台湾有事 その日、日本有事になった   作:合点承知

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DAY -14

2030年8月11日 午前6時07分

東京都新宿区・防衛省

 

「今度は海中か」

 

佐伯直哉二等海佐が、画面を見ながら呟いた。

 

若い分析官が別の資料を開く。

 

「昨夜から今朝にかけて、中国海軍の潜水艦活動が増えています」

 

「何隻?」

 

「確実に確認できているのは4隻です。2隻が東シナ海方向、1隻がバシー海峡方面。もう1隻は途中で追跡が切れました」

 

佐伯が画面へ顔を近づける。

 

「原潜は?」

 

「今のところ確証なしです。確認できている範囲では通常動力型ですね」

 

「演習前としては多い?」

 

分析官が前年の資料を並べる。

 

「少し多いです。ただ、異常とまでは」

 

後ろから声がした。

 

「また『異常とまでは』か」

 

情報班長の一佐だった。

 

佐伯が振り返る。

 

「便利な言葉なんですよ」

 

「便利すぎるだろ。ここ3日ずっと聞いてるぞ」

 

「私も言い飽きてきました」

 

一佐が紙コップを机に置く。

 

「で、本当のところは?」

 

佐伯は海図を拡大した。台湾、その南にバシー海峡、東には太平洋。

 

「数そのものより、位置が気になります」

 

「位置?」

 

「はい。台湾海峡の中だけじゃありません。南側と東側へ広がっています」

 

若い分析官が補足する。

 

「バシー海峡方面に向かった1隻は、このまま進めば太平洋側へ抜けます」

 

一佐が画面を見る。

 

「封鎖演習なら普通じゃないか」

 

「そうなんです」

 

佐伯が頷いた。

 

「台湾を封鎖する演習なら、ごく自然な配置です」

 

「なら何が問題なんだ?」

 

「本当に封鎖する時も、同じ場所に置きます」

 

一佐が数秒黙った。

 

「なるほど」

 

分析官が言う。

 

「演習として見れば自然で、侵攻準備として見ても自然なんです」

 

「最悪だな」

 

「はい」

 

一佐が佐伯を見る。

 

「評価、上げますか?」

 

佐伯はすぐには答えなかった。

 

画面上の4隻。昨日まで増えていた水上艦艇、航空機、民間船、後方支援。そこへ潜水艦が加わった。

 

「まだ変えません」

 

「理由は?」

 

「潜水艦が演習で出るのは当然です。海軍が大規模演習をやるのに、潜水艦だけ港に置いておく方がおかしい」

 

「それはそうだ」

 

「台湾東側へ出るのも、封鎖訓練なら自然です」

 

一佐は佐伯の顔を見る。

 

「でも納得してない顔だな」

 

佐伯が苦笑した。

 

「説明がつきすぎるんですよ」

 

「説明がつくならいいじゃないか」

 

「普通はそうなんですが」

 

佐伯は海図を指した。

 

「艦艇が増えても演習。航空機が増えても演習。燃料が増えても演習。潜水艦が外へ出ても演習」

 

分析官が横から言う。

 

「何が起きても演習で説明できるようになってきてます」

 

「そう。それが嫌なんです」

 

一佐が腕を組んだ。

 

「演習という答えが便利すぎる?」

 

「はい」

 

少し間が空いた。

 

一佐が紙コップを取る。

 

「昨日より面白くなったな」

 

佐伯が笑う。

 

「その言葉、好きですね」

 

「他人事ならな」

 

3人とも一瞬だけ笑った。

 

だが、誰も画面から長く目を離さなかった。

 

午前7時42分

台湾・台北市

国防部関連施設

 

「南西だけではありません」

 

情報将校が台湾周辺の航空状況を表示した。

 

上官が画面を見上げる。

 

「東側まで回ったか」

 

「はい。今朝確認されたのはKJ-500が1機、H-6Kが2機。J-16が護衛しています」

 

「去年も東側には来ただろ」

 

「来ています。ただし演習開始後でした」

 

上官の手が止まる。

 

「今年は4日前か」

 

「はい」

 

「それは少し早いな」

 

情報将校が次の資料を開く。

 

「空軍から、東部基地の即応機をさらに2機増やしたいと要請が来ています」

 

「許可しろ」

 

「防空ミサイル部隊は?」

 

「まだ動かさない」

 

情報将校が上官を見る。

 

「正直、そこが少し気になります」

 

「何が?」

 

「航空機は東側まで来ている。潜水艦も南へ出ている。それでも地上部隊を据え置くんですか」

 

上官は椅子の背にもたれた。

 

「君なら動かす?」

 

「一部だけでも」

 

「理由は?」

 

「万が一本当に攻撃準備なら、展開が遅れます」

 

「その通りだ」

 

情報将校が少し戸惑う。

 

「では」

 

「でも、こちらが動けば中国も見る」

 

上官は中国沿岸部を指した。

 

「台湾軍の防空部隊が陣地を変えた。ミサイルが分散した。戦闘機を増やした。北京はそれをどう解釈する?」

 

「中国側も警戒態勢を上げる」

 

「そうだ。すると我々は、その動きを見てさらに上げる」

 

情報将校が小さく息を吐く。

 

「連鎖しますね」

 

「簡単にな」

 

「でも、本当に攻撃されるなら?」

 

上官は数秒答えなかった。

 

「その時は、今日動かなかったことを後悔するだろう」

 

情報将校は黙った。

 

上官は続ける。

 

「逆に演習なら、今日動いたことを後悔するかもしれない」

 

情報将校が画面を見る。

 

「どっちを選んでもリスクがある」

 

「だから司令部がある」

 

上官は苦笑した。

 

「正解が分かってるなら、私たちは要らない」

 

情報将校もわずかに笑った。

 

「とりあえず、即応機2機だけですね」

 

「今はな」

 

午前9時26分

沖縄県・那覇市

 

「また飛んだな」

 

コンビニの前で、配送業者の男性が空を見上げた。

 

低い轟音が響き、F-15JSIが2機、南西方向へ向かっていく。

 

店員も店の外へ出る。

 

「今日、多くないですか?」

 

「昨日も多かったよ」

 

「最近ずっと多い気がするんですけど」

 

「中国の演習だろ」

 

「またですか」

 

「また」

 

店員が肩をすくめた。

 

「来週、修学旅行の団体が来るんですよ。飛行機大丈夫かな」

 

「俺に聞くなよ」

 

「ですよね」

 

「でも今のところ民間機は普通に飛んでるだろ」

 

男性は空を見た。戦闘機はもう小さな点になっている。

 

「なら、まだいつものやつだ」

 

店員も空を見上げる。

 

「その『まだ』ちょっと怖いですね」

 

男性は一瞬考えてから笑った。

 

「言われてみればな」

 

2人とも仕事へ戻った。

 

午前10時14分

ハワイ・キャンプ・H・M・スミス

米インド太平洋軍司令部

 

「潜水艦活動に変化が出ています」

 

情報参謀が報告した。

 

司令官が資料をめくる。

 

「日本からも来てる。4隻だな」

 

「我々の確認とも一致しています」

 

「バシー海峡へ向かったのは?」

 

「通常動力型と推定。ただし、その先で追跡を維持できる保証はありません」

 

「太平洋へ出る?」

 

「可能性はあります」

 

司令官は資料を机へ置いた。

 

「演習ならおかしくない。本番でもおかしくない」

 

司令官が苦笑する。

 

「最近、その会話ばかりだな」

 

情報参謀も少し笑った。

 

「私もそう思います」

 

会議室の後ろにいた若い情報将校が画面を切り替える。

 

「司令官、昨日との違いは数ではありません」

 

「配置か」

 

「はい」

 

複数の航跡が台湾の外側へ広がっていた。

 

「昨日までは中国沿岸部から台湾方向への集結が中心でした。今朝は、その戦力が台湾の外周へ展開し始めています」

 

司令官が腕を組む。

 

「封鎖演習そのものじゃないか」

 

「その通りです」

 

「じゃあ問題ない?」

 

若い将校が少し黙る。

 

「問題ない、とは言えません」

 

「なぜ」

 

「もし本当に封鎖を実施するつもりなら、同じ配置になるからです」

 

司令官はゆっくり頷いた。

 

「演習と実戦の境目がなくなってきた」

 

情報参謀が口を開く。

 

「侵攻確率を20パーセントまで引き上げたいと思います」

 

司令官が彼を見る。

 

「昨日は15だった」

 

「単なる戦力増加なら据え置きました。ただ、戦力の配置に作戦上の意味が出始めています」

 

「20という根拠は?」

 

「厳密な数学ではありません」

 

「分かってる。意味を聞いてる」

 

情報参謀は少し考えた。

 

「『可能性は低い』から、『無視できない』へ移った、という意味です」

 

司令官が頷く。

 

「その言い方の方が分かりやすいな」

 

若い将校が聞く。

 

「警戒レベルは?」

 

「維持する」

 

「確率を上げても?」

 

「20パーセントで全部動かしたら、相手も全部動く」

 

司令官は画面の台湾を見る。

 

「まだ時間を買う」

 

「了解」

 

「ただし日本と台湾には、評価変更をすぐ共有しろ」

 

「すでに準備しています」

 

「早いな」

 

情報参謀が少し笑った。

 

「昨日から嫌な予感がしていますので」

 

司令官もわずかに笑う。

 

「それは報告書には書くな」

 

「承知しています」

 

午前11時58分

神奈川県横須賀市

護衛艦「まや」CIC

 

副長が海図を指した。

 

「中国潜水艦の活動が増えています」

 

村瀬健一艦長が画面へ近づく。

 

「どの辺だ」

 

「東シナ海が中心です。ただ、1隻がバシー海峡方向へ」

 

「太平洋側へ出そうか」

 

「可能性はあります」

 

「P-1は?」

 

「哨戒頻度を上げています」

 

村瀬が頷く。

 

「うちの予定は変わらない?」

 

「今のところは」

 

「対潜訓練も?」

 

「予定通りです」

 

村瀬が少し笑った。

 

「本番を想定した訓練の最中に、本番みたいな船が増えていくな」

 

副長も笑う。

 

「教材には困りません」

 

「笑えない教材だけどな」

 

村瀬は海図を見る。

 

「昨日までは水上艦と航空機、今日は潜水艦」

 

「順番に全部出てきますね」

 

「明日は何だ」

 

副長が考える。

 

「ミサイル?」

 

村瀬が嫌そうな顔をした。

 

「言うなよ、縁起でもない」

 

「すみません」

 

数人が小さく笑った。

 

副長が再び画面を見る。

 

「演習なら、潜水艦が動くのは当然です」

 

「そうだな」

 

「侵攻でも当然ですが」

 

村瀬が横目で見る。

 

「お前、最近それ気に入ってるだろ」

 

「便利なので」

 

「防衛省みたいなこと言うな」

 

CICにまた小さな笑いが起きた。

 

村瀬は腕を組む。

 

「対潜機器の点検、今日で全部終わらせよう」

 

「昨日も整備前倒しって言ってましたよ」

 

「昨日は前倒し。今日は終わらせる」

 

「警戒度、上がってません?」

 

「少しな」

 

「侵攻?」

 

「そこまでは思ってない」

 

「じゃあ何です?」

 

村瀬は少し考えた。

 

「嫌な偶然が重なりすぎてる」

 

「偶然ですかね」

 

村瀬は返事をしなかった。

 

午後1時27分

台湾・新北市

 

「今日、会社の人が水買ってた」

 

怡君が冷蔵庫を開けながら言った。

 

俊偉がソファから顔を上げる。

 

「ついに姉ちゃんの会社にも危機感が?」

 

「1人だけ」

 

「十分進歩」

 

「でも台風用だって」

 

俊偉が笑う。

 

「中国じゃないのかよ」

 

「中国軍より台風の方が信用されてる」

 

「毎年来るからな」

 

「中国軍も毎年来てるじゃん」

 

2人とも笑った。

 

俊偉がテレビを見る。

 

中国軍機、台湾東部でも活動。画面にはH-6Kの映像が流れている。

 

「東側にも来てるらしいよ」

 

「ふーん」

 

「昨日より反応薄くなってない?」

 

怡君が冷蔵庫を閉める。

 

「だって昨日も危ないって言ってたでしょ」

 

「今日は昨日より危ないらしい」

 

「じゃあ明日は今日より危ないって言うんじゃない?」

 

俊偉が少し考える。

 

「ありそう」

 

「ほら」

 

「でも姉ちゃん、母さんには言うなよ」

 

「何を」

 

「会社の人が水買ってたって」

 

「なんで?」

 

「『ほら!』って20通くらい来る」

 

怡君は想像して笑った。

 

「絶対来る」

 

テレビでは専門家が、中国軍の台湾東部への展開について説明を続けている。

 

音量は、いつの間にか少しだけ下げられていた。

 

午後3時11分

中国・福建省福州市

東部戦区指揮施設

 

「米国側の評価が上がりました」

 

情報参謀の報告に、周啓明中将が顔を上げた。

 

「どこまで?」

 

「侵攻可能性を20パーセント前後と見始めています」

 

作戦参謀が口を挟む。

 

「昨日は15だった」

 

「はい」

 

周は椅子にもたれた。

 

「日本は?」

 

「正式な評価変更はありません。ただし、潜水艦活動と後方支援への監視優先度を上げています」

 

「台湾は?」

 

「航空即応態勢を一部強化しました」

 

作戦参謀が周を見る。

 

「集結速度を落としますか」

 

周は小さく息を吐いた。

 

「昨日も聞いたな」

 

「昨日は15でした。今日は20です」

 

「数字が5増えたから、我々の計画を変えるのか?」

 

「方向としては悪化しています」

 

「それは分かっている」

 

周は台湾東側の海図を見る。

 

「潜水艦の配置は計画通りか」

 

「はい」

 

「航空部隊は?」

 

「同じく計画通りです」

 

「なら変えない」

 

情報参謀が聞く。

 

「20パーセントは許容範囲という判断でしょうか」

 

周が彼を見る。

 

「確率を見るな」

 

「では?」

 

「行動を見ろ」

 

周は指を折りながら言った。

 

「日本が戦闘機を分散したか。米軍が艦隊を前へ出したか。台湾が防空部隊を大規模に展開したか。弾薬庫から前線へ実弾を動かしたか」

 

「どれも限定的です」

 

「なら、まだ相手は決断していない」

 

作戦参謀が言う。

 

「警戒はしているが、戦争準備には入っていない」

 

「そういうことだ」

 

情報参謀が画面を見る。

 

「15と20に、あまり意味はない?」

 

周は少し考えた。

 

「意味はある」

 

誰も口を挟まなかった。

 

「ただし、人間が考えているほど正確な意味ではない」

 

周は椅子の背に身体を預けた。

 

「15なら安心、20なら少し危険、50なら半々。そう思いたくなる」

 

作戦参謀が小さく頷く。

 

「分かりやすいですから」

 

「戦争はそんなに親切じゃない」

 

周は静かに言った。

 

「始まる時は、20から一晩で100になる」

 

誰も言葉を返さなかった。

 

午後5時44分

東京都千代田区・首相官邸

 

「米側が評価を上げました」

 

黒田慎吾参事官が資料を開いた。

 

官房副長官が顔を上げる。

 

「昨日は15パーセントだったな」

 

「今日は20パーセント前後です」

 

「5パーセント上昇か」

 

「はい」

 

「その5パーセントにどれだけ意味がある?」

 

黒田が少し考える。

 

「数字そのものより、評価を上げた理由の方が重要です」

 

「理由は?」

 

「戦力の数ではなく、配置に変化が出ています」

 

黒田は地図を示した。

 

「中国軍機が台湾東側まで活動範囲を広げています。潜水艦も台湾南方へ展開。昨日までの単純な兵力増強から、台湾を外側から囲うような形になり始めています」

 

官房副長官が地図を見る。

 

「封鎖演習だろ?」

 

「そうです」

 

「じゃあ予定通りじゃないか」

 

「予定通りすぎるんです」

 

官房副長官が黒田を見る。

 

「どういう意味だ」

 

「中国が本当に台湾を封鎖する場合も、ほぼ同じ配置になります」

 

「なるほど」

 

官房副長官は椅子にもたれた。

 

「つまり、演習を真面目にやればやるほど、侵攻準備との区別がつかなくなる」

 

「はい」

 

「嫌な話だな」

 

「毎日少しずつ嫌になっています」

 

「防衛省も?」

 

黒田が少し笑う。

 

「かなり」

 

官房副長官が資料の20という数字を見る。

 

「20パーセントって聞くと低いな」

 

黒田が言った。

 

「5回に1回です」

 

官房副長官の指が止まる。

 

「その言い方やめろ。急に高く感じる」

 

「同じ数字です」

 

「知ってる」

 

少し沈黙。

 

「日本はまだ数字を出さないのか」

 

「現時点では」

 

「なぜ?」

 

「数字が1人歩きします」

 

黒田は資料を閉じた。

 

「今必要なのは、『20だから大丈夫』『30になったから危険』ではなく、何が変わったかを見ることだと考えています」

 

官房副長官が頷く。

 

「総理にはそのまま言おう」

 

「はい」

 

「ただし5回に1回は言うな」

 

黒田が少し笑った。

 

「承知しました」

 

午後7時09分

東京都新宿区・防衛省

 

佐伯は、朝から何度目か分からない潜水艦の推定航跡を見ていた。

 

若い分析官が隣の椅子へ座る。

 

「米側、20まで上げましたね」

 

「ああ。見た」

 

「こっちは?」

 

「まだ変えない」

 

「頑固ですね」

 

佐伯が横を見る。

 

「慎重と言え」

 

「昨日も同じこと言ってました」

 

「お前、最近本当に遠慮ないな」

 

分析官が笑う。

 

「毎日残業してるからじゃないですか」

 

「それは俺のせいみたいじゃないか」

 

「半分くらいは」

 

「ひどいな」

 

2人で少し笑った。

 

分析官が画面へ視線を戻す。

 

「でも、やっぱり配置変わってますよね」

 

「ああ」

 

「潜水艦は外へ出る。航空機も東へ回る。水上艦も増えてる」

 

「見れば分かる」

 

「じゃあ、まだ演習だと思います?」

 

佐伯は少し黙った。

 

「思う」

 

分析官が佐伯を見る。

 

「即答しましたね」

 

「ただし昨日ほど強くは言えない」

 

「昨日は?」

 

「演習だ、だった」

 

「今日は?」

 

佐伯は海図を見た。

 

「演習だと思う、だな」

 

分析官が笑う。

 

「1文字くらいしか変わってないですよ」

 

「意味は結構違う」

 

「そうですかね」

 

「そうなんだよ」

 

分析官は潜水艦の航跡を拡大した。

 

「これ、バシー海峡抜けますかね」

 

「分からない」

 

「またそれですか」

 

「潜水艦だぞ。分かったら苦労しない」

 

「じゃあ原潜は?」

 

「分からない」

 

「明日の動きは?」

 

「分からない」

 

分析官が笑った。

 

「今日は特に分からないですね」

 

佐伯も少し笑う。

 

「昨日より情報増えてるのにな」

 

「変な話ですよね」

 

「情報が増えるほど、分からなくなることもある」

 

分析官が佐伯を見る。

 

「格好つけてます?」

 

「今日は本気だ」

 

「昨日は適当だったのに」

 

「覚えてたか」

 

また少し笑った。

 

佐伯は画面を見る。

 

台湾東方、バシー海峡、東シナ海。昨日まで台湾の西側に集中していた赤い記号が、少しずつ島の外側へ回り始めていた。

 

「演習開始まで、あと4日か」

 

分析官が言う。

 

「まだ4日あります」

 

佐伯は画面から目を離さない。

 

「ああ」

 

「余裕ありますね」

 

「昨日までは、そう思ってた」

 

分析官の表情から笑みが消える。

 

「今日は?」

 

佐伯は数秒考えた。

 

「4日もある、かな」

 

部屋が静かになった。

 

まだ何も起きていない。

 

それなのに、時間が味方なのか敵なのか、少しずつ分からなくなっていた。

 

午後10時58分

中国・浙江省

空軍基地

 

夜の駐機場にはJ-20が並び、整備主任は翌日の飛行計画を確認していた。

 

若い整備士が隣で端末を見たまま動かない。

 

「主任」

 

「何だ」

 

「明日の兵装区分、変わっています」

 

主任が端末を見る。

 

訓練用、訓練用、訓練用。その下に、ひとつだけ異なる表示があった。

 

実弾搭載可能状態。

 

主任の指が止まる。

 

「これ、確認したか」

 

「2回しました」

 

「兵器科にも?」

 

「はい」

 

「何と?」

 

「指示通りだと」

 

主任は画面をしばらく見た。

 

「実弾を積むとは書いてないな」

 

「はい。搭載可能な状態にしておけ、とだけ」

 

「なら、その通りにする」

 

整備士は返事をしなかった。

 

主任が横を見る。

 

「どうした」

 

「いえ」

 

「言ってみろ」

 

若い整備士は声を落とした。

 

「7日間の演習ですよね」

 

主任は駐機場を見る。

 

黒いJ-20の機体。その向こうに兵装庫があり、さらに先には滑走路灯が並んでいる。

 

「そう聞いている」

 

「実弾まで準備するものなんですか」

 

主任は数秒黙った。

 

「演習でも実弾を使うことはある」

 

「今回は?」

 

「知らない」

 

「主任も?」

 

「俺は整備員だ」

 

若い整備士が黙る。

 

主任は端末を返した。

 

「お前も整備員だ」

 

「……はい」

 

「だったら、飛べと言われた時に飛べる機体を作る。それだけだ」

 

「了解」

 

若い整備士が離れていく。

 

主任はその場に残った。

 

少し前まで格納庫の奥に置かれていた兵装運搬車が、今夜はJ-20のすぐ近くまで出ていた。

 

この日、日米台の評価は初めてわずかに動いた。

 

まだ侵攻とは言えない。

 

まだ演習で説明できる。

 

だが、「通常の演習」という言葉は、少しずつ「異例の演習」という言葉へ変わり始めていた。

 

数だけではない。

 

配置、潜水艦の位置、航空機の活動範囲、即応態勢。

 

昨日まで点だった兆候が、少しずつ線になり始めていた。

 

演習開始まで、4日。

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