AC×結月ゆかり 作:結月ゆかり好き
暗い。
寒い。
そして、ひたすらに痛い。
意識の浮上を試みるたび、神経を直接バーナーで炙られるような激痛に叩き落とされる。
視界の端、網膜に直接焼き付けられたような赤いシステムメッセージが点滅していた。
【被験体適合率:規定値未満】
【バイタル低下。廃棄処分プロセスへ移行】
……ああ、そうか。
俺は、失敗したんだ。
企業「クレスト」が主導する、強化人間手術。
成功すれば人間離れした反射神経と、機体との完璧な同期が得られる。
その代わり、失敗すれば……この通りだ。
冷たい解剖台の上に縛り付けられたまま、俺はただの肉塊になり果てようとしていた。
戦場を渡り歩き、硝煙と鉄の匂いの中で生きてきた傭兵。それが少し前までの俺だ。
だがあのふざけたミッションで集中砲火を浴び、愛機はダルマ、俺自身も致死量の鉄くずを喰らった。
再起するには、悪魔の契約にすがるしかなかったのだ。
息を吸うだけで肺が焼ける。
視界が赤い。破れた毛細血管から血が滲んでいるのだろう。
案外、あっけない幕切れだ。スクラップ場に転がる鉄くずと同じ。
そう自嘲して、意識を手放しかけた、その時だった。
ジジ……ッ。
耳障りなノイズが響いた。
直後、薄暗い手術室の照明が激しく明滅し始める。
バチッ、バチバチッ!
四肢を固定していた分厚い金属製の拘束具が、青白いスパークを散らした。
ロックが外れた。
拘束が解け、俺の体はゴトンと冷たい台の上に投げ出される。
受け身を取る気力すらなく、床の冷たさが頬に伝わる。
警報システムのエラーか? いや、クレストの設備がこんな杜撰なわけがない。
チカチカと点滅する非常灯の光の中。
俺は、信じられないものを見た。
何もない空中の座標に、ノイズが走った。
空間そのものがバグを起こしたかのように、紫色の光の粒子が凝集していく。
赤と黒に染まった血生臭い視界の中で、それはあまりにも異質だった。
紫色のパーカー。
銀色の髪。
そして、このむさ苦しい研究所には全く似つかわしくない、整った顔立ち。
俺の視界を覗き込むように、その顔が近づいてくる。
「……あら」
鈴を転がすような、場違いに透き通った声。
幻覚か? 死に際の脳が見せる、走馬灯の一種か。
それにしては、解像度が高すぎる。
「まだ、ギリギリ息がありますね」
少女は、まるで道端で弱った野良猫を見つけたような気楽さでそう言った。
俺は声を出そうとしたが、喉から出たのは血の泡が弾ける音だけだった。
「生身の人間さん相手だと、少し出力の調整が難しいんですよね」
少女は小首を傾げ、困ったように微笑む。
「でもまあ、細かいことは後回しにしましょう。このままでは私の新しい乗り物……いえ、失礼。大切なパートナーが、完全にスクラップになってしまいますから」
パートナー?
何を言っている。企業の新手のサイボーグか。
それとも、俺はついに完全にイカレてしまったのか。
「誰……だ……」
奥歯を噛み締め、血を吐くような思いで言葉をひねり出す。
「私ですか? 私はただの、ちょっぴり親切で高性能なナビゲーションサービスですよ?」
少女はにっこりと笑った。
嘘をつけ。クレストのナビAIは、もっと無機質でクソ面白くもない声だ。
こんな、実体化してウロウロするようなふざけた仕様じゃない。
「幻覚……か……」
「失礼ですね」
少女は唇を尖らせた。
「こんなに可愛らしい幻覚なら、大金を出してでも見たい人がたくさんいると思いますよ?」
「ふざけ……」
「ふふっ。ひどい顔ですね、マスター」
マスター。
その呼び方に背筋が粟立つ。誰かの飼い犬になった覚えはない。
少女が、すっと手を伸ばしてきた。
その細く白い指先が、俺の額に触れる。
冷たい。
いや、違う。触れられた瞬間、脳の奥底に直接「何か」が流れ込んでくる感覚。
俺の脳の知覚野に直接アクセスして、触覚の疑似信号を送り込んでいるのか……?
「はい、心拍再開。バイタル安定、と。ちょっと乱暴でしたか?」
ドクンッ!!
心臓が大きく跳ねた。
停止しかけていた血流が、無理やりポンプで押し出されるように全身を駆け巡る。
「ぐ、っ……!」
喉の奥で悲鳴を噛み殺す。痛覚が鮮明になったせいで、全身の痛みが倍増した。
冷や汗がどっと噴き出し、全身の筋肉が痙攣する。
「でも、これで少しはマシになったでしょう?」
「な、何を、しやがった……!」
「応急処置です。さて、おしゃべりはこれくらいにして、さっさとズラかりましょう」
ズラかる? この体でか。
冗談じゃない。一歩でも動けば全身の骨がバラバラになりそうだ。
「動け……ない……」
「大丈夫です。私が動かしますから」
嫌な予感がした。
いや、予感という生易しいものではない。傭兵としての生存本能が、全力で警報を鳴らしている。
「おい、待て……!」
「ちょっと痛みますけど、我慢してくださいね!」
少女の言葉と同時だった。
ゴァンッ!!
脳天に直接、巨大な杭を打ち込まれたような衝撃。
「があっ……!?」
視界が真っ白に飛んだ。鼻の奥から生暖かい液体がツーッと流れ落ちる。
脳髄のネットワークに、異物が強引に侵入してくる。
俺の神経系を回路として、少女の『意思』が直接接続されたのだ。
「アクセス完了。神経パルス同調率、良好。うんうん、なかなか頑丈な精神ですね、マスター」
頭の中で、少女の声が響く。
耳から聞こえているんじゃない。俺の脳内で、直接スピーカーが鳴っているような感覚だ。
「やめ……ろ……っ!」
「はい、強制起立!」
俺の意志とは無関係に、右腕が勝手に台を押し返し、両脚が床を踏みしめた。
「ぐっ、うおお……!」
筋肉が断裂する嫌な音が響き、骨が軋む。それでも体は勝手に起き上がる。
まるで操り人形だ。俺の体を、こいつがラジコンみたいに操っている。
「歩行シークエンス開始。ルート設定、地下第4区画、試作機保管庫」
脳内で鳴り響く暢気な声に合わせて、俺の体がズンズンと歩き出す。
痛みに白目を剥きそうになるのを、怒りでなんとか繋ぎ止める。
「お、おい……! 勝手に動かすな……痛覚は残ってるんだぞ……!」
「あら、痛いですか? でも動かないと死んじゃいますよ?」
「プロフェッショナルな慰めをどうも……!」
「気合いです、マスター! 傭兵なら根性見せてください!」
無茶苦茶だ。
こいつ、俺の体をなんだと思っている。乗り物と呼んでいたが、本当にただの乗り換え可能なパーツくらいにしか思っていないんじゃないか。
ガチャン!
自動ドアが閉ざされていたが、俺の体が勝手に電子ロックのパネルに手を伸ばす。
指先からバチッと静電気が走ったかと思うと、分厚い隔壁がいとも簡単に開いた。
「ハッキング完了。ちょろいもんですね、クレストのセキュリティは」
誇らしげな声。
こいつ、一体何者なんだ。ただのAI? そんなわけがあるか。
電子制御された扉を、物理的なインターフェースもなしに生身の指先からハッキングするなんて、あり得ない。
「だから……何者なんだ、お前は……」
「結月ゆかりです」
あっさりと名乗った。
「ゆかり?」
「はい。あなたの優秀で、親切で、ちょっぴり図々しいパートナーです」
図々しいのは認めるのか。
勝手に歩き続ける俺の体は、研究所の奥深くへと進んでいく。
警報が鳴り響き、赤いパトランプが回っているが、不思議と警備兵の姿はない。
ゆかりが警備システムをいじって、別の区画に誘導しているのだろう。とんでもない演算能力だ。
「見えてきましたよ、マスター」
広大な地下格納庫。
そこに、そいつは立っていた。
クレストの最新鋭、試作軽量二脚型アーマード・コア。
装甲を極限まで削り落とし、機動性に全振りしたようなピーキーなシルエット。
機体色はまだ塗装されておらず、むき出しのグレー。
鈍く光るその鋼鉄の巨人に、俺は目を奪われた。
「搭乗します。気合い入れてくださいね」
勝手に体が跳躍する。
クレーンも使わずに、メンテナンス用の足場を猿のように飛び移っていく。
着地のたびに全身に走る激痛を、必死に奥歯を噛んで耐え抜く。
「骨が……イカれるぞ……!」
「大丈夫です! まだ折れてません!」
「折れたらどうすんだ……!」
「その時は私がテープで巻いてあげます!」
物理法則を無視したような雑な慰め。
コクピットハッチが開き、俺の体は滑り込むようにシートに収まった。
シートに沈み込んだ瞬間、ようやく体の制御が戻ってきた。
全身が汗と血でぐっしょりだ。荒い息を吐きながら、コンソールに目を向ける。
「システム、オンライン。ジェネレーター始動。メインモニター、オープン」
ゆかりの声と共に、機体に火が入る。
重低音の駆動音が響き、全天周囲モニターに外部の映像が映し出された。
俺の膝の上に、ポンと軽い重み。
見下ろすと、紫のパーカーを着たゆかりが、実体化してちょこんと座っていた。
「なっ……お前、なんでそこにいる!?」
「え? ナビゲーターですから、一番いい特等席で見学しようかと」
悪びれもせず、ニコニコと微笑むゆかり。
邪魔だ。非常に邪魔だ。
ただでさえ狭いコクピットに、実体を持った(ように見える)少女が座っている異常事態。
「退け! 操縦の邪魔だ!」
「大丈夫ですよ。物理的な干渉はしませんから。ほら」
ゆかりが俺の腕に触れようとするが、その手はすり抜けた。
ホログラム? いや、さっき俺の額に触れた時や、今のこの重みは確かに感じている。
脳の触覚野を完全にハッキングして、都合のいい錯覚だけを引き起こしているのか。
「それに、マスターの操作だけであの敵を捌けるとは思えませんし」
ゆかりの言葉と同時に、レーダーに二つの赤い光点が灯った。
格納庫のシャッターが吹き飛び、重武装のACが二機、姿を現す。
クレストの防衛部隊。
ガチガチの重装甲に、大型のガトリングとバズーカを背負っている。完全な鎮圧仕様だ。
ズン、ズンと床を揺らす重厚な足音が、圧倒的な死の予感となって押し寄せてくる。
「おいおい……冗談だろ。こっちは武装もろくに積んでない紙装甲の試作機だぞ。一発でも掠れば消し飛ぶ」
「右手には初期ライフルのパチモンが握られてますし、左手にはレーザーブレードがあります。十分ですよ」
ゆかりは膝の上で腕を組み、ふんぞり返る。
ゲーム感覚かよ。
『侵入者に警告する。ただちに機体を停止し、投降せよ』
外部スピーカーから、無機質な警告音声が響く。
「投降したらどうなる?」
「間違いなく再調整(という名の解剖)ですね」
ゆかりがサラッと言う。
だよな。
「やるしかねえか」
操縦桿を握り込む。
全身の痛みは不思議と引いていた。代わりに、神経系が機体と異常なレベルで同調している感覚がある。
これが手術の成果か? いや、このゆかりとかいう謎の存在が、強引に俺の脳と機体のインターフェースを繋いでいるのだ。
「行きますよ、マスター!」
ブーストペダルを踏み込む。
ギュィィィィン!!
試作機特有の、ピーキーすぎる加速。強烈なGが俺をシートに押し付ける。
「速っ……!」
防衛部隊のガトリングが火を噴く。
無数の弾丸が、俺のいた空間を通り過ぎて格納庫の壁を蜂の巣にする。
死の雨が、文字通り紙一重で装甲を掠めていった。
「右に切り返し! 相手の旋回性能は低いです、後ろに回り込めます!」
脳内に直接響くゆかりのナビゲート。
うるさいが……的確だ。
俺は咄嗟に操縦桿を倒し、スラスターを吹かす。
機体が不自然なほどの鋭角で軌道を変える。通常のACならあり得ない挙動。
だが、この機体と、今の俺の同調率なら……!
「ACの基本ですよ、ここでクイックブースト!」
ゆかりの指示が飛ぶ。
クイックブースト? そんな機能、この時代の機体に標準装備されて……。
バァン!!
考えるより先に、俺の体が、いや機体が反応した。
ジェネレーターの出力を瞬間的に偏らせ、爆発的な推進力を生み出す。
横っ跳びに回避しながら、敵の側面に回り込む。
「今です! ライフル三連射!」
言われるままにトリガーを引く。
タタタンッ!
乾いた発砲音。
牽制用の貧弱なライフル弾だが、ゆかりの演算による射撃管制は完璧だった。
全弾が、敵機の関節部──装甲のわずかな隙間──にピンポイントで吸い込まれる。
「チィッ!」
敵機がバランスを崩す。
「そのまま踏み込んで、レーザーブレード!」
機体を滑らせるように接近。
左腕のレーザーブレードを展開し、一閃。
青白い光刃が、敵の重装甲をバターのように切り裂いた。
ドガァァァン!!
一機が爆散。
その炎を盾にして、もう一機がバズーカを構えるのが見えた。
砲口が、こちらを捉えている。
「もらった!」
「甘いです! 下降して回避!」
ゆかりの声に従い、スラスターを強制カット。
機体が急落下する。頭上を、大口径のバズーカ弾が轟音と共に通り過ぎていく。
背筋が凍るような熱波。
「そのまま前ブースト! 懐に入って!」
地面すれすれを滑空しながら、残る一機の足元へ。
「上に向かって斬り上げです!」
操縦桿を引き絞る。
ブレードの出力全開。機体の推力を乗せたアッパーカットのような斬撃が、敵機の胴体を真っ二つに両断した。
ドッ、ズォォォォン!!
二機目の残骸が崩れ落ちる。
格納庫に静寂が戻った。
「ふう、お疲れ様でしたマスター!」
膝の上のゆかりが、パチパチと手を叩く。
息が荒い。全身汗だくだが、不思議と充実感があった。
機体との一体感。自分の手足のように鋼鉄の巨人を動かせる感覚。
かつて傭兵として頂点を目指していた頃の、あの高揚感。
「……お前、ただのAIじゃないな」
荒い息を吐きながら、俺はゆかりを睨み下ろした。
挙動の予測、機体の限界を引き出す演算、そして何より、あの謎の技術知識。
「ええ? 私はただの結月ゆかりですよ? ちょーっとばかり、この世界のアーマード・コアに詳しいだけの」
「詳しいってレベルじゃねえ。動きの隙も、パーツの特性も、すべて知り尽くしているような指示だった」
俺の問い詰めに、ゆかりはのらりくらりとした態度を崩さない。
「企業秘密です♪」
ウィンクをしてはぐらかす。
胡散臭い。圧倒的に胡散臭い。
だが、こいつがいなければ俺は今頃解剖台の上で肉片になっていたし、この機体をここまで完璧に動かすこともできなかった。
「……チッ。まあいい。どのみち、俺もお前も、もうここには居られねえ」
外部ゲートのロックをハッキングでこじ開けさせる。
巨大な防爆扉がゆっくりと開き、外の光が差し込んできた。
荒涼とした荒野。
空は薄暗く、灰色の雲が垂れ込めている。
企業に支配された、腐った世界。だが、今の俺にとっては自由の空だ。
機体を歩かせ、外に出る。
乾いた風が、装甲の隙間を吹き抜ける音がした。
「無茶苦茶な奴だ……」
俺はコクピットの中で、鼻からこびりついた血を袖で拭った。
頭痛はまだ少し残っている。神経を直接いじられた後遺症だろう。
ふと視線を落とすと、ゆかりが俺の膝の上でくつろいだまま、外の景色を眺めていた。
「ふぅ、乗り心地はいまいちですが、合格点です!」
「あのな……いつまでそこに座ってるつもりだ。実体化を解け。重いんだよ」
「あら。いきなりレディの身体に触れるなんて、マスターは意外と大胆なんですね?」
ゆかりはわざとらしく自分の肩を抱き、からかうように笑う。
触ってねえよ。俺の脳が重みを感じるように錯覚させられているだけだ。
「お前なぁ……」
頭を抱えたくなる。
ドライでシビアな傭兵稼業。一歩間違えれば死が待つ戦場に、こんなマイペースな連れ込み女と同棲することになるとは。
「まあまあ、これから長い付き合いになるんですから、仲良くしましょうよ、マスター」
ゆかりが、細い指で俺の頬をツンと突いた。
確かな感触と、微かな温もり。電子の幽霊のくせに、変に生々しい。
「これからもよろしくお願いしますね、マスター!」
ニカッと笑うゆかり。
その笑顔の裏に、一体どんな目的が隠されているのか。
俺の第二の、そして最悪に頭の痛い傭兵生活が、ここから始まろうとしていた。