台湾有事 その日、日本有事になった   作:合点承知

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DAY -15

2030年8月10日 午前6時21分

東京都新宿区・防衛省

 

「増えたな」

 

佐伯直哉二等海佐が、ディスプレイを見たまま言った。

 

福建省沿岸。前日と同じ港湾群、同じ道路、同じ飛行場だったが、画面に重ねられた赤い印は昨日より確実に増えていた。

 

若い分析官が端末を操作する。

 

「民間RO-RO船が昨日から4隻増えています。演習海域周辺で確認できるだけでも11隻です」

 

「去年は?」

 

「同じ時期で8隻でした」

 

「3隻増しか」

 

佐伯は椅子を少し前へ寄せた。

 

「その4隻、何を積んでる」

 

「そこまでは確認できません。少なくとも、軍用車両を積み込んでいるところを明確に捉えた画像はありません」

 

「AISは?」

 

「2隻が入港後に一度消えています。1隻は約40分、もう1隻は2時間ほど。その後は通常通りです」

 

後方から、紙コップを持った情報班長の一佐が近づいてきた。

 

「昨日より面白くなったか」

 

佐伯が振り返る。

 

「面白いという言葉が適切なら、少しだけ」

 

「侵攻か?」

 

「まだそこまでは」

 

一佐が苦笑する。

 

「昨日からそればっかりだな」

 

「昨日と状況がそんなに変わってませんから」

 

佐伯は画面を切り替えた。台湾海峡周辺の推定戦力配置が表示される。

 

「海軍艦艇は36隻。昨日から2隻増えています。052D型と055型が中心です。J-20とJ-16も追加で前進展開。ロケット軍にも移動兆候があります」

 

一佐が画面を眺めた。

 

「それだけ聞けば、十分嫌な感じだが」

 

「問題はこっちです」

 

佐伯が中国沿岸部を拡大する。

 

「揚陸艦の数はほぼ変わっていません。病院船も通常任務のまま。民間港湾の軍事利用も限定的です」

 

「陸軍は?」

 

「大規模な前進集結は確認できません」

 

「内陸で待ってるかもしれないぞ」

 

「もちろん、その可能性はあります」

 

「なら安心できないだろ」

 

佐伯が少し笑った。

 

「安心してるわけじゃありません」

 

「じゃあ何だ」

 

「見えていない部隊がいるかもしれない、見えていない船がいるかもしれない、見えていない弾薬があるかもしれない。それを全部足して侵攻だと言い始めたら、分析じゃなくて想像になります」

 

一佐は紙コップを口元まで持っていき、そこで止めた。

 

「嫌な仕事だな」

 

「今さらですか」

 

若い分析官が笑いをこらえながら言った。

 

「ただ、1つ気になるものがあります」

 

佐伯が振り返る。

 

「何だ」

 

「後方支援です」

 

画面が切り替わり、福建省と浙江省の複数地点に小さな四角が点滅する。

 

「燃料輸送、整備部品、医療資材。この3系統で車両移動が増えています」

 

一佐の表情が少し変わった。

 

「同じ場所で?」

 

「いえ。それぞれ別です」

 

「タイミングは?」

 

「それも完全には一致しません」

 

「なら演習準備で説明できるな」

 

若い分析官はそう答えたものの、画面から目を離さなかった。

 

佐伯がそれに気づく。

 

「何か引っかかる?」

 

「全部が少しずつ増えてるんですよね」

 

佐伯も画面を見る。

 

「そうだな」

 

「艦艇も、航空機も、燃料も、医療も、民間船も」

 

「でも、どれも侵攻できる量じゃない」

 

一佐が言った。

 

分析官が頷く。

 

「そこなんです」

 

佐伯はしばらく考えた。

 

前日の画像、その前の日、そして今日。並べれば確かに増えている。だが、侵攻準備と断定できるものは1つもない。

 

「評価は変えない」

 

分析官が佐伯を見る。

 

「ただし後方支援活動の増加は、独立項目にする。昨日より1段上げて監視しよう」

 

「了解です」

 

一佐が聞く。

 

「侵攻可能性は?」

 

佐伯は画面を見た。

 

「低い。ただし、昨日より気持ちは悪いです」

 

「それ、報告書に書けないだろ」

 

「だから口で言いました」

 

一佐が笑った。

 

入力欄には、もっと無機質な文章が記された。

 

「演習準備活動は拡大傾向。後方支援部隊の活動増加を確認。ただし、台湾侵攻を示す決定的兆候なし。」

 

佐伯はその文章を見つめた。

 

間違ってはいない。

 

少なくとも、この朝の時点では。

 

午前8時03分

台湾・台北市

国防部関連施設

 

「昨日より14機多いです」

 

情報将校が航空活動の集計を大型画面に映した。

 

上官が眉を寄せる。

 

「またJ-16か?」

 

「中心はそうです。J-20も4機増えています」

 

「海は?」

 

「海軍艦艇が35隻以上。海警船まで含めれば50隻を超えます」

 

「去年と比べてどうだ」

 

情報将校は前年のグラフを重ねた。

 

2本の線はほとんど重なっていたが、今年の線だけがわずかに先を走っている。

 

「今年の方が増え方が少し早いですね」

 

「少し、か」

 

「はい」

 

上官は椅子の背にもたれた。

 

会議室には、危機感というより疲労感が漂っていた。毎年見る地図、毎年増える赤い航跡、毎年繰り返される緊急発進、そして毎年聞かされる「過去最大」。

 

「空軍の即応待機は増やしておけ」

 

「すでに一部増強しています」

 

「防空ミサイル部隊は?」

 

「現状維持です」

 

「そのままでいい」

 

情報将校が少し迷う。

 

「演習規模がさらに増えるなら、一部を展開させてもいいのでは」

 

上官が彼を見る。

 

「こちらが先に大きく動けば、北京は何と言う?」

 

「台湾独立勢力による挑発行為」

 

「そういうことだ」

 

上官は資料を閉じかけたが、もう一度開いた。

 

「それだけじゃないけどな」

 

「といいますと?」

 

「毎回こうだからといって、毎回全部を動かしていたらどうなる」

 

情報将校は少し考えた。

 

「警戒疲れが出ます」

 

「そうだ。人間は緊張し続けられない」

 

上官は窓の外を見る。

 

「本当に必要な日に、『またいつもの演習だ』と思うようになったら終わりだ」

 

情報将校は黙った。

 

皮肉なことに、その言葉はすでに台湾軍そのものに当てはまり始めていた。

 

午前9時48分

ハワイ・キャンプ・H・M・スミス

米インド太平洋軍司令部

 

「日本側の分析と照合しました。大きな食い違いはありません」

 

情報参謀が報告した。

 

司令官は資料をめくりながら聞く。

 

「民間船が増えてるな」

 

「はい。ただ、大規模徴用と呼べる規模ではありません」

 

「昨年比30パーセント増と書いてあるぞ」

 

「割合だけ見れば大きいですが、母数が小さい。8隻が11隻になったような話です」

 

司令官が顔を上げる。

 

「11隻でも戦車はかなり運べる」

 

「運べます。ただし、台湾侵攻を支えるには足りません」

 

「分かっている」

 

司令官は資料を机に置いた。

 

「船より気にしてるのは何だ」

 

情報参謀は別の資料を出した。

 

「後方支援です。昨日指摘した通信量の増加に加えて、燃料輸送、整備、医療関連の動きも増えています」

 

「連動してるのか?」

 

「そこが微妙です」

 

「微妙?」

 

「同じ日に増えてはいます。ただ、同じ場所でも同じ時間でもない。統一された作戦準備と断定するには弱い」

 

司令官は数秒黙った。

 

「逆に言えば、分散しているだけかもしれない」

 

「その可能性もあります」

 

「やっかいだな」

 

「はい」

 

会議室の後ろにいた若い情報将校が手を上げた。

 

司令官が目を向ける。

 

「何かあるか」

 

「1点だけ」

 

「言ってくれ」

 

若い将校が複数のグラフを画面に出した。艦艇、航空機、民間船、燃料、通信量。どれも線が緩やかに上昇している。

 

「昨日から気になっているのは、この増え方です」

 

情報参謀が画面を見る。

 

「全部少しずつ、か」

 

「はい。どれか1つだけなら演習準備で説明できます。でも全部が同じ方向へ動いている」

 

司令官が聞く。

 

「君は侵攻だと思うのか」

 

若い将校は少し考えてから首を横に振った。

 

「いいえ。まだそうは言えません」

 

「なら何が気になる」

 

「もし侵攻を隠すなら、私ならこういう増やし方をすると思います」

 

会議室が静かになった。

 

情報参謀が腕を組む。

 

「それは分析として危険だぞ」

 

「分かっています」

 

「自分ならどうする、で相手の意図を決めるな」

 

「はい」

 

司令官は若い将校をしばらく見ていた。

 

「だが、記録には残せ」

 

情報参謀が司令官を見る。

 

「評価は?」

 

「変えない」

 

「侵攻確率15パーセントを維持?」

 

「維持する。ただし、後方支援の監視優先度を上げろ」

 

「了解」

 

司令官は画面の緩やかな線を見る。

 

「15パーセントという数字が、安心していいという意味じゃないことだけは忘れるな」

 

誰も返事をしなかった。

 

必要なかった。

 

午前11時17分

沖縄県・航空自衛隊那覇基地

 

滑走路の向こうで、F-15JSIが離陸した。低い轟音が基地を揺らし、格納庫脇では整備員が次の機体を準備している。

 

「今日何回目?」

 

「4回目」

 

「多いな」

 

「中国さん元気だから」

 

若い整備員が笑う。

 

「来週もっと増えるんですよね」

 

「演習始まるからな」

 

「また寝れなくなるなあ」

 

年上の整備員が工具を置いた。

 

「そのうち慣れる」

 

「もう慣れてますよ」

 

「それが一番よくないんだけどな」

 

若い整備員が顔を上げる。

 

「何がです?」

 

「警報にも飛行機にも」

 

年上の整備員は空を見る。

 

遠くで、もう1機が誘導路へ出てきた。

 

「本当に危ない時も、いつものやつだと思うようになる」

 

若い整備員が少し笑う。

 

「考えすぎじゃないですか」

 

「そうだといいけどな」

 

エンジン音が会話を飲み込んだ。

 

午後0時41分

台湾・新北市

 

「また飛んでる」

 

俊偉が窓の外を見た。

 

遠くに戦闘機らしい機影が見え、音は数秒遅れて届いた。

 

怡君はスマートフォンを見たまま答える。

 

「昨日も飛んでたよ」

 

「今日多くない?」

 

「知らない」

 

「姉ちゃん、本当に興味ないな」

 

「仕事の方が大事」

 

画面には、クライアントからの修正依頼が並んでいる。

 

俊偉がテレビをつけた。

 

中国軍機、台湾周辺で活動増加。国防部は状況を掌握。

 

「ほら」

 

「何?」

 

「増えてる」

 

「でも普通に会社あるじゃん」

 

「基準そこ?」

 

「会社が休みになったら危ない」

 

俊偉が笑う。

 

「台湾の国家危機レベル、姉ちゃんの出社基準なの?」

 

「分かりやすいでしょ」

 

その時、スマートフォンが鳴った。

 

母からのメッセージだった。

 

水、買った?

 

怡君は画面を見てため息をつく。

 

俊偉が覗き込む。

 

「来た?」

 

「来た」

 

「何ケース?」

 

「今日は書いてない」

 

「成長したな」

 

怡君は返信した。

 

まだ買ってない。大丈夫。

 

送信から数秒後に既読がつき、すぐに返信が来た。

 

大丈夫じゃないから言ってるの。

 

「母さんの方が国防部より警戒してる」

 

俊偉が言った。

 

怡君は笑った。

 

午後2時12分

神奈川県横須賀市

護衛艦「まや」CIC

 

大型ディスプレイには、東シナ海と台湾周辺の海空域図が表示されていた。

 

村瀬健一艦長が、中国沿岸部に並ぶ艦艇記号を眺めている。

 

「また増えたのか」

 

「今朝、055型を1隻追加で確認しています」

 

副長が答えた。

 

村瀬はその記号を指した。

 

「昨日はいなかったやつだな」

 

「はい。『福建』の護衛に入る可能性が高いと見られています」

 

「潜水艦は?」

 

「確認できているのは3隻です。活動海域は例年並み」

 

村瀬が横を見る。

 

「確認できているのは、か」

 

副長が苦笑する。

 

「潜水艦に全部見えても困ります」

 

「まあな」

 

村瀬は腕を組んだ。

 

「海幕の評価は?」

 

「演習準備の範囲内。現時点で特別な態勢変更なしです」

 

「ということは、明日の訓練も?」

 

「予定通りです」

 

村瀬がわずかに眉を上げる。

 

「珍しいな」

 

「何がです?」

 

「予定が予定通り進む」

 

副長が笑った。

 

「海自では確かに珍しいですね」

 

CICの空気が少し緩む。

 

村瀬は再び画面を見た。

 

「来週は警戒監視に回されるだろうな」

 

「私もそう思います」

 

「乗員には?」

 

「まだ何も」

 

「それでいい。余計な緊張はさせるな」

 

「了解」

 

村瀬は少し考えた。

 

「ただし整備は前倒ししてくれ」

 

「どこまでです?」

 

「後回しにできるもの以外、全部」

 

副長が村瀬を見る。

 

「それ、かなり警戒してる人の言い方ですよ」

 

「警戒はしてる」

 

「侵攻すると?」

 

村瀬は首を横に振った。

 

「中国軍をだ」

 

「同じじゃないですか」

 

「全然違う」

 

村瀬は画面を指した。

 

「演習でも事故は起きる。艦艇が30隻も40隻も出て、航空機が何十機も飛べば、向こうだって全員が完璧に動くわけじゃない」

 

「接近事案を警戒している?」

 

「それもある」

 

「では?」

 

村瀬は少し考える。

 

「何かあった時に、『演習だと思って準備してませんでした』とは言えないだろ」

 

副長が頷いた。

 

「侵攻だと思いますか」

 

村瀬は画面を見たまま答えた。

 

「思わない」

 

一拍置く。

 

「今はな」

 

午後4時39分

東京都千代田区・首相官邸

 

「昨日から基本評価に変更はありません」

 

黒田慎吾参事官が資料を開いた。

 

官房副長官がすぐに聞く。

 

「基本評価、ということは何か変わった?」

 

「活動量そのものは増えています」

 

「どのくらい」

 

「艦艇、航空機、民間船、後方支援。それぞれ少しずつです」

 

官房副長官が眉を寄せる。

 

「少しずつ全部増えてる?」

 

「はい」

 

「それ、昨日より悪く聞こえるな」

 

黒田が苦笑する。

 

「防衛省も似た感想だと思います」

 

「でも侵攻評価は変わらない」

 

「変えられるだけの兆候が揃っていません」

 

「民間船も増えてるんだろ?」

 

「増えています。ただし過去の演習でも利用実績があります」

 

官房副長官は資料をめくった。

 

「何隻まで増えたら危険なんだ?」

 

「隻数だけで単純に線は引けません」

 

「じゃあ何を見ればいい?」

 

黒田は少し身を乗り出した。

 

「仮に本当に台湾へ上陸するなら、船だけでは済みません。揚陸艦、民間船、陸軍部隊、燃料、弾薬、医療、港湾、それらが一緒に動く必要があります」

 

「今は一緒に動いてない?」

 

「そこが厄介です」

 

官房副長官が黒田を見る。

 

「厄介?」

 

「全部動いています」

 

室内が少し静かになる。

 

黒田は続けた。

 

「ただし、どれも演習準備として説明できる程度です。時期も場所も完全には一致していません」

 

「つまり?」

 

「怪しい。でも、侵攻だと言うには足りない」

 

官房副長官は椅子にもたれた。

 

「随分、人間的な評価だな」

 

「数字だけで戦争は決まりませんから」

 

「米国の反応は?」

 

「ほぼ同じです」

 

「台湾も?」

 

「同様です」

 

官房副長官は数秒考えた。

 

「総理にはどう上げる」

 

黒田が答える。

 

「中国軍の演習準備は前年を上回るペースで拡大。ただし、現時点で侵攻を示す決定的兆候なし。後方支援活動について監視を強化」

 

「それでいこう」

 

資料が閉じられた。

 

昨日なら9分で終わっていた話だった。

 

この日は16分かかった。

 

午後7時31分

東京都新宿区・防衛省

 

佐伯は夕食代わりのサンドイッチを机に置いたまま、衛星画像を見ていた。

 

若い分析官が椅子を寄せる。

 

「これ、見てもらえますか」

 

「どこ?」

 

「福建省内陸です。ここ」

 

道路沿いの大型物流施設だった。昨日まで空いていた敷地に、大型車両が14台並んでいる。

 

佐伯が画像を拡大する。

 

「軍用車両?」

 

「それが分からないんです」

 

「ナンバーは?」

 

「民間です」

 

「会社は?」

 

「複数」

 

佐伯が眉を寄せた。

 

「待て。同じ車なのに会社が違うのか?」

 

「そこなんです」

 

画像をさらに拡大する。

 

灰色のシート、同じ車高、ほぼ同じホイールベース。

 

「車種は同じに見えるな」

 

「はい。ただ、この解像度では断定できません」

 

佐伯がサンドイッチを机に戻した。

 

「昨日の港」

 

「比較しました」

 

分析官が別画像を並べる。

 

港湾に並んでいた大型車両。

 

「似てるな」

 

「ですよね」

 

「でも同じだとは言えない」

 

「はい」

 

「嫌になるな」

 

分析官が苦笑する。

 

「朝も同じこと言ってましたよ」

 

「朝より嫌になってる」

 

「じゃあ、評価上げます?」

 

佐伯は振り返った。

 

「上げたい?」

 

「少しだけ」

 

「なんで」

 

分析官は少し迷った。

 

「全部見つけてるのに、ずっと『まだ足りない』って言ってる気がして」

 

佐伯は椅子にもたれた。

 

「それはそうだ」

 

「もし、このまま毎日少しずつ増えたら?」

 

「いつか評価を変える」

 

「いつです?」

 

「決定的なものが出た時だ」

 

分析官が画面を見る。

 

「それが出なかったら?」

 

佐伯は答えなかった。

 

数秒経つ。

 

「……それが一番嫌なんだよ」

 

分析官が佐伯を見る。

 

「情報分析って、異常を見つける仕事だと思ってました」

 

「半分はな」

 

「残り半分は?」

 

佐伯は画面上の14台の車両を指した。

 

「その異常に、意味があるかどうかを決める」

 

「これは?」

 

「分からない」

 

「RO-RO船は?」

 

「分からない」

 

「通信量は?」

 

「分からない」

 

分析官が笑う。

 

「何も分からないじゃないですか」

 

佐伯も少し笑った。

 

「だから俺たちがいるんだろ」

 

「なるほど」

 

「納得するな。俺も今適当に言った」

 

分析官が吹き出した。

 

一瞬だけ、部屋の空気が緩んだ。

 

だが佐伯の目は、すぐに画面へ戻った。

 

内陸部の14台、港にいる11隻のRO-RO船、増え続ける航空機、昨日より多い燃料輸送。

 

「……気持ち悪いな」

 

分析官が聞き返す。

 

「何がです?」

 

佐伯は画像から目を離さなかった。

 

「全部だよ」

 

その日、初めて佐伯は自分の感覚を言葉にした。

 

午後11時14分

中国・福建省福州市

東部戦区指揮施設

 

周啓明中将は、夜間報告を読んでいた。

 

情報参謀が机の前に立つ。

 

「日本側の監視活動が、昨日より増えています」

 

周は資料から目を上げなかった。

 

「監視が増えたのか。それとも、我々が監視されていることを把握できるようになっただけか」

 

情報参謀が少し言葉に詰まる。

 

「両方の可能性があります」

 

周が顔を上げる。

 

「いい答えだ」

 

「衛星画像の取得頻度と通信傍受活動は、いずれも増加しています。ただし警戒態勢そのものに変更はありません」

 

「米国は?」

 

「ほぼ同じです」

 

「台湾」

 

「通常警戒を維持しています」

 

周は報告書を閉じた。

 

「気付いているな」

 

作戦参謀が尋ねる。

 

「侵攻準備に?」

 

「そこまでは行っていない」

 

周は立ち上がり、台湾海峡の地図へ歩いた。

 

「だが、何かが増えていることには気付いている」

 

「日本側は依然として演習準備との評価です」

 

「今はな」

 

作戦参謀が周を見る。

 

「昨日より近づいたということですか」

 

「1歩だけ」

 

「なら、集結速度を落としますか」

 

周は首を横に振った。

 

「落とせば何が起きる」

 

「予定が遅れます」

 

「それだけじゃない」

 

作戦参謀が考える。

 

「昨日まで増えていた活動が突然減る」

 

「そうだ」

 

周が頷いた。

 

「それも立派な異常だ」

 

「では予定通りに?」

 

「そう、予定通りだ」

 

作戦参謀は少し黙ってから言った。

 

「難しいですね」

 

周が振り返る。

 

「何が」

 

「増やしすぎれば気付かれる。減らしても気付かれる」

 

周の口元に、ごく薄い笑みが浮かんだ。

 

「だから戦争は、始まる前から難しい」

 

作戦参謀が地図を見る。

 

「相手はまだ答えに届いていない」

 

「そうだ」

 

「我々の想定通りです」

 

周の表情から笑みが消えた。

 

「その言い方をするな」

 

「……失礼しました」

 

「昨日言っただろう」

 

作戦参謀が答える。

 

「毎日疑え」

 

「そうだ」

 

周は台湾を見た。

 

「相手が我々を疑っているように、我々も自分たちの判断を疑う」

 

「はい」

 

「『予定通り』という言葉ほど、司令部の人間を安心させる言葉はない」

 

周は静かに続けた。

 

「だから危険なんだ」

 

日本も、米国も、台湾も見ていた。

 

中国も、見られていることを見ていた。

 

双方が考え、双方が疑い、双方がまだ動かなかった。それでも距離だけは、昨日より少し縮まっていた。

 

この日、日米台は前日より多くの兆候を確認した。民間RO-RO船、燃料、医療物資、車両、航空機、艦艇、通信。どれも見落としてはいなかった。むしろ、かなり正確に把握していた。

 

それでも評価は変わらなかった。

 

戦争を示す決定的な証拠は、まだどこにもなかったからだ。

 

演習開始まで、5日。

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