エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~ 作:Edward
ホルンカの村――翌朝。
安全エリアの片隅。
こっこ「うう……体が痛い……ような気がする」
もちろん、ナーヴギアで眠っている現実の肉体が、地面の硬さを感じているわけではない。
それでも、昨日は宿代を惜しみ、村の片隅で野宿をした。
こっこ「勿体ないから野宿したけど……やっぱり宿に入ったほうが良かったかな?」
眠れなかったわけではない。
仕事柄、出張先や仮眠室など、多少環境が悪くても眠れる自信はある。
だが――。
こっこ「いかん……これは私の崇拝するスヤ◯ス姫の教えに反している……」
睡眠とは、翌日を戦うための最重要事項である。
宿代を惜しんだ結果、疲労感を残すなど、本末転倒ではないか。
こっこ「でもコルが勿体ない 」
信仰と倹約の間で揺れる男であった。
そんなこっこの脳裏に、昨夜アルゴから聞いた話が蘇る。
――この村には、少し変わったクエストがある。
報酬として手に入るのは――。
《美味しいクリーム》。
こっこ「…………」
その目が輝いた。
こっこ「クリーム✨️」
剣を確認する。
回復アイテムを確認する。
松明もある。
昨日拾った石もストレージに残っている。
準備は万端だ。
目的――クリーム。
こうして、こっこはホルンカ周辺で受注できるクエスト《逆襲の雌牛》へ向かった。
こっこ「牛かあ……」
歩きながら考える。
こっこ「…………牛?」
足が止まった。
こっこ「牛がいるなら、何頭か譲り受けて酪農できないかな?」
牛乳が取れる。
牛乳があればクリームを作れる。
バターも作れるかもしれない。
チーズもできる。
保存食にもなる。
料理スキルとの相性もいい。
さらに、継続的に食材を供給できれば――。
こっこ「食料生産ができるじゃないか✨️」
昨日まで、
「このデスゲームをどうやって生き残るか」
を考えていた男の頭から、攻略という二文字が急速に消えていく。
こっこ「まずは飼育できる場所が必要だな。柵を作るなら木材……いや、《クラフト》で加工できるかな? 餌はフィールドの草を使える? 冬はあるのかな? 乳製品は料理スキルで加工判定になるのかな?」
すでに思考は完全に酪農家のものである。
その先の草原から――。
「モォォォォォ!!」
巨大な雌牛がこちらを睨んだ。
視界に赤いカーソルが浮かぶ。
こっこ「おおっ! いた!」
雌牛「モォォォ!!」
こっこ「ちょっと待って! 倒す前に確認したいことがあるんだ!」
雌牛「モォォォォォ!!」
猛烈な勢いで突進してくる。
こっこ「話し合いは無理かあああ!! 」
――攻略開始二日目。
他のβテスターたちが経験値効率や強力な装備を求めて走り回るなか。
一人だけ、
《アインクラッドで酪農は可能か》
という問題に挑み始めたプレイヤーがいた。
もはや彼の思考は、攻略ではなかった。
2022年12月1日――第100層《紅玉宮》
茅場晶彦は、巨大なモニターに映し出されたアインクラッド各地の情報を確認していた。
攻略組の現在位置。
各プレイヤーのレベル分布。
死亡者数。
クエストの達成状況。
そして――。
茅場「…………」
背後から足音が聞こえた。
凛子「まだ見ているの?」
茅場「……君か。私の身体のケアを頼んだはずだが」
凛子「いいじゃない。常に見守っていなければならないわけでもないでしょう。あんな人里離れた場所にずっといるくらいなら、たまにはあなたが作った世界を見たっていいじゃない」
茅場「好きにしたまえ」
凛子は茅場の横まで歩み寄った。
そして、彼の横顔をじっと見つめた。
凛子「……あら」
茅場「なんだ」
凛子「あなた、何か気に入らないことがあるような顔をしているわね」
茅場「…………」
凛子「図星?」
茅場は答えず、モニターを操作した。
茅場「βテストとは異なる展開になっていてね。原因を調べていた」
凛子「へえ。攻略の進行が早すぎるとか?」
茅場「いや」
画面が切り替わった。
そこに映し出されたのは――
牛。
巨大な牛。
その牛に追い回されながら、必死の形相でしがみついている一人のプレイヤーだった。
こっこ「クリームぅぅぅ!! 今日こそいただくぞぉぉぉ!!」
凛子「…………」
茅場「この男だ」
凛子「あら?」
凛子が画面に顔を近づける。
凛子「この人……」
茅場「知っているのか?」
珍しく、茅場は即座に振り向いた。
凛子「ええ。共同開発で一緒に仕事をしたエンジニアよ。優秀なのだけれど……少し変わった人なの」
茅場「……なるほど」
茅場は妙に納得したような表情を浮かべた。
凛子「それで? この人は普通にクエストを進めているように見えるけれど、何が問題なの?」
茅場「《逆襲の雌牛》という、反復可能なクエストだ」
凛子「ええ」
茅場「報酬として、特殊なクリームが手に入る」
凛子「ええ」
茅場「この男は――」
茅場がログを表示する。
凛子「…………」
茅場「二日に一度の頻度で受注している」
凛子「ぶっ!」
茅場「笑い事ではない」
凛子「あっはっはっはっは!!」
凛子は腹を抱えて笑った。
凛子「やるわね! あの人なら絶対にやるわ! 凝り性だもの!」
茅場「私は、このクエストを序盤の食料調達と戦闘訓練を兼ねた寄り道として設計した」
凛子「それを?」
茅場「日課にしている」
凛子「クリームが欲しいから?」
茅場「クリームが欲しいからだ」
画面の中では、こっこが報酬を受け取っていた。
こっこ「よーし✨ これでパンに塗れる! 次はバターに加工できないか試してみよう!」
茅場「…………」
凛子「…………」
こっこ「牛乳も手に入らないかな? というか、この牛そのものを飼えないかな?」
茅場「…………」
凛子「晶彦」
茅場「なんだ」
凛子「たぶん、この人は――」
凛子は笑いを堪えながら、モニターを指さした。
凛子「あなたが想定している攻略は、しないわよ」
茅場「…………」
その言葉を聞いて、茅場晶彦は初めて。
ほんの少しだけ。
嫌な予感を覚えた。
アルゴ「君、少し本来の目的を見失っていないか?」
こっこ「えっ?」
アルゴ「私が教えた《逆襲の雌牛》は?」
こっこ「達成しました✨️ クリームが美味しかったです!」
アルゴ「《森の秘薬》は?」
こっこ「達成しました!」
アルゴ「《アニールブレード》は?」
こっこ「もちろん入手しました!✨️」
アルゴ「……そういえば、君のアニールブレードは、妙な強化になっていたな」
こっこ「はい! ご覧ください!」
こっこは嬉しそうに一本の剣を取り出した。
《Anneal Blade》
《丈夫さ +5》
《鋭さ +1》
アルゴ「…………」
こっこ「すごいでしょう!?✨️」
アルゴ「いや……通常は、もう少し攻撃性能を重視するものだが……」
こっこ「しかし、壊れにくいんですよ!?」
アルゴ「攻略を優先するなら、敵を早く倒せる方が――」
こっこ「ですが、鋭さは研ぐことで調整できます。一方、耐久性が高ければ長時間使用できますし、修繕の回数も減らせます。遠征中に武器が壊れるリスクも抑えられます。これだけ丈夫なら、加工実験にも使用できますし――」
アルゴ「分かった、分かった 」
こっこ「いえ、これは重要な点です! 工具においても剛性が――」
アルゴ「君は本当に剣の話をしているのか?」
こっこ「していますよ?」
アルゴ「工具の話にしか聞こえないのだが……」
こっこ「それよりアルゴさん、シチューを召し上がりますか?」
アルゴ「話の切り替えが急だな!」
こっこ「クリームをたっぷり入れています♥」
アルゴ「いただこう!」
こっこ「毎度ありがとうございます✨️」
アルゴ「……ところで、攻略の方は?」
こっこ「進めていますよ」
アルゴ「どこがだ!?」
こっこ「武器も入手しました。クエストも達成しました。レベルも上げました」
アルゴ「その結果、なぜ露店の店主になっているんだ!?」
こっこ「…………楽しくなってしまって✨️」
アルゴ「やはり、本来の目的を見失っているではないか!」
2022年12月2日――。
《トールバーナ》の一角から、香ばしい匂いが漂っていた。
ぱちぱちと薪が爆ぜる音。
その上では、串に刺された肉がじゅうじゅうと脂を滴らせながら焼かれている。
「うん、いい感じだ✨️」
肉の表面に浮いた脂を眺めながら、こっこは満足そうに頷いた。
《料理》スキルを取得して以来、暇を見つけては食材を焼き、煮込み、味付けを試している。
攻略も重要だ。
レベル上げも重要だ。
だが――。
食事もまた重要なのである。
何より、せっかく手に入れた食材を無駄にするなど、こっこには到底許容できなかった。
そんな彼の背後から、聞き慣れた声が飛んできた。
「こっこー!」
「ん?」
振り返ると、小柄なフード姿の人物がこちらへ駆けてくる。
情報屋――アルゴだ。
「おお、アルゴ。ちょうどいいところに来たな。肉、食べる?」
「そんな場合じゃないんダヨ!」
アルゴは勢いよくこっこの前まで来ると、びしっと指を突きつけた。
「こっこ! お前がのんびり肉を焼いている間に、迷宮区のBOSS部屋が見つかったんダゾ!」
「えっ!」
さすがのこっこも目を見開いた。
第一層攻略における最大の関門。
その場所が、ついに発見されたのだ。
一瞬だけ真剣な表情になったこっこは、手元の肉へ視線を落とす。
「確かに……」
「そうダロ?」
「肉を焼いて、油を売っている場合ではないな✨️」
「全然うまくないゾ!」
即座にツッコミが飛んできた。
「えー」
「『えー』じゃない! 第一層のBOSSだゾ!?」
こっこは焼き上がった肉を皿へ移しながら尋ねた。
「それで、今すぐ攻略に向かうのか?」
「いや」
アルゴは首を振る。
「今日の夕方から攻略会議があるそうダ。ここ、トールバーナでナ」
「攻略会議……」
こっこの手が止まった。
この世界に閉じ込められて、もうすぐ一ヶ月。
数多くのプレイヤーが命を落とした。
それでも迷宮区を進み続けた者たちが、ようやく第一層の最奥へ到達したのだ。
そして今度は、そのボスを倒すために人が集まる。
おそらく、この世界で初めて行われる大規模な攻略会議。
アルゴはフードの奥から、じっとこっこを見つめた。
こっこがこれまで何をしてきたのか、アルゴは知っている。
βテスターでもないのに序盤からフィールドへ飛び出し。
《料理》を取得し。
《クラフト》を取得し。
肉を焼き。
炭を作り。
露店を開き。
その一方でレベルを上げ、《アニールブレード》まで手に入れた。
しかも――。
《丈夫さ+5、鋭さ+1》
という、アルゴから見ても「どうしてそうなった」と言いたくなる妙な強化を施している。
攻略組なのか。
職人なのか。
料理人なのか。
商人なのか。
アルゴにも、もはやよく分からない。
だが、一つだけ分かる。
こっこは、この世界で生きる道を自分なりに探し続けている。
だからこそ、アルゴは少しだけ真剣な声で尋ねた。
「……腹はくくったカ?」
「!」
こっこの目が大きく開く。
アルゴは静かに待った。
第一層のボス攻略へ参加する覚悟。
命を懸けて戦う覚悟。
その問いに、こっこは――。
「人が集まるようだから、広場で売ろう!✨️」
「…………」
アルゴの眉間に青筋が浮かんだ。
「 」
「だってアルゴ! 考えてみろよ!」
こっこは立ち上がった。
「攻略会議なんだろ? 攻略を目指しているプレイヤーが大勢集まるんだろ?」
「そうダ!」
「じゃあ、絶好の商機じゃないか✨️」
「なんでそうなるんダヨ!!」
こっこの頭の中では、すでに商売の計算が始まっていた。
攻略組が集まる。
当然、迷宮区を探索してきたプレイヤーも多い。
ならば、武器や防具の耐久値が減っている者もいるはずだ。
さらにボス攻略を控えているなら、保存食や携帯できる食料の需要もある。
「武器と防具の修繕も受け付けよう。それから狼肉の燻製。ライ麦パンもあるし……あっ、炭も持っていこう!」
「炭!?」
「便利だぞ?」
「これからBOSS攻略に挑もうって奴らに、何を売りつけるつもりダ!?」
「旅先で火を熾せる✨️」
「キャンプ用品じゃないんダヨ!!」
しかし、こっこは止まらなかった。
ストレージを開き、商品を次々と確認していく。
「ボアの肉、よし。猪のシチューも出せるな。クリームもまだある。パンにも添えよう」
「……」
「工具一式。裁縫用具。金物……あっ、加工依頼も受けられるように――」
「こっこ」
「なに?」
「お前、本当にBOSS攻略する気あるのカ?」
「あるよ?」
即答だった。
アルゴがずっこけそうになる。
「だったら、少しは緊張しろヨ!」
「緊張してるよ 」
「どこがダ!」
「だから準備しているじゃないか」
こっこは当然のように答えた。
そして腰に下げた《アニールブレード》を軽く叩く。
「武器はある。防具も確認した。食料もある。工具もある。だったら、余っている物は必要な人に売った方がいいだろ?」
「…………」
アルゴは言葉に詰まった。
理屈としては――妙に間違っていない。
そして夕方。
トールバーナの広場には、続々とプレイヤーが集まり始めた。
第一層を突破するため。
ボス攻略の情報を共有するため。
誰もが多少なりとも緊張した面持ちで広場へ向かう。
その一角で――。
「いらっしゃいませー! 攻略前に腹ごしらえはいかがですかー!✨️」
威勢のいい声が響いていた。
簡易的に設営された露店。
そこに並ぶ品々。
《ボアの肉・粗塩風味》
《猪のシチュー・クリームたっぷり♥》
《狼肉の燻製・保存食にどうぞ!》
《ライ麦のパン・クリーム添え♥》
さらに看板には――。
『武器・防具修繕します!』
『素材加工OK!』
『裁縫用具・金物あります!』
そして店の端には、小さな袋が積み上げられている。
『炭――旅のお供に!!』
「…………」
アルゴは、その光景を無言で眺めていた。
攻略会議へ集まってきたプレイヤーたちも、何事かと足を止める。
「修繕できるのか?」
「できますよー!」
「保存食ってどれ?」
「こちらの燻製です! 日持ちしますよ✨️」
「パンを一つ」
「ありがとうございます!」
意外にも――。
売れた。
かなり売れた。
アルゴの頬が引きつる。
「……こっこ」
「はい、いらっ――あ、アルゴか」
「お前……」
アルゴは頭を抱えた。
「BOSS攻略より先に、攻略組相手の商売を攻略してないカ?」
「だって売れるんだもん✨️」
「否定できないのが腹立つナ 」
やがて、広場の中央へ一人の青年が歩み出る。
青い髪。
整った装備。
そして人目を引く、不思議な華やかさを持った男。
ディアベルだった。
「みんな! 今日は俺の呼びかけに応じてくれてありがとう!」
ざわめいていた広場が静まる。
こっこも露店から顔を上げた。
「……始まるみたいだな」
アルゴがちらりと横を見る。
先ほどまで商売に夢中だった男の表情から、笑みが消えていた。
ここから先は――命の話だ。
第一層を突破するために。
そして、一万人のプレイヤーがこの世界から生きて帰るために。
こっこは露店の看板を静かに下ろした。
「店じまいだ」
「ようやくその気になったカ」
「うん」
商品をストレージへ戻す。
工具を片付ける。
そして最後に腰の《アニールブレード》へ触れた。
この剣を手に入れたときは、単純に嬉しかった。
イベントで武器がもらえる。
それだけで喜んだ。
だが――。
これからこの剣は、本当に自分の命を預ける武器になるのかもしれない。
こっこはディアベルへ視線を向けた。
攻略会議が始まる。
アルゴはその横顔を見て、ようやく安心したように息を吐いた。
「……で、こっこ」
「ん?」
「そのアニールブレード、本当にそれでBOSS戦に行くのカ?」
「もちろん✨️ 丈夫さ+5だぞ!」
「なんでそこまで丈夫さに振ったんダヨ!」
「壊れたらもったいないじゃん」
「…………」
アルゴは天を仰いだ。
「結局そこなのカ!!」
第一層攻略会議。
この日、後に攻略組と呼ばれるプレイヤーたちが集った場所に――。
料理人なのか。
職人なのか。
商人なのか。
それとも攻略プレイヤーなのか。
本人すらおそらく決めていない、妙な男が一人混じっていた。
ただし。
その腰には――。
妙に頑丈な《アニールブレード》が、しっかりと下げられていた。