一、
「じゃじゃーん! 今日はドレスドオムライスにしてみましたぁ」
「おー」
おれが
作るのに時間がかかったであろう黄色い山をさっくりと割る。サプライズ要素はなく中身は
つんつん、と匙で2回突いてから
「……美味い」
「マジ? ぃよっしゃあ!」
おれがこの言葉を言うと和陽は子供のように飛び上がる。
まるで、高校受験に受かった高揚感をそのまま写し取ったような。
かと言って、おれも喜ばせるために鼻を摘んで言っているわけでもない。
確かに味もいいし、何より家庭的だ。素朴でも、暖かな、温かな。そしてだれかに喜んでほしいという気持ちが、盛り付けられる前から滲み出ているそれは、──たとえ味の濃さや優劣を度外視しても、「うまい」と言わしめるには十分だった。
今のおれには到底できない。他の誰かを考えることなんて。
でも、不躾にも気になることがある。すぐに聞くのは気が引けたから、山を半分崩した後にした。
「なぁ、なんか最近やけにチョイスが凝ってきてない? おれのためにやってくれてんなら。無理しなくていい、よ?」
スフレパンケーキに、ハッシュドビーフ。セール品でなんとか店のそれに近い廉価版で抑えているとしても、仮に一人暮らしだとすれば、いくら料理上手の研鑽でも豪勢すぎる。まるで
「だからさぁ、
「ほんとかぁ? あんまり大きな二つ名つけんなよ、荷が重い」
「わかってるよぉ、実はさぁ、2軒隣のお隣さんに料理教わってんのよ」
「ここの?」
「そう、その人めっちゃ料理うまくてさぁ」
今更驚くことではないが、和陽はコミュ力がとんでもなく高い。管理人さんやご近所も入居してすぐに絆……信頼を得て、おれが転がり込んでくるのも「まぁ、遠輿くんのお友達なら悪い人じゃないだろうし」で二つ返事。こういうところを見ると、和陽には人に愛される力から元から備わっている気がする。
努力の先に得られる信頼とはまた別の、「
ん? 待てよ? 確かおれがここに転居してきた時には
ということは事実上、
挨拶、してない。
「え……っ、待って……そしたらその人、おれの隣人ってこと?」
「ん〜? まぁ、そうなるね」
そうなるねじゃねーよ、なんでもっと早く言わねーんだよ。とんでもない不義理をしでかしているかもなんだぞ……!
「……早く言えって」
「でもお前最近調子悪かったじゃん。教えたら無理にでも挨拶しに行こうとするだろうから黙ってたんよ」
さぞおれのためみたいに言うな。
「だからってさぁ……」
あろうことか、今しがた気づいた様子で追撃をしてきた。
「あっ、ごめん! オレ
「……は?」
まず先にそっちの話をしろよ。料理教えてもらうんだろ、そんだけ仲良いなら友達の話題ぐらい出ないの……?
「そうかそうですか。おれはお前の友達じゃなかったんだね期待して悪かったよ」
「ごめんて! 単純にいつも大体ニコイチだからあえて言わんでもって、忘れてたの! でもその子、優しい感じだったし、『こっちが一方的に押しかけてるだけなので……』って言ってたから多分あいさつせんでも大丈夫そうだったぜ?」
「こっちが気になるんだって……」
「でもさぁ、あっくんこうなってから特に
確かにそうだ。メンタルに影が差して以降新しい人脈を広げることは避けてきた。でもおれの事情と礼儀礼節ぐらいは分けて考えないと、ゴミな上に顔合わせの挨拶もしないとか気まずすぎるし、相手の美辞麗句の可能性もある。
「……とにかく、お隣さんがいるってことは認識しとくよ」
「りょーかい。でも無理すんなよ〜、最近隣の部屋めっきり行かなくなってんだから」
「お前はもうちょい報連相を覚えろ」
「すんませんした」
とはいえ、相手にも生活があるだろうし、今まで一回も会えなかったってことは相当入れ違ってるか忙しそうなんだろうなぁ……と思った。
「──まぁ、会えたらちゃんと話そ」
──と思ったのがいけなかった。意外とその日はすぐにきたのである。
二、
それから三日後、
和陽はその日は学校だったが、おれは全休。だから家事をやっといてくれと頼みおかれたのである。
「おはようございます……?」
かけられたその声に肩が揺れる。おずおずと振り向くと、やけに背の小さな男性が立っていた。
「そこ、遠輿せっ、じゃなかった……遠輿さんって方のお宅ですけど……今日は多分大学に行ってると思います。御用ですか、ね……?」
知ってるよ、と言いそうになるのをグッと堪える。
その声は、変声したての中学生ような……あえて表現するなら「男が無理なく出せるショタ声」のような中音域の声だった。もっと端的に表現するなら、アルトリコーダー寄りのフルート、そんな感じ。声変わり後ならほどほど高い部類に入るだろう。おれと似たような短髪の黒髪に丸い黒目が瑞々しくおれを
もしかして、この人がおれの(便宜上の)
「……知ってます、
友達、とは言えなかった。それはいつも通り。でもほぼ同居してますなんて口が滑っても出てこなかった。
「じゃあなんでドアの前に……?」
こちらの返答を遮るようにあっ、と一音。
「すいません部外者が立ち入ったことを……っ!」
これが同じ大学の誰かなら「そそっかしい奴」と水に流せた。
なのに。口が勝手に動いていた。
「気にしないでください。おれ、燈沓って言います」
「あくつ……? あぁっ!?」
表札とおれの顔を何度も往復するくりくりとした目。
「せーかぁい……なんてね」とこっちも気恥ずかしくなって目を逸らす。
「すいませんね、長い間ご挨拶出来ずに」
おれの肩の力は抜けていた、初めて会う人の前なのに。
俺でもなく、
「いえいえっ、僕、
まさに深々、という表現が的を射ているお辞儀だった。
「これ……クッキーなんですけど、いかがですか? 卵アレルギーとかあります?」
目線のかなり下から手渡されたそれは手製らしいクッキーだった。しかも缶だ。
「ないです。……こっちも失礼ですけど、ご年齢は」
しまった。相手の初々しいオーラに飲まれてこっちこそ不躾な質問をしてしまった、何やってんだおれは……と頭を抱えるよりも先に。
「19です、今年の4月から大学に……と言っても通信ですけど」
だけど、レッテルで見られる苦しみはおれも自分の中でわかっているつもりだ。言葉にも、もちろん態度にも出さない。その前におれは邑嶺くんより格下のダーティーでニヒルなクズなんだから。
「じゃあ一個下だ。気軽に話せるね」
「はいっ、燈沓
先輩。その響きは俺だった頃を境についぞ聞かなくなった言葉。でも、そうだよな。年も上で学年も上。先輩と呼ばれても仕方がない。なのに苦しかったことの方が多い呼び名だ。
「……燈沓、
「あっ、ごめんねぇ……おれ実はメンタル弱くて療養中でさぁ、和陽……遠輿にはちょくちょく面倒見てもらってんだよね」
「そうなんですね……もしかして先輩って呼び方、ご不快でした? すみません、僕もちゃんと人と話せたことなくて……」
頼むからそんな顔しないでくれ……初めて会った人に軋轢が生まれたらおれの方が耐えられない。
「嫌っていうわけではないけど、高校で優等生やってた頃に下の奴らが使ってた呼び名だからこびりついちゃって。当たり前なのにね、先輩に先輩って使うのは。邑嶺くんは気にしなくていいから」
「ありがとうございます。でも遠輿先輩も遠輿先輩って呼んでるのでつい出ちゃいまして……よかったらこの後
それは、和陽とはまた違う、
「ううん……おれも暇だし、家のこと片付いたら是非。ちょっと待ってて」
「──はいっ!」
その笑顔はまるで
【お隣さんに誘われたから、昼はそっちで食っといて】10:45
昼休みの間に連絡するはずの和陽に向けてそう残して、おれは初めて
三、
僕、邑嶺涼喜のこれまでは悲劇的というとそうでもないけれど、
中学では小さな背丈と童顔、そして元々の引っ込み思案な性格のせいでいじめ……として公になるレベルではないが、少しばかり孤立していた。高校でもどちらかというと
だから僕はありがたく受け取ったまでだ。幸い、高校で友達だった人に後ろ暗い理由があった人は誰もいなかったし、僕も楽しかった……でも、クラスで男子のかっこうのマドンナだった子にスイーツバイキングに誘われた時だけは「色目使ってんだろ、この小悪魔め」って因縁つけられたっけ。
僕は成績は中の中、ごくごく平凡な男だし、自分の優柔不断なところもちょっとは直ってほしいと思ってる。
だから一人暮らしを始めた。家事は得意だったし、1人だけでの生活ならなんとか完結できる──まだ中学の時のトラウマで、初めての人とは慣れるまで時間がかかるけど。
とはいえ、初めての自立、初めての大学……と不安は尽きなかった。そんな僕を温かく迎え入れてくれたのが遠輿先輩。気さくで、話も面白くて、すぐ仲良くなれた。料理が趣味ってこともあって。文を書くのも大学になってから初めたって言ってた。ただ一つ気がかりなことがあった。
「実はさぁ、おれ友達とルームシェアしてんのよぉ……そいつ高校の頃の無理がたたって……なんとかしてやりたいとは思いつつも……って感じてさぁ……やべっ、喋りすぎた。今のは聞かんかったことにして!?」
いつも僕の話を聞いてくれるばかりで自分の話をしない先輩の男友達、そして緘口令を敷かれたということはその人の
……と思っていたんだけど。
実際その人……らしい燈沓先輩に会ってみて思った。
ああ、そうだろうなと。
パーカーをルーズにかぶりながら移動中滅多に話さない、目線はちょっと下らへん。明らかに、僕以上に人馴れしていなそうな感じだった。 僕は直感した。
この人になら──相手が受け入れてくれれば──僕の辛かったことを──話せるかもしれないって
着いたのは僕の行きつけの純喫茶。
引っ越しの初日にたまたま見つけて、窓から眺める夕日が綺麗だったからそっからすっかりお得意さんになってしまった。
「へぇ、モダンなところなんだね」
燈沓先輩はまだ、少し無理をしているように見えた。
僕なりの感覚だけど、人と話すのが苦手な時はできるだけ
「そうなんですよぉ、レトロな感じで結構好みになっちゃって」
「そうなんだ」
「フレンチトースト。美味しいんで食べてみてください、メープルのかかったアイスと一緒に食べるともう……!」
いけない、話しすぎちゃった。そもそも甘いもの苦手かどうかの確認も忘れてるし……!
「じゃあお言葉に甘えて、すんません、フレンチトースト二つ」
「ありがとう、ございます」
「そんな肩肘張んなくて大丈夫だよ、取って食ったりしねーから」
「そうですね……せっかくのご縁ですし、
口をついて出ていた。ほら見ろ、燈沓先輩も驚いた顔してる! 全部僕の決めつけなのに!
そんなこんなでフレンチトーストが2人分運ばれてきた時だった。
「──わかる、かな。無理してんの、和陽から聞いてるだろうけど、高校の頃に限界になっちゃって。今は薬頼りじゃないと、落ち着かなくて寝れないんだ」
そこまで聞くつもりじゃなかったのに、辛いことまで聞き出したみたいじゃないか、僕のバカ……!
燈沓先輩の椅子の横から淀みきったオーラのようなものが這い出ているような気がした
「すみません……そんなつもりじゃ」
「謝んないで。おれもう、取り繕うのやめたから。じゃあおれからも一つ。邑嶺くんも、無理してるでしょ」
「えっ」
「本当は人と話すの怖いんじゃないかなって。今朝会った時も声震えてたし。おれが言えたことじゃないけど」
バレてる……最近は震え抑えるのなれてきたはずなのに。遠輿先輩との時は大丈夫だったのに……失敗してもいいと思えてきた頃だったのに……何かしくじってたのかな……
いや、違う。
やっぱりどこか、「似てる」んだ。
燈沓先輩も探り探りなんだ、きっと。
不安になりながら僕と話そうとしてくれてるんだ、
僕よりずっと前から影の中にいたはずなのに……それでも、って、手を伸ばしにきてくれてるんだ。
それが、思い過ごしでもいい。だったら……
一緒に、飛び越えましょう。その
「鋭いなぁ燈沓先輩は。僕中学の頃こっぴどくいじめられてて、その時のせいか対人恐怖症みたいになってて。段々治ってきたと思うんですけど、やっぱり自分からはあんまり誘うのも話すのもあんまり得意じゃないんです。いじめられてたころは1人が好きだったはずなのに、いつの間にかたくさんの人に囲まれてました。
段々と、声の震えが止まらなくなってくる。話そうと思っていた内容なのに言葉がどんどん消えていく。今までうまくいってたことが嘘みたいに
でもそれでよかったんだ。母さんのところを発つときに決めたじゃないか。これからは
「
「はい」
「おれでよかったの……? 誘った初めてが」
「はい、
「へぇ、
その笑みはまるで強かな蛇のようだった。でも悪意はない、ただ擦り切れて、向こうを見通せるぐらいスケスケになった布地のように
「そんな中で声をかけてくれてありがとう、おれなんかじゃ分不相応かもしれないけど──」
止めなきゃ、最後までやり切らなきゃいけないんだ!
申し訳ないけど、その言葉は、僕のものです!
「──友達になっていただけませんか? 燈沓先輩」
「取られちゃったよぉ……へへっ、いいよぉ、じゃあおれからも。友達になってください」
「喜んでっ!」
数分が経ち……
「うまいねこれ」
「ですよねぇ、美味しかったぁ」
「はやっ、邑嶺くんもしかして大食い?」
この手のスイーツによくありがちな一斤サイズだったのにもうなくなっていた。おれだってまだ半分なのに。
「ただの甘党です! 食べてもエネルギーに持ってかれる体質なので、それと涼喜でいいですよ、年下ですから」
ちゃっかりしてんなぁ、ちょっといじってやろ。
「なるほどねぇ……すっくん」
「……あだ名……! 僕あだ名で呼ばれたことないんで嬉しいです!」
こいつ無敵かよ……まぁそれだけピュアってことか。
「距離の詰め方、
「あぁ〜、ですね!」
「でさぁ、すっくん……なんでここ好きなの?」
「夕焼けが綺麗に見えるんです、
「やけに詩的だね……」
「すっ、すいません手慰みに詩とか小説書いてるのでついっ! と言っても掌編か
なんだ、この子も物書きなのか。
「実は通信にしたのも筆をおりたくなかったからで。執筆が専門の大学もあったんですけど落ちちゃって」
おれがおそらくそこの門徒だということは黙っておいた方がよさそうだ……まだ。
「なんで書くのが好きなの?」
実際自分が投げられても困る質問をしてしまったと後で後悔する。
彼の答えはいたって誠実だった。
「僕の気持ちの整理です。いじめられてたころは明日なんか来なきゃいいのにって思ってた時もありました。でも、そんな表現できなかった気持ちも含めて僕なんだろうなって思い始めてきて……たとえ誰かに見てもらう訳じゃなくても……言葉に出てこない気持ちも
「自己満ってやつだね、おれもそう。今度見せてよ。差し支えなければ」
「いいんですか⁈よろしくお願いします!」
ああ、この子はおれにどこか似ていて、どこか違う。きっと周りに
彼はきっとおれとは違って
──いい友達を持ったなぁ。
四、
こんちわぁ、オレでーす! って誰もいないか。今朝秋瓢から【お隣さんに誘われたから、昼はそっちで食っといて】ってメッセ来てからだいぶ時間たつけど……邑くんと仲良くなってるようでなによりなにより……あっ、ちょうど返ってきた。
「ただいま」
「おかえりぃ、ど? いい子だったっしょ?」
「お前が紹介したんじゃねーだろ黙れ」
「まず質問に答えなさいよ」
「オレにはもったいないくらい清純な青年でしたよ、ええ」
「だろぉ、お友達2人目おめでとー!」
「うっさいよもう、はいはいありがと」
「これからも3人でいっぱい遊ぼーな!」
「おれよかまずすっくんの都合でしょ」
「概念的な話だよ」
「そーですか」
「そーですそーです」
心なしか秋瓢の顔が晴れやかに見えたので、お互いシンパシーを感じたんだろう。良かった良かった。これから2人にほっとかれないようにこれからちょくちょく