その日のビデオ屋はいつもよりざわつきがあった。
静かで店内BGMがいつも支配している店内を人のヒソヒソ話が塗り替える出来事なんてそう簡単に起こる事ではない。しかし、今はそのBGMが消える程に話し声が聞こえ視線が全てこちらに向いている。
その理由はなぜか。至極真っ当な話をするとアストラさんレベルではないが有名な人が私に引っ付いているからである。
「……あの、雅さん?」
「修行だ」
そうとだけ言ってその有名な人──雅さんは腕に抱きついている力を強くしその耳をピクピクっと動かす。
ホロウ対策課六課に所属しホロウをいとも簡単に倒す彼女はその筋じゃなくても有名な剣豪であり「アルゴス」と言うホロウを鎮めたと言う事で最少年で"虚狩り"と言う称号を得ている程の人物である。そんな人がよもやよもや六分街の一角にある極ありふれたビデオ屋の店主と腕を繋いで(一方的に抱きつかれて)レジに立っているなんて光景を見たら誰だって憶測を立てるだろう。私だってそんな状況を見たらどんな関係なのか憶測を立てる。でも、現実は今日は珍しく何もない日でたまにはビデオ屋の本業をやらないとなぁと思った矢先にいきなり「修行する」と言って現れて隣を陣取られただけであってあの一件で距離は近くなったとは言えそれ以上の関係はない……とは思いたい。
「あの、雅さん、修行だからって、ずっと密着されても困ります……」
今はレジにいるからいいものの品出しの時も商品の説明の時もずっとひっつき虫や犬みたいにくっ付いてきて行動しにくいと言うか、なんて言うか、側から見るとまるで雅さんが私に執着しているように見えて恥ずかしいと言うのが感情としてある。
「私と一緒にいるのは嫌なのか?」
「いや、そう言う話じゃないんです」
「やはり私は魅力がないのか」
「いやいや、そ、そう言うわけではないですよ!?」
雅さんに魅力がない訳なんてない。キリッとした雰囲気と時より垣間見せる幼さとのギャップとか、剣豪としての強者としての振る舞いを見せる時の格好良さとか、ここでは語りきれないほどの魅力がある。むしろ、私みたいな人が隣に立っていいのか、そんな感情の方が大きかったりする。
「あの、えっと、魅力はありますよ、ただ私達そう言う関係じゃなくて、だから、あの、その、少しだけでいいので離れてくれません……」
「許嫁なのにか?」
「あれは私宛じゃないですよね!?」
今日だけで何度目かになるやり取りを雅さんとする。
無尾ちゃんが暴れてしまって以来、雅さんは私達に対して許嫁になって欲しいと迫って来ている。それも私に対して。正直に言った話をすると私は女性で雅さんも同性で、だから、お兄ちゃんと許嫁になればいいと言う話をしている。でも、雅さんは頑なに私(正確には私の家系)と縁を結びたい、遠回しに言えば私の許嫁になりたいと我儘を言って言う事を聞いてくれないのである。
そんな頑なさも好きなところではあるけど、雅さんはあの"虚狩り"の由緒ある家系であり私は一般人の、それも同性である以上は許嫁になるなんて普通は許されていいものなのか、いや、きっとなってはいけないし世間体的にも白い目で見られる可能性が高い。
それもその我儘を言うは一時的に助けられたからであって、結局は一時的な思慕であり一時の迷いでしかない筈だから、いつかはその感情も薄れる可能性だってある。それを踏まえてみても許嫁発言は流石に気の迷いなんじゃないかと言う結論にどうしても至ってしまうのである。
そんな考えを見抜いているのか見通しているのか雅さんはクスクスと笑う。
「君は本当にメロンだ」
「は、はい、え、えっと、いきなりどう言う事ですか?」
「だから、君はメロンだ」
「??????????」
過程が飛ばされすぎて理解が追いつかない。何がメロンなの、雅さんの好物であるのはわかるけどいきなり"君はメロンだ"なんて言われてその意図をすぐに理解する事なんてできない。
「えっと、その間の説明をお願いします」
「君といるとメロンの匂いがするんだ」
「んんんんんんんんんんんん」
私からメロンの匂いがするってどう言う事? 香水とかそう言うのはつけた覚えはないし、そもそも香水をつける
「ほら、今も君からその匂いがする」
ふんわりとしたいい香りと共に首元に顔を添えた雅さんはその鼻を何度も鳴らす。
目を閉じた雅さんはそれこそキスを待っている少女のようでドクンッと胸が跳ねる音がする。
そっち方面の知識が雅さんにはないが故に襲えてしまう。そんな思考が頭の中を過ぎる。でも、そんな事をするのは倫理的に反する行為で、且つ、周りからこんな視線をもらっている以上はする事はできない。
何もできずにただ匂いを嗅がされていると「意気地なし」と言う言葉が聞こえたような気がした後に雅さんは瞳を開ける。
「君は香水を使うのか?」
「いや、香水は使わないんですけど、あははは、どうして匂うんですかね」
「わからない、でも、君の事をずっと嗅いでいたい、君を襲いたいと思ってしまう程には思ってしまうんだ」
「ちょ、ちょっと待ってください、それは誤解を生む発言でつ!!」
慌てた矢先に思いっきり舌を噛む。
「いたたたたた」
舌先の痛みに顔を顰めていると雅さんクスッと笑う声が聞こえてくる。
「君は本当に面白いな」
「どこがなんですか、もぉ!」
思わず言い返すと天使のような微笑みを浮かべている雅さんの赤い瞳と視線が交差し彼女の手がこちらの頰を撫でる。
「そんな君にドキドキする私がいる」
吸い込まれそうなほどに真っ赤で綺麗なその瞳は静かに揺れ雅さんの本音の言葉が鼓膜を揺さぶる。
「私にとって感じたことのない感情だから少しでも冷静にいたいと思っても君といるとその感情が湧き出て、いざって時に動けなくなるかもしれないそれを制したい」
「もしかして、そのドキドキになれる為にこんな事をしているんですか?」
「そう言うことだ」
謎の修行の目的がわかった。しかし、それだと雅さん自身も今日は仕事がなくオフの日である為、何か以上事態が起こらなければ今日一日はぜっっったいに私から離れてくれないのは決まってしまった。
まぁ別にそれに関してはいい。問題としては雅さんは何に対してドキドキしているかそれが気になる点ではある。
「あ、あの、ドキドキするって言うのは誰に対してですか?」
「それはもちろん、君に」
「私のどこに?」
「君の全てに、君の匂い、君の瞳、君を見るだけで、胸が痛くなるんだ、この感情はなんなんだ?」
切実で純粋な瞳を向けられ思わず視線を逸らす。
「そ、それは、その、えっと、何か特別な感情だと思いますよ」
今の発言でドキドキするという事はつまりそう言う事で、私に対してそう言う感情を抱いていると言うことになる。それに加えて私からメロンの匂いがするのはなんとなくその理由はわからないこともない。
どこかの本かビデオで見た情報ではあるものの香水をつけていないのにも関わらずいい匂いがお互いからするのは微粒子レベルで相性のいいと言う事で、それがもし真実だったら割と真面目に洒落にならないかもしれない。
いや、嬉しいんだよ、嬉しいんだけど、多分、下手したらその感情に沼ってしまうかもしれないし、それにあの言葉はもしかして……?
「あ、あの、ちなみに、許嫁の件はもしかして本気で言ってましたか?」
「何を言っているんだ、君」
訝しむような表情になった雅さんは腕に抱きついている力を強くしてくる。
それはまるで子供が自分のモノを取られないように抵抗する時に見せる仕草でありちょっとした可愛さに胸が少し跳ねる。
「本気も本気だ、本当に君を欲しいと思っている私がいるんだ、それの何か不満か?」
「い、いや、な、ないですけど、その、仮に、その感情が一時的なもので、私がそう言う気じゃなくても?」
「そんな事はない、それに君がそれならそう言う気になるまで言おう」
視線を周りの客に向けた彼女は少し得意げな笑みを浮かべる。
「リンは私の許嫁だ、誰がなんと言おうとも」
その宣言と共に噂話で膨れ上がっていた空気が破裂し店内が騒然とするのは言うまでもなかった。