台湾有事 その日、日本有事になった   作:合点承知

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DAY -7

2030年8月18日 午前6時24分

東京都新宿区・防衛省

 

「増えてます」

 

若い分析官の声で、佐伯直哉二等海佐が紙コップから顔を上げた。

 

「何が」

 

「戻ってないものです」

 

佐伯は少しだけ眉を寄せ、椅子を画面へ寄せる。

 

「昨日の続き?」

 

「はい」

 

分析官が台湾周辺の地図を開いた。

 

演習初日に台湾東方へ出た中国海軍の駆逐艦2隻。

 

そのまま。

 

浙江省から前方基地へ移ったJ-16、4機。

 

そのまま。

 

昨日、民間輸送訓練を終えて帰港する予定だったRO-RO船2隻。

 

そのまま沖に残っている。

 

佐伯は画面を見ながら言った。

 

「全部、昨日確認したやつだな」

 

「はい」

 

「新しいのは?」

 

分析官が表示を切り替えた。

 

「東側の水上部隊にフリゲート1隻が追加されました」

 

「理由」

 

「今日の対潜・対海上訓練への参加」

 

「自然だな」

 

「はい」

 

「航空機」

 

「前方基地へさらにJ-16が6機移動しています」

 

佐伯の目が少し止まった。

 

「昨日の4機とは別に?」

 

「別です。合計10機」

 

「理由は」

 

「東方区域での連続訓練」

 

「自然だな」

 

「はい」

 

分析官がもう一つ画面を出す。

 

「RO-RO船は、昨日残った2隻に加えて、今朝新たに3隻が沿岸港から出ています」

 

「今日の輸送訓練?」

 

「そう見られています」

 

「去年は?」

 

「同じ日程で2隻です」

 

佐伯が紙コップを机に置いた。

 

「今年は3隻」

 

「はい」

 

「また少し多い」

 

分析官が苦笑する。

 

「またです」

 

佐伯は地図を眺めた。

 

艦艇。

 

航空機。

 

民間船。

 

どれも一つずつなら、演習の説明で十分だった。

 

むしろ大規模な統合演習であることを考えれば、何も不自然ではない。

 

それでも画面を見続けていると、昨日までとは少し違うものが見えてくる。

 

「戻ってないんだよな」

 

佐伯が言った。

 

「はい」

 

「増えることより、そっちか」

 

分析官が頷く。

 

「昨日まで『次の訓練だから』で説明できました」

 

「今日もできる」

 

「できます」

 

「じゃあ問題ないだろ」

 

分析官は少し黙った。

 

「説明できるものが増えてます」

 

佐伯が横を見る。

 

「何?」

 

「艦艇が残るのも次の訓練。航空機が前方基地に残るのも次の訓練。民間船が沖に残るのも次の訓練」

 

「うん」

 

「新しく部隊が加わるのも次の訓練」

 

分析官は画面を見る。

 

「何が起きても演習で説明できるようになってきてます」

 

佐伯は数秒黙った。

 

「そう。それが嫌なんだよ」

 

そこへ情報班長の一佐が入ってきた。

 

「朝から何を嫌がってる」

 

分析官が笑う。

 

「いつものです」

 

佐伯が横を見る。

 

「お前、その説明雑すぎるだろ」

 

一佐が紙コップを持ったまま画面を見る。

 

「何が増えた?」

 

「戻っていない部隊です」

 

佐伯が昨日からの変化を説明する。

 

一佐は途中で口を挟まなかった。

 

最後まで聞いてから腕を組む。

 

「でも全部、演習で説明できる」

 

「できます」

 

「評価を上げる?」

 

「まだそこまでは」

 

「じゃあ何が問題なんだ」

 

佐伯は少し考え、地図を指した。

 

「一つ一つを説明する必要が出てきたことです」

 

一佐が画面を見る。

 

「昨日までは?」

 

「『普通の演習です』で済みました」

 

「今日は?」

 

「『これは次の訓練です。こっちは効率化です。これは区域が広いからです』って、一個ずつ説明しないと普通に見えなくなってきた」

 

一佐が小さく息を吐いた。

 

「面倒になってきたな」

 

若い分析官が言う。

 

「演習という答えが便利すぎるんです」

 

一佐が紙コップを机に置いた。

 

「ここ数日ずっと便利だっただろ」

 

「今日は、ちょっと便利すぎます」

 

佐伯が笑う。

 

「それ、俺が昨日言った」

 

「記録してますから」

 

「やっぱりしてるじゃないか」

 

一佐が笑った。

 

だが笑いは長く続かなかった。

 

3人とも、すぐに画面へ視線を戻した。

 

午前7時42分

台湾・台北市

国防部関連施設

 

「東側が少し厚くなっています」

 

情報将校が台湾周辺の状況を表示した。

 

上官が画面を見る。

 

「昨日の2隻?」

 

「そのままです。今朝さらにフリゲート1隻を確認」

 

「航空機」

 

「前方基地への移動が増えています。J-16が合計10機」

 

「昨日4機だったな」

 

「はい」

 

上官は椅子にもたれた。

 

「今日の訓練は東側が中心だったか」

 

「対海上、対潜、航空阻止。公表内容には入っています」

 

「なら自然だ」

 

「はい」

 

情報将校はそう答えたが、画面を閉じなかった。

 

上官が気づく。

 

「まだある?」

 

「民間船です」

 

「何隻」

 

「昨日残った2隻に加えて、今朝3隻が出港しました」

 

「輸送訓練」

 

「はい」

 

「去年もやった」

 

「はい」

 

上官は少し笑った。

 

「じゃあ全部普通じゃないか」

 

情報将校もわずかに笑う。

 

「そうなんです」

 

「嬉しくなさそうだな」

 

「説明が全部同じなので」

 

「演習だから?」

 

「はい」

 

上官は台湾東側に並ぶ記号を見る。

 

「警戒態勢は維持」

 

「追加なし?」

 

「なし」

 

「東部基地の即応機を増やす要請が来ています」

 

上官の視線が止まる。

 

「何機」

 

「4機です」

 

「理由は」

 

「中国軍の東側活動が増えているため」

 

上官はしばらく考えた。

 

「今は認めない」

 

情報将校が少し驚く。

 

「昨日は2機増やしました」

 

「昨日は理由があった」

 

「今日もあります」

 

「今日さらに増やせば、中国も見る」

 

上官は中国沿岸部を指した。

 

「こちらが戦闘機を前へ出す。中国がそれを見て、さらに戦闘機を出す。こちらがまた増やす」

 

「終わらない」

 

「そうだ」

 

情報将校は腕を組んだ。

 

「でも、本当に向こうが準備しているなら?」

 

上官は少し間を置いた。

 

「その時は、今日増やさなかったことを後悔するかもしれない」

 

「では」

 

「だから難しいんだ」

 

上官は画面を見る。

 

「今は、まだ演習として説明できる」

 

「その説明を信じます?」

 

「信じるとは言ってない」

 

「でも動かない」

 

「動かないことも判断だ」

 

情報将校が黙った。

 

画面では、中国軍の航空機が台湾東側を飛んでいた。

 

それを台湾側のレーダーが追い続けている。

 

どちらも撃っていない。

 

どちらも、相手が先に何かすることを恐れていた。

 

午前9時18分

台湾・新北市

 

「今日、出社する」

 

怡君が言うと、俊偉がスマートフォンから顔を上げた。

 

「危機終了?」

 

「違う」

 

「じゃあ何で」

 

「家に飽きた」

 

俊偉が笑う。

 

「国家危機より在宅勤務に飽きる方が先だった」

 

「うるさい」

 

怡君はバッグに財布を入れた。

 

数日前に買った水の箱は、まだ部屋の隅に置かれている。

 

テレビでは中国軍演習4日目のニュースが流れていた。

 

昨日より扱いは短い。

 

キャスターが数十秒説明した後、すぐに別のニュースへ移った。

 

俊偉がテレビを見る。

 

「今日は短いね」

 

「何も起きてないからでしょ」

 

「軍艦増えたらしいよ」

 

怡君の手が一瞬止まる。

 

「どのくらい」

 

「1隻」

 

「……それニュースになる?」

 

「なった」

 

「じゃあ大丈夫でしょ」

 

「どういう理屈」

 

「本当に危なかったら1隻増えたとか言ってる場合じゃないでしょ」

 

俊偉が少し考える。

 

「妙に説得力あるな」

 

怡君が靴を履く。

 

「会社も通常勤務」

 

「また会社」

 

「今日はちゃんと出社するんだから文句ないでしょ」

 

俊偉は笑った。

 

「水、持ってく?」

 

「なんで会社に水箱持ってくのよ」

 

「備蓄」

 

「会社にある」

 

「最強だな」

 

「会社が?」

 

「うん」

 

怡君も笑った。

 

玄関を出る。

 

廊下の向こうから、いつもの生活音が聞こえていた。

 

演習4日目。

 

街はすでに、それを日常の一部として扱い始めていた。

 

午前10時53分

ハワイ・キャンプ・H・M・スミス

米インド太平洋軍司令部

 

「少し嫌な形になってきました」

 

若い情報将校が言った。

 

司令官が顔を上げる。

 

「昨日は30を下げる話してたよな」

 

「はい」

 

「一晩で何が変わった」

 

情報将校が大型画面に台湾周辺の配置を出した。

 

演習初日。

 

2日目。

 

3日目。

 

そして今日。

 

4枚の地図が並ぶ。

 

「活動量だけなら、大きな変化はありません」

 

「なら何が嫌なんだ」

 

「配置です」

 

若い将校が初日の画面を指す。

 

「初日に東へ展開した水上艦2隻が戻っていません」

 

次。

 

「昨日までに前方基地へ移ったJ-16、4機も戻らなかった」

 

今日。

 

「今朝、さらにフリゲート1隻とJ-16、6機が加わりました」

 

情報参謀が補足する。

 

「民間RO-RO船も一部が海上に残ったままです。ただし、すべて演習活動として説明できます」

 

司令官が若い将校を見る。

 

「君もそう思う?」

 

「はい」

 

「それなのに嫌だ」

 

「はい」

 

「面倒な男だな」

 

若い将校が少し笑う。

 

「仕事なので」

 

司令官は4枚の地図を見比べた。

 

「活動量が増えたんじゃない」

 

「はい」

 

「配置が戻らない」

 

「そうです」

 

情報参謀が言う。

 

「演習期間中に部隊を前方へ残すこと自体は珍しくありません」

 

「今年は区域も広い」

 

「はい」

 

「じゃあ合理的だ」

 

若い将校が頷いた。

 

「全部合理的です」

 

司令官が顔を上げる。

 

「それが問題?」

 

「少しずつ、侵攻時に必要な配置に近づいています」

 

部屋の空気がわずかに変わった。

 

司令官は台湾東側を拡大する。

 

「意図は?」

 

「分かりません」

 

「演習でも同じ配置になる?」

 

「なります」

 

「本気でも?」

 

若い将校は一瞬黙った。

 

「なります」

 

司令官が椅子にもたれた。

 

「嫌な答えだな」

 

「はい」

 

「30は?」

 

若い将校が答える。

 

「40への引き上げを提案します」

 

情報参謀が彼を見る。

 

司令官はすぐには答えなかった。

 

「10ポイント上げる理由を言え」

 

「新しい決定的証拠が出たからではありません」

 

「じゃあ何だ」

 

「これまで個別に見ていた兆候が、同じ方向を向き始めたからです」

 

司令官の目が細くなる。

 

「艦艇」

 

「東へ」

 

「航空機」

 

「前へ」

 

「民間船」

 

「海上に残る」

 

「それぞれ演習で説明できる」

 

「はい」

 

「でも並べると」

 

若い将校は画面を見た。

 

「戦争を始める前にも、欲しい配置です」

 

長い沈黙。

 

司令官が情報参謀を見る。

 

「反対?」

 

「40なら妥当だと思います。ただし警戒態勢の大幅変更はまだ不要です」

 

「理由」

 

「こちらが可視的に動けば、中国側の判断にも影響します」

 

司令官が小さく息を吐いた。

 

「お互い、相手が動くまで動きたくない」

 

「はい」

 

「でも相手が動いてからじゃ遅いかもしれない」

 

誰も答えなかった。

 

司令官は最後に言った。

 

「40に上げろ。ただし、行動は今の態勢の範囲内」

 

若い将校が頷く。

 

「了解」

 

「それと」

 

司令官は4枚の地図を指した。

 

「明日から『何が増えたか』だけじゃなく、『何が戻っていないか』を毎朝出せ」

 

「はい」

 

「増えるものは目立つ」

 

司令官は画面を見る。

 

「戻らないものは、慣れると見えなくなる」

 

午後0時21分

中国・福建省福州市

東部戦区指揮施設

 

「米側評価、上がりました」

 

情報参謀が言った。

 

周啓明中将が資料から目を上げる。

 

「いくつだ」

 

「40パーセント」

 

作戦参謀の表情が少し変わる。

 

「昨日30でした」

 

「知っている」

 

周は大型画面を見る。

 

「理由は」

 

「水上部隊、航空部隊、民間輸送船の配置が演習初日から戻っていないこと。活動量ではなく、配置の累積を見ています」

 

周の視線が地図へ移る。

 

東側の艦艇。

 

前方基地。

 

海上の民間船。

 

「気づいたか」

 

作戦参謀が言う。

 

「活動量は抑えています」

 

「相手も馬鹿じゃない」

 

「では戻しますか」

 

周はすぐに答えなかった。

 

「どれを」

 

「例えば、東側の水上部隊を一部」

 

「明日の訓練は?」

 

「影響します」

 

「航空機を元の基地へ戻す」

 

「出撃効率が落ちます」

 

「民間船」

 

「次の輸送訓練の準備が遅れます」

 

周が作戦参謀を見る。

 

「全部理由があるだろう」

 

「はい」

 

「だから置いてある」

 

「しかし、それが見られています」

 

「分かっている」

 

周は椅子にもたれた。

 

情報参謀が尋ねる。

 

「40まで上がった以上、こちらも計画を調整すべきでは?」

 

周は少し考えた。

 

「何を目的に調整する」

 

「相手の評価を下げるためです」

 

「それが目的になったら終わりだ」

 

情報参謀が黙る。

 

周は静かに続ける。

 

「我々は相手の評価を下げるために演習しているわけではない」

 

「しかし、警戒を上げさせないことも重要です」

 

「重要だ。だが最優先ではない」

 

作戦参謀が聞く。

 

「では?」

 

「相手に決断させないことだ」

 

「40でも?」

 

「40は決断ではない」

 

「50なら?」

 

周は少しだけ笑った。

 

「数字に意味を持たせすぎるな」

 

作戦参謀も小さく笑う。

 

「米軍が数字を出しているのに」

 

「我々は米軍ではない」

 

会議室の空気が少し緩む。

 

周は再び地図を見る。

 

「今日は計画を変えない」

 

「了解」

 

「ただし新しい前方配置は止めろ」

 

作戦参謀が顔を上げる。

 

「追加を止める?」

 

「今日だけだ」

 

「理由は」

 

周は画面を見る。

 

「相手が何を見るか、もう一日確認する」

 

「毎日疑え」

 

情報参謀が言う。

 

周は小さく頷いた。

 

「そうだ。自分たちが順調だと思った時ほどな」

 

午後2時47分

神奈川県横須賀市

護衛艦「まや」

 

「米側、40まで上げたそうです」

 

副長が言った。

 

村瀬健一艦長は海図から顔を上げた。

 

「昨日30だったよな」

 

「はい」

 

「何か出た?」

 

「決定的なものはありません」

 

村瀬が眉を寄せる。

 

「じゃあ何で」

 

副長が中国軍の配置を表示する。

 

「戻ってないんです」

 

村瀬は画面を見る。

 

東側の艦艇。

 

前方基地へ移った航空機。

 

民間輸送船。

 

「昨日も聞いたな」

 

「今日は少し増えています」

 

「少し?」

 

「少しです」

 

村瀬が苦笑する。

 

「またか」

 

「またです」

 

「一生『少し』って言ってる気がしてきたな」

 

副長が笑う。

 

「まだ4日目です」

 

「そういうこと言うな。長く感じる」

 

村瀬は海図を拡大する。

 

「海幕は?」

 

「基本評価は維持。ただ、警戒監視を強める方向です」

 

「うちは」

 

「今のところ変更なし」

 

「出港準備は?」

 

副長が村瀬を見る。

 

「昨日までより前倒しします?」

 

村瀬は少し考えた。

 

「できるところまで」

 

「侵攻だと思います?」

 

「まだ思わない」

 

「でも米軍40」

 

村瀬は画面を見たまま答える。

 

「40パーセントなら、まだ60パーセントは違うってことだろ」

 

副長が笑う。

 

「そういう使い方する数字ですかね」

 

「知らん」

 

村瀬も少し笑う。

 

「ただ、40なら準備しておいて損はない」

 

「弾薬も?」

 

「確認済みだろ」

 

「はい」

 

「燃料」

 

「問題なし」

 

「整備」

 

「前倒し分、今日中にほぼ終わります」

 

村瀬が頷いた。

 

「じゃあ、それでいい」

 

副長が聞く。

 

「乗員には?」

 

「まだ余計なことは言うな」

 

「理由は」

 

村瀬は一瞬考えた。

 

「40パーセントで全員を戦争の顔にしたくない」

 

「60パーセントは演習ですから?」

 

「そういうことにしとけ」

 

副長が少し笑った。

 

だが、そのあと村瀬はしばらく海図を閉じなかった。

 

午後4時36分

東京都千代田区・首相官邸

 

「米側が評価を40パーセントまで上げました」

 

黒田慎吾参事官が資料を置いた。

 

官房副長官が顔を上げる。

 

「昨日30だったよな」

 

「はい」

 

「何が見つかった」

 

「新しい決定打はありません」

 

「じゃあ何で上がる」

 

黒田は資料を開いた。

 

「配置の累積です」

 

「分かりやすく」

 

「演習初日に前へ出た一部の部隊が、元の位置へ戻っていません」

 

「次の訓練だからじゃないのか」

 

「中国側の公表内容だけを見れば、その説明で通ります」

 

「なら何が問題?」

 

黒田は少し考えた。

 

「一つなら問題ありません」

 

「今はいくつある」

 

「艦艇、航空機、民間船」

 

「3つ」

 

「それ以外にも後方支援、通信、補給があります」

 

官房副長官の表情が少し変わる。

 

「昨日までと何が違う?」

 

「昨日までは、変化を一つずつ見ていました」

 

「今日は?」

 

「並べています」

 

官房副長官は椅子にもたれた。

 

「並べると嫌になる?」

 

「かなり」

 

「防衛省は評価上げるのか」

 

「現時点では、表現上の大きな変更まではしていません。ただし警戒監視は一段強めます」

 

「何をする」

 

「衛星、哨戒機、通信情報の優先度を上げます。自衛隊の大きな可視的配置変更はまだ行いません」

 

「なぜ?」

 

「こちらが先に大きく動けば、中国側の警戒をさらに引き上げる可能性があります」

 

官房副長官が苦笑した。

 

「向こうが怪しいから動きたい。でも動くと向こうも怪しむ」

 

「はい」

 

「向こうも同じこと考えてるんだろうな」

 

黒田は少し間を置いた。

 

「おそらく」

 

官房副長官は資料を見る。

 

「終了予定は22日の正午」

 

「はい」

 

「あと4日」

 

「はい」

 

「4日待てば答えが出る?」

 

黒田はすぐには答えなかった。

 

「予定どおり終われば、かなり大きな安心材料になります」

 

「終わらなかったら?」

 

会議室が静かになった。

 

黒田は資料から顔を上げた。

 

「その時は、今日とは違う話になります」

 

官房副長官は数秒黙ったあと、小さく息を吐いた。

 

「まだ4日あるのか」

 

「はい」

 

「昨日は長くてもいいって言ったんだけどな」

 

黒田が少し笑った。

 

「今日は?」

 

「少し短くなってほしい」

 

午後6時58分

東京都新宿区・防衛省

 

若い分析官が新しい一覧表を画面に出した。

 

佐伯が見て、少し笑う。

 

「何だそれ」

 

「戻ってないもの一覧です」

 

「本当に作ったのか」

 

「米軍も似たもの作り始めたらしいですよ」

 

「真似した?」

 

「偶然です」

 

「怪しいな」

 

分析官が表を拡大する。

 

水上艦艇 台湾東方 3隻

 

J-16 前方基地 10機

 

民間RO-RO船 演習海域・沿岸待機 5隻

 

その下にも細かな項目が続いている。

 

佐伯は笑みを消した。

 

「これだけ見ると嫌だな」

 

「ですよね」

 

「でも全部理由がある」

 

「あります」

 

「艦艇は次の訓練」

 

「はい」

 

「航空機は出撃効率」

 

「はい」

 

「民間船は輸送訓練」

 

「はい」

 

「じゃあ普通だ」

 

分析官は少し笑った。

 

「言い切れます?」

 

佐伯は画面を見る。

 

昨日までなら、すぐに「普通」と答えたかもしれない。

 

「演習としては普通だ」

 

「もう一つの見方では?」

 

佐伯は少し黙った。

 

「侵攻するなら便利な配置だ」

 

分析官の表情から笑みが消えた。

 

「便利、ですか」

 

「ああ」

 

佐伯は地図を指した。

 

「台湾の東に艦艇が残る。航空機が前へ出る。民間輸送能力が沿岸と海上にある」

 

「でも数はまだ少ない」

 

「そう」

 

「侵攻を断定できない」

 

「全然できない」

 

「だから評価は?」

 

佐伯は椅子にもたれた。

 

「まだ大きく変えない」

 

分析官が頷く。

 

「米軍は40です」

 

「知ってる」

 

「佐伯二佐なら?」

 

「数字嫌いなんだよ」

 

「逃げましたね」

 

佐伯が少し笑う。

 

「じゃあ35」

 

「刻みましたね」

 

「適当だよ」

 

「聞かなきゃよかった」

 

2人とも少し笑った。

 

佐伯は再び一覧を見る。

 

「ただ」

 

「はい」

 

「昨日より嫌なのは確かだ」

 

分析官は頷いた。

 

「この表、毎日更新します」

 

「そうしてくれ」

 

「戻ったら消します?」

 

佐伯は少し考えた。

 

「ああ」

 

「全部消えたら?」

 

佐伯が笑った。

 

「22日にみんなで祝杯だ」

 

「酒飲めない人は?」

 

「コーヒーで我慢しろ」

 

「安いですね」

 

佐伯も笑った。

 

だが画面から、まだ何も消えなかった。

 

午後9時31分

中国・福建省沿岸

 

朝に出港したRO-RO船が、暗くなった海を進んでいた。

 

船橋で船長が時計を見る。

 

「帰らないのか」

 

航海士が新しい指示書を確認する。

 

「明朝まで待機だそうです」

 

「朝は夕方に帰る予定って言ってたよな」

 

「予定でした」

 

船長が嫌そうな顔をした。

 

「やっぱり嫌いだ、その言葉」

 

航海士が苦笑する。

 

「次の訓練準備だそうです」

 

「何やるんだ」

 

「詳細は明朝」

 

「知らない?」

 

「知りません」

 

船長は前方の暗い海を見る。

 

昼間なら遠くに見えていた軍艦の灯火も、今はほとんど分からない。

 

「他の船は」

 

「何隻か戻りました」

 

「俺たちは?」

 

「残ります」

 

船長は少し黙る。

 

「終わるの22日だったな」

 

「正午です」

 

「あと4日」

 

「はい」

 

「長いな」

 

「昨日も誰か言ってそうですね」

 

船長が笑った。

 

「軍の連中も思ってるだろ」

 

「たぶん」

 

RO-RO船は港へ向かわなかった。

 

海上に残った。

 

午後11時16分

中国・福建省福州市

東部戦区指揮施設

 

演習4日目の報告が終わろうとしていた。

 

作戦参謀が資料を閉じる。

 

「航空活動、計画比99パーセント。海上部隊、計画範囲内。民間輸送訓練、異常なし」

 

周啓明中将が言う。

 

「米国40」

 

「維持しています」

 

「日本」

 

「正式評価に大きな変更なし。ただし監視密度を上げています」

 

「台湾」

 

「警戒態勢維持。追加の大規模展開はありません」

 

周は頷いた。

 

作戦参謀が少し安心したように言う。

 

「まだ動きませんね」

 

周が彼を見る。

 

「まだ、とは?」

 

作戦参謀が一瞬言葉に詰まった。

 

「大きな配置変更がない、という意味です」

 

「それならそう言え」

 

「失礼しました」

 

周は大型画面を見る。

 

今日、新しい部隊の前方移動は止めた。

 

それでも昨日までの配置は残っている。

 

水上艦艇。

 

航空機。

 

民間船。

 

情報参謀が言った。

 

「米側は、活動量ではなく配置の累積を見始めています」

 

「日本もだろう」

 

「はい」

 

「明日は?」

 

作戦参謀が聞く。

 

周は少し考えた。

 

「基本活動は維持」

 

「新しい展開は?」

 

「必要なものだけ」

 

「抑える?」

 

周は首を横に振った。

 

「その言葉も違う」

 

作戦参謀が黙る。

 

「必要なものは動かす。必要でないものは動かさない」

 

「結果として増えたら?」

 

「増える」

 

「相手の評価が上がっても?」

 

周は作戦参謀を見る。

 

「相手の評価を気にして、必要な準備を止めたら何のための計画だ」

 

「では、気にしない?」

 

「それも違う」

 

周は少し疲れたように椅子へ背を預けた。

 

「難しいですね」

 

作戦参謀が言う。

 

周の口元に薄い笑みが浮かぶ。

 

「今頃気づいたか」

 

会議室に小さな笑いが起きた。

 

周は再び画面を見る。

 

「今日、米国は40まで上げた」

 

「はい」

 

「それでも大きく動かなかった」

 

「はい」

 

「だからといって、安心するな」

 

情報参謀が頷く。

 

「毎日疑え」

 

「そうだ」

 

周は台湾海峡を見る。

 

「彼らも我々を見ている。我々も彼らを見ている」

 

作戦参謀が言う。

 

「先に動いた方が不利になる?」

 

周はしばらく考えた。

 

「違う」

 

「では?」

 

「先に、相手に決断する理由を与えた方が不利になる」

 

誰も返事をしなかった。

 

演習4日目。

 

中国軍の活動量そのものは、大きく増えていなかった。

 

戦闘機は予定された回数だけ飛んだ。

 

艦艇も演習区域内で動いた。

 

民間船を使った輸送訓練も、前年と同じ種類のものだった。

 

一つ一つを見れば、何もおかしくない。

 

ただ、演習初日に東へ出た艦艇は戻らなかった。

 

前方基地へ移った航空機も戻らなかった。

 

海上に残った民間船も戻らなかった。

 

そして、その数は少しずつ増えていた。

 

昨日までは点だった。

 

今日は、その点を並べて見る人間が現れた。

 

米国は侵攻の可能性を30パーセントから40パーセントへ引き上げた。

 

日本と台湾は評価を大きく変えなかった。

 

まだ決定的な証拠はなかった。

 

それぞれの変化には合理的な説明があり、その説明はいまも成立していた。

 

だが、説明しなければならないことが増えていた。

 

「普通の演習」という言葉は、まだ使えた。

 

ただし昨日より、少しだけ長い説明が必要になっていた。

 

演習終了予定、8月22日正午まで、あと4日。

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