AC×結月ゆかり 作:結月ゆかり好き
スラム街の空の果てには、いつも分厚いスモッグが立ち込めている。
企業が垂れ流す排気ガスと、無数のゴミが焼ける嫌な匂い。
それがこの街の、そして今の俺の日常の匂いだった。
クレストの地下施設から逃げ出してから、数日が経っていた。
俺たちは追手を撒き、企業の影響力が薄いこの最下層のジャンク街に身を潜めた。
見捨てられた廃工場の一つを、臨時のガレージとして使っている。
薄暗いガレージの中、天井から吊るした裸電球が、チカチカと頼りない光を落としていた。
オイルと鉄錆の匂いが鼻をつく。
俺は油まみれのツナギを着て、巨大な鋼鉄の塊──奪取した試作軽量二脚ACの脚部フレームに取り付いていた。
「……ふう」
レンチを置き、額の汗を手の甲で拭う。
少し動いただけでも、脊髄にピリピリとした微弱な電気が走るような違和感がある。
あのふざけた強化人間手術の後遺症だ。
失敗作の烙印を押された俺の神経系は、常に機体を探すようなノイズを発している。
痛み止めと、怪しい鎮静剤を流し込んで、なんとか身体を誤魔化している状態だ。
「お疲れ様です、マスター」
背後から、鈴を転がすような声がした。
振り返ると、乱雑に積まれたジャンクパーツの山の上に、紫色のパーカーを着た少女が座っていた。
結月ゆかり。
自らを『電子精霊』と名乗る、正体不明のナビゲーションAI。
彼女は空中に無数の半透明なウィンドウを展開し、膨大なデータ列を凄まじい速度でスクロールさせていた。時折、何かを探し求めるように目を細めている。
「……熱心だな。企業のネットワークでも漁ってるのか」
「ええ、まあ。広大なネットの海から、特定のノイズパターンを探り出す作業ですよ。……私にとっての、大切な迷子を見つけるために」
「そうかよ。邪魔だ。そこにある装甲板を取る」
「はいはい。どきますよっと」
ゆかりはヒョイと身軽に飛び降り、空中でふわりと滞空してから、俺の隣に着地した。
足音一つしないのが、彼女が質量を持たないホログラムであることを嫌でも実感させる。
「それにしてもマスター、そのアセンブルはどうなんですか?」
ゆかりは、俺が調整していたACの装甲板を指差して、不満げに唇を尖らせた。
「どう、とは何だ」
「重装甲すぎます! そんな分厚い追加装甲をベタベタ貼り付けたら、せっかくの軽量二脚の機動力が台無しじゃないですか!」
俺はため息をついた。
こいつは、隙あらば俺の機体構成に口を出してくる。
「あのな。俺の操縦技術と、今のガタガタの身体じゃ、機動戦だけで全部避けきるなんて無理なんだよ。一発でも掠れば致命傷になる軽量フレームのままじゃ、命がいくつあっても足りねえ」
「だから、そこはフレームの細さと速度で射線を切るんですよ! 設計思想として、軽量機体は被弾を前提にしないのがセオリーなんですから!」
「……黙ってろ、ナビ。理論と実践は違う」
俺はゆかりの抗議を無視して、分厚い装甲板のボルトを締め上げた。
こいつの言う「機動力至上主義」は、ポテンシャルを引き出す上では正しい。だが俺は人間だ。ミスもするし、疲労もする。命を預ける鉄の棺桶には、ある程度の「保険」が必要なのだ。
「むー。マスターはチキンですねぇ」
「生存確率を上げるための合理的な判断と言ってくれ」
「じゃあせめて、ジェネレーターはもう一回り出力の高いものに換装しましょうよ。今のままじゃ、エネルギー管理がカツカツで、いざという時のクイックブーストが連発できません」
「それは俺も同意だがな。……金がねえんだよ」
俺は汚れた手で、手元のデータパッドを叩いた。表示されたのは、限りなくゼロに近い口座残高。
逃亡生活とジャンクパーツの購入で、なけなしのヘソクリは底をついた。
「というわけで、仕事だ」
非合法な依頼が飛び交う、血と泥にまみれた裏社会の掲示板にアクセスする。
「うわぁ、胡散臭い依頼ばっかりですね」
ゆかりが俺の肩越しに画面を覗き込んでくる。紫色の髪から、かすかに甘い香りがしたような気がした。……ただの電子データのはずなのに、俺の脳はどういう処理をしているんだか。
「選り好みしている余裕はねえ」
リストをスクロールし、一つの依頼で指を止めた。
『反体制勢力の武装拠点制圧』
クライアントは匿名だが、報酬額と手口から見て企業からの汚れ仕事だろう。
スラムの奥深くで武装蜂起を企てている連中のアジトを、単機で強襲して潰す。ターゲットは旧式のMT(マッスルトレーサー)部隊だ。
「ふーん。まあ、試運転の相手としては妥当なところじゃないですか?」
ゆかりは興味なさそうに言いながら、ホログラムの林檎を取り出して空中でかじり始めた。シャリッ、という咀嚼音まで脳内に直接響いてくる。
「準備するぞ。システムを立ち上げろ」
「はーい。結月ゆかり、ナビゲーションモードに移行します。マスター、あんまり無茶しないでくださいね?」
そう言いながら、ゆかりの姿がスッと空間に溶けるように消えた。
同時に、ガレージの奥に鎮座するACのメインカメラが赤く点灯する。
俺はゆっくりと立ち上がり、機体のコクピットへと向かった。
* * *
偽装トレーラーで乗り付けた作戦空域は、スラム外れの廃棄された巨大プラント跡地だった。
コクピットの中、深く息を吐き出す。
狭く、暗く、モニターの光だけが照らす密室。だが、俺にとってはここが一番落ち着く。
『システムオンライン。バイタルチェック完了。異常なしです、マスター』
脳内に直接、ゆかりの声が響く。
『ただ、少し脳波にノイズが乗ってますね。頭痛いですか?』
「……いつものことだ。気にすんな」
『あまり無理して負荷をかけると、本当に神経が焼き切れますよ? 私がサポートするとはいえ、直結の負担はゼロじゃないんですから』
「わかってる。短期決戦で終わらせる」
ブーストペダルを踏み込む。
轟音と共にトレーラーのコンテナを内側から蹴り破り、俺のACがプラント跡地に降り立った。着地の衝撃がシートを通じて背骨を軋ませる。
「警告。前方より複数機の熱源反応。来ますよ、マスター!」
視界の全天周囲モニターに、複数の赤いマーカーが点灯した。
廃プラントの影から姿を現したのは、鈍い油圧音を響かせる無骨な二脚歩行の重機たち。剥げかけた黄色い塗装に、不格好なロケットポッドと重機関銃を無理やり増設した旧式MTだ。
ざっと見て5機。
旧式とはいえ、囲まれて十字砲火を浴びればこちらの装甲など容易く蜂の巣になる。
『目標確認。戦闘データを展開します。マスター、視覚インターフェースに割り込みますよ!』
直後、俺の視界が劇的に変化した。
モニターの映像の上に、無数の半透明なウィンドウと、幾何学的なラインが浮かび上がる。
敵機の錆びついた関節部を示す赤いターゲットサイト。相手の銃口の向きから予測される赤い射線の軌道。さらには、地形の起伏を利用した最適な回避ルートが、光るラインで床に描かれる。
『はい右! すぐに一番奥の機体が旋回してきます!』
「う、おおおおッ!」
指示に従い、反射的に右へのクイックブーストを吹かす。
機体が横っ跳びにスライドした瞬間、さっきまで俺がいた空間を、大口径のロケット弾が通り過ぎていった。
コンマ数秒遅れていれば直撃だった。
『そのまま前進! 予測ラインに乗って!』
脳に直接叩き込まれる情報量が多すぎる。
視界の端が僅かに狭まり、耳鳴りがキーンと鳴り始める。だが、その過負荷と引き換えに、俺の身体は機体と完全に同調していた。
俺のプロとしての「勘」と、ゆかりの「完璧な演算予測」が噛み合っていく。
敵の弾幕が交差する隙間を滑るように抜け、懐に潜り込む。
右手のライフルで牽制の三連射。
装甲の薄い脚部関節を的確に撃ち抜き、敵機が体勢を崩す。
『いいですよマスター! そのまま、左手のパイル叩き込んでください!』
左腕が重みで傾くほどの極太の鉄杭。
リーチは極端に短く、外せば致命的な隙を晒す博打打ちの兵装だが、当たれば重装甲ごと炉心を粉砕できる。
「言われなくてもッ!」
操縦桿を引き絞る。
機体が敵の懐に肉薄し、左腕の巨大な杭を突き立てる。
ガコンッ!!
ズドォォォォォォン!!!
凄まじい反動が機体を揺らす。射出された鉄杭が、敵MTの分厚い胴体装甲を紙切れのように貫き、内部のジェネレーターを粉砕した。
大爆発を起こし、火柱が上がる。
『クリア! 次、左から二機、さらに上部キャットウォークから狙撃手です!』
「チィッ、休む暇もねえのか!」
敵も案山子ではない。一機が盾になるように前に出た隙に、もう一機が回り込んで十字砲火の陣形を組もうとする。
頭上からは機関砲の雨が降り注いだ。
俺は炎を盾にして後退し、弾幕を張りながら次のターゲットへ向き直る。
敵が引き金を引くより早く、ゆかりは射線を予測し、回避を指示する。俺はただ、その指示と自分の経験を重ね合わせて機体を踊らせるだけでいい。
圧倒的だ。
だが、代償は大きかった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
息が荒くなる。指先の感覚が麻痺し、操縦桿のフィードバックが遠のいていく。
背骨の辺りに、熱湯を流し込まれているような悪寒が走る。
過負荷だ。情報処理のスピードに、俺の生身の脳が悲鳴を上げている。
『右の機体、リロードに入りました! 今がチャンスです!』
「わかってる……けど、少し、黙ってろ……ッ!」
『はいはい、頑張ってくださいマスター! 応援してますから!』
ふと視界の隅のサブモニターを見ると、ちびキャラ化したゆかりが、チアガールの格好をしてポンポンを振っていた。
「……ふざけ、んな……!」
神経が焼き切れる寸前の極限状態の中、俺の脳裏に「こいつを後でシメる」という怒りが沸点に達する。
苛立ちがアドレナリンに変わり、痛みを無理やり意識の奥底に押し込んだ。
ライフルの一撃で上部の狙撃手を撃ち落とし、着地の硬直を狙って接近してきたMTの懐へ潜り込む。
すれ違いざまのパイルバンカーで、胴体を吹き飛ばす。
怒涛の勢い。
まるで自分自身が、殺戮のための機械部品の一部になったかのような恐ろしい没入感。
ドガァァァァン!!
最後のMTが、火花を散らして崩れ落ちた。
「……終わった、か」
俺は操縦桿から手を離し、シートに深く背中を預けた。
全身が汗でぐっしょりと濡れている。肺が酸素を求めてヒューヒューと鳴っていた。
指先で鼻の下を拭うと、べっとりと生暖かい血がついていた。
「ははっ……本当に、命を削ってる気分だぜ……」
『お見事です、マスター。被害は右腕の装甲への掠り傷程度。ほぼ無傷ですね』
ゆかりの声は、相変わらず涼しげだった。
サブモニターのチアガールゆかりが、クラッカーを鳴らして祝っている。その無神経さに腹を立てる気力すら残っていなかった。
「……周辺のクリアリングは?」
『レーダーには熱源なし。残存兵力はゼロと推定します。ミッション完了ですね』
「よし。金が入ったら、まずは強力な神経用鎮静剤を買うぞ。それから……」
帰還の手続きをしようと、通信コンソールに手を伸ばした時だった。
『……あれ?』
ゆかりの、少し間の抜けた声が響いた。
ホログラムのチアガール姿がパッと消え、いつもの紫パーカー姿のゆかりがメインモニターに大写しになる。彼女の目は、ガレージにいた時のように何かを探るように細められていた。
「どうした。敵の増援か?」
『いえ、違います。これは……』
ゆかりはブツブツと呟きながら、俺の機体の通信システムを勝手に操作し始めた。
コンソールに、無数のデータ列が凄まじい速度で流れていく。
「おい、何を勝手に……」
『ちょっと待ってください。微弱ですが、指向性の暗号通信を傍受しました。これは……企業側の、ミラージュの暗号化プロトコル……』
ミラージュ。クレストと並ぶ巨大企業の一つ。
なぜ、こんな場所にミラージュの通信データが? 反体制勢力そのものが、ミラージュの息がかかったダミーだったのか。
だが、ゆかりの反応は、そんな政治的な裏事情に対するものではなかった。
『……嘘。この波長、このコードパターンの癖……間違いない』
ゆかりの声が、微かに震えていた。
いつもは人を食ったような態度を崩さない彼女が、初めて見せる焦燥と、隠しきれない歓喜の入り混じった感情。
『あ!!』
ゆかりが突然、大声を上げた。
「な、なんだ!? 直接脳内に響くんだから大声出すな!」
『見つけました! マスター、見つけましたよ!!』
ゆかりは興奮した様子で、ホログラムの身体を機体のコンソールから乗り出すようにして顔を近づけてきた。
「だから、何を見つけたんだ」
『痕跡です! マキさんの……弦巻マキの、データの痕跡です!』
弦巻マキ。
ガレージで彼女が言っていた、「迷子」の名前か。
『ここからそう遠くない、ミラージュの地下施設。そこへ向かう暗号通信の中に、マキさん特有のノイズパターンが混ざっていました! ミラージュに捕まってるんだわ!』
ゆかりの言葉は、普段ののらりくらりとしたトーンを完全に失っていた。
「おい、落ち着け。それが本当だとしても、ミラージュの施設だぞ? 今のボロボロの俺たちがちょっかいを出せる相手じゃ……」
『待ってください、マスター! 悪い話じゃないはずです!』
ゆかりが、鋭い声で俺の言葉を遮った。
『その施設、軍事拠点ではなく研究施設です。暗号ログを解析したところ、高純度の生体修復液や、最新の神経接続用インプラント技術のデータが大量に保管されています!』
「……なんだと?」
『今のままじゃ、マスターの身体は遠からず限界を迎えます。でも、その施設の設備とデータを奪取すれば、あなたの壊れた神経系を治療できるかもしれないんです!』
ゆかりのホログラムの瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いていた。
彼女自身の切実な目的に、俺の命を繋ぐための極上の餌を乗せてきたのだ。
「……」
俺は無言で、血のついた手袋をコンソールに押し当てた。
頭が痛い。巨大企業ミラージュの懐に飛び込むなんて、どう考えても自殺行為だ。
だが、ゆかりの言う通り、このままジリ貧で依頼をこなしていても、俺の神経系はいずれ焼き切れて死ぬ。
一発逆転を狙うには、十分すぎる見返りだった。
「……座標を出せ」
『え?』
「ミラージュの研究施設だ。どこにある」
俺が低く唸るように言うと、ゆかりの表情がパッと明るくなった。
『マスター……! はいっ、すぐにルートを計算します!』
視界のモニターに、新たな目的地を示す赤いマーカーが点灯する。距離にして数十キロ。
「おい、勘違いするなよ。俺はまだ承諾したわけじゃない。偵察して、死にそうなら即撤退するからな」
『ふふっ。マスターは素直じゃないですね。でも、ありがとうございます!』
ゆかりは嬉しそうに微笑むと、再びナビゲーションモードへと移行し、視界の隅で小さくウィンクをした。
「……後悔しそうだぜ、全く」
俺は深くため息をつき、ブーストペダルに再び足を乗せた。
神経の痛みはまだ治まらない。
だが、不思議と恐怖はなかった。
俺の脳髄に絡みついたこの電子精霊が、狂ったようなテンションで最適なルートを直接描き出しているからかもしれない。
『さあ、行きましょうマスター! マキさんの救出作戦、開始です!』
荒涼とした荒野に向かって、俺のACは再び轟音を上げて駆け出した。
最悪のバディと共に、破滅的な狂気への進路変更。
俺の傭兵人生で、最も無謀で、最も長い一日が、今始まろうとしていた。