋渡しをする」
その言葉を口にすると、不思議と決意が固まった。
――そうだ。
全員が剣を持つ必要などない。
全員がモンスターと戦う必要もない。
だが。
戦う人と、戦わない人。
その二つが互いを必要とする仕組みを作ることができれば――。
きっと、より多くの人がこの世界で生きていける。
「では、行ってくる」
そう言って歩き出す。
――が。
街の門が近づくにつれて、こっこの歩幅は次第に小さくなっていった。
「…………」
門の向こうには、広大な草原が広がっている。
つい数時間前までは、美しいゲーム世界としか思えなかった景色。
ボアを倒して。
石を投げて。
肉を焼いて。
馬鹿なことをして笑っていた場所。
だが、今は違う。
あの草原でHPがゼロになれば――。
本当に死ぬ。
「…………怖いな」
小さく呟いた。
手のひらに汗をかいているような錯覚すら覚える。
さっきまで広場では、偉そうなことを言っていた。
《パニックになったら本当に死んでしまう》
《まずは、できることをしよう》
それは間違っていない。
間違ってはいないが――。
「……誰か一人くらい、一緒に来てもらえばよかったかな」
今さらながら、猛烈に後悔した。
三十人もいたのだ。
「誰か手伝って」と言えば、一人くらい来てくれたかもしれない。
いや。
むしろ、その方が安全だった。
医療機器の保守も同じだ。
危険が予測される作業なら、バックアップを用意する。
一人で突入し、何か起きてから考えるなど、本来なら最も避けるべき行動だ。
「……僕は、何をやっているんだろう」
思わず立ち止まる。
戻るか?
今ならまだ間に合う。
誰かに同行を頼んで――。
そのとき。
こっこは、茅場の宣告直後の光景を思い出した。
広場が恐慌に包まれた、あの瞬間。
泣き崩れる者たちとは対照的に、真っ先に広場から飛び出していったプレイヤーたちがいた。
迷うことなく街の出口へ走った者たち。
彼らはおそらく――。
すでに動き始めている。
「……そうだ」
こっこは顔を上げた。
あの人たちを追おう。
彼らなら、前線で何が必要になるのか知っているかもしれない。
それに――。
攻略する者がいなければ、この世界から脱出することもできない。
街に残る者。
前へ進む者。
どちらも必要なのだ。
「よし」
腰の剣を握る。
怖い。
やはり怖い。
できることなら、安全な街の中で肉でも焼いていたい。
それでも。
こっこは一歩、街の外へ踏み出した。
そして、パニックの中で真っ先に飛び出していったプレイヤーたちの後を追う。
まだ彼は知らない。
その先にいる者たちの中に――。
この世界の攻略を大きく動かすことになる、一人の黒髪の少年がいることを。
そして。
街に残る者と。
前線を駆ける者。
その間に橋を架けようとした、この小さな一歩が。
後に《アインクラッド》そのものを変えていく、大きな流れの始まりになることも――。
この時のこっこは、まだ知らなかった。
広場に残ったプレイヤーたちに、街で途方に暮れている人を見かけたら、できる限り声をかけてほしいと頼んだ。
そして、こっこ自身は《はじまりの街》を出た。
先に出発したプレイヤーたちを追うために。
職人を育てる。
戦えない者たちにも、この世界で生きていける居場所を作る。
そのためには、作った武器や防具、料理や道具を実際に使ってくれる攻略プレイヤーとの橋渡しが必要になる。
そう考えて街を出たのだが――。
しばらく歩いたところで、こっこは重大な問題に気づいた。
「しまったなあ……」
辺りは、すっかり暗くなっていた。
昼間なら遠くまで見渡せた草原も、今は松明の明かりが届く範囲しか見えない。
こっこは左手に持った松明を高く掲げ、心細そうに道の先を覗き込む。
「次の街って言っても……この道を行けば着くのかな?」
当然ながら、地図はまだほとんど埋まっていない。
先行したプレイヤーたちを追えば何とかなる。
そんな軽い考えで出てきてしまったのだ。
「夜は怖いなあ…… 」
その時だった。
――ガサガサッ!
すぐ横の茂みが大きく揺れた。
「びくっ!!」
こっこの体が硬直する。
慌てて右手を剣の柄へ伸ばし、左手の松明を茂みへ向けた。
何かいる。
暗闇の中に、二つの光が浮かんだ。
獣の眼だ。
「な、なんだ……犬かあ」
一瞬、安堵しかける。
だが――。
茂みから姿を現したそれを見て、こっこの顔が引きつった。
昼間に戦った《Frenzy Boar》よりも低い姿勢。
細く、しなやかな四肢。
暗闇に溶け込む灰色の毛並み。
そして、こちらを獲物として見据える鋭い眼光。
頭上に浮かんだカーソルは――赤。
表示された名前は、
《Dire Wolf》。
「って、これ狼!?」
こっこの声が裏返った。
「モンスターってボアじゃないの!?」
そんなわけがない。
だが、SAO初日の初心者であるこっこにとって、これまで実際に戦ったモンスターはボアだけだった。
《Dire Wolf》が低く身を沈める。
「グルルルル……」
明らかな攻撃態勢。
こっこも剣を抜く。
しかし――速い。
「うわっ!」
地面を蹴った狼が、一気に距離を詰めてきた。
ボアのような直線的な突進とは違う。
低い姿勢のまま草むらを駆け抜け、牙を剥いて飛びかかってくる。
避けきれない。
その瞬間。
こっこは反射的に、左手に持っていたものを狼の顔へ突き出した。
――松明。
「これでも食らえ!」
燃え盛る炎が突然、眼前へ迫る。
《Dire Wolf》の動きが変わった。
「キャウッ!」
狼が顔を背ける。
ほんの一瞬。
飛びかかろうとしていた動作が崩れた。
「……!」
こっこの目が見開かれる。
怯んだ。
理由を考えている暇はない。
右手の剣を構える。
規定のモーションへ。
刀身が淡い光を帯びた。
片手剣基本技――
《スラント》。
「よしっ!」
――シュバッ!
システムアシストを受けた体が加速する。
斜めに走った剣閃が、《Dire Wolf》の胴を深く切り裂いた。
「ギャンッ!」
HPバーが一気に減少する。
だが――まだ残っている。
狼が体勢を立て直そうとする。
「まだか!」
こっこは剣を振り抜いた姿勢のまま、狼の横へ回り込んでいた。
右手の剣は、ソードスキル直後の硬直。
なら――。
動かせるのは左手。
そこにはまだ、火のついた松明が握られている。
「えいっ!」
――ジュッ!
狼の背中へ松明を押しつける。
「キャウンッ!」
ほんのわずかな追加ダメージ。
だが、《スラント》で残り少なくなっていたHPを削り切るには、それで十分だった。
《Dire Wolf》のHPバーがゼロになる。
直後――。
パァン!
狼の体が青白いポリゴン片となって爆散した。
「…………」
静寂。
夜の草原に、再び松明の燃える音だけが残った。
こっこは剣を構えたまま、しばらく動けなかった。
やがて安全だと理解すると――。
「こ、怖かったぁ…… 」
全身から力が抜けた。
ボアとは違った。
速かった。
しかも暗闇から突然襲ってきた。
本当に心臓に悪い。
だが。
こっこは左手の松明を見る。
「……火を顔に向けたら、怯んだ?」
偶然かもしれない。
単純に攻撃判定が入っただけかもしれない。
それとも、《Dire Wolf》というモンスターに火を警戒する行動パターンが設定されているのか。
分からない。
分からないなら――覚えておこう。
次に同じモンスターと遭遇した時、もう一度試せばいい。
その時。
――シャラン♪
軽快な効果音が鳴った。
こっこの周囲を淡い光が包む。
目の前にウインドウが表示された。
《LEVEL UP》
「おおっ!」
こっこの表情が一気に明るくなる。
「レベル上がった!」
レベル――4。
「よしよし✨️」
先ほどまで狼に怯えていた男とは思えないほど、嬉しそうにステータス画面を眺める。
だが。
画面を閉じた瞬間――。
目の前には、再び真っ暗な道。
「…………」
こっこは前を見る。
暗い。
後ろを見る。
やはり暗い。
左を見る。
草むら。
先ほど狼が出てきた場所だ。
こっこはすぐに視線を逸らした。
「…………」
そして、ようやく根本的な問題へ戻ってきた。
「それで……」
松明を掲げる。
「次の街って、どっち? 」
レベルは上がった。
戦い方も、一つ覚えた。
だが――。
道は分からない。
こうしてレベル4になった初心者プレイヤー《こっこ》は、夜のアインクラッドを心細そうに歩き続ける。
まだ彼は知らない。
この先で――。
後に《鼠のアルゴ》と呼ばれる、一人の情報屋と出会うことを。