思ったより湿度を上げられなかったのですが、よろしければぜひ
目を覚ますと知らない天井だった、なんて。安っぽい映画でもあまり見かけないような状況。けれども、今の状況はそうとしか言い表せないのだ。
いったいここはどこなのか。なぜ自分は手足をベッドの四隅に固定されているのか。首を左右に振って周囲を見渡す。並んだ医療器具はどこか見覚えがあった。おそらくここはロドスの医療部で、この部屋は処置室か何かなのだろう。
とりあえず、見知らぬ場所に監禁されているわけではないようだ。せめてここがロドスのどこかだろうというだけでも救いだと思いたい。
手足に力を入れてみるけれど、身体はほとんど動かせなかった。手錠足錠で拘束されているせいというより、そもそも身体に力が入らないのだ。何かのアーツか、それとも毒でも盛られたか。
抵抗することをいったんあきらめ、あおむけのまま天井を見上げる。真上の照明が遠慮なくこちらを照らしてくるので、まぶしさに目を細めた。これでは寝るのもちょっと難しそうだ、なんて心の中で文句をたれていた瞬間――。
すうっ、と視界が暗くなる。
何かが天井の照明をさえぎったのだ。
心臓が止まりそうになった。――誰かが、ベッドに寝かされている俺をのぞきこんでいる。
逆光になっているせいで顔がよく見えない。ただ、頭の耳のシルエットでフェリーンなのはすぐわかった。
こいつが、俺を拘束したのか? 寒気にも似た恐怖心が、さあっと全身をかけあがっていく。
「……そう怖がるな。私はお前に危害を加えるつもりはない」
淡々とした聞き覚えのある声。
「ケルシー先生!? ……助けに来てくれたんですかっ」
地獄のような状況にさしのべられた救いの手。
よかった、まさかケルシー先生が来てくれるとは。とにかくこれで助かった。ロドスの医療部門であるケルシー先生なら、きっとすぐになんとかしてくれるだろう。
なんせ先生には昔、死にそうだったところを助けてもらったこともあるのだから。
「ああ、よかった。ケルシー先生、身体が動かせないんです。手錠とかのせいじゃなくて、そもそも身体に力が入らなくてっ」
ケルシーは何も言わなかった。天井の照明で逆光になっているせいで表情はよく見えない。
それがなんだか恐ろしくてしょうがなかった。助けに来てくれたんじゃないのか? どうして俺の手足についている拘束を解いてくれないんだ?
まさか――そもそも、ケルシーは俺を助けに来たわけではないのか?
「……神経系の薬物を投与して身体の動きを封じてある。手足の拘束はあくまで予備的なものにすぎない。心配しなくていい、薬物の副作用はほとんどない。何度も生体実験して検証しているからな」
「な、何を、いってるんですかっ」
最悪の可能性が現実になった。確かに一瞬、その可能性は頭をよぎったけれど。ここに俺を拘束している張本人は、実は目の前にいるケルシーなんじゃないかって。
「そんな……どうしてこんなことを」
ケルシーからの返答はない。逆光のせいであいかわらず表情は良く見えないけれど、俺の顔をじっと見つめているのはわかる。
「お前と初めて会った時のことは覚えているか? 私がお前の治療にあたった時のことを」
「え、あ、まあ」
動揺しつつ過去の記憶を呼び起こす。あれはもう5、6年以上前になるか。
俺は当時、とある傭兵のグループに所属していた。生きるために精いっぱいで、自分のアーツの副作用なんて考える余裕なんてあるはずもなく。
ただ、戦闘の後にやたら女に襲われることが多くて。いつしかそのせいで他の傭兵とトラブルになり、あちこちを転々としていたのだけれど。
ついにそのトラブルが取り返しのつかない事態まで発展してしまった。
とある傭兵団のリーダーの女と勢いで関係を持ってしまい、報復としてリンチされたのだ。俺も殺されまいと抵抗はしたけれど、リーダーだけでなく他の傭兵たちにも襲われなすすべもなかった。
気が付いた時には、たまたま近くを航行していたロドスに拾われ治療を受け――そしてオペレーターとなり現在に至る、というわけだ。
「……そうだな、ロドスに運び込まれたお前は意識がなかったから覚えていないかもしれないが。あの時、治療にあたったのは私だ。体中には無数の裂傷と刺創、出血もひどく危険な状態だった。ロドスのオペレーターに発見されていなければ、間違いなく数時間以内に死亡していただろう」
「ケルシー先生が治療してくれた、とは後で聞きました。でも、なぜ……この状況と、どういう関係あるんですかっ」
意味がわからない。なぜ俺の命を救ってくれた恩人が、薬物まで使って俺を拘束しているのか。
「ボロ切れのように横たわったお前に近づいた瞬間――今まで経験したことない感覚に襲われた。何かが私のナカで蠢いた。気づけば下腹部のあたりから湧き上がる衝動を抑えるのに必死になっていたな。お前がアーツを使用した後の副作用が原因だなんて、いくら私でも初見で気づけるはずもない。あの時は本当に困惑したものだ」
俺のアーツは斬撃の切れ味を増すことができる。だが副作用として、女性オペレーターを発情される物質が体内から生成されてしまうのだ。
仲間に殺されそうになった時もアーツを使って戦った。俺の治療にあたったケルシーにその副作用の影響が出る可能性は、たしかに十分あっただろう。
「性的欲求というものが生物に備わっていることはもちろん知識として把握している。生き残るためにやむを得ない場合は、自分の身体を差し出すこともあった。もっとも、その行為に対しては何の感慨も持ち得なかったがな。私は長い時を生きてきたが、肉体的な欲求というものを持ったことがなかった。これまでの長い時もそうだったように、この先もずっとそうだと思っていた」
ケルシーは顔をゆっくりと近づけてきた。今にも鼻先がふれてしまいそうだ。
「私は謝罪しなければならない。あの時私は――意識を失っているお前に対して、湧き上がる衝動を抑えられなかった」
「そ、それってどういうことですかっ」
「もちろん外傷の処置はしっかり行ったうえで、だ。お前はしばらく意識を取り戻しそうになかったからな。同意もなしにそういうことを行うのは、許されないことだとはわかっている」
ロドスに担ぎ込まれたあと、目が覚めた時はすでに医療部のベッドの上だった。服も患者用のものになっていたし、身体はきれいな状態になっていた。意識を失っている間にそこまでの処置をしてくれたことに当時は感謝していたが。
今思えばあれは、行為の痕跡を消す目的もあったということか。
「お前の身体から漂う、濃密な命の匂い――私はそれに引き寄せられた。抗いようもなく、な」
ケルシーは俺の耳元に顔を近づける。言葉をささやくたびに吐息が感じられるほどに。顔を離したかと思うと、俺が横たわっているベッドに乗っかってきた。
ふたり分の体重を受け止めたベッドがぎしり、ときしんだ音を立てる。あお向けになっている俺に覆いかぶさるようにケルシーは身体を重ねた。
「覚えておけ。お前のアーツの副作用に初めて気づいたのはこの私だ。何度も忠告したはずだぞ。使い方を見誤れば、いつか必ずお前の身を滅ぼすと」
たしかに、ケルシーはいつも俺に小言をこぼしていた。アーツの副作用について気をつけろ、と言われたのは数えきれない。だから俺は、いつものことだと受け流していた。
「なのにお前は、多くの女性オペレーターと肉体的な関係を結んでいるな。発情期は薬で抑えることもできるが、それに頼り切るのも健全とは言い難い。性行為にはリスクもあるが、メンタルを安定させる利点もある。陸上艦船という閉鎖的な環境なら、ストレスのはけ口はあるに越したことはないだろう」
おおっぴらにはされていないものの、発情期を発散させるためのパートナーを複数持つことは普通に容認されている。あくまで身体だけの付き合い、と割り切ればトラブルにはなりにくい――はずだ。
「関係を持つのがせめて、ひとりふたりなら私も見過ごしていただろう。けれども……十を超えたとなれば看過はできない。お前が他のオペレーター達と関係を深めていくのを……私はどうしても、見過ごせなかった」
ケルシーの声がワントーン低くなる。もしかして怒っているんだろうか。まさか、それが俺を拘束した理由だとでもいうのか?
というか、どうしてケルシーは俺の女性関係まで把握しているんだ。人数まで知っているとなれば、どこかで監視されていたのかもしれない。
「自分にこんな女々しい独占欲があったことに、私自身が驚いている。お前と遭遇しなければ、私は自分が雌であることすら忘れていただろう。とはいえ私にはロドスの責任者としての立場がある。おいそれと欲望のまま行動するわけにはいかない。なのに……お前という奴は、次から次へと……!」
がりっ、とケルシーの爪が俺の胸にくいこんだ。痛みに声が出そうになるのをなんとかこらえる。
俺が痛みに顔をゆがめているのに気付いたのか、ケルシーは申し訳なさそうに眉をひそめた。
彼女が感情的になるのを見たのは、たぶん初めてじゃないだろうか。驚きつつも、少し――なんというか、ほっとした。
理性と知性が服を着て歩いているような人だ、と思っていたけれど。意外とそうでもないのかもしれない。時には傷つくこともあれば、感情が昂ることもあるだろう。
ただ、それが外からは見えにくいだけで。
「正直に言ってくれ。私は……重い女か?」
しぼり出したようなその声は、なんだか弱々しく聞こえた。自分の両腕が動かせるなら、俺に乗っかっているその軽い身体をそっと抱きしめてあげたかった。
「軽すぎて心配になりますよ。もう少し食べた方がいいんじゃないですか」
そういう意味じゃない、とぺちりと顔をたたかれてしまった。まったく痛くはなかったけれど。
「……食事に関しては、まあ、善処する」
「そうしてください。たまには食堂に顔を出してくれれば、みんな喜びます」
「そうだろうか。私がいたら落ち着いて食べられないだろう」
とにもかくにも、身体の細いあなたのことが心配なわけで。あなたはいつもみんなのために無茶をするから。
「ケルシー先生がちゃんとご飯を食べているところを見たら、みんな安心します。それは間違いないです」
「……そう、か」
本当にわずかだけれど、ケルシーの口元がゆるんだ。普段はまず表情を崩さない彼女だから、なかなかに破壊力が高い。
そんな風に優し気な表情を見せてあげれば、きっとオペレーター達との距離も縮まると思うのだけれど。まあ、そんなクールなところもケルシーの魅力ではあるから。
「何か食べに行きませんか。その前に、俺の身体をなんとかしてくれるとありがたいですけど」
さりげなく拘束を解いてもらう方向に話題を誘導していく。なんかいい話っぽい雰囲気になったし、たぶん大丈夫だろう。
「そうだな、たまには食堂に行くのもいいだろう。だが――」
ずいっ、とケルシーの顔が間近にせまる。医薬品の匂いとほのかな甘い香り。普段の距離では嗅ぎとったことのない、女性らしさを感じさせる匂い。
そして俺に覆いかぶさるようになっているせいで、ケルシーのそれなりにある乳房の感触。……不覚にも、身体の一部が元気になってしまいそうになる。
「まさか、私が何もせず拘束を解くとでも思っていたのか?」
「えっと、それはどういうことですかね」
「……どれだけ長い間、私が我慢したと思っている。お前と出会ったせいで私は発情期の抑制剤を飲まなければいけなくなったんだ。そうして私が耐えている間――お前はとっかえひっかえ女の関係を持っているときた」
ケルシーの言葉に怒りの色がにじむ。彼女を怖いというオペレーターは多いけれど、怒った声は今まで聞いたことがない。
「お、落ち着いてくださいっ。こんなのダメですって。縛り付けて無理やりとか」
薬剤まで使って行為に及ぶなんて、普通に犯罪だ。こうなればロドスの上層部に訴えてやる――と、思ったけれど。
「うるさい少し黙れ。天井のシミでも数えていればいい。その間に終わっている」
いまこうして俺にのしかかっている彼女が、まさにロドスの上層部なわけで。ということは、たとえ訴えたとしてももみ消されるのは確実なわけで。
――身から出た錆、と思ってあきらめるしかないか。
俺はもう、それ以上深く考えるのをやめた。
【18:00 ロドス本艦 食堂】
ケルシーとともに食堂に足を踏み入れると、夕食をとっていたオペレーター達がいっせいにこちらに視線をよこしてきた。まあ俺とケルシーの組み合わせもめずらしいだろうから、当然と言えば当然か。
当のケルシーは、皆の視線に小さくうなづいて応じて見せた。いつもよりほんの少しやわらかい表情で。
「ケルシー先生……なんか雰囲気がいつもと違わないか?」
「血色もいいし、お肌がツヤツヤしている気がしますっ」
「もともと美人だったけどさ、もっといい女になった感じがするな!」
「何かあったのかしらっ」
ざわざわと無責任な噂話をするオペレーター達を尻目に、俺はこっそりため息をつく。
――こっちがどれだけ搾り取られたと思ってるんだ、と。
ちょっとネタ切れしたので次回は未定です……