一、
季節はあれから少し流れ、夏を迎えていた。オレたち大学生にとって運命の瞬間、成績の通知が届くときも刻々と迫っていた
「考査レポの結果返ってきてる……可! 可でいいから!」
「朝からうるせぇなぁ、ちゃんと通学できてないおれに言われても癪だろうけど」
「ぅわっ……びっくりしたぁ、背後に立つなっつってんでしょうが! てかお前はリモートも出席に入ってるから余裕でテスト受けれてるだろ!」
「へへっ」
あれから秋瓢の性格は一回り陰を落としていた。さらにボサボサになった短髪に光を少しも返さない目、幽霊か、はたまた、ただの見間違いか、とも言われるような覇気のない猫背に、諦観の色を載せた、退廃的でアンニュイな青年へと変わってしまっていた。言うなれば、低い位置で、──地獄の釜の底から、元気を取り戻している。
結果から言えば高校生の頃から、病名はつかないものの、重い抑うつ状態を悪化させ続けてしまったようで、仮休学ならびにリモート講義を継続し、来期から慣らし通学を始め、本格的な通学は3年次からを目指そうとなったらしい。
「……落単ない! やったぁ……しかも良以上だ!」
「あんだけ頑張ってりゃ当然でしょ、お疲れさん」
「ありがと〜」
「すりすりすんな」
「……で、肝心なのは執筆論考の考査レポートの方だ、落ちてないのは確定したけど……、優? 嘘⁈
「だからうっさいって」
「悪りぃw」
2人は同じ大学の文学部、オレは執筆・文学論学科、秋瓢は現代文史学科に属している。
「ん〜? なになに。『まずはレポート執筆お疲れ様でした。遠輿くんが受講生でいの一番に出したとは思えない量の考察、感服いたしました、熱量は買いますが、いつものように言い回しが迂遠な箇所があるのと、少々レポートとしては推敲が必要な場所もありました。良くなってますので、引き続き読みどころをつけられるように慣れていきましょう』はいはい、いつもの『レポート長かったです』の嫌味ね……」
『さて、今回のレポートの議題である「日常的(私文的)な文章と、文学としての文章の違い』についての貴方の考えですが、「書き手の主観で完結しうる、誰に見せようともしない私文書に対し、文学としての文章はジャンルを問わず、読者の気を惹くためにその感情や物語を飾り付け、時には嘘をつく/つかせることがある、二者は相互的である」という部分がありましたね。この視点で書いている受講生は貴方1人だけでした。面白い視点です。確かに読み手に対するフックとして(?マークのようなもの持ってもらう技巧として)描写を膨らませたり、全くあり得ないものに準えることがあると扱いました。ただ、それを「嘘」とするにはいささか論拠が足りない。ではこの答えに辿り着いた貴方に一つ聞きます。ノンフィクションや伝記などそこにあるもの題材にしたものがある中で、そこにも嘘は存在し得ると考えますか?』
「……褒められてんのこれ?」
「……褒められてはないけど、膝は打ってると思う」
「膝打つ? 何それ」
「お前それでも文学部かよ、なるほどって思ったってこと」
「……あんなんで⁈」
「著者が驚くなよ……まぁ、単位もらってんだから答え作っときなよ」
「うーぃ」
自室に戻って椅子に腰掛ける。そもそも文章を読むのも書くのも大の苦手でからっきしだったオレが、「ノンフィクションや伝記などそこにあるもの題材にしたものがある中で、そこにも嘘は存在し得ると考えますか?」
──なんて答えを持ってるわけがない。
だってオレが文学部に身一つで入ったのは秋瓢のせいだ。「気持ちを装飾で飾れば紙の上の嘘になってくれるんじゃないか」とか、あいつの書く文章が、病んだ病床で吐く言葉が鮮烈に脳に、
「でも……小説家になりたいとか、ライター目指す言ってる奴らかしたら……だいぶ邪だよなぁオレの動機」
みんなには大学の先があるのに、オレには秋瓢に向けられた『今』しかここに居続けるモチベがないのだ。
下手すりゃ大学なんて行かなくても果たせるもののはずなのに。なんでオレはここを選んだんだ? 脳を焼かれた人間と一緒にいたいという以外のオレの文字書きとしての
ーこれか。
オレは今、オレに嘘をついてるんだ。アイツに向けたい熱情を、信頼を、生きていてくれという渇望を、文学部という隠れ蓑の中で果たそうとしている。裸のまま向けていい感情ではないと体が叫んでいるから。あいつへの
あいつが受け止めきれそうにないからと、言い訳をして。 結論、真実の中にすら嘘があるのだからノンフィクションの中にも嘘(書かれていないことや誇張)はありうる、ということになろう。
じゃあ──
「──オレのも、終わらないわけないのになぁ」
そっか、終わっちゃうかもしんないのか。
オレが
オレの想いは、かけた時間は? って……そういう話じゃないのはわかってる。終わってもきっと続く。残っていくもののはずだ。いや、これは見苦しいまでの願いだ。オレはこの瞬間まで、くじを引くまでの見えない機体と絶望感を抱き続けているのかもしれない。願いと共に。
でも、消えてなくなっちゃう可能性もある気がする。
でも、なんか、それは──
「やだなぁ……」
ふと下を向くと、ノートの切れっ端が滲んでいる。泣いてんのかオレ。まさかあいつに……? いやいや、そんな……、でも涙が止まらない。黒い服を着て「燈沓くん」の写真を見ている未来なんて耐えられない。それが容易に想像できるから余計に込み上げてくる。
愛してないのになんで?
いや、大好きだ。これは恋ではなく、──恋の侵入をゆるさない情愛だ。きっと、友達のまま燃え続けるしかない消えない業火のようなもの。だから相手がいないとなると苦しいし泣けてくるのだろう。だとしたらこんな重いものを向けてごめんな、秋瓢。
「脳揺さぶられてから涙脆くなっちゃったぁ、どーしよ」
幸せすぎると、幸せじゃなくなった時のことを考えすぎるのかもしれない。
苦しいけど、嬉しいもんだなぁ。
二.
「著者が驚くなよ……まぁ、単位もらってんだから答え作っときなよ」
「うーぃ」
そう言ってなんでもないやり取りを繰り返していくうちに、おれは鬱屈とした気持ちのままで、
「あんまり考えたり、頑張りすぎないようにね。君の場合休むことを意識しないとやりすぎますから」
学生支援の先生には今もまだ頑張りすぎの部類にはいるらしいが、何かやってないと苛まれるのだから勉学ぐらい好きにやらせてほしいと生まれて初めてゴネて収まるところに収まっている。いくらそれが最前とはいえ、穀潰しと呼ばれたくはない。
くぁ……とあくびを噛み殺しPCを開く。並ぶのは秀か優と、良がすこし(多分ディスカッションがあった授業だろう)。うちは事情で元々リモートでやってる学生もちらほらいるから理由もバレづらいし、テストさえあらかた解ければ評価に事欠かないのは救いだと思っている。
「しゃす、先生」
画面に向かって小さく頭を下げた。いくらあんまりあってないとはいえ、現地組と差をつけないでいてくれたことには頭が上がらない。
「あっ、そういえば、新しいガシャ今日からだったな」
これでいい(これ以上を求めても仕方ない)と思ってから娯楽の類も少しだけは楽しめるようになったため、最近はバトル育成もののソシャゲに微課金するぐらいで、
「今回のは曲が良さそうだからな……一枚確保できればいいけど」
最高レアリティのカードにはそのキャラが歌う戦闘BGMがつくので、おれはほぼ曲目当てこのゲームをプレイしている。
「20連分ぐらいしかないけど、課金したから出るはず……」
結果、出なかった。欲しかったキャラどころかピックアップが全く仕事をしていない。
こうなると事態は最悪だ。「金をドブに捨てた」と思い込んで怨嗟が渦を撒き始める。
「……働きもしてないのにこんなものに金使うなんて」
「お前ほんとは元気なんじゃないのかぁ?」
「和陽とかに申し訳なくないのか。この外道め」
「うぅ……」
キツすぎて床にへばるしかなくなったおれに一縷の光が差し込める……いや、誘惑か。
「猫丸大将軍……欲しかったな、もう一回課金すれば出そう」
「っ⁈ダメだって! セーブしてんだから!」
思わずひとりでに会話を始める
「でもこのままじゃ、ずっと苦しいままだよ? 、今はこのぐらいしか楽しめることないんだから。たまの贅沢だと思って」
こんなんで、もう一万なんか使っていいのか? とも思いつつ、ガチャを引く30分前だけは生きる気力のようなものが復活してきたのも事実だと思い返す。このままへばって迷惑かけるよりはマシだろう。
一瞬だけの
気がつくと、和陽の部屋の扉の前に立っていた。
「開けてくれ……大事な話がある」
「なになに⁈そんな改まって、顔上げろって!」
「もう一万だけ課金させてほしい、ほんとごめん」
「……貸せってこと?」
「違う、自分から出す」
「じゃあなんでオレに聞くんよw」
「いや、財布共同で使うって先月決めたばかりだし……」
「あぁ、言ってなかったけ? お前の遊興費は別立てにしてあるから、一気に5万とか使われん限りはキレねーよ」
そんなさも当然みたいな顔で言われると思ってなくておれは腰が抜けて立てなくなった。
「お前今、ポジティブな感情感じにくくなってんじゃん。だから、眉唾もんでにもそういうもんには一回手ェ出してみてほしいなぁって思ってたところだったから。むしろ、こういう普通の友達っぽいことで謝りに来てくれてオレすごい嬉しい、当たるといいな、猫丸大将軍」
「あり、がとう……、ってかなんでお前それ知ってんだよ」
「広告でめっちゃ流れてくるからさぁ、オレも始めちゃおっかなぁ」
「絶対やめて……まだ」
「まだぁ? wじゃあガチャするとこ見して」
「それはいいけど……」
チャリン♪ 【購入が完了しました】
「うっ……」
累計15,000円。入れてしまった。あんなに辞めようと思っていたのに。オレは
「おいおい、課金するたんびにそんな苦々しい顔してっから運気逃げんじゃねーの? wまぁ、金に堅実なのは見習わないとか」
「うるさい……!」
「さーせぇん」
……ガラガラ、
「障子閉まった……!」
『其処此処の武人とかぜーんぶ倒してしもうたんよにゃ〜、まぁ、それだけ俺さにゃが強いってことで♪』
出た、来てくれた! ……でも
「よかったぁ……、ん? 15000……ぁ〜……」
「出たことを喜ぼうぜ⁈……ほらほらPUもう一個引いてる!」
確率でちょっと負けてるのと使ってしまったののダブルパンチで、ほんとに引けていたのを確認するのに小一時間かかった。
数時間後、
「落ち着いたか? ほい、アイス買っといた」
「金の話したそばから……いや、こっちがいうことじゃないな、ほんとにごめん、次からは控えるから」
「でも、オレと比べてちゃんと出すし、きっぱりやめれるしで偉いよ〜? オレ出ても凸差とか気にして回しまくっちゃうから中学の頃親にソシャゲ禁止令出されてたもん」
「……中学から……? お前の方がヤベェな」
「だろ? 今は下見て安心しとけしとけ〜」
「おれと一緒に金遣い控えようか……?」
「はい……」
本当に目の前の物欲しさに金と手段がある時の物欲は凄まじい。こうでもしないとキツさを逃がせない自分にも辟易するが……今のおれには確率機は後悔しか残らない悪しき文明だ。
「ぁ〜っ」
「でもさぁ、ガチャみたいなくじ引きのドキドキも、こんな日の些細な幸せも、一時の射倖心の積み重ねで、一個一個はすぐ無くなってっちゃうもんなのかもな……ちょうどこのアイスみたいに、早く食べないと溶けてなくなる。けどうまいからまた次もまた次もって欲しくなる。そうやって古傷みたいに──治らないまで深く刻まれたものを思い出とか記憶って呼ぶのかも、だったらオレは、多少バカでもその時の俺が幸せな方を取りたい。もちろんお前が隣にいてくれたらもっとサイコー」
こいつの言葉はいくら迂遠でも、妙に確信をついてくる。あの教授が膝を打ったのも頷ける。抒情詩を読んでいる感覚に近いのだ。だからアイツはあの畑の中でも埋もれないで生きていけるだろう。
「あっそ」
そんなら、その命題が是なら、──もうおれの自己嫌悪は。
「だから、これからもーっとお前が嫌いな分おれがお前のこと大親友って思っとくから!」
「っ⁈……重いんだよお前は……おれなんかに惚れてんのか?」
「恋愛っつーいみではちげぇけど、ある意味ではー、そうかもね」
「……?」
おれをそうみていないと爽やかに言っておきながら、その顔がなぜか物悲しく見えて目の上のコブが一つ増えた気がした。