平成ホラーって容赦ないよね 作:ホほ保
定番トリオと同じクラスになってから、一週間が過ぎた。
今のところ、俺は怪異に巻き込まれることなく、平穏な学校生活を送れている。
同じクラスになった初日、高瀬悠真はクラス全員に話しかける勢いで、当然のように俺にも声をかけてきた。
しかし、俺があまり会話を広げようとしなかったからか、それ以降は挨拶を交わす程度の距離を保ってくれている。
どうやら、ただの能天気なコミュ強というわけではなく、相手との距離感を測ることはできるらしい。
ありがたい。
非常にありがたい。
このまま卒業まで、顔と名前を知っているだけのクラスメイトでいよう。
そう思っていたのだが——。
「それじゃあ高瀬、森下、白石、中原。四人で飾りを取ってきてくれるか?」
その日の放課後、担任の先生からそんな指示を出された。
俺たち四人は、今年度の集会委員になっている。
とはいっても、俺が自分から立候補したわけではない。
委員決めの際、最後まで定員が埋まらず、くじ引きによって選ばれただけだ。
定番トリオと同じ委員になったと分かったときは、何者かの作為を疑った。
そして今回、近々行われる一年生を迎える会で、体育館に飾る装飾を運ぶことになったらしい。
それが保管されているのは、今ではほとんど使われていない旧視聴覚準備室。
よりにもよって、定番トリオと一緒に。
よりにもよって、旧と名のつく部屋へ。
嫌な予感しかしない。
とはいえ、先生から頼まれた程度で断るのも不自然だ。
危険察知も反応していないため、俺は渋々ながら三人のあとについていくことにした。
「中原くんとちゃんと話すの、これが初めてかもね」
廊下を歩きながら、森下美桜が明るく笑いかけてきた。
肩につく程度のピンク色の髪が、歩くたびに軽く揺れている。
「そうだね」
「同じクラスなんだし、そんなに固くならなくてもいいのに」
「これが普通だから、気にしないで」
会話を広げないよう無難に返すと、美桜はわずかに首をかしげた。
その隣では、白石栞が俺たちの様子を静かに見ている。
俺と目が合うと、栞は気まずそうに視線を落とした。
分かる。俺も結構気まずいしね。
おそらく、向こうも俺との距離を測りかねているのだろう。
そして先頭を歩く悠真は、そんな俺たちを一度だけ振り返ったものの、無理に会話へ引き込もうとはしなかった。
やはり空気は読めるらしい。
その気遣いを、ぜひ今後も続けていただきたい。
旧視聴覚準備室は、校舎の三階、その一番奥にあった。
悠真が扉を開けると、湿った埃のにおいが鼻につく。
窓の外では雨が降っており、薄暗い室内には古びた映写機やブラウン管テレビ、用途の分からない機械などが並んでいた。
「うわ、何ここ。お宝の山じゃん」
悠真が目を輝かせる。
「ガラクタの山でしょ」
美桜が呆れたように言うと、悠真は棚に置かれていた古い機械へ歩み寄った。
四角い灰色の箱に、いくつかのボタンと小さなスピーカーがついている。
どうやら、古い校内放送用の呼出装置らしい。
「これ、まだ動くのかな?」
美桜も興味を引かれたのか、悠真の横から機械をのぞき込む。
そのとき、彼女の指が赤いボタンへ触れた。
カチッ。
『——ザザッ……ザ……』
突然、スピーカーから激しい雑音が流れた。
「わっ、ごめん!」
美桜が慌てて指を離す。
雑音はすぐに止まり、部屋に静けさが戻った。
「壊れてるみたいね」
栞はそう言ったが、悠真は機械を持ち上げ、裏側を確認し始めた。
「いや、電源は入ってる。どこか接触が悪いだけかも」
「直すの?」
「ちょっと見るだけ」
そう言いながら、悠真は腰につけていた小さな道具入れからドライバーを取り出した。
なぜ小学生が日常的にドライバーを持ち歩いているのか。
そして、なぜ初めて見る古い放送機器を前にして、当たり前のように外装を取り外せるのか。
さすが物語の主人公。
スペックの盛られ方がおかしい。
悠真が慣れた手つきで裏蓋を開けると、何本もの細い配線が現れた。
「一本外れてるな。たぶん、これを繋げれば——」
悠真が外れた線へ手を伸ばす。
その瞬間。
ぞわり、と全身に怖気が走った。
「待って」
思わず、声が出た。
悠真の手が止まる。
三人の視線が、一斉に俺へ向けられた。
「どうした?」
「……古い機械だし、勝手に触らない方がいいと思う。先生を呼んでくるよ」
危険察知について話すつもりはない。
悠真は少し不満そうだったが、開いた機械と手にした配線を見比べ、素直に手を離した。
「分かった。一緒に行くか?」
「いや、俺だけで大丈夫。三人はここで待ってて」
先生へ報告するだけなら、一人で十分だ。
それに、ここから一秒でも早く離れたい。
俺は三人の返事を待たず、準備室を出た。
扉を閉めた瞬間、廊下を早足で進む。
できれば走りたいが、廊下を走って先生に捕まっては本末転倒だ。
角を曲がり、階段へ向かう。
その途中で我慢できなくなり、俺は駆けだした。
危険察知の反応は、まだ消えていない。
悠真はあの線から手を離した。
それでも、何かが始まりかけている。
階段へ差しかかったところで、俺は足を止めた。
踊り場に、女の子が立っていた。
俺たちよりも二つか三つ年下だろうか。
濡れた黒髪が頬に張りつき、白いブラウスと紺色のスカートからは、ぽたぽたと水が滴っている。
雨の中を、傘もささずに歩いてきたのだろうか。
いや、そんなわけないか。
黄色い花の髪留めをつけた少女は、俯いたまま動かなかった。
危険察知は——反応していない。
嫌な感じはする。
しかし、少なくとも今すぐ俺に危害を加える存在ではないらしい。
関わらないでおこう。
俺は少女から距離を取り、踊り場を通り過ぎた。
そして階段を下りる。
二階に着き、さらに次の階段へ向かったところで、俺は再び足を止めた。
次の踊り場にも、同じ少女が立っていた。
先ほどとまったく同じ姿勢で。
濡れた黒髪。
白いブラウス。
紺色のスカート。
黄色い花の髪留め。
俺はゆっくりと背後を振り返った。
階段を一つ下りたはずなのに、そこにあるのは三階の廊下だった。
(別件かい!)
三人が怪しい機械を見つけている間に、なぜ俺は俺で別の怪異に遭遇しているのか。
同じ学校で同時に怪異を開催するな。
順番を守れ。
俺は少女を刺激しないよう、もう一度その横を通り過ぎた。
階段を下りる。
しかし、たどり着いたのは再び二階。
そして次の踊り場には、やはり少女が立っている。
どうやら完全に閉じ込められたらしい。
そのとき、校内放送のスピーカーから音が流れた。
『——ピン、ポン、パン、ポーン』
少女の肩が、びくりと震えた。
俺も同じくらい震えた。
『直してくれて、ありがとう』
大人びた女の声だった。
妙に近い。
耳元で囁かれているかのように、声だけが鮮明に聞こえる。
『今から、そちらへ行きます』
放送が切れた。
俺は階段の踊り場に立つ少女を見る。
少女は俯いたまま、わずかに首を傾けていた。
まるで、今の放送を聞いていたかのように。
少なくとも、この子の声ではない気がする。
つまり、現在この学校では二種類の怪異が同時進行している。
一つは、旧視聴覚準備室の機械から出てきた何か。
もう一つは、俺を階段に閉じ込めている、この濡れた少女。
三人を助けに戻る余裕なんてない。
まずは俺が、ここから脱出しなければ。
試しに来た道を戻ろうと、上へ続く階段に足をかける。
その瞬間、全身を貫くような怖気が走った。
俺は反射的に足を引っ込める。
上へ戻るのは駄目らしい。
それなら、少女に何か聞いてみるか。
気は進まないが、この状況から抜け出す方法を知っている可能性はある。
俺は意を決して、少女へ一歩近づいた。
ぞくり。
先ほどよりも強い反応が、身体中を駆け抜けた。
「……ですよね」
少女から距離を取ると、危険察知の反応も弱まった。
少女の横を離れて通るだけなら反応しなかった。
だが、こちらから近づいたり、声をかけたりするのはまずいらしい。
上へ戻ることもできない。
少女へ近づくこともできない。
残されているのは、再び階段を下りることだけだ。
俺は少女を観察する。
同じ踊り場。
同じ姿勢。
そして俺は毎回、少女の姿を確認してから階段を下りている。
もしかすると、この子を見ること自体が条件なのではないか。
確証はない。
だが、試す価値はある。
俺は少女から目を逸らし、階段の手すりを握った。
そのまま目を閉じる。
何も見ないまま、ゆっくりと階段を下り始めた。
足元が見えない恐怖はあったが、危険察知は物理的な危険にも反応する。
踏み外しそうになれば、おそらく教えてくれるはずだ。
手すりを頼りに、一段ずつ足を下ろす。
背後から、水滴の落ちる音が聞こえた。
ぴちゃん。
ぴちゃん。
ぴちゃん。
音が、近づいてくる。
振り返るな。
目を開けるな。
自分へそう言い聞かせながら、階段を下り続ける。
『——ピン、ポン、パン、ポーン』
再び、校内放送が鳴った。
驚いて目を開けそうになるのを、必死でこらえる。
『今、渡り廊下を渡っています』
女の声が、楽しそうに告げた。
まずい。
明らかに旧視聴覚準備室へ近づいている。
だが、今の俺にはどうしようもない。
背後の水音が、すぐ近くで止まった。
首筋に、湿った冷気を感じる。
それでも俺は目を閉じたまま、最後の一段を下りた。
足の裏が、平らな床へ着く。
恐る恐る目を開ける。
そこは一階だった。
背後に少女の姿はない。
階段にも廊下にも、水に濡れた跡一つ残っていなかった。
助かった。
俺は息をつく間もなく、職員室へ向かって走った。
途中で校内放送が流れる。
『今、二階へ上がりました』
思わず肩が跳ねた。
廊下を歩いていた先生は、何の反応も見せない。
聞こえていないのか。
それとも、俺にしか聞こえていないのか。
いや、あの少女も反応していた。
聞こえる側と、聞こえない側がいるのだろう。
職員室へ飛び込んだ俺は、近くにいた先生を呼び止めた。
「先生、旧視聴覚準備室に古い放送の機械があって、高瀬くんが直そうとしてます。変な雑音もしたので、見に行ってもらえませんか」
「高瀬が? まったく、勝手に触るなと言っているのに……」
先生は呆れたように立ち上がった。
「お前も一緒に来い」
「すみません。少し気分が悪いので、ここで待っていてもいいですか」
嘘ではない。
階段を何度も下りたせいなのか、恐怖のせいなのか、本当に気分が悪かった。
先生は俺の顔を見て、無理に連れていくのはやめたらしい。
「分かった。そこに座っていなさい」
先生は一人で職員室を出ていった。
俺は来客用の椅子へ座り、先生の背中を見送る。
『——ピン、ポン、パン、ポーン』
また放送が鳴った。
職員室にいる先生たちは、誰一人として顔を上げない。
『今、三階に着きました』
心臓が大きく跳ねる。
やはり、ほかの先生たちには聞こえていない。
俺は何も聞こえなかったふりをして、膝の上で手を握った。
悠真たちのところへ戻るつもりはない。
先生は呼んだ。
俺にできることは、もうやった。
それでも、頭の中では何度も放送の声が繰り返されていた。
『——ピン、ポン、パン、ポーン』
『今、扉の前にいます』
俺は俯いたまま、固く目を閉じた。
◇ ◇ ◇
それから数分後、旧視聴覚準備室へ向かった先生が、三人を連れて職員室へ戻ってきた。
三人とも無事だった。
ただし、その顔は揃って青ざめていた。
「古い機械を勝手に分解するんじゃない!」
先生に叱られ、悠真は素直に頭を下げた。
「すみません」
「それで、変な音がしたというのは?」
「ボタンを押したら、すごい雑音が鳴っただけです」
美桜が答える。
「本当に、それだけか?」
先生に聞かれると、三人は一瞬だけ互いの顔を見た。
「……はい」
栞が小さく答えた。
先生は納得していない様子だったが、それ以上追及はしなかった。
次に、こちらを見る。
「中原。お前は何か聞いたか?」
三人の視線が俺へ集まる。
俺はできるだけ何でもないことのように答えた。
「僕には、雑音しか聞こえませんでした」
嘘だ。
最初から最後まで、はっきり聞こえていた。
だんだんと旧視聴覚準備室へ近づいていく、あの声を。
そのすべてを聞いていた。
だが、聞こえたと認めれば、この三人との距離が縮まる。
同類だと思われ、次から怪異が起こるたびに関わり合いになるかもしれない。
そんなことは絶対に避けたかった。
◇ ◇ ◇
「中原」
職員室を出たところで、悠真に呼び止められた。
「先生、呼んできてくれてありがとな」
「別に。あのまま機械を触るのは危ないと思っただけだから」
「それでも助かった」
悠真はまっすぐに俺を見る。
どこまで知っているのだろう。
先生が準備室へ着いたとき、三人に何が起きていたのか。
聞きたくはない。
「ねえ、中原くん」
今度は美桜が口を開いた。
「本当に、何も聞こえなかった?」
「美桜」
悠真が制止するように名前を呼ぶ。
美桜は何か言いたそうにしていたが、やがて「ううん、何でもない」と笑った。
その笑顔は、いつものような明るいものではなかった。
栞は黙ったまま、俺の顔をじっと見ている。
三人とも、俺が嘘をついていることに気づいているのかもしれない。
けれど、それを指摘してくることはなかった。
ありがたい。
今後も、その距離感を大切にしてほしい。
俺は三人と別れ、昇降口へ向かった。
幸い、それ以降は何も起こらなかった。
校内放送も流れない。
濡れた少女が現れることもない。
これで終わりだ。
そう思いながら、自分の下駄箱を開けた。
中に、水が溜まっていた。
外履きは完全に濡れており、その上には黄色い花の髪留めが置かれていた。
階段にいた少女がつけていたものと、よく似ている。
俺はしばらく、その髪留めを見つめた。
危険察知は反応していない。
だからといって、触る気にはなれなかった。
結局その日は、外履きも髪留めも下駄箱に残し、上履きのまま家へ帰った。
母にはものすごく怒られた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
予備の靴を履いて登校し、恐る恐る下駄箱を開けてみると、黄色い花の髪留めは消えていた。
昨日まで水浸しだった外履きも、きれいに乾いている。
まるで、最初から何もなかったかのように。
少し迷った末、俺はその靴を下駄箱から取り出した。
その瞬間。
靴の中から、小さなものが落ちた。
黄色い花びらが、一枚。
濡れた床へ、音もなく張りついた。