エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~   作:Edward

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85 覚醒

サタンの修行は続いていた。

 

一度は《闘気》の覚醒に成功した。

 

確かに、あの瞬間はできたのだ。

 

全身の奥底から何かが噴き上がり、拳に集まり、今までとはまるで違う力となった。

 

しかし――。

 

「……っ!」

 

サタンは拳を握り締める。

 

何も起きない。

 

「くそっ!」

 

もう一度。

 

呼吸を整える。

 

精神を集中する。

 

老師に教わった通り、力むのではなく、自分の内側にあるものを感じる。

 

「…………」

 

何も起きない。

 

「なんでだよ……!」

 

拳を地面へ叩きつける。

 

一度だけなら成功した。

 

ならば、できるはずなのだ。

 

だが、あれ以来まともに発動できたことは一度もない。

 

老師の言葉が頭をよぎる。

 

『闘気は技ではない』

 

『精神の修行。そして静と動の解放』

 

『後はお前のセンスじゃ』

 

『できぬ奴は、一生できぬ』

 

「……一生、か」

 

サタンは自嘲気味に笑った。

 

攻略組はすでに第八層へ到達している。

 

商人から聞いた話では、こっこ達は相変わらず好き放題やっているらしい。

 

秘鍵だの。

 

エルフだの。

 

カジノだの。

 

経済危機だの。

 

「……俺、何やってんだよ」

 

焦りが出る。

 

みんなは先へ進んでいる。

 

自分だけが、ずっとここにいる。

 

柔術。

 

関節技。

 

寝技。

 

投げ。

 

合気。

 

一つずつ乗り越えてきた。

 

なのに最後の最後で、足が止まった。

 

「くそ……!」

 

苛立つ。

 

その苛立ちが、さらに精神を乱す。

 

闘気はますます遠ざかる。

 

完全な悪循環だった。

 

サタンは大きく息を吐いた。

 

「……滝でも浴びるか」

 

こんな精神状態で続けても意味がない。

 

いつもの滝へ向かった。

 

轟々と水が落ちる。

 

修行を始めた頃から何度となく座った、滝下の岩。

 

サタンは岸から飛び移る。

 

「よっ――」

 

ツルッ。

 

「……あ」

 

濡れた苔に足を取られた。

 

「うおおおっ!?」

 

バシャァァァン!!

 

そのまま滝へ突っ込んだ。

 

「ぶはっ!?」

 

猛烈な水圧。

 

サタンは咄嗟に身体を丸める。

 

岩壁に叩きつけられる――!

 

そう思った。

 

だが。

 

「……あれ?」

 

ぶつからない。

 

サタンは水を掻き分けて顔を上げる。

 

目の前に暗闇があった。

 

滝の向こう側。

 

岩壁だと思っていた場所に、ぽっかりと空洞が開いている。

 

「……滝の裏側?」

 

サタンは這い上がった。

 

振り返れば、巨大な水のカーテン。

 

外からでは絶対に分からない。

 

「こんな場所あったのかよ」

 

老師から聞いた覚えもない。

 

サタンは暗い洞窟を見る。

 

「老師のへそくりでもあるのかな?」

 

少し笑った。

 

闘気修行ばかりで煮詰まっていたところだ。

 

気分転換にはちょうどいい。

 

サタンは洞窟の奥へ進んだ。

 

最初はただの岩肌だった。

 

だが進むにつれ、様子が変わっていく。

 

壁に文字が刻まれている。

 

読めない。

 

さらに進む。

 

地面には古びた縄。

 

朽ちた木札。

 

そして――。

 

何枚もの護符。

 

「……なんだ、これ」

 

サタンの足が止まった。

 

空気が違う。

 

ゲームの中なのに。

 

寒い。

 

いや。

 

寒いのではない。

 

身体が勝手に震えている。

 

背筋を何かが這い上がる。

 

戦闘を繰り返してきたサタンの直感が警告する。

 

――行くな。

 

サタンは拳を構えた。

 

「……帰るか」

 

興味本位で入っていい場所ではない。

 

そう判断して踵を返した。

 

その時だった。

 

「…………待って」

 

サタンの動きが止まる。

 

「……?」

 

奥から声がした。

 

女の声。

 

「誰か……いるのですか……?」

 

か細い声だった。

 

「助けて……ください……」

 

サタンは振り返った。

 

「人?」

 

慎重に奥へ進む。

 

やがて広い空間へ出た。

 

中央に一人の女が座っている。

 

和服姿。

 

長い黒髪。

 

白い肌。

 

俯いた顔。

 

その両手両足には、巨大な枷が取り付けられていた。

 

「おい!」

 

サタンは駆け寄る。

 

「どうされた!」

 

女がゆっくり顔を上げた。

 

弱々しい表情。

 

「……助けて……ください」

 

「待ってろ」

 

サタンは枷を見る。

 

鎖を引っ張る。

 

びくともしない。

 

殴ってみる。

 

甲高い音だけが響く。

 

「硬ぇな……」

 

武器になるものを探して周囲を見る。

 

その時。

 

女が呟いた。

 

「それは……外せません」

 

「え?」

 

「私の……額の札を……」

 

女の額を見る。

 

髪の隙間。

 

そこには一枚の古びた護符が貼られていた。

 

「これか?」

 

「はい……」

 

女が微笑む。

 

「それを外してくだされば……」

 

サタンは護符へ手を伸ばした。

 

指で摘まむ。

 

一瞬。

 

嫌な感覚がした。

 

「…………」

 

何かがおかしい。

 

だが――。

 

もう遅かった。

 

ペリッ。

 

護符が剥がれる。

 

その瞬間。

 

洞窟の空気が変わった。

 

女が俯く。

 

「……?」

 

肩が震えている。

 

「おい、大丈夫――」

 

「ふ……」

 

サタンが止まる。

 

「ふふ……」

 

女が笑っている。

 

「ふふふふふ……」

 

「……おい」

 

「アハ……」

 

笑い声が低くなる。

 

「アハハハハハハハハハ!!」

 

ゾワッ!!

 

サタンの全身に鳥肌が立った。

 

さっきから感じていた。

 

あの禍々しい気配。

 

洞窟の奥からではない。

 

「まさか……」

 

目の前の女からだ。

 

「てめぇ……!」

 

女の身体が膨張した。

 

ミシッ。

 

ミシミシミシッ!!

 

細かった腕が盛り上がる。

 

サタンより細かったはずの腕が――彼の胴ほどもある剛腕へ変貌していく。

 

身体が巨大化する。

 

華奢だった肩。

 

細い脚。

 

すべてが異常な筋肉へ覆われる。

 

白かった肌は、徐々に青黒く染まった。

 

口元が裂ける。

 

鋭い牙が生える。

 

そして美しかった黒髪は膨れ上がり――。

 

ブワッ!!

 

凄まじい剛毛となって逆立った。

 

「……マジかよ」

 

サタンが一歩下がる。

 

バキィィン!!

 

女――だったものが腕を広げた。

 

巨大な鉄枷が、まるで飴細工のように砕け散った。

 

続いて脚。

 

バキン!

 

バキィッ!!

 

四肢を拘束していた枷がすべて破壊される。

 

ゆっくり立ち上がる。

 

デカい。

 

サタンより遥かに大きい。

 

頭には二本の角。

 

青黒い巨体。

 

牙。

 

そして、笑っている。

 

『……ようやく』

 

低い女の声が洞窟に響いた。

 

『ようやく出られた……』

 

サタンは戦闘態勢を取る。

 

視界が対象を捉えた。

 

――カーソルが表示される。

 

しかし。

 

「…………は?」

 

サタンの表情が固まった。

 

名前の横に表示された色。

 

レベル差を示す危険表示。

 

見たことがないほど――。

 

真っ黒。

 

『礼を言おう、人間』

 

鬼が笑った。

 

『我が封を解いてくれたこと……感謝するぞ』

 

「…………」

 

サタンはゆっくり後退する。

 

そして一言。

 

「……貼り直していい?」

 

『遅いわ!!』

 

ドゴォォォォン!!

 

拳が振り下ろされた。

 

「うおおおおおっ!?」

 

サタンは全力で横へ飛ぶ。

 

岩盤が爆発した。

 

「なんだこの威力!?」

 

一撃。

 

ただの一撃で床が砕けている。

 

鬼が嬉しそうに首を鳴らした。

 

ゴキッ。

 

ゴキッ。

 

『長かった……』

 

一歩。

 

ズン。

 

『実に長かったぞ……』

 

また一歩。

 

ズン。

 

『まずは貴様で――』

 

鬼の姿が消えた。

 

「!?」

 

目の前。

 

『身体を慣らすとしよう』

 

拳。

 

サタンは両腕を交差する。

 

「ぐっ!!」

 

ドォン!!

 

吹き飛ばされた。

 

壁に激突する。

 

HPバーが一気に減少した。

 

「が……っ!」

 

強い。

 

老師とは違う。

 

老師には技術で圧倒される。

 

だがこいつは――。

 

純粋に。

 

速く。

 

重く。

 

強い。

 

鬼が迫る。

 

サタンは立ち上がる。

 

逃げろ。

 

頭では分かっている。

 

だが、身体が震える。

 

恐怖。

 

死ぬ。

 

ここで死ぬ。

 

こんなところで。

 

一人で。

 

誰にも知られず。

 

第八層まで攻略が進んでいるのに。

 

自分だけ。

 

こんな場所で。

 

「…………」

 

その瞬間。

 

何かが切れた。

 

サタンは俯いた。

 

鬼が拳を振り上げる。

 

『終わりだ』

 

「……ざけんな」

 

『?』

 

「ふざけんなよ……!」

 

拳を握る。

 

「何ヶ月ここで修行してると思ってんだ……!」

 

身体の震えが止まった。

 

「みんな先に行って……」

 

一歩踏み込む。

 

「俺だけこんなところで足踏みして……!」

 

鬼の拳が迫る。

 

「それで最後が――」

 

サタンは真正面から鬼を見る。

 

「事故で封印解いて死にましたじゃ――」

 

身体の奥底。

 

ずっと探していたもの。

 

それが。

 

燃えた。

 

「ダサすぎんだろうがぁぁぁぁぁ!!」

 

轟ッ!!

 

サタンの全身から凄まじい闘気が噴き上がった。

 

『!?』

 

鬼の表情が初めて変わる。

 

サタン自身も気づいた。

 

「あ……」

 

出た。

 

しかし――。

 

今までとは違う。

 

消えない。

 

怒りに呑まれているわけでもない。

 

恐怖を消したわけでもない。

 

怖い。

 

死にたくない。

 

焦っている。

 

悔しい。

 

全部ある。

 

それでも。

 

そのすべてを抱えたまま――。

 

拳を握っている。

 

老師の言葉が蘇る。

 

『精神の修行』

 

『静と動の解放』

 

サタンは笑った。

 

「……そういうことかよ」

 

無心になる必要などなかった。

 

感情を消す必要もなかった。

 

押さえつけるから出なかった。

 

怒りも。

 

恐怖も。

 

焦りも。

 

全部、自分だ。

 

ならば。

 

「全部使えばいい」

 

鬼が咆哮する。

 

『小癪なァ!!』

 

巨大な拳が振り下ろされる。

 

サタンは構えた。

 

柔術。

 

関節。

 

寝技。

 

投げ。

 

合気。

 

これまで老師から教わったすべて。

 

そして――。

 

闘気。

 

「来いよ」

 

サタンの拳に光が集まる。

 

「修行の総仕上げだ」

 

二つの拳が激突した。

 

轟音が滝の裏側から響き渡った。

 

――その頃。

 

庵。

 

老師が茶を啜っていた。

 

「…………」

 

ズズッ。

 

遠くから。

 

ドォォォォン……。

 

老師の眉が動いた。

 

「…………」

 

茶碗を置く。

 

もう一度。

 

ドゴォォォォン!!

 

老師は滝の方向を見る。

 

「…………まさか」

 

立ち上がる。

 

珍しく。

 

老師の顔から血の気が引いた。

 

「……あの馬鹿」

 

そして全力で走り出した。

 

「鬼封印を解いたな!!」

 

老師の顔が今までにない真剣な顔になった。

 

 

滝の奥、封じられし鬼

 

轟音が響いた。

 

サタンの身体から噴き上がった闘気が、洞窟の空気を震わせる。

 

「うおおおおおおおっ!!」

 

――出ている。

 

これまで何度試しても、まともに発動しなかった《闘気》。

 

それが今、炎のように全身から立ち昇っている。

 

だが――。

 

「ぐっ……!」

 

制御できない。

 

拳へ集めようとすれば霧散する。

 

脚へ込めようとすれば、全身から無秩序に溢れ出す。

 

力はある。

 

だが、扱えない。

 

「……くだらん」

 

鬼が吐き捨てた。

 

次の瞬間、巨大な腕が振るわれる。

 

ドゴォォォン!!

 

「ぐああっ!!」

 

サタンの身体が宙を舞い、岩壁へ叩きつけられた。

 

HPバーが大きく削られる。

 

それでも――立つ。

 

「まだだ……!」

 

構える。

 

柔拳。

 

相手の力を真正面から受けず、流す。

 

――駄目だ。

 

あまりにも力が違いすぎる。

 

ならば懐へ潜り込み、重心を奪う。

 

投げ。

 

――動かない。

 

腕を取る。

 

関節技。

 

――極まらない。

 

足を払う。

 

合気。

 

寝技。

 

老師から叩き込まれた技を、次々と繰り出していく。

 

柔拳。

 

関節。

 

寝技。

 

投げ。

 

合気。

 

これまで積み上げてきたすべて。

 

だが――。

 

何一つ、決定打にならない。

 

「小僧」

 

鬼が低く呟いた。

 

「……!」

 

「貴様の技には見覚えがある」

 

鬼の口元が、不気味に歪む。

 

「奴の弟子か」

 

「老師を……知っているのか?」

 

答える代わりに、鬼の拳が振り下ろされた。

 

サタンは両腕で受ける。

 

バキィッ!!

 

「ぐあっ!!」

 

膝をつく。

 

HPは、すでに危険域へ入っていた。

 

鬼がゆっくりと近づいてくる。

 

「ならば――弟子から殺してやろう」

 

巨大な足が持ち上がった。

 

「くそ……」

 

身体が動かない。

 

その時だった。

 

ズン!!

 

「……!?」

 

鬼の巨体が、突然横へ吹き飛んだ。

 

サタンは目を見開く。

 

そこに立っていたのは――見覚えのある、小さな背中だった。

 

「……老師」

 

老師は答えなかった。

 

ただ静かに、鬼を見据えていた。

 

鬼もまた、ゆっくりと起き上がる。

 

その顔が怒りに歪んだ。

 

「…………貴様」

 

「久しいの」

 

「まだ生きていたか……!」

 

「お前を残して、そう簡単に逝けるものか」

 

「老師……こいつは……?」

 

老師は鬼から目を離さないまま答えた。

 

「昔の話じゃ」

 

静かな声だった。

 

「儂がまだ若く、身体も思うままに動いた頃――こやつが人里へ現れた」

 

鬼が低く唸る。

 

「多くの者が傷ついた」

 

「……」

 

「儂は戦った」

 

老師が拳を握る。

 

「じゃが――」

 

ほんのわずかに、その表情が曇った。

 

「全盛期の儂でも、倒しきることはできなんだ」

 

「……老師が?」

 

「封じるのが精一杯じゃった」

 

サタンは改めて鬼を見る。

 

ようやく理解した。

 

老師がなぜ、こんな人里離れた場所にたった一人で住み続けていたのか。

 

「封印とて永遠ではない。故に儂はここへ残った」

 

「…………」

 

「こやつが再び人里へ出ぬようにな」

 

「じゃあ……ずっと……」

 

「まあの」

 

そして老師は、ちらりとサタンを見る。

 

「もっとも――馬鹿弟子が封印を解くとは思わなんだが」

 

「…………すまん 」

 

「後で説教じゃ」

 

「……へい」

 

だが――鬼が笑った。

 

「後があると思っているのか?」

 

老師は鼻を鳴らす。

 

「あるとも」

 

ゆっくりと構えた。

 

「弟子の不始末は――」

 

その瞬間。

 

老師の身体から、凄まじい闘気が吹き上がった。

 

「……!!」

 

洞窟全体が震える。

 

サタンが何度修行しても掴めなかったもの。

 

先ほど、自分の身体から無秩序に噴き出していたもの。

 

それが老師の身体では――

 

一切の無駄なく、完全に制御されている。

 

拳。

 

肘。

 

肩。

 

腰。

 

脚。

 

老師の全身を、闘気が薄い膜のように覆っていた。

 

「師が始末してやらねばなるまい」

 

鬼が飛び出す。

 

老師も踏み込んだ。

 

ドン!!

 

「……!?」

 

サタンには、一瞬、老師が消えたように見えた。

 

鬼の拳を紙一重でかわす。

 

腕を取る。

 

流す。

 

崩す。

 

打つ。

 

ドドドドドッ!!

 

鬼の巨体が連続して揺れる。

 

「…………」

 

サタンは言葉を失った。

 

見えないのではない。

 

見えるからこそ――恐ろしい。

 

自分が習った技なのだ。

 

柔拳。

 

投げ。

 

関節。

 

合気。

 

すべて知っている。

 

なのに――次元が違う。

 

「俺は……」

 

サタンは拳を握った。

 

「まだ……こんなにも未熟だったのか」

 

老師が鬼の懐へ潜り込む。

 

掌底。

 

ズン!!

 

鬼の巨体が吹き飛んだ。

 

だが――。

 

「ぐ……!」

 

立つ。

 

「…………」

 

「効いている……でも……!」

 

倒れない。

 

「老いたな……」

 

鬼が笑う。

 

老師も静かに答えた。

 

「……そうじゃの」

 

再び両者が激突する。

 

老師が押していた。

 

明らかに技量では上だ。

 

鬼の攻撃はほとんど届かない。

 

しかし――。

 

戦いが長引くほど、老師の呼吸が荒くなっていった。

 

「老師……?」

 

鬼も、それに気づいた。

 

「ハハ……!」

 

「……」

 

「技は衰えておらぬ!」

 

鬼が笑う。

 

「だが――身体はどうした!!」

 

ドン!!

 

老師の身体が初めて弾き飛ばされた。

 

「老師!!」

 

「来るな!!」

 

老師は立ち上がる。

 

「そこで見ておれ」

 

再び構える。

 

しかし――膝が震えている。

 

老師自身が一番よく分かっていた。

 

もう長くは戦えない。

 

「ならば――」

 

老師は深く息を吸った。

 

全身を覆っていた闘気が、一点へ集まり始める。

 

「……!」

 

「老師……!」

 

「これで――終いじゃ!!」

 

鬼が突進する。

 

老師も前へ出る。

 

最後の一歩。

 

身体を沈める。

 

腰を回す。

 

全身の闘気を――拳へ。

 

「喝ッ!!」

 

拳が――

 

鬼の左肩を貫いた。

 

轟音。

 

「ぐおおおおおおっ!!」

 

鬼の左腕が力なく垂れ下がる。

 

「やった……!」

 

だが。

 

「…………」

 

拳を抜いた老師が――膝をついた。

 

「老師!?」

 

もう、闘気がない。

 

鬼も満身創痍だった。

 

しかし――まだHPは残っている。

 

「……貴様……!」

 

鬼の目が老師を捉える。

 

「よくも……!!」

 

まだ動く右腕。

 

対する老師は――もう動けない。

 

「…………」

 

鬼が老師へ向かって歩き出す。

 

「まずは貴様から殺す!!」

 

「…………やめろ」

 

身体が痛い。

 

HPも残りわずか。

 

それでもサタンは立った。

 

「やめろ……」

 

怖い。

 

勝てない。

 

さっきまで、自分の持てる技をすべて使っても、手も足も出なかった。

 

それでも――。

 

老師が殺される。

 

それだけは嫌だった。

 

「老師から……」

 

拳を握る。

 

「まだ何も返してねえんだよ……」

 

その瞬間だった。

 

先ほどまで暴れ回っていた闘気が――

 

静まった。

 

「……!」

 

消えたのではない。

 

サタンの身体へ――収まったのだ。

 

拳を覆う。

 

脚を覆う。

 

必要な場所へ。

 

必要な時に。

 

必要な量だけ。

 

老師の目が見開かれる。

 

そして――すぐに理解した。

 

「……そうか」

 

この弟子の闘気が、なぜ怒りでも、闘争心でも発動しなかったのか。

 

サタン自身も気づいていなかった。

 

この男の闘争心は――

 

自分のためではない。

 

誰かを救いたい。

 

誰かを守りたい。

 

そう願った時にこそ、最も強く燃え上がる。

 

老師の口元が緩んだ。

 

「……馬鹿者め」

 

静かな声だった。

 

「ようやく見つけおったか」

 

次の瞬間――。

 

サタンが消えた。

 

「!?」

 

ドン!!

 

闘気を纏った拳が、鬼の胸部へ突き刺さる。

 

「がっ……!」

 

「まだだ!!」

 

反撃の右拳。

 

真正面から受けない。

 

触れる。

 

流す。

 

――合気。

 

「ぬっ!?」

 

左腕を失った鬼の重心が崩れる。

 

サタンは腰を入れた。

 

「おおおっ!!」

 

ドォン!!

 

巨体が岩肌へ叩きつけられる。

 

そのまま右腕を取る。

 

「貴様!!」

 

関節を固定。

 

ミシィ!!

 

「ぐおおっ!!」

 

右腕にも大きなダメージが入る。

 

サタンは即座に離れた。

 

「…………」

 

老師は黙って見ていた。

 

――違う。

 

先ほどまでとは、まるで違う。

 

それまでは、技を一つずつ繰り出していた。

 

柔拳。

 

投げ。

 

関節。

 

寝技。

 

合気。

 

だが今は――

 

すべてが繋がっている。

 

一つの流れになっている。

 

「小僧ォォォォ!!」

 

怒り狂った鬼が突進してくる。

 

「…………!」

 

サタンは逃げない。

 

真正面から待つ。

 

「ほう……」

 

鬼の右腕が振り下ろされる――その寸前。

 

サタンは身体を沈めた。

 

懐へ。

 

両足を鬼の腹へ当てる。

 

――巴投げ。

 

「なっ――!?」

 

「うおおおおおっ!!」

 

巨体が――宙を舞った。

 

ズガァァァン!!

 

洞窟が揺れる。

 

サタンも跳ね起きた。

 

鬼は――まだ生きている。

 

ふらつきながら、立とうとしている。

 

サタンは静かに口を開いた。

 

「老師」

 

「なんじゃ」

 

鬼から目を離さない。

 

「最後に一つ――見ててくれ」

 

「…………」

 

サタンが跳んだ。

 

「!!」

 

両腕で鬼の胴を抱える。

 

残った闘気すべてが――サタンの全身へ集まっていく。

 

「離せ!!」

 

「これが――!」

 

持ち上げる。

 

反転。

 

その構えを見た老師が目を見開く。

 

「俺の――!!」

 

闘気、全開。

 

そして――。

 

「パイルドライバァァァァァァァ!!」

 

轟ッッ!!

 

鬼の頭部が岩盤へ叩き込まれた。

 

洞窟全体が震える。

 

天井から岩片が降り注ぐ。

 

そして――。

 

鬼のHPバーが。

 

ゼロになった。

 

一瞬の静寂。

 

巨体に無数の亀裂が走り――。

 

パァァァァン!!

 

大量のポリゴン片となって消滅した。

 

「…………」

 

サタンは、しばらくその場から動けなかった。

 

勝った。

 

全盛期の老師でさえ、封印するしかなかった鬼を。

 

自分が倒した。

 

だが――。

 

サタンは拳を見ても喜ばなかった。

 

すぐに振り返る。

 

「老師!!」

 

駆け寄る。

 

老師は岩壁にもたれたまま、目を閉じていた。

 

「おい! 老師!」

 

「……うるさい」

 

「!」

 

ゆっくりと目が開く。

 

「年寄りの耳元で騒ぐでない」

 

「……へへ」

 

一気に力が抜けた。

 

サタンはその場へ座り込んだ。

 

老師はそんな弟子を見る。

 

そして――静かに言った。

 

「見事じゃった」

 

「……」

 

「闘気を掴んだな」

 

サタンは自分の拳を見る。

 

「……分からねえ」

 

「何がじゃ」

 

「さっきまで全然できなかった」

 

「そうじゃろうな」

 

「?」

 

老師は目を細めた。

 

「お前は、自分が強くなるために闘気を求めておった」

 

「…………」

 

「じゃが――それでは、お前の心は動かなんだ」

 

老師はサタンの胸を指す。

 

「お前の拳はな」

 

そして弟子を見る。

 

「己のために振るう時より――誰かを守ろうとした時の方が強い」

 

「…………」

 

「それがお前の《闘気》じゃ」

 

サタンは何も言わなかった。

 

ただ拳を握る。

 

すると――。

 

今度は静かに、闘気が拳を覆った。

 

「……出た」

 

「ふん」

 

「老師! 見ろ! 自由に出せるぞ!」

 

「はしゃぐな。未熟者」

 

「なんだよ! 俺、あんたでも倒せなかった奴を倒したんだぞ!」

 

「…………」

 

「…………」

 

サタンの口元が、ニヤッと上がる。

 

「ひょっとして俺――」

 

「何じゃ」

 

「老師を超えたんじゃねえか?✨️」

 

「…………」

 

ゴン!!

 

「いってぇぇぇぇ!! 」

 

「百年早いわ!!」

 

「怪我人殴るなよ!! 」

 

「それだけ元気なら問題ない」

 

「このクソジジイ!!」

 

「誰がクソジジイじゃ!!」

 

二人の怒鳴り声が、洞窟の奥まで響いていった。

 

けれど老師は――。

 

騒ぐサタンを見ながら、ほんの少しだけ笑っていた。

 

(……超えたよ)

 

少なくとも――今日、この瞬間だけは。

 

自分には倒せなかった鬼を。

 

自分が教えた技を使い。

 

そして――

 

自分には教えることのできなかった《心》を、自ら見つけた。

 

この馬鹿弟子は――。

 

師の先へ、一歩踏み出した。

 

老師は、そっと自分の手を見る。

 

わずかに震えていた。

 

先ほど放った、最後の一撃。

 

残されていた力を――ほとんど使い切った。

 

だが。

 

サタンは気づいていない。

 

そして老師も――

 

気づかせるつもりはなかった。

 

――その日の夕暮れ。

 

老師は庵の奥へ入り、長い間しまわれていた古びた箱を一つ持ち出すことになる。

 

その中に眠っていたのは――。

 

《鉄王の手甲》。

 

この時のサタンは、まだ知らない。

 

それが老師から受け取る――

 

最後の餞別になることを。

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