午前6時、おれには分布相応なぐらいキラキラ輝く日の光が目障りで、目を擦る。考えるのはいつも同じこと。
──あぁ、また今日も
「生きてる……まぁ、今日は寝れた方か」
こうなってもう何ヶ月経っただろう、もっとちゃんとやれてる気がしてたのになぁ……
あれからちっとも背筋は伸びないし、上手く口角を上げられない。最近に至っては調子が悪いと文字もろくに読めなくなるところまできた。 ほんと最悪。
自分でも嫌になるぐらいできてないことがたくさんあるのに、今はそんなおれを「起きれてるな、よし!」「歯磨きもしてる! 頑張ってんなぁ〜」と茶化してんのかというぐらいに誉めそやす、──── ……違う、知り合いの家に厄介になっている。いつもいつも申し訳ないのでそろそろ家賃を払おうかというぐらいなのだが……全力で「要らんから」とまるで余計なことのように言われるのでいつも一歩引いている。
ヒタヒタと音をさせずに身動きするのが癖になった。泥棒かおれは……
「おはよう、あっくん」
やけに明るい、朝らしい快活そうな声が脳にこだまする。普通の声量なのに煩い、黙っててくれと思ってしまう。ごめん。
「……ぅす」
またちゃんと挨拶できなかった。たった4音なのに口が全く動かない……あぁッ! 忌々しい……!
「ご飯、パスタかおにぎり作れるけど、どうする?」
「……わっ、悪いからいーよぉ、自分でパン食う」
「おっけ。じゃあオレはパスタにしよー」
「いただきます!」
「……ん」
この一連のやり取りだけでもうへとへとだ。エネルギーを一個の行動に全ベットしているような感じ。……てか、
パンってどうやって噛むんだっけ?
まただ、時々意識しないと何気ない動作すらできなくなる。何もかもが考えてることと真逆だ。
「どうした? オレの作った飯じゃないぞぉ」
「別に……ちょっと食欲ないだけ」
「食欲なくても食べ方忘れたでも何でもいいけど昼前までには食っときなよ?」
おれに向かって、そう困ったやつだ。みたいな優しい目をしないでくれ……余計惨めになる……
「なぁ、何でそんなにおれのこと構うんだよ、いや……和陽。いつもごめん、ほんとは炊事も洗濯も1人でやんなきゃなのにな。苦労かけてる自覚はある」
しまった、と思った時にはもう口から出ていた。最近はもうジリ貧すぎて吐きたくないのに弱音を吐いてしまう。飯も洗濯も……1人でやらなきゃいけないことだったのに、迷惑かけたくなかったのに……そんな優しい顔でこともなげに言われたら……のっぴきならなくなるじゃんか……ありがとうすらろくに言えないのに。
「ん〜? オレもオレでそーゆーの覚えなきゃだからさぁ、別にあっくんがどうとかじゃねーよ。それより普段味付けミスった飯食わせてないかが心配」
顔が少しだけ、嘘が下手だな……お前は優しいから本当は気掛かりで仕方ないはずだろう。おれなんかいない方がきっといいに決まってる。
「美味い……よ。味は薄いけど」
「マジ……? どっちの意味で?」
「たぶん気持ちの方。最近浮き沈み激しくて」
「そー思う。先週なんかタオルビッシャビシャにしてオレに謝ってたもんな。……最近なんか書いたん? それ」
それ。つい先日まで書き溜めていた日記帳のことだ。相当病んでいた時に買ったものだから夜な夜な棄書なんて仰々しい名前をつけて、修学旅行のあの日に見つかってしまった。見つけてもらったのだ。他でもないあいつに。
「書いてない、でも書きたくなったことはある」
こいつと話してると本音しか出てこなくて困る。これは自分がどれだけ下衆で救いようのない怠惰な人間だったかを知らしめておくための焼印。二度と現世に戻ってこられないようにするための錘のようなものだった。だからこれ以上辛いことがあって「事」が起きてしまった時におれと一緒に灼いてくれと頼んである。和陽のことだから全部無視して埋葬してくれそうだけど。
これにはもう書くことがないのだ、書ける気力自体がないから。頭の中にはいつまでも自分への怨嗟が鳴り響いている。何をしているんだ、貴重な時間を棒に振ってまで遊び呆けるなんて、とそれこそ一冊じゃ足りないくらいに。
でもそれを呼び起こして、文字に変えて、筆を執って……その工程の一つ一つが痛みを伴いそうで気後れする。
だから書けない。書けそうなことがあってももう無理なのだ。
「そっかぁ、オレとしては一安心だな」
おれにはその一言がひどく重く聞こえた。
一安心……? なんで。……あぁ、やっぱりこんなもの頭の片隅にでもない方が気が楽か。劇薬みたいなもんだしな。恥晒し、雨晒し。どれに変えても不相応なほど毒々しいものだから。
「……目障りだよな、あんなもの置いてあって。いっそ俺も」
ー綺麗さっぱり忘れられたら、いないことにできたら。
「待て待て。そういうこと言いたいんじゃなくて。オレはお前に死んでほしくないから「消えたい」って思うことが増えてなくてよかったぁ、って思っただけ。お前も、なるべく増えてくにしても傷は浅い方がいいだろ」
和陽の言葉はおれにとって光
「オレとしては……さ。秋瓢が今いる
そこには、欲しい言葉しかなかった。疑り深くなるほどに、さっき思った言葉に近しいものが並べられていく。
ついこの前やっと自分を見限ったのに。退廃的で、冷笑に沈みながらゆっくり朽ちるのを待つことしができないこの生活も仕方ないかと思えてきたのに。
そんなことされたら、救いを求めてしまうだろうが。
「だから、お前におはようって言える毎日がオレは幸せです!」
「はぁ、それ、『自殺をしない盟約
トドメを刺されたような気がした。下手したらナイフで心臓を抉り出されるより痛いかもしれない。おれはここなら、居たいと思えているのかもと錯覚してしまいそうになる。早くいらないと棄てて欲しいのに。
そんなことされてみろ。
「──消えづらくなっちゃうじゃんか、そういうテンプレに弱いんだ。知ってる癖に」
必死に涙を堪える。でも、取り繕う余力はなくて口は震えて声もどんどんと水を得ていく。
「えっ、うそ⁈重かった! 悪りぃ……死ぬなって言ったわけじゃ……いや、思っとるけども!」
彼はまた慌てふためいて、おれの目元を拭うのにタオルかハンカチかで右往左往している。察しがいいんだか悪いんだか。でもこれで確信した。彼はおれに、こんな俺に、裸で向き合おうとしてくれている。
だから一回だけ。
「ーありがとう。消える予定が半日おじゃんになりそうだ」
さてと。
「……皿洗いぐらいのエネルギーにはなったかな」
「顔ぉ! 虚無るの早っ! 今感動のフィナーレっぽかったのにぃ」
泣き疲れたからだよ、馬鹿。
「フィナーレ、か。CM明けに死んでほしいの……? w」
「欲しくない!……せめて後ワンクール分は生きてっ、って何言わせてんだ! 死ななくてもやってけるうちははずっと生きててくださいぃ、お願いだからぁ!」
「善処する」
「善処かぁ……いっけね、こんな時間じゃん? お前今日オンライン? それとも休む? 一緒にくる?」
「今日元々授業ない、早くいけ。書生さん」
「うっす」
こうして、今日も俺はまた独りにもどった。
テレビ見て、動画見て、ゲームして、自動再生される怨嗟や今後の不安に背を向けられるよう、他の情報でかき消していたがいよいよネタが尽きてきた。やることなすこと何も楽しくないのに「夜以外は起きていろ」なんて酷な話だ。
昼になって少し元気が回復してきたので、無謀にもなぜこんな事態に陥ったか考えてみることにした。
うちの両親は、昔気質というか町内で顔が立つほどの努力家だった。父は言わずもがな、母は今も人の役に立ちたいと、働きに出ていると思う。
そんなしゃにむににひた走ることをキツいとも思わない、いや、これでは
彼らは上手く痛みを殺せる才能があったのだろう。痛みを堪えて前を見据える力があったのだろう。だが俺には無理だった。それに気づいたのは中学に入ってすぐのことだった。
元々勉強嫌いでテストが振るわなかったおれはテストの通知表に鉛筆で穴を開けて点数をパッチワークのようにして別の紙に書いたものを裏から貼り付けた。いわゆる改竄だ。
おおよそ中学生にしてこれか、と頭を抱えたくなるような小細工だったからすぐにバレ、しこたま飛んできた。両親それぞれから一発もらった記憶もある。
それでおれも心を入れ替え、誰かに誇れるようになりたいと勉強も運動も必死で頑張った。そうしたら何とか学年で十何位のところまでは安定して取れるようになった。
おれは両親を毒親の類だと思っていない。むしろ愛してくれていることはひしと伝わってきた。だが、愛するが故に妥協を赦してはくれなかったのだ。とくに確たる証拠のない体調不良には。特に母はそうだった。
昔から「あなたはできるのに肝心なところで逃げ癖があるから上手くいくものもいかないの」と言われ続けていたため、何となくだるいから休みたいと言おうもんならすぐ「熱がないなら大丈夫だから、行っちゃえば慣れるから頑張りなさい」と背中を押してくれた。何度も何度も。
そうして、行くというまでその問答が続くので、いつしかおれも鬱屈としたものを抱え込むようになった。青信号しか写さなくなった信号機は、両親にではなくおれの頭にいつしか付け替えられていた。
高校生になってからも何度か限界は来て、その度ことに訴えてきたものの、「大丈夫」、「頑張って、できるから」、終いには「そんなに嫌なら辞めちゃえば?」とほっぽり出されそうになったこともある。それでも子供ゆえか、母の愛に応えたい一心で、締めには必ず「ごめん、ちょっとサボろうとしてたかも」とこぼしていた。
「おれはどうしてこんな簡単なこともできないんだ」
「みんな俺のことを考えていってくれてるんだぞ、それに応えないでどうする」
「こんな安っぽい理由で引き返していいのか。
ーただクソ
「っ⁈……やめよう、深くまで掘りすぎた。今は母さんも父さんも関係ない。休むしかないんだ……休むしか……」
実際、休学の手続きをとるときも一悶着発生しそうになったが、和陽が勝手に気づいたことにして場を諌めてくれた。あいつはいいやつだ。下劣で薄汚い、早くここから消えるべきおれとは正反対に輝いて。
でもそんなあいつが、倫理感や義理ではなく本心から隣にいたいと言ってくれているとしたら。
「……信じられなくてごめん。ただもう少しだけ、待っててくんないかなぁ……、湿っぽい、はぁ……もう一眠りできたらいいなぁ」
空を見ると西陽が傾き始めていた。辛さと、消えたい衝動とせめぎ合いながら、和陽をその名前で呼べる日が来ればいいと思いながら。悟られぬようにもう一度寝室に向かった。