一、
オレは今立ち返って考えてみるとつくづく凡庸な人間だったと思う。何かデカい成功をして、天狗になった経験もなければ、何か大きくし損じている気もしない。ごくごく普通の二十年と数ヶ月。
家族とも、家族の中も仲は良いし、ギスギスしてるわけでもない。秋瓢はそれをおめでたい、という。「さしたる欠けもなく、本当に円満だ。花丸じゃないか」と。文字を書くことを主にしている学科にいる人間としては、──それが皮肉であれ、文字通りの賞賛であれ──こうも巧い
そんくらい普段のオレは
もしかして、言葉の引き出しがあいつに
だいぶ前の日記には病んだあいつにしか興味が湧かないんだとしたらオレは相当タチの悪い人間だ、的なことを書いていた気もする……だとしたらだいぶくびったけ。
でも
「っ……⁈」
マジでびっくりした。ここまで頭の中で喋ったことを無意識で書いているくせに文体があいつに聞かされているネチネチとした自嘲そっくり。会話では絶対そんなこと言わないのに。
でも──本当に、悪くない。むしろどんな人間になるかゾクゾクする。……あいつっぽくなったオレかぁ……って疼くてが止まらない。やばいなオレ。これが熱に当てられるっつーやつか。
でも──それを知ってしまったらあいつはもっと堕ちてしまう。傷を負ってしまう。「おれが和陽を汚したんだ」とまた部屋に閉じこもってしまうだろう。下手すりゃ本当に、顔を見れないまま
そこまで書いて──書いた内容を半分忘れながら階段を降りている。多分書き損じがめっちゃ多かったんだろう、とりあえず何かを書いていた。んで、シュレッダーにかけた。事の委細をすぐに忘れられるのは良い性格だと自分でも思う。思い出さない方がいいこともあるだろうから。ありがとうちょっと前のオレ。
「……ふぅ、あぶねー」
口をついて何か出ていた。よくわからん
「何が」
「何だろね、多分トイレ?」
「……疑問系なの何、お前実況してないと行動に移せないのかよ」
「ひでー言い草だな。……まぁ、口をついて出るところはみとめるけど、オレが悪ぅござんした」
本当に頭と口が繋がってそうなところは凝り固まったみたいに直らない。秋瓢だってストレートに言われたくないことだってあるだろうに。
「──でも、そういう踏ん切りのいいところは、おれにはないから、欲しいぐらいだけどね……」
褒められた。こんな素直に。めっちゃ嬉しい。
「もっかい!」
「……なんか言ったかなおれ」
「とぼけんなよ」
「お前の忘れぐせはこの速さだって言いたいだけ。それ以外は何も」
「ちぇ〜、次からはボイレコだなぁ……あっ」
思い出した。気に掛かっていたことがあったんだった。
「何だよ」
「この前さぁ、学部共通の課題で当たり前に疑問を持ったことについて論ぜよ、みたいなん出たじゃん」
「
「何で硬い方で言えんだよ」
「レポートにはこっちで書くの。それがルール」
「それもじゃん? 何でレポートはお堅い言葉で書か
「っ……大学は高等教育機関の一種なので学術的に機序を説明しないといけないからです」
「……んぁ〜! 勝てねー! 減らず口め!」
「勝ち負けじゃねーから……引き分けだよ。おれも気づかずに言ってたし。いー題材もらったわ。さんきゅ。で? それとは別なんだろ、聞きたいこと」
「お、おう……」
オレが思った、クリティカル・シンキング? の例。それは、「人間讃歌はなぜ人間讃歌なのか」だ。
「はぁ? そういうジャンルだからだろ。てかそれで書き切れる気?」
「じゃなくて! 最後まで話を聞けよぉ、人間讃歌とか、青春を謳歌するとか、何かすげーいいことを楽しもう、それってすごく素晴らしいんだよっていう時にさぁ、何で
ただ共感してほしい、「まぁ、頑張ってみれば?」ぐらいでよかった,この題材を見つけるのに三日三晩考えたのだ。その努力を讃えてくれ。さっきその話をしただろ?
だのに。
「……
「?」
「あるぞ、
「あ、の、なぁ! お前はすぐそーやって人の話の腰を……」
「こう返ってきたらどうすんだって聞いてんだ。ちゃんと反論できるのか? 冷静に」
何か言い返せないか考えている間に、あいつの顔も暗くなって。
「──ごめん、言いすぎた、いいんじゃね? 書けるだけ書いてみれば。人の思想にとやかくくってかかるからゴミなんだよ、おれは」
「へっ、なんで?? ……怒鳴ったから怒ってるって思ったとか。……おい、ちょっと待てって!」
何も答えないまま。秋瓢は自室へ引っ込んでいった。
二.
「……
「?」
「あるぞ、昏い話題のときのうた。まぁ、これは暗い話題だけってわけじゃねーけど」
「あ、の、なぁ! お前はすぐそーやって人の話の腰を……」
「こう返ってきたらどうすんだって聞いてんだ。ちゃんと反論できるのか? 、冷静に」
自分の声を耳にして。
「──ごめん、言いすぎた、いいんじゃね? 書けるだけ書いてみれば。人の思想にとやかくくってかかるからゴミなんだよ、おれは」
まるで不適切な表現を作風を守る為差し替えませんと断っておく走り書きのような、突貫工事の言葉だけを置いて逃げるように
──もうじき、
「……減らず口、か。本当にな。それが必要なのはおれなのに」
机にくしゃくしゃのまま置いてあるのは件のレポートの
──人間讃歌とか、青春を謳歌するとか、何かすげーいいことを楽しもう、それってすごく素晴らしいんだよっていう時にさぁ、何で歌ってつくのかなって思ったんだよ、歌の中には失恋だったり暗い話題のやつもあるのにさ、歌がつく言葉の中には
「にんげん、さんか……」
おそらく、大学に入って一年と半を回った学生たちにこの課題というのは、文学を紐解くにあたって……意識的に正反対なものを取り合わせ、読者を引き込む術があることを感じさせる、あるいは
前者に則るならば、幸せで、目立つ欠点もなく、優しい──和陽のような人たちでは、違和感を持つ
【人間惨禍】
そうだ、人間にはその多寡はべつにしても、自分を惨めったらしく思ったり、禍の中にいると思ってしまうこともある。かくいうおれは、その人々の間に突如として注ぎ込む
だから。
──近づかないでくれと言っただろう? 君みたいな綺麗な人が、汚れていくのを見たくないから
だから。
──望まないでくれと言っただろう? ……消えたいと希うしか無くなるから
ああ──
君みたいに、人の気づきを
──君みたいに、バカみたいな喜びを、日々のちょっとした発見を、起承転結にもならないような散文を……全てを幸せとして思い立ったまま人に話してみたかった。
多少の傷を笑って開けっぴろげにできるような
──君みたいに、
なりたかったなぁ
三.
まずい、まずい……どうしよう。
何か引いてはいけないトリガーを引いてしまったような気がする。触れたらすぐに暴発するような何かに触れてしまったような気がする。
だからオレは思慮が足りないと言われるんだ、浅はかだと言われるんだ。あんなに真っ向から「そんなにアホだとしっぺ返しを喰らうぞ」と教えてくれたのは家族以外に彼いないじゃないか。それを失ったら。いや、違う。それをみすみす
オレは生まれてこの方バカだった。バカなままでいいと思っていた。バカなままそれなりの点数を取って、バカなままそれなりの会社に入って、バカなまま誰かを好きになって、バカなまま人生に幕を閉じても構わないと思って。
バカなのがオレの当たり前だった。世の中の委細に目をくれず、鼻で笑われてもこれがオレだの世界だ、と済ませられる気がしてた。
思えば何で、あの時立ち止まらなかったんだろう。
なんで、彼の手を無理やり引っ張ったんだろう。
──そうだ、そうじゃないか。過去に立ち返ることができるようになったのは誰のおかげだ? 人の話に過去を感じられるようになったのは? 変化を知ったのは? ──
オレが変わる、変化を自覚した時の隣にはいつだって秋瓢がいた。あいつがオレに「世界を見ろ」と叫んでくれたんじゃないか? 何かあいつの文章に惹かれれて文壇の猿真似を始めただ。全部……
オレはこの非礼を、あの人に詫びなければなるまい。
今まで気づかなかった謝恩を、世界の麗らかさを教えてくれたことを伝えなければ気が済まない。
今すぐに、
膝をついて、
それがオレの……、オレたちの最初の一歩になる気がする。
四、
おれはこの非礼を、あの人に詫びなければなるまい。
純然な人を災禍で汚してしまうまえに、せめて人であるうちに今までの
今すぐに。
膝をついて。
首を垂れて陳謝するのだ。
それがおれの、それがオレだけの……最期の仕事だ。
……顔を見なければならないのに、見る気が起きない。
礼儀礼節に反するだろそんなの。
でも、
「「──申し訳なかった!/。」」
五
「「──申し訳なかった。/!」」
同時に、全く同時に。ドアを隔てて。2人してハッとする。
「開けてくれ」
「やだ」
「何で」
「嫌だから」
「オレは顔見て話したい」
「おれはもうお前の顔見たくない、
「出てくのか」
「違う」
「
「……そう」
「──逝かせない、オレがそれに応えるはずないだろ!」
「分かってる……
「──
「お前のこと──」
「おれは」
「「──
また重なった。
「ふざけるな! 人の
「お前こそふざけるな!」
オレがもう一声あげると、ビクッとしたのが手に取るようにわかる。だからわざと声色を落とす。
「──オレのことこんなに変えやがって、オレを目一杯惹かれた
おれは二の句に驚いた。あいつがこんなに声を荒げているのは初めてだから。てっきり怒り心頭かとおもって。
「──やめてくれ、これ以上優しくしないでくれよ、おれはもう」
おれはもう──誰かを失望させた
「──レクイエム」
「っ」
「ちんこんか、なんて言われたから何かと思って調べたんだよ、魂を鎮めるための歌なんだってな。亡くなった人がやすらかに還るところに還れるように送る葬送のうた。確かに悲しい響きだと思ったよ、映画のそういう場面って喪服と、黒い傘と、墓場にふる土砂降りの雨ってのが三種の神器だろ。でも死者をあるべき場所に
「……纏めるのやっぱ上手くなってるよ、でも説得したい人の名前いれてんのベタすぎんだろ。減点」
あっちゃあ、バレたか。調べないでまとめたのになぁ。でも、
「……だから
「……長い。これじゃ
──一本取られたよ、とは言ってやらないことにした。これではどうも死にきれん。生きる気力もないのに、生きていても淋しいだけなのに、死ぬ気も
「……当分
「じゃあ……飯にするか!」
「ん」
自分のあとを考えるのは、ほんの少しだけ後にしよう。灼けてしまいそうなぐらいに照り付けた、だけど
──なくはない。
五.
「なぁ、やっぱ棄書って名前変えない? 不吉すぎる」
「はぁ? いまさらなんてつけんだよこんな汚いもん」
「じゃあ……"昨今の時代背景に鑑み"つつ、ご自身の意図も損なわないようにこう改題しましょうか? 先生。楽しかったことも書けるように」
ガムテープに乱雑に描かれたそれにおれは苦笑した。
あまりにも稚拙で、意図が透けて見えて示唆のかけらもない。
【── ── 立消え備忘録】