「な、なんだありゃ!」
黒鉄の屋敷から北西の方角が光る。白い閃光が都市上空を南東方向に貫いた。その光は三日前の夜、クローディアの魔法剣が放っていたものに酷似している。
「来たな」
オルランドと事を構えるにあたり、一番避けなくてはならないのは、黒鉄とホワイトベルが潰し合う状況になってしまうことだ。故にクローディアと話した夜の後、斬雄がまずしなければならなかったことは、黒鉄会の統制を取ることだった。
とはいえ、それでいきなり黒鉄とホワイトベルが同じ轡を並べて共闘と言われてもうまくいくはずもない。
加えてそれなりの根拠があるとはいえ、オルランドが外れの可能性もあった。
そうなったときに残るのは、戦闘準備が完了した敵対関係にある二組織ということになる。それでみすみす敵の思惑通りになっては、本末転倒もいいところだった。
故に二人は共闘ではなく、戦うべき敵がはっきりしてから、互いを敵と見做さない不可侵という形で戦闘を開始する段取りで行動することとした。
オルランドが素直にお縄につく可能性、オルランドが犯人ではない可能性、それ以外の犯人と遭遇する可能性など、他にも幾つかのパターンは検討していたが、商工会方面から放たれた閃光を見て、当初に考えていた流れで進んでいると斬雄は判断する。
「若様」
その傍に青白い顔の男が現れた。
男は赤の単と袴に、黒を基調とした両脇が空いた構造の上着を羽織っている。狩衣姿にも似ているが、伝統的なゆったりとした形ではなく、より現代的でスマートな印象のシルエット。
彼は黒鉄会に所属する陰陽師だった。
「アイシャの位置は特定できたか?」
「いえ、何度か探りましたが、やはり見つかりません」
占術、それは大地を通して素竜子の動きを観測する魔術の一種だ。そして、生物の肉体に在る素竜子は、指紋のように個人差のある波形が存在している。それを探ることで、彼ら陰陽師は、遠隔地から特定の人物の所在を把握することができた。その探知網は都市全域に渡る。
斬雄は昨夜の襲撃の後、彼らにその力でアイシャの行方を探らせていたが、その成果はあまり芳しくなかった。
「都市外部に出た可能性は?」
「若様のご指示の通り、都市内外への移動については特に目を配っております。絶対は申せませんが、未だ内部にいる可能性が高いかと」
「占術で探れないとなれば、何らかの方法で隠しているのか、それとも地脈近くにいるのか」
地脈とは、地に眠る竜血が通る道を差す言葉だ。占術は素竜子を観測するという特性上、多量の素竜子が流れる場所程、探りにくくなるという欠点があった。
「一つ気になる箇所がございます。ホワイトベルの領域近辺にあった地脈ですが、その中心地が数日前より別の場所に移動しております」
「……地脈が動いた?」
地脈とは自然の在り様であり、人の手でどうこうできるようなものではない。山河のように、災害の影響や、長い時間を経て、形を変えることがないわけではないが、一夜にして動くというのは、同様にあり得ないことだった。
「いや、地脈に相当するものが動いたと判断するべきか」
「それ程の素竜子を有するものは世界に二種しかございません」
一つは始祖──太古の超常生物。そして、もう一つはその力を宿す遺物。
「……始原武装、か」
斬雄の言葉に陰陽師の男は頷きを返す。
「その移動した先は?」
「商工会本部施設です」
ホワイトベルの縄張りから商工会本部へ。クローディアから昨夜聞いた話を考えれば、移動したのはおそらく、実験に使用されていた始原武装ヘテルツォラシュだろう。ならばその適合者であるアイシャもそこにいる可能性は十分にあった。
「我々が突入して、確認しますか?」
陰陽師の男の言葉に斬雄は首を横に振った。
「いや、お前らは引き続き都市の出入りを見張り続けろ」
敵の全容が見えない以上、下手に動いて都市の外に連れ出される方が厄介だ。オルランドを倒し、憲兵隊の力を借りて商工会本部を捜索する。それが現状の最適解だと斬雄は判断した。
「……」
斬雄が男の伺うような視線に気がつく。
「どうした?」
「本当にオルランド・スパーダと事を構えるつもりですか?」
その問いに、斬雄は眉間に皺を寄せた。
「……我々とホワイトベルの抗争を引き起こさんとする彼らの動きは不気味ですが、オルランド・スパーダを相手取るリスクは避けるべきです。聞きしに及ぶ武勇が真実ならば、かの男の力は“星将”に匹敵するものでしょう」
「帝国最強の“十二星将”と同等か。対峙した印象では、そう外れた前評判でもなさそうだったな」
オルランドの隙のない佇まいとその覇気を斬雄は思い返す。
「まあ、はっきりと言えば、俺たちより格上だ。数の利程度で立ち向かうには確かに心許ない相手だな」
「対峙するにしても、本国からの増援を待ってから。という方法もあるはずです」
「だが、おそらく敵が連れ去ったアイシャを素直にこの都市に留めて置く理由はない。今はお前ら陰陽師を総動員して、都市周辺の出入りを見張らせているが、その体力だって無限じゃない」
この状況を維持し続けるのは後一日が限度だろう。
「時間は俺たちの味方じゃない。二の足を踏めば、二度と取り戻す機会は訪れないかもしれない。だが、少なくとも今なら、アイシャはまだ手の届く範囲にいる」
「たった一人の少女のためにリスクを背負うというのですか?」
「ああ、命を賭けるには十分な理由だ」
迷いのない言葉。しかし、少し間を置いて、斬雄は深く目を瞑る。
「それに戦う理由はそれだけじゃない」
命を賭ける理由として不足はない。
だが、それはあくまで自分の命の話だ。
部下の命を自らの私情で散らせるつもりはない。
「もしアイシャを通して、始原武装が戦略兵器として運用し得る状況だとすれば、戦局ではなく戦争それ自体を左右し得る兵器の所在が、彼女と共に消えることになる。それは決して看過できない」
「しかし、今集まっている証拠だけでは、戦闘を行う根拠が弱いのではありませんか?」
「部隊を動かす名目なら民間人の保護でいい」
「……恣意的な指揮権の解釈は腐敗の温床になり得ます」
男の言っていることは正しい。非合法な作戦行為はあれど、それを無作為に行うことは、また別の危険性を孕むことになる。そういう観点で言えば、ここ最近の黒鉄とホワイトベルの諍いもまた、その萌芽の一つと言えた。
「わかっている。全て承知の上だ」
最小の犠牲どころか、必勝すら約束できない命令など、指揮官としては下の下だ。
しかし、始原武装を放置すれば、それが如何なる災厄を齎すかは想像もつかない。
「それでもやる必要がある。そう判断した。全ての責は俺が取る」
斬雄の強い眼差しを受けて、男は恭しく頭を下げた。
「若様、差し出がましいことを申し上げました」
「いや、言いにくいことを口にできるのがお前の美点だ、
二人はそれ以上何も言わず、景充と呼ばれた男は闇に溶けるようにその場を立ち去った。 そして、斬雄は閃光が放たれた方角を見て騒然としている構成員たちの方に向き直る。
「お前ら、さっき説明した通りだ」
黒鉄会の者たちは未だ混乱の只中にあった。すっきりとホワイトベルは敵ではないと飲み込めたわけではない。
しかし、彼らの本質は軍人だ。いくらこの地で、規律から幾ばくか解き放たれようとも、戦場で指揮官に逆らう愚を知らぬ者など一人もいない。
それが信を置く上官が相手ならば猶更だった。
「敵は商工会会長オルランド・スパーダ。昨日の落とし前をつけさせるぞ」
――黒鉄会の敵は定まった。
黒鉄の屋敷から斬雄を先頭に、武装した集団が移動を開始する。その物々しい雰囲気に、町民たちは様子を伺いながらも、何かが起こる予感を抱き、建物の中に退避し始めた。
◇
商工会本部に向かう道中、
「お前は……」
「こんにちは、黒鉄斬雄さん」
それはおさげ頭の受付嬢ハリカ・ナジャールだった。以前見たおどおどとした様子は微塵もなく、彼女は悠然とそこに立っている。後ろにはローブを被った影が二つ控えていた。
そして、ハリカの背後には、大通りを歩くには、似つかわしくない棺桶が置かれていた。
「どこに行かれるのですか?」
「決まっているだろう? お前らのボス、オルランドのところだよ」
その言葉を聞いたハリカが目を伏せる。
「そう、残念ね」
口調が変わる。ハリカは眼鏡を投げ捨て、おさげをほどく。それだけでガラリと印象が変化する。朴訥とした少女から、冷酷な暗殺者へ。
女の周囲にローブ姿の影たちが舞い降りる。通りを塞ぐように、ずらりと並んだ彼らのローブに描かれるのは、風魔竜クラルクロクラムへの信仰を示す渦巻く風の紋章。手には特化型魔導銃を携えている。もはや正体を偽る気はないようだった。
「俺たちの動きを読んでいたのか?」
「いいえ。ただ、ホワイトベルが商工会へ乗り込んだ動きから、私は念のためあなたたちの動きを監視するよう命じられていたのよ。黒鉄とホワイトベルの共闘なんて杞憂だと思っていたけれども、スパーダ様の懸念は当たってしまったようね」
正確にはそれは読みというより、盤面がそうなることを避けた一手だった。オルランドにとって、いざ戦いとなった場合、最も避けたいことは黒鉄とホワイトベルを同時に相手取ることだ。
故にそれが起こるかどうかは別として、可能性を排除せずに、足止めのための人員を配置しておいた。
それはいくつもの戦場を渡り歩いた傭兵としての嗅覚だった。
朱奈が一歩前に出る。
「まさかその程度の人数で私らを止める気じゃねぇよな?」
「ええ、勿論」
そう言ったハリカの指先から糸が伸びる。その糸を引っ張ると、彼女の背後に控えていたローブがはだけ、二体の人形が現れた。様々な武装を内蔵し、戦局に応じた多様な戦い方を可能にする戦闘用絡繰人形。
その人形を見た斬雄がぴくりと眉を動かす。
「そうか、ハリカ・ナジャール、お前が昨日の人形遣いか」
「ご明察」
朱奈がポキポキと拳を鳴らしながら鼻で笑う。
「ハッ、だからどうした。人形一つで戦局が変わるってか?」
「変わるとしたらどう?」
ハリカが艶然と微笑みを返す。彼女はさらに糸の一本を引いて、背に置かれた棺桶の蓋を開けた。
棺桶の中に入っていたのは、女だった。
烏の濡れ羽色の髪。
その姿からは生気がまったく感じられず、死体のようにも見えた。
否──。衣服の隙間から覗く球体関節。それは人ではなく、それを模した兵器、絡繰人形だった。
「まさか、それは……」
斬雄はその人形を見て驚愕する。
「ふふ、知っているようね。旭花帝国において当代最高の人形師に与えられる雅号“
それは文化史の教科書に出てくるような代物だった。旭花帝国がその在り処を把握している
「三代目不知斎が生み出したこの人形の名は“
人形が起動する。その金色の瞳が眼前の敵を見据える。
その手が前方に向けられ、両腕から無数の刃が突き出た。そして、腕を中心に刃が高速で回転し始める。金属が唸るような振動音が響き渡った。
「総員! 散会しろ!」
斬雄の号令と同時に、雅姫が一直線に突っ込んでくる。
空気を切り裂くような摩擦音と共に、死の螺旋が振るわれた。
それを迎え撃つように朱奈が斧を振るう。激しい火花と共に耳をつんざくような金属がひしゃげる音が聞こえる。朱奈の手に持った白鋼製の斧の刃先が木材のように削られていく。
雅姫の空いたもう片方の腕が朱奈に向けられた。そして、その手のひらに空いた噴出穴から勢いよく炎が噴き出す。逆巻く業火が朱奈の全身を呑み込み、その勢いのまま広範囲の家屋を焼いていく。
「工藤、物部! 隊を率いて、住民を避難させろ!」
「はっ!」
斬雄が配下に指示を飛ばす。ハリカの行動には周囲に配慮する様子がまるでなかった。一般市民への被害に一切頓着していない。迅速に雅姫を破壊し、ハリカを撃破する必要があった。
「清水、黒岩、新田、三井! お前らはあれの後ろにいる奴らの相手だ」
「はっ!」
露払いは部下に任せ、雅姫に対峙しようとした時だった。
「斬雄!」
炎の中から朱奈の声がする。鬼は高い生命力と火に対する耐性を有している。それ故、業火の中にあっても、軽度の火傷で済んでいた。
「ここは私が引き受ける! お前は先に行け!」
「だが」
「本命はオルランドだ! あいつさえ倒せば他の雑魚はどうにでもなる!」
朱奈が迷いを見せる斬雄を叱咤する。
「わかった。ここは任せた」
斬雄は頷いて、走り出した。
「行かせると思う?」
ハリカが妨害のため、残り二体の人形を動かす。
横切ろうとする斬雄に向かって、人形が曲刀を手に躍りかかった。
同時、雅姫を振り切った朱奈の斧がその人形の一つを叩き潰す。刃は潰れているが、その重量による鈍器としては十分に機能する。
「行かせるんだよ、私がなッ!」
ハリカが自身に迫る朱奈を見て嗤った。
「いいの? 雅姫を放っておいて」
雅姫が唸るような回転音と共に黒鉄の構成員に向かっていく。白鋼すら容易に削る、その回転する刃が当たれば、人体がどうなるかなど言うまでもない。
「う、おぉぉぉ!」
「チ、チクショウッ!」
逃げ惑う構成員たちが、その手の刃の回転に飲み込まれ、手に持った刀ごとバラバラの肉片になっていく。大量の血しぶきが舞い、それらが構成員たちに耐え難い恐怖をばら撒いた。
「ああ、問題ねぇよ」
「は?」
朱奈はそれを無視して、斧をハリカに向かって振り抜く。
ハリカは咄嗟に人形を盾にするが、その人形ごと家屋の壁に叩きつけられた。二つ目の人形もあっさりと砕け散り、残骸と化す。
「ガハッ」
頭を打ったことでハリカの視界が揺れる。
朱奈はそんな彼女に向かって斧を振り降ろし、追撃する。
ハリカは体を横に転がして回避するが、そんな彼女の髪を朱奈が掴んで引っ張った。
「ヘタクソな駆け引きしてんじゃねぇよ」
「ひっ」
朱奈の殺意に満ちた眼光とかち合った。思わずハリカの喉が鳴る。
人形遣いの弱点は、術者本人だ。どのような強力な武装も、使い手が死ねば無為になる。にも関わらず、その弱点を丸裸にしたまま、人質を取って悪人ごっこに興じるなど愚劣極まる行為に他ならなかった。
「グッ」
そのまま朱奈はハリカの顔面を壁に叩きつける。
ハリカの胸中が死への恐怖で一色に染まった。生存本能に従って、雅姫を呼び戻し、目の前の狂獣を少しでも遠ざける一心で、その腕の刃を振るう。
朱奈は迫り来る雅姫に向けて、ハリカを投げ飛ばした。
ハリカの耳の後ろでつんざくような刃音が響く。彼女は咄嗟に回転を止め、雅姫の両手を広げ、その胴体で自身の体を受け止めさせた。肉片のこびりついた刃が、彼女の目と鼻の先で滴る血を垂らしている。
朱奈は、顔を引きつらせるハリカを追走し、上段から斧を叩きつけた。
ハリカが雅姫の腕でその攻撃を防ぐ。衝撃波が互いの肌を撫でた。
雅姫の腕は、傷一つ付くことなく、朱奈の一撃を受け止めていた。朱奈はその手ごたえにおかしなものを感じる。よく見れば、斧は雅姫の躯体に触れていない。そのわずか手前で、何か薄い膜のようなものに阻まれていた
「障壁か」
雅姫はその全身に魔導回路による障壁が組み込まれていた。
材質を硬くすれば強度は上がるが、その分重くなり、操作性が悪くなる。
故にその躯体は、回路を刻むのに最も適した魔法金属であるオレイカルコスに、魔術障壁の術式を刻み込み、幾重にも重ねることで、操作性と強度の両立をさせていた。
ハリカは雅姫を前面に押し出して、その後ろに隠れる。その目の上はすっかり腫れ上がり、鼻の骨は折れ、その表情には強い怯えが滲んでいた。先程まであった虚飾の余裕は剥ぎ取られていた。殺さなければ、殺される。ただ、目の前の、恐怖の根源たる外敵を排除するという、最も純粋な殺意が彼女の瞳に満ちる。
「そうだ、それでいい。死ぬ気で来い。――さあ、始めようぜ、殺し合いをよぉ!!」
その様子を見て、朱奈が喜びに満ちた表情を見せた。
「は」
それを受けたハリカは渇いた笑みを一つ返し、眦をつり上げ叫んだ。
「するわけないでしょ、勝手に死ね!」
雅姫の口が大きく開く。中から機関銃の銃身が姿を現した。そして、銃内部の魔導回路によって生成された弾丸が、篠を突くように射出される。
朱奈は咄嗟に斧を盾にした。唸る轟音と共に、凄まじい衝撃が斧越しに響く。
ハリカの絡繰人形二つを破壊した。では形勢が朱奈の有利になったかといえば、それは違う。
不知斎の
初代不知斎が活躍したのがおよそ八百年前。ならば三代目がこれをつくったのは、六、七百年前ということになる。にも関わらず、その武装と性能は現代のあらゆる絡繰兵器を凌駕している。技術史で見れば、
そして、人形遣いは操る人形の数が少なくなれば、それに反比例して操作精度は上がる。即ち本番はここからだった。
「赫灼之相」
赤銅色のラインが心臓から全身に向かう。
沸騰しそうな高揚感。五感が研ぎ澄まされる。
弾丸の射出音と着弾音の差が縮まっているのを知覚する。
雅姫が機関銃を放ちながら、こちらに接近してきていた。
斧を前方に蹴り飛ばす。吹き飛んだ斧にぶつかって、雅姫の頭が上を向く。
その隙をついて接近し、再び斧を手に持って上段から叩きつけた。
雅姫の肩に凄まじい衝撃がぶつかるが、やはりその障壁を貫くことは叶わない。
正面から雅姫を打ち崩すのは不可能。ならばやはり術者を狙うのが最適解になる。
朱奈は雅姫を無視してハリカへ向かって走り出した。
ハリカが慌てて雅姫を呼び戻す。下手な足止めでは朱奈を止められないことはわかっている。
朱奈は、刃を高速回転させながら迫る、雅姫の方に振り返り、その斧を振るった。火花が散り、衝撃によって、轟音と共に雅姫の腕が弾かれる。開かれた口から覗く銃身が朱奈に狙いを済ませていた。それを見た朱奈は大きく息を吸い込む。
――
炎の直撃を食らってなお、障壁に守られる雅姫は無傷だった。しかし、障壁ではなく、弾丸を生成する魔導回路が刻まれた機関銃は別だ。銃身内部が熱によって溶け、動作不良を引き起こす。
「だからなんだってのよ!」
しかし、他の武装は未だ健在。ハリカは構わずに回転する刃を唸らせる。
「ハッ! 遠距離手段を失えば、後は私の方が近いんだよッ!」
この位置取りならば、雅姫を手元に戻す速度よりも、朱奈がハリカを叩き潰す方が速い。
「クッ」
朱奈が肉薄する。ハリカの目前に死が迫る。それを前に、ハリカは薄い笑みを浮かべた。
突如、朱奈の顔面めがけて、横合いから剣が飛来する。朱奈はそれを咄嗟に回避し、飛んできたものを見た。それは先程の攻撃で破壊したはずの絡繰人形の腕だった。
「操るだけなら、人形の形でなくてもできるに決まってるだろうがッ!」
それでもハリカが稼げたのはほんの一瞬。二撃目を防ぐ手は残されていない。
しかし、それで十分だった。
そのわずかな間隙で雅姫の刃が朱奈の体を捉えている。反射的に左腕を盾にするが、回転する刃が彼女の腕を肉と骨と血にバラバラに分解していく。神経が引き裂かれる激痛。だが、朱奈は強引に左腕を押し出して、距離を取った。
「──ッ」
片腕を犠牲に捻出した時間で、朱奈は何とか生きていた。しかし、回転刃に巻き込まれた彼女の左腕は肘から先が欠けて、大量の出血と共に骨が見えている。捩じるように切り裂かれた衝撃で、彼女の骨は二の腕辺りまで損傷しており、その左腕がもはや使い物にならなくなったことは明らかだった。
「勝負あったわね」
朱奈がじっと失った左腕を見る。
「ふふふ、
ハリカが勝ち誇った笑みを浮かべる。しかし、その表情はすぐに立ち消えた。
「なに、笑ってるのよ、アンタ? イカれてんの?」
肉が焼ける音がする。朱奈が自らの炎で傷口を焼灼する。
意識が断絶しそうな程の激痛。加えて傷口を焼いても太い血管まで塞ぐことは不可能だ。出血は完全には止まらない。失血死までの道は繋がったままだ。それでも朱奈は笑っていた。
「ハッ、そんなもん楽しいからに決まってんだろ!」
「……楽しい? 負けてなにが楽しいってのよ!」
ハリカは眼前の狂人が理解できないと金切り声を上げる。
出血を一時的に抑えたからなんだというのか。片腕を失うというのは、単にその腕を振るえなくなるというだけではない。人間はただ立ち、歩くだけでも、両手足を含めた全身の力を使い、それによってバランスを保っている。その一部を失えば、容易くバランスを崩し、戦うことは愚か、歩くことにすら支障が生じるだろう。
即ち朱奈は負けた。そして、死ぬのだ。その状態でなおなぜ笑えるのか。
「ああ? まだ勝負はついていないだろ」
その言葉に朱奈はただ笑みを返すのみだった。
ハリカはそれを負け惜しみと笑い飛ばすことはできなかった。
雅姫を前面に押し出して、彼我の距離を少しでも遠ざける。
手負いの獣ほど恐ろしいものはない。だが、厳然たる事実として、朱奈に雅姫を傷つける手段はない。
故にハリカは一切の油断なく、一歩もこちらに近づけることなく殺すことを選択した。
雅姫の手のひらを朱奈に向ける。火炎放射は彼女には効かない。ならばと、もう一つの武装を選択する。噴射口から煙が吐き出される。正体不明。しかし、殺戮人形に搭載するものなどそう多くはない。
「毒か!」
広範囲に散布される毒。朱奈は後方に飛び退り、
雅姫だけがその場に立ち尽くしている。
逃げたのか。否。これはあまりにもシンプルな結論だった。
術者が弱点ならば、最初から戦場にいなければいい。
近くにいない分、人形の操作精度は落ちるが、片腕を失った朱奈が相手であればそれで十分だった。それは彼女の臆病さによって研ぎ澄まされた殺意の刃。
守るべき弱所が消えた雅姫が起動を再開する。
「かははははッ!」
その絶体絶命の危機を前にしてなお、朱奈は哄笑する。
彼女にとっては闘争こそが悦びだ。切り結び、血を流し、骨を砕き、その先にある勝利を求めるプロセスこそが彼女の血を沸かせ、心を躍らせる。
全てはその代価。そのために受ける傷も、左腕も、この命すらも、人生を華々しく燃やし尽くす薪に過ぎないのだ。その先の死すら、戦いの果てであれば悔いにはならないだろう。
さりとて負けるつもりなど毛頭ない。最後の一瞬まで勝利を諦めないからこその悦びだ。故に自らの命すら喜んで燃やし尽くそう。
再び雅姫が迫る。朱奈が取れる選択肢はそう多くない。
斬雄なら雅姫は無視して、占術で術師を探し出し、殺すだろう。だが、残念ながら、彼女はその手の魔術が得意ではない。
鳴子なら術者を殺せるまで、辺り一帯を凍結させるぐらいのことはやりそうだ。だが、朱奈の広範囲手段は炎だ。この辺りの家屋は木造が多く、被害範囲が広がりすぎる。
自らの命を守って、守るべき弱者を死なせる。そんな生き恥を曝すような真似は御免だった。
では、どうするか。破壊できない以上は、どうにかして術者を見つけ出すしかない。
「いや」
そこまで考えて、朱奈は自らの思考を断ち切った。
「
赫灼之相によって発生したエネルギーを一点に集中する。斧を持つ右腕に。柄が熱で溶ける。問題はない。振り抜くまでのわずかな時間保てばいい。
突っ込んでくる雅姫の動きは精彩を欠いている。ただ真っ直ぐに向かってくるだけだ。とはいえ、その凶悪な回転音はしっかりと生きている。正面から受けるのは自殺行為だった。
「知ったことか」
その理性の警告を一蹴する。活路はこの正面にのみある。収束する熱。渾身の一撃が振り下ろされる。
雅姫の刃が届くよりも先に朱奈の斧が、肩の球体関節部、最も脆弱と思われるその箇所を捉える。
そこは躯体の継ぎ目であると同時に、障壁の継ぎ目でもあった。
「ウラァァァァァァァァッッ!!!」
戦場に響き渡る咆哮。渾身の一振りが雅姫を地面に叩きつける。
障壁が軋む。
あり得ない。そうハリカが思った瞬間、障壁が砕け散った。
そして、そのままの勢いで斧が雅姫の躯体を破砕した。
精密な魔導回路がショートし、その障壁はおろか、全身に備えられた武装全てが機能不全に陥る。
それを見て、朱奈が笑った。
「やっぱ正面から破壊しないと、楽しくねぇわな」
ハリカは雅姫が破壊されたのを確認し、即座に撤退を選択した。
「化け物め」
吐き捨てるようにそうひとりごちる。
いくら関節部が弱いと言っても、雅姫が破壊されるとは思ってもみないことだった。
その躯体は三代目不知斎によって刻まれた精緻な魔導回路により、幾重もの魔術障壁を張り巡らせることで、軽さによる操作性の高さを維持したまま、人間が扱いうる金属の中で最も硬いアダマンタイトにも匹敵する強度を有していた。
まさしく稀代の天才、不知斎の最高傑作と呼ばれるに相応しい兵器。それがただ一人の人間に壊されるなど、あり得ないことだった。
あるいは、ハリカの腕前では、繊細な素竜子操作を必要とする、その魔導回路の機能を十全に活かすことができなかったのか。そうだとすれば忸怩たる思いだが、いずれにせよ雅姫を失ったハリカがあの女に敵うことはない。
逃げなければ。
それは理性と感情がない混ぜになった選択だった。
そんなハリカの頭上に影が差す。
ハッと上空を見ると、猛禽のように狙いを定めて舞い降りる赤い鬼の姿があった。
「くっ、この」
ハリカは懐に入れた短刀で反撃を試みるが、抵抗空しく、頭部を地面に叩きつけられる。
「ぐっ」
それで朱奈の攻撃は止まらない。彼女はそのままハリカの頭を壁に擦りつけて、引きずり回す。戦力の要たる絡繰人形を全て失い、満身創痍の彼女にそれに抗する術はなかった。全身を身体強化で防護するがお構いなしとばかりに朱奈は走り続ける。
「がはははははははははは!!!」
「がぁっ、ぐっ、ご」
ハリカの呻き声は形にすらならない。そして、彼女の意識が薄れ、強化が弱まったタイミングで、朱奈はハリカの頭部を振り回し、大地に叩きつけた。
「が……ぁ」
ハリカの意識がなくなったのを確認して、朱奈は倒れるようにその横に腰を下ろした。少し戦場から離れてしまったが、残ったローブの集団については、黒鉄の構成員たちがうまくやるだろう。
このまま斬雄のもとに駆けつけたいところだが、さすがに深手を負いすぎた。血が足りておらず、くらくらと眩暈がする。赫灼之相・猩梵の反動と、さっきの攻撃のダメ押しで右腕も当分使い物になりそうにもなかった。
「あー、疲れた!」
朱奈はその場に大の字になって、意識を失った。