台湾有事 その日、日本有事になった   作:合点承知

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DAY -5

2030年8月20日 午前5時58分

ハワイ・キャンプ・H・M・スミス

米インド太平洋軍司令部

 

「6月まで戻しました」

 

若い情報将校が言った。

 

司令官は手元の資料から顔を上げる。

 

「何を」

 

「中国側の準備です」

 

大型画面に、福建省から浙江省南部、広東省東部までの沿岸地域が表示された。

 

その横に日付。

 

6月。

 

7月。

 

8月。

 

そして現在。

 

司令官が椅子を少し前へ動かす。

 

「昨日までは8月を見てたはずだ」

 

「はい」

 

「なぜ6月まで戻った」

 

若い将校が少し考えてから答えた。

 

「今見えているものだけだと、全部演習で説明できるからです」

 

司令官が小さく息を吐く。

 

「またその話か」

 

「またです」

 

情報参謀が衛星画像を切り替えた。

 

「最初は偶然だと思いました」

 

画面に中国沿岸部の基地が映る。

 

「7月上旬。複数の基地で燃料備蓄施設の稼働率が上がっています」

 

次。

 

「同じ時期に、整備施設への部品搬入が増加」

 

次。

 

「一部港湾で岸壁利用の調整」

 

次。

 

「民間RO-RO会社への運航変更要請」

 

司令官が眉を寄せた。

 

「全部演習準備?」

 

「単独なら」

 

「複数並ぶと?」

 

若い将校が答える。

 

「今やっていることと、方向が同じです」

 

司令官は画面を見る。

 

「いつからだ」

 

「兆候として拾えるのは6月下旬から」

 

「演習公表より前だな」

 

「かなり前です」

 

情報参謀が言う。

 

「もちろん、大規模演習なら数か月前から準備すること自体は不自然ではありません」

 

司令官が横を見る。

 

「そこを忘れるなよ」

 

「はい」

 

若い将校が別の画面を開いた。

 

「ただ、演習だけなら説明しにくいものもあります」

 

「例えば」

 

「一部の後方支援部隊で、通常の訓練期間を超える物資備蓄が行われている可能性があります」

 

「可能性?」

 

「正確な使用予定量までは分かりません」

 

「じゃあ断定するな」

 

「していません」

 

「よし」

 

司令官は椅子にもたれた。

 

しばらく3枚の画像を見比べる。

 

6月。

 

7月。

 

今。

 

それぞれを別の日に見れば、何の意味も持たない変化だった。

 

燃料が増えた。

 

車両が動いた。

 

港の予定が変わった。

 

民間船が整備に入った。

 

だが、現在から逆向きに見ると。

 

散らばっていた点が、少しずつ一本の線に見え始めていた。

 

「昨日まで我々は」

 

司令官が言う。

 

「中国が今、何をしているかを見ていた」

 

若い将校が頷く。

 

「はい」

 

「今日は?」

 

「いつから始めていたのかを見ています」

 

「結果は」

 

若い将校は少し間を置いた。

 

「演習開始日ではありません」

 

部屋が静かになった。

 

司令官が画面を見たまま言う。

 

「50は」

 

若い将校が答える。

 

「65への引き上げを提案します」

 

司令官が顔を向けた。

 

「一気に15上げる?」

 

「はい」

 

「新しい兵器が出たわけじゃない」

 

「はい」

 

「新しい部隊が突然現れたわけでもない」

 

「はい」

 

「それでも?」

 

若い将校は6月の画像を指した。

 

「今日見つけたのは、新しい動きではありません」

 

「何だ」

 

「古い動きの意味です」

 

司令官はその言葉をしばらく考えた。

 

そして情報参謀を見る。

 

「反対?」

 

「65は妥当だと思います」

 

「理由」

 

「現在の態勢だけなら、まだ演習で説明できます。ただ、現在の配置を作るための準備が演習公表以前から続いていた可能性が高くなりました」

 

司令官が頷く。

 

「65に上げろ」

 

「了解」

 

「ただし報告書には明記しろ」

 

若い将校が待つ。

 

「意図はまだ確認できない」

 

「はい」

 

「65パーセントは、65パーセントしかない」

 

「分かっています」

 

司令官はもう一度6月の画像を見る。

 

「問題は」

 

誰も口を挟まない。

 

「残り35が、いつ消えるかだ」

 

午前7時11分

東京都新宿区・防衛省

 

「米側、65です」

 

若い分析官が言った。

 

佐伯直哉二等海佐が画面から目を離す。

 

「昨日50」

 

「はい」

 

「何が出た」

 

分析官が米側の評価資料を開いた。

 

「過去画像です」

 

「過去?」

 

「6月から7月にかけての後方支援活動を再分析しています」

 

一佐も椅子を寄せる。

 

「具体的には」

 

「燃料、部品、港湾利用、民間船の整備、一部輸送契約」

 

佐伯の表情が少し変わった。

 

「演習準備じゃないのか」

 

「米側もその可能性は残しています」

 

「でも65まで上げた」

 

「はい」

 

一佐が資料を見る。

 

「どう思う」

 

佐伯はすぐに答えなかった。

 

若い分析官が日本側で保存していた過去画像を呼び出す。

 

「うちでも確認します?」

 

「当然」

 

画面に7月上旬の福建沿岸が出た。

 

佐伯は現在の画像と並べさせる。

 

「ここ」

 

「燃料関連ですか」

 

「そう」

 

「増えてますね」

 

「当時の評価は?」

 

分析官が検索する。

 

「夏季訓練および大規模演習準備に伴う活動増加」

 

一佐が苦笑する。

 

「見事に説明してるな」

 

「その時点では妥当です」

 

佐伯が言う。

 

別の日。

 

大型車両。

 

別の日。

 

民間港湾。

 

別の日。

 

一部部隊の整備活動。

 

若い分析官が言った。

 

「全部記録には残ってます」

 

「見落としてたわけじゃない」

 

佐伯が答える。

 

「意味を付けなかっただけだ」

 

一佐が腕を組む。

 

「当時は付けられなかった?」

 

「付けたら付けたで、何でも侵攻準備になります」

 

「今なら?」

 

佐伯は現在の配置へ戻した。

 

台湾東方の艦艇。

 

前方基地の航空機。

 

沿岸部のRO-RO船。

 

補給活動。

 

ロケット軍。

 

「今を見ると、意味が変わります」

 

分析官が聞く。

 

「侵攻準備?」

 

「可能性が上がった」

 

「佐伯さんも65?」

 

佐伯が横を見る。

 

「また数字か」

 

「分かりやすいので」

 

「嫌いなんだよ」

 

一佐が笑う。

 

「昨日45だったな」

 

「適当です」

 

「今日は?」

 

佐伯は少し考えた。

 

「60」

 

分析官が笑う。

 

「また米軍より5低い」

 

「別に合わせてるわけじゃない」

 

「明日70になったら?」

 

「その時考える」

 

一佐は2人のやり取りを聞きながら、過去画像を見続けていた。

 

「一つ聞く」

 

佐伯が向く。

 

「もし本当に侵攻するつもりだったとして」

 

一佐は6月の画像を指した。

 

「こんな前から始めるものなのか」

 

佐伯は頷いた。

 

「大規模作戦なら、むしろ直前だけでは無理です」

 

「でも、早く始めたら見つかる」

 

「見つかります」

 

「なら隠せない」

 

佐伯は少し笑った。

 

「全部は隠せません」

 

「じゃあどうする」

 

「普通の活動に見せる」

 

一佐の目が少し止まる。

 

佐伯が続けた。

 

「燃料を一気に運べば異常です。でも数週間かければ物流になります」

 

「船を一気に集めれば異常」

 

「数か月かけて整備や契約を増やせば、商業活動にも見える」

 

分析官が言う。

 

「軍を隠すんじゃなくて」

 

佐伯が頷いた。

 

「普通の中に埋める」

 

誰もすぐには話さなかった。

 

午前9時26分

中国・福建省福州市

東部戦区指揮施設

 

「米側が65まで上げました」

 

情報参謀が報告した。

 

作戦参謀の手が止まる。

 

周啓明中将は大型画面を見たままだった。

 

「理由は」

 

「6月、7月の活動を遡って分析しています」

 

周が初めて顔を向ける。

 

「何を見た」

 

「燃料、港湾、輸送契約、部隊整備、民間船」

 

作戦参謀が言う。

 

「そこまで戻ったか」

 

周は椅子にもたれた。

 

「戻るだろう」

 

「想定より早いです」

 

「何を基準に早いと言っている」

 

作戦参謀が黙る。

 

周が続ける。

 

「相手が現在に疑問を持てば、過去を見る。普通のことだ」

 

情報参謀が言う。

 

「日本側も過去画像の再分析を始めています」

 

周は小さく頷いた。

 

「止められない」

 

「一部活動を縮小しますか」

 

「過去を?」

 

作戦参謀が少し困った顔をする。

 

周はわずかに笑った。

 

「もう見られたものは消せない」

 

「では今後を」

 

「今後だけ急に変えたら?」

 

作戦参謀が考える。

 

「それも異常になります」

 

「そうだ」

 

周は台湾周辺の地図を見る。

 

「今さら普通に戻ろうとすること自体が、普通ではない」

 

情報参謀が聞く。

 

「米側の65をどう評価しますか」

 

周は少し考えた。

 

「数字そのものには興味がない」

 

「では何を」

 

「何を見始めたかだ」

 

「過去?」

 

「そうだ」

 

周は机の上の資料を閉じた。

 

「彼らは、今の配置だけを疑っている段階を過ぎた」

 

「計画全体を?」

 

「そこまでまだ届いていない」

 

作戦参謀が少し安心したように息を吐く。

 

周がそれを見る。

 

「安心するな」

 

作戦参謀の表情が戻る。

 

「失礼しました」

 

「65になったから危険なのではない」

 

周は静かに言った。

 

「相手が正しい質問をし始めたことが危険なんだ」

 

「正しい質問」

 

情報参謀が繰り返す。

 

周は台湾海峡を見る。

 

「いつ始まったのか」

 

誰も返事をしなかった。

 

午前11時03分

台湾・台北市

総統府関連施設

 

「米側評価は65パーセント」

 

国防部長が説明した。

 

総統は資料を見ながら聞く。

 

「昨日50だったわね」

 

「はい」

 

「台湾側は」

 

「現時点では60前後と見ています」

 

「理由は同じ?」

 

「概ね」

 

国防部長は過去数週間の資料を開く。

 

「ここ数日の活動だけなら、まだ演習で説明できます」

 

「でも」

 

「準備の一部が6月、7月から始まっていた可能性があります」

 

総統が顔を上げる。

 

「その頃、中国は演習を発表していない」

 

「はい」

 

「それだけで侵攻準備と言える?」

 

「言えません」

 

「なぜ」

 

「大規模演習も数か月前から準備します」

 

総統は少し苦笑した。

 

「また両方説明できる」

 

「はい」

 

「便利ね」

 

国防部長も少し笑う。

 

「最近よく聞く言葉です」

 

総統は資料を閉じなかった。

 

「軍の準備は?」

 

「昨日から航空機分散、弾薬・燃料分散を段階的に進めています」

 

「中国は見てる?」

 

「当然見ています」

 

「反応は」

 

「大きな加速はありません」

 

総統は窓の外を見る。

 

「それは安心材料?」

 

国防部長は少し考えた。

 

「以前なら、そう答えたかもしれません」

 

「今日は?」

 

「もう必要な配置がかなり進んでいるから、加速する必要がない可能性もあります」

 

総統の表情が硬くなる。

 

「嫌な答えね」

 

「はい」

 

「予備役は」

 

「限定的な準備を提案します。まだ大規模招集はしません」

 

「理由」

 

「大規模招集は社会的影響が大きい。それに中国側にも明確に見えます」

 

「でも遅れたら」

 

「そのリスクもあります」

 

総統は小さく息を吐いた。

 

「何をしても相手に見える」

 

「はい」

 

「何もしなくても時間がなくなる」

 

「はい」

 

少し沈黙したあと、総統が言った。

 

「準備は進めて」

 

「了解しました」

 

「でも、国民にはまだ『戦争が来る』とは言わない」

 

「はい」

 

「まだ、22日に帰る可能性がある」

 

国防部長が頷く。

 

「あります」

 

総統は演習日程を見た。

 

「あと2日」

 

その数字だけが、昨日までより重く見えた。

 

午後1時14分

東京都千代田区・首相官邸

 

「米側は65パーセントです」

 

黒田慎吾参事官が説明した。

 

官房副長官が資料を見る。

 

「昨日50」

 

「はい」

 

「今日65」

 

「はい」

 

「毎日上がってるな」

 

「ここ2日は」

 

官房副長官はページをめくる。

 

「過去の活動が原因?」

 

「そうです」

 

「でも、過去の活動は昨日も存在してただろ」

 

黒田が頷く。

 

「存在していました」

 

「じゃあ何で今日上がる」

 

「意味が変わったからです」

 

官房副長官が顔を上げる。

 

黒田は少し言葉を選んだ。

 

「同じ情報でも、後から別の事実が加わると評価が変わります」

 

「例えば」

 

「6月に燃料備蓄が増えた。それだけなら訓練準備です」

 

「うん」

 

「7月に民間船の整備が増えた。それも単独なら商業活動や演習準備です」

 

「今は?」

 

「それらが、現在台湾周辺に展開している部隊を支える準備だった可能性が出てきた」

 

官房副長官が資料を閉じる。

 

「後知恵じゃないのか」

 

黒田はすぐには答えなかった。

 

「その危険はあります」

 

「だろ?」

 

「だから断定はしていません」

 

「でも準備は進める」

 

「はい」

 

官房副長官は椅子にもたれた。

 

「難しいな」

 

「はい」

 

「何もしないで22日に帰ったら?」

 

「準備が無駄になります」

 

「侵攻されたら?」

 

「準備していなかったことが問題になります」

 

「結局やるしかない」

 

「そういう状況です」

 

官房副長官は少し考えた。

 

「輸送の話はどうなってる」

 

黒田が別の資料を出す。

 

「米側から、台湾への補給を想定した検討要請が来ています」

 

「もう?」

 

「まだ具体的な実施要請ではありません」

 

「何を運ぶ」

 

「現段階では未定です。医療物資、部品、通信機材、防衛装備など複数案」

 

「自衛隊?」

 

「それも案の一つですが」

 

黒田は少し間を置いた。

 

「民間輸送船の活用も検討対象です」

 

官房副長官の目が止まる。

 

「民間?」

 

「はい」

 

「戦争になるかもしれない海域に?」

 

「まだ『戦争になるかもしれない場合』の検討です」

 

「言葉を重ねるな」

 

黒田が苦笑する。

 

「すみません」

 

官房副長官は資料を見る。

 

「日本船籍?」

 

「その可能性も含めて」

 

「それ、かなり政治的に重いぞ」

 

「承知しています」

 

「中国から見たら?」

 

「日本が台湾支援に踏み込んだと見られる可能性があります」

 

「米国から見たら?」

 

「同盟国としての支援」

 

官房副長官が小さく息を吐いた。

 

「同じ船でも、見る側で意味が変わる」

 

「はい」

 

「候補だけ洗っておけ」

 

黒田が頷く。

 

「実施は?」

 

「まだだ」

 

「了解しました」

 

官房副長官は演習日程を見る。

 

8月22日正午。

 

「あと2日」

 

「はい」

 

「この2日で全部帰ったら」

 

黒田が少し笑う。

 

「この資料も全部、棚に戻せます」

 

官房副長官も笑った。

 

「そうなってくれ」

 

午後3時26分

神奈川県横須賀市

護衛艦「まや」

 

「今夜から外出制限です」

 

副長が報告した。

 

村瀬健一艦長は少し顔をしかめた。

 

「来たか」

 

「はい」

 

「全員?」

 

「当直・即応要員中心ですが、実質かなり絞られます」

 

「乗員の反応は」

 

「まだ説明前です」

 

村瀬は椅子にもたれた。

 

「昨日まで普通に帰れてたのにな」

 

「昨日まで米軍50でした」

 

「今日は65」

 

「はい」

 

村瀬が笑う。

 

「数字で勤務が変わるのか」

 

「防衛省に言ってください」

 

「佐伯に言っとく」

 

副長も少し笑う。

 

「本人は数字嫌いらしいですよ」

 

「知ってる」

 

村瀬は海図を見る。

 

中国軍の配置は昨日から劇的には変わっていない。

 

だが、こちらの態勢は変わり続けている。

 

「乗員にはどう説明する」

 

副長が聞く。

 

村瀬は少し考えた。

 

「中国軍の活動が継続しているため、警戒監視態勢を強化する」

 

「侵攻可能性は」

 

「言わない」

 

「65でも?」

 

「65だからだ」

 

副長が怪訝そうに見る。

 

「どういう意味です?」

 

「100じゃない」

 

「でも高い」

 

「ああ」

 

村瀬は副長を見る。

 

「だから、『戦争になる』とも『ならない』とも言えない」

 

副長が頷く。

 

「中途半端ですね」

 

「今は全部そうだ」

 

「乗員、一番嫌がるやつですよ」

 

「分かってる」

 

村瀬は少し笑った。

 

「俺も嫌だ」

 

副長が資料を閉じる。

 

「出港命令、来ますかね」

 

「来るだろう」

 

「いつ」

 

「分からん」

 

「またそれですか」

 

「便利だぞ」

 

副長が笑う。

 

「便利すぎます」

 

村瀬も笑った。

 

だが、その日の夕方から、乗員の生活は確実に平時から離れ始めた。

 

午後5時08分

東京都内

政府関係会議室

 

「民間船を使う?」

 

防衛省担当者が資料を見た。

 

国土交通省の担当者が頷く。

 

「候補を洗うだけです」

 

「どのくらいの大きさ」

 

「車両甲板を持つRO-RO船が中心でしょう」

 

「台湾まで行ける?」

 

「航続距離だけなら問題ない船はあります」

 

「乗員は民間人だぞ」

 

「分かっています」

 

「戦闘海域になったら」

 

会議室が少し静かになる。

 

国交省担当者が言った。

 

「その場合は、別の判断です」

 

防衛省担当者が苦笑した。

 

「最近そればっかりだな」

 

「何がです」

 

「今は決めない。でも決める時のために準備する」

 

「そういう仕事でしょう」

 

「そうなんだけどな」

 

資料には複数の船会社。

 

船名。

 

積載能力。

 

車両甲板面積。

 

航続距離。

 

就航状況。

 

その中の一つに、後に重要な意味を持つ船名があった。

 

海成丸

 

だが、この時点では候補一覧の一行にすぎなかった。

 

誰もその名前を特別扱いしなかった。

 

担当者がページをめくる。

 

「この船、船長が元海自ですね」

 

「誰?」

 

「高瀬修司。元二等海佐」

 

防衛省担当者が少し顔を上げる。

 

「艦艇勤務?」

 

「駆逐艦系統。航海、作戦畑」

 

「それは便利だな」

 

言った直後、担当者は少し嫌そうな顔をした。

 

「最近その言葉嫌いなんだよな」

 

国交省担当者が笑う。

 

「何でです?」

 

「便利なものばっかり集まってる気がする」

 

「船長の経歴まで中国のせいにしないでください」

 

会議室に小さな笑いが起きた。

 

その笑いの中で、海成丸の名前には小さな印が付けられた。

 

午後7時02分

ハワイ・キャンプ・H・M・スミス

米インド太平洋軍司令部

 

「日本側が輸送手段の検討を始めました」

 

情報参謀が言った。

 

司令官が顔を上げる。

 

「早いな」

 

「こちらから検討を依頼しています」

 

「実行じゃないぞ」

 

「理解しています」

 

「中国には?」

 

「現時点で表から見える動きはありません」

 

若い情報将校が資料を置く。

 

「ただ、日本政府内部で民間RO-RO船も候補になっています」

 

司令官が少し考える。

 

「危険だな」

 

「軍事的に?」

 

「政治的に」

 

「中国から見れば、日本による台湾支援」

 

「そうだ」

 

司令官は地図を見る。

 

「軍艦で運べば軍事行動に見える」

 

「民間船なら?」

 

司令官は若い将校を見る。

 

「もっと面倒だ」

 

「なぜです」

 

「止めにくい」

 

情報参謀が頷く。

 

「民間船に発砲すれば政治的影響が大きい」

 

「だが通せば積荷が届く」

 

「はい」

 

司令官は椅子にもたれた。

 

「まだ船を出せとは言うな」

 

「了解」

 

「日本には候補と準備だけ頼む」

 

「はい」

 

「台湾が攻撃されていない段階で動かせば、我々が状況を作ったと言われる」

 

若い情報将校が言う。

 

「軍事的には急ぎたい」

 

「政治的には急げない」

 

「昨日と同じですね」

 

司令官は苦笑した。

 

「昨日より面倒になってる」

 

「理由も必要」

 

「そうだ」

 

司令官は台湾周辺の地図を見る。

 

「我々には時間だけじゃない」

 

若い将校が待つ。

 

「理由が必要だ」

 

昨日と同じ言葉。

 

だが今日は、その意味が少し具体的になっていた。

 

午後9時43分

中国・福建省福州市

東部戦区指揮施設

 

「日本側で民間輸送船に関する照会が増えています」

 

情報参謀が報告した。

 

周啓明中将が顔を上げる。

 

「内容は」

 

「船舶の積載能力、航続距離、運航予定。まだ政府内部の検討段階と思われます」

 

作戦参謀が言う。

 

「台湾支援?」

 

「可能性があります」

 

周は少し黙った。

 

「可能性ではなく、何をしている」

 

情報参謀が言い直す。

 

「日本側が、台湾へ物資を送る場合に使用可能な船を調べています」

 

「それでいい」

 

周は地図を見る。

 

「まだ出港はしていない」

 

「はい」

 

「積荷も決まっていない」

 

「確認できません」

 

「なら、今は見るだけだ」

 

作戦参謀が尋ねる。

 

「実際に出た場合は」

 

周はすぐには答えなかった。

 

「積荷による」

 

「軍需品なら?」

 

「問題になる」

 

「止めますか」

 

周は作戦参謀を見る。

 

「どうやって」

 

「海警」

 

「その次は」

 

「従わなければ海軍」

 

周は少し目を細めた。

 

「その次は」

 

作戦参謀は黙った。

 

周が静かに言う。

 

「一隻の船を止めることと、日本を戦争に入れることを同じ机で計算しろ」

 

情報参謀が顔を上げる。

 

周は続けた。

 

「沈めれば積荷は台湾に届かない」

 

「はい」

 

「同時に、日本も戦争に届く」

 

会議室が静かになる。

 

作戦参謀が言う。

 

「まだ船は出ていません」

 

「だから今考えるんだ」

 

周は台湾の向こうにある日本列島を見る。

 

「出てから考えていたら遅い」

 

情報参謀が頷く。

 

「日本に理由を与えるな」

 

周が言った。

 

「彼らが欲しいのは、軍事的な理由だけではない」

 

「国内向けの?」

 

「そうだ」

 

周は静かに続ける。

 

「自国民に説明できる理由だ」

 

作戦参謀が聞く。

 

「日本は参戦したいのでしょうか」

 

周は首を横に振った。

 

「そういう話ではない」

 

「では」

 

「彼らも参戦したくない」

 

周は画面を見た。

 

「だからこそ、参戦せざるを得ない理由を渡すな」

 

誰も反論しなかった。

 

午後11時21分

東京都新宿区・防衛省

 

分析室には、6月から現在までの画像が並べられていた。

 

若い分析官が椅子の背を伸ばす。

 

「目が痛いです」

 

佐伯が隣で言う。

 

「帰れ」

 

「佐伯さんは?」

 

「もう少し」

 

「それ何回目です?」

 

「今日3回目くらい」

 

「じゃあ帰りません」

 

佐伯が横を見る。

 

「上司に逆らうな」

 

「直属じゃないです」

 

「便利だな、その立場」

 

分析官が笑う。

 

「最近便利って言葉好きですね」

 

「嫌いだって何回言わせる」

 

一佐が後ろから言う。

 

「まだやってるのか」

 

2人が振り返る。

 

一佐は画面を見る。

 

「何か増えた?」

 

佐伯が答える。

 

「今日の動きじゃありません」

 

「また過去か」

 

「はい」

 

佐伯は6月下旬の画像を指した。

 

「ここから始まってたと仮定すると」

 

一佐が眉を寄せる。

 

「仮定」

 

「大事です」

 

「続けろ」

 

「今回の演習は、単に演習の途中で侵攻準備に切り替えたんじゃない」

 

若い分析官が言う。

 

「最初から?」

 

佐伯はすぐに答えなかった。

 

「最初からその選択肢を残して準備していた可能性があります」

 

一佐の表情が変わる。

 

「演習で終わることもできる」

 

「はい」

 

「そのまま侵攻にも移れる」

 

「はい」

 

「どっちにするかは」

 

佐伯が現在の配置を見る。

 

「最後まで決めなくてもいい」

 

部屋が静かになった。

 

若い分析官が言う。

 

「それ、かなり嫌ですね」

 

「だから言っただろ」

 

佐伯は椅子にもたれた。

 

「今日は昨日より嫌だ」

 

一佐が演習日程を見る。

 

「あと2日」

 

佐伯も時計を見る。

 

「22日の正午まで」

 

若い分析官が言う。

 

「帰りますかね」

 

佐伯は中国軍の配置を見た。

 

艦艇。

 

航空機。

 

民間船。

 

ロケット軍。

 

燃料。

 

後方支援。

 

さらに、その背後に6月から積み重なっていた小さな変化。

 

「帰れば」

 

一佐と分析官が佐伯を見る。

 

佐伯は少し笑った。

 

「全部笑い話にできます」

 

「帰らなかったら?」

 

佐伯の笑みが消えた。

 

「その時は、たぶん誰も笑わない」

 

演習6日目。

 

この日、新しく見つかったものは多くなかった。

 

中国軍の艦艇も、航空機も、民間船も、昨日から劇的には増えていない。

 

だが日米台は、初めて現在から目を離した。

 

6月。

 

7月。

 

そして8月。

 

過去へ戻って見直すと、当時は無関係に見えた小さな変化が、現在へ向かって並んでいた。

 

燃料。

 

部品。

 

港湾。

 

民間輸送。

 

整備。

 

後方支援。

 

一つ一つには理由があった。

 

演習準備。

 

商業活動。

 

夏季訓練。

 

定期整備。

 

どれも間違った説明ではなかった。

 

だが、それらが同じ未来へ向けて準備されていた可能性を、もう無視できなくなっていた。

 

米国は侵攻可能性を65パーセントまで引き上げた。

 

台湾は防御準備を進めた。

 

日本は、自衛隊の態勢だけでなく、台湾へ物資を送る手段の検討まで始めた。

 

その候補一覧の中に、一隻の民間RO-RO船の名前があった。

 

海成丸。

 

まだ誰も、その船が海峡へ向かうとは決めていなかった。

 

まだ何も積んでいなかった。

 

まだ乗員にも何も知らされていなかった。

 

ただ、選択肢として名前が書かれた。

 

それだけだった。

 

演習終了予定、8月22日正午まで、あと2日。

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