エンジニアのSAO Progressive ~NPCが売ってないなら作ればいい~   作:Edward

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99 真贋を見分けるのは難しい

湖畔の桟橋では、怒号が飛び交っていた。

 

「巡回艇を出せ! 急げ!」

 

「賊はまだ湖上だ! 逃がすな!」

 

衛兵たちが慌ただしく係留索を外し、帆を張っていく。

 

その視線の先――月明かりを受けた湖面には、小さくなっていく一隻の船。

 

怪盗こっこ一味を追うため、城内の兵力までが次々と桟橋へ集められていた。

 

その騒ぎを背に、ランスロットは静かにその場を離れた。

 

秘鍵は、予定通りこっこの手に渡った。

 

あとは長老へ報告しなければならない。

 

もっとも――。

 

「……予定通り、か」

 

背後から聞こえた声に、ランスロットの足が止まった。

 

聞き慣れた声だった。

 

ゆっくりと振り返る。

 

月明かりの下、一人の男が立っている。

 

「サーベント……」

 

「随分と安っぽい芝居だったな、ランスロット」

 

サーベントは笑っていなかった。

 

「『貴様、こっこだな。裏切るのかー』……だったか?」

 

「…………」

 

「あれで私まで騙せたと思っていたのなら、心外だ」

 

ランスロットの頬が引きつった。

 

さすがに自分でも、あの演技が酷かった自覚がある。

 

だが――問題はそこではない。

 

サーベントは最初から見抜いていた。

 

「貴様が秘鍵を持ち出したことも。そして、あの男と通じていたこともな」

 

ランスロットの目が細くなる。

 

「……どこまで知っている」

 

「十分だ。長老に忠誠を誓う武官が、異邦人と結託して秘鍵を奪わせた。これを内通と呼ばず、何と呼ぶ?」

 

「ならば、私も聞こう」

 

ランスロットは振り返り、真正面からサーベントを見る。

 

もう隠す必要はない。

 

「お前は誰に忠誠を誓っている、サーベント」

 

「何?」

 

「長老か。それとも――王族か」

 

サーベントの表情が消えた。

 

それだけで十分だった。

 

「やはりな」

 

「…………」

 

「お前こそ王族と内通していた。長老の意向に従うふりをしながら、その実、王族の意思を通すために動いていた」

 

「それがどうした」

 

サーベントの声が低くなる。

 

「王族こそがエルフを統べる正統なる血筋だ。長老とて、それを補佐する立場に過ぎん」

 

「違う!」

 

ランスロットの声が夜の森へ響いた。

 

「長老は民を見ている! 森も、国も、その先もだ! だが王族が見ているのは自分たちの権威だけだ!」

 

「貴様に王族の何が分かる!」

 

「分かるさ!」

 

ランスロットは一歩踏み出した。

 

「だから私は、秘鍵を託した!」

 

沈黙。

 

湖畔から聞こえていた兵たちの声も、いつしか遠くなっていた。

 

二人の間を、夜風だけが抜けていく。

 

サーベントの指が、わずかに震えた。

 

怒りか、動揺か、それとも自分でも認めたくない迷いか。

 

だが彼はすぐにそれを握り潰すように拳を固めた。

 

「……なるほど」

 

その右手が腰へ伸びる。

 

「ならば我々は、互いに内通者というわけだ」

 

――シャリン。

 

月光を反射し、細身の剣が鞘から抜かれた。

 

ランスロットが目を見開く。

 

「サーベント……?」

 

「言葉で決着がつかぬのなら、残る方法は一つだろう」

 

剣先がランスロットへ向けられる。

 

「白黒を決めよう。ランスロット」

 

ランスロットは思わず眉をひそめた。

 

「……本気か?」

 

サーベントは文官だ。

 

自分は武官。

 

幼少から剣を学び、実戦にも立ち続けてきた。

 

勝敗など、戦う前から分かりきっている。

 

そう思った。

 

そう思わなければ、胸の奥に生じたわずかな不安を説明できなかった。

 

「私は武官だぞ」

 

「知っている」

 

「お前は文官だ」

 

「それも知っている」

 

「なら――」

 

「怖いのか?」

 

ランスロットの眉が跳ねた。

 

胸の奥で、何かが切れた。

 

「……いいだろう」

 

二人は城を離れた。

 

辿り着いたのは、白樺の森。

 

白い幹が月光を反射し、まるで無数の柱が立ち並ぶ神殿のようだった。

 

風が吹くたび、銀色の葉がさざめく。

 

証人はいない。

 

審判もいない。

 

ただ二人だけ。

 

サーベントが剣を構えた。

 

その姿には、文官としての隙がなかった。

 

肩の力は抜け、切っ先はわずかに揺れているように見える。

 

だが、その揺れは迷いではない。

 

相手の呼吸を測るための、恐ろしく静かな動きだった。

 

「条件を決めよう」

 

「言ってみろ」

 

「敗者はすべてを明かす。誰と通じ、何を企て、何を行ったか。一切の偽りなく長老の前で告白する」

 

「……いいだろう」

 

「もっとも――」

 

サーベントの剣先がわずかに上がる。

 

「決闘だ。生きて戻れる保証まではしない」

 

ランスロットも剣を抜いた。

 

冷たい柄の感触が掌に馴染む。

 

いつもの感覚だった。

 

それなのに、指先にはわずかな汗が滲んでいた。

 

「それはこちらの台詞だ」

 

月光の下。

 

二人の剣が静かに向かい合う。

 

風が止まった。

 

葉擦れの音が消え、森そのものが息を潜めたようだった。

 

ランスロットはサーベントの目を見る。

 

そこにあるのは憎しみだけではない。

 

長年の友としての記憶も、互いに譲れない信念も、すべてが刃の向こうに凝縮されていた。

 

だからこそ、先に動いた。

 

そして――。

 

ランスロットが踏み込んだ。

 

一瞬で間合いを詰める。

 

初撃で終わらせる。

 

そう考えていた。

 

文官を相手に長引かせる理由などない。

 

だが。

 

――キィン!

 

「なっ!?」

 

剣が弾かれた。

 

手首に鋭い衝撃が走り、ランスロットの指が痺れる。

 

サーベントの身体が沈む。

 

二撃目。

 

ランスロットの剣が振り下ろされるより先に、サーベントの切っ先がその手首へ伸びた。

 

「くっ!」

 

ランスロットは慌てて腕を引く。

 

銀光が袖を掠め、布と皮膚を浅く裂いた。

 

熱い痛みが遅れて走る。

 

一歩、二歩。

 

思わず距離を取る。

 

「……お前」

 

サーベントは追わなかった。

 

剣を静かに構えたまま、ランスロットを見る。

 

その目には、初めて見るような冷たい集中が宿っていた。

 

「誰が言った?」

 

「何を……」

 

「文官は剣を持たぬ、と」

 

次の瞬間。

 

サーベントが消えた。

 

いや――速い。

 

「っ!」

 

突き。

 

ランスロットが受ける。

 

刃が噛み合った瞬間、サーベントの手首が返った。

 

そこから剣先が滑るように軌道を変え、喉へ走った。

 

身体を反らす。

 

頬を冷たい風が撫でた。

 

さらに足払い。

 

ランスロットは跳んでかわすが、着地の瞬間に体勢が崩れる。

 

そこへ、三撃目。

 

「ぐっ……!」

 

肩に浅い傷が走った。

 

血が衣服を濡らす。

 

ランスロットは転がるように距離を取った。

 

息が乱れている。

 

信じられなかった。

 

強い。

 

それも、武官の剣ではない。

 

正面から力と技を競う剣ではなかった。

 

こちらの構え。

 

視線。

 

呼吸。

 

踏み込む瞬間。

 

すべてを観察し、その一手先へ剣を置いてくる。

 

「……なるほど」

 

ランスロットは剣を構え直した。

 

肩の傷が脈打つ。

 

「隠していたな」

 

「文官という仕事はな」

 

サーベントが静かに答える。

 

「手札を相手に見せないことから始まる」

 

再び激突した。

 

剣と剣がぶつかる。

 

白樺の森に甲高い音が響く。

 

一撃。

 

二撃。

 

三撃。

 

ランスロットが押す。

 

サーベントが流す。

 

力ならランスロット。

 

速度もランスロット。

 

剣技も――おそらくランスロット。

 

それなのに、決定打が入らない。

 

踏み込むたび、サーベントは半歩だけ退いた。

 

届くはずの刃が空を切る。

 

追えば追うほど、ランスロットの呼吸が乱れていく。

 

焦りが胸の奥で膨らんだ。

 

このままでは、こちらの体力が先に尽きる。

 

サーベントはランスロットの攻撃を真正面から受けなかった。

 

半歩ずれる。

 

剣を滑らせる。

 

木を盾にする。

 

月明かりすら利用して視界を奪う。

 

そして必ず、ランスロットが最も嫌がる場所へ剣を返してくる。

 

「貴様は昔からそうだ、ランスロット」

 

剣戟の中、サーベントが言う。

 

「真っ直ぐすぎる!」

 

「悪いか!」

 

「だから利用される!」

 

「誰にだ!」

 

「長老にも! あの人間にもだ!」

 

「違う!」

 

ランスロットの剣がサーベントの頬を掠めた。

 

赤い線が浮かぶ。

 

「私は自分で決めた!」

 

初めてサーベントの表情が揺れる。

 

「秘鍵を渡したのも!」

 

さらに一撃。

 

サーベントが受けた刃が大きく弾かれ、彼の足が土を擦った。

 

「長老を信じたのも!」

 

ランスロットは踏み込む。

 

だが、サーベントは倒れかけた姿勢のまま身体を捻り、刃を返した。

 

ランスロットの脇腹を狙う一閃。

 

「っ!」

 

身を引いたが、切っ先が衣服を裂いた。

 

「こっこを信じたのもだ!」

 

「その結果が国への裏切りだ!」

 

「国とは何だ!」

 

ランスロットの一撃をサーベントが受ける。

 

鍔迫り合い。

 

二人の顔が間近に迫る。

 

互いの荒い息が聞こえた。

 

押し合う刃が震え、どちらの腕が先に限界を迎えるか分からない。

 

「王族か!」

 

ランスロットが叫ぶ。

 

「城か! 秘鍵か!」

 

「黙れ!」

 

「そこに生きる民ではないのか!」

 

サーベントの瞳が揺れた。

 

ほんの一瞬。

 

それだけだった。

 

だが武官ランスロットには――十分すぎる隙だった。

 

剣を押す力を抜く。

 

突然支えを失ったサーベントの身体が前へ流れる。

 

ランスロットは横へ回り込み――。

 

剣を振った。

 

――キィン!

 

サーベントの剣が宙を舞った。

 

月光を受けながら回転し。

 

白樺の根元へ突き刺さる。

 

「…………」

 

サーベントの喉元に、ランスロットの剣が突きつけられていた。

 

だが、ランスロットもまた動けなかった。

 

剣先をあと数寸進めれば、すべてが終わる。

 

勝利のはずだった。

 

それなのに、腕は重く、呼吸は焼けるように苦しい。

 

サーベントがほんの少しでも動けば、反射的に刃を引く自信がなかった。

 

静寂。

 

サーベントは動かなかった。

 

やがて、目を閉じる。

 

「……私の負けだ」

 

ランスロットは荒い息を整えていた。

 

肩から血が流れている。

 

腕にも傷がある。

 

あと一歩間違えていれば、倒れていたのはこちらだった。

 

勝ったという実感よりも、紙一重で生き残ったという感覚の方が強かった。

 

「殺せ」

 

サーベントが言った。

 

「決闘だ。敗者の命は勝者のものだ」

 

ランスロットは剣を握ったまま動かない。

 

サーベントが薄く笑った。

 

「どうした。裏切り者を始末する好機だぞ」

 

「……断る」

 

ランスロットは剣を下ろした。

 

サーベントが目を開く。

 

「何?」

 

「約束は、負けた者が罪を明かすことだったはずだ」

 

「甘いな」

 

「そうかもしれん」

 

ランスロットは剣を鞘へ収めた。

 

「だが私は、王族と違う」

 

サーベントの顔から笑みが消えた。

 

「力を持った者が、気に入らない者を好き勝手に切り捨てる。それが正しい国だとは私は思わない」

 

「…………」

 

「長老の前へ来い、サーベント」

 

ランスロットは背を向けた。

 

「私もすべて話す」

 

「貴様も……?」

 

「ああ」

 

ランスロットは振り返らない。

 

「私は勝った。だから自分の罪だけ隠す――そんな真似をすれば、お前と同じだ」

 

サーベントは何も答えなかった。

 

白樺の葉が揺れる。

 

月光が二人の間へ降り注いでいた。

 

やがてサーベントは、地面に落ちた自分の剣を拾う。

 

その手は、わずかに震えていた。

 

敗北の悔しさか。

 

それとも、最後の一撃を受けた瞬間に胸へ突きつけられた問いへの動揺か。

 

「……ランスロット」

 

「なんだ」

 

「一つだけ教えろ」

 

「?」

 

「あの男を――本当に信じているのか」

 

ランスロットは少し考えた。

 

脳裏に浮かんだのは。

 

秘鍵を盗む大役の最中、ポーチへ勝手に紙を忍ばせ――

 

『脚本変更しました。カンペを入れたのでその通りにお願いします。 こっこ✌』

 

などと書いて寄越した男だった。

 

ランスロットの眉間に深い皺が寄った。

 

「…………」

 

「どうした」

 

「いや……」

 

長い沈黙。

 

「……そこだけは、私にも自信がない」

 

サーベントが呆気に取られる。

 

遠く湖の方角から、衛兵たちの声が聞こえてきた。

 

「巡回艇を出せぇぇぇ!」

 

「怪盗を逃がすなぁぁぁ!」

 

ランスロットは額を押さえた。

 

「……少なくとも」

 

深いため息。

 

「今ごろ、嬉々として逃げているのだけは間違いない」

 

サーベントはしばらく黙っていた。

 

そして――。

 

「……そんな男のために、私は負けたのか」

 

「言うな。私も少し後悔している」

 

月夜の白樺の森。

 

国の未来を懸けた二人の内通者による死闘は――。

 

なんとも締まらない言葉とともに、幕を閉じた。

 

 

 

 

夜が明けた。

闇エルフの首都《リーンガルド》には穏やかな朝が訪れていた。

 

地下深くに築かれた巨大都市。

天井を覆う魔光石が徐々に明るさを増し、朝を告げる鐘の音が静かに街へ響いていく。

 

王宮もまた、何事もなかったかのように朝を迎えていた。

 

昨夜、女王陛下直々の檄が飛んだことで、王宮の警備はかつてないほど厳重なものとなっていた。

 

特に重要な宝物を収める宝物庫には近衛兵が増員され、一晩中、一分の隙もなく警戒が続けられていた。

 

少なくとも――彼ら自身は、そのつもりだった。

 

「いやぁ……結局、何事もなかったな」

 

夜勤を終えようとしていた近衛兵の一人が、大きく肩を回した。

 

「女王陛下直々の檄だったからな。何が起きるかと思ったが……」

 

もう一人の近衛兵も、安堵したように息を吐く。

 

「まあでも、最後の一本が破損して行方不明なんだろ?もしかすると杞憂だったのかもしれんな」

 

「そうだなぁ」

 

そこで最初の兵士が、何気なく言った。

 

「案外、あの檄が飛んだ時にはもう盗まれてたりしてな」

 

「馬鹿っ!」

 

隣の兵士が慌てて声を潜めた。

 

「滅多なことを言うな! 宰相閣下の耳に入ったらどうする!」

 

「冗談だよ、冗談」

 

その時だった。

 

ギィィ……。

 

重々しい音を立てて、宝物庫の扉が開いた。

 

「――っ!」

 

二人の近衛兵は即座に姿勢を正す。

 

そこには、闇エルフの宰相が立っていた。

 

宝物庫の中央。

 

幾重もの警備によって守られた台座には、朝の魔光を受けて美しく輝く《秘鍵》が鎮座している。

 

宰相はそれを確認すると、満足そうに頷いた。

 

もちろん――。

 

本物ではない。

 

昨夜、ギスメルたちがこっこの指導のもとで盗み出した秘鍵は、すでにここには存在していなかった。

 

代わりに置かれているのは、こっこが作り上げた模造品。

 

寸法。

 

形状。

 

装飾。

 

材質の質感。

 

光の反射具合。

 

さらには台座へ置いた際の角度まで。

 

限られた時間で作られた急造品とはいえ、遠目には本物と区別がつかないほど精巧に作られていた。

 

「閣下! いらしていたのですね!」

 

「昨夜から現在まで、異常ありません!」

 

近衛兵二人が胸を張って報告する。

 

「うむ」

 

宰相は満足そうに頷いた。

 

「女王陛下は少々心配性が過ぎるところがおありだ。だが、万一ということもある。警戒を怠らぬことは重要だからな」

 

「はっ!」

 

その時、一人の近衛兵が台座を見た。

 

「…………」

 

じっと秘鍵を見つめる。

 

そして、わずかに首を傾げた。

 

「どうした?」

 

「いえ……」

 

兵士は目を細める。

 

「この秘鍵……昨日見た時と、少し違うような……」

 

一瞬、空気が止まった。

 

隣の兵士が青ざめる。

 

しかし宰相は――。

 

「何を言っている」

 

呆れたように首を振った。

 

「近衛兵ともあろう者が、物を見る目を持たぬとは何事だ」

 

「は、はあ……」

 

「よいか。王宮を守る者にとって最も重要なのは、日頃から周囲の変化を観察することだ。昨日と今日、朝と夜。同じ物であっても光の当たり方によって色合いは変化する。ましてやこの秘鍵ほどの工芸品ともなれば――」

 

始まった。

 

宰相の長い講釈である。

 

「そもそも警備というものは、ただ侵入者を見張ればよいというものではない。物の位置、角度、埃の積もり方、空気の流れ――そういった微細な変化を感じ取る観察眼こそが重要なのだ」

 

「は、はっ!」

 

「精進いたします!」

 

「うむ。それでよい」

 

満足そうに頷く宰相。

 

その背後では――。

 

偽物の秘鍵が、朝の光を受けてキラキラと輝いていた。

 

そして。

 

宝物庫の外。

 

廊下の角から、その光景をそっと覗いている人物がいた。

 

闇エルフの女王である。

 

「…………」

 

口元を手で覆っていた。

 

肩が小刻みに震えている。

 

『近衛兵ともあろう者が、物を見る目を持たぬとは何事だ』

 

聞こえてくる。

 

「……っ」

 

唇を噛む。

 

いけない。

 

ここで笑ってはいけない。

 

自分は女王なのだ。

 

「そもそも常日頃から変化というものに気を配り――」

 

「…………っ!」

 

駄目だった。

 

女王はくるりと踵を返した。

 

何事もなかったかのような澄ました顔で廊下を歩いていく。

 

ただし。

 

その歩調は、普段より明らかに速かった。

 

自室へ戻る。

 

「少し休みます。誰も入れないように」

 

「かしこまりました、陛下」

 

扉が閉まる。

 

施錠する。

 

数秒の沈黙。

 

そして――。

 

女王はベッドへ一直線に向かった。

 

ぼふっ!!

 

「んんんんんん――っ!!」

 

シーツへ顔を押し付ける。

 

肩が激しく震える。

 

脳裏に、先ほどの光景が蘇った。

 

『物を見る目を持たぬとは何事だ』

 

「~~~~っ!!」

 

もう耐えられなかった。

 

「あははははははっ!!」

 

シーツに顔を埋めたまま、女王は盛大に吹き出した。

 

「違う……違うではないか……っ! あの兵士、ちゃんと気づいていたではないか……!」

 

バンバンとベッドを叩く。

 

「物を見る目がないのは……お前ではないか……っ!」

 

再びシーツへ顔を押し付ける。

 

「んふっ……ふふふ……あははははっ!!」

 

王宮の威厳ある女王陛下。

 

その笑い声が外へ漏れぬよう、しばらくベッドのシーツが犠牲になったという。

 

     ◇ ◇ ◇

 

――そして、さらに後日。

 

すべてが終わった後、こっこは女王から呼び出されていた。

 

「こっこ殿。一つ、お願いがございます」

 

「はい?」

 

女王は例の秘鍵の模造品へ視線を向ける。

 

「あなたがお作りになった、この秘鍵ですが……このまま我が国へ寄贈していただけませんか?」

 

「えっ?」

 

こっこは目を丸くした。

 

「あれをですか?」

 

「はい」

 

「いやいやいや 」

 

慌てて両手を振る。

 

「あんなの一晩で作った急造品ですよ! モニュメントとして残すなら、もっとちゃんとしたのを作りますよ。時間さえもらえれば、細部まで本物そっくりに――」

 

「いえ」

 

女王は静かに首を横へ振った。

 

「あれで結構ですわ」

 

「でも……」

 

「十分に仕事をしてもらえましたから」

 

「……?」

 

こっこは首を傾げる。

 

仕事。

 

もちろん秘鍵を盗み出すための囮としては、十分に役割を果たした。

 

だが、それだけでモニュメントにするほどの物だろうか。

 

「そんなに出来が良かったかな……」

 

女王の脳裏に、あの朝が蘇る。

 

『近衛兵ともあろう者が、物を見る目を持たぬとは何事だ』

 

「…………」

 

口元が震えた。

 

「ぷっ!」

 

「 」

 

こっこが女王を見る。

 

「…………」

 

「女王陛下?」

 

「し、失礼しました 」

 

女王は慌てて口元を押さえた。

 

「とにかく、あのまま寄贈ということにさせてもらいます」

 

「は、はあ……」

 

こっこには最後まで、その理由が分からなかった。

 

     ◇ ◇ ◇

 

それから――。

 

闇エルフの王宮、その宝物庫の一角。

 

本来の役割を終えた一つの秘鍵が、専用の台座へ置かれることとなった。

 

もちろん、本物ではない。

 

魔法復活のために持ち出された秘鍵とすり替えるため、一人の人間が一晩で作り上げた模造品である。

 

だが、その模造品にはいつしか、一つの逸話が添えられるようになった。

 

――《宰相すら欺いた秘鍵の模造品》。

 

後世。

 

それを見た者は、精巧な出来栄えに感心する。

 

そして案内役から、決まってこんな話を聞かされるのだった。

 

「当時、一人の近衛兵だけは、本物との違いに気づいたと伝えられております」

 

「ほう。その者は優秀だったのだな」

 

「はい。しかし、その違和感を口にしたところ、当時の宰相閣下から叱責されたそうです」

 

「なぜだ?」

 

「宰相閣下には、本物にしか見えなかったからでございます」

 

「…………」

 

「そして閣下はその近衛兵に――」

 

案内役は、少しだけ楽しそうに続ける。

 

「『物を見る目を養え』と、長時間にわたり説教されたそうでございます」

 

「…………」

 

「…………」

 

何とも言えない沈黙が流れる。

 

やがて見学者は、もう一度模造品を眺める。

 

先ほどとは、まったく違った意味で。

 

「……なるほど。これは確かに残すべきだな」

 

「はい」

 

案内役も深く頷いた。

 

本物の秘鍵は、失われた魔法を取り戻すために役目を果たした。

 

そして偽物の秘鍵もまた――。

 

まったく別の意味で、十分すぎるほどの仕事を果たしたのである。

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