二人の執行者を退けた日の夜、斬雄は商工会本部前の広場に来ていた。広場には戦闘の跡がそのまま残っている。路面の舗装が剥がれ、木製のベンチが近くの建物に突き刺さっている。所々地面は陥没し、腐食によって穴が開いてしまっている箇所もあった。
雲の隙間から覗く月と、倒れかかった街灯の仄かな明かりが広場を照らす。
斬雄は静寂に包まれたその場所を歩き、巨大な樹の前まで来た。辺りは土もほとんどないのに、草木が生い茂り、ちょっとした森林風景が形成されている。
星醒竜転によって異常成長を遂げたそれらは、元が風でこの辺りに飛ばされてきた植物の種子、即ち魔術に依って形を成した物ではないため、その力がなくなった後もそこに残っていた。
枝の先に花びらが満開に咲き誇っている。薄い桃色の、先端に少し切れ込みが入った、たくさんの花弁がついた花。
「桜、ですか」
斬雄に一人の女が声をかける。声がした方をチラと向くと、クローディアが立っていた。彼女は斬雄の横に並び、同じようにその八重咲きの桜を見上げる。
「ああ、季節外れもいいところだがな」
冷たい風が二人の頬を撫でる。もうそろそろ冬になろうかという時分だ。
「とはいえ一時的なもんだ。すぐに枯れて、もう花をつけることはないだろう」
ここは大樹を維持するのに必要な栄養素が十分に行き届くような環境ではない。今は力強く聳えているが、すぐに枯死してしまうだろう。
「……幹が弱れば、倒木の危険性もありますね」
これ程の大きさだ。伐採作業も大変なものになると予測されるが、幹が弱ってしまえば、どういう崩れ方をするのか予測困難になり、より危険性が高まるのは容易に想像がつく。
「ああ、早めに対処しておく必要があるな」
クローディアは改めて大樹とその周辺を見回し、頬を緩める。
「環境をここまで変化させるとは、傍迷惑な
それを受けて、斬雄は親指をアヴェスタ連山の方へ向けて口を開く。
「いやいや、規模で言えば、あっちの方が酷いだろ」
「あれに関しては、責任の半分はあなたにもあると思いますが……」
「それを言い出したら、この樹はホワイトベルの奴らと協力して植えたもんだぜ?」
責任を押し付け合っているように見えて、その実、軽い口ぶりの冗談を交わす。
「くっくっく」
「ふふふ」
二人がどちらからともなく、笑い声を上げる。
「アイシャの容態はどうですか?」
「さっき一度目を覚ました。かなり衰弱していたから、また眠っているがな」
「そうですか」
クローディアがほっと胸を撫で下ろす。
「……そういえば、あなたの体の方は大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない。危うく真っ二つになるところだったがな」
斬雄がそう言ってニヤリと笑った。
二発目の限定励起の発動。その瞬間に退避はしたが、それでもほとんど爆心地に身を置くようなものだ。星醒竜転の効果時間内でなければ、そのまま即死していただろう。
「さすがに今、執行者とやらのおかわりが来たらお手上げだな」
「……そうですね」
連戦に次ぐ連戦。素竜子を操るには心意、即ち多大な集中力を必要とする。
警戒は怠っていないが、さすがの剣鬼と剣姫も疲労困憊を隠し切れていなかった。
「今回はあなた方の協力のおかげで事を収めることができました、ありがとうございます」
クローディアが謝意を告げる。
「ああ、こっちこそ助かったぜ、ホワイトベル」
旭花帝国と西方諸国連合の戦争を目論む結社“虚空の柩”。二人が協力することで、今回は彼らの謀略を阻むことができた。
「ですが、これで終わりではありません」
「まあ、一度の失敗で諦める、なんてことはないだろうな」
「ええ、どのような手を打ってくるのかはわかりませんが、必ず彼らは再びこの都市にやってくるでしょう」
「……世界大戦、か」
斬雄もすでにクローディアから結社の目的たる“世界大戦”について聞き及んでいた。
「半信半疑ではある。それが起こるかどうかではなく、漁夫の利を得られる程の規模になるのかという点でな」
「旭花帝国も、連合も、技術的にも、人口的にも、過去に類を見ない程の国力を有していますからね」
歴史上、様々な摩擦を背景に、あまりにもくだらない理由で開戦することは、枚挙にいとまがないが、それでも戦争とは基本的に目的を持って行われる政治的行為だ。それは経済的な利益のため行われる場合もあれば、特定の民族や思想を絶滅させるために行う文化的な側面を目的を持つ場合もある。
今回で言えば竜血を巡る経済的な要因ということになるが、もし戦線が多面展開したとしても、戦争の犠牲による損失が、利益を上回る事態になれば、互いに譲歩して和平を探ることになるだろう。それが理性的で、合理的な選択だ。
故に、元の国力が大きい分、その犠牲が如何に多くとも、そこまでの弱体化を及ぼすとは信じ難くもあった。
「ですが、少なくとも、オルランド・スパーダはそうならない未来を見ているような口ぶりでした」
「そういう風に工作する用意があるのか。あるいは、何か別の思惑があるのか……」
クローディアがひと呼吸を置いて、斬雄の方を向いた。
「……黒鉄の若頭、私と共闘しませんか」
「共闘?」
「今回、敵は私たちを相争わせることでその目的を達成しようとしました。しかし、逆に私たちは互いに協力することで、それを退けることができました」
「今後も同じようにやっていこう、と?」
その言葉に斬雄は眉を顰める。
「……今回協力したのは偶々だ。黒鉄とホワイトベルが敵同士であることは変わらない」
帝国と連合の間には、文化的、経済的あるいは歴史的な幾つもの摩擦がある。協力するとは即ち、互いに接触の機会が増えるということ。それで相互理解が進めば結構なことだが、それは同時に、下手をしてその逆になる可能性も増えることを意味する。
「協力することが却って火を点ける結果になる、そういうこともあり得ない話じゃない」
「わかっています。だから提案するのは、あくまで私とあなたの共闘です」
表立った組織間のものではなく、あくまで秘密裏の、個人間の協力。
「……確かにそれでこの都市が火種になることは避けられるかもしれない。だが、火種は世界中に燻っている」
今や世界中に帝国と連合の手は伸びている。火薬庫は何もカシーヤだけではなかった。
「そうですね。もし彼らの手が世界中に伸びているのだとすれば、私たちが如何に努力したところで、全て無為に帰す可能性は無数にあります」
ただの時間稼ぎにしかならず、結末は変わらないかもしれない。
しかし、クローディアの瞳は揺らぐことなく、斬雄を見つめている。
「……だが」
斬雄はそう言葉を区切って、瞼を閉じる。
「結局、俺たちにできることはこの手足を動かすことだけだ。叶えられるのもそれが届く範囲だけ。どうしたって、その中でやるしかない」
元より斬雄は彼女の申し出を否定したいわけではなかった。彼にとっても、今ホワイトベルと事を構えることは本意ではない。それは決断を口にする前の、儀式のような自問自答だった。
それを知ってか知らずか、クローディアは静かに彼の言葉を待った。
「そして、ここを守ることができるのは、ここにいる俺たちだけだ。例え意味のない結末になろうとも、手の届く限りの最善を尽くす」
斬雄が瞼を開く。そして、真っ直ぐにクローディアの瞳を見た。
「いいだろう、俺たちの利害は一致している」
「ありがとうございます、黒鉄の若頭」
「……前から言おうと思ってたんだが、長いだろ、それ」
クローディアがきょとんと首を傾げた。
「斬雄でいい。これから長い付き合いになりそうだからな」
そう言って斬雄は手を差し出した。
「ええ、では私のことはクローディアと」
クローディアが差し出された手を握る。互いの瞳が、相手だけを映し出す。
今宵、二人がこの場所を訪れたのは示し合わせた結果ではなかった。
互いにここに来る理由があったわけでもない。
ただ、互いに何とはなくここに足を運び、二人はこうして出会った。
──故に、これは運命の夜だった。
「これからよろしくお願いします、斬雄」
「ああ、クローディア」
静かな夜。雲の合間に浮かぶ望月が二人を照らしていた。