竜星は廻る。~剣鬼と剣姫は動乱と陰謀の渦に抗う~   作:@雅也

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4-1.青い嵐

 黒鉄会の屋敷。畳張りの一室で二人の男が向かい合っていた。

 

「斬雄、貴様どういうつもりだ?」

 

 座椅子の上で胡坐をかいた、でっぷりと太った男が唾を飛ばす。男は欅材で出来た執務机を指先でトントンと叩くことで苛立ちを示していた。

 

「伯父上、どういうつもりとは?」

 

 その対面に正座する斬雄が伯父上と呼ぶその男は、名を黒鉄五輪という。旭花帝国の戦国期より続く由緒正しき武家である黒鉄家、その現当主である黒鉄刃弌の息子であり、黒鉄会においては会長を務める男だ。

 

 その姿はとても武家のものとは思えぬが、実際にこの男が評価されているのは武ではなく、金勘定の方だった。

 

「ホワイトベルの女をこの屋敷に招き入れた件のことだ!」

 

「あれはあっちが勝手に来ただけのこと。それに、その件で特に問題は起こっていないはずですが?」

 

「ふん、何も起こっていないことが問題なのだ!」

 

 見ての通り、斬雄と五輪の家族仲は険悪の一言に尽きた。正確には斬雄の方には五輪に対する隔意はない。五輪がほとんど一方的に斬雄を嫌悪しているのだ。

 

「あの女はホワイトベルの中心人物だというではないか。捕らえ、人質にでもすれば、この都市を黒鉄の、ひいては帝国の支配下に置くこともできるであろう」

 

「伯父上、よく考えてください。あれはただのマフィアとは訳が違うんですよ。あれ全体が連合のいわば尖兵。その№2を一人捕まえた程度のことで、奴らが易々と屈するはずがないでしょう。それとも全面戦争をしろと?」

 

「戦争? 上等なことではないか」

 

 五輪は斬雄の反論に、益々鼻息を荒くする。

 

「それとも貴様、この都市の重要性がわかっておらんのか? 今や世界の産業のあり様は次々と魔導科学によって塗り替わっている。今後もその重要性が揺らぐことはなかろう。なれば、この地を支配する者こそが次代の覇者となるのだ」

 

 商人にとって必要な素質、知的能力とは、学者などのそれとは性質を異にしている。

 

 求められるのは機を見るに敏。刻一刻と変化する商流で機を掴むには、熟慮よりも浅慮、時に思慮に欠けると思われる決断をする力も必要になる。そして、そういった決断をした者たちの、数多の亡骸の上に立つ一握りの勝者だけが、莫大な財を築く大商人となるのだ。

 

 しかし、それは一度の失敗が取り返しのつかない惨禍を招きうる、政治的な判断としては、お世辞にも上等とは言えないものだった。

 

「……伯父上の考えを蔑ろにするつもりはありませんが、問題が三つあります」

 

「問題ぃ?」

 

 五輪は訝しげな様子を見せながらも、背もたれに体重を預けた。

 

「一つは、正当性の問題。戦闘行為には大義名分が必要です。ここでの我々の立場は一つの民間組織に過ぎず、自衛の範疇を超えて武力を行使する法的根拠がありません。下手に表立って動けば、この地を領有するクライシュ帝国や、中立の国からの非難の的になるでしょう。そうなれば、連合に政治的優位性を取られかねません。ともすれば同盟国も離反し、連合側につく可能性だってある。そうなれば帝国の長期戦略にも甚大な悪影響を及ぼすことになるでしょう。

 

 二つは、戦力の問題。現状、この都市に投入されている黒鉄とホワイトベルの兵力は拮抗しています。そして、その数から戦闘は長期化する蓋然性が高い。戦闘が長期化すれば、竜血採掘事業も滞る危険性があります。その際の機会損失を考えれば、妄りに戦端を開くことは得策とは言えません。

 

 三つは、地理的な問題。カシーヤは帝国よりも地理的に連合側に近く位置しています。総合的な国力は帝国が勝るとしても、この都市への兵力の展開は、迅速性、その後の兵站の維持、いずれにおいても連合に優位があります。わざわざ不利な状況で開戦する必要はないでしょう。

 

 つまり、現状でホワイトベルひいては連合と事を構えるのは避けるべき、ということです」

 

 目を閉じて話を聞いていた、五輪が鼻で笑う。

 

「ふん、馬鹿なことを抜かすでないわ。正当性? そのようなものはどうとでもなることだ。

 

 クライシュなど見た目ばかり立派な張りぼてに過ぎん。中立国は吹いては飛ぶ弱小国家ばかり、同盟と言ってもアレは本質的には旭花帝国の属国に過ぎん。

 

 それに、採掘に影響すると言うが、そんなものは直ちにこの地を支配すれば問題ないことだ。多少手古摺ったところで、その程度の損失はすぐさま取り返せる。千載一遇の好機をみすみす逃してどうする。そも、くだくだと賢しらに言うておるが、貴様、ただ戦を恐れておるだけではないか?」

 

 五輪は斬雄の言をそう切って捨てた。そして、五輪が言ったことは、何も彼一人の考えというわけではなかった。

 

 魔導革命以降、帝国は敗戦らしい敗戦をまったく経験していない。故に帝国民にとって戦争とは勝って奪うものだった。戦争をする度に、帝国はその戦いで失った少数の犠牲よりも、遥かに多くの利益を得る。

 

 それは魔導走行車の交通事故で死ぬ人が毎年一定数いても、その使用は禁止されないのと同じだ。

 便益が遥かに上回れば、社会はその犠牲を当然のものとして受容する。ともすれば、英雄譚が持つ美名は、その勇猛を賛美し、死を礼賛することすらやってのけるだろう。

 

 それは人間の欲望が際限ないことを示す寓話、ではない。

 

 戦争による死が、戦争を行わないことで起こる経済苦による死を上回らない限り、自国民の最大多数最大幸福の名のもとに、死の両天秤が戦争行為を肯定する。

 

 それは眠れる獅子と謳われた“(シャオ)帝国”を引き裂き、その広大な版図を呑み干して以来、益々強まっていた。

 

 他国とは奪うための敵か、隷従する味方か。いずれかしか存在しないという世界観。戦争を避ける行為は臆病であり、死をも恐れぬ蛮勇こそが尊ばれる価値観。

 

 挙句に戦争によって世界を制覇し、帝国文明によってあまねく世界を照らすことこそが、帝国臣民の使命とまで嘯くものさえいる始末。それはその少数の犠牲さえ引き受けることのない、知識人(ペダント)言論人(スノッブ)、それを伝えるメディアによって、じわじわと帝国を蝕んでいた。

 

「なぜ父上はワシの息子ではなく、このような軟弱者に“白藤國次(はくとうくにつぐ)”を……」

 

 五輪は吐き捨てるように愚痴をこぼす。

 

 白藤國次とは、斬雄が黒鉄当主である刃弌より与えられた刀の号である。腰に佩いている刀とは異なり、常は斬雄の私室に置かれている。

 

 なぜこの刀が斬雄に譲られたのかと言えば、それは剣の腕前の差ということになる。無論、それを口にするつもりはない。五輪が逆上することは目に見えているし、それを誇示することも斬雄の趣味ではない。

 

 ひとまず斬雄は説得を諦めた。今の五輪には意見を変えるという選択肢が端から存在していないことを察したからだ。無駄なことは口にせず、言うべきことのみを告げる。

 

「……これはあまり言いたくないことですが、ここでの部隊指揮官はあくまで私です。あなたの仕事はあくまで竜血の採掘事業とそれに伴うインフラを整えること。口出しは無用です」

 

 黒鉄会は表向きは単なる商会としてカシーヤに進出しているが、実態は帝国政府および帝国軍のフロント企業である。その統制もまた軍の管轄下にあり、斬雄もまた対外的には帝国軍から除隊していることになっているが、内部の扱いとしては現在も軍属にある。そして、五輪はあくまで商人であり、軍に所属したことは一度とてない。

 

 つまり表向きの代表は会長である五輪となっており、普段も互いにそのように振る舞っているが、現在、黒鉄の構成員を指揮する権限を与えられているのは斬雄の方なのだった。

 

 そのことを理解している五輪は、納得できないという様子は崩さないながらも、黙り込む。そして、眉尻を下げて鼻を鳴らした。

 

「我々の本来の目的。それを忘れたわけではないということだな、斬雄?」

 

 先程までの感情的な熱とは違う、五輪の冷徹な目が斬雄を突き刺す。

 

 斬雄はそれを眉一つ動かさずに受け止める。

 

「無論です。()()()()()()()()()。それが帝国政府より我々に課せられた任務、それを忘れたことは片時とてありませんよ、伯父上」

 

 この都市の竜血の完全な独占、即ち連合勢力を排除した上での都市の占領。その橋頭保を築くことこそが彼らの本当の役割だった。

 

「この地を征すれば、エネルギー供給面においては、旭花帝国は大いなる安定を得るであろう。北部を含めた国土全域にその恩恵が届くほどにな」

 

 例えば帝国北部などは、例年厳しい冬季の環境が人々を襲っている。近年帝国に併合された北部民に対する帝国政府の扱いは、その土地の開発の旨みが薄いこともあって、決してよいものではない。しかし、カシーヤの掌握が叶えば、彼らの生活環境を安定させることにも道筋をつけられるだろう。

 

「……間違ってもホワイトベルの小娘に気を許すなよ。いずれ殺す敵だ」

 

 実際に接した、クローディアの気質は斬雄にとって好ましいものだった。

 

 だが、その程度の情で判断が曇ることはない。

 

 世界を正道にするための覇道などという妄言に斬雄は関心はない。

 

 彼が求めるのは、自身の手の届く範囲の人間が笑っていられる世界。

 

 そのためには武力とて手段として使う。それはある種の矛盾を孕んだ覚悟だった。

 

「わかっていますよ。ただ、現時点で武力に訴えるのは準備不足というだけです」

 

 その矛盾すらも飲み下し、斬雄は僅かな内心の澱を隠し通して即座に応答する。

 

 元より斬雄一人が抵抗したところで旭花帝国の方針は変わらない。最小の犠牲で、必勝を得る。それだけが彼に許された最善だった。

 

「ご理解いただけたのであれば、私はこれで失礼します」

 

 五輪は声を出さず、再び鼻を鳴らして返事をした。斬雄は目礼をし、退出する。

 

 部屋の外では、無精ひげを生やした大柄な男、ゴドーが控えていた。

 

「お疲れ様です、若」

 

 少し離れた辺りで、ゴドーがそう口を開く。

 

「ああ、全く伯父上にも困ったもんだ」

 

 実はこの手のやり取りは今回に始まったことではない。斬雄がこの地の指揮を任ぜられるに至ってより、折に触れて似たような意見は上がっていた。その度に斬雄はそれを却下し続けていたのだが、ホワイトベルとの諍いが増えるにつれ、五輪やその周囲の人間のみならず、元は軍属の構成員にすらその機運が高まりつつある。

 

 よくない兆候だった。今妄りに戦いを開始するわけにはいかない。

 

 しかし、これは今すぐにどうこうできる話ではない。故に斬雄は話を切り替える。

 

「それで、アイシャの様子はどうだ?」

 

「今は銀鏡(しろみ)の姐さんが勉学を見ているようです」

 

 斬雄は医師と相談した上で、鳴子に命じて、アイシャに勉強をさせるよう伝えていた。それは記憶喪失の状態を見る意味、あるいは頭を使うことで記憶を刺激する意味もあるが、それ以前にアイシャは就学児童の年齢だ。知識の量がその人間の発想を広げ、論理的思考は言語や数学を通して培われる。成長期の子どもにとって、学習の機会というのは非常に重要だった。

 

「鳴子は何か言っていたか?」

 

「今は初歩の算術も覚束ないようですが、利発で、すぐに教えたことを習熟すると言ってやしたね」

 

 アイシャを診た医師曰く、彼女は全般的に発達が遅れていると思われるとのことだった。体の成長もそうだが、特に情緒の発達が遅れている。

 

 情緒の発達には人間関係の構築が肝要だ。人は他者と関わることで、言語と共に様々な概念を体得し、その他者を通して自己を理解する。生得的に発達が周囲より遅い性質を持った者もいるが、医師はアイシャはそれに該当しないと結論づけていた。

 

 即ち、彼女は今までそれを発達させられる環境にいなかったということになる。それはなんとも不愉快な推測を抱かせるものだった。

 

 斬雄の足は自然とアイシャたちのもとへ向かう。

 

「あ、きりくん」

 

 アイシャがやってきた斬雄の姿を見て、声を出す。その呼び名は鳴子を真似たものだろう。

 

「どしたの? 勉強の進捗を聞きに来たの?」

 

 鳴子が急な来訪に首を傾げた。

 

「いや、それはゴドーから聞いた。根を詰めすぎても体に毒だ、少し遊びにでも出かけるかと思ってな」

 

「ん、いく」

 

 アイシャが頷く。それを聞いた鳴子がニヤニヤと笑っている。

 

「うわ~、ゲロ甘~。逸刀流の門下生たちに見せてあげたいぐらい。目玉飛び出て、そのまま無くしちゃうんじゃない?」

 

「くだらないこと言ってると、お前は置いていくぞ」

 

「はいはい、朱奈ちゃん起こすね」

 

 そう言って鳴子は、部屋の隅で大いびきをかいて寝ている朱奈の方へ近づいた。そして、気持ちよさそうに出している、六つに割れた腹直筋をぐいと踏んだ。

 

「えい」

 

「ぐえ」

 

 朱奈が珍妙な声を上げ、その瞼がゆっくり開いた。

 

「んん……んご? なんだ、飯か?」

 

「おでかけだって」

 

 四人がいそいそ身支度を整える。アイシャは昨日、買った服のどれを着ようと頭を悩ませていた。それを少し手持ち無沙汰な様子で見ているゴドーに、斬雄が声を掛ける。

 

「何やってんだ、お前も行くぞ」

 

「へ? よろしいので?」

 

「何を遠慮してんだ。それとも何か用事でもあったか?」

 

「い、いえ、特に急ぎの用事はないですが」

 

「じゃあ行くぞ」

 

「は、はい!」

 

 ゴドーは慌てて羽織物を取りに走り出した。

 

 支度を終えた五人は、斬雄を先頭に屋敷を出る。

 

 斬雄の横に控えるようにゴドーが歩き、後ろに朱奈と鳴子が並ぶ。アイシャは朱奈と鳴子の間で二人と左右の手を繋いで歩いていた。

 

 彼女は白地の着物に臙脂色のジャンパースカートに、つばの広い白いハットを被り、ブラウンの踵が低いパンプスを履いている。表情からは伺えないが、昨日買ったばかりの服を着て、どこかゴキゲンな雰囲気を感じるのは気のせいではないだろう。

 

「で、どこへ向かうんだ?」

 

 朱奈の問いに、斬雄は顎を撫でた。

 

「昨日、この辺は一通り回ったからな。中央付近の店を見て回ろうかと思ってるが……」

 

 そう言って、屋敷から西側へと歩を進める。カシーヤの中央には東西を分断する大通りが走っており、その付近は黒鉄やホワイトベルの縄張りとは全く雰囲気が異なっていた。

 

 そこは帝国と連合、二つの文化圏が交差する場所というだけではなく、大陸各地の多様な文化が集合する猥雑とした一角となっており、現地民や移民が好き放題に店舗や民家を建てて街が広がっていったという歴史的な経緯から、無秩序に形成された大通りに繋がる路地は、さながら迷路のような複雑な構造を有していた。

 

「まずは昼飯だな」

 

「それならクライシュ料理にしようぜ!」

 

「賛成~!」

 

「さんせー」

 

 朱奈の言葉に鳴子とアイシャが互いに繋いだ手を上げて賛意を示す。アイシャは単に鳴子の真似をしているだけかもしれない。

 

 そして、鳴子とアイシャがゴドーの方を覗き込んだ。

 

「え、あ、俺もいいと思いやす」

 

 その視線を受けて、ゴドーが慌ててそう言った。

 

「それならちょうど行ってみたい店があったんだ」

 

 そう言って斬雄は大通り付近にあるレストラン通りの方へ足を向ける。東西問わぬ様々な料理屋が立ち並び、いっそ節操がないと言った方が相応しい有様だったが、それを補って余りある程にその場所は活力に満ちていた。

 

「……あれ、何?」

 

 道中でアイシャがある建物を見て、指差した。指の先にあるのは都市南西にある一際高い塔だった。上部の四面に時計が掲げられているその塔は、カシーヤで最も高い建造物であるため、多少の遮蔽物があってもその姿を容易に確認できる。

 

「あれは時計塔だな」

 

 塔の屋上は平べったい形をしており、そこから都市全体を一望することができるだろう。

 

「上に時計が見えるでしょ? あれで時間がわかるんだよ~」

 

 鳴子がアイシャに説明しながら、ふと首を傾げた。

 

「そういえばあれっていつ頃からあるんだっけ?」

 

「確かホワイトベルがこの都市に本格的に進出を始めたタイミングで建造されたはずだ。妙に突貫工事で進めていた記憶がある」

 

 ホワイトベル・ファミリーの住まう屋敷が完成するよりも先にあの塔が出来ていたので、斬雄は当時、少し首を捻ったことを思い出した。

 

「ふぅん? まあホワイトベルの連中って時間にうるさそうだもんね」

 

 そこまで興味はなかったのか、鳴子はそれ以上その件を深掘りすることはなかった。

 

 そうこうしている内に目的の店に辿り着く。看板には“レゼットリ”と書かれていた。

 

 店内に入るとスパイスの香りが鼻腔を抜ける。

 

 昼時のため、席はすっかり埋まっていた。しかし、ちょうど他の客が出て行くタイミングだったので、それに入れ替わるようにして、それ程待たずに席に案内される。

 

 朱奈と鳴子が座る間にアイシャが挟まれ、その対面に斬雄とゴドーが座った。

 

「カリデスギュヴェッチってなんだ?」

 

 朱奈がメニューを見ながら呟く。帝国出身の三人には聞き馴染みのない料理名だった。

 

「直訳すると、海老の土鍋?」

 

 鳴子の言葉にゴドーが頷いた。

 

「そうです、野菜とエビをチーズと一緒に土鍋で焼いた料理っすね」

 

 さすがに現地人なだけあって詳しいようだ。朱奈と鳴子はアイシャの前にメニューを置いて、料理についてゴドーに聞きながら、次から次へと「これ食おうぜ!」「それいい~!」といったノリで次々に注文を追加していく。空腹時特有のいくらでも食べられるという万能感で、本当に食べられるかどうかという観点は失せていた。

 

 盛り上がりがひとしきり落ち着いた頃を見計らって、斬雄が店員を呼ぶ。

 

 混んでいる割に、それほど時間をかけずに次々と料理が運ばれてきた。

 

 平たい円形のピタパン。トマトとバターのソースがかかった羊肉のケバブ。ズッキーニのドルマ。ファラーフェル。塩と柑橘で味付けし、オリーブオイルであえたサラダ等々。先程話題になったカリデス・ギュヴェッチもある。

 

 並べられた皿で、大きなテーブルがびっしりと埋まった。

 

 朱奈がいつの間にか頼んでいたビールのジョッキを傾ける。ごくりごくりと喉を鳴らして、一息に飲み干した。

 

「カァーッ! やっぱ昼から飲む酒は最高だなッ!」

 

「飲みすぎるなよ」

 

「ああ、三杯までにしとくぜ!」

 

 そう言ってしたり顔で三本の指を立てる朱奈を斬雄は呆れた表情で見た。

 

 斬雄も鳴子も酒には強い方だが、朱奈は三人の中でも図抜けて酒が強い。

 

 確かに彼女の基準で言えば、三杯ではほろ酔いにもならないだろうが、それにしてもという奴だ。ある意味では、誰よりも酒に弱い女だった。

 

 その隣でアイシャが付け合わせのヨーグルトとケバブをピタパンで挟みパクりと被りつく。スパイスの香ばしさと濃厚な羊肉の旨味、ヨーグルトの酸味が口の中に広がり、目を輝かせる。

 

「口元にソースがついてるぞ」

 

 斬雄はそういってティッシュで彼女の口元を拭った。そこでふとゴドーが店内の一点を見ていることに気づく。

 

 彼の視線の先には、眼鏡をかけたおさげ頭の店員の姿があった。朴訥とした雰囲気の娘である。

 

「なんだ、惚れたか?」

 

「ち、違いやすよ!」

 

 慌ててはいるが、照れているという風ではない。どうやら本当に違うらしい。

 

「ただ、どーっかで見たことがある気がして……」

 

 改めて女の様子を観察したが、何の変哲もない町娘といった雰囲気だ。これといった特徴もない。斬雄も自分の記憶を探ってみるが、特に思い当たることはなかった。

 

「ああ、思い出した。商工会だ」

 

「商工会?」

 

「ええ、一昨日のホワイトベルとのダブルブッキングがあったでしょう?」

 

「ああ、お前が騒ぎを起こした奴だな」

 

「う、若……」

 

 ゴドーは気まずそうに口ごもる。

 

「ははは、冗談だ。で、それがどうかしたか?」

 

「事前のアポも俺が取ったんですが、商工会側の調整をしていたのが、あの娘なんです。たしか、ハリカって呼ばれてたかな?」

 

「へぇ」

 

 即ち黒鉄とホワイトベルのダブルブッキングをやらかした張本人というわけだ。ホワイトベル側の調整をした人間は別にいたかもしれないが、いずれにせよ伝達不足という点でやらかしたことに違いはない。

 

 そう言われて斬雄も思い出す。彼女は昨日、オルランドのもとを訪れたときに斬雄たちを案内してくれた受付嬢だった。あのときはおどおどとした様子だったから、店員として手際よく働いている姿とのギャップですぐに気がつかなかった。

 

「それがなんで飲食店で働いてるんだ?」

 

「なんか事情でもあるんですかね?」

 

 素朴な疑問を口にする。別に商工会の給金が安いわけではないだろう。

 

 そこでふと斬雄は顎に手をやって、少し目を細めた。

 

「……少し用ができた。後のことは任せる」

 

 斬雄は鳴子に財布を渡す。

 

「ん、どしたの?」

 

 渡された鳴子は料理を咀嚼しながら、口元に手を当てて首を傾げる。

 

「やっぱり待ちでいるのは性に合わないんでな」

 

 そう言って立ち去ろうとする斬雄の裾が引っ張られる。犯人は席の真ん中から体を伸ばしたアイシャだった。

 

「どうした?」

 

 斬雄が優しい声音で問う。

 

「ちょっとまって」

 

 アイシャはそう言って、ピタパンの中にケバブを詰める。そして、それを斬雄に突き出した。

 

「ん、おいしいよ」

 

 斬雄は頬を緩ませ、それを受け取る。

 

「ああ、ありがとな」

 

 アイシャの頭を優しく撫で、ケバブサンドを片手に店を出た。

 

 それを口にしながら、斬雄が思い出していたのは、先日サラから渡された資料についてだった。

 

 “レゼットリ”、それはここ最近頻発している、黒鉄とホワイトベルの間の揉め事が起きた場所の一つだ

った。

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