一、ブラックボックス
自己嫌悪と消滅願望という最悪な取り合わせの病の床に臥してから、友達──もっというと知り合い──の輪を広げてこれたのは全部和陽のおかげだった。あいつが取り回してくれるから、おれはヒトらしい生活を踏み外さずにやれている。ここは概ね認めねばならない。
やはりというべきか、自分から友達になってください、と言えた試しは今のところない。
──はずだった。
最近、そんなおれにも自分のコネクションだけで知り合いができていた、ただし、だいぶ
「燈沓先生、アボカドバーガー買ったんすけど、2個食う気なくなったんで貰ってくれません?w」
寝癖のようにはねた髪はパールにくすけたブロンズのような色の短髪。サイケなパーカーを目深にかぶった高い背丈は猫背で、髪質も猫っ毛。上の歯には牙めいた歯が一本ずつあり、いつも悪戯っぽい微笑を湛えている。世が世なら顔出し厳禁でホワイトハッカーでもやってそうなアングラ系の出で立ちだ。口八丁手八丁な雰囲気も少しある。
「食ったやつ? だったらいらない」
「食おうと
「やつって言うな……口つけてないならもらう」
「
「そろそろ本当に殴んぞ」
「まぁまぁ〜、んぁ? きょー、遠輿さんいないんすか」
「いないんじゃないよ、たまたま別棟で授業受けてるだけ」
こいつは和陽とはまた別種の
和陽が
和陽の差し伸べる手にはありがたさと同時に申し訳なく思うことが多いが、こいつの場合はそういう配慮が良くも悪くも感じられない。いつ
手を差し伸べて強く引き込み、時にはこちらの温度に
そのどちらもがおれには必要だった。支え、歩み寄ってもらうだけではなく、知り合った
「ちぇ〜、遠輿さんとも遊びたかったのになぁ〜」
カシュッと響く炭酸の音。こいつは見かけるといつもエナドリを飲んでる気がする。
「それって美味いの」
「美味いっつーか、食えない時のつなぎっすね。カロリーは取っとかないとなんで」
「それ一番ヤバい取り方だからな」
「ぼくそんなヤバいやつに見えます?w」
正直ヤバいやつではない──即座に交友を考え直そうとするほどのそれではなかったが、だいぶ
「ヤバいやつではないけど……白黒はっきりしてそう」
「だいぶ言い方間ぁありましたよ今w」
つまるところ……こいつもこいつで病んでいた。そうなった
「先生」というのは文化祭の時に壇上に上がったところを見られていたらしく、「一度でも本出せば先生」という出すところに出せば手が出てきそうな暴論の下、おれを茶化すときの呼称として定着してしまった。
おれの身の上話をさぞや楽しそうに聞かれた時は流石に一言言ってやろうかと思ったが、話を聞いているうちに握り込んだ
今のノリのいいところは
ただ自分が、「何者でもないこと」、否。周りがどんどん変わっていくことに
つまり、今の今まで本人には、自分を否定したくなるような、悩みも葛藤もなかったというのだ。影の住人たるおれには願ってもない境遇だった。
おれでは願ってもそこには辿り着けないのに、こんなことで苛むなんて。あまりに飄々と話すので、わざと言っているのかと勘ぐり、おれへの当てつけかと皮肉を言ってやったりもした。
そうしたら彼は「やっぱそうっすよねぇ」とケタケタ薄ら笑いを浮かべていた。この目はおれも幾度か見たことがある。──鏡で。
自分に対する嘲笑だった。目元が笑ってなかった。
彼は人に羨まれる
……とおれは解釈した。人の話に
「人の話聞いてると、ジェットコースター乗ってるみたいでワクワクすんすよね」とか言い出した時点でアンテナが多分違う方を向いてることは明らかだった。
『ぼくがこうなった理由を話してもみんな上の空なんすよwなんか相槌しながら聞いてたら急に嘲笑ってんのかとか人の話聞く態度じゃねーとか、キレ出すやつもいて……昔から人の話聞くの好きだったんすけど、みんなが思春期とかそういうのになってく中で、ぼくにはなんもなかったんすよねぇ……、だからなのか、変わってけない自分が変に思えてきて。
──いつの間にか、今のがちゃんと幸せってんだったら、笑ってないと気がおかしくなりそうで──、なぁんて』
『人の話、
最後の声は潤んでいた。情けなんかかけてやるつもりもなかったのにおれはこいつのことが少々不憫に思えてきた。だから今もこうして、おれの
おれ以外にも話すやつはもちろんいるようで、そういう荷が重い話を誰彼構わず放火して、相手が背負えないと見るや否や、最後にはきっちりこう言うのだ。
「人間、会う人みんな
おれみたいに自分に失望したわけでも、和陽みたく、誰かに当てられていくうちに自分の抱えていたものに気づいたわけでもない、おちゃらけキャラを演じて自ら瓦解したわけでもない……と思う。
ただただ、自分にとっての自分が「なんでもなかった」から、「自分で焦って」こうなった。自壊と言えば自壊なのだろう。
共感や察知ができないのではなく、それをした上で「色々あっていいなぁ」と純度100
こう言われたこともある。
「
本人にとってそんな気はさらさらないのはわかってるし、心配も興奮も本心なのだろう。──だが、これを万人が「苦悩してきたことを理解された」と取るかと言われると多分
おれは薄っぺらい
でも、和陽に揉まれてなかったり、最初に会ったのがこいつだったりしたならおれは耐えられていないだろう。
安堵すべきなのは、彼が自分の性格を「難あり」だと自負していること。飄々とした見た目とは裏腹に、
相手が嫌だと言えばすっぱり手は引けるやつのようだった。
「なぁ、宗鞠」
「なんすか?」
「おれなんかで、
「なんか、なんて言わんでくださいよぉ……、ぼくに飽きないでくれるだけでも大事な方ですから、燈沓さんと友達なれてちょー楽しみ増えたんすよ!」
ああ、おれはその含みを持ったような余裕のある笑みが──疎ましくて、世話を焼いてしまいたくなるのだ。おれに対しての和陽の脳の焼かれ方もそんな感じなんだろうか。
「あっそ、じゃあダメ男同士ゆるーく繋がってやってもいーよ」
「あざます! じゃあもっと甘えちゃおっかなぁ♪」
「すぐにでもうちに入り浸りそうだからやっぱ撤回」
「手厳しーすねぇ」
面と向かって悠々と殴りたくなってくるほど気を許した知り合いができたという点では、また一つ心に余裕ができた証左な気がしなくもない。
二、穴があったら……
ぼくはこの20年間、何不自由ない生活を送ってきた。父さんや母さんとの仲は今でもずっといいし、大学も頑張れば頑張った分だけ成績がついてくる。言っちゃえば、
だから、ぼくは他の人と関わるのが好きだった。自分では考えきれないたくさんの山を超えている人がいる。たくさん考えて、悩んでる人がいる。
その話を聞いてるとワクワクしてきた。まるで
でも──それを口に出して話せた人間は少ない。みんなは口を揃えてぼくにこう言ってきた。
「漆塚くんと話してると面白いんだけど、悩み相談までしたいかっていうとそれはまた別っていうか……共感してもらえてる感じしないんだよね……」
「お前逆に面白がってるだろ! こっちは真剣に悩んでんだぞ!」
何かを仕損じたわけではない、無粋なことを言ったような気配はなかった。でも、何かボタンを掛け違ったらしい。ぼくは前のめりになって人の話を聞くとなるとてんでダメだった。
そしてゆくゆくは──
「いいよなぁ、宗鞠は。悩んだことなさそうで、俺も宗鞠みてぇな器用さ欲しいわぁ」
「バカやる時は楽しいんだけど、ガチな話する時だけはちょっとズレてんだよ。楽しそうにされるとちょっとちがうっつーか。いいやつだとは思ってるよ。めっちゃ応援してくれるし。でも今欲しいのそれじゃないんだよなぁ……ごめん!」
「お前そういう環境にいることマジで感謝した方がいいぞ。みんながみんなお前みたいに生活に不満ないわけじゃねーんだから」
全て事実だった。親に反抗的な態度をとったこともないし、そもそも反抗期がなんだったのかもわからない。親は親。ぼくはぼく。それぞれやることやってりゃそれでいいと思ってたから。
ぼくは空気が読めていないのか? というとそれは違うらしい。
「逆に空気読めすぎて裏がある感じっつーの? なんか怖い時あるんだわお前……むしゃくしゃしてさぁ、八つ当たりしたくなったこととかねーの?」
「ないよそんなの、みんな優しいから」
「……お前に言っても仕方ないよな……お前は全然悪くない、悪りぃなこんな話して」
違う、違う! ……もっとぼくと話そう? やめないで!
────────
最近になってようやく気づいた。
人の話を
ぼくは単純にその人のことに興味があって聞いている。聞き役になったって構わない。むしろどう思うかを聞かれて
わからないことをわかったふりするのが苦手だったみたい。
ぼくの辞書には、その人が感じたものを表す言葉がない。
それがウズウズした。それが感情の機微だと思ってた。
会って話して、はじめて、その人の感じたものが
それを愉しんじゃいけなかったらしい。全てを順風満帆にこなしてきた奴が、簡単にエールなんて送っちゃいけなかったらしい。
そこからぼくの
ぼくの人生は全部満ち足りててつまらない。──だから、どこか欠けたいと思うようになった。
軽薄だと
そうしてぼくの作った
悪ぶりたかったわけではないけど、
「ちゃっす! 漆塚宗鞠って言います! どーぞよろしくぅ」
気持ちかったなぁ、楽しいなぁって思ってたら、演技だったのか自分で選んだのかわかんなくなってた。
でもこれでよかったんだと思う。自分のこと嫌いになるよりもっと前に吹っ切れたんだから。
人からアブなそうな奴って言われたって実際に後ろ暗いことはしてないし、やることはきちんとこなしてる。
自分をすり減らしてまで
「一個一個で逡巡しちまうようなモンなら、はなから選ばない方が
世間がそれを手緩いと呼ぶのなら実力を見せてやりゃあいい。だってぼくはなんだってやれるんだから。
本気出せる時に本気出して、それで生活が回るなら、毎日をガチって生きる必要はきっとないんだろう。
ぼくは今日も、明日もきっと他人と
それでもぼくに構ってくれる人たちがいるこの
「腹減ったなぁ〜w」
晩飯は誰と食べようか。
三.闖入者は素知らぬ顔で。
最近オレの知らない間に秋瓢に
「あの秋瓢が自分で友達になりにいくとはなぁ〜」
「……勝手に名乗られてるだけ」
「またまたぁ、そう言っちゃって仲良くしてもらってんだろ〜」
「だから
「だったらなおさらお礼言わないとじゃんか」
いっつも手を繋いでるつもりも、そうしたい気持ちもないし、秋瓢が好きな人が一人でも増えて欲しい派のオレはこのニュースにやきもちを焼くどころか会ってみたいとすら思っていた。オレ以外に秋瓢が自分から下の名前で呼んで「会うのは
「宗鞠、お望み通り和陽連れてきたよ」
「いつも
「だからお前は母さんかって」
「きゅーにお呼び立てしてすんませんw、ご挨拶がまだだったんで。鎮塚宗鞠でぇす」
見た瞬間にわかった。この人は純度100パーの陽キャだ。冷笑とかそういうんじゃなくて、根っからみんなと仲良くしたいタイプのいい人感がビンビンに出てた。でも……
「常時バイブスぶち上げてそうな人だね……」
「お前それ若干悪口だぞ」
「すんませんっ!」
「ラップとかド下手っすよ、ぼくw……まぁ、ぼくも口達者な方なんで言えねーけど」
ちょっと待てお前、この手のタイプは大の苦手なはずでは……?
「お前……もっとオブラートに包めないわけ?」
「何が?」
「顔に出てるよ、グイグイくるタイプ苦手なくせにって、こいつも色々抱えてっから
傷舐めあってる⁈ここまでドストレートに互助的関係表現することある……⁈
「なんか流石にジェラってきたかも……」
「ほらこうなるから会わせたくなかったんだよ」
「だってオレには滅多にデレてくんないんだもん」
「ふくくっ、やっぱ仲良いんすね。羨まし〜」
その目は軽薄そうに見えて、本当に尊ぶものを見ているような視線だった。──もう手には届かないものを見るような。ヘラついた瞳の奥に、羨望の二文字がありありと浮かんできた。
あぁ、確かにこの人も──何か抱えてこうなって、何かのはずみで秋瓢と言葉を交わして今があるんだろう。オレほど秋瓢に脳を焼かれたとは思えないけど。
「よかったらぼくのことも構いにきてください! 遠輿さん!」
「一応……同い年ですよね?」
「そっすね。でもぼく、さん付け徹底してんすよ。なんか喋り方から信用されにくいらしくてw」
なんかわかった気がする。手のかかる子ほど可愛く見えるっていうアレかもしれない。
「ぽっと出のやつにベスポジは渡さないからなぁ」
「ヤバっ、なんか変なスイッチ入れちゃった感じっすか?w、安心していっすよ、空いてるとこでじゅーぶんすから」
「おまっ、やっぱ狙ってんじゃねーかぁ!」
あっ、なんかいいやつっぽそう……オレも無事陥落しそうだ。何がとは言わないけど巧いなぁ。
「おれのまわりって人たらししか集まってこない呪いでもかかってんのかな」
「そのままどんどん脇甘くなってけ秋瓢ぁw」
「シャレになんねーからやめろ」
「やっぱオレにだけ当たり強くね……?」
「
「物は言いよう!」
「だははっ、コントみてーw、やっぱ好きになれそっすお二人のこと!」
「なんか別の意味で嗤われてる気がするぅ……納得いかねー!」
でもまぁ、多少