エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~ 作:Edward
――第八層攻略が進む、その頃。
サタンは、まだ老師の庵にいた。
柔拳。
関節技。
寝技。
投げ。
そして、合気。
長く続いた修行の末、サタンはついに《合気》の感覚まで掴んでいた。
相手の力に逆らわない。
力の流れを読み、その方向をわずかにずらす。
重心を崩し、最小限の力で最大限の結果を生む。
最初こそ、
「こんなチマチマした戦い方、性に合わねえ!」
などと文句を言っていたサタンだったが、今では老師の打撃を受け流し、そのまま投げへ繋げるところまで成長していた。
だが――。
最後の修行だけが、どうしても越えられない。
《闘気》。
老師が一度だけ見せた、拳を包む凄まじい気迫。
あのときサタンは、本能的に感じた。
――あれをまともに食らえば死ぬ。
だが老師が闘気について教えたのは、その一度だけだった。
「爺さん、もう一回見せてくれよ」
「断る」
「なんでだよ!」
「見せたところで意味がないからじゃ」
老師は杖をつきながら、淡々と言った。
「闘気は技ではない」
「……?」
「己の内にあるものを、己自身が引き出すものじゃ。感じ方も、形も、きっかけも人それぞれ。儂のやり方を真似たところで、お前の闘気にはならん」
そして、最後にたった一言。
「精神の修行。そして静と動の解放――後はお前のセンスじゃ」
老師は背を向けた。
「できぬ奴は、一生できぬ」
「……マジかよ」
以来、老師は闘気について何も教えなくなった。
◆
轟々と水音が響く。
山中の滝。
サタンは上半身裸のまま、その真下に座っていた。
凄まじい水圧が肩を叩く。
冷たい。
痛い。
呼吸すら乱される。
それでもサタンは動かなかった。
(精神の修行……)
目を閉じる。
(静と動の解放……)
呼吸を整える。
(意味わかんねえよ……)
何日やっても。
何度拳を振っても。
老師が見せた、あの感覚には届かない。
拳に力を込めても駄目。
気合を入れても駄目。
怒っても駄目。
無心になろうとしても――そもそも「無心になろう」と考えている時点で無心ではない。
「…………」
サタンは滝に打たれながら歯を食いしばった。
(何が足りねえ)
答えはない。
(何が必要なんだ)
やはり答えはない。
昨日、商人から聞いた。
「攻略組、もう第八層アル」
その言葉が頭から離れなかった。
(八層……)
仲間たちは先へ進んでいる。
キリト。
アスナ。
こっこ。
リズ。
シリカ。
エギル。
ディアベル。
みんな戦っている。
自分だけが、こんな山奥で滝に打たれている。
(もう……いいんじゃねえか?)
そんな考えが浮かんだ。
柔拳を覚えた。
関節技も覚えた。
寝技も投げも覚えた。
合気まで身につけた。
それだけでも以前とは比較にならないほど強くなった。
闘気がなくても戦える。
十分だ。
(……帰るか)
サタンは目を開いた。
立ち上がろうとする。
だが。
足が動かなかった。
「…………」
自分でも理由は分かっていた。
ここで帰ったら。
たぶん――。
一生、できない。
老師の言葉が蘇る。
『できぬ奴は、一生できぬ』
「……クソ爺」
サタンは再び座った。
目を閉じる。
(ここで諦めたら……)
滝が肩を打つ。
(俺は一生、あれを使えねえ気がする)
焦る。
焦るな。
考える。
考えるな。
力を入れる。
力を抜け。
静。
動。
精神。
肉体。
相反する言葉が頭の中をぐるぐると回る。
(わかんねえ……!)
そのときだった。
「サタン!」
滝の音に混じって、かすかに声が聞こえた。
サタンは気づかない。
「サタン!!」
「……あ?」
ふと我に返る。
岸辺にいた商人が、真っ青な顔で叫んでいた。
「上アル!!」
「上?」
サタンが顔を上げた。
「――!!?」
視界を埋め尽くすほどの巨大な岩。
滝の上部から剥がれ落ちた大岩が、水流に押されながら真っ直ぐ落下してきていた。
「でかっ――!!」
避ける。
そう思った。
だが足場は水で滑る。
滝の水圧が身体を押さえつける。
しかも、気づくのが遅すぎた。
(間に合わねえ!!)
岩が迫る。
巨大な質量。
落下速度。
さらに滝の水流。
まともに受ければ――。
(潰される)
サタンは悟った。
死。
それが目の前まで迫っていた。
――その瞬間。
不思議なほど。
頭の中から、すべての雑音が消えた。
焦りが消えた。
恐怖が消えた。
攻略への焦燥も。
老師への苛立ちも。
闘気を覚えなければという執着すら。
消えた。
「…………」
静かだった。
滝の轟音すら、遠く感じる。
サタンの足が自然に開く。
腰が落ちる。
背筋が伸びる。
肩から力が抜けた。
右拳が――。
すっ。
と腰元へ引かれる。
サタン自身、何をしているのか分かっていなかった。
ただ身体が動く。
心を静かに。
身体を整える。
呼吸を。
ひとつ。
吸う。
吐く。
そして――待つ。
何かが満ちる。
力ではない。
怒りでもない。
恐怖でもない。
自分の中心に、何かが集まってくる。
老師の言葉が蘇った。
『静と動の解放』
サタンの目が――。
カッ!!
と見開かれた。
岩まで一メートルもない。
そして。
「――――ッ!!」
静寂が爆発した。
右拳が一直線に突き上がる。
その瞬間。
拳を包むように、今までのソードスキルとは明らかに違う光が走った。
否。
光ではない。
炎でもない。
エフェクトとも違う。
サタン自身から溢れ出したような、濃密なオーラ。
「お――」
商人が目を見開く。
「おおおおおおおおおッ!!?」
拳と巨岩が激突した。
――轟音。
次の瞬間。
巨大な岩が。
内側から爆ぜた。
バギィィィィン!!
無数の岩片となって四方へ飛び散る。
「アイヤァァァァァ!!?」
商人は尻餅をついた。
滝壺へ岩片が次々と落下する。
水飛沫が舞う。
その中心で。
サタンは拳を突き上げた姿勢のまま固まっていた。
「…………」
やがて。
ゆっくり拳を下ろす。
そして自分の両手を見る。
「……今の」
握る。
開く。
もう一度握る。
「身体が……勝手に動いた」
自分でも信じられなかった。
「サ、サタン……」
商人が震える指を向ける。
「い、今の何アル……?」
「……知らねえ」
「知らないで岩砕いたアルか!?」
「俺が聞きてえよ!」
その様子を。
少し離れた岩場から、老師が黙って見ていた。
「…………」
口元が。
わずかに上がる。
「ようやくか」
サタンが振り返った。
「爺さん!」
老師はすでに庵へ向かって歩き始めている。
「待てよ! 今のだろ!? 闘気だろ!?」
老師は振り返らない。
「老師!」
杖をつきながら、老人はただ一言。
「入り口に、ようやく立てたか」
「……!」
サタンの顔が明るくなる。
「じゃあ――!」
「勘違いするな」
ピシャリ。
老師の声が飛んできた。
「今のお前は、死にかけて偶然扉を開いただけじゃ」
「うっ」
「自分の意思で開けぬ扉など、戦場では何の役にも立たん」
「…………」
「それに」
老師は少しだけ顔を横へ向けた。
口角が上がっていた。
「今の程度で満足しておるなら――」
サタンの背筋に嫌な予感が走る。
「闘気など百年早いわ」
「…………」
老師は庵へ戻っていく。
サタンは呆然とその背中を見送った。
そして。
「……ハッ」
笑った。
「上等じゃねえか」
拳を握る。
確かに。
一瞬だった。
もう一度やれと言われても、できる気がしない。
だが――。
分かった。
存在しないものを追いかけていたわけではない。
自分の中に。
確かに「あれ」はあった。
「爺さん!!」
サタンは滝から飛び出した。
「もう一回だ!!」
老師は振り返らない。
「勝手にせい」
「今度は自分で出してやる!!」
商人だけが。
粉々になった巨岩を見上げていた。
「…………」
そして、ぼそり。
「ワタシ……」
砕けた岩を見る。
サタンを見る。
もう一度、岩を見る。
「最近、この世界がソードアート・オンラインだったか自信なくなってきたアル……」
こうして。
サタンはついに――。
《闘気》の入り口へ立った。
習得ではない。
完成など、遥か先。
ただ一度。
死の淵で偶然開いた扉。
次の修行は、その扉を――。
己の意思で開くこと。
サタンの最後にして最大の修行は、ここからが本番だった。
ドワーフを探す。
言葉にすれば、それだけのことだった。
だが――。
「……いないねえ」
森エルフの首都。
長老から借り受けた資料を閉じ、こっこは盛大にため息をついた。
リズが腕を組む。
「いないっていうか、情報がないのよ」
シリカも困ったように頷いた。
「今までの層でも聞き込みしましたけど……ドワーフを見たっていうNPC、一人もいませんでしたよね」
そうなのだ。
第六層で《エルフの古文書》を手に入れてから、こっこ達は機会があるたびにドワーフの情報を集めてきた。
酒場。
鍛冶屋。
商人。
古老。
エルフ達。
思いつく限りの場所で聞いた。
しかし――何もない。
噂すらない。
まるで、このアインクラッドから種族そのものが姿を消してしまったかのようだった。
こっこは古文書の写しを開く。
そこには確かに記されている。
かつて大地が切断され、魔法が失われた時代。
エルフへ魔法を返すため、《六本の秘鍵》を作ったのはドワーフだった。
そして今――。
六本の秘鍵は揃った。
ただし。
そのうち一本が破損している。
リズが腕を組んだ。
「私じゃ無理よ。鍛冶スキルでどうにかなるアイテムじゃない」
「だよねえ……」
「これを作ったドワーフなら、何か分かるかもしれないけど」
だからこそ探している。
だが、手掛かりはたった一つ。
――第九層。
そこに《儀式の地》が存在する。
六本の秘鍵を用いて、失われた魔法を復活させるための場所。
具体的な位置は分からない。
ドワーフがいる保証もない。
ただ――。
こっこは古文書を閉じた。
「そこに賭けよう」
「第九層?」
「うん。ドワーフが魔法復活に関わっていたなら、儀式の場所にも何か残ってるかもしれない」
シリカが頷く。
「少なくとも、今までより可能性はありそうですね」
「というわけで!」
こっこは立ち上がった。
「エルフイベント、いったん解散!」
「軽っ!」
リズのツッコミが飛ぶ。
「ここで止まってても仕方ないからね。まず攻略を進める。第九層へ行って、祭壇を探す!」
「見つからなかったら?」
「その時考える✨️」
「やっぱりノープランじゃない!」
「ぎゃーす 」
こうして――。
第三層から続いてきたエルフ達との物語は、一度だけ幕を下ろすことになった。
六本の秘鍵。
破損した一本。
森エルフと闇エルフ、それぞれの思惑。
そして、未だ姿すら見せないドワーフ達。
すべての答えは、おそらく第九層にある。
ならば――。
今やるべきことは、攻略だ。
◇
そして。
森エルフの首都を出発する日の朝。
「おおおおお……✨️」
こっこの目が輝いていた。
リズは嫌そうな顔をする。
「始まったわ」
「始まりましたね」
シリカも苦笑した。
二人の視線の先には、森エルフから譲り受けた二頭の立派な馬。
そして、その後ろには――。
木製の車体。
大型の車輪。
荷台。
座席。
幌。
二頭立ての牽引機構。
以前、アスナの何気ない一言によって気付かされたもの。
ついに完成した。
《馬車》である。
こっこは両手を広げた。
「完成したああああ!!✨️」
「うるさい!」
「痛い 」
リズの拳が飛んだ。
シリカは馬車の周囲を回る。
「でも、すごいですね。かなり荷物が積めそうです」
「でしょう!」
一瞬で復活したこっこが荷台を指差す。
「工具! 食材! 武器! 防具! クロスボウ! 修理部品! ぜーんぶ積める!」
「……あんた、店ごと運ぶつもり?」
「移動店舗✨️」
「やっぱり!」
だが、この馬車にはもう一つ。
極めて重要な用途があった。
幌付きの荷台。
陽光を遮断できる、その構造。
それを見たキリトが――。
「これなら俺も乗れるじゃないか!」
目を輝かせた。
現在のキリトは、ボスの影響によって吸血鬼の《眷属》状態。
昼間の移動には大きな制限がある。
そのため――。
こっこが無駄に職人魂を発揮して製作した《棺桶》に入れられて運ばれていた。
しかし。
幌で完全に日光を遮れる馬車なら話は別だ。
キリトは荷台へ乗り込み、内部を確認する。
「ここなら日光も入ってこない」
「うん」
「だったら――」
キリトは振り返った。
「馬車の中なら、棺桶にいなくてもいいだろ?」
「えー」
こっこは露骨に不満そうな顔をした。
「せっかく作ったんだから中に入っていてよ」
「…………」
キリトの額に青筋が浮かぶ。
「マジで、あいつの血を一滴残らず吸い尽くしたくなってきた 」
「ひいいいいっ!? 」
アスナが慌ててキリトの肩を掴んだ。
「キリト君! 落ち着いて!」
「止めるなアスナ! 一滴でいい! 最初は一滴でいいから!」
「最終的に全部吸う気じゃない!」
リズが棺桶を指差す。
「だいたい、なんで馬車が完成したのに棺桶まで載せるのよ!」
こっこは胸を張る。
「非常用✨️」
「何の非常時よ!」
「キリト君が寝たい時とか」
「普通に寝かせろ!! 」
「ぎゃーす 」
シリカが必死に笑いを堪えている。
ピナは棺桶の上にちょこんと座り、
「きゅる?」
と首を傾げていた。
結局――。
棺桶も馬車に積載された。
キリト本人の強い抗議にもかかわらず。
◇
やがて――。
第八層の森林を、一台の馬車が走り始めた。
ガラガラガラガラ――。
御者台には、満面の笑みを浮かべたこっこ。
隣にはシリカ。
荷台にはリズ。
そして――。
「快適だ……」
久しぶりに棺桶の外で昼間の景色を見るキリト。
もちろん幌の内側からではあるが、それでも棺桶とは雲泥の差だった。
その隣には。
無用となったはずの棺桶が鎮座している。
キリトはそれを見る。
「…………」
棺桶を見る。
こっこの後頭部を見る。
再び棺桶を見る。
「……いつか噛む」
「聞こえてるよ!? 」
「冗談だ」
「目が冗談じゃないよ!」
リズが呆れたようにため息をついた。
「自業自得よ」
ピナは馬車の屋根で翼を広げ、気持ちよさそうに風を受けている。
そして――。
森を抜けた先。
第八層の主街区が見えてきた。
こっこの表情が再び輝く。
「いいねえ、馬車!✨️」
攻略組への補給。
迷宮区への資材輸送。
臨時店舗。
職人の移動。
負傷者の搬送。
そして――吸血鬼一名の輸送。
こっこの頭の中では、すでに用途が次々と増殖していた。
リズが嫌な予感を覚える。
「……シリカ」
「はい」
「こいつ、絶対ろくでもないこと考えてる」
御者台から元気な声が飛んできた。
「まず五台くらい作ろうか✨️」
「ほら!」
「将来的には輸送部門も――」
「作るな!」
「ぎゃーす 」
馬車が主街区へ入っていく。
石畳に車輪の音が響く。
プレイヤー達が振り返った。
「……馬車?」
「プレイヤーメイド?」
「またエンジニアか……」
「また、あの人か……」
こっこは上機嫌で手を振った。
「ただいまー!✨️」
そして馬車は――。
攻略組の待つ場所へと進んでいく。
第八層を突破するために。
その先。
第九層に眠るという《儀式の地》へ辿り着くために。
未だ影すら掴めない――。
ドワーフ達を探し出すために。
六本の秘鍵と、失われた魔法を巡る物語は。
まだ、終わってはいなかった。