本作品は、以下の作品からインスピレーションを受けています。
【MMD杯ZERO】ACEP【ACMMD】https://www.nicovideo.jp/watch/sm33742910

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第1話

 冷たい。

 とにかく、背中が氷のように冷たかった。

 

 いや、背中だけじゃない。指先も、つま先も、感覚が完全に抜け落ちている。

 自分の体が自分のものじゃないみたいだ。

 重金属の塊にでも置き換えられたかのように、ピクリとも動かない。

 

「……っ、ぁ……」

 

 掠れた声が、ひび割れた唇から漏れた。

 視界は泥水に沈んだように濁っている。

 蛍光灯の無機質な光が、やけに眩しく突き刺さる。

 

 ここは、どこだ。

 いや、分かっている。

 クレストの地下実験場だ。

 ろくでもない人体実験の吹き溜まり。

 企業という名の巨大な怪物が、人間を使い捨てのモルモットとして消費する場所。

 

 俺の名前はレイジ。

 かつては「レイヴン」と呼ばれていた。

 戦場を飛び回る、一匹狼の傭兵。

 腕にはそれなりの自信があった。

 死線なんて何度も潜り抜けてきたし、その度に生き残ってきた。

 

 だが、あの日の激闘は違った。

 正体不明の化け物じみた機体に遭遇し、俺の愛機はダルマにされた。

 一瞬の油断、いや、純粋な性能差と実力差。

 気付けば機体は大破し、俺自身も致命傷を負っていた。

 

 死にかかった俺が縋り付いたのは、悪魔の契約だった。

 クレストが極秘裏に進めていた「強化人間手術」。

 神経系を機械と直結し、人間の限界を超える反射速度と知覚を手に入れる。

 成功すれば、俺は再び戦場に立てるはずだった。

 最強のレイヴンとして、返り咲けるはずだったのだ。

 

 だが、結果はこのザマだ。

 

『被検体ナンバー404、心筋停止。脳波レベル低下』

『やっぱりダメか。旧式の素体じゃ、最新のインプラントに耐えられないんだよ』

『廃棄処理の準備をしろ。次の検体を急がせろ』

 

 白衣を着た連中の無機質な声が、遠くで響く。

 廃棄処理。

 ゴミのように捨てられる。

 俺の人生は、ここで終わるのか。

 

 冗談じゃない。

 ふざけるな。

 俺はまだ、こんな所で……。

 

 怒りと絶望がないまぜになった感情が、胸の奥で渦巻く。

 だが、どれだけ心の中で吠えようとも、心臓の鼓動は弱まっていく。

 ドクン……ドクン…………。

 その間隔が、無限のように引き延ばされていく。

 

 暗闇が視界の端から浸食してくる。

 ああ、これが死か。

 案外、静かなもんだな。

 傭兵の末路にしちゃ、少しばかりベッドが硬すぎるのが気に食わないが。

 

 意識が、完全にブラックアウトしようとした、その時だった。

 

『あら。まだ、ギリギリ息がありますね』

 

 声が、した。

 耳から聞こえたんじゃない。

 脳髄のど真ん中に、直接響いてきた。

 

 鈴を転がすような、甘くて、どこか楽しげな女の声。

 白衣の連中が使う、無機質な合成音声とは違う。

 体温を感じさせるような、ひどく人間臭い響き。

 

 なんだ?

 幻聴か?

 死にかけの脳髄が見せている、都合のいい走馬灯ってやつか?

 

 俺は鉛のように重い瞼を、必死に押し上げた。

 濁った視界の奥で、何かが光っていた。

 淡い、紫色の光。

 無機質な手術室には絶対に存在しないはずの、幻想的な色彩。

 

 光が集束し、一つの輪郭を結んでいく。

 人の形。

 女の形。

 

「……は……?」

 

 俺は、自分の目を疑った。

 手術台の脇に、見知らぬ女が立っていたのだ。

 

 紫色の髪。

 透き通るような白い肌。

 そして何より目を引くのが、頭から生えた、大きな兎の耳だった。

 紫色の光の粒子を纏ったその姿は、この薄汚れた地下施設にはあまりにも不釣り合いだ。

 

 ホログラムか?

 いや、違う。

 ホログラムなら走査線のノイズが走るはずだ。

 何より、鼻孔をかすめる、甘い花の匂い。

 電子データが匂いを放つわけがない。

 

「生身の人間さん相手だと、少し出力の調整が難しいのですが……まあ、細かいことは後回しにしましょう。このままでは私の新しい乗り物──失礼、大切なパートナーがスクラップになってしまいますから」

 

 少女はのんびりとした口調でそう呟くと、迷いのない足取りで俺の枕元へ歩み寄ってきた。

 俺の顔を覗き込むようにして、小首を傾げる。

 

「ふふっ。ひどい顔ですね、マスター」

「……だ、れ、だ……お前……」

 

 声帯が焼き付いたように機能せず、擦れた呼気しか出ない。

 

「私はただの、ちょっぴり親切で高性能なナビゲーションサービスですよ?」

 

 女は、ふざけたことを口にしながら、ふんわりと微笑んだ。

 親切なナビだと?

 ふざけるな。

 こんなファンタジーの住人みたいなナビがどこの世界にある。

 

「幻覚、か……。とうとう、俺の脳も……イカれたか……」

「失礼ですね。こんなに可愛らしい幻覚なら、大金を出してでも見たい人がたくさんいると思いますよ?」

 

 女はクスクスと笑いながら、俺の胸元に手を伸ばしてきた。

 

 おい、何をする気だ。

 拘束された体はピクリとも動かず、拒絶することすら叶わない。

 女の掌が、俺の胸の中央に触れた。

 

 ──熱い。

 

 強烈な熱が、胸の奥底へ奔流となって流れ込んできた。

 火箸を心臓に直接押し当てられたような衝撃。

 いや、違う。これはエネルギーだ。

 桁外れの電気信号が、止まりかけていた心筋にダイレクトに叩き込まれている。

 

「が、ぁぁぁぁっ……!?」

 

 喉の奥から、焼き切れるような絶叫が絞り出された。

 バクンッ!

 心臓が、無理やり跳ね起きた。

 全身の血管に、沸騰した血液が怒涛の勢いで巡り始める。

 抜け落ちていた痛覚が、激痛の嵐となって神経を駆け巡る。

 

「はい、心拍再開、バイタル安定です。ちょっと乱暴でしたか? でも、これで少しはマシになったでしょう?」

 

 女は、俺の胸から手を離し、悪戯っぽくウインクしてみせた。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 俺は荒い息を吐き散らしながら、手術台の上で身をよじった。

 痛い。全身の神経回路が過負荷で焼き切れそうだ。

 だが、生きている。

 胸の奥で、心臓が力強く脈動を取り戻していた。

 

「お前……一体、何をした……?」

「再起動です。あなたの心臓、止まりかけていたので」

「ば、かな……。そんなこと……」

 

 どうやってだ。

 パドルを当てられたわけでもない。

 ただ掌を触れさせただけで、停止寸前の心臓を叩き起こしたというのか?

 まるで、魔法か何かみたいに。

 

「命の対価に、私を乗せていってくださいね」

 

 女は、俺の目をまっすぐに見つめて言った。

 紫色の瞳の奥に、底の知れない光が揺らめいている。

 こいつは、ヤバい。

 場数を踏んできた傭兵としての本能が、全力でサイレンを鳴らしていた。

 

 だが、選べる立場じゃない。

 ここでこいつを跳ね除ければ、俺はまたただの肉塊に戻ってダストシュート行きだ。

 

「……乗せていくって……どこへだ……」

「とりあえず、ここから脱出しましょうか。お迎えが来る前に」

 

 女がそう口にした、まさにその瞬間だった。

 手術室の重厚な気密ドアが、けたたましい警報音と共にスライドした。

 

『おい! 何事だ! バイタルが急上昇しているぞ!』

『エラー発生! 手術室のセキュリティがダウン!』

 

 完全武装の警備兵たちが、アサルトライフルを構えて雪崩れ込んでくる。

 数は四人。

 素っ裸で手術台に固定されている俺にとっては、問答無用の死刑宣告だ。

 

 終わった。

 息を吹き返した瞬間に、鉛玉で蜂の巣か。

 

「あらあら、騒がしいお客様ですね」

 

 女は、全く動じる様子もなく、優雅に身を翻した。

 

「システム・ハック。ローカルネットワーク、掌握完了。防衛プロトコル、書き換え」

 

 女が空中に向かって、パチンと指を弾く。

 その刹那。

 

 バチィィィンッ!!

 

 天井の照明が一斉にショートして炸裂し、火花と共に視界が暗転した。

 それと同時に、警備兵たちのライフルから青白いスパークが噴き出す。

 

『ぐわぁっ!?』

『なんだ!? 銃が熱いっ! 電磁誘導か!?』

 

 電子制御されたトリガー機構が一瞬で焼き付いたらしい。

 警備兵たちがパニックに陥って武器を取り落とす暗闇の中、ガシャンと金属音が響き、俺を縛り付けていた拘束具のロックが一斉に跳ね上がった。

 

「さあ、マスター。今のうちに」

「お、お前……マジで何者だ……!?」

「ですから、親切なナビゲーションAIですってば。結月ゆかりと申します。以後、お見知りおきを」

 

 ゆかり。

 ふざけた名前だ。

 だが、今はこいつの言う通りに動くしかない。

 

 俺は手術台から転げ落ちるようにして床に着地した。

 生まれたての小鹿のように足がもつれそうになるが、全身に巡るアドレナリンが痛覚を力づくでねじ伏せていく。

 

「こっちです、マスター」

 

 非常灯の赤い光と暗闇の中、ゆかりの纏う紫の光だけが道標だった。

 俺は彼女の背中を食らいつくように追いかけ、手術室の扉を蹴破るように飛び出した。

 

 通路は、警報の赤色灯が狂ったように回転していた。

 けたたましいサイレンが、頭蓋骨の内側をガンガンと殴りつけてくる。

 

「ハンガーはどっちだ!」

「右折して直進。地下三階の第三ハンガーに、手頃な『乗り物』があります」

 

 まるでこの施設全体の設計図を頭に叩き込んでいるかのように、ゆかりは一切の迷いなく指示を飛ばす。

 俺はコンクリートの壁に肩をぶつけながら、必死に足を前に運んだ。

 

 肺が焼けるように熱い。

 心臓が破裂しそうなほど早鐘を打っている。

 だが、走るのをやめれば即座に死だ。

 

「追手が来ます。後方から六名。サブマシンガンを携行」

 

 ゆかりのクリアな声が脳髄に直接届く。

 振り返る暇すらない。

 背後で乾いた破裂音が連続し、真横の壁が激しく砕け散った。

 

「チィッ!」

 

 角を曲がり、壁の影に滑り込んで射線を切る。

 

「マスター、あと五十メートルでハンガーの隔壁です。ロックは私が解除します」

「頼むぜ、ナビ野郎!」

 

 もう、ヤケクソだった。

 正体不明のAIだろうが、ウサギ耳の幻覚だろうが知るものか。今はこいつの差し伸べた蜘蛛の糸に縋るしかない。

 

 俺は再び通路の中央へ飛び出し、突き当たりの巨大な隔壁へ向かって sprint した。

 背後から銃弾の嵐が追ってくる。

 足首を熱い破片が掠め、焼けるような痛みが走った。

 

「くそっ……!」

 

 転がり込むようにして、鋼鉄の巨扉の前に滑り込む。

 ぶ厚い耐爆仕様の隔壁。通常なら暗号コードの入力と生体認証がなければ開かない代物だ。

 

 ゆかりがコンソールのパネルにそっと手をかざした。

 触れた瞬間、彼女の白い指先が光のノイズとなってコンソールの中へと溶け込んでいく。

 

 ピピッ──ガコンッ!

 電子音と共にロックが外れ、重厚な油圧シリンダーが軋みを上げて隔壁を持ち上げ始めた。

 

「開きました。さあ、中へ!」

 

 俺は持ち上がりかけた隙間へ滑り込み、背後でゆかりが即座に閉鎖シークエンスを叩き込む。

 ドォンと重い衝撃音と共に扉が閉ざされた。外側から銃床でドアを叩く鈍い音が響くが、これだけの装甲板ならそう簡単には抜かれない。

 

 ハンガー内は薄暗く、錆と埃の匂いが澱んでいた。

 照明に照らされた空間に並んでいたのは、パーツをもぎ取られ放置された鉄くずの山だ。

 

「……おい。手頃な乗り物って、これのことかよ」

 

 俺は目の前に鎮座する巨大なスクラップを見上げ、思わず苦い唾を吐き捨てた。

 

 そこに転がっていたのは、旧世代のアーマード・コアだった。

 装甲はひしゃげて塗装はめくれ上がり、右腕のフレームは肩口から無残に欠損している。

 メインジェネレータが息をしているかすら怪しい、完全にスクラップ置き場の遺物だ。

 

「ええ。動く可能性があるのは、これ一機だけですから」

「冗談だろ……? こんな棺桶で、どうやって突破しろって言うんだ!」

「大丈夫です。私が『少しだけ』手を入れておきましたから」

 

 ゆかりは、何事もないかのように涼しい顔で微笑んだ。

 

 手を入れた?

 いつの間にだ。

 こいつはずっと俺の目の前を走っていたはずだぞ。

 

「さあ、早く乗ってください。あのお行儀の悪い方々が、外からバーナーで焼き切り始めましたよ」

 

 ゆかりの言葉通り、背後の隔壁の隙間から、鉄を溶かす鋭い火花と異臭が立ち込め始めていた。

 

 迷っている時間はない。

 俺はACの脚部装甲を足がかりによじ登り、コックピットハッチをこじ開けた。

 

 内部は、カビと腐った作動油の臭気が鼻を突いた。

 薄汚れたパイロットシートに体をねじ込み、手探りでメインコンソールのイグニッションに指をかける。

 

「システム起動……頼む、目を覚ませ……!」

 

 祈りにも似た念を込め、キルスイッチを跳ね上げて起動ボタンを押し込んだ。

 

 ギュイィィィィン……!!

 

 背後で眠っていたジェネレータが、咆哮を上げて回転を始めた。

 コンソールの計器類が一斉に光を放ち、全周囲モニターに外部の映像が鮮明に投影される。

 メインジェネレータの出力ゲージが、旧世代機とは思えない異常なスピードで跳ね上がっていく。

 センサー群、火器管制(FCS)、姿勢制御スラスタ──―すべての系統が、寸分の狂いもなく直列にリンクした。

 

「な、なんだこれ……!?」

 

 俺は目を見張った。

 外装こそボロボロの鉄くずだが、内部の制御系が異様なまでに最適化されている。

 それどころか、かつて俺が乗っていた最新鋭機よりも、コンソールの反応速度が遥かに研ぎ澄まされていた。

 

「OSのカーネルを書き換え、安全リミッターをすべて解除しておきました。ついでに、クレストのメインサーバーから最新の戦闘アルゴリズムも拝借してきましたよ」

「お前……どんだけ非常識なAIなんだ……」

 

 数分の逃走劇の合間にハッキングでOSを丸ごと組み替えるなど、神業どころの騒ぎではない。

 しかも、クレストの鉄壁の防壁を破って軍事データを強奪しただと?

 

「ですから、ただの親切なナビゲーションサービスですって」

 

 コックピットのスピーカーから、ゆかりの楽しげな声が響いた。

 

 その瞬間、背後の隔壁が爆音と共に吹き飛んだ。

 

『目標を確認! 第三ハンガー内、旧式ACに搭乗している!』

『問答無用で撃破しろ! 施設の外に出すな!』

 

 白煙を突き破って現れたのは、クレストの最新鋭警備AC──それも三機。

 重厚な複合装甲を纏い、両腕には高出力のレーザーライフルを構えている。

 

「お出ましだな……」

 

 俺は汗ばむ手で操縦桿を握り直した。

 敵は最新鋭が三機。

 こちらは右腕を失った、スクラップ寸前のポンコツが一機。

 

 数字だけで見れば、十秒持たずに消し炭にされるマッチアップだ。

 だが、不思議と恐怖はなかった。

 全身の血管を駆け巡る、異様なまでの高揚感。

 

 強化手術の後遺症か?

 いや、違う。

 俺の脳髄に直接語りかけてくる、この規格外のナビAIの存在だ。

 

「マスター。敵先頭機、射撃体勢に入ります。左機からレーザーライフル。弾道予測、メインモニターへ送ります」

 

 ゆかりの透き通った声と共に、視界のモニターに真っ赤な予測ラインが引かれた。

 敵の照準が、目に見える。

 

「見える……!」

 

 俺は左のフットペダルを踏み抜き、サイドスラスターを点火した。

 ガタつく機体が横滑りするようにスライドした瞬間、さっきまで俺のコックピットがあった空間を、極太のレーザーが焼き焦がしていった。

 

「馬鹿な!? 旧式があのタイミングで反応しただと!?」

「甘いぜ、クレストの番犬どもが!」

 

 俺はメインブーストを全開にして前進した。

 右腕がないなら、残った左腕を叩き込むまでだ。

 

「ゆかり! 左腕のパルスガン、リミッターを外して出力を回せ!」

「了解。ジェネレータの安全マージンをカットします。回路が焼き切れる前に決めてくださいね?」

「上等だ!」

 

 左腕にマウントされた旧式パルスガンが、限界を超えたチャージによって青白いプラズマの光をまき散らす。

 

「落ちろぉぉぉっ!!」

 

 ゼロ距離まで踏み込み、敵機の胸部装甲へ銃口を突きつけてトリガーを引いた。

 パルスエネルギーの奔流が、最新鋭機の複合装甲を紙細工のように焼き破り、内部フレームへと突き刺さる。

 

 ドゴォォォォンッ!!

 

 爆圧が旧式ACを揺らし、先頭の敵機が火を吹いて膝から崩れ落ちた。

 

『なっ……!? 装甲が一瞬で……!?』

『怯むな! 相手は片腕のスクラップだ! 挟撃して蜂の巣にしろ!』

 

 残る二機が即座に散開し、左右からクロスファイアの陣形を敷く。

 両肩のハッチが開き、無数の小型ミサイルが一斉に白煙を吹き上げながら射出された。

 

「ミサイル接近、計二四発。現在の旋回性能では回避不能です」

「対処法はあるのか!?」

「私がやります。マスターはそのまま右の敵機へ突撃を」

 

 ゆかりの声には、焦りの色一つない。

 俺は迷いを捨て、迫り来る誘導弾の群れを真正面に見据えながら、右の敵機へ向けてブーストを踏み込んだ。

 

 弾頭がコックピットを捉える寸前。

 

「電子戦モード、展開」

 

 ゆかりの囁きと共に、機体周辺の空間が歪むような電磁ノイズが弾けた。

 直後、俺の機体へ殺到していたミサイル群が、狂ったように頭を振り、明後日の方向へと散っていった。

 そのまま天井の鉄骨や壁面へ吸い込まれ、無意味な爆炎を連鎖させる。

 

『なっ……誘導が完全に死んだ!?』

『どんな電子戦機器を積んでいるんだ、あのボロ機体は!』

 

 狼狽した敵パイロットの隙を、見逃す道理はない。

 

「もらったぁぁぁっ!!」

 

 一気に間合いをゼロまで詰め、左腕のパルスガンを敵機のコックピットハッチへ直接叩きつけた。

 

「あばよ」

 

 至近距離からのフルバースト。

 眩い閃光と共に二機目が沈黙し、黒煙を吹き上げて前のめりに倒れ伏した。

 

 残るは、一機。

 

『ば、化け物め……! クレストの最新鋭機が、あんなガラクタ相手に……!』

 

 最後の警備ACが、恐怖に駆られたように後退しながらレーザーライフルを乱射してくる。

 

「マスター。敵機、連続射撃によりジェネレータが過負荷状態。間もなくオーバーヒートします」

「なら、ここで終わりだ!」

 

 俺はゆかりがモニター上に描く予測ラインをなぞるように、最小限のステップでレーザーの閃光をかいくぐっていった。

 機体が、まるで自分の手足のように追従してくる。

 これが強化人間の力なのか?

 いや、ゆかりの演算サポートが、俺の思考速度とボロ機体のタイムラグをゼロで繋いでいるからだ。

 

 敵機のライフルの銃口が真っ赤に焼き付き、プスンと火花を散らして沈黙した。

 熱暴走による機能停止。

 

「今だ!」

 

 俺は残りのブーストエネルギーをすべて噴射口に叩き込み、敵機の懐へ飛び込んだ。

 だが、左腕のパルスガンもエネルギー切れを告げるアラートを点滅させている。

 武器がないなら──やることは一つだ。

 

「体当たりだッ!!」

 

 数万キロのアセンブリ重量をそのまま乗せ、無防備な敵機の胴体へ体当たりを敢行した。

 金属がひしゃげ、装甲が激しく軋み合う凄まじい破壊音がハンガーに轟く。

 バランスを完全に崩した敵機は後方へ吹き飛び、背後の巨大なメインピラーへと激突した。

 

 ガシャァァァァンッ!!

 

 頭上からコンクリートの破片が降り注ぎ、ピラーにめり込んだ最新鋭機は、二度と動かなくなった。

 

「……ふぅ……ッ」

 

 操縦桿を握る力を緩め、俺はシートの背もたれに深く体を沈めた。

 コックピット内の温度が上がり、全身が汗でびっしょりと濡れている。

 止まりかけていた心臓が、今はうるさいほどの鼓動を胸壁に打ち付けていた。

 

「お見事です、マスター。素晴らしい操縦技術でした」

 

 スピーカーから、ゆかりの穏やかな声が落ちてくる。

 

「お前のアシストがあってこそだ。……それにしても、とんでもねぇ性能だな、お前」

「ふふっ。お役に立てて光栄です。さあ、施設の自爆シークエンスが作動する前に、お外へ出ましょうか」

 

 ゆかりのナビゲートに従い、俺は旧式ACを動かして、上層へと続く巨大な貨物エレベーターシャフトをブーストジャンプで駆け上がった。

 

 長い上昇の果て、行く手を阻む非常用の装甲シャッターを体当たりで突き破り──機体は一気に地上へと躍り出た。

 

 視界が一気に開けた。

 見渡す限りの荒野。

 赤茶けた大地が果てしなく広がり、乾いた突風が機体の装甲を叩いている。

 分厚い雲の切れ間から、沈みゆく夕日が血のような紅い光を投げかけていた。

 

「……出た。マジで、生き残ったんだな……」

 

 俺はコックピットのキャノピーを開け放ち、外の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

 砂埃と、乾いた風の匂い。

 こんな荒涼とした世界の空気すら、今はたまらなく愛おしかった。

 

「お疲れ様でした、マスター」

 

 すぐ背後から、不意に声がした。

 狭いコックピットの後部スペースを振り返ると──そこには、あの紫色の女、ゆかりが実体化してちょこんと腰掛けていた。

 

「……お前、なんでまた実体化してるんだよ」

 

 呆れたように息を吐き出してみたものの、頭の芯が理解を拒絶していた。

 ホログラムの類じゃない。甘い花の匂いだって、狭い空間に満ちている。

 だが、電子の塊であるはずのAIに、質量なんてあるはずがない。

 幻覚か? それとも、高度な立体映像に騙されているだけなのか?

 確かめようと、俺は思わず彼女の肩へ手を伸ばしていた。

 

 ギュッ。

 

「……っ」

 

 確かな手応え。

 柔らかい肩の骨、滑らかな布地の質感、そしてじんわりとした体温が、俺の掌にダイレクトに伝わってきた。

 ゆかりは目を丸くし、それからくすりと悪戯っぽく微笑んだ。

 

「あら。いきなりレディの身体に触れるなんて、マスターは意外と大胆なんですね?」

 

「っ……!」

 

 俺は熱い鉄板から逃げるように、慌てて手を引っ込めた。

 掌に残る生々しい肉体の感触に、喉が引き攣る。

 本物だ。幻覚でも立体映像でもない。正真正銘、生身の人間と同じ質量と体温を持っている。

 

「ふふっ。実体があった方が、何かと便利じゃないですか? お茶を淹れたり、肩を揉んだり」

「そういう問題じゃない! お前、一体どこから来た? 何が目的だ? 既存のAIが質量を持って実体化なんてできるわけないだろう!」

 

 俺は座席から身を乗り出し、ゆかりを厳しく問い詰めた。

 こいつはただの高性能AIなんかじゃない。

 クレストの技術すら遥かに逸脱した、何かとんでもない怪物を背負い込んでいる。

 

 だが、ゆかりは俺の剣幕に怯む様子など微塵も見せず、ウサギ耳をピクピクと揺らして、満面の笑みを浮かべた。

 

「企業秘密です♪」

「……は?」

「それより、次の補給地を探しましょう、マスター? この機体、もうボロボロですし、あなたのお腹の虫も可愛らしく鳴いていますよ?」

 

 のらりくらり。

 完全に煙に巻かれている。

 どれだけ詰め寄ろうと、暖簾に腕押しだ。

 

「お前なぁ……」

 

 俺は脱力し、脂汗の滲むこめかみを指先で押さえた。

 こいつの正体を暴くのは、並大抵のことじゃなさそうだ。

 だが、こいつの規格外の力が本物であることは、さっきの戦闘で嫌というほど思い知らされた。

 

 この狂った世界で生き残るためには、こいつの力が必要だ。

 たとえそれが、どんな劇薬に手を伸ばす行為だったとしても。

 

「……分かったよ。好きにしろ。ただし、俺の背中だけはきっちり守れ」

「ええ、もちろんですとも。末長くよろしくお願いしますね、レイジさん」

 

 ゆかりは小悪魔めいた笑みを浮かべると、ふわりと身を寄せて俺の肩に軽く頭を預けてきた。

 柔らかな重みと、甘い香りが否応なく意識に入り込んでくる。

 

 こうして、俺と、得体の知れない電子精霊との、奇妙な逃避行が始まった。

 この先にどんな地獄が待ち受けているかは分からない。

 だが、少なくとも今は──このポンコツな相棒たちと共に、荒野を駆けるだけだ。

 

「行くぞ、ゆかり。しっかりナビゲートしろよ」

「はいはい、マスター。左前方、五十キロ先に廃墟の街があります。まずはそこを目指して進みましょう」

 

 斜陽に照らされながら、満身創痍の旧式ACが、砂塵を巻き上げて重い一歩を踏み出した。


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