一.
オレは生まれてこのかた、「遠輿」という名字で生きてきた。でも遠輿くんと言われるとむず痒いというか、自分のことじゃない気がする。反対に和陽と言われた方が気分がいい。あくまで認識の上だか、オレの中では「遠輿/和陽」と分離している気がする。前はフォーマルな時、後ろはカジュアルな時に名乗る名前。
(下の)名前は親からもらう1番始めのプレゼントというが、下の名前が好きなだけ、親への不義理にはなっていないだろう。名は体を表すというが、オレは名付けてもらった名前に近しい生き方ができてるだろうか。
──初めまして、燈沓秋瓢です、よろしくお願いします。
比べるもんじゃないけど、秋瓢の名前は綺麗だなと思う。あくつ、あきひさ。同じ音から始まって、同じ口の形で終わる。漢字の意味も通っている。燈沓秋瓢で一つの名前と言われて、頭の足りないオレでもすんなり理解ができていた。何より、呼ぶのが楽しいのだ。
だから、聞いてみた。
「なーなー、秋瓢の名前の由来ってなんなの?」
「は? 何、藪から棒に」
「いーじゃん、教えてよ」
オレは肩をコツン、とあわせた。
「距離近ぇんだよ、それ絶対女の人にやんなよ」
「あっくんにはやりにいっていいんだ」
「……揚げ足取るな。そんなんだからあらぬ噂が立つんだよ」
ぺしっと頭を叩かれた。本当に軽く。オレはパーソナルスペースが狭い。だから別に好きな人じゃなくてもこの距離感だ。秋瓢のことはめっちゃ気に入っているので意識していないかと言われるとそれは違うじゃん。
「噂が立ってるのはお前の中だけだよ、別にいーじゃん。デキてても。そーじゃなくても。これがオレらが許せる距離感なんだから。居心地がいい」
「おれなんかと?」
「おれなんかと。大好きだから」
「口が軽いんだよ、……ホントに他意ねーのかよ。それによっては真剣に悩まなきゃいけないんだけど」
悩んでくれんだ、手玉に取りやすいのはどっちだよ。オレの言葉でコロコロしてんじゃん。……悪いようにする気はないけどさ。
「お前とがいい。ほら、
「じゃあくっそ重いlikeだな」
「そー」
今は、そういうことにしてやるか。オレはどっちにも変われるから。
──じゃなくて
「……名前の由来! 教えろって! 忘れるところだったわ!」
「忘れてほしかったからそらしたんだけど……上? 下?」
「フルで」
「めんどくせー……」
とは言いつつ、オレがわかりやすい説明を考えているのか10秒ほど沈黙が続く。
「燈沓は……遠い先祖が吟遊詩人に近しいことをやってたから歌を読むには何かしら灯りになるものと、外で出歩くための沓……履物が必要だ、ってことでこの漢字になったらしい。秋瓢は9月生まれだから。以上。満足?」
「せんせー、吟遊詩人ってなんですか?」
「……っとーにお前は……あちこち旅して歌詠んでた人らのこと。尺八とか楽器もやってたらしいけど」
「歌人じゃね?」
「歌人プラス楽器、まぁ、ペンネーム発祥なんだろ」
「あー、なんとなくわかった。やっぱし綺麗な名前なんだな」
「おれはそうは思ってないけど……お前のは?」
「えぇ〜とぉ、おぼえてっかなあ」
「振っといてわかんないっつったら締めるぞ」
「待てって! 思い出すから……」
そういえば、──もう死んじゃったけど、──じいちゃんに聴いた気がする。まだ文字も書けないような時に。
『和陽、幼稚園の名札書いといたぞ、なおしときなさい』
『なおす? オレこわしてねーもん! じーちゃん嘘つき!』
『
『と、ご、し……かずひ』
『おー、もうひらがな読めるようになったんけ。えれーなぁ』
『なー、じーちゃん、和陽の前に変なのついてる』
『変なのて。こりゃあ苗字ちゅうもんでな、パパにもママにもばーちゃんにも、じーちゃんにもついとるんもんでなぁ、家族お揃いのお名前っちゅうたらええんかな」
「へー。じーちゃん、なんでオレらはとごしなの?』
『それはなぁ──』
──
「……
「輿じゃ飛脚につながらないだろ、偉い人運ぶ箱なんだから」
「そんなこと言われたって……なんか飛脚としての腕が良かったから宮お抱えの担ぎ手になったとかじゃね……聞いたのすっごい昔だから正確には覚えてねーよ」
「じゃあ下は?」
「夏にしてはそんなに暑くない日の朝に生まれたから、人のことを柔らかく照らせるような人、そうじゃなくても一緒にいたいって人が寄ってくるような性格になってほしい……って。こっちはちゃんと覚えてる」
「ドンピシャお前じゃん」
「……っ! ……そーぉ?」
「
「……めぇ……っちゃある」
「そこは謙遜しろよ」
「……手柄は誇るタイプだから」
「締まらんなぁ、お前と話してると必ず最後にずっこける」
「笑った方が楽しいじゃん?」
「笑われてんだよ」
「どっちでもいいよ、どっちでも」
よかったぁ、──心配せんで大丈夫だってさ、じいちゃん。
二.
名前は親からの最初の
和陽みたいに名前がそのまま形をとったような人もいるが、おれの場合は姓名どちらも今の状態から外れている。吟遊詩人のような一所に留まらない自由さや小さなものに感動できる感性もなければ、心の瓢はすでにひび割れている。
──やっぱし綺麗な名前なんだな
「そりゃそうだよ……
あっ、あったわ、当たってる名前。
秋。木々は葉を落とし、凍てつく冬を待つばかり。まさに俺におあつらえ向きじゃないか。
言われて思い出したが、おれもなぜ、一般的な阿久津などではなく、燈沓と書くのか考えたことがある。由来は和陽に話した通り。吟遊詩人といえど歌人の端くれ。雅な歌を詠みたいと願う傍らには、華々しい雅号を拵えたかったのだろう。それこそ、「我は我なり」と自らの有り様に胸を張れるように。
ではなぜ、燈沓のまま伝わって今世のおれたちが名乗っているのか。調べたがこの表記揺れの仕方は少数派らしい。
推測だが、おそらく単に(阿久津
でも所詮雅号。ともすれば
「本当の名前じゃなかったかもしれない……か」
名前の方の話に移ろう。小学校か何かの課題で、自分の名前について調べていた。まぁ、かい摘むと名付け親に聞いてこい、だ。名付けたのは母だと聞いている。国語教師の母は、勉学を愛し、言葉の美しさに魅せられた人だ。腹を痛めて産んだ我が子にも、願いを込めた、取り合わせの良い名前を認め、送りたかったのだと聞かされた。
──だが、今のおれはどうだ
打たれ強いか? 違う。何事も笑って流せるか? つい最近そうじゃなくなった。むしろ過敏に受け返してしまう。
優しい? まさか。
卑屈に塞ぎ込んで、世界を斜に構えて見て、自分を誇れない仄暗い人物。ハイエナのように他者の勝ち馬に乗ることしかできない。自分のことが殺したいほど大嫌いで気力もない。誰かに使ってもらうのも誰かの助力を請うことも後ろ暗いやつだ。
母の願いは叶わなかった。叶う寸前でおれが
汝は誰ぞ
──我が名は、
今のおれには、|其れは
自分の名前に縛られて生きるなんで気はないし、自氏自縛では詩にはできないだろう。
でも。それでも。おれはおれで息を吸うしかないのだ。
誰も悪くない。そう名付けた母さんも、こう育てた両親も……こうなってしまったおれも。
もし誰かを秤にかけなければならないのなら、贈り物を、愛を、願いを、歪んだ形でしか受け取れなかった
「自分を認めるって、うまくいかないもんだなぁ」
〜♪ 【実家】 応答 拒否
「この時間は父さんは仕事のはず、ってことは──母さん」
「はい」
「あき、体調はどうなの?」
「まだ起きづらいけど、大学は行っていいって先生が」
「どっち?」
「病気の方」
「そう……、あの時はごめんね、母さんびっくりしちゃって。お友達にも謝っておいて?」
「あいつは……気にしてないと思うよ、優しいから」
「……そうだね。そろそろ誕生日でしょ、無理しなくていいけど、帰って来れる時に顔見せて?」
「わかった。てか、授業準備は……? 来週から海外研修の引率なんだろ、ワシントンっけ」
「ありがとう、でもしばらく私用の電話できなくなるから急いでと思ったの」
「おれのことはいいから仕事しなよ」
「……ごめんねぇ。じゃあまた」
「うん」
母さんには、燈沓美香先生には、他に居るべき場所がある。見るべき教え子たちがいる。息子とはいえ、おれにかまけている場合じゃないんだ。だからこそ。
早く、早く……っ
「大人にならなきゃ……いけなかったのになぁ」
あなたが手塩にかけて育てた木の枝が、手折れたままでも、いいですか?