竜星は廻る。~剣鬼と剣姫は動乱と陰謀の渦に抗う~   作:@雅也

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1.黒/White

 大地の奥底に赤黒い大河が流れている。

 

 “竜血”──地中深くに眠る非常に安定した高濃度“素竜子”の流体相。

 

 この大地の血潮は、世界に大いなる発展と鉄血の動乱を齎した。

 

 竜血をエネルギー源とする魔導技術の発見と一連の技術発展、この人類史の転換点を“魔導革命”と呼ぶ。

 

 クライシュ帝国領北部に位置する都市、カシーヤ。

 

 北方のアヴェスタ連山を背に、扇状に広がるその町は、世界最大の竜血埋蔵量を有する自治都市だった。

 

 カシーヤには採掘の権利を有する商会と、それらを管理する商工会がある。

 

 そして、その本部会館の受付ロビーは剣呑な雰囲気に包まれていた。

 

「おい、テメェ今なんつった?」

 

 そう声を荒げたのは着流し姿の男たちだった。腰には刀を佩いており、頬に傷のあるような、いかにも堅気とは思えぬ風体の荒々しい集団。

 

 そんな彼らに対峙する集団は、実に対照的な出で立ちをしていた。白のスーツを着用し、ネクタイをきつく締める様からは、規律正しさを感じさせる。腰にはロングソードを差しており、荒事にはなれているのか、強面の男たちの凄みにも怯む様子はない。

 

 その中の一人がふんと鼻で笑う。

 

「下品な奴らめ。周囲を威嚇せねば気が済まんのか?」

 

「んだと、ゴラァ!?」

 

 周囲に座っていたそれぞれの仲間たちも立ち上がり、一触即発の雰囲気が漂う。

 

 それを見守る商工会の職員たちは冷や汗を滲ませ、固唾を飲んでいた。それは単にここで暴力沙汰が起こるが故ではない。

 

「クソ、厄介なことになったぞ。誰だ、黒鉄とホワイトベルをダブルブッキングさせたバカは……」

 

 職員の一人が周囲に聞こえぬ程度の声で毒づく。

 

 カシーヤには多くの商会が存在しているが、その中でも最大勢力と目される組織が二つある。

 

 着流しの男たちが所属する黒鉄会(くろがねかい)

 

 白スーツの男たちが所属するホワイトベル・ファミリー。

 

 共に、中立の自治都市たるカシーヤで、二つの国家勢力が表立って活動するために発足させた商会だ。

 

 黒鉄の背後にあるのは、大陸東部に広大な版図を有する旭花帝国。

 

 ホワイトベルの背後にあるのは、帝国に対抗するため大陸西部の諸国が寄り集まった西方諸国連合。

 

 両者は、この都市どころか、世界を二分する大勢力だった。

 

 それぞれの国家勢力からバックアップを受けた二つの商会は強大であり、瞬く間にこのカシーヤの表の商業活動から裏社会まで支配するに至った。

 

 規模はほぼ拮抗しており、それ故に都市の勢力図は逆説的に均衡している。

 

 しかし、その均衡は所詮仮初のものに過ぎない。

 

 共に覇権国家を狙う勢力のフロント企業であり、いつ互いを追い落とそうかと相争い合うその関係性は、安定とは程遠いものだった。

 

 小国の軍隊にも等しい武力を保有する二つの組織。その均衡が崩れ去った時の被害は計り知れないものとなるだろう。

 

 その惨事を避けるため、商工会のみならず、都市の有力者はあの手この手でこの二つがぶつかり合わぬよう苦心していた。

 

 そんな最中、二つの商会がほぼ同時刻に訪れた時の職員たちの心境はいかほどのものか。そして、恐々とする彼らのもとにさらなる凶報が届く。

 

「おい、何してる」

 

 緊迫感に満ちた場に声を掛ける男が一人。

 

 黒い髪に切れ長の目の、目鼻立ちのはっきりとした精悍な顔立ち。

 

 袴姿の上には見るからに上質な羽織物。真っ直ぐな立ち姿は、背骨に一本の鋼が入ったかのようだった。

 

 彼の姿を認めた黒鉄の男たちの空気がピンと張り詰める。一斉に中腰になって、頭を下げた。

 

「わ、若! お疲れ様です」

 

「おう」

 

 黒鉄(くろがね)斬雄(きりお)。本国において“剣鬼”の異名で呼ばれる剣の達人であり、齢二十代半ばにして黒鉄会若頭を任せられている。

 

 蛮勇で鳴らす黒鉄の男たちでさえ、彼の前では怖気づかざるを得ない程の風格。

 

 それはただそこに立つだけで抜身の刃を思わせるほどの鋭さだった。

 

「ふぅ、騒がしいですね」

 

 そして、少し遅れて反対側から一人の女が現れる。

 

 毛先が緩くウェーブした、腰まで伸びたプラチナブロンドの髪に、エメラルドの瞳。

 

 見るからに仕立ての良い白の高級スーツに、ファーがついたコートを羽織り、その隙間から腰に佩いた二本のロングソードの柄が覗く。

 

 クローディア=ホワイトベル。

 

 カシーヤにおいて黒鉄会と双璧を為すホワイトベル・ファミリーの首領の姪孫。

 

 しかし、ただの令嬢と侮るなかれ。彼女もまた連合において“剣姫”の異名で名高き剣士であり、その武勇は黒鉄会の若頭にも引けを取ることはない。

 

 その佇まいは一部の隙も伺わせない程に洗練されていた。

 

「お嬢様……!」

 

 斬雄に気圧されていた白スーツの男たちの緊張が緩和される。それは彼らの、このうら若き女性に対する強い信頼の証だった。

 

 二人の視線が交差する。

 

「ホワイトベルか」

 

「黒鉄の若頭……」

 

 たったそれだけのやり取りで、場はさらなる緊張に包まれる。

 

 カシーヤにてこの二つの組織の対立構造が生まれて以来、細かい衝突はいくつもあった。だが、幹部級の人間がぶつかり合ったことはかつてない。

 

 剣鬼と剣姫。

 

 ただ睨み合う彼らから発せられる気迫が、そこにいる者たちに、底冷えするような感覚を抱かせる。

 

 ほんのわずかな亀裂。それがもたらす武力衝突の可能性。戦争規模の大抗争。それら最悪のケースが脳裏をよぎってなお、誰一人にじりとも動くことはできず、その光景を戦々恐々と眺めることしかできないでいた。

 

 しかし、その最悪の想定は、斬雄がふと視線を逸らしたことであっさりと避けられる。

 

「で、なにがあった?」

 

 彼はこの場にある緊迫もどこ吹く風といった顔で、最初に声を荒げた着流しの男に問う。

 

「へ、へぇっ、それが……」

 

 男は慌てて斬雄に説明する。

 

 事の経緯はこうだった。

 

 応接室にて斬雄たちが商談をしている間、男たちはとある書類を窓口に提出していた。その書類に誤りがあった為、再提出を求められた。しかし、それが些細なものであったこともあり、自分たちのミスを糊塗するため、何とかならないかと彼らがゴネた。それをホワイトベルの者たちが見咎めたのだ。そして、冒頭のくだりに繋がる。

 

 それを聞いた斬雄は嘆息して、男の頭に拳骨を落とす。

 

「あてっ」

 

「馬鹿たれ、お前が悪いんじゃねぇか」

 

「い、いや、ですが、若。こんなの向こうでちょちょっと直せばいいだけの話なんすよ、大したことじゃ……」

 

「大したことじゃねぇならこっちでやりゃいいだけの話だろうが……」

 

 斬雄はケチをつけられていた職員の男の方を向く。

 

「おい、兄さん」

 

「は、はいっ!」

 

「迷惑かけて悪かったな。それで、不備ってのはどれのことだ?」

 

「は、はい、ここのですね……」

 

 職員の説明を聞いて斬雄は頷く。そして、相好を崩した。

 

「ああ、なるほどな。わかった、じゃあ修正して、今日中に使いを出す。ありがと

よ、兄さん」

 

「い、いえ! お手数をおかけします!」

 

 職員の男は緊張のあまり鯱張った返事をする。声が少し裏返っていた。

 

「じゃあお前ら帰るぞ、用事は終わった」

 

 斬雄はそう言って、部下を引き連れて商工会を後にする。その間、彼がホワイトベルの方を改めて向くことはなかった。

 

 黒鉄会の者たちが立ち去ると、場は安堵に包まれた。安心したあまり腰を抜かして立てなくなった者までいる。

 

「申し訳ありません、お嬢様」

 

 白スーツの男たちが揃ってクローディアに頭を下げた。

 

「経緯はわかりました。貴方たちの行いは正しいものだということも。ですが、それは軽率の誹りを免れるものではありません、わかっていますね?」

 

「はい……」

 

 やりようはいくらでもあった。黒鉄がこの都市で如何ほどの大勢力を誇っていようとも、都市全てを敵に回すようなことは早々できるものではない。そこが表立った場所であるなら猶更だ。ホワイトベルの人間が口を挟むことで却って事態は悪化しかねなかった。

 

 クローディアの指摘を男たちは理解しているが故に、感情に身を任せた自らを恥じた。

 

「理解しているのならこの件は不問とします」

 

「はっ、ありがとうございます」

 

 ふとクローディアが黒鉄の者たちが去っていった扉の方に視線をやった。その横顔は静かで、彼女の感情を伺うことはできない。

 

「どうかされましたか、お嬢様?」

 

 配下の男の言葉に彼女は首を横に振った。

 

「いいえ、何でもありません。私たちも用事は済みました。帰るとしましょう」

 

「はっ」

 

 そして、クローディアもまた配下を引き連れて商工会の建物を後にした。

 

 

 

 カシーヤは行政機関が集中する北部と商業区である南部に分かれ、南部は黒鉄が支配する東側と、ホワイトベルが支配する西側に分かれている。この南部の様態は都市行政がそのように取り計らった結果ではなく、それぞれの組織が後ろ盾となった商業施設が東西に分かれて発展していったため、自然とそうなっていったものだった。

 

 その境界線は東西の境目に近づくにつれ薄れていき、数多の文化が混合した様相を見せる。だが、逆にそこから離れた、黒鉄とホワイトベルの本拠周辺は、同じ都市とは思えぬ街並みがそれぞれ広がっていた。

 

 南東部の黒鉄の縄張りでは瓦屋根の帝国風の建物が立ち並び、着物姿の人々が闊歩する。そんな、さながら帝国都市のミニチュアのような一角の中心に黒鉄の屋敷はあった。

 

 左右の柱に切妻屋根を載せた門が構えられ、四方を堀と塀に囲まれたその武家屋敷には、黒鉄会の多くの構成員が居住しており、若頭である斬雄の居室もまたここにある。その畳張りの、よく整頓された、物の少ない部屋は主の質実さを感じさせた。

 

「若、すいやせんでした」

 

 

 商工会にて、騒動を引き起こした男、ゴドーが謝罪の言葉を口にする。

 

「ああ、気にするな。次、気をつければ良い。まあ、適当な罰は与えるが」

 

「へ、へぇ、なんでもしやす。俺は、若に取り立ててもらったっていうのに、迷惑かけてばっかで……」

 

 彼は黒鉄会に所属しているが、帝国出身の人間ではない。カシーヤの裏通りの破落戸たち、その日暮らしのヤクザ者だった彼らに、斬雄は声を掛け、職を与えた。それによって、男たちは暴力と略奪、明日死ぬとも知れない身から脱却することができた。彼は斬雄に恩義を感じていた。

 

 畏まった様子のゴドーに、斬雄は一瞬思案して、口を開く。

 

「確かに俺はお前の腕っぷしと度胸を見込んで黒鉄会に引き入れた。けどな、それだけじゃいけねぇんだ。お前は先を見なきゃいけねぇ」

 

「先、ですか?」

 

「そうだ。荒れた世界をまとめるにはどうしたって力がいる。だがな、そのまとめた後の世界ではそんなもんは邪魔でしかない。そして、俺たちはそういう世界を目指して活動してんだ。ならそうなった世界でお前はどう生きる? 今度はテメェの食い扶持を得るために力で騒ぎを起こすか? それじゃお前の人生は空虚なままだ。だからお前は考えなきゃいけない。先のことをな」

 

「はい」

 

 斬雄の言わんとしていることをすべて理解したわけではない。しかし、彼が自身を案じ、真っ直ぐに向き合おうとしていることを感じ取ったゴドーは、恭しく頭を下げた。

 

「沙汰は追って下す。下がって良いぞ」

 

 ゴドーがいなくなると、部屋の隅に控えていた女が愉快そうにくつくつと笑った。

 

「くくく、斬雄。柄にもなく説教か?」

 

 ──控えていたというのは正しい表現ではないかもしれない。女は豪放に肘をついて、横向きで寝そべっていた。

 

 燃え盛るような荒々しい髪の、褐色肌の大柄な女だった。その髪色は毛先に近づく程に鮮明な赤のグラデーションを描いており、瞳は血のように赤かった。額からは二本の角が生えている。その角は作り物の類ではない。

 

 “鬼人”、優れた膂力と生命力を誇る人種であり、それは彼女たちの身体的特徴だった。

 

 伊吹《いぶき》朱奈《しゅな》。彼女は斬雄の本国にいる時から部下の一人であり、カシーヤへの派遣にも随行し、側近として仕えている。

 

「あはは~、似合ってないよね~」

 

 朱奈の言葉を引き継いでもう一人の小柄な女が朗らかに笑う。

 

 新雪のように白く透き通った肌、青みがかった銀髪はストレートに腰まで伸び、アイスブルーの瞳が悪戯げに覗く。帝国北部にある少数部族、“雪の民”の少女、銀鏡《しろみ》鳴子《めいこ》。彼女もまた朱奈と同様に斬雄の側近の一人だった。

 

 そんな二人の揶揄いに斬雄は肩を竦める。

 

「表向きはどちらも商会だが、実際は帝国と連合の軍隊が睨み合っているようなもんだ。下手なことはしないよう釘を刺したんだよ」

 

「ふぅん? そういえば最近いざこざ多いよね~」

 

 元々黒鉄とホワイトベルは相容れない間柄だが、長らく、互いに争うよりも、採掘地の開発を進め、自国に利益をもたらすことを優先する不文律が存在した。しかし、最近になって、その不文律に罅が入り始めていた。

 

「開発が進むにつれ、互いに良くも悪くも安定し始めたからな」

 

 帝国と連合がこの地に進出したのはおおよそ七年前のことだった。以来、両勢力はこの都市での地盤を築くことに腐心してきた。旧勢力との折衝、開発に必要な設備投資、人的資本の投入、増加する人員を維持ないしは拡大するための流通網の構築。他のことに目を向ける余裕もない程に、やるべきことは端から湧いて出た。

 

 しかし、それもすっかり落ち着き、盤石と言って差し支えない地位を確保するに至った。

 

 それによって両者は、有り体に言えば、暇を持て余すようになってしまったのだ。それを示すように黒鉄とホワイトベルの間で起こった揉め事の件数は右肩上がりとなっている。

 

「今、この地で争いごとを起こすわけにはいかねぇ。やはり大事になる前に、手を打つ必要があるか」

 

 そう斬雄はひとりごちる。

 

 世界最大のエネルギー源の産地である、カシーヤの経済的、政治的重要性は言うまでもない。ここで起こった騒乱は必ず本国にも波及する。それが生み出す未曾有の混沌は水面下で、しかし、確実に蠢動していた。

 

 

「ふぅ」

 

 商工会でのいざこざがあった日の夜、残っていた仕事を片付けた斬雄は深く息を吐いた。居室には彼一人きりだった。そっと廊下へ続く襖を開け、周囲に人がいないことを確認する。

 

「さて」

 

 斬雄はおもむろに箪笥の奥底から一式の服を取り出した。ストライプの入ったグレースーツに、同色のハットと丸い縁の黒いサングラス。それは旭花帝国ではなく、西方諸国連合でよく見る種類の装いだった。

 

 斬雄は手早くそれに着替え、その上にこれまた西方製のコートを羽織る。

 

 そして、窓から周囲の様子を伺い、外にも人影が見えないことを確認して、こっそりと屋敷を抜け出した。

 

 そのまま誰にも見咎められぬよう裏路地を伝って移動する。彼が向かうのは、都市の南西部──即ちホワイトベルの縄張りだ。二つの縄張りは、東西に分かれているとは言うが、どちらも同じ都市の中であることに変わりはない。人の往来を規制するような法はなく、そこに暮らす者たちは当たり前に二つの区画を行き来している。夜半、人気(ひとけ)の少ない時間であることもあり、斬雄は誰にも見咎められずホワイトベルの縄張りへと侵入する。

 

 そうして、彼が真っすぐ向かった場所は、煌びやかなネオンが照らす歓楽街だった。ホワイトベルの縄張りの中でもかなり奥深い場所だ。さすがにここまで来ると東洋人の姿はほとんど見かけなくなる。しかし、一度入ってしまえば、彼が来ているのは西方の服だ。周囲の人間は誰も斬雄の方を気にする様子はなく、人の合間に溶け込んで、迷いなく歩を進める。

 

 少しすると、街の空気が一変した。左右に見える店からは、ガラス張りの奥には下着姿の若い女たちの姿が見えた。そして、それを物色するようにうろつく男たち。娼館が建ち並ぶ通りだ。

 

 その通りの一角に、その建物はあった。

 

 周囲と比べて、一際大きなその娼館は、外壁だけを見ると、歴史ある邸宅のようでもあった。しかし、イルミネーションで彩られた看板と窓辺からの明かりが怪しく周囲を照らしている様は、どこか淫靡な雰囲気を醸している。

 

 看板にはこう書かれている。“ノブレス・ローレル”。

 

 その豪奢な娼館こそが、斬雄が人目を忍んでやってきた目的地だった。

 

「お待ちしておりました、ミスター・スミス」

 

 出迎えたボーイが斬雄を見てそう呼んだ。名無しの権兵衛(ジョン・スミス)。それがここでの彼の名だった。

 

 あからさまな偽名だが、ここでは誰もそれを問題にしない。

 

 大事なのは隠すことだ。公にすれば角が立つことでも、形だけでも隠せば、わざわざ藪蛇をつつくような者はそうそういなくなる。

 

 シャンデリアが照らす赤い絨毯の上を歩き、斬雄は館内の一室に案内される。

 

 落ち着いた間接照明に照らされた部屋には、香が焚かれていた。上品なバニラ系の香りだ。

 

 ソファに腰を降ろしてから間もなく、ゴールドブロンドの艶やかな女がやってくる。彼女の尖った耳は、彼女が西方に多く住む“エルフ”であることを示していた。

 

「ジョンはん、ようこそおこしやす」

 

 上品さを感じる独特なイントネーションの話し言葉。

 

 女は上質なシルクで編まれた、白いサテン布地に赤い花柄の刺繍が散りばめられたドレスを身に纏っていた。それは、接客を行う他のキャストのものとは異なり、首元まで衣に覆われた非常に露出の少ないものだ。

 

 サラ=プエラリアリーフ。彼女はこの娼館を経営するオーナーであり、本来は客を取る立場ではない。

 

 斬雄はおもむろに懐から一枚の呪符を取り出した。呪符には黒い墨で、模様が描かれている。その呪符が発光すると、サラの左手に、呪符と同じ模様が浮かび上がった。本人確認のための割り符。娼館で行うやり取りとしては、幾分不釣り合いな光景だ。余程、余人に知られてはまずい密会と見える。

 

「本日はどないされます?」

 

 サラが斬雄にしなだれかかる。アイリスのフローラルさの奥にムスキーな香りが覗く、甘い香水の匂いがふんわりと首元から漂った。

 

「オススメは?」

 

「この間、ストラスの25年物を仕入れたんどすけど、ジョンはんの好みに合うやろ思て、取ってあります」

 

 ストラスとは、アルビオン公国で醸造されているウィスキーの銘柄だ。アルビオン北部の寒冷な土地と、適度なミネラルを含んだ清流の下でつくられたその蒸留酒は、世界中で愛され、多くの愛好家が存在する名酒だった。

 

「ストラスか、ではロックで頼む」

 

 その言葉を受けて、ボーイがすぐさまボトルとグラス、氷を用意する。ボーイとは言うが、実際のところ男性ではない。黒いパンツスーツ姿でもわかる丸みを帯びたボディラインが、彼女が女性であることを物語っていた。この店はオーナーのサラの意向なのか、ボーイも含めたスタッフ全員がエルフの女性で構成されていた。

 

 サラが慣れた手つきでグラスに氷を入れ、琥珀色の濁りのない液体を注ぐ。斬雄は差し出されたグラスを手に取り、口につけた。

 

 熟成された芳醇な香りが喉を潤し、鼻を抜ける。フルーティさのある甘みによって軽い飲み口だが、舌の上で転がすとスパイスにも似た複雑で豊かな風味が広がる。斬雄は思わずほうと息を漏らした。

 

 暫し美酒の味わいを堪能した斬雄は、おもむろにサラに視線を向け、口を開いた。

 

「頼んでいた件はどうなった?」

 

「はい、こちらに」

 

 斬雄の言葉にサラが差し出したのは、一通の封筒だった。

 

 すでに、室内にボーイの姿はなく、斬雄とサラの二人きりになっている。封を開けると、そこには報告書と思しき文書と、幾つかの資料が入っていた。娼館で差し出されるには似つかわしくない代物。

 

 娼館というのは、あくまで表の顔。偽りではないが、本業を隠すカモフラージュとしての生業だ。ノブレス・ローレルの真の顔、それは、この都市のあらゆる情報を収集し、売買する情報屋だった。

 

 差し出された資料に記載されているのは、ここ最近頻発していた黒鉄会とホワイトベル・ファミリーの諍いに関するものだ。各事件の経緯から、背景までがよくまとめられている。

 

「特に不自然なところはないな」

 

「ええ、どれもほんに些細な揉め事、自然に起こるような出来事が頻発してるだけどす」

 

「……原因があるなら、それを取り除くのが手っ取り早いと思ったんだがな」

 

 しかし、原因などなく、ただ小さな諍いが緊張感を高め、それがより大きな諍いを生む流れができてしまっているのであれば、それを止めるのは非常に難しい。

 

 さて、どうしたものかと斬雄は頭を悩ませる。

 

「ふふ、原因がない、いうんも、早とちりと違はらしまへん?」

 

 そんな斬雄に、サラは含みのある笑みを見せる。

 

「何か心当たりがあるのか?」

 

「心当たり、いう程のことやあらしまへん。ただ、ジョンはんはご存じないかもしらへんけど、この都市には昔からさる噂があるんどす」

 

「噂……?」

 

「ジョンはん、風魔教団いう名を知ってはられます?」

 

「風魔……創世譚の竜、クラルクロクラムのことか?」

 

 世界を創世した三尊の竜。

 

 光を齎した、光輝竜アルルトゥルーシュ。

 

 芳醇なる大地と海を生み出せし、地母竜ディシオーネ。

 

 そして、生み出された世界を大気で包み込んだ、風魔竜クラルクロクラム。

 

 これら創世譚の竜は大陸各地で信仰されており、カシーヤが位置する大陸中南部では主にクラルクロクラム信仰が盛んな土地だった。

 

「ええ、クラルクロクラムを信仰する集団どすけど、教団は表立った宗教団体やあらしまへん」

 

「密議宗教ということか?」

 

「広い意味では。けど、それよりも教団いう組織を表現するんやったら、“暗殺教団”の呼称の方が相応しいどすやろなぁ」

 

「暗殺教団……」

 

 不穏な言葉に斬雄は眉根を寄せる。

 

「クライシュ帝国建国にも関わり、以降も歴史の影で帝国に仇名す者を暗殺し、今なお帝国を守護する存在と市民に信じられとる伝説的なアサシン集団、それが風魔教団どす」

 

「聞く限り、都市伝説の類のように思えるな」

 

「確かに多くの人々は、あくまで歴史の間にあった暗闘劇を、脚色した都市伝説と解釈しとるようどすな」

 

「実際は違うと?」

 

「いいえ、あるのはどこまでいってもまことしやかな噂だけどす。せやけど、ここで重要なんは、その真実性よりも、伝承において、かの風魔教団の秘密の園が、この地にあるアヴェスタ連山にあるとされてるいうことどす」

 

 アヴェスタ連山は、カシーヤ北方に位置する山脈群を差す名称だ。カシーヤに埋蔵されている竜血の源流はこの山々の地中にあると推測され、黒鉄会とホワイトベル・ファミリーはその開発のため、それぞれ定期的に調査団を派遣している。高すぎる素竜子濃度と険しく天候の変わりやすい自然に阻まれ、調査は難航しているが、もし仮に教団が実在するのであれば、自身のテリトリーに入ってくる侵入者はさぞ鬱陶しく思うことだろうということは想像に難くなかった。

 

「普通ならこの地で黒鉄とホワイトベルの争いを望むもんなんかあらしまへん」

 

「だが、その風魔教団なら動機を持ち得ると?」

 

「教団の教義や目的はクライシュの民ですら与り知らんことどすけど、都市の被害を度外視して、自らの秘密に近づき得る外敵の一掃を企てる。教団の伝承が事実なら、あり得へんことではないどす」

 

 確かに物語としては筋が通っていなくもない。だが、筋が通った物語というだけでは、それは陰謀論でしかない。元が都市伝説なだけであって、何とも眉唾な話だった。

 

 しかし、ノブレス・ローレルはカシーヤが今の発展を見るよりも古い時代から、この地に居を構える情報屋だ。その主である彼女がそれを口にした以上、根拠に欠けるとしても無視することもできなかった。とはいえ、それだけでは組織を動かす名分としてはいささか弱い。故に斬雄は、得た情報をひとまず頭の片隅に留めるのみとした。

 

「……他に何か変わったことはないか?」

 

「そうどすなぁ。ここ最近、ホワイトベルが運営する孤児院で集団失踪事件があらはったようどす」

 

「失踪?」

 

 それは斬雄がまったく知らない情報だった。

 

「三週間程前、院内の孤児たち全員が忽然と消えたそうどす。現在も、ホワイトベルがファミリー総出で捜索中しておるようどすが、未だ一人も見つかってへんそうで」

 

 孤児全員が消えたとなればもっと大事になっていてもおかしくないが、斬雄の耳に届いていないということは、情報統制が行われているのだろう。

 

「そいつは難儀なことだな」

 

 興味深い話ではあるが、ホワイトベルの縄張りで起こった事件であれば、斬雄にできることは何もない。

 

「後は、そうどすなぁ……」

 

 サラは少し思案して口を開く。

 

「ジョンはん、悪霊騒ぎがあったのは知ってはる?」

 

「ああ、噂程度にはな」

 

 素竜子──世界に散らばった竜の欠片。

 

 この素竜子には、意思に感応する性質がある。そして、その性質故、人の強い負の思念が土地に残留し、形を為すことがあり、この現象を悪霊と呼ぶ。

 

 しかし、この悪霊現象は、いつどんな場所でも起こるようなものではない。

 

 思念が形になるには、場が非常に高い濃度で素竜子が満ちている必要がある。

 

「高濃度の素竜子の相である竜血をようけ埋まっとるカシーヤの土地は、ところどころやけど、悪霊の発生条件を満たしてる言うても、まあ言えんことはあらへんどす」

 

 そのサラの言葉に斬雄は(かぶり)を振る。

 

「だが、悪霊が出たという噂はあるが、その被害記録はない」

 

 悪霊の元になる思念は、無念や怨念といった負の感情だ。

 

「負の想念の実体化。それが起こっているとすれば、必ず呪いとなって人に害を為す。噂程度で済むってのは考えづらいな」

 

「ええ、退治されたいう話もあらしまへん」

 

「そして、悪霊は自然に発生することはあっても、自然に消滅することはない」

 

 対処するには東方の祈祷あるいは西方のエクソシズムのような特殊な技術で退治する必要がある。

 

 しかし、この都市で最大の戦力を持つ黒鉄もホワイトベルも悪霊を見つけ、退治したという報告は上げていない。その他の組織からも同様だ。

 

 即ち被害が出る前に、迅速に退治されたとも考えづらい。

 

 故に斬雄はあくまで噂は噂、“幽霊の正体見たり枯れ尾花”の類の話だと思っていたのだが、何かあるのかと目で問いかけた。

 

「これも何か確証があるやあらしまへん。ただ、最近はこういうおかしなことが増えとるんどす。人々の不安がそういう都市伝説(オカルト)を生むんか、あるいは……」

 

 ──何か裏があるのか。

 

「……一応、気に留めておこう」

 

 それ以外に特に有益な情報はないようだった。

 

 斬雄はどうにも不気味な後味を感じながら、ウィスキーと情報の代金を置いて、その場を後にした。

 

 

 騒がしい歓楽街から離れると、一気に街は静かな暗闇に沈んでいく。

 

「はぁ、はぁ」

 

 そんな街の裏路地を息を切らしながら走る者がいた。年の頃はおよそ十前後だろうか。長いぼさぼさの黒髪に浅黒い肌の少女。

 

 そして、少女の遠く後ろから追いかける二つの影。

 

 深くフードを被った姿からは、男か女かも判別はつかない。

 

 少女の額には汗が滲み、つっかえながらも懸命に走るが、体力は限界を迎えていることは明らかだった。

 

 対して影はその速度をまったく落とすことなく、瞬く間に少女に追いつき、一人が彼女の体を床に押さえつける。

 

「あぐっ」

 

「おとなしくしろ」

 

 叫び声を上げようとした少女の口元が布で塞がれる。布に沁み込んだ薬品によって少女の意識が落ちる。その手口は非常に手馴れており、ほとんど騒ぎになることもなく誘拐が完遂されようとしていたその時だった。

 

「よぉ、人さらいか?」

 

 そんな彼らに話しかける声が一つ。誘拐犯二人が驚き振り返る。グレーのコートの隙間から刀の柄を覗かせる男、西方の装いに身を包んだ黒鉄斬雄がいつの間にか彼らの後ろに立っていた。

 

 ノブレス・ローレルで用事を済ませた帰途、斬雄は静かな街に似つかわしくない音を聞きつけ、様子を見に来たのだった。

 

 誘拐犯の一人が腰の剣を抜き放つ。片刃の湾曲したサーベルが月光に照らされ、鋭く放たれる。相対する斬雄の表情に焦りはない。ただ眉を(しか)め、息を吐いた。

 

「一声もなしに切りかかってくるか」

 

 小声でそう呟くと、切り掛からんとしていた影が、瞬きの間もなく壁に叩きつけられる。

 

「……ッ!」

 

 鞘から抜き放った刀を一振り。起こりすら見えぬ早業だった。

 

 それを見たもう一人が咄嗟に後退する。

 

 しかし、斬雄はその距離を一呼吸の間に詰める。反射的に振るわれた刃を難なく打ち払い、刀の峰で側頭部を殴りつけ昏倒させる。

 

「峰打ちだ。まあ、運が悪くなけりゃ、生きてるだろ」

 

 斬雄は倒れている少女の側に寄って、様子を確認する。気を失ってはいたが、死んではいないようだった。

 

「さて、どうしたもんかな」

 

 助けた手前、放っておくわけにもいかない。

 

 ホワイトベルの屋敷にでも放り込んでおけば、勝手に向こうがどうにかしてくれるだろうか。

 

 敵対関係にはあるが、それは彼らが悪人だからではない。立場の問題であり、彼が知るホワイトベルの印象から考えるならば、うまく対応してくれるように思える。

 

 斬雄はチラッと倒れ伏した影に視線を送った。フードが外れ、そこには西側の顔立ちの男の顔が見えた。

 

 しかし、彼らがホワイトベルの回し者なら、元の木阿弥になる。斬雄はひとまず少女を黒鉄の屋敷に連れて帰り、彼女の口から事情を聞いて判断することにした。

 

 斬雄が少女をそっと抱え込んだ、その時だった。

 

「こんばんは、人さらいですか?」

 

 鈴の鳴るような声が路地裏に通る。

 

 斬雄が振り向くと、そこにはクローディアが立っていた。

 

 絹糸のように滑らかなプラチナブロンドが夜風に揺れる。

 

 月明かりに照らされる彼女の姿は、ただ佇むだけで一枚の絵画のようだった。

 

 そして、彼女は警戒をするような視線を斬雄に向けていた。

 

 斬雄は今の自分の状況を客観視する。倒れ伏す西洋人二人。そして、気絶した少女をさながら誘拐犯の如く抱える自分。ついでにホワイトベルの縄張りで起こった孤児の失踪事件。全ての線が繋がっているように見えなくもない。

 

「お、おい、ちょっと待て。俺はただこの不審者二人から少女を助け出しただけだ」

 

「助けた? 黒鉄の若頭が、ホワイトベルのシマで?」

 

 西方の服を着て、サングラスで顔を隠しているにも関わらず、一目見てクローディアはその正体を看破する。斬雄の額から汗が一筋、たらりと垂れる。

 

「ではお聞きしますが、あなたはこんなところで何を?」

 

 それは嫌な質問だった。情報屋のことはできればホワイトベルには話したくない。

 

「夜の散歩だよ、ここなら西方観光気分を味わえるだろう?」

 

「こんな路地裏で、ですか?」

 

「俺は観光地よりも、現地の暮らしを見るのが好きなんだ」

 

 はぐらかそうとする斬雄だが、状況が状況だ、上手い言い訳などあるはずもない。のらりくらりとした態度は却ってクローディアの疑念を強めた。とはいえ、彼女も下手な喧嘩をするつもりで話しかけたわけではなかった。穏便に済むならそれに越したことはない。

 

「ふぅ、言えないならば構いません。その少女を置いて行くというなら見逃しましょう」

 

 故に、腰に差した剣の柄に手をかけつつも、そう言った。少女の無事さえ確保できれば良しとする。それが彼女の示した手打ちだ。

 

「断る」

 

 しかし、斬雄はにべもない返事をする。少女がホワイトベルから逃げてきた可能性がある以上、はいそうですかと渡すわけにはいかない。それは彼にとって譲れないラインだった。

 

 同時にそれはクローディアにとっても同じこと。黒鉄を恐れて今まさに連れ去られんとする少女を見捨てるなど、彼女の矜持が許さない。

 

 互いが互いを信ずるに足る確証がない。

 

 ──そして、互いに剣を握るには十分の理由があった。

 

「……そうですか」

 

 クローディアのその一言が路地裏に響く。静寂が二人の間に張り詰める。

 

 ふと彼女が自然な動作で、肩にかかったコートをはらりと落とす。純白のコートが地面に吸い込まれていく。

 

 ──瞬間、クローディアの姿が音もなく消えた。

 

「ッ!」

 

 斬雄の瞳孔が開かれる。次に聞こえたのは金属がぶつかり合う激しい音。右斜め後方の死角から襲い来る刺突を、斬雄は刀で弾き返す。火花が散り、二人の視線がぶつかり合う。

 

 クローディアの手にきらめくは、ミスリル製のロングソード。

 

 ミスリルは高い魔術への親和性を有し、鋼鉄以上の硬度と靭性に、取り回し易い軽さを合わせ持った魔法金属だ。魔術と鍛冶技術の双方に優れた才能を持つ技師が、長年の修練の果てに扱うことができる希少金属であり、表面をミスリル加工する杖だけでも家が一棟買えるほどの価値を持つ。そして、彼女が持つ剣は純度百のミスリルで出来ていた。

 

 対する斬雄が持つのは、帝国で広く使われる片刃剣である太刀。

 

 その独特の美しい波紋を描く刀身を形づくるのは、帝国独自のたたら技術によって精錬された白鋼だ。その等級は、“一等一級”よりもさらに上の“特級”、強度においてはミスリルよりも優れる。

 

 クローディアが弾き合った勢いで距離を取る。斬雄はコートを脱ぎ、その上に少女をそっと寝かせた。

 

 それを静かに見守っていたクローディアが構え、再びその姿が消えた。

 

 二度目の剣撃。今度は離れず鍔迫り合う。

 

 金属が擦れる音が火花と共に鳴り響く。

 

 そんな激しい剣圧のぶつかり合いに対し、両者の持つ名剣・名刀は刃こぼれ一つ見せることなく拮抗する。

 

 再びクローディアが下がり、その姿が掻き消える。

 

 壁を地の如く足場にして行われる目にも止まらぬ高速軌道。

 

 右からの切り払い、左斜め後ろからの突き、右斜め上からの振り下ろし、左斜め前からの切り上げ、後方からのフェイント。上下左右全方位からの斬撃刺突の雨が斬雄に降り注がれた。

 

 斬撃が月光を引いて、その残影を描く。

 

 ──閃光。そう形容するに相応しい光景だった。

 

 体内に宿る素竜子を強い意思の力──“心意”によって、活性化させる身体強化。

 

 さらに慣性すら捻じ伏せる完璧な身体制御技術。

 

 常人であれば一太刀とて見切ることはできぬ高速の剣撃を、斬雄はその卓越した技量と反射神経で防いでいた。

 

 速い。しかし、来る攻撃が直線なら却って読みやすい。どれ程の速度であろうとも、初動と進行方向が読めていれば、そこに斬撃を置くことで対処できる。斬雄がクローディアの動きに慣れ始め、返す刀で切り伏せんとした瞬間だった。

 

 クローディアの軌道が曲がる。

 

 ──慣性すら捻じ伏せる完璧な身体制御技術。それは即ち、彼女が慣性に敢えて身を委ねることで、その軌道を自在に、かつ複雑に制御できるということを意味していた。

 

 豪雨の如き直線を描いていた斬撃軌道は、嵐の如く曲線を描き斬雄を覆い、彼を中心に収束するように球形を描く。

 

 斬雄とクローディアの速度に大きな差はない。むしろトップスピードで言えば、素の筋力差で斬雄の方に軍配があるとすら言える。しかし、体の身軽さ、小ささ、そこから生まれる初速の差が斬雄を防戦に追い込んでいた。

 

 クローディアの攻撃は斬雄に反撃の暇を与えぬために威力ではなく、速度を重視しているものだった。だが、それは彼女の攻撃が甘いことを意味しない。その剣は常に彼の急所を正確無比に狙っており、並みの使い手であれば、とうになすすべもなく切り伏せられていただろう。

 

 斬雄がその斬撃の嵐を的確に捌き続けられていることは驚嘆に値するものだった。

 

 しかし、それでも確実にダメージは蓄積している。

 

 クローディアの体力切れを狙うのは難しいだろう。これだけの動きをしてなお、彼女は息切れ一つしていない。このままではジリ貧となり、防戦一方による消耗が、いずれ天秤を傾けることになるのは明らかだった。

 

 斬撃を防ぎながら、斬雄は思考を回す。攻勢に回る必要があるが、彼女はその機先を潰すように動いている。それはさながら盤上遊戯の卓越した一手の如く。

 

「……チッ、面倒くせぇ」

 

 息を吐く。斬雄の纏う空気が変わる。

 

「ゴリ押すか」

 

 (けん)から(どう)へ。斬雄が強くクローディアの剣を弾いた。その大きな動作故に、斬雄に隙ができる。致命的な隙だ。それを見逃す剣姫ではない。

 

 彼女が攻撃の最中、編み上げていた魔術式が起動する。

 

 魔術とは、生物の認知波形に感応する素竜子に干渉することで、竜の権能、その一端の行使を可能にする、魔術王ソロンによって確立された御業。

 

 それは、発現する力を規定する“魔術式”、それを(せかい)へ奉納する“詠唱”、そして、人の意思によって生み出される波形である“心意”によって構成される。

 

 クローディアの剣に、白い光の粒子が渦を巻いて収束する。超常の顕現。膨大なエネルギーが刃を纏う。

 

 同時、相対する斬雄から尋常ではない鬼気が発せられる。剣鬼。その二つ名を体現する凄まじい威圧感。斬雄は上段に構え、深く息を吸う。

 

「黒鉄逸刀流──」

 

 ──剣術には型が存在する。それはその剣術が持つ合理の形であり、長い歴史の中で研ぎ澄まされた理想の太刀筋。しかし、こと実戦において、その型通りに刃を振るえる機会はそう多くはない。思うが儘、型通りに刃を振るえるのは鍛錬の中だけだ。

 

 だが、鍛錬の中で何百何千と洗練されたそれは、ひとたび放たれれば、必殺の一撃となる。

 

 足、太股、腰、腹、胸、肩、腕、指。動作する筋肉の動きすらも、心意によって強化することで行われる、爆発的な身体活性。

 

 狙いは一つ。肉を切らせて骨を断つ。

 

 一撃は受けよう。その必殺を耐えて、お前を確実に殺す。

 

 意図はあまりにも明瞭だった。

 

 だが、クローディアが止まることはない。やれるものならやってみろと、微笑みすらたたえ、必殺の刺突を引き絞る。

 

 視線がぶつかり合う。

 

「──白光(セル・ノヴァ)

 

 それは最短最速で敵を穿つアルビオンの秘剣。

 

 クローディアの剣先が斬雄に届く直前。

 

「ドラァァァァァァ!!!!」

 

 上空から乱入者が現れる。振り下ろされる戦斧。

 

 それを避けるため、クローディアは強引に後方に跳ぶ。

 

 戦斧が地面に叩きつけられ、舗装された道を大きく抉り、砂煙が舞った。

 

 その砂煙の中から姿を現すのは、不敵な笑みを浮かべる鬼女、伊吹朱奈。

 

 彼女は身の丈程に長大な柄の、鉄塊にも等しい刃の付いた大戦斧を軽々と持ち上げる。

 

 続いてひらりと斬雄の横に雪女、銀鏡鳴子が舞い降りた。白い冷気が周囲に漂い、支配領域を広げていく。

 

「……お前ら、なんでこんなとこに?」

 

「斬くんの姿が見えないから、陰陽師の人に場所を占ってもらったの。そしたらびっくり、ホワイトベルのシマにいるんだもん。だから面白そうだな~と思って見にきたの」

 

「おい、鳴子、朱奈。お前ら勝手に陰陽師の連中を動かしたのか……」

 

 陰陽師。帝国で発展した魔術体系である陰陽道を習得した者たちである。特に占いの術に優れ、その力によって、実働部隊である忍と並び、帝国の諜報戦において暗躍する者たちだ。若頭の側近とはいえ、こんな夜中に叩き起こして、一組員の判断で扱き使っていい相手ではなかった。

 

「ええ~、ちょっとお願いしただけだよ~」

 

 しかし、鳴子はまるで大したことないとばかりの軽口で返すばかり。そんな彼女の様子に斬雄は嘆息した。

 

「ハッ、おい斬雄! ホワイトベルの若頭(アンダーボス)と喧嘩なんて、ずいぶん楽しそうなことやってんじゃねぇか!」

 

「いや、別に好きで戦ってるわけじゃ「アタシも混ぜろ、よッ!」っておいっ!」

 

 朱奈は斬雄の言葉を聞かずに飛び出す。黒鉄とホワイトベルの若頭同士が争っている。その理由は知らない。だが、結論は明白だった。少なくとも伊吹朱奈という女にとっては。殺意をギラギラとその目に宿し、その手に持った戦斧を軽々と振り下げ、クローディアに躍りかかる。

 

風精霊の羽衣(シルフィードベール)ッッ!」

 

 しかし、そんな朱奈の前に厚い風の防壁が立ち塞がった。

 

 風と共に二人の間を遮るように現れたのは、眼鏡をかけたエルフの男だった。白いスーツに身を包み、端麗な容貌をしているが、どこか神経質そうな険のある雰囲気が漂っている。

 

「お嬢様、ご無事ですか?」

 

 エルヴィス=トリテレイアリーフ。クローディアに仕えしエルフの護衛騎士である。彼の背後には、女性の姿を象った風の精霊が顕現しており、精霊から発せられた風の力が彼の身を包んでいる。

 

「クックック、いいぞ! 面白くなってきたッ!」

 

 さらなる闖入者に朱奈が愉しそうに哄笑する。

 

「ふん、野蛮な帝国女め」

 

 その様子を見たエルヴィスは嫌悪感を露わに朱奈を面罵する。

 

 朱奈はそれに対し、ただ不敵な笑みを返した。

 

赫灼之相(かくしゃくのそう)

 

 彼女が静かにそう唱えると、その褐色の肌に、心臓を中心に赤銅色のラインが広がっていく。瞳が燃えるような灼眼に染まる。ただの踏み込みで地が(ひび)割れた。

 

 エルヴィスの全身が総毛だち、目の前の鬼女の危険性を肌で直感した。だが、彼の後ろには守るべき主がいる。どのような危険であろうとも、一歩たりとて引く理由にはならなかった。構えと同時に風が吹き荒れる。

 

 対峙した両者がまさにぶつかり合わんとした時、二つの声がそれを制止した。

 

「待ちなさい、エルヴィス」

 

「おい待て、朱奈!」

 

 臨戦態勢の両者の動きがぴたりと止まる。

 

 二人の主が前に出た。斬雄とクローディアが見合う。しかし、先ほどまでとは異なり、すでに二人から発せられる殺気は消えていた。

 

「黒鉄の若頭」

 

「なんだ?」

 

 クローディアは、床に寝かされた少女を一瞥する。

 

 激しい攻防の渦中にいたにも関わらず、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ここは我々が引きましょう」

 

「ほぅ、そいつは意外だな。こいつも連れて行って良いと?」

 

 斬雄の視線が少女の方へ動く。

 

「ええ、騒ぎが大きくなるのは本意ではありませんので」

 

 遅れて他のホワイトベル・ファミリーの構成員たちがやってくる。

 

「ただし誤解はなさらないでください。明日、その娘の様子を見に伺います。その時に無事を確認できなければ……」

 

 一瞬、間を置くように言葉を区切る。

 

「我々は戦争も辞するつもりはありません。それを努々(ゆめゆめ)、お忘れなきよう」

 

「ああ、肝に銘じておくよ」

 

 そう言って斬雄は少女を抱えた。

 

「朱奈、鳴子、ズラかるぞ」

 

「チッ、せっかく楽しめると思ったのによー」

 

 不満を漏らしながらも、朱奈の体が元に戻っていく。

 

「んじゃあね~」

 

 鳴子があっかんべえをする。

 

 そして、三人は建物の屋上まで軽々と跳び乗った。そのまま音もなく黒鉄の屋敷がある方角まで走っていく。

 

「……ふざけた連中でしたね。逃してよろしかったのですか?」

 

 それを見ながら、エルヴィスが問うた。

 

「ええ、気になることもありますので」

 

 クローディアは倒れ伏した二人の西洋人へ視線を送る。

 

「その二人を牢へ繋いでおいてください。確認したいことがあります」

 

「ハッ」

 

 クローディアがふと空を見上げる。

 

 寒々とした夜の浅い拍が時を刻む。

 

 月と星々が、揺らぎも、瞬きもせず、世界を見下ろしていた。

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