台湾有事 その日、日本有事になった   作:合点承知

9 / 11
DAY -9

2030年8月16日 午前7時03分

東京都新宿区・防衛省

 

「昨日と同じですね」

 

若い分析官が言った。

 

佐伯直哉二等海佐は返事をせず、目の前に並んだ複数の画面を眺めていた。

 

航空機。

 

艦艇。

 

海警船。

 

ロケット軍。

 

通信量。

 

補給活動。

 

昨日の数字、その前の週の数字、そして前年の演習2日目の数字が並べられている。

 

どれも前日から大きく変わっていなかった。

 

「航空機は?」

 

「昨日より3機多いです」

 

「艦艇」

 

「海軍が1隻増。海警は変わりません」

 

「配置」

 

「ほぼ同じです」

 

「ロケット軍」

 

「移動訓練を継続。発射はありません」

 

「通信量は?」

 

「昨日とほぼ同水準です。誤差の範囲ですね」

 

佐伯はそこでようやく椅子にもたれた。

 

「じゃあ昨日と同じだな」

 

分析官が少し笑う。

 

「最初に言いました」

 

「確認したんだよ」

 

「信用ないですね」

 

「仕事だからな」

 

分析官は別の画面を開き、前年の演習データを重ねた。

 

「去年も2日目に少し増えています」

 

「どのくらい?」

 

「航空機で約12パーセント。艦艇はほぼ横ばいです」

 

「今年は?」

 

「航空機で11パーセント増」

 

佐伯が画面を見る。

 

去年の航跡と今年の航跡。

 

完全に同じではない。

 

だが、違いを探そうとして見なければ気づかない程度だった。

 

「きれいだな」

 

「何がです?」

 

「去年と」

 

分析官も画面を見直す。

 

「ああ……確かに」

 

「昨日は去年より少し大きい。今日は去年とほぼ同じ増え方」

 

「演習としてはかなり自然ですね」

 

「そういうことになる」

 

佐伯の声には、不満よりも安堵が混じっていた。

 

そこへ情報班長の一佐が入ってくる。

 

「今日は何か面白いもの出たか」

 

佐伯が振り返った。

 

「ありません」

 

一佐が少し笑う。

 

「残念そうだな」

 

「むしろ嬉しいですよ」

 

「本当に?」

 

「昨日も普通。今日も普通です」

 

佐伯は画面を指した。

 

「このままなら、私が考えすぎてたってことで終われます」

 

一佐が近くの椅子を引いた。

 

「それはそれで悔しくないのか」

 

「全然」

 

「分析官としての面子とか」

 

「いりませんよ、そんなもの」

 

佐伯は笑った。

 

「当たったら戦争じゃないですか」

 

一佐が小さく頷く。

 

「それもそうだな」

 

若い分析官が横から言う。

 

「昨日も同じようなこと言ってました」

 

佐伯が見る。

 

「お前、最近俺の発言記録してないか」

 

「してませんよ」

 

「怪しいな」

 

「議事録に『佐伯二佐、本日も気持ち悪がる』って書きます?」

 

「やめろ」

 

一佐が声を出して笑った。

 

しばらくして、笑いが収まる。

 

3人はもう一度画面を見た。

 

戦闘機は飛んでいる。

 

艦艇も動いている。

 

中国軍は台湾を囲むように展開している。

 

それでも、昨日見たものとほとんど変わらない。

 

一佐が静かに言った。

 

「でもまあ、本当にこのまま終わってほしいな」

 

佐伯が頷く。

 

「はい」

 

若い分析官も何も言わず頷いた。

 

8月22日正午。

 

その時間になって中国軍が演習終了を発表し、艦艇が港へ戻り、航空機が通常配置へ戻る。

 

今なら、その未来をまだ普通に想像できた。

 

午前8時41分

台湾・新北市

 

怡君は自宅のテーブルでノートパソコンを開いていた。

 

画面には会社のチャット。

 

昨日まで演習関連の話題で流れ続けていた欄にも、いつもの仕事の話が戻り始めている。

 

物流遅延、昨日よりマシらしい。

 

高雄向け部品は通常便に戻ったって。

 

演習、思ったより普通じゃない?

 

その下にはすぐ、

 

午後の会議、14時からで大丈夫?

 

というメッセージが続いていた。

 

怡君はコーヒーを飲む。

 

俊偉が冷蔵庫を開けながら言った。

 

「今日も在宅?」

 

「うん」

 

「会社行かないの?」

 

「行ってもいいよ」

 

「じゃあ何で行かないの」

 

怡君はキーボードを打ちながら答えた。

 

「楽だから」

 

俊偉が笑う。

 

「危機関係なくなってるじゃん」

 

「会社が使っていいって言ってるんだから使う」

 

「去年もそうだった?」

 

「去年も」

 

「演習あるたびに在宅勤務?」

 

「演習がなくても在宅勤務」

 

俊偉が冷蔵庫からペットボトルを取り出す。

 

「じゃあ本当に関係ないな」

 

「最初からそう言ってるでしょ」

 

テレビでは中国軍演習2日目のニュースが流れていた。

 

映像は昨日とよく似ている。

 

戦闘機が離陸する。

 

艦艇が海を進む。

 

軍用車両が道路を走る。

 

俊偉がリモコンを取った。

 

「昨日と同じだな」

 

「ニュースも飽きたんじゃない?」

 

「視聴者も飽きてるよ」

 

チャンネルを変える。

 

スポーツ。

 

天気。

 

芸能ニュース。

 

怡君が笑った。

 

「もう見ないの?」

 

「何かあったら速報出るでしょ」

 

「それはそう」

 

「ずっと中国軍見てても、こっちが疲れるだけだし」

 

「昨日まで結構見てたじゃん」

 

「昨日は初日だったから」

 

「今日は?」

 

俊偉はテレビの天気予報を見る。

 

「2日目」

 

「理由になってない」

 

2人とも少し笑った。

 

昨日までテレビ画面の隅に居座っていた台湾周辺の地図は消えていた。

 

代わりに映っているのは、週末の降水確率だった。

 

戦争の可能性が消えたわけではない。

 

ただ、人間は毎日同じ緊張を続けられない。

 

そしてその朝、台湾の多くの家庭で、中国軍演習は少しずつ「ニュース」から「背景」へ戻り始めていた。

 

午前10時16分

中国・福建省福州市

東部戦区指揮施設

 

「2日目の航空活動、計画比101パーセント」

 

作戦参謀が報告した。

 

周啓明中将が資料を見る。

 

「増えたな」

 

「微増です」

 

「予定の範囲?」

 

「はい。昨年の2日目とほぼ同じ推移です」

 

「海上は」

 

「水上艦艇19隻。海警22隻。いずれも計画どおりです」

 

「ロケット軍」

 

「移動訓練のみ。発射なし」

 

情報参謀が別の資料を開く。

 

「日米台の警戒態勢に変化ありません」

 

周が顔を上げた。

 

「評価は?」

 

「米国30パーセント維持。日本も昨日と同様です。台湾にも追加の大規模動員はありません」

 

作戦参謀が少し笑う。

 

「落ち着いてきましたね」

 

周が横を見る。

 

「誰が?」

 

作戦参謀の笑みが少し止まる。

 

「相手がです」

 

「そう見えるか」

 

「少なくとも、追加措置はありません」

 

周は数秒考えた。

 

「それを落ち着いたとは言わない」

 

「では?」

 

「待っているだけかもしれない」

 

情報参謀が頷く。

 

大型画面には台湾側の戦闘機、米軍の哨戒機、日本側の監視活動が表示されていた。

 

どれも続いている。

 

「安心しているなら、監視密度は下がる」

 

周が言う。

 

情報参謀が数字を確認した。

 

「まだ目立った低下はありません」

 

「そういうことだ」

 

作戦参謀が小さく頷く。

 

「こちらが普通に動いているからといって、向こうが信用したわけではない」

 

「信用させる必要もない」

 

周が答える。

 

「決断させなければいい」

 

「演習ではない、と?」

 

「そうだ」

 

作戦参謀が資料を閉じる。

 

「今日も基本計画を維持しますか」

 

周は即答した。

 

「維持する」

 

作戦参謀が少し笑う。

 

「今日は迷いませんね」

 

周も少しだけ笑った。

 

「昨日よりはな」

 

「明日は?」

 

「明日のことは明日考える」

 

「毎日疑え、ですか」

 

周は画面を見たまま答えた。

 

「覚えているなら、何度も言わせるな」

 

午後0時32分

ハワイ・キャンプ・H・M・スミス

米インド太平洋軍司令部

 

「2日目も大きな変化なしです」

 

情報参謀が言った。

 

司令官は画面を見る。

 

「本当に退屈になってきたな」

 

若い情報将校が少し笑う。

 

「良いことです」

 

「情報屋が退屈するのは良いことか」

 

「今回は」

 

「普段は?」

 

「何もないところから何か見つけろと言われるので嫌です」

 

司令官が笑った。

 

「正直だな」

 

資料へ視線を落とす。

 

「航空活動、昨年とほぼ同じ推移」

 

「はい」

 

「艦艇も」

 

「はい」

 

「ロケット軍も射撃なし」

 

「移動訓練のみです」

 

「通信量は?」

 

「演習初日から大きな変化なし」

 

司令官は椅子にもたれた。

 

「30、下げる?」

 

若い将校が少し考えた。

 

「まだ維持で」

 

「慎重だな」

 

「昨日までの病院と物流があります」

 

「忘れてないか」

 

「忘れてません」

 

司令官が笑う。

 

「偉い」

 

情報参謀が横から言う。

 

「ただ、心理的には少し下がっています」

 

司令官が若い将校を見る。

 

「君も?」

 

若い将校が苦笑する。

 

「正直に言えば」

 

「俺もだ」

 

司令官は台湾周辺の地図を見る。

 

昨日までなら、赤い演習区域を見るだけで嫌な感覚があった。

 

今日は同じ地図を見ても、その感覚が少し薄れている。

 

「人間ってのは簡単だな」

 

司令官が言った。

 

「昨日一日何もなかっただけで、もう慣れ始めてる」

 

情報参謀が答える。

 

「正常性バイアスは専門家にもあります」

 

「嫌な言葉だ」

 

「でも事実です」

 

司令官は演習日程を確認した。

 

「終了予定は22日正午」

 

「はい」

 

「このまま何も起きなければ、あと6日」

 

若い情報将校が少し嫌そうな顔をする。

 

「始まる前は、それくらいすぐだと思ってました」

 

「今は?」

 

「6日もある」

 

司令官が笑った。

 

「東京の分析官みたいなこと言うな」

 

若い将校も笑う。

 

「向こうも同じこと考えてるかもしれません」

 

「なら、全員で退屈な6日間を過ごそう」

 

司令官は資料を閉じた。

 

「それで終わるなら安いものだ」

 

午後2時18分

台湾・台北市

国防部関連施設

 

「演習2日目、現時点で異常なし」

 

情報将校が報告した。

 

上官が資料から顔を上げる。

 

「異常なし、って言葉使うの久しぶりだな」

 

「使っていいですよね?」

 

「今日はな」

 

「よかった」

 

上官が少し笑う。

 

「そんなに言いたかったのか」

 

「最近ずっと『異常ではないが注意』とか『説明可能だが懸念』ばかりだったので」

 

「俺も嫌になってた」

 

情報将校が演習区域を表示する。

 

「航空活動も去年と似ています」

 

「海軍は?」

 

「少し多いですが想定内です」

 

「海警」

 

「ほぼ同じです」

 

「ロケット軍」

 

「目立った変化なし」

 

上官は腕を組んだ。

 

「じゃあ今日も維持」

 

「はい」

 

「追加なし」

 

「了解」

 

情報将校は記録を入力する。

 

少ししてから、手を止めた。

 

「このまま終わりますかね」

 

上官が彼を見る。

 

「終わってほしいか」

 

「もちろん」

 

「俺もだ」

 

「でも昨日までは、かなり警戒してましたよね」

 

「今もしてる」

 

「じゃあ何が違うんです?」

 

上官は少し考えた。

 

「昨日までは、何か始まるかもしれないと思って見てた」

 

「今日は?」

 

「何も始まらないかもしれないと思って見てる」

 

情報将校が小さく笑った。

 

「同じ画面なのに」

 

「見る側が変わったんだろ」

 

画面では中国軍機が演習区域内を周回していた。

 

「毎年みたいに、最後に少し派手なことやって、22日の正午に終わる」

 

情報将校が頷く。

 

「それが一番ですね」

 

上官も静かに頷いた。

 

「今年もそうであってほしい」

 

午後5時49分

東京都新宿区・防衛省

 

夕方になって、若い分析官が画面を拡大した。

 

「これ、少しだけ気になります」

 

佐伯が椅子を寄せる。

 

「何?」

 

「昨日、東側にいた駆逐艦2隻です」

 

「それが?」

 

「通常なら午前中に西側へ戻る予定でした」

 

佐伯の目が画面に止まる。

 

「戻ってない?」

 

「はい」

 

分析官が位置情報を拡大した。

 

台湾東方。

 

2隻は前日の演習区域からさらに南東へ移動していた。

 

佐伯は数秒見た。

 

「次の訓練区域?」

 

「たぶん」

 

「予定には?」

 

「明日の対海上訓練で使う可能性があります」

 

「なら、それじゃないか」

 

佐伯の返事は早かった。

 

分析官が別の画面へ切り替える。

 

「もう1つ」

 

「まだあるのか」

 

「航空部隊です。昨日、東方で活動していたJ-16の一部が基地に戻らず、前方基地へ移っています」

 

佐伯が眉を寄せる。

 

「何機?」

 

「4機」

 

「少ないな」

 

「はい」

 

「次の訓練?」

 

「十分あり得ます」

 

佐伯は少し黙った。

 

「何が気になる?」

 

分析官も言葉を探す。

 

「戻らないことです」

 

「連続訓練なら普通だろ」

 

「そうなんですけど」

 

「そうなんですけど?」

 

分析官が苦笑した。

 

「昨日まで全部『少し』だったじゃないですか」

 

佐伯が笑う。

 

「またそれか」

 

「艦艇が少し多い。航空機も少し多い。区域も少し広い」

 

「うん」

 

「今度は、戻らないのも少しだけです」

 

佐伯は笑ったまま画面を見る。

 

2隻。

 

4機。

 

戦争を語るには、あまりにも小さな数字だった。

 

「じゃあ普通だ」

 

「ですかね」

 

「少なくとも、これだけじゃ何も言えない」

 

「ですよね」

 

佐伯はもう一度地図を見た。

 

「メモには残しとけ」

 

「評価は?」

 

「変えない」

 

「了解」

 

分析官が入力を始める。

 

佐伯は画面から目を離さなかった。

 

「たぶんな」

 

分析官が振り返る。

 

「何がです?」

 

「次の訓練だよ」

 

「そうでしょうね」

 

「明日戻るかもしれない」

 

「はい」

 

「戻らなくても、その次の訓練かもしれない」

 

分析官が少し笑った。

 

「何日まで言えます?」

 

佐伯も笑う。

 

「22日まで」

 

「終了予定ですね」

 

「ああ」

 

「それでも戻らなかったら?」

 

佐伯は一瞬だけ黙った。

 

「その時考える」

 

軽い調子で言ったつもりだった。

 

だが、2人ともそれ以上は話さなかった。

 

午後9時17分

中国・浙江省

空軍基地

 

若い整備士が駐機場を見回した。

 

いつもなら並んでいるはずの機体が、いくつか見当たらない。

 

「昨日より少ないですね」

 

整備主任が工具箱を閉じる。

 

「前方基地に回した」

 

「何機?」

 

「4機」

 

「明日の訓練ですか」

 

主任の手が一瞬だけ止まった。

 

「そう聞いてる」

 

「戻ってこないんですか?」

 

「演習が終わるまでは向こうだ」

 

若い整備士が少し意外そうな顔をする。

 

「珍しいですね」

 

「そうか?」

 

「去年は毎日戻ってきてた気がします」

 

主任は少し考えた。

 

「今年は演習区域が広い」

 

「なるほど」

 

「毎日往復するより、前に置いた方が楽だろ」

 

整備士が頷く。

 

「それもそうですね」

 

「燃料も使わないし、整備時間も稼げる」

 

「合理的ですね」

 

主任が若い整備士を見る。

 

「お前、最近よく覚えてるな」

 

「暇な時に去年の記録見てるんです」

 

「余計なことまで覚えるな」

 

「整備員は飛べる機体を作るだけ?」

 

主任が少し笑った。

 

「覚えてるじゃないか」

 

「言われましたから」

 

「なら、それだけやってろ」

 

「はい」

 

2人は笑った。

 

整備士は工具を持って歩き出す。

 

駐機場の一角。

 

昨日まで4機のJ-16が並んでいた場所だけが、ぽっかりと空いていた。

 

広い基地の中では、小さな空白だった。

 

理由もある。

 

説明もつく。

 

前方基地へ置いた方が効率がいい。

 

演習区域も今年は広い。

 

何もおかしくない。

 

少なくとも、その夜の時点では。

 

演習2日目。

 

中国軍の活動量は、前年とほぼ同じ推移を見せた。

 

日米台の警戒態勢にも大きな変化はなかった。

 

台湾では演習ニュースから天気予報へチャンネルが変わり、ハワイでは「退屈」という言葉が会議で使われ、東京では佐伯自身が「考えすぎだったかもしれない」と思い始めていた。

 

その一方で、演習初日に台湾東方へ出た艦艇2隻は戻らなかった。

 

J-16、4機も元の基地へ戻らなかった。

 

どちらも、次の訓練で説明できた。

 

どちらも、単独なら気にするほどのことではなかった。

 

そして、説明できるものほど、人は深く追わなくなる。

 

演習終了予定、8月22日正午まで、あと6日。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。