一、
「ハッピーハロウィン!」
「まずおはようが先だろ」
あっ、今日ハロウィンか。別に意識していたわけでもないが、おれが「
感傷に浸るべきなのか、よくぞ堪えてやったと称えてやるべきなのか、なんにせよ複雑な気分だ。なぜなら──。
──
左の薬指に輪をかける。真ん中にはいつも通り、紫の
この命も。この指輪も全部こいつに
「飯食ったら早く大学行くぞ」
「わかってますって」
そうじゃなきゃおれは。
おれは
だから先生は一度止めたのだろう。治ってもいないのにまた傷を増やすような真似を
どうやら命が議題に上がる場所では
おれの
そばに誰かがいなければ今頃おれは。
望んでいるはずなのに恐ろしくてたまらなかった。
それに気づいたとき、おれは初めて今までのものが自分の怠慢ではなく、治癒する兆しの見えない
「それまだつけてんだ」
和陽が茶化す調子で聞いてきた。
「別にいいだろ、学則ももうあってないようなもんだし」
「いやあるだろw、一応さぁ」
「もう意味の通るものしかないだろって話だよ」
自分だって「勉学に関係のないもの」を持ってきてるだろうが。と左側を見る。黄色だった。
「
その声はひどく嬉しそうだった。
確かに今までのおれは、事実は事実、嘘は嘘、主観は主観、──目の前にある確証のあるもの以外には酷く冷めていた。
占いも願掛けも、所詮は
でも今は、痛いものは
目を背けていても、ほんとうは、近くで疼いているのだろう。嫌悪も親愛も
「
「だよなぁ、じゃあまた昼んときに!」
「……おう。てか、お前1限東棟じゃなかったっけ」
「ん⁈……やっべぇ、今日オレ反対側だった……! でも走れば間に合う……じゃなっ!」
(せわしねーやつ)
そう思いながら振り返らずに和陽の足音を
────
「ここまで私達は文豪と呼ばれる方たちがなぜその時代に筆を執り、いかにして大作を作り上げてきたか……その想いを紐解いて参りました。ここにいる多くの方は大学2年ももう後ろのほうだと思います。なので。私から一言、皆さんに申し上げたいことがあります」
そう言って
「大学生の皆さんであればご存知の方もいるかと思いますが、この文字には二つの読みがあります。みとめる、以外の読み方がわかる方はぁ……、そうですね、燈沓くん。いってみましょうか」
うっわ、おれかよ……あんまり目立つの苦手って言ってんのに。
「したためる、
おれはあくまで当てずっぽうを装った。
「では、この読み下し方をした時の意味は?」
「ぅぐっ……」
おれは息を飲んだ。この先生はマジでわからない学生には詰めないくせに、わからない
「……手紙、とか思いを込めて書いたことを伝える時に『書く』を強める言い方とかですかね」
とかですかね、ではない。……
「完璧です。ありがとうございます」
「ぅす」
「今燈沓くんが答えてくれたように……
最後はうちの文学部名物「書いてみてね」オチだったが、不思議と今朝思っていたことと重なって見えた。
嘘を
例え、それが
それぐらい、
だから、恩義であれ、誰かへの謝意であれ、感じたことを
おれは……
「
自分の物語を、インクのかすれた
原稿用紙なんかそこにはないけど、おれは望むと望まざるとに関わらず、
(それだけは……肯定してやんなきゃかな)
「食堂行くか……」
二、お菓子くれなきゃ……
「おっ、やりぃ♪」
「何がだよ」
「これこれ……一個っつどーぞだって」
オレが目を輝かせたのは「Happy Halloween♪」と書かれた手書きのポップ。どうやら食券1枚につきかぼちゃのフィナンシェを1個サービスしてくれるというのだ。
「おっ、なんかポテトのフレーバーもかぼちゃ味になってる! 頼んじゃお」
「お前こういう
「行事が好きで何が悪いんだよ」
「流石に二十歳間近で千歳飴は自分で作って食わない」
「あれはちょっとした出来心だって」
「動機が子供すぎんだよ、8割方食いもんだろ」
「ぎくっ。気持ちがいつまでも若いってことでおひとつ……」
「幼すぎ」
「辛辣ぅ……!」
席について日替わり弁当の蓋を開ける。今日は煮魚だった。やっぱり毎日毎食台所に立つのは時間も余力もないのでついつい後でつまめるように学食で多めに買い込んでじゃうのはオレの悪いくせだ。
「……作れない日は弁当でも買ってくるっつってんだろ。無理すんなよ、色々と」
「無理してんのはお互い様だろ?ベクトルは違うけど、おれは支えられるところでお前の手伝いができりゃいいんだって」
「……早めに言えよ」
「どの口がw」
「善処します」
「よろしい!」
話題のストックが切れかかってきたところで、ちょうどいいのが降ってきた。
「なぁ、Trick or Treatのトリートってどういう意味?」
「はぁ?」
「いやトリックはイタズラってのはわかるけど、なんでトリートがお菓子くれになんのかわかんなくね?
【お菓子くれなきゃイタズラするぞ】かもしくは【お菓子かイタズラか】と訳されるそれがどうしてハロウィンの文脈を込みにしても「
「──頑張ったな」
「何だその間はぁ⁈いつまでもオレのことバカ扱いすんなよ!」
「いやそんな芯を食った質問が来ると思ってなくて……今まで調べずに即だったから」
「やっぱバカにしてる! で? そこのところどうなんだよ」
「おれにお
「はぇ? ──嘘!?」
「マジ。引いてみろ、あるから」
調べてみると本当に、扱うという意味の他に「もてなす、(食事に)招く」という意味があった。でもいきなり奢れ、に行くのはいくらなんでも飛躍してる気がする。おれが驚くようなパンチラインのためにわざと言っているような感じもした。
「──にしたって奢れはないだろ」
「
「まぁ、そうやらなくもないか……って! やっぱり意訳入ってんじゃねーか、反応面白がってるだろ!」
「へへっ、どうだか」
「なんだよも〜、あとさ、もう一個あんだよね。よく手塩にかけるとか言うじゃん?」
「おぉ」
「でも、敵に塩を送るとか傷口に塩を塗るとか悪い意味のもあるなぁと思って。なんで同じ漢字なのに慣用句だと意味変わんのかね」
「それはまず前提が違う」
「否定が早い! もうちょい一緒に悩んでくれたっていーだろ〜?」
「手塩っていうのは卓上調味料のこと。
「えっ? そうなの?」
「塩っていうのは救援物資だから、敵に塩を送ってわざわざ
「は?」
「普通に考えたら敵に得させるようなことしないだろ。でも人道上とか、
「へー。悪い意味ばっかじゃねーんだなぁ」
オレは素直に感心した。秋瓢は単純にオレより多くの言葉を知ってる。その言葉の海の中でもがいて溺れてこうなった。
でも、じゃあ……オレは──
「傷口に塩塗りたくっちゃったな」
助けて、なんで言われてないのに。自分が塩を送ってるつもりで、その
余計なことして、
後始末が綺麗にできてればいいなんてことはないのに。
「痛いよ、確かに」
ほら、やっぱり。
「息を吸うのも、お前の隣にいるのも、ちゃんと歩けてる気がしなくて怖いし痛い」
「けど……塩はちゃんとおれにとって
これは
「そっかぁ……ならよかったぁ」
言葉も行動も、いいか悪いかは受け取る相手によって変わる。送った側も本当はどっちかわからないんじゃないかって最近思うようになった。でも、取り繕うのが上手い君が渋らずに受け取ってくれるうちは「善いもの」を渡せたと思ってて、いいのかなぁ……、オレの楽しいを優先しても、君が苦しまなくて済むのかなぁ……? それも開けてみないとわからないんだろう。だったら消毒の準備だけはしておくつもり。
「じゃあ、ガーゼの準備はしておくな? ……ふいに傷つけちゃったらやだし」
「ご自由に」
「おう!」
「──Trick or Treat……?」
「オレお菓子持ってないよ? しかもなぜに疑問形?」
「なんか
「じゃあお前の手料理」
「えぇ……牛丼とかじゃダメ……?」
「いたずらすんぞ」
「シャレにならん……わかったよ。何食いたいの?」
「かぼちゃの煮付け!」
「そこまでハロウィンかよ……」
年1の行事なんだぞ、たまのワガママぐらいいいだろ? まぁ、お前といられればそれが最上の
三.傷口に飴
「ごちそうさまでした!」
「お粗末さまでした……味付け大丈夫だった……?」
「ん! ばっちし、甘かった!」
「お前は失敗しても食ってくれるから聞いたんだよ……」
「ほんとにミスってなかったって、おいしかったぜ?」
それを聞いて初めて胸を撫で下ろす。一食分フルで任されたのは初めてだった。
「なんか微妙に余ってる……1.5人分ぐらい」
「じゃあ邑くんにあげたら? それこそいつものお返しに」
「そうだね……」
今晩のカボチャの煮付けは、初めて作ったにしてはいい塩梅に優しい甘さ仕上がったと自分でも思う。人さまにに差し上げるほど上等とは言えないが。
玄関に出る前に、
さっきとはまた違う、ほのかなレモンの甘みがすっと鼻を抜けていく。
2人の──事情を知っている人たちの甘さや温かさは丁度こんなものかもしれない。拒む隙もなく、体に染み入ってくる。
傷口に塩、ではなく傷口に
おれはこんな優しさを、いつか、
そのためにはまず、おれ自身をどうにかしないといけないらしいのだが……前途多難だ。
「すっくぅん、いる……?」
「はい、今出ます!」
「夕飯でカボチャの煮付け作ったんだけど、余っちゃって……貰ってくんないかな……今日ハロウィンだし……?」
すっくんはやけに青白い顔をしていた。何か凄惨なものを目撃してきたような感じだ。それこそ事件とか…
「どうした? 具合悪い……?」
「いえっ、ちょっと出先で色々あって疲れが出ちゃって……お料理はありがたくいただきますね……また別の日になんか作って持ってきます」
「無理しないようにな、それじゃ」
「はい! ……おやすみなさい」
「おやすみ……」
まあ他人が深く立ち入ることでもないのだろう。それに今は触り方を色々ミスりそうだ。
「──お礼はまた今度だな」
気恥ずかしく思いつつも、お礼が流れたことを失敗ととらなくなったのは、ひとまず成長とみていいんだろうか。