竜星は廻る。   作:@雅也

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7-1.始原武装/Origin weapon

 ヘテルツォラシュ。人間の悪性情報を記憶し、内部に遺されたソロンの力によって、それを現出させる権能を有する始原武装。即ち、それは過去に実在した悪魔を再現する力を有している。

 

 悪魔の依代には条件がある。依代の肉体の強度、精神の成熟度が劣っていれば、悪魔の成り損ないしか生み出すことができない。高位の悪魔を再現するのであれば、依代には強靭な肉体と精神が必要とされた。そして、“壊剣”オルランド・スパーダがその依代として極上であることは言うまでもないだろう。

 

 彼を薪としてくべることで、極上の呪いが受肉する。孤児院の悪魔の比ではない負の思念が溢れ出した。黒い粒子がオルランドを呑み込んでいく。

 

 失われた腕が黒い粒子によって象られる。そして、その腕がアイシャの首元を掴んだ。

 

「ああ、あああああああああああああああ、ああああああああああ!!!!」

 

 アイシャの苦悶の絶叫が響く。ヘテルツォラシュの起動者は、その内部に記録された悪性情報に汚染される。その悪魔を生み出すに至った、呪詛、怨念、あらゆる負の想念を浴び、その心を蝕まれるのだ。

 

 斬雄とクローディアは自らの失態を悔いながら、共に即座に動く。

 

 ――黒鉄逸刀流 参之型 碎骨風

 

 斬雄がアイシャを掴むオルランドの腕を斬り落とす。地面に落ちる彼女をクローディアが抱き止めようとする。瞬間、オルランドの肉体から大量の黒い粒子が溢れ出した。

 

 それを見た斬雄の全身が総毛立つ。剣士として鍛え、術師として研ぎ澄ませた目が、それに触れてはならないと直観する。

 

「避けろッ!」

 

 咄嗟にクローディアを蹴り飛ばし、自身もその勢いで後方に飛ぶ。

 

「あ、ああ、なんだ、なんだこ、あああああああああああ!」

 

 最初に犠牲となったのは、最も近くにいた孤児院の院長だった。

 

 彼の体に集るように黒い粒子がまとわりつき、粒子に触れた体の部位が腐敗する。生きたまま腐り果てていく苦痛と恐怖に叫び声を上げながら、その手が崩れていく。足が蝕まれて倒れ込む。骨が灰になる。喉はぐずぐずに潰れて息ができなくなり、眼球が腐り落ちて眼窩が露わになった。瞬く間に人だったものが、塵になって食い尽くされ、最後には衣服の一片すら残らず消え去った。

 

 蠅は死体に集る習性があるが、この呪いはその逆だった。集った相手が死体になる腐敗の呪詛。そして、そのまま黒い粒子はアイシャを呑み込んでいく。

 

星光(セル・ステラ)

 

 クローディアの刃に収束する光が一直線にオルランドに向かって放たれる。しかし、黒い粒子が盾となって、光を弾いた。

 

「なっ!?」

 

 全くダメージが通っている様子がない。クローディアが驚愕に目を見開く。

 

 ブウウウンンン──ンンンン。

 

 黒い粒の一つ一つから、蠅のような薄気味悪い羽音が響く。それらが連なって巨大な塊を形成し、やがて群体は蠅の形を象った。

 

 斬雄とクローディアが悪魔から距離を取り、横に並んだ。

 

「……あれは、なんだ?」

 

 産声をあげた化生のおどろおどろしい姿を見て、斬雄が呻くような声を上げる。

 

「おそらく、あれがヘテルツォラシュの励起でしょう」

 

「ソロンの始原武装、魔術王が調伏した七十二の悪魔が封印された“万魔目録”。ならば、あれは……」

 

「ええ、封印されていた悪魔の顕現」

 

 ヘテルツォラシュに記された悪魔全ての記録が現代に残っているわけではない。しかし、有名な幾つかの悪魔の名は現代にも伝わっている。

 

「そして、七十二の悪魔の内、蠅にまつわる悪魔と言えば一体しかいません」

 

 クローディアは聖典に残されたその忌まわしき名を口にする。

 

蠅の王(バアルゼブブ)

 

 悍ましき蠅の悪魔が胎動する。

 

「チッ、あれに取り込まれたアイシャは無事なのか?」

 

「……ヘテルツォラシュを起動しているのはアイシャですから、おそらくは」

 

「まあ、そう信じるしかないか」

 

 それは希望的観測だった。クローディアも悪魔については専門ではない。確実と言えることは何もなかった。

 

 それを察して、斬雄は頭を切り替える。生きていることを前提にして、如何にアイシャを救い出すか。それだけに専心する。

 

 蠅の王(バアルゼブブ)が膨張する。それは破裂寸前の風船を思わせた。

 

「おい、あれはまずいぞ!」

 

 斬雄がそう叫び、二人が対抗する魔術を発動しようとした瞬間、蠅の王(バアルゼブブ)が大地より隆起する土の壁に覆われる。土の壁は三つの三角形により結ばれる四面体を描いていた。

 

「いやぁ、参りましたね。まさかあのレベルの悪魔が本当に出てくるとは」

 

 二人の背後から声がかかった。振り返ると、そこにはマルセルとエルヴィスの姿があった。一度受けた傷を物語るように、二人ともその服には大きな切れ目があった。マルセルの治癒魔術によるものだろう。傷は少なくとも表面上は治っているようだ。

 

 先程、蠅の王(バアルゼブブ)を覆った土壁はマルセルの魔術によるものだった。彼はエクソシズムの他、土元素の結界術に長けている。

 

「……お前ら、生きていたのか」

 

「勝手に殺すな、黒鉄!」

 

 斬雄の漏らした言葉に、エルヴィスが青筋を立てて怒鳴る。

 

「壊剣の一撃、直撃を避けてもなお致命傷とは恐れ入りました。うっかりそのまま死ぬかと思いましたが、彼が強すぎたことが却って幸いしましたね」

 

 オルランドに一蹴された後、マルセルは自身を治癒魔法で癒しながら、隙を見てエルヴィスの近くまで移動し、彼の治療をしていた。どうにか戦線に復帰できる目途が立ちここまで馳せ参じたが、状況はより一層悪くなっている。

 

「それで、マルセル。あれの浄化はできますか?」

 

 クローディアが、内側からの圧力に押し出されるように、現在進行形で凸凹に形を変えられている四面体を指差して問う。それに対し、マルセルは首を横に振った。

 

「不可能ですね。あれほどの呪い、祓えるものなどいないでしょう」

 

「方法がない、人員が足りない、どっちだ?」

 

 斬雄の問いに、少し考える仕草をしてマルセルが口を開く。

 

「どちらもです。あれは最上級の悪魔、魔王とでも呼ぶべき存在です。あれを祓うための術式は現存しません。仮にあったとしても、この都市にいる修道士全てを集めても、必要な出力には満たないでしょう」

 

「成程、そりゃ無理だな」

 

「でしょう?」

 

 マルセルが内圧で風船のように膨れ上がり始めている四面体を見た。

 

「もう一つ問題があります。今の蠅の王(アレ)は存在のスケールに対して、実際に顕現している規模が小さすぎます。探った感触としては、生まれたての赤子に近い。その素になるエネルギーは始原武装からほぼ無尽蔵に供給されますから、放っておけば、これからどんどんその規模を拡大させていくでしょう。あくまで推測にはなりますが、一日もあればあの悪魔はこの都市の全域を覆い尽くすと思われます」

 

「……時間との勝負か」

 

 人員の不足はカバーできる可能性があったが、術式が存在しないのであればどうしようもない。魔術の新規開発など、天賦の才を持つ者がその半生を捧げてようやく一つできるかどうかの代物だ。到底一両日にできるものではない。かといってありもしない術式を探して、それを発動する術者を集める時間的猶予も残されていない。斬雄は術師としての知識と経験から、祓うという方法が不可能であると悟る。そうなれば蠅の王(バアルゼブブ)を退治する方法は一つしかない。

 

「あれを一撃で消し飛ばす火力か。しかし、さっきのホワイトベルの一撃が無傷となると、手詰まりだぞ」

 

 斬雄の使える魔術の中には、単純に広範囲の術ならばいくつかある。しかし、先程のクローディアの一撃に勝る威力となれば彼には手がなかった。

 

「いえ、一つだけ手はあります」

 

 クローディアは静かにそう言った。

 

「黒鉄の若頭、あれの足止めをお願いできますか?」

 

 視線を交わす。数瞬おいて斬雄は頷いた。

 

「わかった。そこの眼鏡エルフと腹黒そうな坊主を借りてもいいか?」

 

「ええ、扱き使ってください」

 

「お、お嬢様!?」

 

 自身の主の快諾にエルヴィスが焦ったような顔を見せる。

 

「それともう一つお願いが」

 

「ああ、わかった」

 

 クローディアが何かを言う前に斬雄は肯定を返した。

 

「普通、何かを聞いてから返事をしませんか?」

 

「必要なことなんだろう? なら、やるさ」

 

 それは戦士としてのクローディアへの信頼か。あるいは芽生え始めたそれ以外の何かか。その正体のわからぬ、しかし、はっきりとした彼の心に、クローディアは面映ゆさを感じつつ、わずかに眉間を上げて微笑みを見せる。

 

 そして、表情を真剣なものへ変え、真っ直ぐに蠅の王(バアルゼブブ)の方を見据える。

 

「――あれは私が滅します」

 

 

 クローディアがこの場を斬雄たちに預け、走り去る。

 

「さて、この場の全体指揮は俺が預かる。異論はないな?」

 

 その直後、斬雄は開口一番そう言った。

 

「私は問題ありません」

 

「……私も問題ない」

 

 エルヴィスの表情は、若干の不服さを滲ませていたが、それでもすぐに頷いた。黒鉄の指揮下で戦うのに不満がないかと言えば嘘になるが、そのような些事を気にしていられる状況ではない。

 

「お前はエルヴィスだったな。それでそっちのお前は?」

 

「マルセルです」

 

「そうか、俺は斬雄でいい。あれをここに押し留める鍵は数だ。面の波状攻撃で四方から抑え込む」

 

 黒い粒子自体を破壊できない以上、点と線の攻撃に意味はない。さらに一時的にせよ、マルセルの土壁で抑え込めていることから、質量で押し込むことはできると考えられた。故に重要なのは面による制圧。そのためには人手が多く必要だ。

 

「まずエルヴィスはホワイトベルの連中を纏めて、北から西側を担当してくれ。そっちの細かい指揮はお前に一任する」

 

「ふん、わかった」

 

 エルヴィスは頷いて、すぐに行動に移す。

 

「マルセル、お前は東、俺は南だ。できる限りフォローはするが、一人でいけるな?」

 

「斬雄、私よりもあなたの方は大丈夫ですか? 正直、満身創痍に見えますが……」

 

「問題ない」

 

 マルセルの懸念に斬雄は迷いなく頷く。確かに疲労感が全身を襲い、肉体は限界に近かった。治癒魔術は傷を癒すことはできるが、疲労までは回復できない。

 

 だが、それが何だというのか。そのような泣き言を戦場で言ったとて、何の意味もない。

 

 戦う意思は強く残っている。それで十分だった。

 

「黒鉄の方々はどうしますか? 居ると助かると思いますが……」

 

「呼びに行く余裕はない」

 

「まあ、そうですね」

 

 大地の壁が決壊する。溢れ出した蠅の群れが周囲に広がっていく。その数は明らかに先程よりも増えていた。絶えずその数を増やし、膨張し続けている。そして、触れた場所は無機物ですら、塵になって崩壊していった。

 

「あれでは再び囲うのは無理ですね」

 

「出来るだけの広範囲攻撃で押し込むしかないか」

 

 そう言って斬雄とマルセルは動き出した。

 

泥入道錬成(クレアーレゴーレム)

 

 マルセルが魔術を発動する。大地から多量の泥が盛り上がる。それは濁流となって、蠅の軍勢にぶつかり、やがて大きな丸い頭部を象った。即席のゴーレム。それ故にその姿は不完全で、足は形を為さず、地を擦って移動することしかできない。

 

起動(エメス)

 

 泥人形の額に“אמת(真理)”の文字が刻まれる。辛うじて形づくられた両の手のようなものが、蠅の軍勢を殴りつけた。蠅の群れが眼前の障害物に向かって殺到する。無論、それだけで全ての蠅を抑えつけることは不可能だった。ゴーレムに向かう以外の方向にも大量の蠅が拡散する。

 

 ひとまずホワイトベル・ファミリーが準備を整えるまでの時間稼ぎをする必要がある。斬雄はそのための魔術を選択し、詠唱する。

 

「蠢く枝 這い回る根 拡散する樹海 廻転する万斛(ばんかい)の鱗 白き(はだ)が波打つ 雲煙・牆壁(しょうへき)・杯水・八門 開きて 悉く呑み干せ」

 

 高位魔術の完全詠唱。竜の力、その一端が開放される。

 

青木咒法(せいぼくじゅほう)谺蛇流乱八波怒涛(かじゃるらんはっぱどとう)

 

 展開される八つの魔法陣。木が蛇の形を象り、洪水の如く蠅の王(バアルゼブブ)に放たれる。地を呑み干す程の大群が咢を突き立てながら、全てを押し流していく。広場の一帯が木の蛇によって埋め尽くされる程の波状攻撃。

 

 だが、蠅の王(バアルゼブブ)の勢いは衰えることなく、むしろ蛇を貪り食らうように強まっていく。

 

「総員、放てッ!」

 

 そのわずかに捻出された時間で、西側からホワイトベルの構成員を引き連れたエルヴィスが戻ってくる。

 

 北から西を囲うように陣形を組んで整列し、魔術を放ち始めた。

 

 岩の弾丸。渦巻く風。押し流す水。圧倒的物量により放たれ続ける魔術の弾幕が蠅の王(バアルゼブブ)の拡散を抑える。

 

 それを目障りに思ったのか、蠅の群れがホワイトベルに狙いを定めた。黒い呪詛が弾幕の隙間を縫って、構成員たちの体を襲う。

 

「うわぁぁぁ、腕がッ!」

 

「クソ、治癒魔術が効かない! なんだこれは!」

 

 幾人かの構成員たちがその呪いに飲み込まれる。魔術で治癒しようと試みる者もいたが、腐敗の力が強すぎて、その進行を遅らせることすら適わない。体の一部が腐り果てた者たちの慟哭が、周囲の動揺を誘う。

 

「怯むな! 必ずここを死守しろ!」

 

 風精霊の羽衣(シルフィードベール)を纏ったエルヴィスが前に出て、蠅の群れと対峙し、味方を鼓舞する。荒れ狂う風がエルヴィスの身を守り、蠅の群れを押し返した。

 

「触れなければ問題はない、距離を取って、押し込むことに専念しろ! 触れた者は一時引け、私が盾となる!」

 

「はっ!」

 

 誰よりも前に出て、皆の盾となるその姿に崩れかかった士気が立て直される。

 

「大した奴だ」

 

 その姿を見て、斬雄は賞賛の声を上げた。

 

 確かにエルヴィスの風を纏う力であれば、蠅の王(バアルゼブブ)に直接触れることなく、前線に立てる。しかし、あの腐敗する力を見て、そこに飛び込める度胸は決して並み大抵のものではなかった。

 

「三段撃ち、構え!」

 

 エルヴィスの指示に従い、ホワイトベルの構成員たちが整然と、淀みなく動く。

 

 三段撃ち。魔術師を三列に配置し、前列が魔術を放つ間、後列が魔術の詠唱を行う。これにより、完全詠唱によって放たれる高出力の魔術を間隙なく放ち続けることができる戦術だ。

 

「放てッ!!」

 

 広範囲かつ高威力の魔術が絶え間なく浴びせかけられる。魔術が波のように蠅の王(バアルゼブブ)を押し込んでいく。しかし、蠅の拡大速度が尋常ではない。一時的な拮抗を生み出しても、それを上回る速度で呪いが溢れ出す。三段撃ちによって形成された防衛ラインが少しづつ押し込まれる。

 

 そして、その影響を真っ先に受けたのは最前列で戦うエルヴィスだった。彼を覆う風を貫いて、蠅の群れが指に触れる。

 

「くっ」

 

 腐敗が浸蝕する。神経が蟲に食われたような激痛。エルヴィスは即座に自らの指を切り捨てた。

 

風精霊の嘆き(シルフィードクラマーレ)

 

 そして、自らを纏う風の精霊の力を全て前方に放出する。収束する風の力が広範囲を吹き飛ばす。それによって纏っていた精霊は消えるが、何とか蠅の群れを押し返すことには成功した。

 

風精霊の羽衣(シルフィードベール)

 

 すかさず風精霊の羽衣(シルフィードベール)を発動し直す。

 

 ――精霊魔術。“精霊”と呼ばれる特殊な素竜子構造体を構築するエルフ秘伝の魔術。その力は戦術的汎用性に富み、強力無比だが、その使用には脳への多大な負荷を要する欠点があった。

 

 間を置かない連続使用により、脳がオーバーヒートし、血圧が急激に上昇する。その身体負荷を物語るように、エルヴィスの眼球は赤く充血し、鼻から血が一筋垂れた。

 

 北西をエルヴィス率いるホワイトベル・ファミリー、南に斬雄、東にマルセル。四方から蠅の王(バアルゼブブ)を懸命に抑え込むが、ダメージを与える術がない以上、その拡大自体を止める術がない。時間が経過するにつれて、余力の差がはっきりと現れ、仮初の拮抗を維持するための手札が次々と無くなっていく。

 

 最初に崩れたのはマルセルが一人で担当している東側だった。ゴーレムは集る蠅を前に、肉体を維持し切れずに崩壊しかかっており、蠅たちは次のターゲットとして、術者であるマルセルに向かい始めている。彼は何とか土の障壁を展開し、身を守るが、蠅の王(バアルゼブブ)を押し留める次の手を打てないでいた。

 

 想定よりも拡大が速い。マルセルの方を手助けしたいところだが、斬雄もホワイトベルの構成員たちも、そんな余裕はなかった。

 

「ちっ、このままだと決壊するぞ」

 

 斬雄が魔術を放ちながらひとりごちる。あと少し、人員がいれば、そう思っていた時だった。

 

氷花八重咲(ひょうかやえざき)

 

 涼やかな女の声が凛と響く。

 

 蠅の王(バアルゼブブ)の東側周辺の空気が凍結していく。大量の蠅を巻き込むように、爆発的に膨れ上がる氷が薔薇のように広がっていく。

 

 斬雄の視界で、銀糸が揺れた。白皙の儚げな容貌。

 

 銀鏡鳴子がひらりと斬雄の隣に舞い降り、快活に笑って、斬雄に向かって横ピースをした。

 

「真打登場だぜ~、ぶい!」

 

 そして、彼女は改めて蠅の王(バアルゼブブ)の方を見て、口を大きく開けた。

 

「え、てか、あれ何!? ヤバそうだと思ってとりあえず攻撃したけど」

 

 鳴子に遅れて東の方から黒鉄会の構成員たちがやってくる。

 

 その先頭に立つのは朱奈だった。左腕を失っているが、それでも顔には戦意が満ちている。

 

 斬雄は最高のタイミングの援軍に笑みをこぼす。

 

 大丈夫か、なんて無粋なことは問わない。ここに来た時点でその意思はわかっている。

 

「あれには触れるな! 質量で押し込め! 時間を稼ぐ!」

 

 斬雄からの端的な指示を受け、朱奈と鳴子がやるべきことを理解する。

 

「りょーかいっ」

 

「オラァァァッ、やるぞ、野郎ども!!」

 

「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 朱奈が咆え、黒鉄会の者たちが雄叫びを上げる。

 

 それは勝鬨にも似て、味方を鼓舞する勇壮さだった。

 

 それを見たエルヴィスが自嘲の笑みを浮かべ、呟く。

 

「よもや黒鉄会(やつら)を頼もしいと思うことになるとはな」

 

 全く腹立たしいことだった。

 

「黒鉄に後れを取るな! 最後のもうひと踏ん張りだ!」

 

「はっ!」

 

 戦いは終局へ向かっていく。

 

 

 クローディアが街中を走る。

 

 その横に並走するようにカイが現れた。

 

「お嬢、イスハークは安全な場所に逃がしたぜ」

 

「もう一つ仕事を頼みます。十分(じゅっぷん)以内に時計塔周辺の人間を避難させてください」

 

「お、おいおい、無茶を言うなよ」

 

 たったそれだけの時間で全員を避難させることは困難を極める。

 

「──」

 

 クローディアはひと呼吸をおいて、表情を変えることなく口を開く。

 

「できなければ申し訳ないですが、そこにいる人々には巻き込まれて死んでもらうしかありません」

 

「……あの悪魔はそんだけヤバい代物ってことか。了解、まあやれるだけやってみるさ」

 

「お願いします」

 

 カイが頷いて、部下たちに指示を飛ばす。

 

 本当に死んでもらうしかないと思っていたわけではない。最短で危機を理解してもらうためにはこういう言い方が最適だろうという計算だった。

 

 これで周辺住民の問題は解決したと判断する。

 

「考えたくはありませんが、巻き込まれた住民がいた場合は私が責任を取るしかありませんね」

 

 命じた部下にその責を負わせるつもりはない。クローディアはそう自身に呟いて、一直線に時計塔へ向かう。この辺りは戦場だった広場からは遠いが、騒ぎを聞きつけたのか、表に出ている人の姿は少なかった。

 

 時計塔の裏側に回り、扉を蹴破って中に侵入する。ここの管理はホワイトベル・ファミリーの管轄のため、鍵を貰うことは容易だが、今は時間が惜しい。

 

 中では歯車がぐるぐると規則正しく回っている。

 

 階段を駆け上がる。

 

 整備用のエリアを越え、さらに上階へ。

 

 そして、時計塔の屋上に辿り着く。カシーヤを一望できる、この都市で最も高い場所だった。

 

 その中央にある巨大な魔法陣の中心に立つ。大きな円の中に一回り小さな円が、その中にさらに一回り小さな円が重なる、三層の陣。

 

 クローディアのその陣の中心にしゃがみ込み、指先で床に触れる。

 

起動(オーダー)

 

 その一言で、魔法陣の三層全体が白く光輝く。陣に心意を込めることで、その光が白から青へと変化していく。そして、全ての陣が青に変わった。

 

「開く、始まりの極点(ほし)を 其はニフラム・ベルフラムの誓約」

 

 一番外側の陣が回る。霧幻に包まれた妖精郷、その中央に位置する湖への門が開く。

 

「啓く、終わりなき天蓋(そら)を 其はクレンドルフの制約」

 

 一つ内側の陣が回る。施された封印が解かれ、湖の中心に大きな渦が巻き、その水底が露わになる。

 

「拓く、涯てに至る軌跡(ひかり)を 其はリシウスの成約」

 

 最後の陣が回る。水底から光の柱が天に昇る。

 

「いと尊き光の御子、月光の女王よ」

 

 その魔法陣は門ではない。門を開くための鍵。

 

「アルビオンの祖に連なりし、私が願う」

 

 錠前は担い手たる乙女の体にある。

 

「その奇跡を我が手に」

 

 魔法陣から白い燐光が湧き上がる。

 

 クローディアの胸骨付近から青と白の光の粒子が立ち昇った。

 

 やがてその光が集いて、壮麗な鞘に納められた、一本の剣が顕現する。

 

 白を基調とし、青い装飾に彩られた鞘が光の帯となって解かれる。

 

 その光がクローディアの身を包み、使用者を守る鎧となった。

 

 それは外敵から身を守る鎧ではない。

 

 自らの絶大な力から、発動者を守るための白き月の女王が与える慈愛。

 

 そして、純白の刀身が姿を現した。

 

 白鱗王リシウスの力を宿す始原武装。

 

 アルビオン大公家に伝わる選定の剣。

 

 古の盟約に定められた、人類を守護する清浄なる月明かり。

 

 其は、“月光剣”コルシアシス。

 

 彼女こそが妖精郷の奥地に封印されしその剣に選ばれし今代の適合者。

 

 クローディア・ステラ・アークトゥルス=アルビオン。

 

 即ちアルビオン初代大公アルトリウス直系の血を継ぐ姫。

 

 家名を捨て、しきたりを捨て、異国の地にあってなお、この剣は変わらず彼女を自らの主と定めている。

 

「――境界励起」

 

 迸る光の奔流が天を衝いた。

 

 

 

 南西方向から光の柱が雲すら突き抜けて立ち昇る。

 

「随分、派手な合図だ」

 

 それを見た斬雄は、わかりやすくて助かると笑った。

 

 そして、クローディアの言葉を思い出す。

 

 ――それともう一つお願いが

 

 ――準備が完了次第、合図を送ります。そうしたら蠅の王(あれ)を空に打ち上げてください

 

「さぁッ! 詰めの大勝負と行こうじゃねぇか!!」

 

 膨張し続けた蠅の王(バアルゼブブ)の質量を打ち上げるには、並みの魔術では適わない。

 

 故に彼は自身が有する最大の切り札を使う選択をする。

 

 円環が宙に描かれる。その中心から外縁に向けて一本の横線が引かれている。

 

「響く糸 交差して繋ぐ 西方の転輪 雷鳴と颶風(ぐふう) 朱鷺(とき)の唄 挺身する羅針盤 碇を降ろして集え」

 

 その線を引くようにして、円環を解く。

 

黄土咒法(こうどじゅほう)解纜羂伝(かいらんけんでん)

 

 魔術による言語を通さぬ直接的な意思伝達。斬雄の思考が朱奈、鳴子、エルヴィス、マルセルに伝う。それ故に四人は自らがするべきことを瞬時に理解する。

 

 それぞれが四方に散開する。北に鳴子、南に朱奈、東にエルヴィス、西にマルセル。発動するのは東方の結界術、故に先導は鳴子と朱奈が行う。

 

「四象結界」

 

 四つの方位を起点に立方体の障壁が現れ、蠅の王(バアルゼブブ)を閉じ込める。それは本命のための時間稼ぎだった。

 

 斬雄が結界の中心に飛び上がる。彼が務める方位は中央。

 

「母なる流星 大地(おおつち)海原(わたつみ) 泡沫(うたかた)の謳い (はし)る五行の巡行(じゅんこう)

 

 斬雄の言葉に従って、結界を覆うように、極大の魔法陣が展開される。複雑に絡み合った幾何学模様。それは移り変わる時を示す。これより行われるは、複数人による重奏詠唱。

 

「芽吹く東雲(しののめ) 霞の衣纏う天女 枝垂(しだ)れて舞う柳絮(りゅうじょ) 糸雨(しう)を編みて 麗らかに寿ぐ」

 

 エルヴィスが詠う。其は東方、司る季節は春、即ち青木の祝詞。

 

「照らす宵闇 天佑を満たす(うろ) 黄金を活かす泥 大輪明かりて 燦燦と咲く」

 

 朱奈が詠う。其は南方、司る季節は夏、即ち朱火の祝詞。

 

(みの)る黄昏 (くれない)染めて絹を裁つ (あつ)き風(きた)りて是穿つ 狐が走りて 四つ足肥ゆる」

 

 マルセルが詠う。其は西方、司る季節は秋、即ち白金の祝詞。

 

「閉ざす(あさ) 青海を駆ける天狼 散りゆく清き外套 山颪(やまおろし)(すさ)びて 岩戸に篭る」

 

 鳴子が詠う。其は北方、司る季節は冬、即ち玄水の祝詞。

 

 そして、地に力が満ちる。季節が巡る、五行は循環を示す。

 

 ――エルヴィスは凄まじい精神的疲労を感じた。心意が枯渇せんばかりに吸い上げられるようだった。一人当たりの負担が大きい。どう控えめに見積もっても一つの方位につき五人は必要だ。人を勝手に触媒にしやがって。という怒りが湧いてくる。それと同時に黒鉄斬雄の働きに驚嘆する。この魔術を習得しているのは、この場において彼しかいない。朱奈や鳴子も含め、エルヴィスたちはまさに触媒として使われているだけだ。術式を起動するためのエネルギーを吐き出す蛇口の一つに過ぎない。斬雄が実質的に二十五人分の魔術構築を単独で行っていた。エルフは生来、素竜子への感応力が他人種よりも比較的高く、魔術を扱うことを得意とする種と言えるのだが、そんな彼をして、その行為は常軌を逸していた。

 

「不変の循環 不滅の円環 全ての生命(いのち)は 生じる為に朽ち 朽ちる為に生じる (しき)は要らず (くう)も要らず 此処に万象流転の理を(こぼ)す」

 

 斬雄が締めを結ぶ。其は中央、即ち黄土の祝詞。

 

 地母竜ディシオーネ、その生命と豊穣の権能を引き出す秘術が発動する。

 

太極咒法(たいきょくじゅほう)星醒竜転(せいせいるてん)

 

 膨大な生命の循環が溢れ出る。

 

 大地が隆起する。舗装が剥がれ、その奥から草木が萌ゆる。小さな枝が、瞬く間に大きく太く伸びていく。一本、二本、三本、次々と目覚めるそれらが重なり合って、一本の巨大な樹を形成する。蠅の王(バアルゼブブ)の膨張よりも速く、伸長する大樹が蠅の群れを呑み込み、ただ天を貫くように伸びていった。

 

 

 クローディアは時計塔の最上階からそれを見た。大地より現れ、今もなお伸び続ける大樹。打ち上げられた蠅の王(バアルゼブブ)との射線上には、遥か遠くの空しかない。斬雄はしっかりと仕事を果たしてくれた。

 

 剣を構える。蠅の王(バアルゼブブ)にはアイシャが呑み込まれている。この一撃を放てば、彼女ごと全てを消滅させることになるだろう。

 

 だが、膨張し続ける災禍を前にこれ以上の猶予はない。あれは未だ揺籃(ようらん)の中にある。真の意味で蠅の王(バアルゼブブ)が完成すれば、この都市は一夜にしてあの腐敗に沈む。そして、その被害はこの都市を越えて、止めどない呪いが世界に拡散するだろう。

 

 それだけではない。もしこの都市が悪魔の手に陥落した時、旭花帝国が、西方諸国連合がどう動くか。

 

 オルランド・スパーダはこの状況を策と呼んだ。ならばこれを契機に戦争を引き起こす仕込みもすでに用意されていると考えるべきだろう。

 

 止められるとすれば今を置いて他はなかった。

 

 その上で、少女の命を奪うべきか。

 

 多数の人々と一人の少女。命の両天秤。

 

 問うまでもない。

 

 断じて否だ。

 

 大勢にとってたった一つに過ぎないとしても、少女にとってはかけがえのないたった一つの命。

 

 奪うことを正当化できるはずもない。

 

 だが、現実は常に決断を要求する。

 

 いつかではなく、その瞬間の決断を。

 

 選ばない。というのは逃避に過ぎない。

 

 決断からの逃避ではない。決断の結果からの逃避。

 

 選ばないことは、破滅のトリガーを引くに等しい。

 

 取り返しのつかない分水嶺。その賽は投げられている。

 

 数多くの命を奪ってきた。また背後の墓標が増える。無辜の墓標が一つ。

 

 多くの人は彼女の功績を称賛するだろう。だが、それが何の慰めになろうか。

 

 英雄譚は彼女に微笑まない。

 

「それでも」

 

 与えられた選択肢は常に最善とは限らない。それでもなお、一つの答えを選ぶ。

 

 息を吸う。覚悟はできた。

 

 命を奪い、その咎を背負う。

 

 過ちを許容せず、過ちを為す。

 

 未来永劫、自分自身がそれを赦さなくとも、それでもやってのけよう。

 

 クローディアがそう決めた瞬間、彼女の視界にそれが見えた。

 

「……一体、何を?」

 

 伸長し続ける大樹を走る男の姿。

 

 男、黒鉄斬雄は真っ直ぐに蠅の王の元へ向かい、迷うことなく、その呪いの汚泥の中に飛び込んだ。

 

 星醒竜転。地母竜ディシオーネが象徴する大地と豊穣の権能、地律の最小回帰原理。

 

 この魔術を発動している間、術者はこの原理を自在に操ることができる。

 

 自己組織化する生体ネットワークの地図を世界に描き、地中や大気の資源を収奪しながら、描かれた構造に並列投影によって再配置。応力経路を整形することで、同化を促進する。回帰と活性の二重螺旋。

 地に埋もれた小さな種を、瞬く間に大樹に変えることはその一つに過ぎない。その原理が人に与えられれば、あらゆる負傷、欠損を瞬時に癒す力となる。

 

 故に、斬雄は腐敗の濁流の中にあってもなお生きていた。

 

 無論、腐敗を無効化しているわけではない。今もなお彼の肉体は腐れ落ちている。肉が剥がれ、骨が崩れ、血が腐る。全身の神経を食い尽くされる耐え難い激痛が、斬雄の精神を切り刻み続けている。

 

 苦痛を感じる機能が麻痺することはない。感覚が麻痺するという異常は星醒竜転の力で忽ちに癒えていく。

 

 ──私が滅します。

 

 そう言ったクローディアの目を見て斬雄は、最悪の場合、アイシャ諸共蠅の王(バアルゼブブ)を討滅するという彼女の覚悟を察していた。

 

 眼球が食い尽くされて、再生される。視界が度々明滅する。

 

 飲み込まれたアイシャがどういう状況にあるのか、斬雄は知らない。これが正解かはわからない。もしかしたら救う手段などないのかもしれない。

 

 それでも斬雄は躊躇いなくこの呪いに飛び込んだ。

 

 大樹の上に立っている、その感覚すら断続的だ。

 

 死んでいるのか、生きているのかも、曖昧になっていく。

 

 全身を侵し尽くされてもなお、前に進む。

 

 何のためにか。決まっていた。

 

■■(ああ)

 

 クローディアの選択が間違っているとは言わない。それが出来得る最善だということに間違いはない。

 

「けどな」

 

 より良い選択を手繰り寄せる。その可能性を諦める理由にはならない。

 

 ――俺の手の届く範囲の奴は笑っていられるように。

 

「俺は、俺が満足行く結末(ハッピーエンド)以外を認めるつもりはねぇんだよッ!」

 

 そして、その手を掴んだ。掴んで離さないように抱き寄せる。蠅の王(バアルゼブブ)の中心から抜け出す。発動者を取り返さんと迫る蠅の群れが、未だ伸び続ける大樹に包み込まれた。高く伸びた大樹から落下する。腕の中からアイシャの熱と鼓動を感じた。

 

「後は任せたぜ、クローディア・ホワイトベル」

 

 その声は、聞こえたはずはなかった。

 

 だが、それに応えるように彼女は晴れ晴れと微笑む。

 

(You’)(ve )(done )(an )(excel)(lent)( job)、黒鉄斬雄」

 

 ──アルビオンの秘剣。白光、星光、華光。これらはコルシアシスの力を引き出すために編み出された魔法剣、その派生だ。コルシアシスを使わずにその力を、わずかなれど、人の身で再現する技。

 

 これより放たれるは、それらの大元となった本来の秘剣。即ち白鱗王リシウスの咆哮(ブレス)の完全なる再現。

 

 クローディアの背後に白光が翼のように現出する。

 

 ──世界は三つの固有振動場の均衡の上に成り立っている。

 

 魔術によって世界が乱されようとも、世界の秩序が失われることはない。竜という巨大な楔が、恒常性となって、即座に世界を基底状態に引き戻す。

 

 大地と人が引き合ったところで、人は大地に落下するしかないように、所詮、人の身では、それを壊すことなど出来はしない。

 

 だが、その瞬間、均衡が確かに崩れ去った。三律の秩序が崩壊する。

 

 第一振動場──“光輝の(きざはし)”が世界を塗りつぶす。

 

 それは光輝竜アルルトゥルーシュの波形の一端を写し取った月の輝き。

 

 発生した場の乱れによって、空気が捻れ、天地が苦悶に啼いた。

 

 大気中の分子が電離し、発生した高温プラズマが周囲を溶かす。

 

 そして、溢れ出る全ての熱量が急速に剣先の一点に凝縮された。

 

 光は黒く沈み、その中から白い輝光が姿を現す。

 

 クローディアの背から放射される白き光熱の翼が勢いを増す。

 

 その熱を推進力とし、彼女は矢となって放たれた。

 

 反動で時計塔が吹き飛び、大量の瓦礫となって崩れ落ちる。

 

 かつてリシウスが放った威光(ブレス)はこう呼ばれた。

 

地を穿つ白鱗王の威光(セル・ルギトゥス・コルシアシス)

 

 極大の熱光線を帯びた刺突が、直線上にある全てを貫く。

 

 大樹の檻を瞬時に蒸発させ、その中に閉じ込められた蠅の王(バアルゼブブ)を一片残らず滅却する。

 

 そして、威光(ブレス)はそのまま雲を突き破り、遥か天球、星々の窓を貫いて、無音の彼方まで、その咆哮を轟かせた。

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